愛媛FC
| 愛媛FC | |
|---|---|
| 原語表記 | 愛媛FC |
| クラブカラー | オレンジ[1] |
| 創設年 | 1970年 |
| 所属リーグ | 日本プロサッカーリーグ |
| 所属ディビジョン | Jリーグ ディビジョン2 |
| クラブライセンス | J2 |
| ホームタウン | 松山市を中心とする愛媛県全県[1] |
| ホームスタジアム | ニンジニアスタジアム[1] |
| 収容人数 | 11,609[1] |
| 運営法人 | 株式会社愛媛FC[1] |
| 代表者 | |
| 監督 | |
| 公式サイト | 公式サイト |
| ■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ | |
| 種類 | 株式会社 |
|---|---|
| 本社所在地 | 〒790-0921[1] 愛媛県松山市福音寺町230[1][2] |
| 設立 | 2003年11月19日[2] |
| 業種 | サービス業 |
| 事業内容 | サッカークラブの運営 |
| 代表者 | 亀井文雄[1] |
| 資本金 | 2億0,850万円[2] |
| 売上高 | 4億7,200万円 (2011年12月期)[3] |
| 経常利益 | ▲700万円 (2011年12月期)[3] |
| 営業利益 | ▲500万円 (2011年12月期)[3] |
| 純利益 | ▲700万円 (2011年12月期)[3] |
| 純資産 | 1億8,300万円 (2011年12月期)[3] |
| 総資産 | 2億1,300万円 (2011年12月期)[3] |
| 決算期 | 12月期 |
| 外部リンク | http://www.ehimefc.com |
愛媛FC(えひめエフシー、Ehime FC)は、日本の松山市を中心とする愛媛県全県をホームタウンとする[1]、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
目次 |
概要[編集]
1970年創設の松山サッカークラブが前身[1]。2006年よりJリーグへ加盟している[1]。ホームタウンは愛媛県松山市を中心とした全県[1]。ホームスタジアムはニンジニアスタジアム[1]、練習場は愛媛県総合運動公園など[1]である(詳細は#スタジアム・練習場を参照)。また、運営会社は株式会社愛媛FCである。[1]。
歴史[編集]
前史[編集]
- 1970年:松山サッカークラブ(松山SC)が創設。愛媛県中予リーグに参加[1]。
- 1987年:四国社会人リーグに昇格[1]。
- 1995年:運営法人として株式会社愛媛フットボールクラブが設立[1]。
- 1996年:愛媛フットボールクラブ(略称:愛媛FC)に名称を変更[1]。JFL昇格を目指して本格的に強化を開始[4]。
- 1997年:愛媛県立南宇和高等学校監督の石橋智之が高校教員のままで総監督に就任。
- なお、第74回天皇杯全日本サッカー選手権大会愛媛県代表決定戦決勝で愛媛FCのユースチーム(高校生年代チーム)が松山大学サッカー部を破り、本大会に出場(トップチームは準決勝で松山大学に敗北)。本大会の1回戦で北陸電力サッカー部に勝利(2種(高校生)として初めて1種(大学・社会人)に勝利[要出典])。2回戦は東京ガスサッカー部に延長戦の末、敗北。
- 1998年:DF大西貴(石橋が監督時代の高校選手権優勝時の主将)が京都からコーチ兼任で入団。また、早稲田大学からFW友近聡朗、西濃運輸からMF黒田一則が加入。四国リーグで初優勝、全国地域サッカーリーグ決勝大会(以下「地決」)に初出場し、3位の成績。
- 1999年:四国リーグを2年連続で優勝[4]。「地決」は1次リーグで敗退。
- 2000年:四国リーグで3年連続で優勝[4]。「地決」は予選リーグで敗退。
2001年 - 2005年(JFL)[編集]
- 2001年
- 1月:全国社会人サッカー連盟の推薦によりJFL昇格が決定[1][4]。
- 社会人チームを本体から切り離して任意団体の「愛媛FC」として発足[1][4]。これで社会人チームの「愛媛FC」はチームの運営・強化に専念する事となったが、後のJリーグ加盟審査ではユースチームとの一体性で疑問を持たれる事になった。[要出典]
- 学校教員の仕事もある総監督の石橋を補佐するため、大西が現役選手を引退して監督に就任。また、1999年に愛媛FCを退団してドイツへ渡り、アマチュアリーグでプレーしていた友近が復帰。
- JFL初年度は16チーム中12の成績であった。また、クラブ事務所が置かれた南海放送をはじめとした地元メディアの積極支援に比べ、本拠地となる愛媛県総合運動公園陸上競技場のJリーグ規格対応改修で費用負担を求められた愛媛県の対応は鈍く、県内企業の支援や一般県民の関心も不十分だった。なお、帝人サッカー部は2002年度限りで四国リーグから愛媛県リーグ1部へ降格したのを機に廃部となり、愛媛県の社会人サッカーの中心は従来の各企業サッカー部からJリーグクラブをモデルとした愛媛FCへと移行した。[要出典]
- 2003年:運営法人となる株式会社愛媛FCが設立[1]。
- 2004年
- 2005年
-
- 大西が監督を退任し(後に愛媛FCユース監督に就任)、ジュビロ磐田元ユース監督の望月一仁が監督に就任。
- 6月28日:Jリーグ加盟の仮申請を提出。審査の結果では愛媛FCの年間予算(約1億5000万円)と資本の少なさが懸念された[要出典]。
- 9月11日:リーグ加盟の予備申請を提出。
- 9月20日:Jリーグは愛媛FCについて、ホームスタジアムである愛媛県総合運動公園陸上競技場のキャパシティがJリーグの基準より少なく、改修工事も2017年の国民体育大会開催に合わせ13年かけて完成させる計画であることなどを理由に、このままでは2006年度もJ2入りが困難である見解を示した。また、「最低限の条件をクリアしようとしても、お荷物チームを抱えるとJ2のステータスを下げてしまう」とも指摘。また、FCホリコシもJ2入りの条件を満たしていないことから、現状の愛媛FCでは、1チームだけ昇格させて13チームの奇数リーグで開催することに対し、各クラブの同意を取り付けるには材料に乏しく困難であること、などが挙げられた。[要出典]
- 10月18日:Jリーグ理事会で、スタジアム改修時期を繰り上げた愛媛県側の新たな支援計画(知事公舎の売却益という臨時収入を利用)、愛媛FC側の経営基盤強化策、サポーターの署名運動(1ヵ月半で約22万人の署名)などにより、愛媛FCが今シーズンのJFLで原則2位以内ならば昇格を認めるとの方針を打ち出した。[要出典]
- リーグ戦は11月27日(後期第14節)にHonda FCを破り、JFL2位以内が確定。また、12月4日(後期第15節)にデンソーに勝利し、JFL初優勝が決定した。
- 12月5日:Jリーグ臨時理事会で愛媛FCのJリーグ加盟が全会一致で承認[1]。四国地方で徳島ヴォルティス(2005年加盟)に次ぐ2クラブ目のJリーグクラブとなった。なお、愛媛FCのJリーグ参入にJFL主事として祝辞を寄せた豊島吉博・日本サッカー協会事務局長(常務理事)は松山東高校のOBで、1980年代後半から愛媛県サッカー協会の理事長として愛媛のサッカーに深く関わっていた人物でもあった。
2006年 - (J2)[編集]
2006年[編集]
- クラブスローガン :「Speed & Aggressive」
2006年シーズン[1]、Jリーグ加盟後の初戦(3月4日)で横浜FCに勝利。また、シーズン序盤は昇格の勢いと相手チームの愛媛に関する情報不足から良好な結果を残していたが、シーズン中盤になると戦力不足を露呈し、決定力不足に泣くなど苦戦を強いられた。
ただ、元J1の柏や東京Vなどに勝利。柏から菅沼実、広島から田中俊也、高萩洋次郎、森脇良太、田村祐基など、補強した若手(田中以外はレンタル移籍での加入)が活躍、J2全チームより勝ち点を上げ、最終順位は9位。
2007年[編集]
- クラブスローガン :「ACTION & MOVING」
2007年シーズンは、菅沼や高萩、田村らがそれぞれのチームに復帰。青野大介、大木勉といった愛媛出身のベテラン勢をトライアウトにて獲得し、またレンタル・新規での新戦力の獲得を行った。
しかし、金守智哉、森脇良太、田中俊也、松下幸平、井上秀人、千島徹ら、昨季終盤に主力として活躍した選手の多くが故障。また、新加入の大木勉もけがによって一時ベンチを外れるなどした。
大量の故障者が出た結果、最終的には昨季より1位順位を下げ、10位の成績。
天皇杯は、4回戦でAFCチャンピオンズリーグ2007で優勝した浦和、5回戦で横浜FCとJ1勢に勝利。愛媛県のチームとして55年ぶりにベスト8に入った。
2008年[編集]
- クラブスローガン :「STRONG WILL 〜揺るぎない意志〜」
2008年シーズンは、C大阪から多田大介を、京都から三上卓哉を、鳥栖から宮原裕司を、浦和から横山拓也を完全移籍で獲得。さらに、大分から河原正治を、G大阪から伊藤博幹、横谷繁を、神戸からキム・テヨンを、大宮から若林学をレンタル移籍で獲得したが、順位は15チーム中14位。
また、10月22日に松山市の姉妹都市であるフライブルク(ドイツ)に本拠地を置くSCフライブルクとフレンドシップ協定を結んでいる[5]。
2009年[編集]
- クラブスローガン :「E-Spirit 〜EHIME 〜ひとつになって闘う〜」
2009年シーズンは、キム・テヨン、伊藤博幹、若林学、河原正治、三木良太のレンタル移籍選手が移籍期間終了に伴い退団、宮原裕司が福岡に移籍、南祐三が長崎に移籍、多田大介が古巣のC大阪にレンタル移籍など15人の選手が退団。
新たな戦力として、C大阪から山本浩正を、大分から内村圭宏を、甲府から田森大己、ジョジマールを、浦和から大山俊輔を完全移籍で獲得。鳥栖から柴小屋雄一をレンタル移籍で獲得。3月に過去に清水や甲府に在籍していたアライールが加入した。
8月5日の熊本戦はニンジニアスタジアムが使用できず、初めて県外開催(高知県立春野総合運動公園陸上競技場)となる。その熊本戦は怪我人や出場停止選手が続出したためリザーブにGK2人にフィールドプレーヤーが1人の計3人であった(スタメン全員フルタイム出場となった)。このため、愛媛FCユースおよび愛媛FCしまなみの選手を急遽トップチームに登録した。
さらに広島からユース日本代表の内田健太をレンタル移籍で、ブラジル人のDFチアゴとFWドドも獲得した。クラブ側は9月14日に望月を監督から解任し、クロアチア人のイヴィッツァ・バルバリッチが監督に就任した。愛媛FCにとっては初の外国人監督となった。最終成績は18チーム中15位。
2010年[編集]
- クラブスローガン :「E-advance 〜愛媛進化!〜」
2010年シーズン、バルバリッチ体制2年目。柴小屋雄一(大分に復帰)、横谷繁(G大阪に復帰)、加藤慎也(甲府に移籍)がレンタル移籍期間満了に伴い退団。内村圭宏(札幌)、田中俊也(金沢)、ドド(G大阪)が移籍、千島徹、永井俊太が引退した。
一方、イオニコスFCから福田健二(6年ぶりのJリーグ復帰)、札幌から石井謙伍、山形から小原章吾、甲府から鶴田達也を完全移籍で獲得、川崎から杉浦恭平をレンタル移籍で加入、東浩史が新加入した。また、内田健太のレンタル移籍期間の延長も決まった。なお、福田健二については、前所属先のイオニコスFCとの間で問題があり開幕戦に出場できなかった[6] 。その後、暫定措置により第2節から登録、出場している[7]。また、新外国人選手としてドウグラスを獲得したものの、家庭の事情により帰国したため開幕早々の4月16日に退団した。
シーズンを通して昇格争いに絡むことは無く11位で終了。ただし、負けを大幅に減らし、J2昇格後初めて得失点差をプラスにした。天皇杯は2回戦で敗退。
2011年[編集]
- クラブスローガン :「GROW UP EHIME 2011」
2011年シーズン、バルバリッジ体制3年目。小原章吾(福岡)、鶴田達也(富山)、持留新作(JFL・長崎)、山本浩正(SC相模原)、松永祥兵(リーガ・インドネシア・ペルシブ・バンドン)、吉川健太(富山へレンタル移籍)が移籍、江後賢一が引退、松下幸平が退団した。
その一方で、仙台から萩原達郎、札幌から吉弘充志、千葉から池田昇平を完全移籍で、横浜FMから齋藤学をレンタル移籍で獲得、ユース出身の前野貴徳、小笠原侑生が新加入した。また、内田健太、杉浦恭平のレンタル移籍期間の延長も決まった。 7月には、甲府から金信泳を、8月には新潟から大野和成を、それぞれレンタル移籍で獲得した。
最終順位は20チーム中15位。
2012年[編集]
- クラブスローガン :「BORBA -ALL FOR EHIME-」
2012年シーズン、バルバリッチ体制4年目。ジョジマール、吉弘充志が東京Vに、池田昇平が岐阜に完全移籍、レンタル移籍していた吉川健太が富山に完全移籍、杉浦恭平(川崎に復帰)、齋藤学(横浜FMに復帰)、大野和成(新潟に復帰後、湘南へレンタル移籍)、金信泳がレンタル移籍期間満了、萩原達郎、岡本剛史が退団、三上卓哉、金守智哉が引退した。
補強は、広島からトミッチ、鳥栖から浦田延尚、山形から園田拓也、名古屋から久場光、京都からアライール、横浜FMから秋元陽太を完全移籍で、神戸から有田光希、新潟から加藤大をレンタル移籍で獲得。内田健太が完全移籍に移行、村上巧が新加入した。
なお、下部組織であった「愛媛FCしまなみ」について2012年1月を以て有限会社アークに移管した(名称はFC今治へ変更)。
リーグ戦では、開幕戦で町田に2-0で勝利しその時点では千葉、東京Vと並んで首位になる。一旦10位となり第4節終了時に5位に浮上するも、前半戦は主に10位前後で推移、前半戦(第21節)終了時には9位であった。しかし、後半戦初戦の第22節アウェー福岡戦敗退から2連敗、3連敗各2回を含む13試合勝ちなし(3分10敗)と絶不調に陥り、第30節アウェー栃木戦に敗れ3連敗となった時点で18位に後退する。しかし、第35節ホーム岡山戦に勝利して連続未勝利記録を13で止めると、それから最終節までは8試合連続負けなし(4勝4分)で、16位でシーズンを終えた。天皇杯は、2回戦で湘南に敗退。
シーズン終了をもってバルバリッチが監督を退任した[8]。
2013年[編集]
- クラブスローガン :「一丸 -ICHIGAN-」
監督に、クラブOBで愛媛FCユース監督の石丸清隆が就任[9]。
2013年シーズン、前野貴德が鹿島に、田森大己が京都に、内田健太が清水に、大山俊輔が富山に、小笠原侑生、高杉亮太が長崎に、越智亮介がJFLツエーゲン金沢に、福田健二が香港リーグの横浜FC香港に完全移籍、久場光がJFLFC琉球にレンタル移籍、伊東俊(山形へ復帰)、有田光希(神戸に復帰)がレンタル移籍期間満了、川北裕介が退団、大木勉が引退した。
補強は、名古屋から吉村圭司、栃木から河原和寿、福岡から3年ぶりの復帰となる小原章吾を完全移籍で、FC東京から重松健太郎、湘南から三原向平、横浜FMから松本翔、鳥栖から黒木恭平、京都から伊藤優汰をレンタル移籍で獲得、加藤大のレンタル移籍期間も延長、渡辺亮太が新加入した。
チーム編成[編集]
現在の愛媛FCでは、他チームで出場機会のない若手有望選手の完全移籍・期限付き移籍を中心としたチーム作りをしており、徐々に完全移籍で獲得する選手は増えているものの、しばらくは選手の入れ替わりが多くなると見られている。[要出典]
浦和や磐田、広島などから若手選手が完全移籍・期限付き移籍するケースが多い。また、G大阪、鳥栖、大分などからの期限付きで獲得するケースもある。[要出典]
愛媛出身選手の移籍も多く、愛媛出身選手の比率も高い。[要出典]
成績[編集]
詳細は「愛媛FCの年度別成績一覧」を参照
タイトル[編集]
リーグ戦[編集]
- 日本フットボールリーグ:1回
- 四国社会人リーグ:3回
- 1998年、1999年、2000年
その他[編集]
- 日本フットボールリーグ
- 特別賞:2002年
個人[編集]
- 日本フットボールリーグ
スタジアム・練習場[編集]
JFLに所属していた2005年までは、愛媛県総合運動公園球技場(メインスタンドのみ3,000人収容、ナイター設備なし)もホームスタジアムの1つであった。練習場は愛媛県総合運動公園内の施設以外に[1]、愛フィールド梅津寺[1]、レインボーハイランド[1]、北条スポーツセンター球技場[1]、しおさい公園を使用する[1]。
また、県による国体に向けてのスタジアムの改修計画が進んでおり、ニンジニアスタジアムはJ1規格(3万人)への改修の方針で計画が進んでいる。2006年のJリーグ加盟に際し、バック・ゴール裏の最前列については座席にしていたが、2012年度から残りの芝生席ゾーンのうち、まずゴール裏、シーズン後半(予定)にはバックスタンドの全面座席化の工事を実施中である。なお、2012年はJリーグクラブライセンス制度でJ2ライセンスとなっている。
ただし、立地・アクセスの悪さからホーム・アウェーともにサポーターからの評価は低く、また、改修期間中の試合開催が難しいことから、同じ予算(総額100億)を使うのであれば新スタジアムの建設を、との声が一部にある。なお、改修計画自体は行政主導で進んでいるものであり、愛媛FCはスタジアムの一利用者の立場であることから、特に発言を行っていない。[要出典]
マスコット[編集]
愛媛FCのクラブマスコットは、「オ〜レ君」[1]、「たま媛ちゃん」[1]、「伊予柑太」である[1]。これらのマスコットは、愛媛県出身でサッカー漫画『ORANGE』の作者・能田達規がデザインし[2]、同作に登場する南予オレンジのマスコットである「ぼん太くん」同様、愛媛の特産物である柑橘類(オレンジ、ミカン、伊予柑)を擬人化したものである[2]。能田は、アウェイ戦毎に愛媛FCホームページに1コマ漫画を掲載しており、その際、3人のペットとして猫を飼っている設定をしている。なお、誕生当初はそれぞれ「オレンジェイ」、「マンダリーニョ」、「いよカーン」という名称だったが、商標の問題により2006年のJ2参入時に改名している。
なお、オ〜レ君はフィールドプレーヤー、伊予柑太はゴールキーパーという設定であり、ユニフォームは各々のポジションに対応した物を着用している。
誕生当初は、3人には着ぐるみがなく、頭だけが張りぼての面、首から下は生身の人間という姿であったが、2006年以降、オ〜レくんとたま媛ちゃん、2009年には伊予柑太が着ぐるみ化し、J参入4年目でようやく「本物」のマスコットが揃う形になった。
この他に非公式マスコットとして、カエルをモチーフにした「一平くん」がいる。
詳細は「一平くん」を参照
下部組織[編集]
下部組織としてユース、ジュニアユースを設置している[1]。また、ユース以下の下部組織の他に、女子チームの愛媛FCレディースがある。
ユニフォーム[編集]
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チームカラー[編集]
- オレンジ[1]、 紺
ユニフォームスポンサー[編集]
| 掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 | 掲出年 | 備考 |
| 胸 | 太陽石油 | SOLATO | 2012年 - | 2006年 - 2011年までは背中 |
| 背中 | なし | |||
| 袖 | 三浦工業 | MIURA | 2006年 - | 2003年 - 2004年は胸 2005年は背中 |
| パンツ | フジ | Fuji | 2006年 - |
ユニフォームサプライヤー[編集]
歴代ユニフォームスポンサー年表[編集]
| 年度 | 胸 | 袖 | 背中 | パンツ | サプライヤー |
| 2003 | Zボイラ MIURA |
HOTTA | ネッツトヨタ愛媛 | 愛媛銀行 | DIADORA |
| 2004 | ニンジニア ネットワーク |
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| 2005 | エリエール | ZボイラMIURA | 日新製鋼 | ||
| 2006 | Zボイラ MIURA |
太陽石油 | Fuji | ||
| 2007 | |||||
| 2008 | Mizuno | ||||
| 2009 | ZボイラMIURA /MIURA |
SOLATO | |||
| 2010 | MIURA | ||||
| 2011 | |||||
| 2012 | SOLATO | エリエール | |||
| 2013 | - |
脚注[編集]
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak “クラブガイド:愛媛FC”. 日本プロサッカーリーグ公式サイト. 2013年6月16日閲覧。
- ^ a b c d e “チームプロフィール”. 愛媛FC公式サイト. 2013年6月16日閲覧。
- ^ a b c d e f 2011年度Jクラブ情報開示 資料 (PDF) Jリーグ公式サイト
- ^ a b c d e “愛媛FCヒストリー”. 愛媛FC公式サイト. 2013年6月16日閲覧。
- ^ “SCフライブルグ”. 愛媛FC公式サイト. 2013年6月16日閲覧。
- ^ 福田健二選手の登録について - 愛媛FC公式、2010年3月5日
- ^ 福田健二選手の選手登録について - 愛媛FC公式、2010年3月12日
- ^ バルバリッチ監督 退任のお知らせ 愛媛FC公式、2012年11月14日
- ^ 石丸 清隆ユース監督、トップチーム監督就任のお知らせ 愛媛FC公式、2012年12月10日
- ^ DIADORA(ディアドラ・ジャパン)の 愛媛FCのユニフォーム - 愛媛FCミニFM局 KIXFM 84.1MHZ、2005年3月29日
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- クラブ公式サイト
- 公式ウェブサイト (携帯)
- 愛媛FC - Facebook
- 愛媛FC (ehime_fc) - Twitter
- 伊予柑太 (efc_iyokanta) - Twitter
- 愛媛FCオフィシャルウェブショップ
- 関連サイト
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