前田俊介

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前田 俊介
名前
愛称 シュン、マエシュン、シュンスケ
カタカナ マエダ シュンスケ
ラテン文字 MAEDA Shunsuke
基本情報
国籍 日本
生年月日 1986年6月9日(23歳)
出身地 奈良県桜井市
身長 172cm
体重 72kg
血液型 A型
選手情報
在籍チーム 大分トリニータ
ポジション FW
背番号 19
利き足 左足
クラブチーム1
クラブ App (G)
2005-2007
2007-現在
サンフレッチェ広島
大分トリニータ
045 (7)
010 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。2007年12月25日現在。
Template(ノート 解説)サッカー選手pj

前田 俊介(まえだ しゅんすけ、1986年6月9日 - )は、奈良県桜井市出身の大分トリニータ所属のサッカー選手。ポジションはフォワード

目次

[編集] プレースタイル

意外性に富んだプレー、独特の緩急のリズムで抜くドリブル、シュートやFK・CKをはじめとするキックの正確さで「魅せる」タイプの異能ストライカー。 勝負強さに定評があり、チームの勝利に繋がる得点を挙げることに秀でる。

一方で弱点とされるのが、運動量の少なさからくるオフ・ザ・ボールの質の低さ、前線からの守備およびフォアチェックの甘さであり、その才能を高く評価されながらもコンスタントに出場できずにいる[1]

[編集] 来歴

[編集] ユース時代

幼少期に桜井FCで父親が指導者を務めており、その練習について行っていたことをきっかけにサッカーを始める。その後、「毎日サッカーが出来る」という理由で桜井FCより練習日の多い高田FCに移る。中学3年時に複数の高校やクラブチームからスカウトされ数チームに練習参加、当初は高校選手権への出場を夢見て高校サッカーへ行こうとしていたが、部活特有の厳しい上下関係や規律に馴染めず、それらに比べて自由な雰囲気だったというサンフレッチェ広島ユースに惹かれるようになる。

2002年に広島ユース入団[2]。 当初は主にトップ下を務めていたが、次第にストライカーとして頭角を表すようになる。 2003年、日本クラブユース選手権直前に腕を骨折、同大会と高円宮杯全日本ユース選手権は欠場。復帰後、自分不在のチームが快進撃を続けた事[3]への焦りと悔しさをバネに、同年末のJユースカップでチームを優勝に導き、自身も得点王となる[4]。 2004年には「10」番を背負い、クラブユース選手権優勝(得点王&MVP受賞)、高円宮杯初優勝(得点王受賞)に導く活躍を見せ、3大会連続得点王に輝く。クラブユース史上初の3冠を目指したJユースカップでは、決勝でPK戦の末敗れ準優勝となった。

またこの年は、2種登録選手としてJ1に数試合出場、2ndステージジュビロ磐田戦でJリーグ初得点、チームの勝利とJ1残留を決定付ける決勝点を挙げた。

[編集] プロ時代

2005年にトップに昇格[5]。序盤こそサテライトに甘んじたが、第3節名古屋グランパスエイト戦で初のベンチ入り(89分より交代出場)を果たし、第5節東京ヴェルディ1969戦で先発出場。開幕以来、ナビスコカップを含め6戦連続勝ち星のなかったチームに初勝利をもたらす1得点1アシストの活躍を見せる。その後も時間は短いながらもコンスタントに試合出場を続け、3度の決勝点(うちロスタイムに2度)を挙げ、チームの上位進出に貢献した。

U-20日本代表では2005 FIFAワールドユース選手権のメンバーに選出され、予選リーグ・オーストラリア戦と決勝トーナメント初戦・モロッコ戦に交代出場。オーストラリア戦では、予選リーグ敗退寸前に追い込まれたチームを決勝トーナメントへと導く貴重な得点を挙げた。

2006年、広島は新布陣が機能せずJ2降格の危機に晒される。チームが結果を出せない中、自身も不調に陥り、Jリーグ屈指の2トップであるウェズレイ佐藤寿人の厚い壁に阻まれ、戦術的な問題[6]や2007年からは平繁龍一の台頭もあり出場機会が減っていった。

同年6月、FWに怪我人が続出し得点力不足に陥っていた大分トリニータに期限付き移籍。その大分でも出場機会は多くなかったが、残留争いの大一番となった大宮アルディージャ戦で後半43分に決勝点を挙げ、大分のJ1残留へ向けて貴重な勝利をもたらした。

レンタルを延長した2008年は、開幕当初は高松大樹家長昭博の負傷もあり、多くの出場機会を得て活躍。また、必死でチェイスに走るなど、課題とされてきた前線守備にも成長が見られた。しかし継続した結果が出ず、シーズン途中には高松や家長の復帰、森島康仁の加入により、ポジションを奪われてベンチ入りすら出来ないことも増えた。

2009年、大分へ完全移籍。ウェズレイ森島康仁高松大樹らの怪我で活躍を期待されるも、運動量の少なさから前半での交代や、フォワードは住田貴彦と二人のみにも関らず、ベンチ入りも叶わないなど、苦闘を強いられている。

[編集] 所属クラブ

[編集] 個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
2003 広島Y 8 - - - 1 0 1 0
2004 広島 34/36[7] J1 11 1 2 0 1 0 14 1
2005 広島 24 J1 26 5 1 0 2 0 29 5
2006 広島 24 J1 8 1 1 0 0 0 9 1
2007 広島 24 J1 0 0 0 0 - - 0 0
大分 19 J1 10 1 0 0 0 0 10 1
2008 大分 19 J1 15 2 6 1 0 0 21 3
2009 大分 19 J1 4 2
通算 日本 J1 70 10 14 3 3 0 87 13
日本 - - 1 0 1 0
総通算 70 10 14 3 4 0 87 13
  • 2004年はユース所属

[編集] 出場歴・タイトル

[編集] 個人タイトル

  • MVP 高円宮杯全日本ユース選手権(2004年)
  • 得点王 Jユースカップ(2003年)、日本クラブユース選手権(2004年)、高円宮杯全日本ユース選手権(2004年)

[編集] クラブチーム

アンダーカテゴリー
トップチーム

[編集] 代表

アンダーカテゴリー
  • アジアユース予選及び本大会U-16日本代表(2002年)
  • アジアユースU-19日本代表候補(2004年)
  • ワールドユースU-20日本代表(2005年)
  • カタールアジア大会U-21日本代表(2006年)

[編集] 脚注

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  1. ^ かつて名指しで厳しく叱責したこともあるミハイロ・ペトロヴィッチは実力を買っており、今を乗り越えれば、日本を代表する選手になれるとも言っている。
  2. ^ 同級生は高柳一誠佐藤昭大高萩洋次郎森脇良太桑田慎一朗藤井大輔大屋翼冨成慎司ら。
  3. ^ クラブユース選手権初優勝、高円宮杯3位
  4. ^ 準決勝セレッソ大阪U-18戦で見せた後方からのロングフィードをトラップすることなく右足で叩きこんだランニングボレーシュートは、その映像が全国放送のテレビニュースで使用された事で、ユース年代サッカーファンの間で広く知られるようになった。
  5. ^ 同期入団は高柳、佐藤、森脇、桑田、入船和真中尾真那西河翔吾
  6. ^ 相手ラインの裏を取るプレーよりも、徹底して足元でボールを受けて個人技で抜きにかかるプレースタイルのため、プレーを研究されてからは、ボールを持って前を向くより先に囲まれて簡単にボールを奪われるシーンも目立った。広島にはライン突破にかけては日本屈指の技術を誇り、チームトップクラスのスコアラーである佐藤寿人が在籍しており、レギュラー争いでは厚い壁に阻まれることになった。
  7. ^ 西河翔吾(特別指定選手)、高柳一誠(2種登録選手)と同じ背番号をつけている。それは、一度2種登録から外れたことと、特別指定選手はチームには受け入れるが、正式な背番号は与えられない為である。ちなみにこの年は、西河と一緒にリーグ戦ではベンチ入りした試合はある(カップ戦ではない)が、高柳と一緒にベンチ入りした試合はない。
  8. ^ 2005年の映画「まだまだあぶない刑事」でこのときの映像が使われている。劇中では「広島SW」という架空チームの一員として登場。得点やアシストを決めたシーンは無いが、背番号24を背負いドリブル突破からシュートを撃つ前田の姿が確認できる。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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