天皇杯全日本サッカー選手権大会
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天皇杯全日本サッカー選手権大会(てんのうはいぜんにっぽんサッカーせんしゅけんたいかい)は、1921年に開始された日本のサッカーの大会。日本最大のサッカーのオープントーナメント(事実上の総合選手権大会)である。
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[編集] 沿革
全日本選手権大会は元々イングランドサッカー協会(FA)が1921年に日本サッカー協会に優勝トロフィー(FA杯)を寄贈し、それをかけたトーナメント大会(大会名はア式蹴球全国優勝大会)を開催したことに由来している。この銀製トロフィーは太平洋戦争(第二次世界大戦)の最中に金属の不足により供出されたため、現存していない。
また天皇杯は戦後1947年に開かれた「東西対抗サッカー試合」の勝利チームに宮内庁から下賜された天皇杯が贈呈されたことが始まりとされ、それが1951年から全日本選手権の優勝チームに贈呈されている。1967年度の第47回大会までは開催時期・決勝会場地ともばらつきがあった。藤枝市・藤枝東高や広島市・国泰寺高と高校のグラウンドで行われた年もある。1968年度の第48回大会から年末の開催となり、決勝戦が元日(1月1日)・国立霞ヶ丘陸上競技場に定着した(国立での決勝戦開催はその前年・1967年度から。なお天皇杯元日決勝実施の前年・1968年にはNHK元日サッカーが開催されている。当該項参照)。
Jリーグ発足以後は、プロチームとアマチュアチームが戦える唯一の大会になり、さらに1996年度の第76回大会から門戸が大幅に開放され、第2種登録チーム(高校生年代)も出場できるようになった。これで名実ともに日本を代表するサッカートーナメントとなり、何度か高校のサッカー部とJリーグ加盟クラブの対戦も行われている。
また、2003年度の第83回大会までは主に12月から元日に開催されていたが、翌2004年度の第84回大会から大会日程を9月下旬からに大幅拡大し、寒冷地で開催しづらかった北海道、東北、北信越(北陸・長野県・新潟県)地域でもより多くの試合がこなせるように改善された。また、これまでJ1のチームは3回戦からのシード(かつホームゲーム主催権獲得)もあったが、4回戦からに変更され、それに併せて第84回大会は原則3回戦勝ち抜けチームのホーム開催となる関係から、J1のチームはアウェーで天皇杯開幕を迎える形となったが、第85回大会は(J1所属チームが18チームに拡大した関係もあり)J1勢同士の対戦(組み合わせ決定時にJ1で15位以下のチーム)も含まれた他、殆どの試合が、J1のホームスタジアム(3回戦勝ち抜けチームのホーム扱いの試合は名古屋 vs アローズ北陸が富山で行われるのみに留まった)で開催されている。
なお、第85回大会(2005年度)からJリーグも主催団体に加わり名実ともにJリーグ第3の公式戦となったが、その一因にはスポーツ振興くじ(toto)を実施するためでもあった。
また第84回大会(2004年度)から元日の決勝戦では、「女子サッカーの天皇杯」に相当する全日本女子サッカー選手権大会決勝戦も開催することとなった。
[編集] NHK杯
1968年元日に社会人と学生それぞれのチャンピオンチームを招待した「NHK杯元日サッカー」が開催され、前年の日本リーグ優勝の東洋工業とインカレ優勝の関西大学が東京の国立霞ヶ丘陸上競技場で対戦した。
わずか10日後に両チームとも第47回天皇杯の初戦を控えており、その前哨戦としての意味合いが強かったが、本大会が滞りなく運営されたこともあり、翌年度の第48回大会より天皇杯決勝を元日開催とし、NHK杯サッカーはこの1回のみで廃止された。現在、優勝チームに天皇杯と共にNHK杯が授与されるのはこの名残りである。
試合は東洋工業が1-0で関大を降し、その勢いのまま天皇杯も制した。
(関連 Jリーグスーパーカップ)
[編集] 大会名変遷
- ~第13回 ア式蹴球全国優勝大会
- ~第20回 全日本総合蹴球選手権大会
- 第26回 全日本蹴球選手権大会
- ~第30回 全日本サッカー選手権大会
- ~第51回 天皇杯全日本サッカー選手権大会
- ~第54回 天皇杯全日本サッカー選手権大会(中央大会)
- ~現在 天皇杯全日本サッカー選手権大会(決勝大会)
[編集] 主催・主管団体
- 主催 日本サッカー協会、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)
- 共催 日本放送協会(NHK)、共同通信社
- 主管 各都道府県サッカー協会
[編集] 大会の基本的な開催日程
2004年度以降の大会の基本的な日程は以下のとおり。
- 1回戦 - おおむね9月の第3日曜日(都道府県代表39チーム、大学シードチームの出場)
- 2回戦 - 1回戦の翌週の日曜日(1回戦シード都道府県代表8チームの出場)
- 3回戦 - 2回戦の翌々週の日曜日(J2チーム、JFLシードチームの出場)
- 4回戦 - 11月の第1日曜日(J1チームの出場)
- 5回戦 - 12月の第1土曜日
- 準々決勝 - 12月23日前後
- 準決勝 - 12月29日
- 決勝 - 翌年1月1日(国立霞ヶ丘陸上競技場)
Jリーグ・JFLをはじめとするリーグ戦はあらかじめこれらの日程を避けて設定されるが、以下の大会は天皇杯と日程が重複または近接することがある。この場合はこれらの試合への参加を優先し、当該試合に関わるチームの試合は予備日(基本的に当該試合日の翌水曜日または翌土曜日)に開催される。
- Jリーグヤマザキナビスコカップ決勝(4回戦が該当)
- AFCチャンピオンズリーグ決勝(4回戦が該当)
- J1・J2入れ替え戦(5回戦が該当)
- FIFAクラブワールドカップ(5回戦が該当)
[編集] 出場資格(2007年現在)
本大会に出場できるのは各シードチーム、都道府県代表チームあわせて全80チーム。
[編集] シードチーム
- Jリーグ・J1の参加全チーム(4回戦から出場)
- Jリーグ・J2の参加全チーム(3回戦から出場)
- 日本フットボールリーグ(JFL)の前期リーグ戦終了時点の1位チーム(3回戦から出場)
- 総理大臣杯全日本大学サッカートーナメントの優勝チーム(1回戦から出場)
[編集] 都道府県予選
原則として地区予選をかねる各都道府県大会(JFL、地域リーグなどの社会人、大学、高校、クラブチームなどを対象とする)の優勝チームまたは代表決定戦の勝利チーム(例:第79回・第80回大会のソニー仙台)が本大会への出場権を得る。ただし、優勝チームが上記のシード枠での本大会出場となる場合は準優勝チームが繰り上がる(例:第81回大会の長崎大学)。
天皇杯全体の基本姿勢としては全登録チーム参加でのフルオープンエントリー制の大会という理念が建前としてあり、各都道府県予選である大会には各都道府県サッカー協会に登録されている1種2種のチームは基本的に全チームにその年次の予選への参加権利がある事が望ましいとされている。しかし、予選実施要綱の詳細は各都道府県サッカー協会側に任されており、実際には下部リーグがある運営を採っている都道府県大学リーグや、チーム数が多い高校のチームなどは、必ずしも毎年次に全チームがその年次の予選に直接参加できない都道府県もある[1]。詳細は各都道府県予選大会を参照。
各都道府県予選を兼ねる地方大会は次の通り。
- 北海道 - 知事杯全道サッカー選手権大会○
- 青森県 - NHK杯青森県サッカー選手権大会○
- 岩手県 - 岩手県サッカー選手権大会○
- 宮城県 - NHK杯・河北杯争奪宮城県サッカー選手権大会◎
- 秋田県 - 秋田県総合サッカー選手権大会○
- 山形県 - 山形県サッカー総合選手権大会◎
- 福島県 - 福島民報杯・NHK杯福島県サッカー選手権大会
- 茨城県 - 茨城県サッカー選手権大会※
- 栃木県 - 栃木トヨタカップ栃木県サッカー選手権大会
- 群馬県 - 群馬県サッカー協会長杯サッカー大会
- 埼玉県 - 彩の国カップ埼玉県サッカー選手権大会
- 千葉県 - 千葉県サッカー選手権大会
- 東京都 - 東京都サッカートーナメント
- 神奈川県 - 神奈川県サッカー選手権大会
- 山梨県 - 山梨県サッカー選手権春季大会
- 長野県 - 長野県サッカー選手権大会
- 新潟県 - 新潟日報杯・NHK杯新潟県サッカー選手権大会
- 富山県 - 富山県サッカー選手権大会
- 石川県 - 石川銀行アイビーカップ石川県サッカー選手権大会◎
- 福井県 - 福井県サッカー選手権大会
- 静岡県 - スルガカップ争奪静岡県サッカー選手権大会
- 愛知県 - 愛知県サッカー選手権大会
- 三重県 - 三重県サッカー選手権大会
- 岐阜県 - 岐阜県サッカー選手権大会
- 滋賀県 - 滋賀県サッカー選手権大会(SHIGA FA CUP)
- 京都府 - 京都FAカップ京都サッカー選手権大会
- 大阪府 - 大阪サッカー選手権大会
- 兵庫県 - 兵庫県サッカー選手権大会※
- 奈良県 - 奈良県選手権大会代表決定戦
- 和歌山県 - 和歌山県サッカー選手権大会
- 鳥取県 - 鳥取県サッカー選手権・決勝大会
- 島根県 - 島根県サッカー選手権大会
- 岡山県 - 岡山県サッカー選手権大会○
- 広島県 - 全広島サッカー選手権大会
- 山口県 - 山口県サッカー選手権大会
- 香川県 - 香川県サッカー選手権大会
- 徳島県 - 徳島県サッカー選手権大会
- 愛媛県 - 愛媛県サッカー選手権大会
- 高知県 - 高知県サッカー選手権大会
- 福岡県 - 福岡県サッカー選手権大会◎
- 佐賀県 - 佐賀県サッカー選手権大会
- 長崎県 - 長崎県サッカー選手権大会○
- 熊本県 - NHK杯熊本県サッカー選手権大会◎
- 大分県 - 大分県サッカー選手権大会
- 宮崎県 - 宮日旗・NHK杯宮崎県サッカー選手権大会◎
- 鹿児島県 - 鹿児島県サッカー選手権大会○
- 沖縄県 - タイムス杯争奪沖縄県サッカー選手権大会
印なしの大会は、都道府県代表制が採用された第76回大会で新設された大会。同じく◎印はそれ以後の第77回、※印は第78回に新設された大会。○印付の大会は既存(都道府県代表制が採用される以前からある大会で、天皇杯予選を兼ねている)の大会。
[編集] 出場資格の変遷
- 第1回~ 東部/中部/近畿・四国/中国・九州の各代表4チームに出場権。
- 第5回~ 東京と九州代表が初参加し6チームに出場権。以後、予選の変更や大会の拡大と縮小をくり返し3~8チームに出場権。
- 第26回 終戦後の混乱の中、関東代表と関西代表による2チームに出場権。
- 第29回 関東/中部/関西/中国/九州の各代表5チームに出場権。
- 第30回 北海道から九州までの各地区代表と開催地代表の全16チームに出場権。ただし北海道と東北代表チームは辞退した。
- 第31回 北海道から九州までの各地区代表と開催地代表を含む協会推薦の全14チームに出場権。
- 第32回~ 北海道から九州までの各地区代表と開催地代表を含む協会推薦の全16チームに出場権。
- 第43回 協会推薦を含む7チームに出場権。
- 第44回 実業団および学生(前回優勝を含む)上位各5チームに出場権。唯一、ノックアウトトーナメントを採用しなかった。
- 第45回~ 日本サッカーリーグおよび全日本大学サッカー選手権大会の上位各4チームに出場権。
- 第52回 オープン化し、日本サッカーリーグ1部所属チームおよび9地域代表の全24チームに出場権。
- 第53回~ 日本サッカーリーグ1部所属チームおよび9地域代表の全26チームに拡大。予選が都道府県大会からになる。
- 第57回~ 日本サッカーリーグ1部所属チームおよび9地域代表の全28チームに拡大(後述する第60回記念大会を除く)。
- 第60回 記念大会として日本サッカーリーグ2部の首位チームと総理大臣杯大学サッカー優勝チームを加え30チームに拡大。
- 第64回~ 日本サッカーリーグ1部所属チームおよび9地域代表の全32チームに拡大。
- 第72回~ Jリーグ所属チームおよび9地域代表の全32チームに出場権。出場チーム数は変わらず。
- 第76回 Jリーグ所属チーム、ジャパンフットボールリーグと関東大学連盟・関西学生連盟の上位チームおよび47都道府県代表の全80チームに出場権。第2種チームの出場が可能に。
- 第77回 Jリーグ所属チーム1増につき全81チームに拡大。
- 第78回 Jリーグ所属チーム1増につき全82チームに拡大。
- 第79回~ Jリーグ(J1/J2)所属チーム、日本フットボールリーグと総理大臣杯大学サッカーの上位チーム、高円宮杯全日本ユースサッカー優勝チームおよび47都道府県代表の全80チームに出場権。
- 第84回~ Jリーグ(J1/J2)所属チーム、日本フットボールリーグと総理大臣杯大学サッカーの上位チームおよび47都道府県代表の全80チームに出場権。
[編集] 試合方式
試合は45分ハーフの計90分で行い、決着がつかない場合は当初抽選によって勝ち上がりチームを決定していたが、その後PK戦を導入して第75回大会までは延長戦を行わずにPK戦(決勝のみ延長戦(15分ハーフの計30分→PK戦))とする方式となり、第76回大会からはVゴール方式の延長戦→PK戦にルールが変更された。第85回大会からはVゴール方式が廃止され、延長戦の前後半15分を必ず最後まで行う方式に変更された。
[編集] 備考
優勝チームには天皇杯(第31回以降)の他にNHK杯(第48回以降)、共同通信杯、JOC杯、ドイツ杯(第85回以降)が贈られる。また翌シーズンには全日本選手権チーム(チャンピオンチーム)の証として日本サッカー協会のエンブレムをユニフォームに付ける権利を有する。エンブレムには、日本サッカー協会のシンボルマークであるヤタガラス上部に天皇杯(Emperor's Cup)の"E"を表示(また、J1との二冠の場合は"☆")する。
優勝チームは全日本選手権チームとして、翌シーズンのゼロックス・スーパーカップ、翌々シーズンのAFCチャンピオンズリーグの出場資格を得る。なお、優勝チームが同シーズンのJ1リーグも優勝している場合には、前者には天皇杯の準優勝が繰り上がり出場権が与えられる。また、翌シーズンのJ1リーグを優勝した場合には、後者にはJ1準優勝が繰り上がり出場権が与えられる(2000年度はJ1リーグ・天皇杯ともに鹿島アントラーズが制したため、2001年度スーパーカップにおいては天皇杯準優勝の清水エスパルスが、2005年度天皇杯・2006年度J1リーグは浦和レッズが制したため、2007年度AFCチャンピオンズリーグにおいては2006年度J1リーグ2位の川崎フロンターレが、それぞれ適用第一号となった)。また同様に、1980年代前半にはジャパンカップへの出場権が与えられていた。
ただし、AFCチャンピオンズリーグの場合、翌々年の開催分になるため、仮に優勝チームがJ2に降格した場合は、出場権が剥奪される。なお、2002年度の天皇杯を制した京都パープルサンガ(2003年にJ2降格)は、当時のAFCチャンピオンズリーグの日程変更上の過渡期でもあったため、出場権がなかった。また2004年度優勝の東京ヴェルディ1969は本来なら2006年J2に降格したので出場権を失う予定だったが、クラブ側の「J2に降格した場合でも出場したい」という意向を受け入れる形で同大会への出場が認められた。その後ルールが変更され、2009年度のACLへの日本代表枠としての派遣は2007年度の当大会優勝クラブではなく、2008年度の当大会で優勝したクラブが代表として出場するよう変更された。それ以後も当該年度の当大会優勝クラブが翌年のACL出場を獲得することになる予定。
決勝戦は元日午後の試合であるが、カードに関係なく元日を国立で過ごしたいという根っからのサッカーファンは多く、おおむねどのチームが決勝進出しても超満員となることが多い。ただしJリーグが開幕してから関西以西に本拠地を置くチーム同士による決勝戦はまだ行われておらず、ここ最近は関東圏に本拠地を置くチームが決勝進出を果たすことが多いことから、必ずしも満員になるかどうかは定かではない。2005年度(2006年1月1日)、2006年度(2007年1月1日)は特に、超人気クラブの浦和レッズが決勝進出したこともあり、例年にも増してチケット確保は困難を極めた。また2004年度の第84回大会(2005年1月1日決勝)から全日本女子サッカー選手権大会の決勝戦が元日午前におなじ会場で行われるようになり、「兄妹チーム」のアベック優勝なども見られるようになったが、女子チームの応援団(サポーター)にとって場所やチケットの確保での改善を求める声も上がっている。
1998年度の78回大会より、決勝戦のみならずすべてのスタジアムでの入場曲に「日本サッカーの歌」(坂本龍一作曲)が使われている。
決勝戦終了直後の表彰式においても、優勝チーム表彰の際に「日本サッカーの歌」がBGMで流される。
[編集] 天皇杯の呪い
- 2002年優勝の京都パープルサンガは翌年J2降格
- 2003年優勝のジュビロ磐田は優勝候補に挙げられながら2ndステージ13位と低迷
- 2004年優勝の東京ヴェルディ1969も翌年J2降格
と、ここ数年、天皇杯に優勝したチームが翌年極端に成績を落とすケースが相次いでおり、Jリーグファンの間では「天皇杯の呪い」「負けた方が縁起がいい」などと皮肉られている。
これは、決勝まで勝ち上がった場合シーズン終了が1月までずれ込み、新チーム編成などの準備期間が短くなること、Jリーグの過密日程化と合わさって、選手が十分な休養を取れないまま新シーズンに突入してしまうことなどが原因と考えられ、日程面の更なる改革が必要だとする声も挙がっている。
ただし、2005年優勝の浦和レッズは、翌2006年シーズンでリーグ優勝し天皇杯の連覇も達成、さらに、2007年はアジアチャンピオンズリーグ制覇、リーグ戦2位とこのジンクスから逃れているとも言える。
また、2007年優勝の鹿島アントラーズも2008年開幕ダッシュに成功し、アジアチャンピオンズリーグでも好調なことから過去のものとなっている可能性もある。
[編集] 横浜フリューゲルスの呪い
ここ数年の天皇杯優勝チームの翌シーズンにおける不振について、一部のJリーグ・ファンの間での呼称である。
前に述べられている“天皇杯の呪い”との違いは、1999年の名古屋グランパスエイト、2000年の鹿島アントラーズ、2001年の清水エスパルスを含めることである。1999年の名古屋はそれ以降の成績自体に問題ないものの、ここ数年は中位をさ迷うシーズンが続いている。2000年の鹿島はその後Jリーグ連覇、ナビスコ杯制覇を果たしたが2002年以降のタイトル獲得はなく、2003年の2ndステージでは最終節のロスタイムに浦和に追いつかれたために横浜F・マリノスの完全優勝を許し、2005年は前半戦を独走していたにもかかわらず優勝を逃している(主力の多くの選手が代表へ招集されていた影響も考えられる)。2001年の清水は2000年の2ndステージ以降低迷し、2004年・2005年には残留争いをしている。
1998年は横浜フリューゲルスが優勝した。横浜Fは消滅発表後は無敗であり、チームの存続を願う優勝であったが叶わず消滅した。一連のことをフリューゲルスに結びつけることはフリューゲルスの元選手およびサポーターへの配慮を考えれば、良くない呼び方であるが、現にリヴァプールFCのヘイゼルの悲劇以降の迷走や、スポーツは違うがメジャーリーグ・ボストン・レッドソックスの「バンビーノの呪い」など何かしらの因縁や経緯により優勝から遠ざかったり、低迷したりとした例は実際にある。
偶然にも2006年、横浜フリューゲルスのサポーター達が作り上げた横浜FCのJ1昇格と共に、前述のように2005年天皇杯王者の浦和がリーグ優勝を果たすこととなった(しかも、これも何かの因縁なのか、浦和のヘッドコーチは横浜フリューゲルス最後の監督だったゲルト・エンゲルスであった)。
[編集] 歴代大会結果
| 年度 | 回 | 優勝 | スコア | 準優勝 |
|---|---|---|---|---|
| 1921年 | 1 | 東京蹴球団 | 1 - 0 | 御影蹴球団 |
| 1922年 | 2 | 名古屋蹴球団 | 1 - 0 | 広島高等師範学校 |
| 1923年 | 3 | アストラクラブ | 2 - 1 | 名古屋蹴球団 |
| 1924年 | 4 | 鯉城クラブ | 1 - 0 | 全御影師範クラブ |
| 1925年 | 5 | 鯉城蹴球団 | 3 - 0 | 東京帝国大学 |
| 1926年 | 6 | 中止 | ||
| 1927年 | 7 | 神戸一中クラブ | 2 - 0 | 鯉城クラブ |
| 1928年 | 8 | 早大WMW | 6 - 1 | 京都帝国大学 |
| 1929年 | 9 | 関学クラブ | 3 - 0 | 法政大学 |
| 1930年 | 10 | 関学クラブ | 3 - 0 | 慶應BRB |
| 1931年 | 11 | 東大LB | 5 - 1 | 興文中学 |
| 1932年 | 12 | 慶應クラブ | 5 - 1 | 芳野クラブ |
| 1933年 | 13 | 東京OBクラブ | 4 - 1 | 仙台サッカークラブ |
| 1934年 | 14 | 中止 | ||
| 1935年 | 15 | 全京城蹴球団 | 6 - 1 | 東京文理科大学 |
| 1936年 | 16 | 慶應BRB | 3 - 2 | 普成専門学校 |
| 1937年 | 17 | 慶應義塾大学 | 3 - 0 | 神戸商業大学 |
| 1938年 | 18 | 早稲田大学 | 4 - 1 | 慶應義塾大学 |
| 1939年 | 19 | 慶應BRB | 3 - 2 (延長) |
早稲田大学 |
| 1940年 | 20 | 慶應BRB | 1 - 0 | 早大WMW |
| 1941年 | 21 | 中止 | ||
| 1942年 | 22 | 中止 | ||
| 1943年 | 23 | 中止 | ||
| 1944年 | 24 | 中止 | ||
| 1945年 | 25 | 中止 | ||
| 1946年 | 26 | 東大LB | 6 - 2 | 神経大クラブ |
| 1947年 | 27 | 中止 | ||
| 1948年 | 28 | 中止 | ||
| 1949年 | 29 | 東大LB | 5 - 2 | 関大クラブ |
| 1950年 | 30 | 全関学 | 6 - 1 | 慶應義塾大学 |
| 1951年 | 31 | 慶應BRB | 3 - 2 (延長) |
大阪クラブ |
| 1952年 | 32 | 全慶應 | 6 - 2 | 大阪クラブ |
| 1953年 | 33 | 全関学 | 5 - 4 (延長) |
大阪クラブ |
| 1954年 | 34 | 慶應BRB | 5 - 3 (延長) |
東洋工業 |
| 1955年 | 35 | 全関学 | 4 - 3 | 中大クラブ |
| 1956年 | 36 | 慶應BRB | 4 - 2 | 八幡製鉄 |
| 1957年 | 37 | 中大クラブ | 2 - 1 | 東洋工業 |
| 1958年 | 38 | 関学クラブ | 2 - 1 | 八幡製鉄サッカー部 |
| 1959年 | 39 | 関学クラブ | 1 - 0 | 中央大学 |
| 1960年 | 40 | 古河電工 | 4 - 0 | 慶應BRB |
| 1961年 | 41 | 古河電工 | 3 - 2 | 中央大学 |
| 1962年 | 42 | 中央大学 | 2 - 1 | 古河電工 |
| 1963年 | 43 | 早稲田大学 | 3 - 0 | 日立本社 |
| 1964年 | 44 | 八幡製鉄 古河電工 |
0 - 0 (延長) |
(両チーム優勝) |
| 1965年 | 45 | 東洋工業 | 3 - 2 | 八幡製鉄 |
| 1966年 | 46 | 早稲田大学 | 3 - 2 (延長) |
東洋工業 |
| 1967年 | 47 | 東洋工業 | 1 - 0 | 三菱重工 |
| 1968年 | 48 | ヤンマー | 1 - 0 | 三菱重工 |
| 1969年 | 49 | 東洋工業 | 4 - 1 | 立教大学 |
| 1970年 | 50 | ヤンマー | 2 - 1 (延長) |
東洋工業 |
| 1971年 | 51 | 三菱重工 | 3 - 1 | ヤンマー |
| 1972年 | 52 | 日立製作所 | 2 - 1 | ヤンマー |
| 1973年 | 53 | 三菱重工 | 2 - 1 | 日立製作所 |
| 1974年 | 54 | ヤンマー | 2 - 1 | 永大産業 |
| 1975年 | 55 | 日立製作所 | 2 - 0 | フジタ工業 |
| 1976年 | 56 | 古河電工 | 4 - 1 | ヤンマー |
| 1977年 | 57 | フジタ工業 | 4 - 1 | ヤンマー |
| 1978年 | 58 | 三菱重工 | 1 - 0 | 東洋工業 |
| 1979年 | 59 | フジタ工業 | 2 - 1 | 三菱重工 |
| 1980年 | 60 | 三菱重工 | 1 - 0 | 田辺製薬 |
| 1981年 | 61 | 日本鋼管 | 2 - 0 | 読売クラブ |
| 1982年 | 62 | ヤマハ発動機 | 1 - 0 (延長) |
フジタ工業 |
| 1983年 | 63 | 日産自動車 | 2 - 0 | ヤンマー |
| 1984年 | 64 | 読売クラブ | 2 - 0 | 古河電工 |
| 1985年 | 65 | 日産自動車 | 2 - 0 | フジタ工業 |
| 1986年 | 66 | 読売クラブ | 2 - 1 | 日本鋼管 |
| 1987年 | 67 | 読売クラブ | 2 - 0 | マツダSC |
| 1988年 | 68 | 日産自動車 | 3 - 1 (延長) |
フジタ工業 |
| 1989年 | 69 | 日産自動車 | 3 - 2 | ヤマハ発動機 |
| 1990年 | 70 | 松下電器産業 | 0 - 0 (延長) (4 PK 3) |
日産自動車 |
| 1991年 | 71 | 日産自動車 | 4 - 1 (延長) |
読売クラブ |
| 1992年 | 72 | 日産FC横浜マリノス | 2 - 1 (延長) |
読売ヴェルディ |
| 1993年 | 73 | 横浜フリューゲルス | 6 - 2 (延長) |
鹿島アントラーズ |
| 1994年 | 74 | ベルマーレ平塚 | 2 - 0 | セレッソ大阪 |
| 1995年 | 75 | 名古屋グランパスエイト | 3 - 0 | サンフレッチェ広島 |
| 1996年 | 76 | ヴェルディ川崎 | 3 - 0 | サンフレッチェ広島 |
| 1997年 | 77 | 鹿島アントラーズ | 3 - 0 | 横浜フリューゲルス |
| 1998年 | 78 | 横浜フリューゲルス | 2 - 1 | 清水エスパルス |
| 1999年 | 79 | 名古屋グランパスエイト | 2 - 0 | サンフレッチェ広島 |
| 2000年 | 80 | 鹿島アントラーズ | 3 - 2 (延長Vゴール) |
清水エスパルス |
| 2001年 | 81 | 清水エスパルス | 3 - 2 (延長Vゴール) |
セレッソ大阪 |
| 2002年 | 82 | 京都パープルサンガ | 2 - 1 | 鹿島アントラーズ |
| 2003年 | 83 | ジュビロ磐田 | 1 - 0 | セレッソ大阪 |
| 2004年 | 84 | 東京ヴェルディ1969 | 2 - 1 | ジュビロ磐田 |
| 2005年 | 85 | 浦和レッドダイヤモンズ | 2 - 1 | 清水エスパルス |
| 2006年 | 86 | 浦和レッドダイヤモンズ | 1 - 0 | ガンバ大阪 |
| 2007年 | 87 | 鹿島アントラーズ | 2 - 0 | サンフレッチェ広島 |
[編集] 天皇杯への指摘
天皇杯(全日本選手権)は、ア式蹴球全国優勝大会として設立された第1回大会から辞退チームが出るなど、他の国内外の大会とのスケジュールの兼ね合いや、権威づけ、過密日程などの問題を抱えていた。戦前の明治神宮競技大会との統合や日本サッカーリーグ設立に伴う日本チャンピオンの位置付け(現状では日本リーグ1部・Jリーグ1部優勝をチャンピオンとしているが、全日本選手権=Championshipは天皇杯勝者である)などがあり、また、第66回大会ではアジアクラブ選手権出場を優先させるため日本サッカー協会の指示で古河電工が天皇杯の辞退(予定されていた対兵庫教員戦は壮行試合とし、結果として古河は日本初のアジア王者となった)を余儀なくされるなど毎年のようにアジアの各大会と天皇杯との選択をせまられていた。
開催期間や参加枠などは改善されたものの、日程や開催場所、表記、ACLへの出場権に関して指摘する声がある。2004年からは9月からの開催になり、試合会場については大幅な改善がなされたが、日程によるJリーグクラブへの負担はあまり変わっていないとの声がある。また、年末の集中開催は多少は緩和されたものの、Jリーグや代表の影響もあり、完全に改善されたかどうかについての意見は分かれる。また、年末と元日をまたがっているため混乱を招くこともしばしばである。例に挙げれば、浦和が優勝したのは2005年度という見方をここではしているが、元日を基点に2006年や欧州からの引用で2005-06年と表記したり、単純に第85回大会としたりとファンやマスメディアでも若干の違いが存在する。また、ACLへの出場権を前々年度の優勝チームに与えている。この点については様々な意見があり、J1リーグ2位やナビスコ杯の優勝チームに与えるべきとの意見もあれば、前年度の優勝チームを出場させるべきではないかという意見もある。そして2007年11月、日本サッカー協会は2009年からのACLの出場権を前年度の優勝チームに与えることを正式に発表した。なお、これにより2007年度の天皇杯優勝チームには2009年のACL出場権が与えられないことになった。
このように天皇杯のあり方については多くの指摘がある。しかしながら、元日開催に関しては支持する声も少なからずあり、今後の日本サッカー協会の対応に注目が寄せられる。
[編集] テレビ・ラジオ放送
主催者に日本放送協会(NHK)が加わっていることや、過去の経緯もあって、地上波・BSでのテレビ放送はNHKにより独占放送されている。ラジオ放送は準決勝までNHKが独占、決勝はNHKに加えてTBSラジオ(全日本実業団対抗駅伝大会中継のため飛び乗り)、文化放送、ニッポン放送、RFラジオ日本が中継を行う。現行の試合形態(本大会80チーム)になって以降はJリーグ勢の登場以降の中継が基本となっている。
- 3回戦:J2チーム出場カードのうち2試合をBS1で放送(生中継1試合+録画中継1試合)。
- 4回戦、5回戦:J1チーム出場カードのうち試合日(予備日含む)ごとに2試合をBS1で放送(原則として生中継、一部試合は録画中継)。2006年の4回戦は試合日が2日間にわたり、予備日にも2試合が行われたため、計6試合で中継が行われた。
- 準々決勝:全試合をBS1で放送(生中継2試合+録画中継2試合)。
- 準決勝、決勝:全試合を総合テレビ・ラジオ第1、および海外向けのNHKワールド・プレミアムで生中継。また、BS1で録画中継。2007年の決勝まではBSハイビジョンでも生中継で放送されていたが、2008年の決勝はBSハイビジョンでは放送されないことになった。
このほか、各県大会の決勝もNHK各局でのローカル中継で放送される他、本大会の3回戦~5回戦の試合日には深夜にBS1でダイジェスト番組が放送されている。
なお、元日に行われる決勝戦の生中継はNHKが毎年最初に行うスポーツ中継である。なお、民放も含めると、元日朝から昼にかけて行われる全日本実業団対抗駅伝大会(ニューイヤー駅伝、TBS系で生中継)が一年で最初の日本のスポーツ中継となる。
また、3回戦以降の一部の試合はCS放送(スカイパーフェクTV!)での中継も行われていたが、2007年(第87回)は放送予定なしとスカパー!のホームページで発表されている。
[編集] 脚注
- ^ 各都道府県での大会の実施例で、例えば春先にその都道府県内での登録全チームがエントリー可能な各種大会(社会人・大学・高校・クラブ・ユースなど)がある場合は、その大会で天皇杯予選を兼ねる事がある。また別途に天皇杯用の予選を開く場合もある。参加チーム数や日程などの諸事情から前述の様な天皇杯に向けた予選やそれを兼ねる大会の開催が不可能な場合は、前年度に行われた各種大会の成績上位チームに各都道府県内天皇杯予選への参加資格を与えたりする場合もある。例としては、神奈川県や東京都の高校チームなどは地域ユースチームのリーグ戦参加校の中の成績上位チームが出場条件になるケースや、神奈川県大学リーグ所属校からの予選参加条件は秋季のみ行われる県大学リーグ1部の上位4校のみが可能、などがある。これらのような例においては、下部リーグの所属だとその時点での予選への出場エントリーは不可能になる。一方、そのようなリーグ構成を採る都道府県でも、下部まで含めた全チームに毎年次の予選参加の機会を与えている都道府県もある。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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