小宮山尊信

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小宮山 尊信
名前
愛称 コミ
カタカナ コミヤマ タカノブ
ラテン文字 KOMIYAMA Takanobu
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1984-10-03) 1984年10月3日(39歳)
出身地 千葉県船橋市
身長 176cm
体重 73kg
選手情報
ポジション DF
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2006-2009 横浜F・マリノス 85 (10)
2010-2016 川崎フロンターレ 115 (3)
2017 横浜FC 25 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2018年2月23日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

小宮山 尊信(こみやま たかのぶ、 1984年10月3日 - )は、千葉県船橋市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー

来歴[編集]

市立船橋高校3年時に全国高等学校サッカー選手権大会で優勝を果たしている。当時のチームメイトに青木良太大久保裕樹小川佳純原一樹、1学年後輩に増嶋竜也カレン・ロバート鈴木修人佐藤優也石井秀典らがいる。

高校3年時にU-18日本代表に選ばれ、オランダ遠征に参加している。また、イビチャ・オシム監督時代の日本代表合宿に招集された経験を持つ。

順天堂大学在学中の2006年、特別指定選手として横浜F・マリノスに登録されリーグ戦ナビスコ杯1試合ずつに出場している。その後、2007年から横浜F・マリノスに正式加入した。

2008年は左ウイングバックとしてレギュラー出場し、ペナルティーエリア外からの得点はリーグ最多の5ゴールだった。

2009年12月25日、川崎フロンターレへの移籍が発表された。

2017年は横浜FCに所属し、自身初のJ2を戦った。2017年で契約満了に伴い退団[1]

2018年2月22日、自身のInstagramで現役引退を発表した[1]

人物・エピソード[編集]

  • 父親は元ボクサーであり、本来右利きであった小宮山に、左でもプレーできることの重要性を説いたという。また、高校時代に右足を骨折し、その後1年半左足だけで練習をした結果、左利きへのスイッチが完成した。
  • 横浜F・マリノスが低迷していた2008年8月23日、小宮山は全体練習で寝坊遅刻してしまい、罰金10万円の支払い及びチームメートの手によって丸坊主にされてしまったという。翌日、コーナーキックのこぼれ球を押し込んで勝利し、マリノスがホームで白星を挙げた際、優秀選手1名に与えられるマン・オブ・ザ・マッチの賞金10万円で罰金をチャラにした。
  • 日本A代表候補合宿 2007年5月13日に初招集。その2日前にプロC契約からA契約に移行したばかりだった。
  • 趣味は釣り。田坂祐介は釣り仲間である[2]

所属クラブ[編集]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2006 横浜FM 37 J1 1 0 1 0 - 2 0
2007 13 25 0 5 0 1 0 31 0
2008 31 7 4 1 2 0 37 8
2009 28 3 9 0 3 0 40 3
2010 川崎 8 33 3 4 0 3 0 40 3
2011 25 0 2 1 3 0 30 1
2012 7 0 2 0 0 0 9 0
2013 10 0 1 0 3 0 14 0
2014 18 0 2 0 1 1 21 1
2015 21 0 2 0 3 1 26 1
2016 1 0 1 0 1 0 3 0
2017 横浜FC 30 J2 25 0 - 0 0 25 0
通算 日本 J1 200 13 33 2 20 2 253 17
日本 J2 25 0 - 0 0 25 0
総通算 225 13 33 2 20 2 278 17
  • 2006年は特別指定選手として出場。
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2010 川崎 8 6 0
2014 0 0
通算 AFC 6 0

代表歴[編集]

出場大会など[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b DF小宮山尊信が現役引退「感謝の気持ちで胸がいっぱい」”. スポニチアネックス (2018年2月22日). 2018年2月22日閲覧。
  2. ^ エル・ゴラッソJリーグプレーヤーズガイド2017(スクワッド)、p157

関連項目[編集]

外部リンク[編集]