Jリーグカップ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
Jリーグヤマザキナビスコカップ
Yamazaki-nabisco-Cup final 2004.jpg
開始年 1992年
主催 日本プロサッカーリーグ
参加チーム数 18
加盟国 日本の旗 日本
前回優勝 柏レイソル(2回目)
最多優勝 鹿島アントラーズ(5回)
サイト 公式サイト
テンプレートを表示

Jリーグカップ(J. League Cup)は、日本プロサッカーリーグが主催するリーグカップである。第1回の1992年大会から菓子メーカーのヤマザキナビスコが冠スポンサーであるため、大会名称はJリーグヤマザキナビスコカップ(略称・通称はナビスコカップ)となっている。

Jリーグ規約では「リーグ戦」(J1J2J3)に対して「リーグカップ戦」と表記され、ターミノロジー(用語集)において「ナビスコカップ」「ナビスコ杯」「Jリーグ杯」とは表記しないこととなっているが[1]、本項では便宜上、NHKなどで使用される「Jリーグカップ」の名称を用いる[注 1]

J1リーグ天皇杯全日本サッカー選手権大会と並ぶ日本国内3大タイトルの一つで、カップウィナーに対してJリーグカップ(チェアマン杯)とヤマザキナビスコカップがそれぞれ授与される。

歴史[編集]

1992年Jリーグのプレ開幕戦として第1回大会が開催された[注 2]。大会前にメインスポンサーが突然降板し、開催できるかどうか分からなくなったが、ヤマザキナビスコの飯島茂彰社長の決断で同社がスポンサーにつき、大会が無事にスタート。Jリーグカップは冠スポンサーとしてヤマザキナビスコを頂き、JSLカップのリーグ戦開幕直前の前哨戦という位置付けであった性格からも大きく変容してリーグ戦と並ぶもう一つのタイトルというポジションの確立を目指した。日程の関係で開催されなかった1995年を除いてJリーグと並行して開催されている。

第1回の1992年は次年度からのリーグ戦開幕に先駆けた「プレ開幕戦」と位置づけて、リーグ戦参加「オリジナル10」のみにより1回総当りで争われた。1993年、1994年、1997年、1998年シーズンは、全てのJリーグチームとJリーグに参加する意思を持つJリーグ準会員によってカップが争われた。1999年J2リーグが誕生すると、J1リーグとJ2リーグの全てのチームによってカップが争われることになった。同時に準決勝以下の試合をホーム・アンド・アウェーのノックアウト式トーナメントで実施するようになりこの形態は2001年シーズンまで続いた。この時期が欧州のリーグカップの形態に最も近づいた時期となった。2002年からはJ2リーグの試合数が増大したためJ1リーグの参加チームのみで争われることになった。この代わりにグループリーグを導入して試合数を確保するように努めた。

決勝戦は国立霞ヶ丘陸上競技場で行う1試合決着となっている(1994年ユニバー記念競技場で開催され、1997年はホーム・アンド・アウェー方式で2試合行われた)。2014年からは国立競技場が改修工事を行うため、2014年大会は埼玉スタジアム2002で行われる[2]

2010年5月に、1992年に実施された第1回大会以来の通算入場者数が1000万人を突破。また、同年10月には本大会の通算試合数が1,000試合に到達した。

20回目の開催となる2012年には「同一スポンサーによる最長のカップ戦」としてギネスに申請[3]、翌2013年に世界記録として認定された[4]。なお、優勝賞金の1億円は1つのスポーツ大会としては世界最高額としてギネスブックに公認されている。

2007年からは、優勝チームは翌夏に開催されるスルガ銀行チャンピオンシップへの出場権が与えられることになった。

開催方式[編集]

大会の開催方式は必ずしも毎年一定ではなく、オリンピックやワールドカップといった国際的スケジュールに大きく左右される要素が多い。ただし、J1が18チームになり、AFCチャンピオンズリーグ (ACL) が3月開幕となって開催時期が重複するようになった2005年大会からは以下のようなレギュレーションが定着している。

グループリーグ(予選)
J1所属全チームが参加。ただし、AFCチャンピオンズリーグに出場するチームはシードとし、グループリーグ出場を免除する。
残りのJ1チームを2グループ(2008年までは4グループ)に分け、各チーム6試合のリーグ戦を行う。
各グループの勝ち点の上位チーム(勝ち点が同じ場合は「得失点差」「総得点数」「反則ポイント」「抽選」の順で決定)とシードチームの合計8チームが決勝トーナメント進出。
決勝トーナメント準々決勝・準決勝
ホーム・アンド・アウェー2回戦制によるノックアウトトーナメント。
勝利数の多いチームが勝ちあがる。1勝1敗または2分の場合は「得失点差」「アウェーゴール(2006年から)」の順で決定し、なお同じ場合は15分ハーフの延長戦→PK戦で決着する(延長戦ではアウェーゴールは適用しない)。
決勝戦
11月3日文化の日)頃に国立霞ヶ丘競技場での一発勝負を行う。90分で同点の場合は15分ハーフの延長戦→PK戦で決着する。

準決勝までの試合が行われるのはリーグ期間中の水曜日、もしくは国際Aマッチキリンチャレンジカップなど)の為にリーグ戦が行われない週の週末が多く、主力選手が日本代表に選出されているか否かで通常のリーグ戦との戦力に差が生じることがある。

なお、2011年大会東日本大震災に伴うスケジュールの都合上、全試合でノックアウトトーナメントを採用しており、例年と異なったレギュレーションで開催された(当該項参照)。

決勝戦の演出[編集]

決勝戦は他のカップ戦では見られない独特の演出が行われている。

スターティングメンバー発表
両チームのスタジアムDJが来場し、それぞれホームゲームで行われている方式でメンバーを発表する(映像については、決勝進出に因んで一部アレンジを加えるチームもある)。スタジアムDJは、メンバー発表開始時に決勝戦のスタジアムDJによって氏名を紹介される[注 3]
コレオグラフィー
2000年代に入ってから、選手入場時に各チームサポーターによって行われることが多くなっている。初めて組織的にコレオグラフィーを行ったのは2003年の浦和レッズサポーターで、選手入場時とハーフタイム終了時に、鹿島アントラーズ側のゴール裏を除くスタンド全面を、浦和のチームカラーである赤・白・黒の3色で埋め尽くした。2012年は、20回目の開催を記念して、主催者主導により国立競技場のバックスタンド側全面を使用してのコレオグラフィーが行われた。

優勝特典[編集]

1992年はリーグ戦が日本リーグからJリーグへの移行期間(経過処置)であり開催されなかったため、本来はリーグ戦の優勝チームに与えられる1993-94アジアクラブ選手権大会の出場権が与えられた。

2003年2006年A3チャンピオンズカップの日本開催に当たったため、この前年の同大会優勝チームは開催国推薦枠として出場した(中国韓国で行う場合はリーグ戦の年間2位クラブが推薦枠の扱いであった)。

2007年以後の同大会優勝クラブは次年度のスルガ銀行チャンピオンシップの出場権を獲得し、コパ・スダメリカーナ南米サッカー連盟カップ戦)優勝クラブと対戦する。

結果[編集]

年度 優勝 結果 準優勝 観客数 決勝戦会場
1 1992年 ヴェルディ川崎 1 - 0 清水エスパルス 56,000 国立霞ヶ丘競技場東京
2 1993年 ヴェルディ川崎 2 - 1 清水エスパルス 53,677
3 1994年 ヴェルディ川崎 2 - 0 ジュビロ磐田 37,475 ユニバー記念競技場神戸
1995年 開催せず
4 1996年 清水エスパルス 3 - 3 aet
(PK 5 - 4)
ヴェルディ川崎 28,232 国立霞ヶ丘競技場東京
5 1997年 鹿島アントラーズ 2 - 1
5 - 1
ジュビロ磐田 10,437
14,444
ジュビロ磐田スタジアム磐田
カシマサッカースタジアム鹿嶋
6 1998年 ジュビロ磐田 4 - 0 ジェフ市原 41,718 国立霞ヶ丘競技場東京
7 1999年 柏レイソル 2 - 2 aet
(PK 5 - 4)
鹿島アントラーズ 35,238
8 2000年 鹿島アントラーズ 2 - 0 川崎フロンターレ 26,992
9 2001年 横浜F・マリノス 0 - 0 aet
(PK 3 - 1)
ジュビロ磐田 31,019
10 2002年 鹿島アントラーズ 1 - 0 浦和レッズ 56,064
11 2003年 浦和レッズ 4 - 0 鹿島アントラーズ 51,758
12 2004年 FC東京 0 - 0 aet
(PK 4 - 2)
浦和レッズ 53,236
13 2005年 ジェフ千葉 0 - 0 aet
(PK 5 - 4)
ガンバ大阪 45,039
14 2006年 ジェフ千葉 2 - 0 鹿島アントラーズ 44,704
15 2007年 ガンバ大阪 1 - 0 川崎フロンターレ 41,569
16 2008年 大分トリニータ 2 - 0 清水エスパルス 44,723
17 2009年 FC東京 2 - 0 川崎フロンターレ 44,308
18 2010年 ジュビロ磐田 5 - 3 aet サンフレッチェ広島 39,767
19 2011年 鹿島アントラーズ 1 - 0 aet 浦和レッズ 46,599
20 2012年 鹿島アントラーズ 2 - 1 aet 清水エスパルス 45,228
21 2013年 柏レイソル 1 - 0 浦和レッズ 46,675

統計・記録[編集]

クラブ別成績[編集]

クラブ名 優勝年度 準優勝年度
鹿島アントラーズ 5 3 1997,2000,2002,2011,2012 1999,2003,2006
東京ヴェルディ 3 1 1992,1993,1994 1996
ジュビロ磐田 2 3 1998,2010 1994,1997,2001
ジェフ千葉 2 1 2005,2006 1998
FC東京 2 0 2004,2009
柏レイソル 2 0 1999,2013
清水エスパルス 1 4 1996 1992,1993,2008,2012
浦和レッズ 1 4 2003 2002,2004,2011,2013
ガンバ大阪 1 1 2007 2005
横浜F・マリノス 1 0 2001
大分トリニータ 1 0 2008
川崎フロンターレ 0 3 2000,2007,2009
サンフレッチェ広島 0 1 2010

個人記録[編集]

大会通算最多得点は、中山雅史(磐田、札幌[注 4])の26得点[5]。 大会最多出場は、山田暢久(浦和)の106試合[6]

トピックス[編集]

優勝したチームはその後リーグ戦の成績が低迷しているという指摘がある[7]。2008年優勝の大分と2009年優勝のFC東京は優勝の翌シーズンにJ2に降格しているのをはじめとして、2004年から2010年の間に優勝したクラブは、いずれも優勝年以降にJ2に降格している。

賞金・表彰[編集]

チーム表彰[編集]

チームに対する表彰は、Jリーグ表彰規定[8]第5条に定めがある。下記は2012年大会の場合。

優勝 賞金1億円、Jリーグカップ、メダル、スポンサー杯(ヤマザキナビスコカップ)
準優勝 賞金5000万円、盾、メダル
3位(2チーム) 1チームに付き賞金2000万円、盾

最優秀選手賞[編集]

Jリーグ表彰規定において、個人賞については「リーグカップ戦における最優秀選手を選考し、賞金または賞品を授与する」との記述のみで具体的な定めはないが、基本的には優勝チームから決勝戦で最も印象に残る活躍をした選手が選ばれる。受賞者には記念トロフィー(オーナメント)と賞金100万円が贈られる。

2013年シーズン終了時点で複数回受賞者はビスマルク(2回)のみ。

年度 選手 所属クラブ ポジション 国籍
1 1992年 三浦知良 ヴェルディ川崎 FW 日本の旗 日本
2 1993年 ビスマルク ヴェルディ川崎 MF ブラジルの旗 ブラジル
3 1994年 ビスマルク ヴェルディ川崎 MF ブラジルの旗 ブラジル
4 1996年 サントス 清水エスパルス MF ブラジルの旗 ブラジル
5 1997年 ジョルジーニョ 鹿島アントラーズ MF ブラジルの旗 ブラジル
6 1998年 川口信男 ジュビロ磐田 FW 日本の旗 日本
7 1999年 渡辺毅 柏レイソル DF 日本の旗 日本
8 2000年 中田浩二 鹿島アントラーズ MF 日本の旗 日本
9 2001年 榎本達也 横浜F・マリノス GK 日本の旗 日本
10 2002年 小笠原満男 鹿島アントラーズ MF 日本の旗 日本
11 2003年 田中達也 浦和レッズ FW 日本の旗 日本
12 2004年 土肥洋一 FC東京 GK 日本の旗 日本
13 2005年 立石智紀 ジェフ千葉 GK 日本の旗 日本
14 2006年 水野晃樹 ジェフ千葉 MF 日本の旗 日本
15 2007年 安田理大 ガンバ大阪 DF 日本の旗 日本
16 2008年 高松大樹 大分トリニータ FW 日本の旗 日本
17 2009年 米本拓司 FC東京 MF 日本の旗 日本
18 2010年 前田遼一 ジュビロ磐田 FW 日本の旗 日本
19 2011年 大迫勇也 鹿島アントラーズ FW 日本の旗 日本
20 2012年 柴崎岳 鹿島アントラーズ MF 日本の旗 日本
21 2013年 工藤壮人 柏レイソル FW 日本の旗 日本

ニューヒーロー賞[編集]

1996年に創設された準決勝までの試合で最も活躍した23歳以下の選手に贈られる賞。リーグカップの新人王と位置づけられ、この賞の受賞者は後にA代表に選ばれるなど、日本サッカー界にとって欠かすことのできない選手に成長することが多いことから、若手選手の登竜門と一般に捉えられている。

条件は大会開幕日に満年齢23歳以下で、過去の同賞を獲得したことのない選手。予選から準決勝までの1試合ごとに報道関係者が1人1票投票を行う方式(2013年現在)であり、ベスト4以上のチームの選手が被投票機会も多く選出されやすい(2013年時点で唯一の例外は1996年受賞の名波浩)。決勝戦前日の前夜祭で表彰される。

受賞者には賞金50万円とクリスタルオーナメント、副賞としてヤマザキナビスコ製品1年分が贈呈される。

年度 選手 所属クラブ ポジション 国籍
4 1996年 名波浩 ジュビロ磐田 MF 日本の旗 日本
斉藤俊秀 清水エスパルス DF 日本の旗 日本
5 1997年 三浦淳宏 横浜フリューゲルス MF 日本の旗 日本
6 1998年 高原直泰 ジュビロ磐田 FW 日本の旗 日本
7 1999年 佐藤由紀彦 FC東京 MF 日本の旗 日本
8 2000年 鈴木隆行 鹿島アントラーズ FW 日本の旗 日本
9 2001年 曽ヶ端準 鹿島アントラーズ GK 日本の旗 日本
10 2002年 坪井慶介 浦和レッズ DF 日本の旗 日本
11 2003年 田中達也 浦和レッズ FW 日本の旗 日本
12 2004年 長谷部誠 浦和レッズ MF 日本の旗 日本
13 2005年 阿部勇樹 ジェフ千葉 MF 日本の旗 日本
14 2006年 谷口博之 川崎フロンターレ MF 日本の旗 日本
15 2007年 安田理大 ガンバ大阪 DF 日本の旗 日本
16 2008年 金崎夢生 大分トリニータ MF 日本の旗 日本
17 2009年 米本拓司 FC東京 MF 日本の旗 日本
18 2010年 高萩洋次郎 サンフレッチェ広島 MF 日本の旗 日本
19 2011年 原口元気 浦和レッズ FW 日本の旗 日本
20 2012年 石毛秀樹 清水エスパルス MF 日本の旗 日本
21 2013年 齋藤学 横浜F・マリノス FW 日本の旗 日本
  • 2013年現在、最優秀選手賞とのダブル受賞者は田中達也安田理大米本拓司の3名。
  • 2000年の鈴木隆行は同年のリーグカップ開幕当初、レンタル移籍で川崎フロンターレに在籍(川崎の選手としては同大会2試合出場無得点)。

試合中継[編集]

テレビ[編集]

2001年まではWOWOWが優先放映権を持ち、ノックアウトトーナメントのほぼ全試合を中継した。また、これとは別に決勝戦のみ地上波(1998年まではテレビ東京系列、1999年-2001年はTBS系列)で放送された。

2002年にレギュレーションの大幅な変更と共にフジテレビジョンが優先放映権を獲得。以降は予選リーグの一部、準々決勝・準決勝のそれぞれ全試合を自局系の衛星放送であるフジテレビワンツーネクストで生中継(一部の試合はFNS系列局による地上波ローカル中継あり。ワンツーネクストでもその映像を使用する。かつては独立局での地上波中継もあった。)、決勝は2010年大会までは地上波およびBSフジフジテレビONE(2010年の決勝はフジテレビTWO)の3波同時で生中継(地上波はFNS系列全国ネット。2010年大会まではフジテレビの番組で唯一の地上波・BS・CSによる3波同時放送)という体勢が続いていたが、2011年大会は地上波のみ生中継を行い、BSフジとフジテレビONEは録画中継での放送に変更された。また、フジテレビONEでは地上波の決勝戦生中継開始前に「まもなくナビスコカップ」として試合開始前の様子を、決勝戦終了後に「まだまだナビスコカップ」と題してセレモニーの様子、試合を終えた選手たちの表情、インタビューなどが放送された。準々決勝以降(2011年は2回戦以降)のワンツーネクストで生中継しない試合はスカチャンで生中継された。

2012年にフジテレビとの放映権契約を更新。予選リーグはワンツーネクストで毎節2試合程度生中継。また、スカパー!がサブライセンスを取得し、ワンツーネクストで生中継しない試合を予選リーグからスカチャンでの生中継を行う(その後フジテレビNEXTでの録画中継を行う)。また、準決勝までのワンツーネクストで生中継される試合は、ワンツーネクストと同内容でスカチャンでも生放送する。これによって初のワンツーネクスト、スカチャン、フジテレビ地上波を合わせての全試合生中継、およびワンツーネクストでの全試合中継を実施予定。

ラジオ[編集]

観客動員[編集]

Jリーグ開幕期を除いて2001年までは、Jリーグチャンピオンシップや天皇杯決勝と比較すると地味なイメージが拭えず、決勝戦の動員は大体2~4万人台で推移していた。しかし、2002年浦和レッズが初めて決勝進出を果たすと、リーグトップの観客動員を誇る同チームの初タイトルがかかった試合ということでチケットが即日完売し、スタンドは超満員の観客であふれかえることになった。以降浦和が3年連続で決勝戦に進出したことによって、決勝戦チケットのプレミア化とリーグカップに対する注目度が上昇することが常態化した。

2005年シーズンはジェフ千葉vsガンバ大阪のマッチアップで浦和が決勝に進まなかったものの、ここでもチケットはほぼ完売し2002年以前の決勝戦とはサポーターの間での捉えられ方が異なることを印象付けた。最近では2006年から7年連続で決勝戦のチケットが完売しており、2010年シーズンの決勝戦を除いて4万人を下回っていない[注 5]

逆に決勝以外は平日開催がほとんどのため、J1リーグ戦と比べて観客動員が伸び悩んでいる。

関連項目[編集]

  • ティファニー - 優勝杯のデザイン制作を手掛けている
  • m-flo - メンバーのTakuによって作曲されたアンセムが2007年大会の決勝戦から使用されている[9]

脚注[編集]

  1. ^ NHKでは冠スポンサーのある大会やイベント等でもスポンサー名を抜いた名称で放送を行う。
  2. ^ これ以前のJSL時代のリーグカップとしては、1・2部の全チーム出場のJSLカップと、1990年から2年間だけ行われた1部リーグのみによるコニカカップがあった。
  3. ^ なお、この演出は「決勝戦が中立地での一発勝負」という点で共通するJ1昇格プレーオフでも導入されている。
  4. ^ 札幌在籍時(うちJ1所属は2012年のみ)のJリーグカップ出場はなし。
  5. ^ 2010年シーズン決勝の観客動員は39,767人。

出典[編集]

  1. ^ Jリーグについて - ターミノロジー - Jリーグ公式サイト
  2. ^ “【2014Jリーグヤマザキナビスコカップ】決勝 開催日および会場決定のお知らせ” (プレスリリース), Jリーグ, (2014年3月18日), http://www.j-league.or.jp/release/000/00005705.html 2014年3月19日閲覧。 
  3. ^ 20回目のファイナルを彩った若者たち - SportsNavi
  4. ^ 【Jリーグヤマザキナビスコカップ】「Longest sponsorship of a professional football competition」としてギネス世界記録に認定 - Jリーグ公式サイト
  5. ^ ヤマザキナビスコカップ 通算得点ランキング”. 2012年11月4日閲覧。
  6. ^ ヤマザキナビスコカップ 出場試合数ランキング”. 2012年11月4日閲覧。
  7. ^ zakzak浦和レッズ“ジンクス”に戦々恐々…ナビスコ杯Vは降格への序章?” (2011年10月17日). 2012年1月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年11月10日閲覧。
  8. ^ Jリーグ表彰規定 (PDF)
  9. ^ ヤマザキナビスコカップ アンセム”. 2010年12月3日閲覧。

外部リンク[編集]