愛媛FC

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愛媛FC
原語表記 愛媛FC
クラブカラー     オレンジ
創設年 1970年
所属リーグ 日本プロサッカーリーグ
所属ディビジョン Jリーグ ディビジョン2
ホームタウン 松山市を中心とする愛媛県全県
ホームスタジアム
Ehime st2.JPG
ニンジニアスタジアム
収容人数 20,000
運営法人 株式会社愛媛FC
代表者 日本の旗 亀井文雄
監督 クロアチアの旗 イヴィッツァ・バルバリッチ
公式サイト 公式サイト
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

愛媛FC(えひめエフシー、Ehime F.C.)は、日本松山市を中心とする愛媛県全県にホームを置く、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。

目次

[編集] 概要

株式会社愛媛FC
EHIME FC Co.,Ltd.
種類 株式会社
本社所在地 〒790-0921
愛媛県松山市福音寺町230
設立 2003年11月19日
業種 サービス業
事業内容 サッカークラブの運営
代表者 亀井文雄
資本金 2億0,850万円
売上高 4億7,200万円 (2011年12月期)
営業利益 ▲2,300万円(2011年12月期)
純利益 ▲2,200万円(2011年12月期)
純資産 1億8,900万円(2011年12月期)
総資産 2億1,800万円(2011年12月期)
決算期 12月期
外部リンク http://www.ehimefc.com
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ホームタウンは愛媛県松山市を中心とした全県。ホームスタジアムはニンジニアスタジアム、運営会社は株式会社愛媛FCである。下部組織としてユース、ジュニアユースを設置している。また、ユース以下の下部組織の他に、女子アマチュアチームの愛媛FCレディースがある。

2003年から本格的にJリーグへの参加を検討し始め、愛媛県、松山市等の行政と連携を図りながら組織・施設の充実に努めた。2005年に日本フットボールリーグ(JFL)で優勝し、2006年度から徳島ヴォルティスに次ぎ四国で2番目のJリーグ加盟クラブとなった。

2008年から松山市と姉妹都市であるフライブルク(ドイツ)に本拠地を置くSCフライブルクとフレンドシップ協定を結んでいる。

[編集] 歴史

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[編集] JFL昇格まで

1970年に創設された松山サッカークラブ(松山SC)が愛媛FCの前身となり、松山SCは松山市に本拠地を置き、クラブチームとして社会人から高校、中学生の年代のサッカーチームを保有していた。

1987年四国社会人リーグに昇格。当時の愛媛県のサッカー勢力図は、1978年から1982年まで日本サッカーリーグ(JSL)2部にいた(1980年はJSLカップでベスト4)松山市の帝人サッカー部が四国最強のチームとして君臨し(1987年の四国リーグ5連覇後にJSL2部へ復帰)、これに同じ松山市のNTT四国サッカー部(現在のベンターナACの前身)や伊予三島市(現在の四国中央市)の大王製紙サッカー部今治市の今治クラブなどが続く状態だった。しかし、帝人は1991年に四国リーグへ再降格し、愛媛から全国規模のリーグに参加するチームが無くなった。1993年にJリーグが開幕したが、愛媛県内を含む四国にもチームは無い「Jリーグクラブ空白地域」となった。

なお、松山SCは1988年の2位を除き、原則8チーム制の四国リーグで1993年までの7シーズン中6シーズンが5位であった。

松山SCは、1995年愛媛フットボールクラブ(略称:愛媛FC)に名称を変更し、本格的な強化策を開始した。1997年には1989年度(1990年1月)の全国高等学校サッカー選手権大会と1990年の全国高等学校総合体育大会(インターハイ)サッカー種目で愛媛県立南宇和高等学校を率いて優勝した石橋智之を高校教員のままで総監督に迎えた。

石橋によって育てられ、全国各地のチームで活躍していた南宇和高校出身の選手達は、徐々に故郷に帰り、石橋の下へ再び結集してプレーするようになった。1998年には高校選手権優勝時の主将だったDF大西貴京都パープルサンガからコーチ兼任で入団し、早稲田大学からFW友近聡朗1999年には前年限りでチームが廃部になった西濃運輸からMF黒田一則が加入した。戦力が強化された愛媛FCの社会人チームは1998年から四国リーグ3連覇を果たしたが、全国地域サッカーリーグ決勝大会では1998年度(1999年1月)は3位、1999年度(2000年1月)は1次リーグで敗退して日本フットボールリーグ(JFL)昇格は成らなかった。

2001年1月、3度目の地域リーグ決勝大会でも予選リーグで敗退したが、全国社会人サッカー連盟の推薦を受けて、JFL昇格が決まった。

なお、1997年には17歳以下日本代表候補に選ばれたGK不老伸行が所属する愛媛FCのユースチーム(高校生年代チーム)が第74回天皇杯全日本サッカー選手権大会の愛媛県代表決定戦の決勝で松山大学サッカー部を下し(社会人チームは準決勝で松山大学に敗北)、さらに本大会の1回戦でアローズ北陸を破り、2種(高校生)として初めて1種(大学・社会人)を下した。2回戦は東京ガスフットボールクラブに延長戦で惜敗する接戦を演じた。

2001年、JFL参戦をきっかけに、社会人チームを本体から切り離して任意団体の「愛媛FC」として再出発を果たした。これで社会人チームの「愛媛FC」はチームの運営・強化に専念する事となったが、後のJリーグ加盟審査ではユースチームとの一体性で疑問を持たれる事になった。また、学校教員の仕事もある石橋総監督を補佐するため、大西コーチが現役選手を引退して監督専任となり、チームの指揮を執った。また、1999年に愛媛FCを退団してドイツへ渡り、アマチュアリーグでプレーしていた友近が復帰した。しかし、JFLの壁は厚く、次の目標としたJリーグ参入に十分な成績は挙げられなかった。また、クラブ事務所が置かれた南海放送をはじめとした地元メディアの積極支援に比べ、本拠地となる愛媛県総合運動公園陸上競技場のJリーグ規格対応改修で費用負担を求められた愛媛県の対応は鈍く、県内企業の支援や一般県民の関心も不十分だった。なお、帝人サッカー部は2002年度限りで四国リーグから愛媛県リーグ1部へ降格したのを機に廃部となり、愛媛県の社会人サッカーの中心は従来の各企業サッカー部からJリーグクラブをモデルとした愛媛FCへと移行した。

[編集] 愛媛FC発足

2004年、株式会社愛媛フットボールクラブと任意団体の愛媛FCが統合し運営法人となる「株式会社愛媛FC」が創設。しかし、リーグ戦は結局5位に終わり、組織面でも1人しかいない専従職員の増加などさらなる整備をJリーグから指摘され、JFL残留が決まった。なお、この年のJFLで2連覇した大塚製薬サッカー部が翌年から徳島ヴォルティスとしてのJリーグ ディビジョン2(J2)昇格を決めた。徳島は「四国初のJリーグクラブ」となった。

2005年、大西がユース監督に移り、ジュビロ磐田のユース監督や日本サッカー協会のナショナルコーチングスタッフだった望月一仁を初の外部出身監督として招いた。チームは当初苦戦したが、徐々に立て直し、Jリーグ参入条件の2位以内確保の可能性を高めていった。

一方、クラブは6月28日にJリーグ加盟の仮申請を提出。審査の結果では愛媛FCの年間予算(約1億5000万円)と資本の少なさが懸念された。8月29日にJリーグによるヒアリングが終了。

鈴木昌チェアマンは、9月20日の会見で、ホームスタジアムである愛媛県総合運動公園陸上競技場のキャパシティがJリーグの基準より少なく、改修工事も2017年国民体育大会開催に合わせ13年かけて完成させる計画であることなどを理由に、このままでは2006年度もJ2入りが困難である見解を示した。その際、鈴木は「最低限の条件をクリアしようとしても、お荷物チームを抱えるとJ2のステータスを下げてしまう」と指摘しており、またFCホリコシもJ2入りの条件を満たしていないことから、現状の愛媛FCでは、1チームだけ昇格させて13チームの奇数リーグで開催することに対し、各クラブの同意を取り付けるには材料に乏しく困難であること、などが挙げられた。

その後、スタジアム改修時期を繰り上げた愛媛県側の新たな支援計画(知事公舎の売却益という臨時収入を利用)、愛媛FC側の経営基盤強化策、サポーターの署名運動(1ヵ月半で約22万人の署名)などによりJリーグ側は態度を180度転換、10月18日の理事会で愛媛FCが今シーズンのJFLで原則2位以内ならば昇格を認めるとの方針を打ち出した。

お墨付きをもらった愛媛FCは、11月27日の後期第14節でHonda FCに勝利しJFL2位以内を確定、その勢いで12月4日の後期第15節(最終節)でデンソーに2-0で勝利し、JFL初優勝を果たした。12月5日、Jリーグ臨時理事会で愛媛FCのJリーグ加盟が全会一致で正式に承認され、正式に昇格を果たした。なお、愛媛FCのJリーグ参入にJFL主事として祝辞を寄せた豊島吉博・日本サッカー協会事務局長(常務理事)は松山東高校のOBで、1980年代後半から愛媛県サッカー協会の理事長として愛媛のサッカーに深く関わっていた人物でもあった。

[編集] 2006年 - (J2)

[編集] 2006年

クラブスローガン :「Speed & Aggressive

J昇格初年度となった2006年シーズン、3月4日の開幕戦・対横浜FC戦で初勝利を収めた。さらにシーズン序盤は昇格の勢いと相手チームの愛媛FCに関する情報不足から良好な結果を残していたが、シーズン中盤になると戦力不足を露呈し、決定力不足に泣くなど苦戦を強いられた。

ただ、元J1の東京Vなどに勝利。柏から菅沼実広島から田中俊也高萩洋次郎森脇良太田村祐基など、補強した若手(田中以外はレンタル移籍での加入)が活躍、J2全チームより勝ち点を上げ、9位でシーズンを終えた。

[編集] 2007年

クラブスローガン :「ACTION & MOVING

2007年シーズンは、菅沼や高萩、田村らがそれぞれのチームに復帰。青野大介大木勉といった愛媛出身のベテラン勢をトライアウトにて獲得し、またレンタル・新規での新戦力の獲得を行った。

しかし、金守智哉森脇良太田中俊也松下幸平井上秀人千島徹ら、昨季終盤に主力として活躍した選手の多くが故障。また、新加入の大木勉もけがによって一時ベンチを外れるなどした。

大量の故障者が出た結果、最終的には昨季より1位順位を下げ、10位でシーズンを終えた。

天皇杯4回戦で、この年にAFCチャンピオンズリーグを制覇しアジア王者となった浦和を下す大金星をあげ、5回戦でもJ2降格が決定していた横浜FCを撃破し、愛媛県のチームとして55年ぶりの準々決勝進出を果たした。

[編集] 2008年

クラブスローガン :「STRONG WILL 〜揺るぎない意志〜

2008年シーズンは、C大阪から多田大介を、京都から三上卓哉を、鳥栖から宮原裕司を、浦和から横山拓也を完全移籍で獲得。さらに、大分から河原正治を、G大阪から伊藤博幹横谷繁を、神戸からキム・テヨンを、大宮から若林学をレンタル移籍で獲得したが、順位は15チーム中14位に終わった。

[編集] 2009年

クラブスローガン :「E-Spirit 〜EHIME 〜ひとつになって闘う〜

2009年シーズンは、キム・テヨン、伊藤博幹、若林学、河原正治、三木良太のレンタル移籍選手が移籍期間終了に伴い退団、宮原裕司が福岡に移籍、南祐三がJFL・長崎に移籍、多田大介が古巣のC大阪にレンタル移籍など15人の選手が退団。

新たな戦力として、C大阪から山本浩正を、大分から内村圭宏を、甲府から田森大己ジョジマールを、浦和から大山俊輔を完全移籍で獲得。鳥栖から柴小屋雄一をレンタル移籍で獲得。3月に過去に清水や甲府に在籍していたアライールが加入した。

8月5日の熊本戦はニンジニアスタジアムが使用できず、初めて県外開催(高知県立春野総合運動公園陸上競技場)となる。その熊本戦は怪我人や出場停止選手が続出したためリザーブにGK2人にフィールドプレーヤーが1人の計3人しか入らないという珍事が起きた(スタメン全員フルタイム出場となった)。このため、愛媛FCユースおよび愛媛FCしまなみの選手を急遽トップチームに登録した。

さらに広島からユース日本代表の内田健太をレンタル移籍で、ブラジル人のDFチアゴとFWドドも獲得した。クラブ側は9月14日に望月を監督から解任し、新たにクロアチア人のイヴィッツァ・バルバリッチが監督に就任した。愛媛FCにとっては初の外国人監督となった。しかしチームは18チーム中15位という結果になった。

[編集] 2010年

クラブスローガン :「E-advance 〜愛媛進化!〜

2010年シーズン、ここ数年の低迷と監督の交代を受けて大幅な戦力の入れ替えが行われた。

柴小屋雄一大分に復帰)、横谷繁G大阪に復帰)、加藤慎也甲府に移籍)がレンタル移籍期間満了に伴い退団。内村圭宏札幌)、田中俊也金沢)、ドド(G大阪)が移籍、千島徹永井俊太が引退した。

その一方、イオニコスFCから福田健二(6年ぶりのJリーグ復帰)、札幌から石井謙伍山形から小原章吾、甲府から鶴田達也を完全移籍で獲得、川崎から杉浦恭平をレンタル移籍で加入、東浩史が新加入した。また、内田健太のレンタル移籍期間の延長も決まった。

なお、福田健二については、前所属先のイオニコスFCとの間で問題があり開幕戦に出場できなかった[1] 。その後、暫定措置により第2節から登録、出場している[2]。 また、新外国人選手としてドウグラスを獲得したものの、家庭の事情により帰国したため開幕早々の4月16日に退団した。なお、シーズンを通して昇格争いに絡むことは無く11位で終了。ただし、負けを大幅に減らし、得失点差マイナスをJ2昇格後初めて脱出した。天皇杯は2回戦で敗退した。11月にバルバリッチの監督続投が決定した[3]

[編集] 2011年

クラブスローガン :「GROW UP EHIME 2011

2011年シーズン、小原章吾(福岡)、鶴田達也富山)、持留新作(JFL・長崎)、山本浩正SC相模原)、松永祥兵リーガ・インドネシアペルシブ・バンドン)、吉川健太(富山へレンタル移籍)が移籍、江後賢一が引退、松下幸平が退団した。

その一方で、仙台から萩原達郎札幌から吉弘充志千葉から池田昇平を完全移籍で、横浜FMから齋藤学をレンタル移籍で獲得、ユース出身の前野貴徳小笠原侑生が新加入した。また、内田健太、杉浦恭平のレンタル移籍期間の延長も決まった。 7月には、甲府から金信泳を、8月には新潟から大野和成を、それぞれレンタル移籍で獲得した。

最終的に20チーム中15位で終了。

[編集] 2012年

クラブスローガン :「BORBA -ALL FOR EHIME-

2012年シーズンジョジマール吉弘充志東京Vに、池田昇平岐阜に完全移籍、レンタル移籍していた吉川健太富山に完全移籍、杉浦恭平川崎に復帰)、齋藤学横浜FMに復帰)、大野和成新潟に復帰後、湘南へレンタル移籍)、金信泳がレンタル移籍期間満了、萩原達郎岡本剛史が退団、三上卓哉金守智哉が引退した。

補強は、広島からトミッチ鳥栖から浦田延尚山形から園田拓也名古屋から久場光京都からアライール、横浜FMから秋元陽太を完全移籍で、神戸から有田光希、新潟から加藤大をレンタル移籍で獲得。内田健太が完全移籍に移行、村上巧が新加入した。

なお、下部組織であった「愛媛FCしまなみ」について2012年1月を以て有限会社アークに移管した(名称はFC.IMABARIへ変更)。

[編集] チーム編成

現在の愛媛FCでは、他チームで出場機会のない若手有望選手の完全移籍・期限付き移籍を中心としたチーム作りをしており、徐々に完全移籍で獲得する選手は増えているものの、しばらくは選手の入れ替わりが多くなると見られている。

浦和磐田広島などから若手選手が完全移籍・期限付き移籍するケースが多い。また、G大阪鳥栖大分などからの期限付きで獲得するケースもある。

愛媛出身選手の移籍も多く、愛媛出身選手の比率も高い。

[編集] 成績

[編集] スタジアム

なお、JFLに所属していた2005年までは、愛媛県総合運動公園球技場(メインスタンドのみ3,000人収容、ナイター設備なし)もホームスタジアムの1つであった。練習場は愛媛県総合運動公園内の施設以外に、愛フィールド梅津寺、レインボーハイランド、北条スポーツセンター球技場、しおさい公園を使用する。

また、県による国体に向けてのスタジアムの改修計画が進んでおり、J1規格(3万人)への改修の方針で計画が進んでいる。ただし、立地・アクセスの悪さからホーム・アウェーともにサポーターからの評価が低く、また、改修期間中の試合開催が難しいことから、同じ予算(総額100億)を使うのであれば新スタジアムの建設を、との声が一部にある。なお、改修計画自体は行政主導で進んでいるものであり、愛媛FCはスタジアムの一利用者の立場であることから、特に発言を行っていない。

[編集] マスコット

愛媛FCのクラブマスコットは、「オ〜レ君」、「たま媛ちゃん」、「伊予柑太」である。これらのマスコットは、愛媛県出身でサッカー漫画『ORANGE』の作者・能田達規がデザインしたもので、同作に登場する南予オレンジのマスコットである「ぼん太くん」同様、愛媛の特産物である柑橘類(オレンジミカン伊予柑)を擬人化したものである。能田は、アウェイ戦毎に愛媛FCホームページに1コマ漫画を掲載しており、その際、3人のペットとして猫を飼っている設定をしている。なお、誕生当初はそれぞれ「オレンジェイ」、「マンダリーニョ」、「いよカーン」という名称だったが、商標の問題により2006年のJ2参入時に改名している。

なお、オ〜レ君はフィールドプレーヤー、伊予柑太はゴールキーパーという設定であり、ユニフォームは各々のポジションに対応した物を着用している。

誕生当初は、3人には着ぐるみがなく、頭だけが張りぼての面、首から下は生身の人間という姿であったが、2006年以降、オ〜レくんとたま媛ちゃん、2009年には伊予柑太が着ぐるみ化し、J参入4年目でようやく「本物」のマスコットが揃う形になった。

この他のマスコットとして、「一平くん」というカエルをモチーフにしたキャラクターがいる。正式には愛媛FCではなく、スポンサーでもある愛媛の料理店「ゆうゆう亭」のマスコットだが、2009年に、試合前の余興イベントへゲスト参加した際のパフォーマンスが大受けし(マスコット100M走で負傷し、治療の様子も公開されたことから)、以後「準マスコット」的存在としてしばしば愛媛FCの試合に登場している。2010年以降、ホームゲーム以外にアウェイにも来場している。アウェイでは伊予柑太とコンビを組むことが多い。

[編集] ユニフォーム

ユニフォームの色
カラー シャツ パンツ ストッキング
FP(1st) オレンジ オレンジ
FP(2nd)
GK(1st) 水色 水色 水色
GK(2nd)
FP 1st
FP 2nd
GK 1st
GK 2nd

[編集] チームカラー

  •     オレンジ、   

[編集] ユニフォームスポンサー

掲出箇所 スポンサー名 表記 掲出年 備考
太陽石油 SOLATO 2012年 - 2006年 - 2011年までは背中
背中 大王製紙 エリエール 2012年 - 2005年 - 2011年までは胸
三浦工業 MIURA 2006年 - 2003年 - 2004年は胸
2005年は背中
パンツ フジ Fuji 2006年 -

[編集] ユニフォームサプライヤー

  • 2006年 - 2007年 ディアドラ
  • 2008年 - ミズノ
    • ディアドラはJFL時代から愛媛FCのサプライヤーを務め、Jリーグでは愛媛FCが唯一の同社ユニフォーム使用チームであった。これは、ディアドラ製品の日本国内総代理店であるディアドラ・ジャパンの社長が愛媛県新居浜市出身で、他のメーカーのような既存Jリーグチームへの契約競争には参加せず、自分の故郷の愛媛FCと一緒にJリーグへ行くと明言したためとされている[4]

[編集] 歴代ユニフォームスポンサー年表

年度 背中 パンツ サプライヤー
2003 Zボイラ
MIURA
HOTTA ネッツトヨタ愛媛 愛媛銀行 DIADORA
2004 ニンジニア
ネットワーク
2005 エリエール ZボイラMIURA 日新製鋼
2006 Zボイラ
MIURA
太陽石油 Fuji
2007
2008 Mizuno
2009 ZボイラMIURA
/MIURA
SOLATO
2010 MIURA
2011
2012 SOLATO エリエール

[編集] 脚注

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  1. ^ 福田健二選手の登録について - 愛媛FC公式、2010年3月5日
  2. ^ 福田健二選手の選手登録について - 愛媛FC公式、2010年3月12日
  3. ^ 愛媛FC バルバリッチ監督 2011シーズン続投のお知らせ 愛媛FC公式、2010年11月18日
  4. ^ DIADORA(ディアドラ・ジャパン)の 愛媛FCのユニフォーム - 愛媛FCミニFM局 KIXFM 84.1MHZ、2005年3月29日

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

クラブ公式サイト
関連サイト
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