岡山一成

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岡山一成
名前
愛称 オカ
カタカナ オカヤマ カズナリ
ラテン文字 OKAYAMA Kazunari
基本情報
国籍 日本
生年月日 1978年4月24日(31歳)
出身地 大阪府堺市南区赤坂台
身長 187cm
体重 76kg
血液型 O型
選手情報
在籍チーム 浦項スティーラース
ポジション DFFW
Template(ノート 解説)サッカー選手pj

岡山 一成(おかやま かずなり、1978年4月24日 - )は、日本プロサッカー選手で、ポジションはディフェンダーフォワードKリーグ浦項スティーラース所属。在日韓国人で元は韓国籍だったが1997年日本に帰化。韓国名は庚一成。大阪府堺市南区赤坂台出身。堺市立赤坂台中学校私立初芝橋本高等学校卒業。

目次

[編集] 来歴

1996年テレビ東京系の番組『ASAYAN』内の企画「Jリーガーオーディション」に参加していたが、同時期に進められていた横浜マリノス(当時)と練習生契約がまとまったため、オーディション参加を途中で取りやめての入団となった。

マリノスにはフォワードとして入団し、翌1997年にはデビュー戦から3試合連続ゴールを記録したが出場機会に恵まれず、1999年後半は当時J2の大宮アルディージャレンタル移籍した。

2000年に横浜F・マリノスに復帰し、ディフェンダーにコンバートされるが出場機会はほとんどなく、そのため2001年にはセレッソ大阪へ移籍。しかしここでも水が合わず、シーズン終了とともに戦力外通告を受ける。

2002年川崎フロンターレへ入団すると出場機会も増え、2004年のクラブJ1昇格に貢献。川崎では「岡山劇場」と呼ばれる試合後のマイク(メガホン)パフォーマンスによりサポーターからの人気も集めた。2005年には当時J2のアビスパ福岡へレンタル移籍。フォワードとしても活躍し、J1昇格を果たした。しかし、川崎時代や後の柏時代と打って変わって、ファールが多く、また熱狂的で過激なサポーターが多い福岡サポーターと揉め事を起こすなど、彼に見合った活躍ができたとはいえなかった。

2006年は「石さんをJ1に昇格させたい」という思いから、川崎時代の指揮官である石崎信弘監督が就任したJ2柏レイソルにレンタル移籍。開幕前、監督にFWでのプレーを直訴するが却下される。しかしJ2公式戦10得点と自身も大活躍し、3シーズン連続でJ1昇格に貢献する。日本で最もピッチと観客席が近い日立柏サッカー場において、「岡山劇場」は柏でも名物となった。サポーターからはゲートフラッグに書かれたセリフがきっかけで「オカヤマ、柏に、家買っちゃえ!!」と毎試合コールされるようになる。これらの甲斐あって、Jリーグ情報サイト・J's GoalのJ2ベストパフォーマー賞を受賞した。

2007年、柏に完全移籍。「昨年は石崎監督をJ1に上げたいという気持ちでレイソルにやってきたが、サポータにものすごく助けてもらい、これからもレイソルでプレーしたいという気持ちになった」と語り、また川崎サポーターに対しては移籍する際の心情等を語ったメッセージが川崎の公式サイトに掲載された。[1]

しかし同学年の大物センターバック・古賀正紘の加入などがあって出場機会に恵まれず、2007年8月ベガルタ仙台へ期限付き移籍。当時チーム状況があまり良くなかった仙台だが、岡山の加入会見での「この時期に苦しむのは当たり前」「秋にお祝いするために今苦しい思いをしましょ」というコメントで初日からサポーターの心を掴む。岡山投入直後には、あまり良くなかったチーム状況がすこぶる良くなるようになり、白星を量産するまでにいたるようになった。

仙台においても「岡山劇場」は健在で、8月30日の対京都戦ではヒーローインタビューの際にアナウンサーからマイクを奪い取ってマイクパフォーマンスを行ったほか、さらに全ての選手と全てのサポーターを巻き込んでのシャンゼリゼ合唱やロペスダンスや梁勇基コールをするなど、派手なパフォーマンスを披露している。

仙台のJ1昇格が消滅したことで、惜しくも4度目の昇格請負にはならなかったものの、守備や攻撃に長けている積極的なプレーと、選手同士との綿密なコミュニケーションを積極的にとる、さらにド派手なファンサービスを行うなどにより、出場回数が少ないながらも仙台にとってなくてはならない選手の一人になっている。12月20日にベガルタ仙台への完全移籍が発表された。また、柏サポーターと仙台サポーター双方へのメッセージがレイソルとベガルタの公式サイトにそれぞれ掲載された。[2][3]

2008年、仙台に完全移籍。センターバックとして"守備の要"的役割を果たすが、後半になるにつれて出場機会が激減、入れ替え戦を前に戦力外通告を受け、シーズン終了とともに仙台を退団。その後トライアウトにも参加したが、移籍先が見つかるには至らなかった。

2009年、所属は未定のままであるが引退はせず、自身がオーナーであるブラジル料理店で働きながらJリーガー復帰を狙っていた。 韓国Kリーグ浦項スティーラースに練習生として練習参加していることが本人のブログ[4]で明かされていたが、同年7月14日、浦項スティーラースと契約した。

[編集] 岡山劇場

試合に勝利したとき、試合後に岡山主導による派手なパフォーマンスを行う。これが通称「岡山劇場」である。始まりは、川崎フロンターレ時代の2003年である。試合後に、サポーターから差し出された牛乳ケースを岡山が足場にしてマイクパフォーマンスをしたのが発端である。

最初は控えめにパフォーマンスをしていたが、回を追うごとに徐々に派手になっていき、ついにはサポーターが持っている太鼓を奪って自分のコールを強要したり、ある試合で立役者になった選手を強引にお立ち台に立たせてパフォーマンスをさせたりするようになり、極めつきはアントニオ猪木よろしく、ヒーローインタビューでマイクを奪って絶叫した挙句に「イチ、ニー、サン、ダー!!」とコールするまでになった。こうして、岡山はサッカー選手の域を超越したキャラクターに成長した。

その後、柏レイソルやベガルタ仙台でも観客席からゲートフラッグを借りて自分で掲げたり、自分のコールを大合唱したりした。こうしたパフォーマンスを行うことにより、サポーターの心をがっちりと鷲づかみし、選手とサポーターが相思相愛の関係のように一体になることができるだけでなく、選手との連帯感を強めることができる。

[編集] アラカルト

  • 2004年の川崎フロンターレ、2005年のアビスパ福岡、2006年の柏レイソルと3年連続でJ1昇格に関わっていることから、「昇格請負人」と呼ばれる。2007年はベガルタ仙台のJ1昇格へ期待がかかっていたが、同年は惜しくも4度目の昇格請負人には至らなかった。
  • 在日韓国人三世で、元々は韓国籍だったが「日本代表のチャンスがあった時に後悔したくない」と日本に帰化している。韓国籍時代の名前は「庚一成」(カン・イルソン)。
  • プロ入団当初は183cmだった身長が、現在までに187cmにまで伸びたという(『Jリーグナイト!』より)。
  • かつて横浜F・マリノスでチームメイトであった安永聡太郎間寛平に顔がよく似ている。
  • 2007年8月30日に行われたマイクパフォーマンスでは、「11000人しか来てくれなかったのは寂しいなぁ。このスタジアム(ユアテックスタジアム仙台)は19694人入れるらしいですよ。次回の鳥栖戦、満員にしてくれるかな!!」という旨の発言をしている。その直後、「J2であれだけ入っているのはすごいことなんですが、満員のユアスタで試合をしたかったために、あえてそんなことを言っちゃいました。満員大作戦お願いします」という旨の発言を、公式携帯サイトで動画として公開している。
    • この時のマイクパフォーマンスがきっかけとなって、サポーター有志が主導となって、サポーター、ボランティア、市民後援会、クラブ、選手をも巻き込んだ、ユアテックスタジアム仙台で行われる残り4つの試合を満席である19694人で埋め尽くすプロジェクト「ユアスタ・ラストスパート・プロジェクト」が画策されることになった。岡山自身も、10月14日のビラ配りイベントの際に赤い自転車で颯爽と登場し、市民にユアスタに来てくれるように呼びかけたりするなど、またしても派手なパフォーマンスを行った。
    • 岡山は同様のマイクパフォーマンスを、柏レイソルに在籍していた2006年5月27日コンサドーレ札幌戦でも行っており、この時は「ヴェルディ(次のホームでの対戦相手)は因縁の試合なんでしょ?1万人いかなかったら恥ずかしいんちゃいます?友達誘って1万2千人にしましょう!そしたら絶対勝ちます!」であった。ちなみにその東京ヴェルディ戦の観客動員は1万2千人に届かなかったものの、岡山の2得点などで4-1で勝利した。そしてこの試合後のマイクパフォーマンスでは「1万まで…。あとちょっとやなぁ。1万人来てたら、俺ハットトリックしてたかも…。」と言っている。
  • 2008年5月18日東北ダービーモンテディオ山形戦)にて、自らのミスで前半に2失点を喫してしまい、ハーフタイムではイレブンの前で思わず涙を見せてしまう。それがイレブンの闘志に火を付けたのか、後半に3得点を挙げて見事に逆転勝利。勝利の瞬間、岡山は人目もはばからず号泣した。
  • 2009年1月1日天皇杯全日本サッカー選手権大会決勝戦、ガンバ大阪対柏レイソルの試合で、岡山は柏側応援席に柏時代のユニフォームを着て現われた。サポーター恒例の試合前”公演”では、新年の乾杯の音頭をとり、「無職の岡山です」「柏の心配をする前に自らの心配をしろとおっしゃる方もいらっしゃると思いますが・・・」などと、自らの戦力外を笑いに変えてみせた。さらには、「石崎監督を男にさせましょう!!」と言い、石崎監督への熱い思いも表れている。試合中は、観客席の一番前の、応援団長の隣で応援団長以上の熱い声援を送っていた。
  • 2009年2月8日、ベガルタ仙台のオフィシャルショップ「カーサベガルタ」にて「お別れサイン会」を開催。開催に当たり、自身は「仙台サポーターの皆さんと笑顔でサヨナラしたい」とコメントしている。

[編集] 所属クラブ

[編集] 個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1997 横浜M 30 J 8 3 0 0 2 1 10 4
1998 横浜M 30 J 5 0 4 2 0 0 9 2
1999 横浜FM 20 J1 4 0 0 0 - 4 0
大宮 26 J2 6 1 0 0 2 2 8 3
2000 横浜FM 20 J1 13 0 1 0 1 0 15 0
2001 C大阪 25 J1 28 3 2 0 4 0 34 3
2002 川崎 32 J2 37 1 - 5 1 42 2
2003 川崎 32 J2 34 2 - 1 0 35 2
2004 川崎 32 J2 2 0 - 0 0 2 0
2005 福岡 32 J2 34 0 - 1 0 35 0
2006 32 J2 45 10 - 0 0 45 10
2007 32 J1 1 0 3 0 - 4 0
仙台 34 J2 18 2 - 0 0 18 2
2008 仙台 32 J2 33 4 - 0 0 33 4
韓国 リーグ戦 リーグ杯 FA杯 期間通算
2009 浦項 Kリーグ
通算 日本 J1 59 6 10 2 7 1 76 9
日本 J2 209 20 0 0 9 3 218 23
韓国 Kリーグ
総通算 268 26 10 2 16 4 294 32

[編集] 脚注

  1. ^ [1]
  2. ^ [2]
  3. ^ [3]
  4. ^ [4]

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク


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