天皇杯全日本サッカー選手権大会

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天皇杯全日本サッカー選手権大会(てんのうはいぜんにっぽんサッカーせんしゅけんたいかい)とは1921年に開始された日本のサッカーカップ戦である。日本最大のサッカーのオープントーナメント(事実上の総合選手権大会)である。JリーグJリーグヤマザキナビスコカップと並び日本の国内3大タイトルとされる。

目次

[編集] 沿革

[編集] 1921年-1940年(大会創設から戦前まで)

最初の天皇杯全日本サッカー選手権は、日本サッカー協会(JFA)創設と同じ1921年に「ア式蹴球全国優勝競技会」の大会名で開催された。[1]全日本選手権の開催とJFA創設の直接のきっかけとなったのは、1919年にイングランドのフットボール・アソシエーション(FA)から日本に贈られた銀杯(FAカップ)であった。この銀製トロフィーは全日本選手権の毎大会ごとのチャンピオンに与えられていたが、太平洋戦争第二次世界大戦)の最中に金属の不足により供出されたため、現存していない。[2]

1921年9月10日に今村次吉の私邸で行われた大日本蹴球協会の第1回理事会において全国優勝競技会の概要が決められ、16日に発表された。[3]第1回(1921年度)の予選は1921年9月から11月にかけて開催され、関東、中部、関西、西部の4地域から20チームが参加した。11月後半に日比谷公園の芝生運動場で行われた全国決勝大会には、棄権した1チームを除いた3チームが参加し、東京蹴球団が初代チャンピオンとなった。[4]

第4回(1924年度)からの全日本選手権は、内務省の主催によりこの年から始まった総合スポーツ大会、明治神宮競技大会(明治神宮大会)のア式蹴球の部を兼ねるようになった。大会の運営はJFAが担当した。[5]

第6回(1926年度)は、内務省主催による明治神宮大会への学生の参加は認められないという横槍が文部省方面から入ったため、全日本選手権と明治神宮大会は切り離され、それぞれ別個の大会として開催される運びとなったが、結局第6回全日本選手権は大正天皇の崩御のため中止された。[6][7]第7回(1927年度)は再び学生の参加が許されたので明治神宮大会を兼ねる形に戻った。[7]この年から明治神宮大会の開催ペースが毎年から隔年へ変更されたため、明治神宮大会のない年には独立して全日本選手権を行うようになった。[6]

この時代の全日本選手権の覇権を争ったチームはその多くが大学チームだった。大学のリーグ戦や東西対抗王座決定戦といった大会が始まり活況を呈するにつれ、大学チームは全国からチームが集まる全日本選手権よりも、レベルの高いチームが集まる大学リーグ戦に価値を置く姿勢へと変わっていった。[7][8]たとえば第11回(1931年度)に優勝した東大LBは2軍チームであり、1軍はリーグ戦の開幕に向けた準備に専念していた。[8]この第11回大会からは明治神宮大会のほか、全国地方対抗選手権も兼ねるようになった。[6]

1935年からは明治神宮大会とは別の新たな大会として、全日本総合選手権大会が始まった。この年以降は全日本総合選手権の優勝チームが全日本選手権の公式な歴代優勝チームとされている。[9]FAカップ自体は依然として明治神宮大会の優勝チームに授与されており(1937年第9回大会まで)、[2]全日本総合選手権の優勝チームには日本蹴球協会杯が与えられていた。[10]

[編集] 1946年-1971(天皇杯授与、実業団時代への移行)

戦後最初の全日本選手権となった第26回(1946年度)は「復興第1回全日本選手権大会」として行われ、関東と関西の予選を勝ち進んだ2チームだけが5月5日の決勝大会に参加した。[11]

1947年4月3日の「東西対抗試合」(関東と関西の選抜チームによる当時の一大試合)には昭和天皇が来場し、翌1948年7月にはJFAが宮内庁から天皇杯を拝受した。当初こそ天皇杯は東西対抗試合の勝者に贈呈されていたが、第31回(1951年度)から全日本選手権の優勝チームに贈呈されるようになり、大会名も現在の「天皇杯全日本サッカー選手権大会」へと変わった。

第40回大会(1960年度)には古河電工が実業団チームとして初めてとなる優勝を果たした。この後の天皇杯の覇権は実業団チームへと移り、大学チームの優勝は第46回(1966年度)の早稲田大学が最後になっている。

第44回(1964年度)は、AリーグとBリーグ(それぞれ5チーム)の1位同士により決勝戦を行うという試みが実施された。八幡製鉄と古河電工の試合は延長を経てもなお決着が付かず、両チーム優勝扱いとなった。大会の歴史上、リーグ戦が導入されたことも、優勝チームが複数出たことも、この回が唯一になっている。

第47回(1967年度)までは開催時期・決勝会場地ともばらつきがあった。藤枝市藤枝東高広島市国泰寺高と高校のグラウンドで行われた年もある。第48回(1968年度)から年末の開催となり、決勝戦が元日1月1日)・国立霞ヶ丘陸上競技場に定着した(国立での決勝戦開催はその第47回(1967年度)から。なお天皇杯元日決勝実施(1969年1月1日)の前年・1968年にはNHK元日サッカーが開催されている。当該項参照)。

[編集] 1972年-現在(天皇杯のオープン化)

1965年の日本サッカーリーグ(JSL)の発足以降、天皇杯はJSLと全日本大学選手権のそれぞれ上位4チームが出場資格を得る方式になっていたが、大会のモデルとなったイングランドのFAカップのようなオープンカップを求める声の高まりもあり、[12]第52回(1972年度)からオープン化された。オープン化を実現できた要因としては、第48回(1968年度)から実施している元日決勝の興行的成功による財政面の安定があったという。[12][13]参加チーム数は第52回は75チーム、第53回(1973年度)は807チーム、第54回(1974年度)は1105チームと爆発的に増えていった。[13]

Jリーグ発足以後はプロチームとアマチュアチームが戦える唯一の大会になり、さらに第76回(1996年度)から門戸が大幅に開放され第2種登録チーム(高校生年代)も出場できるようになった。これで名実ともに日本を代表するサッカートーナメントとなり、何度か高校のサッカー部とJリーグ加盟クラブの対戦も行われている。

第83回(2003年度)までは主に12月から元日に開催されていたが、翌第84回(2004年度)から大会日程を9月下旬からに大幅拡大し寒冷地で開催しづらかった北海道東北北信越北陸長野県新潟県)地域でもより多くの試合がこなせるように改善された。またこれまでJ1のチームは3回戦からのシード(かつホームゲーム主催権獲得)もあったが4回戦からに変更され、それに併せて第84回(2004年度)は原則3回戦勝ち抜けチームのホーム開催となる関係からJ1のチームはアウェーで天皇杯開幕を迎える形となったが、第85回(2005年度)は(J1所属チームが18チームに拡大した関係もあり)J1勢同士の対戦(組み合わせ決定時にJ1で15位以下のチーム)も含まれた他、殆どの試合がJ1のホームスタジアム(3回戦勝ち抜けチームのホーム扱いの試合は名古屋vsアローズ北陸富山で行われるのみに留まった)で開催されている。

第85回(2005年度)からJリーグも主催団体に加わり名実ともにJリーグ第3の公式戦となったが、その一因にはスポーツ振興くじ(toto)を実施するためでもあった。

第84回(2004年度)から元日の決勝戦では、「女子サッカーの天皇杯」に相当する全日本女子サッカー選手権大会決勝戦も開催することとなった。

[編集] NHK杯

1968年元日に社会人と学生それぞれのチャンピオンチームを招待した「NHK杯元日サッカー」が開催され、前年の日本リーグ優勝の東洋工業とインカレ優勝の関西大学が東京の国立霞ヶ丘陸上競技場で対戦した。

わずか10日後に両チームとも第47回の初戦を控えておりその前哨戦としての意味合いが強かったが、本大会が滞りなく運営されたこともあり翌年度の第48回より天皇杯決勝を元日開催とし、NHK杯サッカーはこの1回のみで廃止された。現在、優勝チームに天皇杯と共にNHK杯が授与されるのはこの名残りである。

試合は東洋工業が1-0で関大を降し、その勢いのまま天皇杯も制した。

(関連:Jリーグスーパーカップ

[編集] 大会名変遷

  • 第1 - 13回:ア式蹴球全国優勝大会
  • 第14 - 20回:全日本総合蹴球選手権大会
  • 第26回:全日本蹴球選手権大会
  • 第27 - 30回:全日本サッカー選手権大会
  • 第31 - 51回:天皇杯全日本サッカー選手権大会
  • 第52 - 54回:天皇杯全日本サッカー選手権大会(中央大会)
  • 第55回 - :天皇杯全日本サッカー選手権大会(決勝大会)

[編集] フォーマット

[編集] 主催・主管団体

[編集] 大会の基本的な開催日程

第84回(2004年度)以降の大会の基本的な日程は以下のとおり。

  • 1回戦 - 敬老の日(9月第3月曜日)を含む週末(都道府県代表チーム、総理大臣杯全日本大学サッカートーナメント優勝チームの出場)
  • 2回戦 - 体育の日(10月第2月曜日)を含む週末(J1/J2チーム、JFLシードチームの出場・サッカーくじの発売はJリーグ同士の対戦があった場合に限り発売される)
  • 3回戦 - 文化の日(11月3日)に至近の週末
  • 4回戦 - 11月の第3土曜日あるいは12月の第1土曜日
  • 準々決勝 - 12月23日前後
  • 準決勝 - 12月29日
  • 決勝 - 翌年1月1日(国立霞ヶ丘陸上競技場

1回戦から3回戦までは、土日、あるいは土日月に分散開催される。なお、第84回から第88回までは1回戦の翌週に2回戦を行う全8回戦制(上記の2/3/4回戦が3/4/5回戦に相当)で行われており、J1チームは4回戦からの登場となっていた。

Jリーグ・JFLをはじめとするリーグ戦はあらかじめこれらの日程を避けて設定されるが、以下の大会は天皇杯と日程が重複または近接することがある。この場合はこれらの試合への参加を優先し、当該試合に関わるチームの試合は予備日(基本的に当該試合日の翌水曜日または翌土曜日)に開催される。

[編集] 出場資格

本大会に出場できるのはシード出場チームと各都道府県代表47チームが出場する。第89回(2009年度)では全88チームが出場する。

[編集] シード出場チーム

シード枠の選考基準は第84回(2004年度)以降基本的に同じであるが、Jリーグ加盟クラブ数の増に伴ってチーム数ならびに登場試合の異動が発生している。

以下の記述におけるチーム数等は第89回大会を基準とする。各年のシード状況の異動については各回の当該項を参照のこと。

[編集] 都道府県代表チーム

原則として地区予選をかねる各都道府県大会(JFL、地域リーグなどの社会人、大学、高校、クラブチームなどを対象とする)の優勝チームまたは代表決定戦の勝利チーム(例:第79・80回のソニー仙台)が本大会への出場権を得る。ただし、優勝チームが上記のシード枠での本大会出場となる場合は準優勝チームが繰り上がる(例:第81回の長崎大学)。

天皇杯全体の基本姿勢としては全登録チーム参加でのフルオープンエントリー制の大会という理念が建前としてあり、各都道府県予選である大会には各都道府県サッカー協会に登録されている1種2種のチームは基本的に全チームにその年次の予選への参加権利がある事が望ましいとされている。しかし予選実施要綱の詳細は各都道府県サッカー協会側に任されており、実際には下部リーグがある運営を採っている都道府県大学リーグやチーム数が多い高校のチームなどは必ずしも毎年次に全チームがその年次の予選に直接参加できない都道府県もある[注釈 1]。詳細は各都道府県予選大会を参照。

各都道府県予選を兼ねる地方大会は次の通り。

  • 北海道 - 知事杯全道サッカー選手権大会○
  • 青森県 - NHK杯青森県サッカー選手権大会○
  • 岩手県 - 岩手県サッカー選手権大会○
  • 宮城県 - NHK杯・河北杯争奪宮城県サッカー選手権大会◎
  • 秋田県 - 秋田県総合サッカー選手権大会○
  • 山形県 - 山形県サッカー総合選手権大会◎
  • 福島県 - 福島民報杯・NHK杯福島県サッカー選手権大会
  • 茨城県 - 茨城県サッカー選手権大会
  • 栃木県 - 栃木トヨタカップ栃木県サッカー選手権大会
  • 群馬県 - 群馬県サッカー協会長杯サッカー大会
  • 埼玉県 - 彩の国カップ埼玉県サッカー選手権大会
  • 千葉県 - 千葉県サッカー選手権大会
  • 東京都 - 東京都サッカートーナメント
  • 神奈川県 - 神奈川県サッカー選手権大会
  • 山梨県 - 山梨県サッカー選手権大会
  • 長野県 - 長野県サッカー選手権大会
  • 新潟県 - 新潟日報杯・NHK杯・共同通信杯新潟県サッカー選手権大会
  • 富山県 - 富山県サッカー選手権大会
  • 石川県 - 石川県サッカー選手権大会◎
  • 福井県 - 福井県サッカー選手権大会
  • 静岡県 - スルガカップ争奪静岡県サッカー選手権大会
  • 愛知県 - 愛知県サッカー選手権大会
  • 三重県 - 三重県サッカー選手権大会
  • 岐阜県 - 岐阜県サッカー選手権大会
  • 滋賀県 - 滋賀県サッカー選手権大会(SHIGA FA CUP)
  • 京都府 - 京都FAカップ京都サッカー選手権決勝大会
  • 大阪府 - 大阪サッカー選手権大会
  • 兵庫県 - 兵庫県サッカー選手権大会※
  • 奈良県 - 奈良県サッカー選手権大会代表決定戦
  • 和歌山県 - 和歌山県サッカー選手権大会
  • 鳥取県 - 鳥取県サッカー選手権・決勝大会
  • 島根県 - 島根県サッカー選手権大会
  • 岡山県 - 岡山県サッカー選手権大会○
  • 広島県 - 全広島サッカー選手権大会決勝大会
  • 山口県 - 山口県サッカー選手権大会
  • 香川県 - 香川県サッカー選手権大会
  • 徳島県 - 徳島県サッカー選手権大会
  • 愛媛県 - 愛媛県サッカー選手権大会
  • 高知県 - 高知県サッカー選手権大会
  • 福岡県 - 福岡県サッカー選手権大会◎
  • 佐賀県 - 佐賀県サッカー選手権大会
  • 長崎県 - 長崎県サッカー選手権大会○
  • 熊本県 - NHK杯熊本県サッカー選手権大会◎
  • 大分県 - 大分県サッカー選手権大会決勝トーナメント大会
  • 宮崎県 - 宮日旗・NHK杯宮崎県サッカー選手権大会◎
  • 鹿児島県 - 鹿児島県サッカー選手権大会○
  • 沖縄県 - タイムス杯争奪沖縄県サッカー選手権大会

印なしの大会は、都道府県代表制が採用された第76回で新設された大会。同じく◎印はそれ以後の第77回、※印は第78回に新設された大会。○印付の大会は既存(都道府県代表制が採用される以前からある大会で、天皇杯予選を兼ねている)の大会。

[編集] 出場資格の変遷

  • 第1回(1921年)- :東部/中部/近畿・四国/中国・九州の各代表4チームに出場権。
  • 第5回(1925年)- :東京と九州代表が初参加し6チームに出場権。以後、予選の変更や大会の拡大と縮小をくり返し3~8チームに出場権。
  • 第26回(1946年):終戦後の混乱の中、関東代表と関西代表による2チームに出場権。
  • 第29回(1949年):関東/中部/関西/中国/九州の各代表5チームに出場権。
  • 第30回(1950年):北海道から九州までの各地区代表と開催地代表の全16チームに出場権。ただし北海道と東北代表チームは辞退した。
  • 第31回(1951年):北海道から九州までの各地区代表と開催地代表を含む協会推薦の全14チームに出場権。
  • 第32回(1952年)- :北海道から九州までの各地区代表と開催地代表を含む協会推薦の全16チームに出場権。
  • 第43回(1963年):協会推薦を含む7チームに出場権。
  • 第44回(1964年):実業団および学生(前回優勝を含む)上位各5チームに出場権。唯一、ノックアウトトーナメントを採用しなかった。
  • 第45回(1965年)- :日本サッカーリーグおよび全日本大学サッカー選手権大会の上位各4チームに出場権。
  • 第52回(1972年):オープン化し、日本サッカーリーグ1部所属チームおよび9地域代表の全24チームに出場権。
  • 第53回(1973年)- :日本サッカーリーグ1部所属チームおよび9地域代表の全26チームに拡大。予選が都道府県大会からになる。
  • 第57回(1977年)- :日本サッカーリーグ1部所属チームおよび9地域代表の全28チームに拡大(後述する第60回記念大会を除く)。
  • 第60回(1980年):記念大会として日本サッカーリーグ2部の首位チームと総理大臣杯大学サッカー優勝チームを加え30チームに拡大。
  • 第64回(1984年)- :日本サッカーリーグ1部所属チームおよび9地域代表の全32チームに拡大。
  • 第72回(1992年)- :Jリーグ所属チームおよび9地域代表の全32チームに出場権。出場チーム数は変わらず。
  • 第76回(1996年):Jリーグ所属チーム(16チーム)、ジャパンフットボールリーグ上位11チームと関東大学連盟上位4チーム、関西学生連盟上位2チームおよび47都道府県代表の全80チームに出場権。第2種チームの都道府県予選への出場が可能になる。
  • 第77回(1997年):Jリーグ所属チーム1増(17チーム)につき全81チームに拡大。
  • 第78回(1998年):Jリーグ所属チーム1増(18チーム)につき全82チームに拡大。
  • 第79回(1999年):Jリーグ所属チーム(J1/J2全26チーム)、日本フットボールリーグ上位3チームと総理大臣杯大学サッカー上位3チーム、高円宮杯全日本ユースサッカー優勝チームおよび47都道府県代表の全80チームに出場権。
  • 第80回(2000年):Jリーグ所属チーム1増(27チーム)に伴い総理大臣杯大学サッカー代表枠を上位2チームに変更(全出場チーム数は80チーム)。
  • 第81回(2001年)- :Jリーグ所属チーム1増(28チーム)に伴い日本フットボールリーグ代表枠を上位2チームに変更(全出場チーム数は80チーム)。
  • 第84回(2004年):高円宮杯全日本ユースサッカー優勝チームの代わりに日本フットボールリーグ代表枠を上位3チームに変更(全出場チーム数は80チーム)。
  • 第85回(2005年):Jリーグ所属チーム2増(30チーム)に伴い日本フットボールリーグ代表枠を上位2チーム、総理大臣杯大学サッカー代表枠を上位1チームに変更(全出場チーム数は80チーム)。また、Jリーグ同士の試合に限りスポーツ振興くじの販売を開始した。
  • 第86回(2006年)- :Jリーグ所属チーム1増(31チーム)に伴い日本フットボールリーグ代表枠を上位1チームに変更(全出場チーム数は80チーム)。
  • 第88回(2008年):Jリーグ所属チーム2増(33チーム)につき全82チームに拡大。
  • 第89回(2009年):Jリーグ所属チーム3増(36チーム)および日本フットボールリーグ代表枠を上位4チームに変更につき全88チームに拡大。

[編集] 試合方式

試合は45分ハーフの計90分で行い決着がつかない場合は当初抽選によって勝ち上がりチームを決定していたが、その後PK戦を導入。第75回までは延長戦を行わずにPK戦で勝ち上がりチームを決定する方式(決勝戦のみ15分ハーフの延長戦を行い、その後PK戦)となる。第76回からは全ての試合においてVゴール方式の延長戦を行い、その後PK戦を行う方式に変更された。そして第85回からはVゴール方式を廃止し延長戦の前後半15分ずつを必ず最後まで行う方式に変更され、現在に至っている。

[編集] 歴代大会結果

回数 年度 優勝 スコア 準優勝 備考
第1回 1921年 東京蹴球団 1 - 0 御影蹴球団
第2回 1922年 名古屋蹴球団 1 - 0 広島高師
第3回 1923年 アストラ・クラブ 2 - 1 名古屋蹴球団 関東大地震の影響で1924年2月に開催。
第4回 1924年 鯉城クラブ 1 - 0 全御影師範クラブ 第1回明治神宮大会を兼ねる。
第5回 1925年 鯉城蹴球団 3 - 0 東京帝大学 第2回明治神宮大会を兼ねる。
第6回 1926年 中止 大正天皇崩御のため中止。
第7回 1927年 神戸一中クラブ 2 - 0 鯉城クラブ 第4回明治神宮大会を兼ねる。
第8回 1928年 早大WMW 6 - 1 京都帝大学
第9回 1929年 関学クラブ 3 - 0 法政大学 第5回明治神宮大会を兼ねる。
第10回 1930年 関学クラブ  3 - 0 慶應BRB 1931年5月に開催。
第11回 1931年 東京帝大LB 5 - 1  興文中学 第6回明治神宮大会、第1回全国地方対抗を兼ねる。
第12回 1932年 慶應クラブ 5 - 1 芳野クラブ 第2回全国地方対抗を兼ねる。
第13回 1933年 東京OBクラブ 4 - 1 仙台サッカークラブ 第7回明治神宮大会、第3回全国地方大会を兼ねる。
第14回 1934年 中止 極東選手権への準備のため中止。
第15回 1935年 全京城蹴球団 6 - 1 東京文理大学 第1回全日本総合選手権として開催される。
第16回 1936年 慶應BRB 3 - 2 普成専門 第2回全日本総合選手権として開催される。
第17回 1937年 慶應大学 3 - 0 神戸商大学 第3回全日本総合選手権として開催される。
第18回 1938年 早稲田大学 4 - 1 慶應大学 第4回全日本総合選手権として開催される。
第19回 1939年 慶應BRB 3 - 2
(延長)
早稲田大学 第5回全日本総合選手権として開催される。
第20回 1940年 慶應BRB 1 - 0 早大WMW 第6回全日本総合選手権として開催される。
第21回 1941年 中止
第22回 1942年 中止
第23回 1943年 中止
第24回 1944年 中止
第25回 1945年 中止
第26回 1946年 東大LB 6 - 2 神経大クラブ
第27回 1947年 中止
第28回 1948年 中止
第29回 1949年 東大LB 5 - 2 関大クラブ
第30回 1950年 全関学 6 - 1 慶應大学
第31回 1951年 慶應BRB 3 - 2
(延長)
大阪クラブ この回より天皇杯の授与始まる。
第32回 1952年 全慶應 6 - 2 大阪クラブ
第33回 1953年 全関学 5 - 4
(延長)
大阪クラブ
第34回 1954年 慶應BRB 5 - 3
(延長)
東洋工業
第35回 1955年 全関学 4 - 3 中大クラブ
第36回 1956年 慶應BRB 4 - 2 八幡製鉄
第37回 1957年 中大クラブ 2 - 1 東洋工業
第38回 1958年 関学クラブ 2 - 1 八幡製鉄
第39回 1959年 関学クラブ 1 - 0 中央大学
第40回 1960年 古河電工 4 - 0 慶應BRB
第41回 1961年 古河電工 3 - 2 中央大学
第42回 1962年 中央大学 2 - 1 古河電工
第43回 1963年 早稲田大学 3 - 0 日立製作所
第44回 1964年 八幡製鉄
古河電工
0 - 0
(延長)
両チーム優勝。この回のみリーグ方式が導入された。
第45回 1965年 東洋工業 3 - 2 八幡製鉄
第46回 1966年 早稲田大学 3 - 2
(延長)
東洋工業
第47回 1967年 東洋工業 1 - 0 三菱重工
第48回 1968年 ヤンマー 1 - 0 三菱重工 この回より決勝戦が1月1日に設定された。
第49回 1969年 東洋工業 4 - 1 立教大学
第50回 1970年 ヤンマー 2 - 1
(延長)
東洋工業
第51回 1971年 三菱重工 3 - 1 ヤンマー
第52回 1972年 日立製作所 2 - 1 ヤンマー この回より大会がオープン化された。
第53回 1973年 三菱重工 2 - 1 日立製作所
第54回 1974年 ヤンマー 2 - 1 永大産業
第55回 1975年 日立製作所 2 - 0 フジタ工業
第56回 1976年 古河電工 4 - 1 ヤンマー
第57回 1977年 フジタ工業 4 - 1 ヤンマー
第58回 1978年 三菱重工 1 - 0 東洋工業
第59回 1979年 フジタ工業 2 - 1 三菱重工
第60回 1980年 三菱重工 1 - 0 田辺製薬
第61回 1981年 日本鋼管 2 - 0 読売クラブ
第62回 1982年 ヤマハ発動機 1 - 0
(延長)
フジタ工業クラブ
第63回 1983年 日産自動車 2 - 0 ヤンマー
第64回 1984年 読売クラブ 2 - 0 古河電工
第65回 1985年 日産自動車 2 - 0 フジタ工業
第66回 1986年 読売クラブ 2 - 1 日本鋼管
第67回 1987年 読売クラブ 2 - 0 マツダSC
第68回 1988年 日産自動車 3 - 1
(延長)
フジタ工業
第69回 1989年 日産自動車 3 - 2 ヤマハ発動機
第70回 1990年 松下電器 0 - 0
(延長)
(4 PK 3)
日産自動車
第71回 1991年 日産自動車 4 - 1
(延長)
読売クラブ
第72回 1992年 日産FC横浜マリノス 2 - 1
(延長)
読売ヴェルディ
第73回 1993年 横浜フリューゲルス 6 - 2
(延長)
鹿島アントラーズ
第74回 1994年 ベルマーレ平塚 2 - 0 セレッソ大阪
第75回 1995年 名古屋グランパスエイト 3 - 0 サンフレッチェ広島
第76回 1996年 ヴェルディ川崎 3 - 0 サンフレッチェ広島
第77回 1997年 鹿島アントラーズ 3 - 0 横浜フリューゲルス
第78回 1998年 横浜フリューゲルス 2 - 1 清水エスパルス この回の決勝戦を以って横浜フリューゲルスがチーム消滅。
第79回 1999年 名古屋グランパスエイト 2 - 0 サンフレッチェ広島
第80回 2000年 鹿島アントラーズ 3 - 2
(延長Vゴール)
清水エスパルス
第81回 2001年 清水エスパルス 3 - 2
(延長Vゴール)
セレッソ大阪
第82回 2002年 京都パープルサンガ 2 - 1 鹿島アントラーズ
第83回 2003年 ジュビロ磐田 1 - 0 セレッソ大阪
第84回 2004年 東京ヴェルディ1969 2 - 1 ジュビロ磐田
第85回 2005年 浦和レッズ 2 - 1 清水エスパルス
第86回 2006年 浦和レッズ 1 - 0 ガンバ大阪
第87回 2007年 鹿島アントラーズ 2 - 0 サンフレッチェ広島
第88回 2008年 ガンバ大阪 1 - 0
(延長)
柏レイソル

[編集] 備考

[編集] 優勝チームへの特典

優勝チームには天皇杯(第31回以降)の他にNHK杯(第48回以降)、共同通信杯、JOC杯、ドイツ杯(第85回以降)が贈られる。また翌シーズンには全日本選手権チーム(チャンピオンチーム)の証として日本サッカー協会のエンブレムをユニフォームに付ける権利を有する。エンブレムには、日本サッカー協会のシンボルマークであるヤタガラス上部に天皇杯(Emperor's Cup)の"E"を表示(また、J1との二冠の場合は"☆")する。

優勝チームは全日本選手権チームとして、翌シーズンの富士ゼロックス・スーパーカップAFCチャンピオンズリーグ(ACL)の出場資格を得る。なお、優勝チームが同シーズンのJ1リーグも優勝している場合にはスーパーカップには同シーズンJ1リーグ2位チームが繰り上がり、出場権が与えられる。また、同シーズンJ1リーグ3位までのチームが優勝チームだった場合はACLには同シーズンJ1リーグ4位チームが繰り上がり出場権が与えられる。

第87回(2007年度)までは、スーパーカップは天皇杯の準優勝チームが繰り上がっていた。またACLは第86回(2006年度)までの優勝チームが翌々シーズンの出場権を得ることになっており、優勝チームが翌シーズンのJ1リーグで優勝した場合には同シーズンJ1リーグ2位チームが繰り上がっていた(2008年までの日本からのACL出場枠は2チーム)。また同様に、1980年代前半にはジャパンカップへの出場権が与えられていた。

この以前の方式では優勝チームが翌年にJ2へ降格した場合はACL出場権が剥奪されることになっていた。なお、第82回(2002年度)の天皇杯を制した京都パープルサンガ(2003年にJ2降格)は当時のACLの日程変更上の過渡期でもあったため出場権がなかった。また第84回(2004年度)優勝の東京ヴェルディ1969は本来なら2006年J2に降格したので出場権を失う予定だったが、クラブ側の「J2に降格した場合でも出場したい」という意向を受け入れる形で同大会への出場が認められた。この第89回(2009年度)からの変更のため、2007年の優勝チームである鹿島アントラーズには2009年のACLへの出場資格を得られなかった(ただし2008年のJ1リーグ優勝で出場資格を得ている)。

[編集] 天皇杯への指摘

天皇杯(全日本選手権)はア式蹴球全国優勝大会として設立された第1回から辞退チームが出るなど他の国内外の大会とのスケジュールの兼ね合いや権威づけ、過密日程などの問題を抱えていた。戦前の明治神宮競技大会との統合や日本サッカーリーグ設立に伴う日本チャンピオンの位置付け(現状では日本リーグ1部・Jリーグ1部優勝をチャンピオンとしているが、全日本選手権=Championshipは天皇杯である)[14]などがあり、また第66回ではアジアクラブ選手権出場を優先させるため日本サッカー協会の指示で古河電工が天皇杯の辞退(予定されていた対兵庫教員戦は壮行試合とし、結果として古河は日本初のアジア王者となった)を余儀なくされるなど毎年のようにアジアの各大会と天皇杯との選択をせまられていた。

またACLへの出場権を前々年度の優勝チームに与えていたことにも様々な意見があり、J1リーグ2位やナビスコ杯の優勝チームに与えるべきとの意見もあれば前年度の優勝チームを出場させるべきではないかという意見があった。結局2007年11月に、日本サッカー協会は2009年からのACLの出場権を前年度の優勝チームに与えることを正式に発表している。

開催期間や参加枠、ACLへの出場権などは改善されたものの日程や開催場所、表記に関しては問題を指摘する声がある。特に長崎で神奈川ダービー、丸亀静岡ダービーが行われるなど会場についての不満は特に大きい。第88回の準決勝ではFC東京と柏レイソルが対戦したが、年末の帰省ラッシュの時期にも関わらず試合会場が静岡だったため、両チームのサポーターから不満を表す横断幕が出された(もう一つの準決勝は国立で行われていた。その前の試合で既にFC東京は鳥取・仙台、柏は富山・岡山と遠征を繰り返していた事も背景にある)。2009年も清水vs甲府が鳥取で開催、FC東京vs草津が長崎で開催された。またベスト8やベスト16の会場に必ずJリーグのない地域(鳥取、長崎、丸亀、松江など)が含まれており、これについても不満が上がっている。遠征費も各クラブの自己負担であり、かなりの出費を強いられる。一部のファンからもどちらかのホームでやるべきではという声も多い。第84回(2004年度)からは9月からの開催になり試合会場については大幅な変更がなされたが、日程によるJリーグクラブへの負担はあまり変わっていないとの声がある。また年末の集中開催は多少は緩和されたもののJリーグや代表の影響もあり、完全に改善されたかどうかについての意見は分かれる。Jリーグの終盤と重なった場合には特に優勝争いやJ1残留争いしているクラブでは主力選手をベンチからも外すこともあり、ベストメンバー規定の導入も取り沙汰されている。また、年末と元日をまたがっているため混乱を招くこともしばしばである。例に挙げれば、浦和が優勝したのは2005年度という見方をここではしているが元日を基点に2006年や欧州からの引用で2005-06年と表記したり、単純に第85回としたりとファンやマスメディアでも若干の違いが存在する。

このように天皇杯のあり方については多くの指摘がある。しかしながら元日開催に関しては支持する声も少なからずあり、今後の日本サッカー協会の対応に注目が寄せられる。

[編集] その他

決勝戦は元日午後の試合であるがカードに関係なく元日を国立で過ごしたいという根っからのサッカーファンは多く、おおむねどのチームが決勝進出しても超満員となることが多い。ただしJリーグが開幕してから関西以西に本拠地を置くチーム同士による決勝戦はまだ行われておらず、ここ最近は関東圏に本拠地を置くチームが決勝進出を果たすことが多いことから必ずしも満員になるかどうかは定かではないが、第85・86回(2005・2006年度)の場合はJ1の人気チームである浦和レッズが決勝進出したこともあり、例年以上にチケットの確保は困難を極めた。また第84回(2004年度)から全日本女子サッカー選手権大会の決勝戦が元日午前におなじ会場で行われるようになり「兄妹チーム」のアベック優勝なども見られるようになったが、女子チームの応援団(サポーター)にとって場所やチケットの確保での改善を求める声も上がっている。

第78回(1998年度)より、決勝戦のみならずすべてのスタジアムでの入場曲に『日本サッカーの歌』(坂本龍一作曲)が使われている。決勝戦終了直後の表彰式においても、優勝チーム表彰の際に『日本サッカーの歌』がBGMで流される。

[編集] テレビ・ラジオ放送

主催者に日本放送協会(NHK)が加わっていることや過去の経緯もあって、地上波・BSでのテレビ放送はNHKによりほぼ独占放送されている。ラジオ放送は準決勝までNHKが独占、決勝はNHKに加えてTBSラジオニューイヤー駅伝中継のため飛び乗り)、文化放送ニッポン放送RFラジオ日本が中継を行う。第76回(1996年度)以降はJリーグ勢の登場以降の中継が基本となっている。

  • 2回戦:J1チーム出場カードのうち2試合をBS1で放送(原則として生中継)。
  • 3回戦、4回戦:J1チーム出場カードのうち試合日(予備日含む)ごとに1-2試合をBS1で放送(原則として生中継、一部試合は録画中継)。第86回(2006年度)の4回戦は試合日が2日間にわたり予備日にも2試合が行われたため、計6試合で中継が行われた。
  • 準々決勝:全試合をBS1で放送(生中継2試合+録画中継2試合)。
  • 準決勝、決勝:全試合を総合テレビラジオ第1、および海外向けのNHKワールド・プレミアムで生中継。また、BS1で録画中継。第87回(2007年度)の決勝まではBSハイビジョンでも生中継で放送されていたが、第88回(2008年度)の決勝はBSハイビジョンでは放送されないことになった。

このほか、各県大会の決勝もNHK各局でのローカル中継で放送される他、本大会の2 - 4回戦および準々決勝の試合日には深夜にBS1でダイジェスト番組が放送されている(Jリーグタイムと同様の放送体制)。

なお、元日に行われる決勝戦の生中継はNHKが毎年最初に行うスポーツ中継である。なお民放も含めると、元日朝から昼にかけて行われるニューイヤー駅伝が一年で最初の日本のスポーツ中継となる。

[編集] 注釈

  1. ^ 各都道府県での大会の実施例で、例えば春先にその都道府県内での登録全チームがエントリー可能な各種大会(社会人・大学・高校・クラブ・ユースなど)がある場合はその大会で天皇杯予選を兼ねる事がある。また別途に天皇杯用の予選を開く場合もある。参加チーム数や日程などの諸事情から前述の様な天皇杯に向けた予選やそれを兼ねる大会の開催が不可能な場合は、前年度に行われた各種大会の成績上位チームに各都道府県内天皇杯予選への参加資格を与えたりする場合もある。例としては、神奈川県や東京都の高校チームなどは地域ユースチームのリーグ戦参加校の中の成績上位チームが出場条件になるケースや神奈川県大学リーグ所属校からの予選参加条件は秋季のみ行われる県大学リーグ1部の上位4校のみが可能などがある。これらのような例においては、下部リーグの所属だとその時点での予選への出場エントリーは不可能になる。一方、そのようなリーグ構成を採る都道府県でも下部まで含めた全チームに毎年次の予選参加の機会を与えている都道府県もある。

[編集] 出典

  1. ^ 日本蹴球協会編 『日本サッカーのあゆみ』 講談社、1974年、65頁。
  2. ^ a b 『日本サッカーのあゆみ』 200頁。
  3. ^ 『日本サッカーのあゆみ』 63頁。
  4. ^ 『日本サッカーのあゆみ』 64-65頁。
  5. ^ 『日本サッカーのあゆみ』 81頁。
  6. ^ a b c 『日本サッカーのあゆみ』 197頁。
  7. ^ a b c 鈴木武士編著 『天皇杯六十五年史』 財団法人日本サッカー協会、1987年、52-53頁。
  8. ^ a b 『日本サッカーのあゆみ』 101頁。
  9. ^ "天皇杯の由来・歴代優勝チーム". 日本サッカー協会. 2009-02-13 閲覧。
  10. ^ 『天皇杯六十五年史』 90頁。
  11. ^ 『天皇杯六十五年史』 112頁。
  12. ^ a b 『天皇杯六十五年史』 177-178頁。
  13. ^ a b 財団法人日本サッカー協会75年史編集委員会編 『財団法人日本サッカー協会 75年史』 日本サッカー協会、1996年、224頁。
  14. ^ 『1991-1992JSLイヤーブック』200頁。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク