大宮アルディージャ
| 大宮アルディージャ | |
|---|---|
| 原語表記 | 大宮アルディージャ |
| 愛称 | アルディージャ、リス |
| クラブカラー | オレンジ[1] |
| 創設年 | 1969年 |
| 所属リーグ | 日本プロサッカーリーグ |
| 所属ディビジョン | Jリーグ ディビジョン1 |
| ホームタウン | 埼玉県さいたま市[1] |
| ホームスタジアム |
NACK5スタジアム大宮[1] 熊谷スポーツ文化公園陸上競技場 |
| 収容人数 | 15,500人 (NACK5) 15,392人 (熊谷) |
| 運営法人 | エヌ・ティ・ティ・スポーツコミュニティ株式会社[1] |
| 代表者 | 鈴木茂[1] |
| 監督 | |
| 公式サイト | 公式サイト |
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大宮アルディージャ(おおみやアルディージャ、Omiya Ardija)は、日本の埼玉県さいたま市にホームを置く、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブである。
目次 |
[編集] 概要
| 種類 | 株式会社 |
|---|---|
| 略称 | 大宮アルディージャ |
| 本社所在地 | 〒330-0803[1] 埼玉県さいたま市大宮区高畠町1-20-1[1] |
| 設立 | 1998年12月4日 |
| 業種 | サービス業 |
| 事業内容 | サッカークラブの運営 |
| 代表者 | 鈴木茂[1] |
| 資本金 | 1億円 |
| 売上高 | 30億0,800万円 (2011年1月期) |
| 営業利益 | 1,800万円 (2011年1月期) |
| 純利益 | ▲100万円 (2011年1月期) |
| 純資産 | 1,000万円 (2011年1月期) |
| 総資産 | 4億4,100万円 (2011年1月期) |
| 決算期 | 1月期 |
| 主要株主 | 東日本電信電話 NTTグループ関連企業18社 |
| 外部リンク | http://www.ardija.co.jp/ |
| 特記事項:登記上の商号「エヌ・ティ・ティ・スポーツコミュニティ株式会社」。大宮アルディージャの愛称制定は企業チーム「NTT関東サッカー部」時代の1998年3月 | |
1969年創部の電電関東サッカー部が前身となり[1]、1999年にJリーグへ加盟した[1]。ホームタウンは埼玉県さいたま市[1](さいたま市の合併前は大宮市)。
ホームスタジアムはNACK5スタジアム大宮であり[1]、熊谷スポーツ文化公園陸上競技場でも開催される(詳細は#ホームスタジアムを参照)。練習場は主に志木市にあるNTT東日本総合グラウンドを使用するが[1]、さいたま市西区にある「秋葉の森総合公園サッカー場」も併用している。現在、クラブハウスを併設した新練習場の整備計画を進めている。運営会社はエヌ・ティ・ティ・スポーツコミュニティ(NTTスポーツコミュニティ)株式会社である[1]。
クラブ名の「アルディージャ(Ardija)」は、スペイン語でリスを意味する「Ardilla」[1]を日本人が読みやすいように変更した造語(Ll参照)である。リスは、旧大宮市が1990年の市制施行50周年記念の際に定めたマスコットであり[1]、市内在住の絵本作家あすかけんの代表作「こりすのトト」シリーズの主人公「こりすのトトちゃん」が起用されたものである(さいたま市北区にある市民の森には「リスの家」というリス飼育園もある)。大宮駅東口には「こりすのトトちゃん」の銅像がある。
チーム発足当初から埼玉県内を活動拠点としており、Jリーグ発足時に埼玉県に進出した浦和レッドダイヤモンズよりも埼玉での活動の歴史は長い。観客動員力などで優位に立つ浦和に対して、大宮主催の「さいたまダービー」でも浦和サポーターに観客席の大半を埋められてしまうが、チームの強化と共にさいたま市外の県内各地にもファンを増やすべく努力を続けている。
ホームゲームでのチームスポンサーの広告板は、2005年のJ1昇格にあわせて電動式回転板が採用されていたが、2008年から電光看板「アビックス」に変更された。なお、Jリーグ ディビジョン2(J2)在籍時の大宮サッカー場でのホームゲームでは、チームスポンサーの広告板はゴール裏しか設置しなかった(バックスタンドには大会タイトルの看板、及びJリーグサプライヤー企業=朝日新聞社などの広告数枚が設置されたのみだった)。
[編集] 歴史
[編集] 前史
詳細は「NTT関東サッカー部」を参照
1969年に結成された電電関東サッカー部が前身であり[1]、1976年から埼玉県社会人サッカーリーグで3連覇、1987年には日本サッカーリーグ2部へ昇格した[1]。1992年からジャパンフットボールリーグへ参加[1]。
1998年、旧大宮市をホームタウンとして、アマチュアチームのままチーム名を「大宮アルディージャ」へ改称[1]。1998年12月、東日本電信電話[2]が中心となりNTTドコモ、NTTデータ、NTTファシリティーズ、NTTコムウェア、日本コムシスなどのNTTグループ関連企業18社が出資して運営会社となる「NTTスポーツコミュニティー株式会社」が設立され、プロクラブ化した。
[編集] 1999年 - 2004年(J2)
アマチュアからプロへの変化を導いたのは、旧JFL最終年の1998年途中から監督に就任したクラブ史上初の外国人監督、オランダ人のピム・ファーベークだった。 オランダ流のトータルフットボールを唱えながら、堅い守備陣と強力な外国人FWで勝ち抜こうとするスタイルによって、成績が上昇。 しかし、序盤好調で首位争いをしていた1999年、その牽引役だったFWヨルンが深夜の飲食店で暴漢に襲われ左眼失明の重傷を負い、引退を余儀なくされるという事件が起き、チームの勢いは以後尻すぼみとなってしまった。
2000年にはコーチから監督に就任した三浦俊也が現在に至るまで大宮の特色となっている4-4-2のシステムを構築。また、Jリーグ ディビジョン2(J2)へ降格した浦和との「ダービー」では1勝3敗ながら浦和から公式戦初勝利を挙げた。
2001年には昇格請負人として加入したパナマ代表FWのバルデスが大活躍し、前半戦を17勝3分2敗の首位で終えた。 しかし、得点源であったFWジョルジーニョが大分戦でシーズンを棒に振る重傷を負い、更に追い打ちをかけるようにバルデスが代表の試合で重傷を負った(登録抹消)。 そのためエースFW二人を一度に失った後半戦は、緊急加入したバレーの活躍も及ばずに9勝3分10敗と負け越して最終順位は5位でJ1昇格を逃した。なお、この年限りで三浦は監督を辞任した。
2004年、3シーズンぶりに大宮で指揮を執った三浦は自分が作ったシステムを再び徹底させ、守備を重視した手堅いサッカーを志向した。 夏場まではJ1昇格争いの一角に位置し、9月に川崎の昇格決定を阻止してから勢いを付けた大宮は、バレーや森田浩史らの活躍で11連勝を飾り、11月20日に水戸を3-1で破り、J1自動昇格条件の2位以上を確定。シーズン2位の成績で2005年からのJ1昇格を決めた。
[編集] 2005年 - (J1)
[編集] 2005年
- クラブスローガン :「「Departure」→走り出す大宮→」
元ブラジル代表のFWクリスティアンや、地元大宮出身のFW桜井直人、元日本代表MF藤本主税などを補強し、前半戦は強豪とほぼ互角の試合を演じた。 さらにナビスコ杯ではJ1・1年目にしてベスト8に進出こした。 しかし、リーグ戦で15試合6得点を上げていたクリスティアンが突如ブラジルへと帰国し、サンパウロFCに移籍した。前線の核を欠いたチームは攻撃の形を失い、また桜井をはじめ故障者が続出したこともあり7連敗。一時は16位まで順位を下げたが、第29節から新戦力のレアンドロ、若林学らの活躍もあり4連勝と持ち直し、第32節に15位以上が確定、J1残留を決めた。 残留争いに加わった一方で、このシーズンに優勝したG大阪に2戦2勝だったほか、浦和とのホームのさいたまダービーに勝利するなど、上位に強い一面を見せた。 また、天皇杯ではベスト4へ進出した。
[編集] 2006年
- クラブスローガン :「OMIYA EXPRESS 加速するオレンジ魂」
柏からDF土屋征夫、波戸康広、東京VからMF小林慶行、小林大悟、神戸から佐伯直哉を獲得し、またFWには吉原宏太(G大阪)、サウル・マルティネス(前・上海申花・ホンジュラス代表)、GK江角浩司(前・大分)など各ポジションに選手を補強、シーズン途中に元磐田のFWロドリーゴ・グラウを獲得した。 しかし、マルティネスは不振のため4月末で解雇され、グラウはレンタル移籍であったが本人の希望により契約延長せず、わずか3ヶ月で退団した。 シーズン終盤にブラジル人FWのアリソンを補強したが、チーム浮上のきっかけとはならず、12位でシーズンを終えた。 シーズン終了後、守備の要で大宮のJ1昇格・勝利に大きく貢献したトニーニョが退団し帰国。 また、同じくJ1昇格に大きく貢献した久永辰徳はレンタル終了に伴い福岡へ復帰、土屋は東京Vへ完全移籍した。また、三浦が監督を退任した。
[編集] 2007年
- クラブスローガン :「シンカ ~進化、真価、深化」
元監督ピム・ファーベークの弟であるロバート・ファーベークが監督に就任。しかしリーグ前半戦、3勝7分8敗の16位(入れ替え戦圏内)と低迷。ロバートは解任され、強化育成部長の佐久間悟が新監督に就任。 その後もチームの調子は急浮上と行かなかったものの、15位でJ1残留となった。
[編集] 2008年
- クラブスローガン :「シンカ NEXT~進化、真価、深化」
三浦の退任時からオファーを出していた山形元監督の樋口靖洋が監督に就任。 樋口は攻撃的なサッカーを志向し、シーズン前半はそれが奏功したが、後半は無得点記録と6連敗を記録するなど息切れして12勝7分け15敗の12位に終わり、1年で退任となった。
[編集] 2009年
- クラブスローガン :「橙想心 AGGRESSIVE SHIFT 2009」
監督に東京Vや札幌で指揮を執っていた張外龍が就任。 GK荒谷弘樹(札幌へ)、MF佐伯直哉(千葉へ)、MF小林大悟(ノルウェー1部・スターベクIFへレンタル)、FW吉原宏太(水戸へ)が移籍した一方、札幌にレンタル移籍していたGK高木貴弘が復帰。 湘南からFW石原直樹、鳥栖からFW藤田祥史、Kリーグからは水原のDFマト、浦項のMF朴原載が移籍。 またレンタル移籍だったMF内田智也が完全移籍となった。 開幕当初から主将のMF小林慶行などケガ人が続出したうえ、その小林慶が張の構想から外れて柏へレンタル移籍するなど苦戦が続き、またもやシーズン終盤で辛くもJ1残留を果たすに留まった。 そんな中、“アルディージャの誓い”の中に目標として掲げていた「2009年までに年間観客動員300,000人!」をリーグ戦ホーム最終戦(J1残留を決めた柏戦)で達成した(後に水増しであったことが発覚)。
[編集] 2010年
- クラブスローガン :「橙想心 より強く、より高く、より深く」
張が監督を続投。主力選手だったDF波戸康広が横浜FMへ、DF冨田大介が神戸へ、MF片岡洋介は京都へ移籍したが、新潟の正GKだった北野貴之、大分からDF深谷友基、甲府からDF杉山新らを獲得した。 また、開幕直前にはDF塚本泰史が右大腿骨の骨肉腫を患っていたことが明らかになった。 3月7日のC大阪戦に3-0で勝利し、第1節終了時ではあるが、チームとして初のJ1単独首位に立ったが、その後は故障者が続出し低迷。 第8節終了時で1勝2分5敗となり、張が監督を辞任。後任に昨年まで新潟で指揮を執っていた鈴木淳が監督に就任すると、チーム状態は上向き、結果的にホーム最終戦の第33節でJ1残留を決めた。
10月2日に埼玉スタジアムで行われた浦和戦で観客数水増しが発覚、発覚当初、クラブ側は全面否定したものの、翌日にリーグ事務局の本格調査が入ると一転して4000人以上の水増しを認め、10月19日に渡邉誠吾は代表取締役を辞任した[3]。2007年11月以降に主管した58試合で観客数を水増しし、その合計は111,737人に及んだ。11月16日、社団法人日本プロサッカーリーグより制裁金2000万円および始末書の提出が課せられることが発表された。
[編集] 2011年
- クラブスローガン :「上昇宣言 ~リスの木登り~」
鈴木が監督を続投。マトと李浩が退団。安英学が柏へ、藤田祥史が横浜FCへ、内田智也が甲府へ完全移籍。市川雅彦が東京Vへレンタル移籍。レンタル移籍で加入していた多田大介は鳥取へ移籍した。土岐田洸平(大分)、新井涼平(岐阜)のレンタル移籍期間も延長された。
一方補強として、京都から片岡洋介が復帰。同じく京都から渡邉大剛、FC東京から金英權、大分から東慶悟、磐田から上田康太が完全移籍で加入し、レンタル移籍だった坪内秀介は完全移籍となり、清水慎太郎が新加入した。8月にはCRヴァスコ・ダ・ガマから、7月までC大阪に所属していたホドリゴ・ピンパォンをレンタル移籍で獲得した。
リーグ戦は連勝も連敗(3連敗が1度だけ)もないという星取りで、ホームゲームで勝てない(8月27日の第24節・磐田戦でようやく1勝目。12月3日の第34節・甲府戦で2勝目)という状況だったが、11月19日の第32節・鹿島戦前にJ1残留が確定。最終的には10勝12分け12敗・勝ち点42の13位という結果だった。カップ戦はヤマザキナビスコカップ[4]が初戦敗退。天皇杯は初戦で福岡大学に敗退した。
また、2011年シーズンは埼玉スタジアムでのホームゲームを開催しなかった。
[編集] 2012年
- クラブスローガン :「上昇宣言2012 ~リスの木登り~」
鈴木監督体制3年目、7年間在籍していた藤本主税が熊本に、石原直樹が広島に、杉山新が横浜FCに、2年間岐阜にレンタル移籍していた新井涼平が北九州に完全移籍、木原正和が福岡へ、宮崎泰右が湘南にレンタル移籍、ホドリゴ・ピンパォン、李天秀、2010年2月に右大腿骨骨肉腫を患い、人工関節への置換手術を受け復帰を目指していた塚本泰史[5]が退団(その後アンバサダーに就任)、富山にレンタル移籍していた福田俊介、大分にレンタル移籍していた土岐田洸平はレンタル移籍期間延長となったが、川崎から菊地光将を、山形から長谷川悠を、G大阪から下平匠を完全移籍で獲得、市川雅彦がレンタル移籍から復帰した。また、新外国人選手としてサンパウロFCからカルリーニョスを期限付き移籍で獲得した。
[編集] 成績
詳細は「大宮アルディージャの年度別成績一覧」を参照
[編集] ダービーマッチ
[編集] さいたまダービー
浦和レッドダイヤモンズとの対戦。
詳細は「さいたまダービー」を参照
[編集] その他のダービー
- 野田線ダービー
- 大宮アルディージャ vs 柏レイソル (2005年、2007年-2009年、2011年-現在)
[編集] 各種記録
| 項目 | 記録 | 時期 | 対戦相手、結果および試合会場 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 最多連勝 | 13連勝 | 2004年J2第32~44節 | ||
| 最長無敗期間 | 17試合 | 2001年J2第8~24節 (うち引分3試合) | ||
| 最多連敗 | 7連敗 | 2005年J1第22~28節 | ||
| 最長未勝利期間 | 10試合 | 2003年J2第8~17節 (うち引分4試合) | ||
| 最多得点試合 | 5得点 | 1999年J2第3節 | 大分トリニータ 5-0 (大宮公園サッカー場) | |
| 最多失点試合 | 6失点 | 2000年J2第14節 | 浦和レッズ 0-6 (大宮公園サッカー場) | |
| 2003年J2第21節 | コンサドーレ札幌 2-6 (札幌ドーム) | |||
| 最多入場者数 | 29,575人 | 2010年J1第25節 | 浦和レッズ (埼玉スタジアム2002) | |
| 42,346人 | 2009年J1第29節 | 川崎フロンターレ (埼玉スタジアム2002) | 参考 | |
| 最多入場者数 | 5,627人 | 2011年J1第18節 | ヴィッセル神戸 (NACK5スタジアム大宮) | |
| 844人 | 2000年J2第35節 | モンテディオ山形 (大宮公園サッカー場) | 参考 |
- 入場者数の上段は水増しが発覚した2010年J1第25節以降の数値。なお、下段(灰色、小文字)は2010年J1第24節以前(水増し発覚以前)の参考数値。
[編集] ホームスタジアム
NACK5スタジアム大宮(2007年5月14日、埼玉県の民放FM局エフエムナックファイブが命名権を取得して「さいたま市大宮公園サッカー場」から改称)は、2005年よりキャパシティの増強などJリーグ ディビジョン1(J1)規格への改修工事を行っていたため、2005年・2007年シーズンの一部及び2006年シーズン中は埼玉スタジアム2002、さいたま市浦和駒場スタジアム、熊谷スポーツ文化公園陸上競技場でもホームゲームを開催した。2005年のリーグ戦では大宮で5試合、埼玉で7試合(準本拠)、駒場で2試合、熊谷で3試合と比較的均等に分配されたが、2006年-2007年10月までは大宮公園サッカー場を完全閉鎖して改修工事を行ったため、駒場で大部分の試合を、埼玉、熊谷で数試合を開催した(埼玉ではさいたまダービーなど集客が見込める試合に絞って開催)。2007年の大宮での試合は改修工事が11月終了であったため、2試合のみの開催であった。2008年から大宮をメインスタジアムとして使用しており、駒場でのホームゲームはない。
- 1999年-2004年=J2 大宮公園サッカー場 (2003年3月31日まで埼玉県営、4月1日よりさいたま市営 収容人員12500人)
- 2005年=J1 登録上の本拠地はさいたま市大宮公園サッカー場だが、キャパシティや改修工事の問題もあり、埼玉スタジアム2002(収容人員63000人)を事実上の準メイン扱いとした
- 2006年-2007年=J1 大宮の改修に伴い、さいたま市浦和駒場スタジアム(収容人員21500人)を暫定メインとする。[6]2007年11月よりNACK5スタジアム大宮 (大宮公園サッカー場改め 15500人収容) 使用再開
- 2008年-=J1 NACK5スタジアム大宮[1] (収容人員15500人)
- ※その他、熊谷スポーツ文化公園陸上競技場も年数試合、準本拠地として使用している。また2004年までは年1-2試合程度を川越運動公園陸上競技場や鴻巣市立陸上競技場でも開催していたが、川越・鴻巣はJリーグ基準を満たしていないため現在のJリーグ(トップチーム)の試合では使わない。
[編集] ユニフォーム
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[編集] チームカラー
- オレンジ[1]
[編集] ユニフォームスポンサー
| 掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 | 掲出年 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 胸 | エヌ・ティ・ティ・ドコモ | NTT docomo | 2008年途中 - | 2000年〜2004年は背中、 2007年はパンツ 2012年は「20th」マークが左に |
| 背中 | 東日本電信電話 | FLET'S光 | 2007年 - | 2000年〜2006年は胸 |
| 袖 | 富士薬品 | 富士薬品 | 2005年 - | |
| パンツ | 武蔵野銀行 | 武蔵野銀行 | 2012年 - |
[編集] ユニフォームサプライの遍歴
- 1999年~2006年 ミズノ
- 2007年~2008年 Lotto
- 2009年~現在 Under Armour
[編集] 歴代ユニフォームスポンサー年表
| 年度 | 胸 | 袖 | 背中 | パンツ | サプライヤー |
| 1998 | NTT | - | - | - | Mizuno |
| 1999 | NTT→NTT東日本[7] | ||||
| 2000 | NTT東日本 | Coca-Cola | NTT DoCoMo |
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| 2001 | Club IT | ||||
| 2002 | - | NTT オートリース |
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| 2003 | |||||
| 2004 | FLET'S | - | |||
| 2005 | 富士薬品 | FOMA NTT DoCoMo | アイダ設計 | ||
| 2006 | - | ||||
| 2007 | DCMX NTT DoCoMo | FLET'S 光 | NTT DoCoMo | lotto | |
| 2008 | DCMX→ NTT docomo |
NTT Communications | |||
| 2009 | NTT docomo | ひかりTV | Under Armour | ||
| 2010 | |||||
| 2011 | - | ||||
| 2012 | 武蔵野銀行 |
[編集] スポンサー
スポンサーについては、パートナーを参照
[編集] マスコット
チーム名の通り、リス(シマリス?)をモチーフにしている。男の子のアルディが先に存在しており、女の子のミーヤはクラブ設立10周年記念として2008年に登場し、2009年に公式マスコットとして認定された。両名とも2012年より「ゆる玉応援団」メンバー。
アルディとミーヤは仲良しのカップルであり、公式プロフィールにもアルディの欄には「好きな女性のタイプ:ミーヤ」、ミーヤの欄には「将来の夢:アルディとNACK5スタジアム大宮で結婚式をあげること」と書かれている。[1]また、公式サイトの「アルディとミーヤの日記」では必ずパートナーを褒める「おのろけ」コメントが入っていたり、ホーム試合では2匹揃って登場し、手をつなぐ、抱擁する、キスをするなど、夫婦や男女ペアのマスコットの多いJリーグマスコットの中でも際だったバカップルぶりを披露している。一方でミーヤは彼氏のアルディがいるにもかかわらず、埼玉県のマスコット・コバトン[2]、さいたま市のマスコット・つなが竜ヌゥ[3]や熊谷市のマスコット・ニャオざね[4]にキスをしてしまい、さらには同市内のライバル浦和のマスコット・レディア[5]とも親密になるなど、やや奔放なところがある。
[編集] エピソード
- 2005年のJ1昇格後、毎年のように残留争いに巻き込まれながらシーズン終盤の驚異的な粘りで残留を決めてきた勝負強さ(残留力)から、2009年1月6日、クラブショップで「落ちない!お守り」を発売したところ、受験生などの間で話題となり5日で完売した。お守りの中身は結局使われなかった前年のJ1・J2入れ替え戦のチケット。
- 前社長の渡邉誠吾が何らかの節目の試合で挨拶にたって挨拶したあとにサポーターのチャントを歌っていた。これを行った試合は負けないという不敗神話が存在した。
- 2011年5月7日、大宮アルディージャ対アルビレックス新潟の試合において、アルディージャはJリーグ初のファール無しで試合を終えた。なお、試合はスコアレスドローであった。
[編集] 関連項目
- アルディージャと同じく、NTTグループ内のサッカー部を母体とするクラブ
- ロアッソ熊本 (日本電信電話公社熊本サッカー部→NTT西日本熊本FC→アルエット熊本を母体チームとして発足。)
- ベンターナAC (←NTT西日本四国サッカー部)
[編集] 脚注
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa クラブガイド:大宮アルディージャ Jリーグ公式サイト
- ^ 法人設立当時は持ち株会社移行前の為、日本電信電話株式会社(NTT)本体が株主だったが、1999年7月の持ち株会社移行後は、その傘下の地域会社・NTT東日本が親会社となった
- ^ “「ホームゲーム開催時の入場者数に関する調査結果等のご報告」記者会見レポート” (日本語). 大宮アルディージャ公式ホームページ. (2010年10月19日) 2011年6月18日閲覧。
- ^ 同年は東日本大震災による日程調整のためトーナメント戦(1・2回戦はホームアンドアウェー方式、準々決勝以降は一発勝負)に。
- ^ 塚本のリハビリのサポートについては継続して行う。
- ^ ただしJリーグ書籍シリーズ(イヤーブック・ファンズガイド)などでは引き続き大宮を本拠地として掲載していた
- ^ 1999年7月1日付を持って持ち株会社移行。それに伴い7月以後の試合はNTTのロゴをNTT東日本に変更している
[編集] 外部リンク
- 大宮アルディージャ公式サイト
- 大宮アルディージャ 公式 (Ardija_Official) - Twitter
- アルディ (Ardija_Ardy) - Twitter
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