日本サッカー協会
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|---|---|---|---|---|
JFAハウス(東京都文京区サッカー通り)
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| 名称 | ||||
| 日本語表記 | 日本サッカー協会 | |||
| 英語表記 | Japan Football Association | |||
| 略称 | JFA | |||
| FIFAコード | JPN | |||
| 歴史 | ||||
| 設立 | 1921年 | |||
| FIFA加盟 | 1929年-1945年、1950年- | |||
| EAFF加盟 | 2002年 | |||
| 組織 | ||||
| 国または地域 | ||||
| 本部 | 東京都文京区本郷3丁目10番15号 | |||
| 会長 | 大仁邦彌 | |||
| 公式サイト | ||||
公益財団法人日本サッカー協会(にほんサッカーきょうかい、英語: Japan Football Association、略称:JFA)は、日本サッカー界を統括し代表する団体として、サッカー競技の普及及び振興を図り、もって国民の心身の健全な発達に寄与することを目的とする。
日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)や日本フットボールリーグ(JFL)、日本女子サッカーリーグ(なでしこリーグ)の試合や天皇杯全日本サッカー選手権大会、皇后杯全日本女子サッカー選手権大会などの公式サッカー大会を主催する。プロ・アマの活動を一本化して管理している。なお、現在のJFAは独立採算制であり、国の税金は一切入っていない。現在、サッカーくじtotoから3億円以下程度の助成金が入るようになったが、これはJFA全収入の3%以下でしかない(2010年度)。JFAの予算及び決算[1][2]、その活動[3]についてはJFA公式HPや機関誌で公開されている。詳しくはJFA財務内容の項で後述する。2012年4月1日より財団法人から公益財団法人へ移行し、文部科学省から完全に独立した[4]。公益財団法人化のメリットなどの詳細も、同じくJFA財務内容の項で後述する。
目次 |
概要 [編集]
サッカーに関する上位組織としては国際サッカー連盟(FIFA)およびアジアサッカー連盟(AFC)にそれぞれ所属している。日本サッカー協会はアジアサッカー連盟(AFC)創設(1954年5月8日)メンバーであり[5]、創設年の10月にAFCに加盟している[6]。また、上位組織ではないが、周辺7協会と共に2002年5月28日に東アジアサッカー連盟(EAFF)を創設し、同時に加盟している[7]。オリンピック競技ないしはスポーツの一つとして国際オリンピック委員会(IOC) - 公益財団法人日本オリンピック委員会(JOC)・公益財団法人日本体育協会にも所属する。日本サッカー協会の下位組織としては日本国内を大きくブロックに分けた9地域(北海道・東北・関東・北信越・東海・関西・中国・四国・九州)のサッカー協会と、各都府県毎に置かれた46の都府県(北海道は地域の協会も兼ねる)サッカー協会を有し、国内トップリーグであるJリーグの1部(J1)所属チームから、社会人、学生チームなどのアマチュアチームに至るまで、必ずいずれかの都道府県サッカー協会に所属する形となっている。
2002年10月、川淵三郎がキャプテン(会長)就任後、日本サッカーの基盤強化を図るため、「JFAキッズプログラム」「JFAファミリーフットサルフェスティバル」など幼児期からの政策や、女子サッカーの強化などを盛り込んだ「キャプテンズ・ミッション」を発表した(後にプレジデンツ・ミッションへ改称)。2005年、JFA理念実現の為の『JFA2005年宣言』を発表し、その中で中期目標として「2015年に世界のトップ10入り」、長期目標として「2050年までにFIFAワールドカップ優勝」という目標を立てている(詳細はJFA2005年宣言の項で後述)。
サッカー日本代表人気もあって、スポンサーからの巨額の資金を受けており、2006年度予算は日本オリンピック委員会の2倍以上の157億円に達した。さらに、2010年度予算は前年度より約14億円多い約176億円を計上している。キリンホールディングス(キリンビール、キリンビバレッジ)と2007年4月からの8年間で推定総額120億円(年間15億円)でオフィシャル(公式)スポンサー契約を結び、他、アディダスジャパンと2007年4月から向こう8年間で総額160億円(年間20億円)のオフィシャル(公式)サプライヤー契約の締結(更新)、広告代理店の電通と2007年から向こう8年間で総額240億円(年間30億円)のオフィシャル(公式)スポンサー契約の契約(更新)が報道されるなど、財政難も解消している。
2006年6月7日、川淵三郎キャプテン(会長)が「日本およびアジアのサッカー発展の貢献と2002年FIFAワールドカップの成功」を称えFIFAよりFIFA功労賞を受賞した。これでJFAからは6代目の藤田静夫元会長に続く2人目の快挙である。なお、同賞は、ジーコ元日本代表監督も1996年に受賞している。
2012年1月9日、2011年度のFIFAバロンドールにおいてFIFAフェアプレー賞を受賞した。
公益法人制度改革に伴い、2011年9月、財団法人から公益財団法人への移行を申請し[8]、2012年4月1日より公益財団法人となり、それに伴い、文部科学省から完全に独立した(2012年3月31日までは、文部科学省が日本サッカー協会の監督官庁であり、財務諸表などを文部科学省に届ける必要があった)[4](後述)。
設立までの経緯 [編集]
1918年(大正7年)、日本にはまだサッカー(当時は「蹴球」=しゅうきゅう=と表記)を統括する組織はなく、日本一を決める全国大会も一度も実施されてはいなかった。この年の1月に大阪の豊中で行われた日本フートボール優勝大会(関西地区のみの大会。現在の全国高等学校サッカー選手権大会の前身にあたる)、同年2月に関東地区で「関東蹴球大會」、名古屋では旧制高等学校などが参加した「東海蹴球大會」が別々に開催され、1918年以降にも引き続いて開かれた。東京で行われた「関東蹴球大會」にはチャールズ・エリオットイギリス帝国(現イギリス)大使も列席し、その模様を本国に伝えた[9]。これら1918年に行われた一連の旧制中学や師範学校及び旧制高等学校を中心とした別々の地域大会の開催の模様をイギリス帝国の新聞が「日本にサッカー協会が発足し、全日本選手権大会が始まった(*別々の地域大会を全国大会予選だと勘違いした)」と誤って報道した[10]。
翌1919年、チャールズ・エリオット大使の報告に加え、その新聞記事を見たイングランドサッカー協会(以下FA)は、イギリス帝国大使館のウィリアム・ヘーグ(William Haigh)書記官[11]が日本の全国大会優勝チームに授与するためのFA杯の寄贈を提案したこともあり、「日本蹴球協會の設立を祝して銀杯を寄贈します。全國大會の優勝チームに授與して下さい」といったメッセージを添えて、イギリス帝国大使館を通じて日本にシルバーカップ(以下銀杯と略すことあり)を寄贈することを決め、1919年1月にロンドンから船便で日本に向け送った。3か月かけて、シルバーカップはイギリス帝国大使館に届けられた[12]。FAは当時、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカなどイギリス帝国各地の協会に、ほぼ同じデザインの銀杯を贈っている[10]。1902年(明治35年)日英同盟を結んで以来、東アジア及び太平洋地域の覇権をめぐり、日本は当時、イギリス帝国にとって重要な同盟国だった。つまり、銀杯の寄贈には、当時の日本がイギリス帝国に重視されていた、あるいはイギリス帝国加盟国に準ずるものとみなされていたことが背景としてある。
FAが日本に銀杯を寄贈したという3月12日付けの東京朝日新聞の記事を、東京高等師範学校(東京教育大学を経た、現在の筑波大学)の校友会蹴球部長を務めていた内野台嶺が読み、そのカップの行き先を思案することとなる。
だが、なかなかいい案が浮かばず、東京高等師範学校の校長で当時、大日本體育協會の会長も兼務していた戦前の日本スポーツ界の重鎮嘉納治五郎を訪ねた。そして「この際、急いで設立せよ」と、内野は嘉納から厳命を受ける。内野はその後、イギリス帝国大使館のウィリアム・ヘーグ書記官(そのまま大日本蹴球協會初代賛助会員となった)[11]と体育協会の各理事の協力を仰ぎ、規約・規則の作成と役員人事を進め、1921年9月10日に大日本蹴球協會を創立。初代協会会長に嘉納治五郎の信任が厚く、大日本體育協會の筆頭理事を務めていた今村次吉が就任した。組織運営、競技規則の翻訳や指導書の作成などは、後に1964年東京オリンピックの準備委員長を務めた新田純興が行った。
シルバーカップは、嘉納治五郎が1919年3月28日に直接イギリス帝国大使館に出向いてグリーン在日大使から受け取りを済ませていたが、しばらくは大日本體育協會に預けられており、大日本蹴球協會設立後、シルバーカップを正式に受け取ることとなった[13]。
ところで、この大日本蹴球協會(現日本サッカー協会)設立のきっかけとなったシルバーカップは現存していない。太平洋戦争の戦況が悪化すると、日本政府は戦争遂行のために、広く国民に鉄や銅、貴金属などの拠出を求めるようになった。これよりさかのぼること1942年4月に戦況悪化で大日本體育協會が財団法人大日本体育会に再編成され、大日本蹴球協會は他競技団体と共にその部会となり(大日本蹴球協會は蹴球部会となった)、一時消滅していた。1945年(昭和20年)1月、大日本体育会は、政府が進めている銀回収に協力することを決め(銀器献納)、体育会および各部会で保有している賞杯等を政府に供出した[14]。その際に、シルバーカップは姿を消したと言われているが、真相は不明である(銀器献納からわずか7か月後に、日本が終戦。その後、内務省関係の役所でシルバーカップを見かけたとする話もある)[10]。
尚、そのシルバーカップが2011年8月にFAの手で復元され、改めて日本サッカー協会に贈呈される運びとなり[15]、8月23日にイングランド・ウェンブリー・スタジアムにて贈呈式が行われた[16]。
沿革 [編集]
- 1921年9月10日 - 大日本蹴球協會として創立[10][14]。
- 1925年3月 - 大日本體育協會に加盟[14]。
- 1929年5月17日 - 国際サッカー連盟(FIFA)に加盟[10][14]。
- 1942年4月 - 戦況悪化で大日本體育協會が財団法人大日本体育会に再編成され、他競技団体と共にその部会(蹴球部会)となり一時消滅[10][14]。
- 1945年11月13日 - 第二次世界大戦後、会費が払えずFIFAが資格停止処分[17][18][19]。
- 1947年4月1日 - 日本蹴球協会へと名称変更した上で再発足[10][14]。
- 1950年9月23日 - FIFAに日本蹴球協会として再加盟[20][14]。
- 1954年10月 - アジアサッカー連盟(AFC)を他のアジア12か国と共に同年5月8日に創設し(なお、AFCは政治的配慮により今もなお、イスラエルを創設メンバーとして認めていない為、AFC創設メンバーは日本を含め12か国としている)[5][14][21][22]、10月にAFC加盟[6]。
- 1974年8月31日 - 財団法人となり、日本サッカー協会に名称変更(協会誕生より53年間の任意団体状態から脱却)[14][12]。
- 2002年5月28日 - 東アジアサッカー連盟(EAFF)を他の東アジア7か国と共に創設し、創設と同時に加盟[7][14]。
- 2012年4月1日 - 公益財団法人へ移行し、文部科学省から完全に独立[4]。
所在地 [編集]
- *大日本体育協会(現日本体育協会)第2代会長岸清一の法律事務所内を間借り[12]。
- 1923年 - 東京府芝区伊血町 岸清一邸*関東大震災で移転[12]。
- 1925年 - 東京府京橋区宗十郎町 岸清一法律事務所内[12]
- 1931年 - 東京府市外高田町 鈴木重義自宅[12]
- 1932年 - 東京府芝区新橋 駒場ビル2階[12]
- 1941年 - 東京府神田駿河台 岸記念体育会館[12]
- 1964年 - 東京都渋谷区神南1-1-1 岸記念体育会館*岸記念体育会館が新築に伴い移転した為[12]。
- 1994年 - 東京都渋谷区道玄坂 五島育英会ビル2階[12]
- 1999年 - 東京都渋谷区道玄坂 渋谷野村ビル3階*年間賃料は1億円を超えていたという[12]。
- 2003年9月 - 東京都文京区本郷3丁目10番15号 日本サッカー協会ビル(JFAハウス)*日本サッカー協会自体がビルのオーナー[14][12]。
シンボルマーク [編集]
シンボルマークの中央描かれた鳥は、日本神話に出てくる八咫烏(やたがらす)と同一視される、中国古典の三足烏である[23]。これを描いた旗がシンボルマークとして定められ、旗の黄色は公正を、青色は青春を表し、はつらつとした青春の意気に包まれた日本サッカー協会の公正の気宇を表現している。
これは、東京高等師範学校(後の東京教育大学、現在の筑波大学)の漢文学者であり、サッカー協会の創設に尽力した内野台嶺らの発案を基に、日名子実三がデザインしたものであり、1931年6月に採用された[23]。
一説に、日本に初めて近代サッカーを紹介した中村覚之助(内野台嶺の東京高等師範学校の先輩でもある)に敬意を表し、出身地の那智勝浦町にある熊野那智大社の神使である八咫烏をデザインした物[23]とも言われているが、日本サッカー協会から発行された公式書籍などには中村との関連が記載されたことはない。
日本サッカー協会の2011年現在のホームページ[24]には、「中国の古典にある三足烏と呼ばれる鳥であり、日の神=太陽をシンボル化したものです。日本では、神武天皇御東征のとき、八咫烏(やたがらす)が天皇の軍隊を道案内をしたということもあり、烏には親しみがありました。」と記載されており、『日本サッカーのあゆみ』(講談社,1974)、『財団法人日本サッカー協会75年史 : ありがとう。そして未来へ』(日本サッカー協会, 1996)などでも同様の記載となっている。[25]
この記載順は、昭和14年(1939年)6月に日本蹴球協会から発行された「蹴球7巻6号」[26]の時からなされている。
このシンボルマークを基に、日本代表のエンブレムが作られており、三足烏を盾の形の枠の中、太陽を表す「黄の地に橙の帯」の上に、「JFA」の文字を戴き、翼を広げてサッカーボールをキープした姿で“素早さ”と“力強さ”を表すものとして描かれている。 [27]
一時、協会に所属するクラブチームのユニフォームにも以下の大会の優勝チームに限り、八咫烏を基にしたエンブレムを翌シーズン付けることが許されていた。(Jリーグカップ優勝チームについてはこの制度はない。)
天皇杯優勝とJ1リーグ年間優勝の二冠(ダブル)を勝ち取ると、☆のマークが付く。これまで達成したチームは、2000年・2007年の鹿島アントラーズと2006年の浦和レッドダイヤモンズである。
現在はチャンピオンマークは八咫烏のマークではない。
ユニフォーム [編集]
1988~1991年(横山謙三日本代表監督の意向で、国旗の色の赤を採用)を除き1930年極東選手権大会以来、日本代表ユニフォームは青系統の色が採用されている(1970年代以降は白と青を交互に採用した時期もある)[10]。1993年以降、各カテゴリーごとにアディダス、アシックス、プーマ製のものを交互に採用していたが、1999年以降2006年までアディダス製を採用、2007年から2014年までの8年間もadidasと契約している。
名誉総裁 [編集]
歴代会長 [編集]
| 代数 | 名前 | 学歴 | 略歴 |
|---|---|---|---|
| 初代 | 今村次吉 | 東京大学法学部 | 大蔵官僚、ロシア駐在財務官、亞細亞林業社長、日露實業常務 |
| 2代 | 深尾隆太郎 | 一橋大学商学部 | 男爵、貴族院議員、大阪商船副社長、南洋拓殖社長、東洋電化工業会長。 |
| 3代 | 高橋龍太郎 | 京都大学工学部 | 大日本麦酒株式會社社長、貴族院勅撰議員、参議院議員、通商産業大臣、高橋ユニオンズオーナー |
| 4代 | 野津謙 | 東京大学医学部 | 医師、AFC副会長、FIFA理事、1974年FIFAワールドカップ組織委員会委員 |
| 5代 | 平井富三郎 | 東京大学法学部 | 通商産業事務次官、新日本製鐵代表取締役社長 |
| 6代 | 藤田静夫 | 京都教育大学教育学部 | 藤田ビル代表取締役社長、日本体育協会理事、京都府体育協会会長、京都市体育協会会長 |
| 7代 | 島田秀夫 | 東北大学法学部 | 三菱重工業取締役副社長、日本サッカーリーグ評議会議長、日本体育協会評議員、 日本オリンピック委員会評議員 |
| 8代 | 長沼健 | 中央大学法学部 | 日本代表選手、日本代表監督、ワールドカップ日本招致委員会副会長、 日本サッカーリーグ常任運営委員、Jリーグ理事 |
| 9代 | 岡野俊一郎 | 東京大学文学部 | 岡埜栄泉代表取締役社長、日本代表選手、日本代表監督、2002年FIFAワールドカップ招致委員会実行委員長 |
| 10代 | 川淵三郎 | 早稲田大学商学部 | 古河産業取締役伸銅品部長、日本代表選手、日本代表監督、Jリーグ初代チェアマン |
| 11代 | 犬飼基昭 | 慶應義塾大学商学部 | Jリーグ専務理事、浦和レッズ社長、三菱自動車工業常務執行役員、欧州三菱自動車工業社長 |
| 12代 | 小倉純二 | 早稲田大学政治経済学部 | 古河電工サッカー部部長、東アジアサッカー連盟会長、アジアサッカー連盟(AFC)理事、国際サッカー連盟(FIFA)理事 |
| 13代 | 大仁邦彌 | 慶應義塾大学 | 日本代表選手、三菱重工監督、特任理事、 強化委員長、技術委員長、女子委員会委員長、常務理事 |
執行部 [編集]
現在の執行部 [編集]
| 役職 | 名前 | 略歴 |
|---|---|---|
| 名誉総裁 | 憲仁親王妃久子 | |
| 最高顧問 | 川淵三郎 | 日本代表選手、日本代表監督、 Jリーグチェアマン(初代)、第10代日本サッカー協会会長 |
| 名誉会長 | 小倉純二 | FIFA理事、2002年FIFAワールドカップトーナメントディレクター、Jリーグ理事、第12代日本サッカー協会会長 |
| 名誉副会長 | 鬼武健二 | ヤンマー監督、ヤンマーマリナックス社長、セレッソ大阪社長、Jリーグチェアマン(第3代) |
| 会長 | 大仁邦彌 | 日本代表選手、三菱重工監督、特任理事、 強化委員長、技術委員長、女子委員会委員長、常務理事 |
| 副会長 | 大東和美 | 鹿島アントラーズ代表取締役社長、日本ラグビーフットボール協会評議員、 Jリーグ理事、FIFAクラブ委員会メンバー、現Jリーグチェアマン(第4代) |
| 副会長 | 田嶋幸三 | 日本代表選手、U-15~U-19日本代表監督、技術委員長、立教大学助教授、 筑波大学客員助教授、体育学修士、JFAアカデミー福島初代スクールマスター、専務理事 |
| 専務理事 | 田中道博 | 総務委員長、財務委員長、JFA/Jリーグ将来構想委員会会長 |
制度概説 [編集]
以下の記述は公益財団法人日本サッカー協会基本規定に基づく[28]。 各都道府県のサッカー協会からそれぞれ1名ずつ推薦された47名と会長が指名する最大15名までの学識経験者を評議員(株式会社でいう場合の「株主」に類似する役割を果たす。)とし、評議員会を構成する。評議員の報酬は1年度の総額が200万円を超えない程度と定められている。現在は、各都道府県から選出された47名のみでそれ以外の推薦による評議員は存在しない。
評議員会は、役員である18名以上27名以下の理事(「取締役」相当)および2名ないしは3名の監事(「監査役」相当)を選任する。役員の任期は2年であり、理事はその中から、協会を代表する会長(「代表取締役社長」相当)を1名、副会長(「副社長」相当)を2名ないし5名、専務理事(「専務取締役」相当)1名を選任する。役員には定年制があり、原則として会長・副会長は就任時に満70歳未満、その他の役員は満65歳未満でなくてはならない(ただしFIFA理事はこの限りではない)。
理事会は原則として月に1度開催される機関で株式会社における取締役会に相当する機関であるが、日常の業務遂行にあたっては、会長などの指名により理事会で選ばれた常務理事(「常務取締役」相当)が会長らの役付理事とともに常務理事会(「常務会」などに相当)において協議決定するものとされている。
通常の理事以外に協会の業務を円滑に行うための特任理事も数名程度置くことができるが、特任理事は理事会への出席及び発言が可能なものの議決権がない。なお特任理事については、前述した定年制の基準である満65歳を超えても、最大2期まで就任が認められる。
従来、理事会は地域協会の職員や元選手などサッカー関係者で占められてきたが、2008年にはサッカー以外のスポーツ出身者として、元ラグビー日本代表監督の平尾誠二、現役女子プロテニス選手のクルム伊達公子の2名が初めて理事に選出された。当時は「サッカーを中心としたスポーツの総合的な発展を目指す」目的で選出されたが、結局両名とも1期で退任している。
JFA財務内容 [編集]
概要 [編集]
『公益財団法人』日本サッカー協会(以下JFAか協会と略すことあり)は、日本国内のサッカー及びサッカー文化の普及と促進、A代表などの各種代表及び各年代別代表の代表強化に使うための資金を運用すべく設立を認められた組織である。従って、その目的に沿って資金運用を行っているか公開する義務があるため、JFAの予算及び決算とその活動内容についてはJFA公式HPや機関紙で一般公開されている。同協会の予算や決算についてはJFA公式HPの理事会報告(収支計算書1992年(平成4年)度頃までは決算書)を参照のこと。株式上場企業が毎年決算発表で公表する財務諸表の損益計算書に該当[1][2]、日本代表などのJFAの全活動については同HP内の事業計画・報告[3]で閲覧することが出来る。さらに財団法人時代まで日本サッカー協会の監督官庁だった文部科学省に行けば、同協会の財団法人時代(~2012年3月31日)までの財務諸表を全て閲覧することができる。なお、2012年4月1日付で日本サッカー協会は公益財団法人へ移行した為、同日をもって文部科学省から完全に独立した(財務諸表などを文部科学省に届ける必要が無くなった)[4]。前述の通り、JFAが文部科学省から完全に独立し公益財団法人になる以前よりJFAは独立採算制に既になっており、国の税金は一切入っていない。現在、サッカーくじtoto(スポーツ振興くじ)から3億円以下程度の助成金が入るようになったが、これはJFA全収入の3%以下でしかない(2010年度)。
日本政府による公益法人制度改革に伴い、公益認定されJFAは公益財団法人となった。公益財団法人はこれまで通り、「日本代表戦やその他JFAが主催する大会等」のJFAの事業は、「サッカー普及活動」という公益目的の事業とみなされ非課税となる。但し、「日本代表グッズ販売」などは収益事業となり利益に対して課税される。「寄付金」は基本的に課税されない。寄付した法人や個人は所得控除が受けられるため、JFAは寄付を受けやすくなる。また、協会直轄の財産と認められるものは、税が軽減される。従って、最終的に、JFAが払う税金は、地方税7万円(利益に関係なく最低限支払う税金)と日本代表グッズ販売などの消費税等になる。しかし、もし、公益認定されず、一般財団法人となっていた場合には、JFAの全事業に対し、原則30%課税されるため、上記のようなこれまでの税金の優遇はほとんど受けられず、JFAの事業に支障が出ていた[29]。もし、一般財団法人としても認められなかった場合は、株式会社になるしかないが、その場合は、現在のJFAと同じ活動は不可能で、最終的に解散となっていた可能性が高い。株式会社の場合は、税制の優遇は受けられず、法人税30%が課税されるため、毎年のJFA活動費(2011年度JFA支出165億3981万円)を捻出する為に、JFAハウスをはじめとした総資産約140億円(2011年)のほとんどを手放し、更に不採算部門(例:2010年度までの女子サッカー等)を無くす等しても、その部門で得ていた収入もなくなる為(寄付金は相手にメリットが全くないので激減あるいは皆無になる)、最終的にはJFAが解散していた可能性が高い[30]。
収入内訳及びスポンサー [編集]
日本A代表などの各種代表及び各年代別代表のスポンサーには、現在は4つのカテゴリーがある[31][12]。
- オフィシャル(公式)スポンサー
- 現在は1980年(昭和55年)からの長年のスポンサーであるキリンホールディングス(キリンビール、キリンビバレッジ)と2007年(平成19年)4月から8年間で推定総額120億円(年間15億円)で契約している。また、広告代理店の電通と2007年から向こう8年間で総額240億円(年間30億円)で契約している[12]。
- オフィシャル(公式)サプライヤー
- 各種日本代表のユニホーム等の用具類などを提供する。現在は、アディダスジャパンと2007年4月から向こう8年間で総額160億円(年間20億円)で契約している[12]。また移動時等に着用するスーツについては、2000年よりダンヒルと契約を結んでいる(契約期間等は不明)[32]。
- サポーティングカンパニー
- 定数は5社だったが、徐々に増やしている。スポンサー料を支払い、各種日本代表戦における広告看板掲出権およびチケットキャンペーン権、日本代表エンブレム、マスコット等の広告・販促活動への使用権を得ている。ただし、日本のホームゲームなど日本サッカー協会がマーケティング権を完全に保有する試合のみに適用される[12]。現在契約中の企業は以下のとおり(括弧内は契約期間)。
- 日本航空(1999年 - 2015年3月31日)[33]
- ファミリーマート(2001年4月1日 - 2015年3月31日)[34]
- クレディセゾン(2001年11月5日 - 2015年3月31日)[35][36]
- ソニーマーケティング(2007年4月1日 - 2015年3月31日)[37]
- 三井住友海上火災保険(2008年5月2日 - )[38]
- アウディジャパン(2011年5月26日 - )[39]
- コナミデジタルエンタテインメント(2013年3月25日 - )[40]
- みずほフィナンシャルグループ(2013年4月1日 - )[41]
- なお日本航空は、2010年(平成22年)1月19日に同社が会社更生法の適用を東京地裁に申請し受理された事態(倒産)を受けて契約継続が危ぶまれたが、最終的に契約継続となった[42][43]。
- 日本代表戦マッチスポンサー
- 日本サッカー協会がマーケティング権を持つ国内での日本代表の試合をサポートする[31]。現在は朝日新聞社と2007年4月1日から契約を結んでいる。
これらの協賛金(スポンサー)収入とゲームソフト・グッズ販売等のライセンシー収入を合わせた事業関連収入が、2010(平成22)年度では約48億円で収入(事業活動収入)の約39%を占め、JFAの最大の収入源となっている。以下事業活動収入の中で大きい順に、2番目が代表関連事業収入(日本A代表を始め、各種代表及び各年代別代表等の試合収入、入場料、テレビ放送権料等。なお、2012年時点では、サッカー日本男子A代表の放映権料は1試合当たり1億5000万円である[44])で2010年度約37億円、3番目が競技会開催事業収入(天皇杯や育成年代大会等のJFA主催大会の入場料収入やそれらの大会のテレビ放送権料等)で2010年度約22億円、4番目が指導普及事業収入(指導者講習会、研修会参加費、教本DVD等販売収入)で2010年度約11億円となっている。財政が苦しかった時代、JFAの重要な収入の柱だった登録関連事業収入(JFA主催大会等に出場するサッカーやフットサル等の選手及びチームに義務付けられている登録料)は、今では2010年度で約5600万円と収入の中で占める割合は下位となった[45]。
1977年に発足したJFA活動経費援助団体「日本サッカー後援会」(松本育夫理事。法人会員[年会費1口5万円]40社。個人会員[年会費1万5千円]は4865人。特典は日本代表国内試合優先有料販売等。全て2012年5月末時点[46])は、JFAに対し過去35年間で12億円超の資金援助を行っており[47]、2011年は日本代表に4000万円、なでしこジャパンに1000万円、フットサル日本代表に500万円の支援を行った[48]。
これらのJFAの収入でJFAの全活動の費用(各日本代表の監督他代表スタッフ及び選手の給料(日本A代表待遇の項参照)[49]、協会職員の給料、各日本代表の国内及び海外遠征費<例:サッカー日本男子A代表の1週間程度の海外遠征費は5000万円程度必要[50]と滞在費等代表関連事業、1種(年齢制限なし)から育成年代までの競技会開催、JFAアカデミーなどの育成事業や指導者及び審判養成やJFAこころのプロジェクト等の指導普及事業等)[3][45]が賄われている。
経緯 [編集]
日本プロ化以前は、協会は長年にわたり赤字続きで自転車操業であった。1970年代後半の財政規模は10億円に満たず、収入は天皇杯等の競技会開催収入が大部分を占めていた。日本代表海外遠征費を捻出できず、旅行代理店への支払いを手形で行うことがあったほどである[12][51]。当然、協会から出る給料は無く、会長を始め協会役員は無給で働いていた(協会役員の多くがアマチュア全国リーグ日本サッカーリーグ所属クラブからの出向だった為、給料は企業が出していた。従って、役員は経済的余裕がある者しか務まらなかった[52]。なお、会長をはじめ、協会役員が無給という状況は日本プロ化以降も一部は続いた。協会会長に3000万円程の給料が支給されるようになったのは、プロ化後9年目の第10代川淵三郎会長からである。また、1969年時点では協会職員は5~6名で、給料は年齢×1000円しかなく、他の職を兼務し、その収入で生計を立てていたという[12])。
財政の確立が至上命題だった協会は1976年、新日本製鐵社長の平井富三郎を第5代会長に迎えた[53]。平井会長は本業の社長業で多忙だった為、長沼健専務理事が実質的リーダーとして、様々な改革を断行した。協会の運営を円滑に進めるため、古河の経理部門にいた小倉純二を抜擢し[54]、オフィシャルサプライヤー制度を開始、デサント、アシックス、プーマと契約した[55]。1977年に結成した「日本サッカー後援会」[56][57]の会費と1978年に開始した個人登録制度(登録料徴収)、国際試合の興行収入、日本体育協会からの補助金と合わせ財政基盤確立をもたらした[55]。1977年(昭和52年)9月ペレの引退試合のために、当時ペレ、ベッケンバウアー、キナーリヤなど世界のスーパースターを擁していたニューヨーク・コスモスが来日し、古河電工(Jリーグのジェフ市原・千葉の前身)、日本代表(日本代表との試合は釜本邦茂日本代表引退試合でもあった。当時は日本代表の試合でも、ほとんどTV中継がなかったなか、全国にTV中継された)と連戦し、人気を博した[58]。この際に、広告代理店の電通が清涼飲料水のCMに試合の宣伝を乗せ、宣伝費を使わない新手法を編み出し、さらに、一連のゲームを「ペレ・サヨナラゲーム・イン・ジャパン」と名付けるなどした結果、観衆6万5000人と国立競技場が初めて満員になり、7000万円の純益を出した[59][53][60]。以降、日本サッカー協会は赤字体質から脱却した[61][53][62]。この1977年を境に協会はJリーグ発足直前まで一度も赤字にならず、Jリーグ発足直前の収入は約40億円となった。 また、1978年に開始したジャパンカップが赤字だった為、当時、渋谷区神南の岸記念体育館の一室にあった協会の部屋の窓から線路を挟んで目と鼻の先にかつて本社のあったキリンビールに、長沼が「ああいう(大きな)会社に支援をお願いできないものか」と思案し、当時の同社・小西秀次社長に直談判した。結果、冠スポンサーとなり、同大会は1980年第3回大会からキリンカップサッカーと名称変更となった[63]。以降、現在まで、キリンホールディングスはJFAの公式スポンサーを続けている。
1993(平成5)年のJリーグ誕生後、Jリーグにより競技力が向上し、それが日本代表強化につながり、強化されたことで、観客が増加、入場料収入が増大し、日本代表戦のブランド価値が生まれ、それによりスポンサーとテレビ局が集まるという正のサイクルが生まれた結果、収入が飛躍的に増大。例えば、Jリーグの前哨戦Jリーグヤマザキナビスコカップが行われた1992(平成4)年度収入は約40億円(総資産は14億円程度)であったが、2002(平成14)年度収入は約125億円と10年で3倍強に増え、2012(平成24)年度収入は約165億円(総資産は140億円程度)と見込まれるなど、20年で10倍以上に増えた。収入が増えたことで、JFA事務局のある施設はグレードアップし、JFA職員の数も増えた。1992年当初、JFA事務局は渋谷区神南の岸記念体育館の一室を間借りし、JFA職員は15人だったが、2012年ではJFA事務局はJFAハウスというJFA自前のビルにあり(2003年に移転)、JFA職員は200人を超えている[64]。
2010年(平成22年)度予算は前年度より約14億円多い約176億円。南アフリカW杯ベスト4を想定し、FIFAからの賞金(ベスト4賞金1800万ドル〈約16億円〉。全32出場国が受け取るグループリーグ全3試合の出場給は800万ドル〈約7億円〉で、同じく全出場国が受け取る経費が100万ドル(約8837万円))[65]などの収入約28億円、滞在費などの支出約15億円を計上した。なお、グループリーグ敗退の場合(その場合は、FIFAから貰う賞金はグループリーグ全3試合の出場給と経費のみ)、収入は11億円、支出は9億円と見込まれていた[66]。実際は南アフリカW杯ベスト16で、FIFAから受け取った賞金及び経費総額が900万ドルで、南アフリカW杯総収入は約11億円だったが、南アフリカW杯で日本代表選手に支払った給料や賞与(W杯出場権獲得ボーナス除く)が総額約2億5000万円。これにスイスでの事前キャンプの運営費、ベースキャンプ地に設置したメディアセンターの建設費、協会関係者の出張費等を合わせた南アフリカW杯での総支出は12億円で、南アフリカW杯単体としては赤字となり、2010年度決算でも日本サッカー協会は赤字となった[49][45]。
2011年(平成23年)度決算は、事業活動や投資活動を合わせた収入が165億5227万円、支出が165億3981万円で約1250万円の黒字を計上し、2年ぶりの黒字決算となった。東日本大震災の復興支援で支出が増えたが、なでしこジャパンが出場した2012年2月29日から3月7日に開催のアルガルベ杯等海外遠征のテレビ放映権を国内で販売でき、さらに復興支援寄付のおかげで収入が増えた為、黒字となった。震災の復興支援特別会計は個人寄付や協賛社の寄付、欧州サッカー連盟(UEFA)の義援金などを含めた収入合計が3億5400万円あり、被災地のフットボールセンターや被災クラブの本拠スタジアムの改修などに充てられた[67]。部門別収支では、2011年独女子W杯のFIFAからの優勝賞金100万ドル(2011年7月11日のレートで8013万5千円)の為、女子サッカーが初めてプラスに転じた[68]。
2013年度からは事業年度を現行の3月決算から12月決算に変更する予定である[68]。
JFA2005年宣言 [編集]
「サッカーを通じて豊かなスポーツ文化を創造し、人々の心身の健全な発達と社会の発展に貢献する」という日本サッカー協会(JFA)の理念を実現するために、JFAが掲げた目標のことで、サッカーの普及と強化、国際親善への貢献といったビジョン、そして2015年までの中期目標、2050年までの長期目標が示されている[69]。2002年10月に発表された「キャプテンズ・ミッション」(後にプレジデンツ・ミッションへ改称。「JFAキッズプログラム」「JFAファミリーフットサルフェスティバル」など幼児期からの政策や、女子サッカーの強化など)もその一環である。このJFA2005年宣言の中で、2015年までの中期目標(JFAの約束2015)として、2015年までにJFAが世界トップ10の組織になり、『サッカーファミリーが500万人になること』と『日本代表が世界でトップ10のチームになること』の2つの目標を達成するとしている。男子がこの目標を達成するには、2014年FIFAワールドカップ・ブラジル大会ベスト8(=準々決勝進出)以上の成績を収めるか、あるいはベスト16チームの中で成績上位10チーム以内に入るようにグループリーグで好成績を残すか、もしくは同大会で好成績を収めることで、翌年の2015年のFIFAランキングで上位10位以内に入ることのいずれかが必要である。また、2050年までの長期目標(JFAの約束2050)として、『サッカーファミリーが1000万人になること』と『FIFAワールドカップを日本で開催し、その大会で日本代表が優勝すること』の2つの目標を達成するとしている。なお、女子は、2011年FIFA女子ワールドカップ・ドイツ大会で優勝し、FIFA女子ランキングも2012年6月1日時点で3位と既に成績面では長期目標をも達成している。
関連団体 [編集]
上位組織
- 国際サッカー連盟(FIFA) →【FIFAワールドカップ】
- アジアサッカー連盟(AFC) →【AFCアジアカップ】
- 東アジアサッカー連盟(EAFF) →【東アジアカップ(旧東アジアサッカー選手権)】
- 国際オリンピック委員会(IOC) →【オリンピック】
- (公財)日本オリンピック委員会(JOC)
- (公財)日本体育協会(JASA) →【国体】
下位組織
- (公社)日本プロサッカーリーグ →【Jリーグ】
- 9地域(北海道・東北・関東・北信越・東海・関西・中国・四国・九州)のサッカー協会 →【地域リーグ】
- 47の都道府県サッカー協会 →【都道府県リーグ】
- 日本クラブユースサッカー連盟
- 日本フットサル連盟 →【Fリーグ】
別組織
- 全国自衛隊サッカー連盟 → 【自衛隊サッカー】
- 全国社会人サッカー連盟 → 【社会人サッカー】
- 全日本大学サッカー連盟/全日本大学女子サッカー連盟 →【大学サッカー】
- 全国専門学校サッカー連盟 → 【専門学校サッカー】
- 全国高等学校体育連盟 →【高校サッカー】
脚注 [編集]
- ^ a b JFA理事会報告-JFA公式HP
- ^ a b JFA予算書・決算書-JFA公式HP
- ^ a b c JFA事業計画・報告-JFA公式HP
- ^ a b c d 小倉純二日本サッカー協会会長コラム「今日もサッカー日和」第31回-日本サッカー協会公式HP_2012年4月2日
- ^ a b About AFC(AFCについて 歴史など説明)-AFC公式HP英語版2007年9月6日
- ^ a b アジアサッカー連盟(AFC)って何?-日本サッカー協会公式HP
- ^ a b 東アジアニュースリリース 東アジアサッカー連盟発足 初代会長に岡野JFA会長-東アジアサッカー連盟公式HP-2002年5月30日
- ^ サッカー協会、公益法人化が内定 4月1日に登記へ-47NEWS
- ^ 松岡完 『ワールドカップの国際政治学』 朝日新聞社、1994年。
- ^ a b c d e f g h 後藤健生 『日本サッカー史 日本代表の90年』 双葉社、2007年。
- ^ a b 賀川浩日本サッカーアーカイブ・日本サッカー人物史ウィリアム・ヘーグ [William Haigh ]
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 『サッカー批評issue20 - 改革を進める日本サッカー協会』 双葉社、2003年。Web版サッカー批評(Vol.11)-スポーツナビ2003年9月12日
- ^ 『週刊サッカ-ダイジェスト 1996年12月18日号(345号)』 知られざる日韓サッカー交流史 第2回 〜日韓それぞれの1921年〜
- ^ a b c d e f g h i j k JFA沿革・歴史-JFA公式HP
- ^ 92年前寄贈銀製カップ復元、英で贈呈式 日刊スポーツ 2011年8月3日閲覧
- ^ 幻のカップ復元 FAから日本協会に贈呈 日刊スポーツ 2011年8月24日閲覧
- ^ 轡田三男 「サッカーの歴史 天皇杯全日本選手権 (6)」『サッカーマガジン』 ベースボール・マガジン社、1968年8月号、112頁
- ^ 日本蹴球協会編 『日本サッカーのあゆみ』 講談社、1974年、150頁。
- ^ 松岡完 『ワールドカップの国際政治学』朝日新聞社、1994年、P85
- ^ 日本蹴球協会編 『日本サッカーのあゆみ』 講談社、1974年、150頁。
- ^ About AFC(AFCについて 歴史など説明)-AFC公式HP英語版2007年9月6日
- ^ デイヴィッド・ゴールドブラッド著・野間けいこ訳『2002ワールドカップ32カ国・データブック』株式会社ネコパブリッシング ネコウェブ
- ^ a b c 日本代表裏戦記『サッカーマガジン』2012年3月6日号、ベースボール・マガジン社、2012年、雑誌23881-3/6, 071頁。
- ^ ページ下部「シンボルマーク」
- ^ 「日本サッカー協会のエンブレムと日名子実三」 蹴球本日誌
- ^ 日本蹴球協会「蹴球」7巻6号
- ^ 日本代表 新エンブレムが決定
- ^ 公益財団法人日本サッカー協会基本規定2012年4月1日初版施行(同年5月10日改正6月1日施行)-日本サッカー協会(JFA)公式HP
- ^ 公益社団法人や公益財団法人のメリットは何ですか?-早わかり新公益法人制度
- ^ [事件]【八百長メール】両国国技館も手放し…株式会社化なら日本相撲協会の存続不可能-MSN産経ニュース2011/2/3
- ^ a b 日本代表ページ-日本サッカー協会(JFA)公式HP
- ^ ダンヒル、2012年サッカー日本代表チームの「勝負服」オフィシャルスーツを発売 - FASHION PRESS・2012年5月4日
- ^ JAL、サッカー日本代表チームの「サポーティングカンパニー」に! - 日本航空・2007年3月26日
- ^ サッカー日本代表チーム サポーティングカンパニー契約締結について - ファミリーマート・2007年3月26日
- ^ 日本代表チームのサポーティングカンパニー契約決定について - クレディセゾン・2001年11月5日
- ^ 日本代表チームならびに日本代表戦のスポンサー決定について~2007年4月より、8年間の契約更新 ~ - クレディセゾン・2007年3月26日
- ^ 財団法人日本サッカー協会とのスポンサーシップ契約について - ソニーマーケティング・2007年3月27日
- ^ 財団法人日本サッカー協会とサッカー日本代表チームのサポーティングカンパニー契約を締結しました - 三井住友海上火災保険・2008年5月2日
- ^ アウディ ジャパン株式会社と日本代表チームサポーティングカンパニー契約を締結 - 日本サッカー協会・2011年5月26日
- ^ コナミはサッカー日本代表を応援しています サッカー日本代表のサポーティングカンパニーに - 株式会社コナミデジタルエンタテインメント・2013年3月25日
- ^ 株式会社みずほフィナンシャルグループと日本代表チームサポーティングカンパニー契約を締結 - 日本サッカー協会・2013年4月1日
- ^ JAL対ANAに注目!“岡田Jウイング”争奪戦の行方
- ^ 犬飼会長、JAL問題は「静観するしか」
- ^ ザックJ、2月にもう1試合 2億円以上入る“ドル箱興行”で協会も得-ZAKZAK2012年12月1日]
- ^ a b c 2010(平成22)年度決算書-JFA公式HP
- ^ 日本サッカー後援会【概要】-JFA公式HP
- ^ 松本理事長、日本サッカー後援会の知名度UP訴え - スポーツ報知・2012年6月6日
- ^ 会員になって代表サポートして!後援会の目標は6000人 - スポニチアネックス・2012年6月6日
- ^ a b 日本代表選手ペイメント問題に対する当協会の考え-JFA公式HP2011年2月22日
- ^ ザックジャパン“金欠”で欧州遠征白紙-東スポweb2012年12月25日
- ^ 別冊宝島編集部編『サッカー日本代表斬り捨て御免!』、宝島社、2002年、p280
- ^ 別冊宝島編集部編『サッカー日本代表斬り捨て御免!』、宝島社、2002年、p282
- ^ a b c 大住良之、後藤健生『日本サッカーはほんとうに強くなったのか』、中央公論新社、2000年、p224-228
- ^ 犬飼会長就任は「長沼時代」の終焉だ/サッカー瞬刊誌 サポティスタ
- ^ a b 忠鉢信一『進化する日本サッカー』、集英社、2001年、56-59頁
- ^ 『日本サッカーはほんとうに強くなったのか』、p232、242
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- ^ 電通が初めて手掛けたサッカーの興行(『サッカーマガジン』2008年5月20日号、ベースボール・マガジン社、53-61頁)
- ^ 日本のスポーツイベント黎明期を支えた男の回想(1/3)トヨタカップを呼んだ男たち 第3回 入江雄三 - スポーツナビ・2004年12月6日
- ^ 『サッカーの物語』田中孝一、18頁
- ^ トヨタカップから2002年への長き道のり(3/3)トヨタカップを呼んだ男たち 第5回 長沼健 - スポーツナビ・2004年12月10日
- ^ 『サッカー批評』20号、p50-57、双葉社
『月刊グラン』2003年10月号、p37
『日本は、サッカーの国になれたか。電通の格闘。』濱口博行、朝日新聞出版、2010年、p50-62 - ^ 『サッカー批評』37号、2008年1月、p34-35、 38号、p36-42
『日本は、サッカーの国になれたか。電通の格闘。』、p65-68
チケットぴあ - JAPANサッカーを支える企業。 - ^ 小倉純二日本サッカー協会会長コラム「今日もサッカー日和」第36回退任のごあいさつ-日本サッカー協会公式HP 2012年6月24日
- ^ 南アW杯、優勝賞金26億4000万円
- ^ 「ワールドカップ4強」強気の予算増 日本サッカー協会
- ^ サッカー協会、11年度は約1250万円黒字-サンスポ2012年6月24日
- ^ a b 11年度決算、2年ぶり黒字=なでしこ効果も-サッカー協会-時事ドットコム2012年6月24日
- ^ JFA2005年宣言-JFA公式HP
関連項目 [編集]
- 日本のサッカー
- サッカー日本男子代表
- サッカー日本女子代表(なでしこジャパン)
- 日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)
- 日本女子サッカーリーグ(L・リーグ/なでしこリーグ)
- 日本フットボールリーグ((新)JFL)
- ジャパンフットボールリーグ((旧)JFL:現在は行われていない)
- 日本サッカーリーグ(JSL:現在は行われていない)
- 日本サッカーのリーグ構成
- 日本のサッカー大会一覧
- 日本サッカー協会チーム登録種別
- 日本サッカー協会指導者ライセンス
- 日本サッカー殿堂
- ナショナルトレセン
- 日本クラブユースサッカー連盟
- 日本サッカー協会ビル(JFAハウス)
- 日本サッカーミュージアム
- JFAアンバサダー
- JFAアカデミー福島
- 日本フットサルリーグ(Fリーグ)
- 全国ビーチサッカー大会
外部リンク [編集]
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