中山元気
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| 名前 | |||||||
| 愛称 | ゲンキ | ||||||
| カタカナ | ナカヤマ ゲンキ | ||||||
| ラテン文字 | NAKAYAMA Genki | ||||||
| 基本情報 | |||||||
| 国籍 | |||||||
| 生年月日 | 1981年9月15日(30歳) | ||||||
| 出身地 | 山口県下関市 | ||||||
| 身長 | 186cm | ||||||
| 体重 | 74kg | ||||||
| 選手情報 | |||||||
| 在籍チーム | レノファ山口FC | ||||||
| ポジション | FW | ||||||
| 背番号 | 23 | ||||||
| 利き足 | 右足 | ||||||
| クラブチーム1 | |||||||
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| 1. 国内リーグ戦に限る。2011年1月17日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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中山 元気(なかやま げんき、1981年9月15日 - )は、山口県下関市出身のサッカー選手(FW)。レノファ山口FC所属。
目次 |
[編集] 来歴
下関市立桜山小学校2年次からサッカーを始める[1]。
高校時代は多々良学園へ進学。高1の時は横山聡、高3では高松大樹と2トップを組み活躍した。
2000年にサンフレッチェ広島へ入団、同期入団は森崎和幸・森崎浩司兄弟・駒野友一・松下裕樹・山形恭平・八田康介[2][1]。活躍が期待されるも、同年3月に右膝前十字靭帯を断裂[3]、復帰後、2002年に今度は左足の靭帯を痛め(部分断裂)、再びリハビリに日々を費やす。2003年夏頃に復帰、広島のJ1昇格に貢献した。
2005年に出場機会を求めてコンサドーレ札幌へ移籍。シーズンを通してコンスタントに出場したが、決定力に難があることから途中交代や途中出場となる試合も多かった。翌2006年はフッキが加入し相川進也や石井謙伍が活躍したこともあって出場機会が減少。しかし、2007年に三浦俊也監督が就任すると、前線での献身的なプレスが評価され、主力として活躍。J1昇格に貢献した。
2009年に札幌から戦力外通告を受けた後、2010年1月8日に湘南ベルマーレへの移籍が発表された。しかし出場機会は乏しく、1年で退団した。
[編集] エピソード
- 1999年、多々良学園高校3年生のときに同級生の高松大樹と共にサンフレッチェ広島に強化指定選手として登録。その際、広島は中山のほうと契約することに決定したため、広島関係者が高松を大分トリニータに紹介した。これがきっかけで高松は大分に入団するにいたった。
[編集] 所属クラブ
- ユース経歴
- 下関市立桜山小学校
- 下関市立文洋中学校
- 多々良学園高等学校
- プロ経歴
[編集] 出場歴
- プロ初出場:2001年4月18日 ナビスコカップ 1回戦第2戦対アルビレックス新潟戦 (広島スタジアム)
- 57分久保竜彦に代わって途中出場
- Jリーグ初出場:2002年3月3日 J1 1st 第1節 対コンサドーレ札幌戦 (広島ビッグアーチ)
- 89分大木勉に代わって途中出場
- Jリーグ初得点:2003年9月3日 J2 第31節 対コンサドーレ札幌戦 (札幌厚別公園競技場)
- 先発出場、46分ゴール、63分松浦宏治と途中交代
- J1リーグ初得点:2008年7月14日 J1 第16節 対ジェフユナイテッド市原・千葉戦 (フクダ電子アリーナ)
- 先発出場、2分ゴール
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 2000 | 広島 | 27 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
| 2001 | 広島 | 27 | J1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 |
| 2002 | 広島 | 27 | J1 | 6 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 9 | 0 |
| 2003 | 広島 | 27 | J2 | 17 | 2 | - | 3 | 0 | 20 | 2 | |
| 2004 | 広島 | 27 | J1 | 11 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 14 | 0 |
| 2005 | 札幌 | 13 | J2 | 39 | 4 | - | 0 | 0 | 39 | 4 | |
| 2006 | 札幌 | 13 | J2 | 23 | 4 | - | 3 | 0 | 26 | 4 | |
| 2007 | 札幌 | 13 | J2 | 45 | 6 | - | 0 | 0 | 45 | 6 | |
| 2008 | 札幌 | 13 | J1 | 22 | 1 | 1 | 0 | 1 | 0 | 24 | 1 |
| 2009 | 札幌 | 13 | J2 | 25 | 1 | - | 2 | 0 | 27 | 1 | |
| 2010 | 湘南 | 27 | J1 | 3 | 1 | 3 | 0 | 0 | 0 | 6 | 1 |
| 2011 | 山口 | 23 | 中国 | - | |||||||
| 通算 | 日本 | J1 | 42 | 2 | 10 | 0 | 2 | 0 | 54 | 2 | |
| 日本 | J2 | 149 | 17 | - | 8 | 0 | 157 | 17 | |||
| 日本 | 中国 | - | |||||||||
| 総通算 | 191 | 19 | 10 | 0 | 10 | 0 | 211 | 19 | |||
- 強化指定選手としての公式戦出場はなし
[編集] 代表歴
- U-18日本代表候補
[編集] 関連項目
[編集] 脚注・出典
- ^ a b 中国新聞 (2000年2月18日). “ゴールデンルーキー サンフレ7人衆”. 2009年8月15日閲覧。
- ^ 7人全員が当時U-18代表であったため、期待を込めて「スーパー7」と言われていた。
- ^ 中国新聞(Internet Archive) (2002年2月24日). “3年目の中山、けがの不安消え生き残り誓う”. 2009年8月15日閲覧。
[編集] 外部リンク
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