森崎和幸
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| 森﨑 和幸 | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| 愛称 | カズ | |
| カタカナ | モリサキ カズユキ | |
| ラテン文字 | MORISAKI Kazuyuki | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1981年5月9日(28歳) | |
| 出身地 | 広島市安芸区矢野 | |
| 身長 | 177cm | |
| 体重 | 72kg | |
| 血液型 | O型 | |
| 選手情報 | ||
| 在籍チーム | ||
| ポジション | MF/DF | |
| 背番号 | 8 | |
| 利き足 | 右足 | |
| クラブチーム1 | ||
| 年 | クラブ | App (G) |
| 1999-現在 | 272 (19) | |
| 1. 国内リーグ戦に限る。2008年12月13日現在。 ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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森﨑 和幸(もりさき かずゆき、1981年5月9日 - )は、日本のサッカー選手。広島県広島市安芸区矢野出身。Jリーグ・サンフレッチェ広島所属。広島県立吉田高等学校卒業。
サポーターやチーム内での愛称は「カズ」[1]。同チーム所属の森﨑浩司は二卵性双生児の弟。家族は妻と一男。
目次 |
[編集] プレースタイル
キープ力が高く、ショートパスで試合を作る右利きのゲームメイカー。戦術理解度が高く[2]、ボランチをメインに、トップ下やリベロをこなす。 弟・浩司とはダブルボランチ・2シャドーと横の関係だけでなく、兄ボランチ・弟トップ下、兄リベロ・弟ボランチと縦関係でも出場経験がある。
[編集] 来歴
小学生時代[3]から弟・浩司とともに広島でも有名な存在で、矢野中学校からサンフレッチェ広島ユースへ入団[4]し、中央のMFとして活躍した。
1999年高校3年次には2種登録選手となり、サテライトでのパフォーマンスがエディ・トムソン監督に認められ、広島チーム史上初「高校生Jリーガー」として11月20日、ガンバ大阪戦に初出場した[5]。トムソンにも気にいられ、その年はその後の公式戦に全試合出場し、天皇杯決勝進出の立役者の一人となった。翌2000年にサンフレッチェ広島とプロ契約[6]。リーグ2戦目には、森保一に代わり先発出場。その後も主力としてリーグ終盤まで出場し、Jリーグ新人王を獲得した。
また、年代別代表では、2001年に森﨑浩司・駒野友一とともに、ワールドユース代表に選出されて出場、翌2002年には釜山アジア大会にU-21サッカー日本代表として出場した。しかし、2004年アテネオリンピックでは予選に出場するも、本選メンバーには選ばれなかった。
一方、広島では2001年にヴァレリー・ニポムニシに監督がかわるとボランチに固定、それ以降ボランチとしてチームの中心となり活躍、両サイドの駒野友一・服部公太を操り、第2ステージ3位となる原動力となった。その後2004年にはチーム事情からトップ下へ、2005年にはキャプテンに就任、1ボランチとして全試合に出場し、持ち前のパスさばきでチームを支えた。2006年、ミハイロ・ペトロヴィッチ監督に代わってからは右センターバックにコンバートされたが、翌2007年にJ2降格。その冬の天皇杯からボランチに戻り準優勝に貢献。現在は主力ボランチとして活躍している。
[編集] エピソード
- 双子
- 似ているためよく勘違いされるが、二卵生双生児である。簡単な見分け方として、右利きで鼻の下にホクロがある方が兄の和幸、左利きでホクロがない方が弟の浩司。
- 2004年5月5日J1・1st第8節対セレッソ大阪戦(長居スタジアム)にて初アベックゴール(48分和幸、89分浩司)、2007年開幕時点でアベックゴールはその試合のみ。Jリーグにおいて同じチームに所属する兄弟が、同一試合でアベックゴールを達成した例は森崎兄弟と横浜F・マリノスの山瀬功治・幸宏兄弟(2007年に達成)だけで、二組しか達成していない記録である。
- 双方ともに絡んだゴールは、2006年10月22日J1・第28節対セレッソ大阪戦(長居第2)であげており(89分和幸ゴール浩司アシスト)、これもまたその試合のみ。
- 2007年から公式用ユニフォーム背番号の下に「KAZU」と下の名前が入るようになった。弟の浩司のほうは「KOJI」。
- 世代別の代表の公式戦では、名前のイニシャルが和幸、浩司ともに「K」のため、仕方なくユニフォームには「MORISAKI」とだけ記されていた。
- 双方ともオーバートレーニング症候群にかかっている。和幸は最初にその傾向が見られたのは2003年、J2での昇格争い中の広島とU-22日本代表双方のレギュラーとしてフル出場していた時に、1週間程度休んだ。その後2006年4月29日に公式発表され離脱、同年6月10日に練習復帰した。浩司は2008年末ごろからその傾向が見られるようになり、2009年1月28日に公式発表。
[編集] 所属クラブ
- ユース経歴
- - 1993年 : 矢野FC(広島市立矢野小学校)
- 1994年 - 1996年 : 広島市立矢野中学校
- 1997年 - 1999年 : サンフレッチェ広島ユース(広島県立吉田高等学校)
- プロ経歴
- 2000年 - 現 在 : サンフレッチェ広島
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 1999 | 広島 | 38 | J1 | 3 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | 8 | 0 |
| 2000 | 広島 | 20 | J1 | 24 | 3 | 4 | 0 | 2 | 0 | 30 | 3 |
| 2001 | 広島 | 8 | J1 | 26 | 1 | 3 | 0 | 2 | 0 | 31 | 1 |
| 2002 | 広島 | 8 | J1 | 25 | 1 | 2 | 0 | 4 | 2 | 31 | 3 |
| 2003 | 広島 | 8 | J2 | 41 | 1 | - | 2 | 0 | 43 | 1 | |
| 2004 | 広島 | 8 | J1 | 28 | 5 | 5 | 0 | 1 | 0 | 34 | 5 |
| 2005 | 広島 | 8 | J1 | 34 | 4 | 6 | 0 | 2 | 1 | 42 | 5 |
| 2006 | 広島 | 8 | J1 | 26 | 2 | 1 | 0 | 2 | 0 | 29 | 2 |
| 2007 | 広島 | 8 | J1 | 32 | 0 | 6 | 0 | 5 | 0 | 43 | 0 |
| 2008 | 広島 | 8 | J2 | 33 | 2 | - | 3 | 0 | 36 | 2 | |
| 2009 | 広島 | 8 | J1 | ||||||||
| 通算 | 日本 | J1 | 198 | 16 | 27 | 0 | 23 | 3 | 248 | 19 | |
| 日本 | J2 | 74 | 3 | - | 5 | 0 | 79 | 3 | |||
| 総通算 | 272 | 19 | 27 | 0 | 28 | 3 | 327 | 22 | |||
- 1999年 : ユース所属
- 2007年 : 入替戦2試合0得点
[編集] 出場歴・タイトル
[編集] 個人タイトル
- Jリーグ新人王(2000年)
[編集] クラブチーム
- アンダーカテゴリー
- 全国少年サッカー大会 (1993年)
- 全国中学校サッカー大会 ベスト16
- Jユースカップ 準優勝(1997年)
- 国民体育大会広島県代表(1998年、1999年)
- クラブチーム
- 公式戦初出場 1999年11月20日 J1・2nd第13節対ガンバ大阪戦(万博記念競技場)
- 先発出場、73分 ハイデン・フォックスと途中交代
- プロ初出場 2000年3月18日 J1・1st第2節対ジェフユナイテッド市原戦(広島ビッグアーチ)
- 先発出場、80分 山口敏弘と途中交代
- プロ初得点 2000年4月1日 J1・1st第4節対京都パープルサンガ戦(広島ビッグアーチ)
- 先発出場、59分ゴール、73分 森保一と途中交代
[編集] 日本代表
- アンダーカテゴリー
- U-18日本代表(1999年)
- U-19日本代表(2000年)
- イランアジアユースU-20日本代表(2000年)
- アルゼンチンワールドユースU-20日本代表(2001年)
- 釜山アジア大会U-22日本代表(2002年)
[編集] 関連情報
[編集] CM出演
- 洋服の青山(2004年、森﨑浩司と共演)
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ 本人も「サッカー選手で『カズ』といえば三浦ではなく森崎と呼ばれるようになりたい」と、この愛称を好んでいる。
- ^ 同チーム監督のミハイロ・ペトロヴィッチから「ドクトル・カズ」、イリアン・ストヤノフは「Jリーグでもトップ3に入るクレバーなボランチ」、ミハエル・ミキッチは「もしディナモ・ザグレブの選手なら1000万ユーロでビッグクラブに移籍できるだろう(紫熊倶楽部2009年5月号より)」と評す。また、本人も自分の武器を「予測力」としている。
- ^ 山出久男から指導を受けた。
- ^ 同級生は、森﨑浩司、駒野友一、久保田学。木村孝洋から指導を受けた。
- ^ ちなみに、この試合で弟の浩司も初ベンチ入りしている
- ^ 同期入団は、森﨑浩司、駒野、八田康介、松下裕樹、山形恭平、中山元気。7人全員が当時U-18代表であったため、期待を込めて「スーパー7」と言われていた
[編集] 外部リンク
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