フッキ
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| フッキ | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| 本名 | ジヴァニウド・ヴィエイラ・ジ・ソウザ | |
| 愛称 | ハルク | |
| ラテン文字 | HULK | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1986年7月25日(22歳) | |
| 出身地 | カンピナグランデ | |
| 身長 | 178cm | |
| 体重 | 76kg | |
| 血液型 | O型 | |
| 選手情報 | ||
| 在籍チーム | FCポルト | |
| ポジション | FW | |
| 背番号 | 12 | |
| 利き足 | 左足 | |
| クラブチーム1 | ||
| 年 | クラブ | App (G) |
| 2004-2005 2005 2006 2007 2008.2-3 2008.4-7 2008.7 2008.7- |
ECヴィトーリア 川崎フロンターレ コンサドーレ札幌 東京ヴェルディ1969 川崎フロンターレ 東京ヴェルディ C.A.レンティスタス FCポルト |
? (?) 9 (1) 38(25) 42(37) 2 (0) 11 (7) |
| 1. 国内リーグ戦に限る。2007年12月19日現在。 ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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フッキことジヴァニウド・ヴィエイラ・ジ・ソウザ(Givanildo Vieira de Souza "Hulk", 1986年7月25日 - )は、ブラジル出身のプロサッカー選手。ポジションはフォワード。身長178cm。体重68kg。血液型はO型。
登録名の「フッキ (Hulk) 」は、彼が少年時代に愛読していたアメリカン・コミック『超人ハルク』の主人公ハルクのことで、彼の母親によって付けられたニックネームである。なおフッキは英語とブラジルポルトガル語を混同した読み・表記である。本来、ブラジルポルトガル語では冒頭のHはハ行で発音せず、次の母音で発音する。
目次 |
[編集] プレースタイル
筋肉質な体躯が支えるボディーバランスと爆発的なダッシュ力を兼ね備えた身体能力、ペダラーダ(シザーズフェイント)からの高速ドリブルで敵陣を突破する。
中距離からのフリーキックも得意とし、様々な形で点を奪うことが出来、潜在能力も高いストライカー。
味方選手からボールを奪うなど自己中心的なプレーも時折見られ、チームプレーを覚える必要があるが、それでも得点につなげることができる。
以前は、若さ故か感情のコントロールが得意ではないようで、ラフプレー・非紳士的行為による警告を受けることが多いのが欠点だったが、少しずつ改善。
また、欧州移籍後には、チームプレーも積極的にするようになり、ここ数年で大きな成長を遂げている。
[編集] 来歴
ブラジル東部・パライバ州カンピナグランデ生まれ。ヴィラ・ノベンス(ポルトガル)のジュニアユースなどを経て、16歳でECヴィトーリアとプロ契約。
[編集] Jリーグ時代
2005年2月、川崎フロンターレにレンタル移籍し、18歳で来日。ブラジル時代は主に中盤のポジションでプレーし、川崎でも当初はミッドフィールダー登録でC契約選手であった。当時は、ジュニーニョ、マルクス、アウグストと3人の外国人がいたため、出場機会があまりなかったが、彼らが欠場した試合では、結果を残すなどして活躍。
2006年に川崎へ完全移籍した上で当時J2のコンサドーレ札幌へレンタル移籍。エースストライカーとしてリーグ2位の25得点を挙げた。翌2007年は同じく当時J2の東京ヴェルディ1969へレンタル移籍し、リーグ42試合出場で37得点(J2歴代最多タイ=2004年にジュニーニョが記録)と前年度を上回り、リーグを席巻。東京VのJ1昇格に貢献した。
2008年に川崎へ復帰したが、開幕戦からシュート数が多かったが結果を出すことが出来ず、チームも勝てない状態が続く。さらには当時の監督・関塚隆と起用法などをめぐり対立、リーグ戦出場わずか2試合という異例の早さで、3月26日に川崎を退団。
その後、2008年4月1日に、前年に所属していた東京Vへ復帰[1]。ここでもコンスタントに結果を出す一方、2008年4月12日の第6節、FC東京との東京ダービーで退場処分を受けてから(ただし一発ではなく、累積警告の為の退場だった。)、今度はJリーグの審判に対して不信感を持つようになり、移籍報道が出るなどの問題に発展、東京Vを退団しポルトガルのFCポルトへ移籍した[2]。ちなみにその後、絶対的なエースストライカーを失う形となった東京Vはフッキの退団と同時に順位を落とし、挙句の果てにJ2へ降格した。
[編集] FCポルト時代
ポルトでの登録名も日本時代同様にHulkであるが、ポルトガル現地の読み方がウルクであると国内メディアでは報道されている。
ヨーロッパに拠点を移してからの序盤は、初出場でゴールを決めるが、懸念されていたワンマンなプレーの多さのために監督、チームからの信頼が得られず、ベンチに追いやられる。しかし、2008年11月9日のポルトガルカップ4回戦のスポルティング・リスボンとの大一番にて、0-1でリードされている展開で50mのドリブル突破から左足の弾丸シュートを決め、チームを勝利に導いたことで評価を覆し、レギュラーに定着。
ポルトガルリーグでは21試合出場でリーグ6位の8得点を挙げるだけでなく、同じチームでチーム得点王の9得点のFWルイス・ゴンザレスやCLで6得点のFWリサンドロ・ロペスなどのアシストをするなど、チームプレーもこなすようになった。ポルトガルカップ4回戦で敗れたスポルティングの監督、パウロ・ベントは「ウルクは脅威であり、驚異だった。彼は現代のサッカー選手に必要なすべての要素を兼ね備えている」と脱帽し、プレースタイルが似ていると言われるブラジル代表FWアドリアーノも彼のプレーを賞賛した。また、UEFA(欧州サッカー連盟)が選出する今シーズンのCL「トップ10・ライジングスターズ(注目の若手10選手)」にも選出されるなど、ポルトガルのみでなく、ヨーロッパ全体での高い評価を得た。
[編集] エピソード
- そのプレースタイルより、メディアからは、次世代のアドリアーノと呼ばれたり、かつて日本でもプレーしたエメルソンとワシントンを足して2で割った選手と著すことがあるが、本人はパトリック・エムボマのようなストライカーになりたいとコメントしている。
- 警告・退場が非常に多い。札幌在籍時の2006年シーズンは最終的にイエローカード15枚(1試合2枚による退場処分が2回)、レッドカード1枚を受けたほか、練習中にも競り合いでユニフォームをつかんだ西嶋弘之に怒り、スパイクの裏を見せてスライディングしたことが原因で柳下正明監督から退場を命じられたこともあった。東京Vに籍を移した2007年シーズンはイエロー14枚(1試合2枚による退場1回)。川崎と東京Vで共にプレーした吉原慎也によれば、「ヴェルディで2年ぶりに会ったら、川崎の時に比べてメンタルはだいぶ成長していた」とのことで、日を追うごとに改善されている様子である(2006年も3度の退場は前半戦。後半戦は1度もなかった)。
- 川崎時代はC契約で、ジュニーニョ、マルクス、アウグストに次ぐ4人目の外国人だったため、出場機会は僅かだった。しかしその後J2への下積み修行を経た結果、来日当初の雑さを感じさせなくなり、Jリーグ屈指の大型ストライカーに変貌。その後、ヨーロッパでも活躍しているため、ここ数年で大きな変貌を遂げている。(なお、元G大阪のFWバレーや、川崎のFWジュニーニョ、元浦和のFWエメルソン、元FC東京、現湘南のトゥットなども彼と同じような経緯で大型ストライカーに成長している。)
- 体重は68kgとあるが、雑誌『サッカーJ+』が本人にインタビューした際の証言では来日時の時点は73kgほど、川崎公式サイトの2005年シーズンのプロフィールでは179cm・79kgとあり、インタビュー当時(2007年7月)の時点では83kg前後だという。「太った」ためではなく「ビルドアップ」したためであるが、特別な筋力トレーニングによるものではなく、日々の練習の中で獲得したものだという。川崎1年目と東京V在籍時では身体付きが全く違っており、川崎1年目当時も決して華奢な方ではなかったが、現在は上半身と臀部がはちきれんばかりにビルドアップされている。
- ポルトに移籍し活躍してからも、Jリーグ(J1・J2問わず)の試合などをチェックしており、特に欧州サッカー雑誌でポルトのエースとしてインタビューを受けた際、東京ヴェルディをやめてしまった理由も「Jリーグが嫌になったわけではなく、柱谷(元東京V監督)やラモスに評価されなかったこと」だと語っていることや、「柱谷とラモスと一緒のチームじゃなければ、もう一度、東京ヴェルディに戻ってプレーしたい」などと訴えていることなどから、将来的にはJリーグ復帰の可能性も残している。しかし、2008年のアウェーの大分戦後に「Jリーグ無理!Jリーグ無理!」と連呼していた。
[編集] 所属クラブ
コリンチャンス・アラゴアーノ
コリンチャンス
ヴィラ・ノベンス- 2004年
ECヴィトーリア - 2005年
サンパウロFC (レンタル移籍) - 2005年
ECヴィトーリア - 2005年
川崎フロンターレ (レンタル移籍)(2006年から完全移籍) - 2006年
コンサドーレ札幌 (レンタル移籍) - 2007年
東京ヴェルディ1969 (レンタル移籍) - 2008年 - 2008年3月
川崎フロンターレ - 2008年4月 - 2008年7月
東京ヴェルディ - 2008年7月
C.A.レンティスタス - 2008年7月 -
FCポルト
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| ブラジル | リーグ戦 | ブラジル杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 2005 | ヴィトーリア | ||||||||||
| 2005 | サンパウロ | ||||||||||
| 2005 | ヴィトーリア | ||||||||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 2005 | 川崎 | 19 | J1 | 9 | 1 | 1 | 0 | 2 | 2 | 12 | 3 |
| 2006 | 札幌 | 10 | J2 | 38 | 25 | - | 3 | 1 | 41 | 26 | |
| 2007 | 東京V | 9 | J2 | 42 | 37 | - | 0 | 0 | 42 | 37 | |
| 2008 | 川崎 | 11 | J1 | 2 | 0 | 0 | 0 | - | 2 | 0 | |
| 東京V | 9 | J1 | 11 | 7 | 3 | 1 | - | 14 | 8 | ||
| ポルトガル | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 2008-2009 | FCポルト | 12 | SP | 24 | 8 | 1 | 1 | ||||
| 通算 | ブラジル | ||||||||||
| 日本 | J1 | 22 | 8 | 4 | 1 | 2 | 2 | 28 | 11 | ||
| 日本 | J2 | 80 | 62 | - | 3 | 1 | 83 | 63 | |||
| ポルトガル | SP | ||||||||||
| 総通算 | |||||||||||
[編集] 個人タイトル
- 2007年 - J2リーグ得点王
[編集] 経歴
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ この時の移籍金はJリーグ最高額の5億円と報道された。
- ^ FCポルト公式サイトでのプレスリリース 2008年7月26日付(英語)
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| FCポルト - 現所属メンバー |
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1 エウトン | 2 B・アルヴェス | 3 P・エマヌエル | 4 ステパノフ | 5 ベニテス | 6 グアリン | 10 C・ロドリゲス | 11 M・ゴンサレス | 12 フッキ | 13 フシーレ | 14 ロランド | 15 リノ | 16 R・メイレレス | 17 セクティウイ | 18 ボラッティ | 19 ファリアス | 20 T・コスタ | 21 サプナル | 22 マドリード | 23 カンディアス | 24 ヴェントゥラ | 25 フェルナンド | 26 テンガリーニャ | 29 ラビオラ | 30 ペレ | 33 ヌーノ 監督: フェレイラ |

