前田俊介

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
前田 俊介 Football pictogram.svg
名前
愛称 シュン、マエシュン、シュンスケ
カタカナ マエダ シュンスケ
ラテン文字 MAEDA Shunsuke
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 1986年6月9日(27歳)
出身地 奈良県桜井市
身長 172cm
体重 72kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 コンサドーレ札幌
ポジション FW
背番号 11
利き足 左足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2005–2008
2007–2008
2009–2011
2010
2012–
サンフレッチェ広島
大分トリニータ (loan)
大分トリニータ
FC東京 (loan)
コンサドーレ札幌
45 (7)
25 (3)
49 (8)
6 (0)
14 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。2013年1月27日現在。
テンプレート(ノート 解説)サッカー選手pj

前田 俊介(まえだ しゅんすけ、1986年6月9日 - )は、奈良県桜井市出身のサッカー選手。ポジションはFWコンサドーレ札幌所属。広島県立吉田高等学校卒業

人物[編集]

石崎信弘に「あいつは天才じゃろ」と言わしめた高度な技術を持つ稀代のテクニシャンであり、時折見せる曲芸的なドリブル、シュートからカルト的人気を集める[1][2]。その一方で、運動量が少ない、前線からの守備に難がある選手としても知られ、かつて前田を指導した大熊清ミハイロ・ペトロヴィッチからは、その姿勢に苦言を呈された[3][4]。このプレースタイルもあってか、希有な才能を持ちながら、なかなか開花しない前田を揶揄した「前俊を諦めない」という言葉が生まれている[2]

将来の夢は「金持ち」。餃子とコーヒーを好む[5]

来歴[編集]

ユース時代[編集]

幼少期に、父親が指導者を務めていた桜井FCの練習について行っていたことをきっかけにサッカーを始める。小学校5年生の時「毎日サッカーが出来る」という理由で桜井FCより練習日の多い高田FCに移る。中学3年時に複数の高校やクラブチームからスカウトされ数チームに練習参加、当初は高校選手権への出場を夢見て高校サッカーへ行こうとしていたが、部活特有の厳しい上下関係や規律に馴染めず、それらに比べて自由な雰囲気だったというサンフレッチェ広島ユースに惹かれるようになる。

2002年に広島ユース入団[注 1]。当初は主にトップ下を務めていたが、次第にストライカーとして頭角を表すようになる。

2003年、日本クラブユース選手権直前に腕を骨折、同大会と高円宮杯全日本ユース選手権は欠場。復帰後、自分不在のチームが快進撃を続けた事[注 2] への焦りと悔しさをバネに、同年末のJリーグユース選手権大会でチームを優勝に導き、自身も得点王となる[注 3]

2004年には「10」番を背負い、クラブユース選手権優勝(得点王&MVP受賞)、高円宮杯初優勝(得点王受賞)に導く活躍を見せ、3大会連続得点王に輝く。クラブユース史上初の3冠を目指したJユースカップでは、決勝でPK戦の末敗れ準優勝となった。

またこの年は、2種登録選手としてJ1に数試合出場、2ndステージジュビロ磐田戦でJリーグ初得点、チームの勝利とJ1残留を決定付ける決勝点を挙げた。

プロ時代[編集]

2005年にトップに昇格[注 4]。序盤こそサテライトに甘んじたが、第3節名古屋グランパスエイト戦で初のベンチ入り(89分より交代出場)を果たし、第5節東京ヴェルディ1969戦で先発出場。開幕以来、ナビスコカップを含め6戦連続勝ち星のなかったチームに初勝利をもたらす1得点1アシストの活躍を見せる。その後も時間は短いながらもコンスタントに試合出場を続け、3度の決勝点(うちロスタイムに2度)を挙げ、チームの上位進出に貢献した。

U-20日本代表では2005 FIFAワールドユース選手権のメンバーに選出され、グループステージ・オーストラリア戦と決勝トーナメント初戦・モロッコ戦に交代出場。オーストラリア戦では、グループステージ敗退寸前に追い込まれたチームを決勝トーナメントへと導く貴重な得点を挙げた。

2006年、広島は新布陣が機能せずJ2降格の危機に晒される。チームが結果を出せない中、自身も不調に陥り、Jリーグ屈指の2トップであるウェズレイ佐藤寿人の厚い壁に阻まれ、戦術的な問題[注 5] や2007年からは平繁龍一の台頭もあり出場機会が減っていった。

同年6月、FWに怪我人が続出し得点力不足に陥っていた大分トリニータに期限付き移籍。その大分でも出場機会は多くなかったが、残留争いの大一番となった大宮アルディージャ戦で後半43分に決勝点を挙げ、大分のJ1残留へ向けて貴重な勝利をもたらした。

レンタルを延長した2008年は、開幕当初は高松大樹家長昭博の負傷もあり、多くの出場機会を得て活躍。また、必死でチェイスに走るなど、課題とされてきた前線守備にも成長が見られた。しかし継続した結果が出ず、シーズン途中には高松や家長の復帰、森島康仁の加入により、ポジションを奪われてベンチ入りすら出来ないことも増えた。

2009年、大分へ完全移籍。ウェズレイ、森島、高松らの怪我で期待されるも、運動量の少なさから前半での交代や、フォワードは住田貴彦と二人のみにもかかわらず、打開力のあるMF金崎夢生のFWのコンバートが優先され、ベンチ入りも叶わないなど苦闘を強いられ、チームもJ2降格を経験する事となった。2010年はJ2に戦いの舞台を移したが、そこでも出番が少なく、8月11日、J1のFC東京への期限付き移籍が発表された。

FC東京の大熊清監督は「前で時間を作れるタイプ[6][7]」「(控え組主体の)練習試合をすると一番結果を出している[8]」と評価し、第90回天皇杯4回戦千葉戦で加入以来初の先発フル出場を果たした。期限付き移籍期間満了により同年限りで退団。

2011年9月3日富山戦で2度の警告を受け退場を命じられた際、主審に暴力並びに異議行為を行ったとして、リーグ戦6試合・第91回天皇杯2回戦の計7試合の出場停止が言い渡された。この年は森島と共に攻撃陣の中心として活躍し、リーグ戦では自己最多となる8得点を挙げた。

2012年、大分での活躍が石崎信弘から高い評価を受け、J1に昇格するコンサドーレ札幌に完全移籍した。シーズン序盤からそのキープ力から1トップとして期待され、第7節の川崎フロンターレ戦ではゴールを決めるものの、前線で相手DFに潰される場面が目立ち、その結果札幌の攻撃を滞らせ、チームも低迷し、7失点を喫した第12節の鹿島アントラーズ戦での前半途中での負傷退場を最後に出場機会が激減し、最終的にチームは1年でのJ2降格となってしまった。

所属クラブ[編集]

ユース経歴
プロ経歴

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
2003 広島Y 8 - - - 1 0 1 0
2004 広島 34/36
[注 6]
J1 11 1 2 0 1 0 14 1
2005 24 26 5 1 0 2 0 29 5
2006 8 1 1 0 0 0 9 1
2007 0 0 0 0 - - 0 0
大分 19 10 1 0 0 0 0 10 1
2008 15 2 6 1 0 0 21 3
2009 8 0 4 2 1 0 13 2
2010 J2 11 0 - - 11 0
FC東京 32 J1 6 0 0 0 3 0 9 0
2011 大分 19 J2 30 8 - 1 0 31 8
2012 札幌 11 J1 14 1 2 1 1 0 17 2
2013 J2 36 4 - 3 0 39 4
通算 日本 J1 98 11 16 4 8 0 122 15
日本 J2 77 12 - 4 0 81 12
日本 - - 1 0 1 0
総通算 175 23 16 4 13 0 204 27
その他の国際公式戦
ユース所属 (2004年)
66分に交代出場 66分駒野友一に代わって出場
61分に交代出場 61分外池大亮に代わって出場
フル出場
  • Jリーグ初得点:2004年11月20日J1リーグ2ndステージ第13節 対ジュビロ磐田戦 (広島ビ)
81分に交代出場 81分大木勉に代わって出場、1得点(83分)
トップチーム (2005年-)
89分に交代出場 89分大木勉に代わって出場
  • 初得点:2005年4月13日J1リーグ第5節 対東京ヴェルディ1969戦 (味スタ)[注 7]
先発、66分に交代退場 66分池田昇平と交代・1得点(25分)、FKで1アシスト(62分森崎和幸)

タイトル[編集]

個人タイトル[編集]

  • MVP
高円宮杯全日本ユース選手権 (2004年)
  • 得点王
Jユースカップ (2003年)、日本クラブユース選手権 (2004年)、高円宮杯全日本ユース選手権 (2004年)

クラブチーム[編集]

代表・選抜歴[編集]

脚注[編集]

[ヘルプ]
注釈
  1. ^ 同級生は高柳一誠佐藤昭大高萩洋次郎森脇良太桑田慎一朗藤井大輔大屋翼冨成慎司ら。
  2. ^ クラブユース選手権初優勝、高円宮杯3位
  3. ^ 準決勝セレッソ大阪U-18戦で見せた後方からのロングフィードをトラップすることなく右足で叩きこんだランニングボレーシュートは、その映像が全国放送のテレビニュースで使用された。
  4. ^ 同期入団は高柳、佐藤、森脇、桑田、入船和真中尾真那西河翔吾
  5. ^ 相手ラインの裏を取るプレーよりも、徹底して足元でボールを受けて個人技で抜きにかかるプレースタイルのため、プレーを研究されてからは、ボールを持って前を向くより先に囲まれて簡単にボールを奪われるシーンも目立った。広島にはライン突破にかけては日本屈指の技術を誇り、チームトップクラスのスコアラーである佐藤寿人が在籍しており、レギュラー争いでは厚い壁に阻まれることになった。
  6. ^ 西河翔吾(特別指定選手)、高柳一誠(2種登録選手)と同じ背番号をつけている。それは、一度2種登録から外れたことと、特別指定選手はチームには受け入れるが、正式な背番号は与えられない為である。ちなみにこの年は、西河と一緒にリーグ戦ではベンチ入りした試合はある(カップ戦ではない)が、高柳と一緒にベンチ入りした試合はない。
  7. ^ 2005年の映画『まだまだあぶない刑事』でこのときの映像が使われている。劇中では「広島SW」という架空チームの一員として登場。得点やアシストを決めたシーンは無いが、背番号24を背負いドリブル突破からシュートを撃つ前田の姿が確認できる。
出典
  1. ^ 大分から前田獲り…札幌 報知新聞 2011年12月9日
  2. ^ a b 『前俊を諦めない』、テクニックだけでなくメンタリティ80という精神的強さ サッカー専門新聞 エル・ゴラッソ BLOGOLA 2012年3月8日
  3. ^ 大熊新監督がMF前田に「何やってんだ」 日刊スポーツ 2010年9月21日
  4. ^ 広島のペトロビッチ監督が前田俊介にかけた言葉 サポティスタ 2010年9月28日
  5. ^ コンサドーレ札幌公式サイト プロフィール
  6. ^ 【第90回天皇杯4回戦 FC東京 vs 千葉】プレビュー:残留争うF東京、昇格目指す千葉。リーグ終盤を盛り上げる救世主は生まれるか!? J's GOAL、2010年11月16日
  7. ^ 【第90回天皇杯4回戦 FC東京 vs 千葉】大熊清監督記者会見コメント J's GOAL 2010年11月18日
  8. ^ [FC東京]天皇杯千葉戦に闘志を燃やす前田選手。「怒られているうちが華。期待に応えたいですね」。 エル・ゴラッソweb版 2010年11月16日

関連項目[編集]


外部リンク[編集]