藤田祥史
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| 藤田 祥史 | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| カタカナ | フジタ ヨシヒト | |
| ラテン文字 | FUJITA Yoshihito | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1983年4月13日(26歳) | |
| 出身地 | 兵庫県神戸市 | |
| 身長 | 185cm | |
| 体重 | 75kg | |
| 血液型 | AB型 | |
| 選手情報 | ||
| 在籍チーム | 大宮アルディージャ | |
| ポジション | FW | |
| 背番号 | 13 | |
| 利き足 | 左足 | |
| クラブチーム1 | ||
| 年 | クラブ | App (G) |
| 2006-2008 2009- |
サガン鳥栖 大宮アルディージャ |
105 (46) |
| 1. 国内リーグ戦に限る。2008年12月12日現在。 ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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藤田 祥史(ふじた よしひと、1983年4月13日 - )は、Jリーグディビジョン1(J1)・大宮アルディージャ所属のプロサッカー選手。ポジションはフォワード。
目次 |
[編集] 来歴
立命館大学時代には、関西大学リーグ得点王2回、アシスト王1回を獲得するなど、大学屈指のストライカーだった。 2006年にサガン鳥栖に入団。入団のきっかけとなったのは、大学時代の監督と、松本育夫監督が知り合いだったから。
2006年は、ルーキーながら開幕戦に出場。以後スタメンに定着し期待されたが、好調なチームとは対照的に、4得点と不本意な成績に終わった。
2007年は、チームのエースストライカーだった新居辰基が移籍したため、攻撃の柱だと期待されており、その期待に応え、J2得点ランキングで日本人トップとなる24得点をあげた。24得点は、前年新居が記録したチーム記録の23得点を上回り、チーム新記録である。鳥栖からセレッソ大阪に復帰した濱田武は、2007年に対戦した際に、「藤田が今年は大エースになっているけど、昨年もっと点を取ってくれていたら…(笑)」とコメントしている。
シーズンオフには、複数のJクラブのオファーがあったが、それを断って鳥栖への残留を決めた。
2008年は、前年終盤の骨折で開幕こそ間に合わなかったが、第44節の仙台戦でハットトリックをあげるなど18得点。
2009年からは、大宮アルディージャに移籍し、センターフォワードとしてプレー。豊富な運動量で前線からの守備もこなす。
[編集] 所属クラブ
- ユース経歴
- ヴィッセル神戸Jrユース
- 神戸国際大学附属高等学校
- 立命館大学
- プロ経歴
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 2006年 | 鳥栖 | 25 | J2 | 23 | 4 | - | 2 | 1 | 25 | 5 | |
| 2007年 | 鳥栖 | 25 | J2 | 44 | 24 | - | 2 | 0 | 46 | 24 | |
| 2008年 | 鳥栖 | 25 | J2 | 38 | 18 | - | 4 | 2 | 42 | 20 | |
| 2009年 | 大宮 | 13 | J1 | ||||||||
| 通算 | 日本 | J1 | |||||||||
| 日本 | J2 | 105 | 46 | - | 8 | 3 | 113 | 49 | |||
| 総通算 | 105 | 46 | - | 8 | 3 | 113 | 49 | ||||
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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