ジヴァニウド・ヴィエイラ・ジ・ソウザ
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| 名前 | |||||||
| 本名 | Givanildo Vieira de Souza | ||||||
| 愛称 | ハルク | ||||||
| ラテン文字 | HULK | ||||||
| 基本情報 | |||||||
| 国籍 | |||||||
| 生年月日 | 1986年7月25日(25歳) | ||||||
| 出身地 | カンピナグランデ | ||||||
| 身長 | 180cm | ||||||
| 体重 | 76kg | ||||||
| 選手情報 | |||||||
| 在籍チーム | FCポルト | ||||||
| ポジション | FW | ||||||
| 背番号 | 12 | ||||||
| 利き足 | 左足 | ||||||
| クラブチーム1 | |||||||
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| 代表歴 2 | |||||||
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| 1. 国内リーグ戦に限る。2007年12月19日現在。 2. 2009年11月18日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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フッキまたはウルク(本名:Givanildo Vieira de Souza "Hulk", 1986年7月25日 - )は、ブラジル出身のサッカー選手。ポジションはフォワード。
登録名の「Hulk」は、彼が少年時代に愛読していたアメリカン・コミック『超人ハルク(The Incredible Hulk)』の主人公ハルクのことで、彼の母親によって付けられたニックネームである。なお、日本時代の登録名「フッキ」は英語とブラジルポルトガル語を混同した読み・表記である。本来、ポルトガル語では冒頭のHはハ行で発音せず、次の母音で発音するため、ポルトガルでは日本語の「ウルク」に近い発音となる。2005年の初来日の際、川崎フロンターレのスタッフが「(ウルクでは)読みにくいから、Hも読もう」と登録名にしたのが始まり[1]。ポルトガル語圏でプレーする現在は日本語メディアで「ウルク」と表記されることもある。
目次 |
[編集] 来歴
ブラジル東部・パライバ州カンピナグランデ生まれ。ヴィラ・ノベンス(ポルトガル)のジュニアユースなどを経て、16歳でECヴィトーリアとプロ契約。
[編集] Jリーグ時代
2005年2月、川崎フロンターレにレンタル移籍し、18歳で来日。ブラジル時代は主に中盤のポジションでプレーし、川崎でも当初はミッドフィールダー登録でC契約選手であった。当時は、ジュニーニョ、マルクス、アウグストと3人の外国人がいたため、出場機会があまりなかったが、彼らが欠場した試合では、結果を残すなどして活躍。
2006年に川崎へ完全移籍した上で当時J2のコンサドーレ札幌へレンタル移籍。エースストライカーとしてリーグ2位の25得点を挙げた。翌2007年は同じく当時J2の東京ヴェルディ1969へレンタル移籍し、リーグ42試合出場で37得点(J2歴代最多タイ=2004年にジュニーニョが記録)と前年度を上回り、リーグを席巻。東京VのJ1昇格に貢献した。
2008年に川崎へ復帰したが、開幕戦からシュート数が多かったが結果を出すことが出来ず、チームも勝てない状態が続く。さらには当時の監督・関塚隆と起用法などをめぐり対立、リーグ戦出場わずか2試合という異例の早さで、3月26日に川崎を退団。
その後、2008年4月1日に、前年に所属していた東京Vへ復帰[2]。ここでもコンスタントに結果を出す一方、2008年4月12日の第6節、FC東京との東京ダービーで退場処分を受けてから(ただし一発ではなく、累積警告の為の退場だった。)、今度はJリーグの審判に対して不信感を持つようになり、移籍報道が出るなどの問題に発展、東京Vを退団しポルトガルのFCポルトへ移籍した[3]。
[編集] FCポルト時代
ヨーロッパに拠点を移してからの序盤は、初出場でゴールを決めるが、その後はベンチを温める日が続く。しかし、2008年11月9日のポルトガルカップ4回戦のスポルティング・リスボンとの試合において、0-1でリードされている展開で50mのドリブル突破から左足の弾丸シュートを決め、チームを勝利に導いたことで評価を覆し、レギュラーに定着。
2008-09のポルトガルリーグでは21試合出場でリーグ6位の8得点を挙げるだけでなく、同じチームでチーム得点王の9得点のFWルイス・ゴンサレスやCLで6得点のFWリサンドロ・ロペスなどのアシストをするなど、チームプレーもこなすようになった。UEFAが選出する、UEFAチャンピオンズリーグ 2008-09の「トップ10・ライジングスターズ(注目の若手10選手)」にも選出された[4]。
2009年10月、ブラジル代表に初選出され、11月14日、ドーハでの対イングランド親善試合で代表デビューを果たした。
2009年12月20日、SLベンフィカ戦の試合後にフッキらFCポルトの5選手がスタジアム警備員への暴行を働くという出来事が起き、フッキに対してポルトガル国内の公式戦への無期限の出場停止が言い渡された。翌2010年2月19日、ポルトガルリーグ規律委員会は正式に4か月(期限は4月20日迄)の出場停止処分を科したと発表した[5]。しかし、ポルト側はポルトガルリーグ司法委員会に上訴し、3月25日、3試合の出場停止とする判断に変更された。これを受けてリーグのエルミニオ・ルレイロ会長が辞任し、またポルト側はリーグへの賠償金請求を検討していると報道された[6]。
2010-11シーズンはラダメル・ファルカオと2トップを組み開幕から得点を量産。ヨーロッパリーグプレーオフのヘンク戦でハットトリックを達成するなど、開幕からの公式戦16試合で16得点を記録。2010年9月から2011年1月まで、5ヶ月連続でスーペル・リーガの月間最優秀選手に選ばれた。5ヶ月連続受賞、6度の受賞はともにポルトガル新記録となった。最終的にリーグでは26試合で23得点13アシストを挙げ、得点王を獲得。ヨーロッパリーグでも8得点4アシストの活躍をみせ、ポルトの国内外3冠に貢献した。
[編集] 人物・エピソード
- ブラジル代表に初招集された際の監督であるドゥンガはフッキを高く評価しており、ロナウドの後継者になりえると評している[7]。
- 警告・退場が非常に多い。札幌在籍時の2006年シーズンは最終的にイエローカード15枚(1試合2枚による退場処分が2回)、レッドカード1枚を受けたほか、練習中にも競り合いでユニフォームをつかんだ西嶋弘之に怒り、スパイクの裏を見せてスライディングしたことが原因で柳下正明監督から退場を命じられたこともあった。東京Vに移籍した2007年シーズンはイエロー14枚(1試合2枚による退場1回)。川崎と東京Vで共にプレーした吉原慎也によれば、「ヴェルディで2年ぶりに会ったら、川崎の時に比べてメンタルはだいぶ成長していた」とのことで、日を追うごとに改善されている様子である(2006年も3度の退場は前半戦。後半戦は1度もなかった)。
- 川崎時代はC契約で、ジュニーニョ、マルクス、アウグストに次ぐ4人目の外国人だったため、出場機会は僅かだった。しかしその後J2への下積み修行を経た結果、来日当初の雑さを感じさせなくなり、Jリーグ屈指の大型ストライカーに変貌。その後、ヨーロッパでも活躍しているため、ここ数年で今までに例を見ない大きな変貌を遂げている。(なお、元G大阪のFWバレーや、川崎のFWジュニーニョ、元浦和のFWエメルソン、元FC東京、湘南のトゥットなども彼と同じような経緯で大型ストライカーに成長している。)
- 体重は68kgとあるが、雑誌『サッカーJ+』が本人にインタビューした際の証言では来日時の時点は73kgほど、川崎公式サイトの2005年シーズンのプロフィールでは179cm・79kgとあり、インタビュー当時(2007年7月)の時点では83kg前後だという。「太った」ためではなく「ビルドアップ」したためであるが、特別な筋力トレーニングによるものではなく、日々の練習の中で獲得したものだという。川崎1年目と東京V在籍時では身体付きが全く違っており、川崎1年目当時も決して華奢な方ではなかったが、現在は上半身と臀部がはちきれんばかりにビルドアップされている。
- ポルトに移籍し活躍してからも、Jリーグ(J1・J2問わず)の試合などをチェックしており、特に欧州サッカー雑誌でポルトのエースとしてインタビューを受けた際、東京ヴェルディをやめてしまった理由も前途に書かれた審判の対応に加え、「Jリーグが嫌になったわけではなく、柱谷哲二(元東京V監督)に評価されなかったこと」だと語っていることや、「柱谷と一緒のチームじゃなければ、もう一度、東京ヴェルディに戻ってプレーしたい」などと訴えていることなどから、将来的にはJリーグ復帰の可能性も残している[要出典]。しかし、2008年当時からヴェルディに所属している選手からはフッキの事をチームをハチャメチャにした男と評されている[8]。
- ミズノのスパイク「モレリアイージーオーダー」を使用している。[9]
- 東北地方太平洋沖地震の3日後、3月14日ウニオン・レイリア戦の終了間際にPKを獲得し、自らキッカーとなり得点を決めた。その直後、フッキはゴールを祝福することもなく静かにテレビカメラへと歩み寄り、ユニフォームをめくり上げ「日本、私の心は泣いている。我々は皆さんとともにある。ともに戦おう」というメッセージを送った。[10]
- 2011年6月には出身地のカンピナグランデに、自身の頭文字と背番号を組み合わせた「H12」という名のサッカースクールを設立した[11]。
- ブラジル代表に選出される以前にポルトガル代表入りのオファーを受けたことがあるが、断ったことを明かしている[12]。
[編集] 所属クラブ
ユース経歴
コリンチャンス・アラゴアーノ 下部組織
コリンチャンス 下部組織
ヴィラ・ノヴェンセ 下部組織
プロ経歴
- 2004年 - 2005年
ECヴィトーリア
- 2005年
ECヴィトーリア
- → 2005年
川崎フロンターレ (レンタル移籍)
- → 2005年
- 2006年 - 2008年3月
川崎フロンターレ
- → 2006年
コンサドーレ札幌 (レンタル移籍) - → 2007年
東京ヴェルディ1969 (レンタル移籍)
- → 2006年
- 2008年4月 - 2008年7月
東京ヴェルディ1969 - 2008年7月
C.A.レンティスタス - 2008年7月 - 現在
FCポルト
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| ブラジル | リーグ戦 | ブラジル杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 2004 | ヴィトーリア | セリエA | |||||||||
| 2005 | ヴィトーリア | セリエB | |||||||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 2005 | 川崎 | 19 | J1 | 9 | 1 | 1 | 0 | 2 | 2 | 12 | 3 |
| 2006 | 札幌 | 10 | J2 | 38 | 25 | - | 3 | 1 | 41 | 26 | |
| 2007 | 東京V | 9 | J2 | 42 | 37 | - | 0 | 0 | 42 | 37 | |
| 2008 | 川崎 | 11 | J1 | 2 | 0 | 0 | 0 | - | 2 | 0 | |
| 東京V | 9 | J1 | 11 | 7 | 3 | 1 | - | 14 | 8 | ||
| ポルトガル | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 2008-09 | FCポルト | 12 | SP | 25 | 8 | 7 | 1 | 1 | 0 | 33 | 9 |
| 2009-10 | FCポルト | 12 | SP | 19 | 5 | 4 | 2 | - | - | 23 | 7 |
| 2010-11 | FCポルト | 12 | SP | 26 | 23 | 7 | 4 | 3 | 1 | 51 | 36 |
| 通算 | ブラジル | セリエA | |||||||||
| ブラジル | セリエB | ||||||||||
| 日本 | J1 | 22 | 8 | 4 | 1 | 2 | 2 | 28 | 11 | ||
| 日本 | J2 | 80 | 62 | - | 3 | 1 | 83 | 63 | |||
| ポルトガル | SP | ||||||||||
| 総通算 | |||||||||||
[編集] 獲得タイトル
[編集] クラブ
- スーペル・リーガ : 2008-09, 2010-11
- タッサ・デ・ポルトガル : 2008-09, 2009-10, 2010-11
- スーペルタッサ・カンディド・デ・オリベイラ : 2009, 2010
- UEFAヨーロッパリーグ : 2010-11
[編集] 個人
- J2リーグ得点王 : 2007
- ピース・カップ得点王 : 2009
- スーペル・リーガ得点王 : 2010-11
- スーペル・リーガ月間最優秀選手 : 2009年2月、2010年9月、2010年10月、2010年11月、2010年12月、2011年1月
[編集] 経歴
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ ワールドサッカーダイジェスト2009年11月5日号
- ^ この時の移籍金はJリーグ最高額の5億円と報道された。
- ^ FCポルト公式サイトでのプレスリリース 2008年7月26日付(英語)
- ^ UEFA.com (2009年3月9日). “Top ten rising stars”. 2011年6月21日閲覧。
- ^ FootballWeekly (2010年2月20日). “フッキに4カ月の出場停止処分”. 2011年6月21日閲覧。
- ^ FootballWeekly (2010年3月25日). “フッキの処分軽減で、リーグ会長辞任”. 2010年9月3日閲覧。
- ^ SOCCER KING (2011年6月20日). “ブラジルの伝説的FWロナウドの後継者は元Jリーガーのフッキ?”. 2011年6月21日閲覧。
- ^ Jリーグサッカーキング2010年12月号36ページの平本一樹のコメントより。
- ^ ミズノホームページ・プレイヤー
- ^ 元Jリーガーのフッキがメッセージ「私の心は泣いている」
- ^ SOCCER KING (2011年6月16日). “元Jリーガーのフッキが出身地にサッカースクールを開校”. 2011年6月21日閲覧。
- ^ Goal.com (2011年10月12日). “フッキ:「ポルトガル代表のオファーを断った」”. 2011年10月12日閲覧。
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1 エウトン | 2 ダニーロ | 3 L・ゴンサレス | 4 マイコン | 5 A・ペレイラ | 8 モウティーニョ | 10 C・ロドリゲス | 11 クレーベル | 12 フッキ | 13 フシーレ | 14 ロランド | 15 ラファエウ | 17 ヴァレラ | 18 ワウテル | 19 J・ロドリゲス | 20 ジャルマ | 21 サプナル | 22 マンガラ | 23 ソウザ | 25 フェルナンド | 26 A・サンドロ | 27 イトゥルベ | 30 オタメンディ | 31 ラファエウ・ブラカリ | 35 ドフール 監督: V・ペレイラ |
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