山瀬功治
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| 山瀬 功治 | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| 愛称 | コウジ | |
| カタカナ | ヤマセ コウジ | |
| ラテン文字 | YAMASE Koji | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1981年9月22日(27歳) | |
| 出身地 | 北海道 | |
| 身長 | 173cm | |
| 体重 | 70kg | |
| 血液型 | A型 | |
| 選手情報 | ||
| 在籍チーム | 横浜F・マリノス | |
| ポジション | MF | |
| 背番号 | 10 | |
| 利き足 | 右足 | |
| クラブチーム1 | ||
| 年 | クラブ | App (G) |
| 1999-2002 2003-2004 2005- |
コンサドーレ札幌 浦和レッドダイヤモンズ 横浜F・マリノス |
52 (9) 42 (11) 96 (22) |
| 代表歴 | ||
| 2006-2008 | 11 (5) | |
| 1. 国内リーグ戦に限る。2009年1月1日現在。 ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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山瀬 功治(やませ こうじ、1981年9月22日 - )は、北海道札幌市南区出身で横浜F・マリノス所属のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。
弟はサガン鳥栖に在籍する山瀬幸宏。父はサラエボ冬季五輪にバイアスロンで出場した山瀬功。
目次 |
[編集] 来歴
札幌サッカースクールで頭角を現したのち、中学時代には単身ブラジルへサッカー留学をする。1999年には強化指定選手としてコンサドーレ札幌に登録された(トップでの試合出場はなし)。 2000年、J2のコンサドーレ札幌に入団。同年、北海高校から系列の北海学園大学経済学部に進学。二足の草鞋を履く生活。2000年3月にはユース代表に初選出される。5月4日の湘南ベルマーレ戦でプロ初出場、Vゴールを決める。J1に昇格した2001年には主力として24試合に出場しチームのJ1残留に貢献、Jリーグ新人王に輝いた。2002年にはチーム史上日本人として初めて背番号10を背負い副主将に任命されるも、シーズン途中に右膝靭帯断裂の重傷を負う。
2003年、浦和レッドダイヤモンズに移籍。チームをナビスコ杯優勝に導く。
2004年、アテネオリンピック最終予選に出場するが本大会には落選。クラブでは初のハットトリックを達成するなど活躍するも、今度は左膝靭帯断裂の重傷を負う。
2005年には札幌時代の恩師である岡田武史が指揮を執る横浜F・マリノスに移籍した。しかし、今度はヘルニアに悩まされる事となり、コンディションが完全に戻ったのは2006年シーズンの中盤以降となった。
2006年8月5日、キリンチャレンジカップのトリニダード・トバゴ戦の追加メンバーとして初めてA代表に招集され、8月9日に初出場。2007年シーズンには横浜F・マリノスの副主将に任命され、8月22日に約1年ぶりの代表復帰となったカメルーン戦で代表初得点(A代表通算900得点目)を挙げる。
2007年、J1リーグ戦では自身初の2桁得点を挙げる。
2008年にはコンスタントに代表に招集されるようになった。とりわけボスニア・ヘルツェゴビナ戦では2ゴール1アシストを記録し中澤佑二とともに恩師岡田武史監督を大いに守り立てた。第4節のFC東京、第6節の柏レイソル戦でキレを見せるが、5月ごろから右踵を痛めチームも失速。第24節ヴィッセル神戸戦で右足首を捻挫してからは出場機会が激減した。
またチームが残留争いに巻き込まれていた時期、一部報道でヴィッセル神戸が獲得に動いているといわれたが残留。2009年もF・マリノスでのプレーしている。
[編集] プレースタイル
ボランチより前のポジションなら何処でもこなせるJリーグ屈指の攻撃的MFである。[1]切れ味のあるドリブルと2列目からの素早い飛び出しを武器とし、相手DFの脅威となっている。右利きだが、左足も問題なく蹴ることが出来、左足での得点も多い。得点力は非凡なモノがあり、精度の高いミドルシュートのほか、相手DFの裏へ抜け出した際の落ち着きと決定力は日本人選手の中でも群を抜いている。また、体が日本人にしては非常に強く、競り合いに負けない強さを持っているが、その反面、怪我が多いのが難点である。
[編集] エピソード
- 札幌時代、ルーキーイヤーでの活躍が認められ、カウントダウンサッポロ2001にゲスト出演。大泉洋、鈴井貴之ら出演者や観客らとともに、テーマソングであった坂本サトル「明日の色」の大合唱に参加。
- 来歴にも記載されているが2年目のジンクスに嵌ったスポーツ選手の一人。
- 山瀬のブログでは主に食事関係の話題が多い。イチゴが好物。
- 2009年のファン感謝祭で、企画の設営の空白時間を埋めるべく即席の質問タイムを設けたところ、既婚者であるにもかかわらず「山瀬選手は彼女いますか?」という質問をされ困っていた。
- 天野貴史によれば「山瀬さんは何をやるにもマジメ。その一方で弟共々ゲーム、漫画が趣味。」らしい[1]。
[編集] 所属クラブ
- 1997年 - 1999年 北海高等学校(1999年に強化指定選手としてコンサドーレ札幌に登録)
- 2000年 - 2002年 コンサドーレ札幌
- 2003年 - 2004年 浦和レッドダイヤモンズ
- 2005年 - 現在 横浜F・マリノス
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 1999 | 札幌 | J2 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | ||
| 2000 | 札幌 | 28 | J2 | 14 | 2 | 1 | 0 | 3 | 0 | 18 | 2 |
| 2001 | 札幌 | 18 | J1 | 24 | 3 | 0 | 0 | 1 | 0 | 25 | 3 |
| 2002 | 札幌 | 10 | J1 | 14 | 4 | 2 | 0 | 0 | 0 | 16 | 4 |
| 2003 | 浦和 | 8 | J1 | 24 | 6 | 6 | 2 | 1 | 0 | 31 | 8 |
| 2004 | 浦和 | 8 | J1 | 18 | 5 | 7 | 2 | 0 | 0 | 25 | 7 |
| 2005 | 横浜FM | 10 | J1 | 19 | 1 | 4 | 0 | 0 | 0 | 23 | 1 |
| 2006 | 横浜FM | 10 | J1 | 20 | 6 | 1 | 0 | 3 | 0 | 24 | 6 |
| 2007 | 横浜FM | 10 | J1 | 32 | 11 | 10 | 3 | 2 | 0 | 44 | 14 |
| 2008 | 横浜FM | 10 | J1 | 25 | 4 | 3 | 0 | 1 | 0 | 29 | 4 |
| 2009 | 横浜FM | 10 | J1 | ||||||||
| 通算 | 日本 | J1 | 176 | 40 | 33 | 7 | 8 | 0 | 217 | 47 | |
| 日本 | J2 | 14 | 2 | 1 | 0 | 3 | 0 | 18 | 2 | ||
| 総通算 | 190 | 42 | 34 | 7 | 11 | 0 | 235 | 49 | |||
- 1999年は強化指定選手。
[編集] 経歴
- 2000年5月4日 - プロ初出場(Jリーグ) - 湘南ベルマーレ戦(厚別競技場)
- 2000年5月4日 - プロ初得点(Jリーグ) - 湘南ベルマーレ戦(厚別競技場)
- 2006年8月9日 - A代表初出場(キリンチャレンジカップ) - トリニダード・トバゴ代表戦(国立競技場)
- 2007年8月22日 - A代表初得点(キリンチャレンジカップ) - カメルーン代表戦(九州石油ドーム)
[編集] 代表歴
[編集] 出場大会など
- U-20サッカー日本代表
- 2000年 AFCユース選手権2000(準優勝)
- 2001年 2001 FIFAワールドユース選手権(グループリーグ敗退)
- オリンピック日本代表
- 日本代表
- 2008年 東アジアサッカー選手権2008(準優勝)
[編集] 試合数
- 国際Aマッチ 11試合 5得点(2006-)
| 日本代表 | 国際Aマッチ | |
|---|---|---|
| 年 | 出場 | 得点 |
| 2006 | 1 | 0 |
| 2007 | 1 | 1 |
| 2008 | 9 | 4 |
| 通算 | 11 | 5 |
[編集] 獲得タイトル
- 2001年 Jリーグ新人王
- 2008年 東アジアサッカー選手権得点王
[編集] 脚注
- ^ 週刊サッカーダイジェスト 2009年5月5日号
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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