梶山陽平

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梶山 陽平 Football pictogram.svg
名前
愛称 ヨーヘイ、カジ[注 1]
カタカナ カジヤマ ヨウヘイ
ラテン文字 KAJIYAMA Yohei
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 1985年9月24日(27歳)
出身地 東京都江東区[1]
身長 180cm
体重 73kg
選手情報
在籍チーム ギリシャの旗 パナシナイコスFC
ポジション MF
背番号 49
利き足 右足
ユース

1996-1997
1998-2000
2001-2003
FC東陽
東京ガスジュニア
FC東京U-15
FC東京U-18
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2004- FC東京 242 (21)
2013- パナシナイコス (loan) 8 (00)
1. 国内リーグ戦に限る。2013年5月9日現在。
テンプレート(ノート 解説)サッカー選手pj

梶山 陽平(かじやま ようへい、1985年9月24日 - )は、東京都江東区出身のサッカー選手。ポジションは攻撃的ミッドフィールダーまたは守備的ミッドフィールダー。ギリシャ・スーパーリーグパナシナイコスFCに所属。家族は妻と1女1男。

目次

来歴 [編集]

小学校1年生時にサッカーを始める[2]。5年生時に「家から近かった(梶山談)」ことから東京ガスサッカースクールに入会し、以後、FC東京U-15、U-18と昇格したクラブ生え抜き選手。同期には呉章銀李忠成斎藤雅也鎌田次郎眞行寺和彦らがいた。U-18所属の頃から第2種登録選手としてトップチームに帯同し、2003年3月8日ナビスコカップ予選リーグ・横浜FM戦(横浜国際)にて後半30分から投入され公式戦初出場。当時高校2年生であった。3年生になった同年4月29日神戸戦にてJ1リーグ戦でのデビューも果たした。当時から、東京都選抜のチームメートである小椋祥平が「預けておけばボールを取られるようなことはない」と話すなど[3]突出したボールキープ力を持っていた[4]

正式にFC東京のトップチームに昇格しプロ選手となった2004年からコンスタントに試合に出場するようになり、主にトップ下でプレー。公式戦初ゴールはナビスコカップ予選リーグ第2節の鹿島戦。中盤から走り込みミドルシュートを突き刺した。リーグ戦初得点は同年8月の東京ダービーで、こちらもミドルシュートによる得点だった。2ndステージ第14節市原戦では、右足でシュートを空振りして相手をかわし[5]、直後に左足でゴールを決めるなど活躍を印象付け、この年のJリーグ優秀新人賞を受賞した。 同年8月には、スペインで行われたデポルティーボ・ラ・コルーニャとの親善試合に出場し、決勝点となるミドルシュートを叩き込む[4]。その試合を観戦した現地ジャーナリストのヘスス・スアレスサッカー雑誌のコラムで梶山を「ミカエル・ラウドルップの様だ」と絶賛。「今すぐリーガ・エスパニョーラで通用する選手」と断言した[4]

その後怪我に苦しみ左膝を手術。2005年のワールドユース・オランダ大会には、リハビリ明けながら[6]3試合に出場した。同年7月にはフィジカルの強さなどを評価され[7]宮沢正史らを押しのけFC東京でのレギュラーに定着。以降守備的MFの位置で先発出場するようになるが、試合によって調子の波があるという短所があり改善に努めた[8][4]

2007年北京オリンピック予選への招集や、福西崇史の加入によって序盤は出場機会を減らすものの、運動量を増やし[9][2]第11節以降ポジションを奪い返した。J1第23節広島戦ではゴールまで28メートルの距離から無回転フリーキックを決めている。9月12日の北京オリンピックアジア最終予選第3戦U-22カタール戦での左脛骨高原骨折によりシーズン後半をリハビリに費やした[2]。同年から田邊伸明と代理人契約を結び、将来の海外移籍を視野に入れた[10]

2008年からはエースの象徴でもある”背番号10”を託されている。これはクラブの念願であった『ユース出身者による背番号10』の誕生でもあった[2]。2008年北京オリンピック・サッカー日本代表(U-23)でも背番号10を背負い、香川真司が「一緒にやっていてもうまい。縦パス1本でもアイデアがある。攻撃の核」と話すなど[11]、同代表のチームメートからも一目置かれ期待されたが、日本は3戦全敗で梶山も強い存在感を示す事が出来なかった。同年から城福浩がFC東京の監督に就任し、中盤の底のポジションでの守備面の安定感も増加[12]。攻撃の基点としてパスを各所に配球しチームの心臓として機能[13]石川直宏が「FC東京は(梶山)陽平のチーム」とコメントするなど[14][1]、チームの主軸として確固たる存在となった。この年、梶山と対談した名波浩は、梶山について「前線の選手を自分の手のひらの上で転がしているかのようなプレーを見せてくれる。それができる選手は(日本人Jリーガーだと梶山の他には)ヤット憲剛ぐらい(しかいない)」と評した[15]

2009年12月、長らく痛みに苦しんでいた左足首と右膝を手術して症状の回復を図り[16][1]、持ち味の強いキックも復活[4]2010年開幕戦にて途中出場で復帰を果たした。11月に負傷離脱していた米本拓司が復帰してからはトップ下としてもプレー。ゲームキャプテンの徳永悠平から「起点として安心してボールを預けられるので、押し上げる時間を作ることができる」「攻撃も守備も運動量も多くて助かった」と評価されるも[17]、この年の慢性的な選手不足により前述の手術の経過が悪いままプレーを続けざるを得ず、自身初のJ2降格を経験することともなり不本意なシーズンとなった。

2011年は主にボランチで高橋秀人とコンビを組んでプレー。米本と高橋のプレーエリアの違いや、攻撃の起点である梶山に集中するマーク[18]を分散するために高橋と縦関係の位置を取ったことで[19]、配球役にとどまらずより前線で得点に絡むプレーを増やした[20]

2012年はシーズン前の1月にドイツブンデスリーガフォルトゥナ・デュッセルドルフの練習に参加[21][4]。この年から監督に就いたランコ・ポポヴィッチからは「誰も持っていない能力を持っている選手」と評され[22]クラブの主将に就任[23]。同年より中盤にMF長谷川アーリアジャスールが加わったこともあって[注 2]、トップ下で固定的に起用された。

2013年1月1日、ギリシャ・スーパーリーグパナシナイコスFC期限付き移籍[25]外国籍枠(EU外選手枠)が空かずに[注 3]選手登録が遅れたため[28]、22日に正式契約を結ぶ[29]。背番号は49[注 4]。同月27日のリーグ第19節アトロミトス戦で先発出場し、ギリシャでのデビューを飾る[29]。当初はトップ下で先発出場を続けていたが、連動性が無く[31]個人の打開に頼るサッカーの中で孤立し[32]8番タイプの守備的MF[33]としても起用された[34]

エピソード [編集]

所属クラブ [編集]

ユース経歴
プロ経歴

個人成績 [編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
2003 FC東京 34 J1 3 0 3 0 1 0 7 0
2004 23 16 2 5 2 1 0 22 4
2005 26 2 1 0 2 0 29 2
2006 30 3 5 1 2 1 37 5
2007 24 1 6 0 2 1 32 2
2008 10 28 1 5 0 4 1 37 2
2009 31 2 10 1 3 1 44 4
2010 24 2 6 1 3 0 33 3
2011 J2 34 6 - 6 0 40 6
2012 J1 26 2 3 1 1 0 30 3
ギリシャ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
2012-13 パナシナイコス 49 スーパーリーグ 8 0 - - 8 0
通算 日本 J1 208 15 44 6 19 4 271 25
日本 J2 34 6 - 6 0 40 6
ギリシャ スーパーリーグ 8 0 0 0 0 0 8 0
総通算 250 21 44 6 25 4 319 31
  • 2003年はFC東京U-18所属

その他の公式戦

国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFC ACL
2012 FC東京 10 4 1
通算 AFC 4 1

その他の国際公式戦

代表歴 [編集]

タイトル [編集]

個人 [編集]

脚注 [編集]

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注釈
  1. ^ FC東京でチームメートだった加地亮(カジ)や、大竹洋平(ヨウヘイ)との区別から[1]
  2. ^ 長谷川加入以前の梶山は、トップ下に配されても数試合でボランチに戻っていたが、長谷川が「原因を解決してくれた」とのこと[24]
  3. ^ パナシナイコスは、外国籍枠を空けるためにアルゼンチン人MFセバスティアン・レトを放出して梶山を迎え入れる算段だったが、レトとの契約解除交渉がなかなか進まなかった[26][27]
  4. ^ FC東京でチームメートだったルーカスが着用する番号という理由で、自ら選択[30]
出典
  1. ^ a b c d e f g 『FC東京ファンブック2010』 朝日新聞出版2010年、31頁。
  2. ^ a b c d 『FC東京ファンブック2008』 毎日新聞社2008年、28頁。
  3. ^ PLAYER'S HISTORY 2008 FILE007 小椋祥平選手 Jリーグ選手協会
  4. ^ a b c d e f 新たな挑戦を決意した梶山陽平が渇望する“成長”ギリシャ名門への移籍、27歳でつかんだチャンス (1/2) スポーツナビ (2013年1月7日)
  5. ^ 【J1-2nd:第14節】FC東京vs市原:試合終了後の各選手コメント J's GOAL、2004.11.23
  6. ^ 【11.21 日韓国立決戦】クラブのU-21候補ピックアップ! 梶山陽平選手 (F東京) J's GOAL (2006年11月21日)
  7. ^ 【J1第28節】東京VvsFC東京:原監督記者会見コメント J's GOAL、2005.10.22
  8. ^ 梶山が「危険な男」宣言 横浜M戦で打ちまくる! 東京中日スポーツ、2007.05.20
  9. ^ 梶山 練習試合で猛アピール 東京中日スポーツ (2007年6月8日)
  10. ^ (梶山陽平) U-22代表・梶山がFIFA公認代理人と契約 ゲキサカ (2007年9月23日)
  11. ^ アンゴラ戦前日 U-23選手コメント スポーツナビ、2008.03.26
  12. ^ 梶山 左足首重傷 5月は無理 東京中日スポーツ、2009.05.18
  13. ^ “東京の心臓”が帰ってきた 梶山&米本 そろって実戦復帰 東京中日スポーツ (2010年10月21日)
  14. ^ FC東京 今季初の零封負け J1 第10節 5月5日(火)vs.広島 東京中日スポーツ、2009.05.06
  15. ^ 名波浩 『名波浩対談集 日本サッカーが勝つためにすべきこと』 集英社2010年、165頁。
  16. ^ FC東京の梶山が手術、全治3ヶ月 サンケイスポーツ (2009年12月17日)
  17. ^ 【J1:第32節 名古屋 vs FC東京】試合終了後の各選手コメント J's GOAL、2010.11.23
  18. ^ 【Jリーグ】自らのスタイルを変えて"J2の戦い方"をつかんだFC東京 スポルティーバ (2011年7月5日)
  19. ^ 週刊サッカーマガジン増刊 FC東京J1昇格記念号』 ベースボール・マガジン社2011年、23頁。
  20. ^ 梶山「もっと得点に絡む」新境地開拓、シュートも得点も増えた!! 東京中日スポーツ、2011.07.27
  21. ^ 梶山 デュッセルドルフ練習参加 東京中日スポーツ 2012.1.17
  22. ^ 【J1:第20節 浦和 vs FC東京】ランコポポヴィッチ監督記者会見コメント J's GOAL 2012.08.04
  23. ^ 梶山新主将「プレーで引っ張る」 ポポ監督「Jの見本になれ」 東京中日スポーツ (2012年3月2日)
  24. ^ 『Jリーグ サッカーキング 2012年7月号』 朝日新聞出版2012年、10頁。
  25. ^ a b c 梶山陽平選手 パナシナイコスへ期限付き移籍決定のお知らせ FC東京 (2013年1月1日)
  26. ^ Στη… γωνιά περιμένει ο Καζιγιάμα(ギリシャ語) (2013年1月9日)
  27. ^ Ο Λέτο φεύγει, ο Καζιγιάμα έρχεται(ギリシャ語)NEWS NOW (2013年1月19日)
  28. ^ 梶山 ギリシャデビュー先送り 東京中日スポーツ (2013年1月11日)
  29. ^ a b パナシナイコスに移籍の梶山が先発でギリシャデビュー ゲキサカ (2013年1月28日)
  30. ^ 『ルーカスが梶山にエール「49番」の絆』 東京中日スポーツ (2013年1月26日)
  31. ^ 梶山陽平 名門パナシナイコスで奮闘 (2013年2月22日)
  32. ^ 週刊サッカーマガジン No.1448. ベースボール・マガジン社. (2013). p. 52. 
  33. ^ Ο Τριανταφυλλόπουλος δεξί μπακ και ο Καζιγιάμα αμυντικός μέσος(ギリシャ語) contra.gr 2013.03.14
  34. ^ 梶山フル出場も得点に絡めず…パナシナイコスは2試合連続の零封負け ゲキサカ (2013年3月31日)
  35. ^ F東京・MF梶山「トラップが決まっている」 ゲキサカ (2012年5月10日)。
  36. ^ アディダス、5つのゾーンでボールスキルを高めるサッカースパイク「Predator Lethal Zones」を発売 (2012年5月8日)

関連項目 [編集]

外部リンク [編集]