前田俊介
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| 名前 | ||||||
| 愛称 | シュン、マエシュン、シュンスケ | |||||
| カタカナ | マエダ シュンスケ | |||||
| ラテン文字 | MAEDA Shunsuke | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 | ||||||
| 生年月日 | 1986年6月9日(26歳) | |||||
| 出身地 | 奈良県桜井市 | |||||
| 身長 | 172cm | |||||
| 体重 | 72kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| 在籍チーム | ||||||
| ポジション | FW | |||||
| 背番号 | 11 | |||||
| 利き足 | 左足 | |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
| 2005–2008 2007–2008 2009–2011 2010 2012– |
サンフレッチェ広島 → 大分トリニータ (loan) 大分トリニータ →FC東京 (loan) コンサドーレ札幌 |
45 (7) 25 (3) 49 (8) 6 (0) 14 (1) |
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| 1. 国内リーグ戦に限る。2013年1月27日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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前田 俊介(まえだ しゅんすけ、1986年6月9日 - )は、奈良県桜井市出身のサッカー選手。ポジションはFW。コンサドーレ札幌所属。
目次 |
人物 [編集]
石崎信弘に「あいつは天才じゃろ」と言わしめた高度な技術を持つ稀代のテクニシャンであり、時折見せる曲芸的なドリブル、シュートからカルト的人気を集める[1][2]。その一方で、運動量が少ない、前線からの守備に難がある選手としても知られ、かつて前田を指導した大熊清やミハイロ・ペトロヴィッチからは、その姿勢に苦言を呈された[3][4]。このプレースタイルもあってか、希有な才能を持ちながら、なかなか開花しない前田を揶揄した「前俊を諦めない」という言葉が生まれている[2]。
将来の夢は「金持ち」。餃子とコーヒーを好む[5]。
来歴 [編集]
ユース時代 [編集]
幼少期に、父親が指導者を務めていた桜井FCの練習について行っていたことをきっかけにサッカーを始める。小学校5年生の時「毎日サッカーが出来る」という理由で桜井FCより練習日の多い高田FCに移る。中学3年時に複数の高校やクラブチームからスカウトされ数チームに練習参加、当初は高校選手権への出場を夢見て高校サッカーへ行こうとしていたが、部活特有の厳しい上下関係や規律に馴染めず、それらに比べて自由な雰囲気だったというサンフレッチェ広島ユースに惹かれるようになる。
2002年に広島ユース入団[注 1]。当初は主にトップ下を務めていたが、次第にストライカーとして頭角を表すようになる。
2003年、日本クラブユース選手権直前に腕を骨折、同大会と高円宮杯全日本ユース選手権は欠場。復帰後、自分不在のチームが快進撃を続けた事[注 2]への焦りと悔しさをバネに、同年末のJリーグユース選手権大会でチームを優勝に導き、自身も得点王となる[注 3]。
2004年には「10」番を背負い、クラブユース選手権優勝(得点王&MVP受賞)、高円宮杯初優勝(得点王受賞)に導く活躍を見せ、3大会連続得点王に輝く。クラブユース史上初の3冠を目指したJユースカップでは、決勝でPK戦の末敗れ準優勝となった。
またこの年は、2種登録選手としてJ1に数試合出場、2ndステージジュビロ磐田戦でJリーグ初得点、チームの勝利とJ1残留を決定付ける決勝点を挙げた。
プロ時代 [編集]
2005年にトップに昇格[注 4]。序盤こそサテライトに甘んじたが、第3節名古屋グランパスエイト戦で初のベンチ入り(89分より交代出場)を果たし、第5節東京ヴェルディ1969戦で先発出場。開幕以来、ナビスコカップを含め6戦連続勝ち星のなかったチームに初勝利をもたらす1得点1アシストの活躍を見せる。その後も時間は短いながらもコンスタントに試合出場を続け、3度の決勝点(うちロスタイムに2度)を挙げ、チームの上位進出に貢献した。
U-20日本代表では2005 FIFAワールドユース選手権のメンバーに選出され、グループステージ・オーストラリア戦と決勝トーナメント初戦・モロッコ戦に交代出場。オーストラリア戦では、グループステージ敗退寸前に追い込まれたチームを決勝トーナメントへと導く貴重な得点を挙げた。
2006年、広島は新布陣が機能せずJ2降格の危機に晒される。チームが結果を出せない中、自身も不調に陥り、Jリーグ屈指の2トップであるウェズレイと佐藤寿人の厚い壁に阻まれ、戦術的な問題[注 5]や2007年からは平繁龍一の台頭もあり出場機会が減っていった。
同年6月、FWに怪我人が続出し得点力不足に陥っていた大分トリニータに期限付き移籍。その大分でも出場機会は多くなかったが、残留争いの大一番となった大宮アルディージャ戦で後半43分に決勝点を挙げ、大分のJ1残留へ向けて貴重な勝利をもたらした。
レンタルを延長した2008年は、開幕当初は高松大樹や家長昭博の負傷もあり、多くの出場機会を得て活躍。また、必死でチェイスに走るなど、課題とされてきた前線守備にも成長が見られた。しかし継続した結果が出ず、シーズン途中には高松や家長の復帰、森島康仁の加入により、ポジションを奪われてベンチ入りすら出来ないことも増えた。
2009年、大分へ完全移籍。ウェズレイ、森島、高松らの怪我で期待されるも、運動量の少なさから前半での交代や、フォワードは住田貴彦と二人のみにもかかわらず、打開力のあるMF金崎夢生のFWのコンバートが優先され、ベンチ入りも叶わないなど苦闘を強いられ、チームもJ2降格を経験する事となった。2010年はJ2に戦いの舞台を移したが、そこでも出番が少なく、8月11日、J1のFC東京への期限付き移籍が発表された。
FC東京の大熊清監督は「前で時間を作れるタイプ[6][7]」「(控え組主体の)練習試合をすると一番結果を出している[8]」と評価し、第90回天皇杯4回戦対千葉戦で加入以来初の先発フル出場を果たした。期限付き移籍期間満了により同年限りで退団。
2011年、9月3日の富山戦で2度の警告を受け退場を命じられた際、主審に暴力並びに異議行為を行ったとして、リーグ戦6試合・第91回天皇杯2回戦の計7試合の出場停止が言い渡された。この年は森島と共に攻撃陣の中心として活躍し、リーグ戦では自己最多となる8得点を挙げた。
2012年、大分での活躍が石崎信弘から高い評価を受け、J1に昇格するコンサドーレ札幌に完全移籍した。シーズン序盤からそのキープ力から1トップとして期待され、第7節の川崎フロンターレ戦ではゴールを決めるものの、前線で相手DFに潰される場面が目立ち、その結果札幌の攻撃を滞らせ、チームも低迷し、7失点を喫した第12節の鹿島アントラーズ戦での前半途中での負傷退場を最後に出場機会が激減し、最終的にチームは1年でのJ2降格となってしまった。
所属クラブ [編集]
- ユース経歴
- プロ経歴
個人成績 [編集]
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 2003 | 広島Y | 8 | - | - | - | 1 | 0 | 1 | 0 | ||
| 2004 | 広島 | 34/36 [注 6] |
J1 | 11 | 1 | 2 | 0 | 1 | 0 | 14 | 1 |
| 2005 | 24 | 26 | 5 | 1 | 0 | 2 | 0 | 29 | 5 | ||
| 2006 | 8 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 9 | 1 | |||
| 2007 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | - | 0 | 0 | |||
| 大分 | 19 | 10 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 10 | 1 | ||
| 2008 | 15 | 2 | 6 | 1 | 0 | 0 | 21 | 3 | |||
| 2009 | 8 | 0 | 4 | 2 | 1 | 0 | 13 | 2 | |||
| 2010 | J2 | 11 | 0 | - | - | 11 | 0 | ||||
| FC東京 | 32 | J1 | 6 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 9 | 0 | |
| 2011 | 大分 | 19 | J2 | 30 | 8 | - | 1 | 0 | 31 | 8 | |
| 2012 | 札幌 | 11 | J1 | 14 | 1 | 2 | 1 | 1 | 0 | 17 | 2 |
| 2013 | J2 | - | |||||||||
| 通算 | 日本 | J1 | 98 | 11 | 16 | 4 | 8 | 0 | 122 | 15 | |
| 日本 | J2 | 41 | 8 | - | 1 | 0 | 52 | 8 | |||
| 日本 | 他 | - | - | 1 | 0 | 1 | 0 | ||||
| 総通算 | 139 | 19 | 16 | 4 | 10 | 0 | 165 | 23 | |||
- その他の国際公式戦
- 2009年
- パンパシフィックチャンピオンシップ 1試合0得点
- スルガ銀行チャンピオンシップ 1試合0得点
- ユース所属 (2004年)
- 公式戦初出場:2004年5月29日 ナビスコカップ 対東京ヴェルディ1969戦 (国立)
66分駒野友一に代わって出場
61分外池大亮に代わって出場
- フル出場
- Jリーグ初得点:2004年11月20日J1リーグ2ndステージ第13節 対ジュビロ磐田戦 (広島ビ)
81分大木勉に代わって出場、1得点(83分)- トップチーム (2005年-)
- 初出場:2005年4月2日J1リーグ第3節 対名古屋グランパスエイト戦 (豊田ス)
89分大木勉に代わって出場
タイトル [編集]
個人タイトル [編集]
- MVP
- 高円宮杯全日本ユース選手権 (2004年)
- 得点王
- Jユースカップ (2003年)、日本クラブユース選手権 (2004年)、高円宮杯全日本ユース選手権 (2004年)
クラブチーム [編集]
- クラブユース選手権U-15 (2001年)
- メニコンカップ日本クラブユースサッカー東西対抗戦U-15 (2001年・西軍) ※クラブユース選手権優秀選手より選抜
- Jユースカップ (2003年優勝、2002年・2004年準優勝)
- クラブユース選手権U-18 (2002年GL敗退、2004年優勝)
- 高円宮杯U-18 (2004年優勝)
- 天皇杯全日本選手権 (2002年・2003年、1回戦敗退)
代表・選抜歴 [編集]
- 2001年 U-15日本代表候補
- 2002年
- U-16日本代表 - AFC U-17選手権2002予選及び本大会、豊田国際ユースサッカー大会
- 広島県選抜 - 国民体育大会サッカー競技
- 2003年
- U-17日本代表 - サニックス杯国際ユースサッカー大会
- U-18日本代表
- 2004年
- U-18日本代表 - 国際ユースサッカー in 新潟
- U-19日本代表 - SBSカップ
- 2005年 U-20日本代表 - カタール国際ユーストーナメント、2005 FIFAワールドユース選手権
- 2006年 U-21日本代表 カタール・アジア競技大会
脚注 [編集]
- 注釈
- ^ 同級生は高柳一誠、佐藤昭大、高萩洋次郎、森脇良太、桑田慎一朗、藤井大輔、大屋翼、冨成慎司ら。
- ^ クラブユース選手権初優勝、高円宮杯3位
- ^ 準決勝セレッソ大阪U-18戦で見せた後方からのロングフィードをトラップすることなく右足で叩きこんだランニングボレーシュートは、その映像が全国放送のテレビニュースで使用された。
- ^ 同期入団は高柳、佐藤、森脇、桑田、入船和真、中尾真那、西河翔吾。
- ^ 相手ラインの裏を取るプレーよりも、徹底して足元でボールを受けて個人技で抜きにかかるプレースタイルのため、プレーを研究されてからは、ボールを持って前を向くより先に囲まれて簡単にボールを奪われるシーンも目立った。広島にはライン突破にかけては日本屈指の技術を誇り、チームトップクラスのスコアラーである佐藤寿人が在籍しており、レギュラー争いでは厚い壁に阻まれることになった。
- ^ 西河翔吾(特別指定選手)、高柳一誠(2種登録選手)と同じ背番号をつけている。それは、一度2種登録から外れたことと、特別指定選手はチームには受け入れるが、正式な背番号は与えられない為である。ちなみにこの年は、西河と一緒にリーグ戦ではベンチ入りした試合はある(カップ戦ではない)が、高柳と一緒にベンチ入りした試合はない。
- ^ 2005年の映画『まだまだあぶない刑事』でこのときの映像が使われている。劇中では「広島SW」という架空チームの一員として登場。得点やアシストを決めたシーンは無いが、背番号24を背負いドリブル突破からシュートを撃つ前田の姿が確認できる。
- 出典
- ^ 大分から前田獲り…札幌 報知新聞 2011年12月9日
- ^ a b 『前俊を諦めない』、テクニックだけでなくメンタリティ80という精神的強さ サッカー専門新聞 エル・ゴラッソ BLOGOLA 2012年3月8日
- ^ 大熊新監督がMF前田に「何やってんだ」 日刊スポーツ 2010年9月21日
- ^ 広島のペトロビッチ監督が前田俊介にかけた言葉 サポティスタ 2010年9月28日
- ^ コンサドーレ札幌公式サイト プロフィール
- ^ 【第90回天皇杯4回戦 FC東京 vs 千葉】プレビュー:残留争うF東京、昇格目指す千葉。リーグ終盤を盛り上げる救世主は生まれるか!? J's GOAL、2010年11月16日
- ^ 【第90回天皇杯4回戦 FC東京 vs 千葉】大熊清監督記者会見コメント J's GOAL 2010年11月18日
- ^ [FC東京]天皇杯千葉戦に闘志を燃やす前田選手。「怒られているうちが華。期待に応えたいですね」。 エル・ゴラッソweb版 2010年11月16日
関連項目 [編集]
外部リンク [編集]
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