コンサドーレ札幌

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コンサドーレ札幌
原語表記 コンサドーレ札幌
呼称 コンサドーレ札幌
愛称 コンサドーレ、コンサ
クラブカラー     レッド[1]
    ブラック[1]
    ブルーグレー[1]
創設年 1996年
所属リーグ 日本プロサッカーリーグ
所属ディビジョン Jリーグ ディビジョン2
クラブライセンス J1
ホームタウン 北海道札幌市[1]
ホームスタジアム Sapporodome201108171.JPG
札幌ドーム[1]
Atsubetsu Stadium 1.JPG
札幌厚別公園競技場[1]
収容人数 札幌ド:41,484[1]
札幌厚別:20,005[1]
運営法人 株式会社北海道フットボールクラブ[1]
代表者 野々村芳和[1]
監督 クロアチアの旗 バルバリッチ
公式サイト 公式サイト
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ
株式会社北海道フットボールクラブ
The Hokkaido Football Club Co., Ltd.
Consadole sapporo club house.JPG
クラブ社屋
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 063-0052
北海道札幌市西区宮の沢2条3丁目4-1
設立 1996年4月16日[2]
業種 サービス業
事業内容 サッカークラブの運営他
代表者 野々村芳和[1][2]
資本金 8億7,600万円 (2013年12月期)[3]
売上高 10億7,100万円 (2013年12月期)[3]
営業利益 ▲1億6,500万円 (2013年12月期)[3]
経常利益 800万円 (2013年12月期)[3]
純利益 600万円 (2013年12月期)[3]
純資産 ▲3,100万円 (2013年12月期)[3]
総資産 6億8,500万円 (2013年12月期)[3]
従業員数 31名(2012年12月期)[2]
決算期 12月期
主要株主 コンサドーレ札幌サポーターズ持株会 35.56%[2]
石水勲 11.41%[2]
石屋製菓 9.53%[2]
札幌丸井三越 5.94%[2]
特記事項:「北海道の関与団体」として指定。ゴーイングコンサーン付帯[2]
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コンサドーレ札幌(コンサドーレさっぽろ、Consadole Sapporo)は、日本北海道札幌市ホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。

目次

概要[編集]

宮の沢白い恋人サッカー場

1935年創部の東芝堀川町サッカー部が前身[1]1996年に同サッカー部が北海道へ移転すると同時に運営会社として株式会社北海道フットボールクラブを設立。同年Jリーグ準会員に承認。1998年よりJリーグ加盟した[1]。ホームスタジアムは札幌ドームおよび札幌厚別公園競技場(詳細は#ホームスタジアムを参照)[1]

チーム名の「consadole(コンサドーレ)」は、一般公募によって決定された。コンサドーレの意味は道民を意味する「道産子(読:どさんこ)」の逆さ読みと、ラテン語の響きを持つ「-ole(オーレ)」の2つを組み合わせたものが「コンサドーレ」である[1]

エンブレムは、北海道に生息する日本最大のフクロウ『シマフクロウ』を象徴的に図案化。頂点に羽ばたく翼を持つシマフクロウの盾型の中に、11個の星(結束したイレブン)、勝利を見据えるシマフクロウの眼光(闘志)、ブリザードを表す白ストライプ(攻撃性)を配し、それらが、ホームタウンを意味するリボンの円弧に根ざすデザイン。マスコットシマフクロウモチーフとなり、1997年に「ドーレくん」が誕生した[1]

練習場はコンサドーレ札幌のオフィシャルスポンサーでもある石屋製菓が所有する宮の沢白い恋人サッカー場と、札幌ドームの敷地内にある天然芝の屋外サッカー練習場がある[1]。クラブ事務所は宮の沢白い恋人サッカー場内に移転するまでは札幌ドームに併設されている事務所だったが、2014年1月29日に宮の沢白い恋人サッカー場内のコレクションハウスを改修して事務所を移転した[4]

コンサドールズは、日本サッカークラブ史上初のクラブ専属オフィシャルダンスドリルチームである。1997年5月15日、厚別競技場でデビュー。試合開始50分前、選手紹介、選手入場前、ハーフタイム、ゴール後、ゲーム終了後(勝利試合のみ)にパフォーマンスを行う。ミスダンスドリルチーム日本大会で優勝の経験もある。サテライト、ユースなどの下部組織を持ち、若手の育成にも力を入れている。

クラブ経営[編集]

コンサドーレ札幌を運営する北海道フットボールクラブは平成19年度から有価証券報告書を発行しており、経営状態を知ることができるようになっている。

  • 1997年、Jリーグへの昇格を目指すため選手獲得に多大な資金を投入したことから、慢性的な赤字経営となった。
  • 1998年、累積赤字が27億円を突破。
  • 1999年、累積赤字が30億円を突破。札幌市から毎年9000万円(のち08年から8000万に減額)の補助金が開始される。
  • 2000年、初の単年度黒字を達成。この年から北海道から毎年1億円の補助金が開始される。
  • 2001年、完成した札幌ドームの集客効果で2年連続の単年度黒字を達成。札幌ドームの使用料年額3000万近くの補助金を札幌市から間接的に受ける。
  • 2002年、J2降格など成績不振で、9000万円の赤字となった。
  • 2003年、高額の人件費と観客動員の低迷により、2億8千万円の赤字となり累積赤字は再び30億円を突破、債務超過も4億5千万円に膨らんだ。
  • 2004年、経費削減と移籍金収入により、約3億5千万円の黒字。債務超過は1億円以下へ減少。
  • 2005年、観客動員・広告収入の増加により、債務超過が約4200万円へ減少。
  • 2006年、J1昇格を目標に強化費の大幅増加に踏み切るも、観客動員などが伸び悩み1億6千万円の赤字となった。
  • 2007年、北海道からの毎年の補助金1億円がこの年限りで打ち切られる。
  • 2008年5月、約20億円の減資を実施[2]。減資と合わせて増資により284,210千円の資金調達を行う。これにより債務超過の状態が解消された。08年4月28日付けで札幌市に対して、コンサドーレ札幌についての住民監査請求を受ける。その中で、コンサドーレ札幌についての貸付金、補助金等に係る札幌市の支出額全額(貸付金と補助金の合計で約17億)が損害にあたるという主張がなされた。また、監査請求の回答書のなかでJリーグ31チームのうち21チームが自治体から補助金をうけていることがあきらかにされている。平成19年度だけの総額で約7億円が自治体からJリーグに補助金として支出されている。
  • 2012年、80,700千円の増資を実地
  • 2013年9月30日、2014年度Jリーグライセンスについて、J1ライセンスの交付が決定したが、2014年までに債務超過の解消の方策を理事会に示す旨の「是正通達」が付帯された[5]

歴史[編集]

前身時代[編集]

  • 1935 - 1979:東芝堀川町サッカー部
  • 1980 - 1995:東芝サッカー部

1996年 - 1997年(旧JFL)[編集]

1996年[編集]

「北海道からJリーグチームを」を合い言葉に、ジャパンフットボールリーグ(旧JFL)へ参加。高橋武夫監督を務め、更にV川崎からJリーグでの実績を持つブラジル人選手のFWアルシンドDFペレイラを獲得した他、第74回全国高等学校サッカー選手権大会の得点王となった初芝橋本高校吉原宏太が入団した。

しかし、Jリーグから移籍してきたプロ選手と同年チーム得点王となった川合孝治を含む東芝サッカー部から出向してきた社員選手が混在(41人体制)するチーム編成や、同年に獲得したばかりのアルシンドが審判への暴言で長期出場停止処分となり復帰後すぐに一発退場を受けるとそのまま退団するなどがあり、20勝10敗の5位(全16チーム)の成績で終わった。そんな中、吉原宏太は第1節福島FC戦でコンサドーレ札幌の第一号となる記念すべきゴールを決めた。シーズン終了後、東芝社員選手の契約更新については、残留する意思を示した社員選手は東芝を退社してプロ契約を行った。

1997年[編集]

ウルグアイ代表経験を持つウーゴ・フェルナンデスが監督に就任した。1996年まで所属していた選手の多くが退団し、新たに鳥栖から前身の東芝に在籍していたこともあるパナマ代表のFWバルデスが復帰、福岡から世界的に有名なディエゴ・マラドーナの実弟であるMFウーゴ・マラドーナ名古屋からGKハーフナー・ディド大塚FCからDF古川毅ら数名を獲得。

「チームはファミリー」を合言葉に快進撃を続け、第7節川崎戦では後半44分1-3から怒涛の攻撃を見せ4-3の延長Vゴールで勝利したり、バルデスとマラドーナのホットラインなどの活躍もあり、26勝4敗(全16チーム)でホーム無敗の成績でJFL優勝、Jリーグ昇格を果たし、バルデスは40得点で得点王となった。またナビスコカップ予選リーグでV川崎G大阪横浜MのJリーグ勢を抑え、2勝3分1敗で1位通過し決勝トーナメントに進出を決めるなどの成績も残した。11月にJリーグ臨時理事会でJリーグ正会員として正式承認された。

1998年(Jリーグ)[編集]

戦いの場をJリーグに移した1998年、C大阪からFW深川友貴とDF梶野智G大阪からDF木山隆之らJリーグ経験者を数名獲得、本田技研からMF村主博正とMFバウテルらを獲得し、Jリーグで戦える戦力を補強したはずだった。

Jリーグが開幕してみると1stステージの第1節清水戦ではいきなり1-4と大敗し、第4節のG大阪戦でJリーグ加盟後初勝利をあげたが、第7節以降、毎試合2点以上失点し、しまいには磐田戦では磐田のFW中山雅史が4試合連続となるハットトリックを献上する始末。1stステージ4勝13敗の16位に低迷。2ndステージは10月中旬の第11節の時点で5勝6敗と持ち直したが、フロントとの意見の不一致からフェルナンデス監督が解任された。後任に石井肇コーチが監督に就き第12節から指揮を執った。10月のシーズン中の補強でからMF棚田伸横浜FからDF埜下荘司東京ガスからFW関浩二を獲得。2ndステージの残りの試合を3勝3敗となり、2ndステージ8勝9敗の10位で、年間順位は12勝22敗の14位(全18チーム)となった。

しかし、1999年からJリーグが2部制に移行するため、Jリーグ下位4チームとJFL優勝チームによるJ1参入決定戦に参加した。コンサドーレが勝利すればJ1参入が決まるという状況で神戸福岡にホームとアウェイともに敗れ4連敗を喫して、Jリーグ史上初のJ2リーグへの降格チームとなってしまった[6]

1999年 - 2000年(J2)[編集]

1999年[編集]

「1年でのJ1復帰」を目指して1998年FIFAワールドカップ(フランス大会)日本代表監督として指揮を執っていた岡田武史を監督に招聘。また、平塚からDF名塚善寛鹿島からGK佐藤洋平ロナウジーニョの実兄MFアシス、FWリカルジーニョクレーベルらを獲得。藤枝東からFW河村優と北海道札幌市出身のMF佐賀一平磐田東からGK藤ヶ谷陽介らが入団。

「1年でのJ1復帰」を目標として掲げていたが、第8節時点で3勝5敗と波に乗れずにいた。外国人の活躍が乏しくリカルジーニョとクレーベルの契約を解除し、代わりにMFビジュ、FWジネイを獲得し第15節から出場した。第24節の時点で12勝6分6敗という成績だったが、第25節以降は負けが込み昇格争いに絡むことなく17勝6分13敗の5位(全10チーム)に終わった。

しかし、明るい兆しがあった。FW吉原宏太が第9節にハットトリックを記録し、チーム得点王となる15得点を取った。U-22オリンピック代表に選出、シドニーオリンピック代表の予備登録メンバーになった。更にはFW中山雅史が負傷離脱したためコパ・アメリカ(南米選手権)に追加招集された。

2000年[編集]

吉原宏太がG大阪へ移籍した一方、市原から 野々村芳和、G大阪から播戸竜二京都から大森健作FC東京からアウミールV川崎から高木琢也、ブラジルのサンパウロFCからエメルソンらを獲得。北海高等学校山瀬功治が入団した。

J2を戦うための戦術を確立して、それを実行することができる選手を各ポジションに揃え、14連勝を含む17試合無敗(16勝1分)[注 1][7]を含む31勝5分4敗でJ2優勝(全11チーム)し、J1昇格が決まった。また、エメルソンが31得点でJ2得点王を獲得、山瀬およびGK藤ヶ谷陽介がU-19日本代表に選出された。

しかし、少ない予算でJ1昇格を狙うためにクラブが採った策は、主力選手を期限付き移籍で集めてメンバーを固定して戦うというものだった。その結果、エメルソンを含む8人がレンタル選手というチーム編成であった。

2001年 - 2002年(J1)[編集]

2001年[編集]

創立5周年を迎えた2001年シーズン。レンタルで獲得した選手、特にエメルソンを完全移籍で残留させるためにサポーターから増資を募り、3億円近くの資金を集めた。増資の最大の目的であったエメルソンは退団したが、大分のFWウィルをレンタルで獲得した。

開幕戦でC大阪、第2節でに連勝。一時は2位に付け、10勝5分15敗の11位(全16チーム)でJ1残留を果たした。ウィルが24得点で得点王を獲得した他、山瀬功治がJ1最優秀新人選手賞を受賞。この年も新人の今野泰幸が高卒1年目でレギュラーを獲得した。シーズン終了後に岡田が監督を退任した。同年完成した札幌ドームの集客効果も加わり、平均観客動員数は2万人を突破した。

2002年[編集]

監督に元日本代表の柱谷哲二が就任。ウィルが横浜FMへ、播戸竜二が神戸へ移籍。また、名塚善寛、野々村芳和が引退した。ウィルに替わるストライカーとして、ロシアサッカー・プレミアリーグFCスパルタク・モスクワからブラジル人FWロブソン、東京Vから小倉隆史、G大阪から小島宏美らを獲得した。しかし、ロシアリーグ得点王(後にこの経歴は虚偽と判明)、UEFAチャンピオンズリーグ出場という肩書きをひっさげて鳴り物入りで加入したロブソンが全く振るわず、チームは開幕から黒星を重ねた。結局ロブソンは同年加入したDFマクサンドロと共に5月末に退団。6月に柱谷は監督を解任された。

後任の監督として レアル・オビエドスペイン)のチームコーディネータを務めていたイバンチェビッチ・ラドミロを招聘し、また同じくユーゴスラビア(現セルビア)人FWバーヤック、ブラジル人MFジャディウソンの2人の外国人選手をはじめ、日本人選手も次々と獲得して立て直しを図ったが、成績は上向かずにイバンチェビッチは9月に辞任した。後任に張外龍が就任したが、10月27日の鹿島戦に敗れて、2度目のJ2降格が決定。シーズン通算で5勝1分24敗の最下位(全16チーム)に終わった。

2003年 - 2007年(J2)[編集]

2003年[編集]

1年でのJ1復帰を掲げ、監督に鹿島や名古屋で監督を務めたジョアン・カルロスを招聘。また横浜FMを退団したウィルが復帰し、MFホベルッチ、MFベットという2人の元ブラジル代表選手を獲得した。一方、ジョアン・カルロスと確執のあった小倉が退団した他、山瀬功治が浦和へ移籍した。

シーズンに入り、ベットがホームシックで退団、ケガで療養中のウィルが深夜の繁華街で傷害事件を起こしそのまま退団、ホベルッチもジョアン・カルロスとの確執で退団と、外国人選手全員がシーズン半ばで退団した。その後MFビタウ、元大分のFWアンドラジーニャ、元名古屋のMFウリダを獲得したが、8月2日新潟戦で大敗を喫しジョアン・カルロスが辞任。後任は再び張外龍となったが、昇格争いに絡めないまま13勝13分18敗の9位(全12チーム)でシーズンを終えた。

2004年[編集]

人件費等の経費圧縮により経営の黒字化を図り、若手主体のチーム編成とユースチームの強化を軸とする長期育成計画の「5段階計画」を立て、レンタル移籍や外国籍選手に頼らずにJ1で安定して戦えるチーム作りを目指す方針を制定。中心選手だった今野泰幸や高年俸のベテラン・外国籍選手が退団した一方、ユースから鈴木智樹蛯沢匠吾、高卒で上田常幸上里一将桑原剛、斉川雄介、大卒で河端和哉鎌田安啓など新人選手8人、テスト生から入団した静岡FC清野智秋を獲得した。また、磐田元監督の柳下正明が監督に就任した。

開幕から第4節まで負けなしだったが、三原廣樹が怪我で戦線離脱したことや新居辰基中尾康二の不祥事による契約解除(解雇)といった事態が起こったため、シーズン途中で横浜FMから金子勇樹、神戸から西嶋弘之を獲得、特別指定選手としてチームに加わっていた権東勇介と正式契約したが、勝利を度外視して若手育成にあてたメンバー構成のチームでなかなか勝ち点を重ねることが出来ず、5勝15分24敗でJ1経験チーム初のJ2最下位(全12チーム)に終わった。天皇杯はJ1の市原、大分を破りベスト8に進出した。

2005年[編集]

柳下体制2年目。GK藤ヶ谷陽介がG大阪へ移籍した一方、広島から林卓人中山元気、鹿島から池内友彦、磐田から高原寿康加賀健一を獲得し、大卒の徐暁飛、ユースの石井謙伍野田達郎が入団した。

前年と同じく5位以内を目標に掲げてシーズンに臨んだが、堀井岳也、上里一将、西澤淳二らが負傷により長期離脱を余儀なくされたことによりチーム力が低下したものの、シーズン中盤に浦和から西谷正也水戸からデルリスを獲得。西谷は攻撃力の向上に大きく寄与した一方、得点力が期待されたデルリスはチーム戦術に合わず、満足な成績を挙げることができないまま2006年限りで退団した。チームは17勝12分15敗の6位(全12チーム)でシーズンを終え、当初目標としていた5位以内には入らなかったものの、第4クール後半までJ1昇格戦線に食い込む活躍を見せた。特に、DFの要として期待された池内はチームトップの11得点と2桁得点を挙げ、守備だけではなく攻撃でもチームに貢献した。

シーズン中にクラブ取締役が女子中学生買春容疑で逮捕されるという不祥事があった。3月、札幌市西区に選手寮「しまふく寮」が開設[2]

2006年[編集]

創立10周年を迎えた2006年シーズン。柳下体制3年目。川崎からフッキ、千葉から芳賀博信山形から大塚真司川崎健太郎、水戸から関隆倫アルビレックス新潟シンガポールから野本安啓、名古屋からセバスティアンを獲得し、ユースから藤田征也西大伍が昇格した。

リーグ戦序盤はフッキの出場停止や大塚ら主力の怪我も影響し、10試合連続未勝利など成績は低迷した。中盤戦以降は状況は改善していったが、20勝12分16敗の6位(全13チーム)で終了した。しかし、第41節湘南戦、第42節徳島戦ではクラブ史上初の2試合連続6得点を挙げるなど、歯車が噛み合った試合では爆発的な攻撃力を発揮した。「走って繋いで撃ちまくれ それが札幌スタイル」という横断幕も登場し、3年間継続した攻撃的サッカーが根付いたシーズンとなった。天皇杯ではJ1の千葉、新潟、甲府を破り初のベスト4に進出。シーズン終了後に柳下が退任。

2007年[編集]

大宮監督の三浦俊也が監督に就任。フッキが東京Vへ移籍、加賀健一が所属元に復帰したが、2006年に途中加入したGK佐藤優也を甲府から完全移籍で獲得。さらにC大阪からDFブルーノ・クアドロスECヴィトーリアからFWダヴィ・MFカウエ、大宮からGK高木貴弘、高卒ルーキーの岡本賢明岩沼俊介を獲得した。

堅守速攻を武器にリーグ序盤に7連勝を果たすなど順調に勝ち点を積み上げ、シーズン途中から首位に浮上。一時は2位に勝ち点差10以上をつける独走状態だったが、シーズン当初から連携強化の為に出場選手を固定してきたことによる主力選手の疲労の蓄積や、台風接近による試合順延で不運な日程を余儀なくされるなど、第3クールとなる8月後半頃から急激に失速、他チームに勝ち点差を詰められ熾烈な昇格争いに巻き込まれた。

この苦しい終盤戦に3年目の石井謙伍、2年目の西大伍、新人の岡本などの若い選手や横浜FCから途中移籍した鄭容臺が起用に応えて活躍し、第45節から48節まで4連勝を飾って首位を死守。最終節の水戸戦に勝利してJ1復帰を果たした。また、東京VがC大阪と引き分けたことでJ2優勝(27勝10分11敗)も決めた。

2008年(J1)[編集]

三浦体制2年目。広島から吉弘充志を完全移籍で、神戸の坪内秀介清水平岡康裕、新潟のMFディビッドソン純マーカスをレンタル移籍で獲得、新人は室蘭大谷高校宮澤裕樹と柏U-18の堀田秀平が入団した。一方でブルーノ・クアドロス、ダヴィが退団。新加入した元柏のMFアルセウはキャンプ中に退団したが(その前日の親善試合で監督が指示した守備的なプレーに反発し、相手チームの選手に対する暴力行為で退場したことが発端)、新たにアトレチコPRから元名古屋のMFクライトンを獲得した。

リーグ戦は、中断期間突入時点で降格圏内の17位。FWアンデルソンや川崎から箕輪義信を獲得したが、10月19日の第29節柏戦に敗れて1年でのJ2降格、10月26日の川崎戦に敗れ、最下位が確定。12月6日の最終節で鹿島に敗れて目の前で優勝を決められた。年間順位は4勝6分24敗の最下位(全18チーム)となった。

2009年 - 2011年(J2)[編集]

2009年[編集]

大分や柏の元監督の石崎信弘が監督に就任。ダヴィが名古屋へ移籍、西澤淳二・池内友彦・西谷正也・アンデルソンなど10人以上の選手(レンタル選手も含む)が退団した。一方でチームの大黒柱でもあり、退団が噂されていたMFクライトンが残留、前シーズン途中に期限付きで加入した箕輪義信を完全移籍で獲得した。またダヴィの移籍に伴い、移籍先の名古屋から3億円近くの高額な移籍金が入った為、更なる補強を断行した。具体的には、スウェーデンユールゴーデンIFからFWキリノコロンビアインデペンディエンテ・メデジンからMFダニルソン、アジア枠で韓国浦項からDF趙晟桓(チョウ・ソンファン)と3人の新外国人選手を獲得。また、日本人では大宮からGK荒谷弘樹を獲得した。新人は沖縄大学から上原慎也が入団、曵地裕哉古田寛幸がユースから昇格した。7月、MFクライトンが以前から抱えていた怪我が悪化。残りのシーズンに出場出来ないと判断され退団、代わりにハファエルが加入した。さらに、シーズン途中には柏の石川直樹をレンタル移籍で獲得した。

若手中心の布陣のため連勝・連敗の浮き沈みが激しかった。勝ち切れない試合も多く(J2最多の16引分)、年間順位21勝16分14敗の6位(全18チーム)で終了した。

2010年[編集]

石崎体制2年目。西大伍が新潟へ、ダニルソンが名古屋へレンタル移籍、曽田雄志が現役を引退した一方、6チームとの競合を制して磐田から中山雅史を獲得。FC東京から藤山竜仁近藤祐介愛媛から内村圭宏、広島から李漢宰を獲得した。シーズン途中に清水の高木純平をレンタル移籍で獲得した。

開幕に躓き、5・6月は無敗も5分と勝ち点を伸ばせず、7月以降は怪我人が出るなど1年を通して昇格争いに加わることもなく、年間順位11勝13分12敗の13位(全19チーム)で終了した。終盤は怪我による離脱者が多く、ベンチ入り可能な18人のメンバーを埋められない試合もあった。

2011年[編集]

創立15周年を迎えた2011年シーズン。石崎体制3年目。6年半在籍した西嶋弘之が徳島へ、ユース時代から在籍していた藤田征也とキャプテンを務めた石川直樹が新潟へ、佐藤優也が北九州へ、吉弘充志が愛媛へ、堀田秀平が新潟シンガポールへ、李漢宰が岐阜へ、新潟にレンタル移籍していた西大伍が鹿島へ完全移籍した。また、藤山竜仁が引退、箕輪義信が退団するなどし、多くの選手がチームを去った。一方、新潟から高木貴弘、C大阪から山下達也鳥栖から日高拓磨、横浜FMから河合竜二を獲得、レンタル移籍だった高木純平は完全移籍となり、三上陽輔がユースから昇格し、室蘭大谷高校の櫛引一紀が入団した。外国人ではチアゴ(元京都)、ユニバーシアード韓国代表イ・ホスン、ブラジルのクラブからブルーノ、元徳島のアンドレジーニョを獲得した。なお、また、砂川誠は2010年シーズン後に退団したが、2011年シーズン前に再契約した。また、キャンプに練習生として参加していた西村卓朗と契約を締結した。

シーズン中に、アンドレジーニョがAリーグパース・グローリーFCへ移籍、チアゴが退団するも、浦項スティーラースから岡山一成、ブラジルのクラブからジオゴレモスが加入した。

J2開幕戦の愛媛戦に敗れ、東日本大震災の影響による1ヶ月半の中断期間を挟んだ後のホーム開幕戦となる湘南戦にも敗れるなど第11節(4試合目)時点で18位と低迷したが、7月から9月まで10勝3分2敗の成績で9月21日に3位へ浮上。徳島と勝ち点で並んだ第38節、札幌ドームに歴代2位となる観客数39,243人を記録したFC東京戦に勝利。21勝5分12敗の3位(全20チーム)となり、4年ぶりにJ1復帰を果たした。


2012年(J1)[編集]

石崎体制4年目。山下達也がC大阪に、2年間レンタル移籍していたダニルソンが名古屋に、ブルーノがグアラニFCに、ジオゴが徳島にそれぞれ完全移籍、レモスは契約満了により退団、西村卓朗が引退、上里一将が徳島にレンタル移籍した。一方で、鹿島から杉山哲、広島から髙柳一誠、大分から前田俊介、清水から山本真希、新潟から大島秀夫、FC東京からオーストラリア代表ジェイド・ノースを完全移籍で、ジュニーニョをレンタル移籍で獲得。前年に大邱FCにレンタル移籍していたキリノが復帰。さらにユースからシーズン終盤に活躍した奈良竜樹をはじめ、荒野拓馬小山内貴哉前貴之榊翔太がトップへ昇格した。なお、湘南から完全移籍の松尾直人FC大阪へ移籍した。

なお、室蘭市入江運動公園陸上競技場函館市千代台公園陸上競技場Jリーグクラブライセンス制度のスタジアム基準を満たさなかったため、初めて全ホームゲームを札幌で開催した[8]

リーグ戦は第2節から7連敗。第9節のC大阪戦で初勝利を挙げたが、第10節から9連敗を喫した。7月、全北現代モータースより金載桓(キム ジェファン)をレンタル(それに伴い李昊乗の選手登録を抹消[9])、ナウチコからハモンフォス・ド・イグアスFCからテレを完全移籍で獲得。一方でキリノが湘南へ完全移籍、横野純貴がツエーゲン金沢へレンタル移籍し、ジュニーニョと契約解除した。その後も成績は伸びず、9月29日の第27節の川崎戦でJ2降格が決定(9月中の降格決定はJリーグ史上初、7試合を残しての降格決定は史上最速)。年間順位は4勝2分28敗の勝点14で最下位(全18チーム)。連勝は無く、アウェー13連敗、年間28敗、総失点88、得失点差-63はJ1ワースト記録。勝点14はJ1がリーグ戦18チーム年間34試合制となって以降最低の記録である[10]。シーズン終了後、石崎が監督を退任した。

2013年 - (J2)[編集]

2013年[編集]

監督に札幌のユース及びトップチームコーチを務めた室蘭市出身の財前恵一が就任。財前はチーム初のOB、北海道出身者の監督となった。また、3月に札幌OBの野々村芳和が北海道フットボールクラブの代表取締役社長に就任。強化費が前年の推定5億円から推定2億5000万程度に減額されるのを受けて本来なら契約延長を行いたい主力級の選手にも契約満了後他チームへの移籍を容認せざるを得ない状況に追い込まれた。中山雅史、元主将の芳賀博信が引退、高原寿康及び高木純平(共に清水へ移籍)、岡山一成(奈良クラブへ移籍)、高木貴弘(岐阜へ移籍)、山本真希(川崎へ移籍)、高柳一誠(神戸へ移籍)、大島秀夫(北九州へ移籍)が契約満了に伴い退団、金載桓がレンタル終了で全北現代へ復帰、ハモンがブラジルクラブに、ジェイド・ノースがブリスベン・ロアーFCに、近藤祐介が栃木SCに、岩沼俊介松本山雅に完全移籍した。

一方、讃岐から趙成眞(チョ ソンジン)を完全移籍で、ブラジルのクラブからパウロンをレンタル移籍、2年間FC東京・徳島にレンタル移籍していた上里一将、金沢にレンタル移籍していた横野純貴が復帰、また、東洋大学で札幌ユースU-18出身の松本怜大が入団、前年度にJユースカップで全カテゴリを通じて初の全国優勝を達成したユースから中原彰吾永坂勇人堀米悠斗神田夢実阿波加俊太深井一希の6人がトップへ昇格した。3月にタイコーンケンFCとクラブ間提携パートナーシップを結び、シーズン中に中原、永坂がコーンケンFCへレンタル移籍した。シーズン中にはテレが規律違反で退団(その後町田へ移籍)したが、来シーズンから加入が内定している阪南大学工藤光輝特別指定選手で登録。7月、練習生として参加していたフェホベトナム代表レ・コン・ビンをレンタル移籍で獲得(それに伴い李昊乗の選手登録を抹消。契約は継続。)

開幕戦で2006年以来の勝利を収めたが、第2節から3連敗し第4節終了時点で21位まで落ちる。その後は大きな連敗はないものの大きな連勝もないという一進一退の展開が続き、第2節から第24節までは2桁順位が続く。第25節で開幕戦以来の1桁順位となる9位に浮上した後は、第29節で11位、第36、38節で10位になった以外1桁順位を維持し、第39節からシーズン初の3連勝を達成したことにより、最終節に勝利すれば得失点差と他の対戦カードの関係で自力でのプレーオフ進出が決まるところまで迫ったが、最終節の北九州戦で引き分けたためプレーオフ出場は成らなかった。なお、最終成績は20勝4分18敗の8位(全22チーム)。天皇杯は4回戦で甲府に敗北した。

2014年[編集]

財前体制2年目。 曵地裕哉(愛媛へ移籍)、三上陽輔(富山へ移籍)が退団、岡本賢明が熊本へ、フェホが中国北京八喜足球倶楽部へ、趙成眞が韓国水原三星へ完全移籍、横野純貴がタイのコーンケンFCへ、堀米悠斗が福島へ、神田夢実と阿波加俊太が相模原へレンタル移籍、レ・コン・ビンがレンタル移籍期間満了に伴い退団した。

一方、愛媛から5年ぶりに復帰になる石井謙伍、長崎から金山隼樹、栃木から菊岡拓朗、川崎から薗田淳、神戸から都倉賢、韓国の慶南FCから丁成勳(チョン ソンフン)を完全移籍で、ブラジルのクラブからヘナンをレンタル移籍で、中原彰吾、永坂勇人がレンタル移籍から復帰、昨シーズン特別指定選手で登録していた工藤光輝、北海道教育大学上原拓郎が加入、ユースから前寛之内山裕貴がトップへ昇格した。

シーズン中には、1月に仮契約していた小野伸二オーストラリアウェスタン・シドニー・ワンダラーズFCから完全移籍で加入、 李昊乗の負傷離脱に伴い相模原へレンタル移籍していた阿波加俊太が育成型レンタル移籍契約を解除し復帰した。

第24節から第28節までの間5戦連続で勝利がなく、8月28日、成績不振を理由に財前が監督を解任し、9月にサッポロビールグループの取締役長に就任、新監督にかつて愛媛で監督をしていたイヴィッツァ・バルバリッチが就任した。また来日までの期間は名塚善寛が監督代行として指揮することになった[11]

成績[編集]

  • 年度別成績・歴代監督
  • 通算対戦成績
  • ホーム開幕戦

代表選出選手[編集]

  • A代表
  • U-23代表
  • U-20代表

データ[編集]

  • 年度別チーム得点王
  • ハットトリック
  • チーム最多得点試合
  • チーム最多失点試合
  • Tips

タイトル[編集]

国際試合[編集]

2011年6月に札幌市の姉妹都市の大田広域市で開催された「It's Daejeon国際サッカー大会」に出場。本大会がクラブ初の国際試合となる。[12]

  • 親善試合

下部組織[編集]

コンサドーレ札幌の下部組織として、高校生年代のコンサドーレ札幌ユース・U-18(1997年4月設立)、中学生年代のコンサドーレ札幌ユース・U-15(1997年4月設立)とコンサドーレ旭川ユース・U-15(2004年4月設立)、小学生年代のコンサドーレ札幌ユース・U-12(2002年4月設立)を保有している[13]

コンサドーレ札幌が誕生から翌年の1997年4月にトップチームの当時の練習場として使用されていた栗山町の藤野スポーツ広場を拠点として活動、札幌U-18、札幌U-15も同時に開設された。遠方から栗山町に通うユース選手のために、1998年4月にコンサドーレ札幌ユース尞を栗山町に開設する。2003年3月に活動拠点を札幌市東区東雁来に移すため栗山町にあるコンサドーレ札幌ユース尞を閉鎖した。同年5月に活動拠点を栗山町から東雁来に移しユース専用の東雁来グラウンドを開設。2005年3月に札幌市西区に選手寮「しまふく寮」が開設され、トップ選手と混ざり一部のユース選手が入寮した。同年6月にクラブパートナーでもある進藤病院の院長が練習場運営会社ジャパンスポーツラボを設立し、上川郡東川町に練習場「コンサフィールド東川」を開設した[14]

コンサドーレ札幌ユース・U-18[編集]

高円宮杯U-18サッカーリーグ2011プレミアリーグイースト奈良竜樹榊翔太ら擁して[15]、優勝をし初代王者となった。チャンピオンシップで準優勝となった。2012年のJリーグユース選手権大会で、コンサドーレ札幌としてのみならず、北海道のサッカーのチームとして初めて全国大会を制した[16]

  • 創設年:1997年
  • 本拠地:札幌市東区東雁来
  • 練習場:東雁来グラウンド、札幌サッカーアミューズメントパーク

スタッフ・所属選手[編集]

監督
コーチ
  • 及川真行 (1997年 - 1998年, 2001年 - 2002年)
  • 財前恵一 (1999年 - 2000年, 2007年 - 2009年)
  • 赤池保幸 (1999年 - 2001年, 2003年 - 2006年)
  • 四方田修平 (2002年 - 2002年9月)
  • 深川友貴 (2003年 - 2010年)
  • 佐賀一平 (2005年)
  • 賀谷英司 (2006年)
  • 阿部勝弘 (2007年 - 現在)
  • 蛯沢匠吾 (2009年 - 2012年)
  • 川口卓哉 (2011年 - 現在)
  • 相川雄介 (2014年 - 現在)
所属選手


成績[編集]

年度 リーグ戦 旧高円宮杯 クラブユース
選手権
Jユースカップ 知事杯全道 備考 U-18監督
所属 試合 勝点 順位
2001 - - - - - - - ベスト16 準優勝 GL敗退 - - 財前恵一
2002 - - - - - - - 2回戦敗退 ベスト4 ベスト16 - -
2003 プリンスリーグ北海道 7 - - - - 優勝 GL敗退 GL敗退 GL敗退 - -
2004 7 19 6 0 1 優勝 GL敗退 GL敗退 GL敗退 地区予選敗退 - 四方田修平
2005 9 19 6 2 1 優勝 準優勝 GL敗退 GL敗退 準々決勝(初戦)敗退 日・韓・中ジュニア交流競技会出場
2006 9 15 4 2 3 5位 - GL敗退 GL敗退 準々決勝(初戦)敗退 ダラスカップ出場
2007 9 25 8 0 1 優勝 GL敗退 GL敗退 GL敗退 - -
2008 9 27 9 0 0 優勝 ベスト16 GL敗退 GL敗退 ベスト4 北海道CSL5位
2009 9 23 7 0 2 優勝 GL敗退 ベスト8 GL敗退 準々決勝(初戦)敗退 北海道CSL優勝
2010 7 19 6 0 1 優勝 ベスト8 GL敗退 ベスト16 準優勝 -
2011 プレミアリーグ
イースト
18 35 10 5 3 優勝 - ベスト8 ベスト8 2回戦(初戦)敗退 チャンピオンシップ準優勝
2012 18 30 9 6 3 2位 GL敗退 優勝 ベスト4 -
2013 18 29 9 7 2 5位 ベスト8 ベスト4 不参加[注 2] ゴシアカップ2013 U16部 準優勝
2014 18 ベスト4
主な全国大会結果
2012年12月24日 第20回Jリーグユース選手権大会 vsG大阪ユース戦(長居スタジアム)の決勝スターティングメンバー。数字は背番号、(C)はキャプテン。

ベスト4以上を記載

国際大会[編集]

ダラスカップ2006

開催年月日 大会名 対戦相手 会場 勝敗
2006年4月9日 グループリーグ メキシコの旗 サントス・ラグナ Pizza Hut Park Field #7 1-5 ●
2006年4月10日 ドイツの旗 アイントラハト・フランクフルト Richland College Field #10 0-4 ●
2006年4月12日 イングランドの旗 ブラックバーン・ローヴァーズFC Pizza Hut Park Field #7 2-1 ○

ゴシアカップ2013 U-16部

開催年月日 大会名 対戦相手 会場 勝敗
2013年7月15日 グループリーグ スウェーデンの旗 IFK エステルスンド Heden 4 5-0 ○
2013年7月16日 ポルトガルの旗 ロバトス・フット Gothia Arena 0-0 △
2013年7月17日 ノルウェーの旗 FK フェルハマル Gothia Arena 4-0 ○
2013年7月18日 決勝T 1回戦 ノルウェーの旗 FK リレハンメル Heden 4 7-0 ○
決勝T 2回戦 イングランドの旗 キネティック・アカデミー Gothia Arena 5-0 ○
2013年7月19日 決勝T 3回戦 ドイツの旗 MTV トロイブント・ルネブルク Harlanda 1 5-0 ○
決勝T 準々決勝 スウェーデンの旗 グニルセ IS Heden 4 3-0 ○
決勝T 準決勝 スウェーデンの旗 IF エルフスボルグ Slottskogsvallen 2-2(5PK4) ○
決勝T 決勝 ウガンダの旗 Kampala Junior Team Gothia Arena 2-3 ●

コンサドーレ札幌ユース・U-15[編集]

  • 創設年:1997年
  • 本拠地:札幌市東区東雁来
  • 練習場:東雁来グラウンド

スタッフ・所属選手[編集]

監督
コーチ
  • 財前恵一 (1997年 - 1998年)
  • 及川真行 (1999年 - 2000年, 2003年)
  • 赤池保幸 (1999年 - 2002年)
  • 浅沼達也 (2000年 - 2001年)
  • 森下仁之 (2001年 - 2002年9月)
  • 冨樫剛一 (2002年9月 - 2002年)
  • 賀谷英司 (2003年 - 2005年)
  • 松山大地 (2003年 - 2011年)
  • 関浩二 (2006年 - 2012年)
  • 池内友彦 (2012年 - 現在)
  • 蛯沢匠吾 (2013年)
  • 村田達哉 (2013年)
  • 中村拓朗 (2014年 - 現在)
所属選手


成績[編集]

年度 所属 リーグ戦 高円宮杯
U-15
クラブユース
U-15
U-15監督
試合 勝点 順位
2001 - - - - - - - - - 三浦雅之
2002 - - - - - - - 準優勝 予選敗退
2003 - - - - - - - 準優勝 - 森下仁之
2004 - - - - - - - ベスト16 ベスト16
2005 - - - - - - - 予選敗退 ベスト16
2006 - - - - - - - 予選敗退 GL敗退
2007 北海道カブスリーグ 1部 7 21 7 0 0 優勝 予選敗退 - 名塚善寛
2008 1部 9 27 9 0 0 優勝 ベスト4 ベスト16
2009 1部 10 28 9 0 1 優勝 準優勝 ベスト8
2010 1部 10 27 9 1 0 優勝 ベスト16 ベスト8
2011 1部 15 39 13 2 0 優勝 ベスト16 ベスト8
2012 1部 14 27 8 3 3 3位 初戦敗退 ベスト16
2013 1部 14 42 14 0 0 優勝 初戦敗退 ベスト32 関浩二
2014 1部 ベスト8
主な全国大会結果

ベスト4以上を記載

コンサドーレ旭川ユース・U-15[編集]

  • 創設年:2004年
  • 本拠地:上川郡東川町
  • 練習場:コンサフィールド東川

スタッフ・所属選手[編集]

監督
  • 三浦雅之 (2004年 - 2006年)
  • 賀谷英司 (2007年)
  • 佐藤尽 (2008年 - 現在)
コーチ
  • 川口卓哉 (2004年 - 2007年)
  • 松山育司 (2004年 - 現在)
  • 竹原靖和 (2008年 - 2011年)
  • 柴田慎吾 (2012年 - 現在)
所属選手


成績[編集]

年度 所属 リーグ戦 高円宮杯
U-15
クラブユース
U-15
U-15監督
試合 勝点 順位
2004 予選敗退 予選敗退 三浦雅之
2005 予選敗退 予選敗退
2006 予選敗退 予選敗退
2007 ベスト16 予選敗退 賀谷英司
2008 北海道カブスリーグ 1部 GL敗退 予選敗退 佐藤尽
2009 2部 9 13 4 4 1 4位 予選敗退 予選敗退
2010 2部 10 18 5 2 3 優勝 予選敗退 予選敗退
2011 2部A 15 37 12 2 1 優勝 予選敗退 予選敗退
2012 1部 14 5 1 11 2 8位 予選敗退 予選敗退
2013 2部 14 31 10 3 1 2位 予選敗退 予選敗退
2014 1部

コンサドーレ札幌ユース・U-12[編集]

  • 創設年:2002年
  • 本拠地:札幌市東区東雁来
  • 練習場:東雁来グラウンド

スタッフ・所属選手[編集]

監督
  • 浅沼達也 (2002年 - 現在)
コーチ
  • 名塚善寛 (2002年 - 2006年)
  • 関浩二 (2004年 - 2005年)
  • 佐賀一平 (2006年 - 2007年)
  • 相川雄介 (2007年 - 2013年)
  • 川口卓哉 (2008年 - 2010年)
  • 木崎拓也 (2011年 - 現在)
所属選手


下部組織出身者[編集]

ユニフォーム[編集]

チームカラー[編集]

ユニフォームの色
カラー シャツ パンツ ストッキング
FP(1st) 赤×黒[1] [1] [1]
FP(2nd) [1] [1] [1]
GK(1st)
GK(2nd)
GK(3rd) ピンク ピンク ピンク
FP 1st
FP 2nd
GK 1st
GK 2nd
GK 3rd
  •     レッド(暖かい炎=ファイティングスピリットの象徴[18]
  •     ブルーグレー針葉樹林の茂る深い森=冷静な判断力の象徴)[18]
  •     ブラック(北海道の大地=無限大パワーを象徴)[18]
  •     ホワイト(雪、シマフクロウ=フェアプレー精神の象徴)[18]

ユニフォームについて[編集]

東芝サッカー部のユニフォームは赤と黒の縦縞[19]であったが、コンサドーレ札幌となってからも引き継がれた。

  • 1997-1998年は赤と黒の縦縞を基調にブルーグレーを使用。
  • 2005年:正面を赤一色、背面を赤ベースに黒の三本線へ変更。
  • 2006年:赤黒縦縞へ変更。
  • 2010年:ソックスを黒へ変更。2ndユニフォームの全面に赤黒の帯が付いた。

ユニフォームスポンサー[編集]

掲出箇所 スポンサー名 表記 掲出年 備考
石屋製菓 白い恋人 1998年
2002年 - 2007年
2010年 -
1997年までは袖(表記は石屋製菓)、
2008年 - 2009年までは背中
背中 サッポロビール 1st:CLASSIC サッポロクラシック
2nd:☆SAPPORO
1997年 - 1998年
2002年 - 2007年
2010年 -
1999年 - 2001年までは胸
2008年 - 2009年は袖
JAグループ北海道 JA北海道 2012年 - チームの練習着にも掲出(表記はJA共済・JAバンク・ホクレン)
パンツ 日本航空 JAL 2008年 - 1998年 - 2007年までは袖
2011年までは旧ロゴマークを使用

※ユニフォームサプライヤーのKappaを含めた5社がオフィシャルパートナー

歴代ユニフォームスポンサー[編集]

年度 背中 パンツ サプライヤー
1996 ハドソン 東芝 サッポロビール - PUMA
1997 サッポロビール 石屋製菓
1998 白い恋人 JALグループ
1999 サッポロビール 白い恋人 adidas
2000 日本航空
2001
2002 白い恋人 サッポロビール JR北海道
2003
2004
2005 ☆SAPPORO
2006 Kappa
2007
2008 ニトリ 白い恋人 ☆SAPPORO JAL
2009
2010 白い恋人 ☆SAPPORO ニトリ
2011 -
2012 JA北海道
2013
2014 CLASSIC サッポロクラシック(1st)
☆SAPPORO(2nd)

スポンサー[編集]

オフィシャルパートナー[編集]

2014年1月現在

ホームスタジアム[編集]

ホームスタジアムは札幌ドームおよび札幌厚別公園競技場である。過去のホームゲーム開催スタジアムは『コンサドーレ札幌の年度別成績一覧#入場者数・主催試合数(年度別・会場別)』を参照。

道外での公式戦ホームゲーム

札幌厚別の改修工事(1996年、1998年)、冬季間の積雪による競技場閉鎖、ナイトゲーム用の照明設備が備えられていない等の理由により、道外で公式戦のホームゲームを開催したことがある。

2001年と2002年の高知県での開催は、同年の最初のホームゲームだった。コンサドーレは高知を準ホームタウンとして定め、2002年にはキャンプも開催した。札幌(新千歳空港)と高知(高知空港)を往復するチャーター航空機利用ツアーなども実施したが、観客動員が伸び悩んだため、2002年限りで高知県との準ホームタウン関係を解消した[20]

会場 試合日 対戦相手 勝敗 観客数
1996 町田 5月5日 JFL 第3節 コスモ石油 1-2 ● 966
平塚 5月16日 JFL 第5節 ヴァンフォーレ甲府 2-1 ○ 615
1997 長崎県立 3月15日 ナビスコ杯予選 ヴェルディ川崎 2-2 △ 4,823
長良川 3月26日 横浜マリノス 1-2 ● 2,913
水前寺 3月29日 ガンバ大阪 1-0 ○ 2,881
1998 仙台ス 3月25日 J 1st 第2節 鹿島アントラーズ 1-3 ● 14,682
4月15日 J 1st 第6節 浦和レッズ 2-0 ○ 12,171
2001 高知陸 3月17日 J1 1st 第2節 柏レイソル 2-1 ○ 6,276
2002 3月2日 J1 1st 第2節 ベガルタ仙台 0-1 ● 7,236
2007 西が丘 4月11日 J2 第8節 アビスパ福岡 0-0 △ 2,161
スタジアム観戦マナーについて
リーグ戦ホームゲーム入場者数など
  • 入場者数(年度別・最多/最少動員)
  • 入場者数(年度別・会場別)

スタジアムDJ[編集]

入場曲[編集]

  • Moon Over The Castle - ホームゲーム入場曲(演奏者:ANDY'S、1997年)TVゲーム『グランツーリスモ』と同じ曲としても知られるが曲調が多少異なる。

配布物[編集]

  • マッチデープログラム ホーム全試合会場入り口にて無料配布 北海道フットボールクラブ
    • 2003年 - 2005年 : MATCH DAY PROGRAM
    • 2006年 - 2008年 : kattare-カッターレ-
    • 2009年 :       -アカクロ-
    • 2010年 - 現在 : VOCS-ヴォックス-

チームスローガン[編集]

  • 2009年 -
  • 2010年 - 「MOVE」 -より速く、より正確に、よりタフに-
  • 2011年 - Challenge for Smile
  • 2012年 - 「We Go On」 -ただ、ひたすらに-
  • 2013年2014年 - 北海道とともに、世界へ


雑誌[編集]

シーズン前キャンプ地[編集]

チーム創設時から現在までのキャンプ地の変遷は以下のとおり。

脚注[編集]

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注釈
  1. ^ 当時は引き分けを挟んでも連勝記録として認定されていたため、J2記録となる16連勝として記録されていた。
  2. ^ 高円宮杯U-18プレミアリーグとの日程調整がつかず不参加となった[17]
出典
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w クラブガイド:コンサドーレ札幌”. 日本プロサッカーリーグ. 2014年7月25日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j 平成24年12月期有価証券報告書 (PDF) 北海道フットボールクラブ株式会社 2013年11月23日閲覧
  3. ^ a b c d e f g 2013年度(平成25年度)Jクラブ個別情報開示資料 (PDF) Jリーグ公式サイト、2014年7月25日閲覧
  4. ^ 北海道フットボールクラブ 事務所移転のお知らせ - コンサドーレ札幌公式サイト、2013年11月30日配信
  5. ^ “クラブライセンス交付第一審機関(FIB)による 2014シーズン Jリーグクラブライセンスの交付について” (プレスリリース), 日本プロサッカーリーグ, (2013年9月30日), http://www.j-league.or.jp/release/000/00005359.html 2013年11月23日閲覧。 
  6. ^ 参加対象は1997-98年のJリーグ2シーズン通算の順位ポイントによるものだったが、1997年シーズンは下部リーグJFLにいた札幌には1998年1シーズンのみの順位ポイントしか計算されなかった。
  7. ^ Jリーグ 公式戦における「連勝・連敗」の定義について
  8. ^ 札幌 基準満たせず室蘭、函館開催なし”. nikkansports.com (2012年2月2日). 2012年3月2日閲覧。
  9. ^ 登録選手追加・変更・抹消のお知らせ Jリーグ公式サイト 2012.07.13
  10. ^ 実数値では、1999年、リーグ戦16チーム30試合時代に湘南が記録した年間通算13が最低。
  11. ^ 名塚は本来必要なS級ライセンスを保持はしていないが、新監督が決まっていることもあり特例で監督代行になった。
  12. ^ 【J2日記】札幌:It's Daejeon”. J's GOAL (2011年6月10日). 2014年2月3日閲覧。
  13. ^ a b コンサドーレ札幌オフィシャルガイドブック2012 コンサドーレ札幌アカデミー 15年の軌跡 p58
  14. ^ コンサドーレ札幌オフィシャルガイドブック2007 コンサフィールド東川 p45
  15. ^ チーム紹介”. 日本サッカー協会. 2014年8月15日閲覧。
  16. ^ Jユースカップ - 決勝:ガンバ大阪ユース、コンサドーレ札幌U-18 両監督・選手コメント”. Jリーグ公式サイト. 2013年12月10日閲覧。
  17. ^ 平成25年度 第31回 知事杯全道サッカー選手権大会 トーナメント表”. 北海道サッカー協会. 2013年7月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年7月2日閲覧。
  18. ^ a b c d チームデザイン”. コンサドーレ札幌. 2013年11月23日閲覧。
  19. ^ J's GOAL | J's GOALニュース | 【2009シーズン始動!】
  20. ^ 高知新聞 コンサドーレ札幌情報2002

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

公式サイト[編集]

スタジアム・練習場サイト[編集]