大分トリニータ

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大分トリニータ
原語表記 大分トリニータ
愛称 トリニータ
クラブカラー ブルー、イエロー
創設年 1994年
所属リーグ Jリーグ
所属ディビジョン ディビジョン1
ホームタウン 大分県大分市別府市
佐伯市を中心とする全県
ホームスタジアム 九州石油ドーム
収容人数 40,000
代表者 溝畑 宏
監督 ペリクレス・シャムスカ
公式サイト 公式サイト

Template(ノート 解説)サッカークラブpj

大分トリニータ(おおいたトリニータ、 Oita Trinita )は、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ、大分フットボールクラブのチーム名および呼称。

目次

[編集] クラブの概要・歴史

[編集] クラブ概要

クラブの正式名称は大分フットボールクラブ、運営法人は株式会社大分フットボールクラブ。

1999年、J2が創設された際にJリーグ加盟。ホームタウン大分県大分市別府市佐伯市を中心とした全県。ホームスタジアムは九州石油ドーム。練習は同競技場に隣接する大分スポーツクラブ(大分県サッカー協会と大分FCが共同運営、クラブハウスはここにある)のサッカーグラウンド、大分市営陸上競技場等が使われている。チーム名・呼称は、三位一体を表す英語「トリニティ(Trinity)」とホームタウン名「大分(Oita)」を合わせた造語(イタリア語で三位一体を表すTrinitàと同じになっている)。県民・企業・行政が一致団結することを表している。

クラブマスコットは、亀がモチーフのニータン

[編集] JFL時代

1994年に任意団体「大分フットボールクラブ」として発足、「大分トリニティ」という愛称(競技登録上のチーム名は「大分」または「大分FC」)がつけられる。大分県リーグ(当時は1部リーグのみ)→九州リーグを連覇して1996年に全国地域リーグ決勝大会で2位に入り、設立わずか2年でジャパンフットボールリーグ参戦を果たす。

[編集] J2時代

1999年1月運営法人「株式会社大分フットボールクラブ」を設立、Jリーグに加盟しJ2に参加。なお、Jリーグ加盟参加と同時にチーム名及び呼称を現在の「大分トリニータ」に改めた。これは、「トリニティ」の名前がブランメル仙台(現:ベガルタ仙台)同様商標登録の関係で正式なチーム名として使えなかったからである。 J2昇格にあたり、監督にはモンテディオ山形を率いていた石崎信弘を招聘した。

石崎の下、J2初年度から昇格争いに加わるが、1999年2000年とも3位、それも2年続けて「2位との勝ち点差1」で昇格を逃してしまう。2001年は序盤から出遅れたこともあり、シーズン途中で石崎は解任された。新たに監督になった小林伸二は守備の建て直しに成功し、チームは最終節まで昇格を争うところまで持ち直したが、結局6位に終わってしまう。しかし2002年は開幕から首位を独走してJ2優勝。悲願のJ1昇格を果たした。また、最終節で史上初のJ2通算100勝を達成した。

[編集] 2003~2004年

2003年は小林がそのまま監督を務め、2年間で作り上げた堅守を武器に初のJ1に臨んだ。しかし守備は通用したが深刻な得点力不足に陥り、特に2ndステージでは15試合で得点がわずか7しか挙げられなかった。 2試合で1点も取れないようなペースが響き、「失点が最少なのに最下位」という珍記録を作ってしまう。 年間順位は14位となり、なんとか残留には成功したが、小林はこの年限りで辞任した。

2004年ハン・ベルガーを監督に迎えて攻撃サッカーへの転換を図るが、この年も得点力不足は解消されず、年間13位に終わる。ベルガーもシーズン終了後に辞任した。

[編集] 2005年

2005年皇甫官がヘッドコーチから監督に昇格したものの、5月15日以降勝ち星がなくヴィッセル神戸との最下位争いから抜け出せない状態だったため8月28日に解任。後任にペリクレス・シャムスカが監督就任した。すると初采配となった浦和戦で2-1でチームを勝利に導くと、そこから破竹の勢いで価値を積み上げ当初に掲げていた「残り12試合で勝ち点18」の目標をわずか8試合(6勝1敗1分け、勝ち点19)で達成、目標を7位に修正するほど好調だった。 11月23日セレッソ大阪戦に1-1で引き分けたことでJ1残留が決定した。






[編集] 2006年

チーム創設以来初めてA代表西川周作梅崎司が,後に高松大樹も召集され、梅崎と高松は試合にも出場した。これもリーグ戦での好調さを評価されてのことである。また、若手が台頭してきており、西川や梅崎以外にも高橋大輔福元洋平森重真人らが試合に起用され、特に高橋はレギュラーの座を梅田高志から奪っている。これら若手の活躍もあり、序盤につまづいたものの一時はチーム最高順位である5位まで浮上し、4位以内を目標にするほどチームは好調、これまで勝てなかった夏場に勝ち点を積み上げた。10月には残留が決まったものの、夏場の疲れからか下位との対戦が続いた秋から終盤にかけて失速し、過去最高の8位ながらやや不満が残る結果に終わった。




[編集] 2007年


エジミウソントゥーリオのボランチコンビが去り、新たにジュニオール・マラニョン宮沢正史を穴埋めとして補強したが、その二人が組んだ新ボランチコンビが機能しなかったことが響き、中断期間前時点で自動降格圏内である17位と低迷した。J1残留のために大分はアルビレックス新潟より鈴木慎吾、元アビスパ福岡ホベルト、そして3度目の加入となるエジミウソンの3人を獲得した。後半戦はチーム状態が回復し、11月24日ジュビロ磐田戦を1-0で勝利しJ1残留(同時にシーズン14位も確定)が確定した。




[編集] 2008年

2008年はシーズン前に、梅崎司松橋章太三木隆司福元洋平等人気選手が他クラブに次々と移籍。一方では、ガンバ大阪所属の家長昭博、前サンフレッチェ広島ウェズレイらを獲得した。

[編集] チームスローガン

  • 2003年:『ムーブ&バランス
  • 2004年:『Perform&Enjoy
  • 2005年:『Together&Enjoy
  • 2006年:『Challenge&Challenge
  • 2007年:『Challenge&Competition
  • 2008年:『One Heart,Big Challenge

[編集] ホームスタジアム

[編集] その他

  • 2006年、エンブレム、ロゴマーク、チームフラッグが「Tフレアー」と呼ばれるデザインコンセプトにより一新され、従来の「大分FC」が「FC大分」に変更された。
  • 毎年のようにオフには主力選手の流出が話題に上り、資金繰りに苦労するなど、世界的に見られる地方クラブの傾向が顕著である。しかし、若い世代の台頭に見られるように育成には定評がある(後述)。
  • 従来大分では、「レディーススクール」や「スキルアップスクール」等で登録チームを持たない形での女子サッカー選手の育成を行っていたが、将来なでしこリーグ参入を視野に入れ、下部組織としてJFA登録の女子サッカーチーム「大分トリニータレディース」を2007年4月に発足。2006年10月に第一回セレクションを開催し、30名の選手が選抜された。2007年に大分県女子サッカーリーグを優勝、続く九州各県女子リーグ決勝大会も優勝し、2008年より九州女子サッカーリーグに昇格した。
  • 地域スポーツ振興への取り組みも本格化し、2006年9月にはトリニータの下部組織として野球のリトルシニアチーム「大分東リトルシニア」を設立した。
  • J1に昇格した2003年から現在まで、2006年以外はJ1で唯一の九州に本拠地を置くチームとなる。つまり大分にとってはアウェイゲームはほとんどが長距離移動を強いられるため、それによる選手の疲労を心配する声も少なくない。
  • 上述のようにサポーターにとってもアウェイゲームは長距離移動になるが、大分市別府市からフェリーで関西へ行けるため、関西や名古屋での試合ではフェリーを使ったツアーが組まれ、比較的盛況である。広島や神戸などではアウェイにもかかわらず、ゴール裏サポーターの数はホームと同等程度にまでなることがある。
  • 日本文理大学と提携し、スポーツビジネス分野の講義に協力している。また、トリニータの岡中勇人が大学のサッカー部の監督に就任している。

[編集] チームの特徴

[編集] アウェーでの大物喰い

シャムスカ監督就任後、上位陣のチームに対して勝利する番狂わせを演じている。特にアウェー戦での「大物喰い」が目立つ。アウェーで勝利した「大物」は以下の通り。

2005年はG大阪、浦和に勝ち、セレッソ大阪、鹿島にも勝ち点3を与えなかったことが優勝争いを混沌とさせた一因になった。その結果、シャムスカ就任後は「大分は手強い」と他チームから評されるようになっている。

一方、ホームではそれほど大物喰いをしていない印象ではあるが、2007年現在、強豪である浦和や川崎フロンターレとは2005年以降2勝1分け、鹿島とはカップ戦を含めて2005年以降3勝2分けである。中でも2007年の対浦和戦では後半44分、対鹿島の試合では後半ロスタイムに同点においつき、土壇場でドローに持ち込むという劇的な試合を演じている。

[編集] 開幕戦

  • 2003年に念願のJ1入りを決めて以来2007年までの5年間、年間開幕試合に勝ち星を挙げることができなかったが、2008年の清水エスパルスとの対戦で開幕戦初勝利を挙げた。
  • 開幕戦の対戦相手には「大分の呪い」と呼ばれるジンクスが存在する(後述)。

[編集] サッポロビールサンクスデー

J1昇格後、年に1回開催されるサッポロビールがマッチスポンサーにつく「サッポロビールサンクスデー」では2008年の開催までで5勝1分と抜群の相性の良さを誇っている。

[編集] 他チームとの相性

  • 顕著に苦手としているのがジェフユナイテッド市原・千葉である。大量失点で敗れている試合も多く、中でも2007年の第23節では0-6で破れチーム最多失点記録を更新、不調の最中の千葉に久々の白星を与えてしまう程である。2005年に千葉が初勝利した相手も大分だった。しかし、2005年のホームゲームでは負けたものの好ゲームを演じており、それは当時監督だったイビチャ・オシムも賛辞を送ったほどである。第87回天皇杯4回戦で初勝利を挙げるがJリーグの試合では未勝利である。
  • 千葉と同じく、千葉県にホームタウンを持つ柏レイソルとの対戦成績を見ても分が悪かったが、近年は五分五分の成績である。
  • アルビレックス新潟には、J1では2005年まで0勝4敗と相性が悪かったが、シャムスカが監督に就任して以降は3勝2分けである。
  • 横浜FCにはJ2時代からカップ戦などを含め一度も負けがなかったが、2007年5月26日Jリーグ第13節で初黒星を喫した。ちなみに横浜FCはそれ以後勝ち星にしばらく見放されている。
  • 九州ダービーである同じ九州にホームタウンを持つ、アビスパ福岡サガン鳥栖にはめっぽう強く、後述の成績表を見ればわかるように、現在で負けたことがない。詳細は九州ダービーの当該項参照。
  • 清水エスパルスも分がいい相手であった。しかし、2005年のホームゲームの快勝以降、清水が上位に進出するようになると勝てなくなり、2008年の開幕戦まで大分は勝利することができなかった。
  • 川崎フロンターレとは、リーグ戦で九州石油ドームでは無敗である。2007年は当時絶不調あった大分が2-0で勝利するという大番狂わせを起こした。2008年は前半15分からDF深谷の退場で数的不利になった大分だったがスコアレスドローに持ち込んでいる。

[編集] チームの補強

資金力に乏しい地方クラブという事情もあり、大物選手(特に日本人)の獲得は難しい状況にある。その為、若手の育成やレンタルでの補強がチーム強化の生命線といっても過言ではない。

[編集] 若手の育成

  • ユースチームは発足からしばらくの間は目立った成果を残せていなかった。しかし、西川周作梅崎司日本代表に名を連ねるまでに成長した他、2005年に福元洋平、2007年には小手川宏基がユース在籍中に抜擢されトップチームでの出場を果たしている。ユース下部組織に関しては皇甫官がトップで指揮を執る前に指導してきたところによるものも大きいとされ、同氏は2006年から「育成部部長」に就任、下部組織のスタッフとしてトリニータに復帰した。現在も若い選手をトップに送り込むために厳しく教育している。
  • 一方で、高校・大学からのスカウトでも実績をあげている。2005年は深谷友基、2006年は高橋大輔が加入1年目にしてトリニータに欠かせない選手となった。また、西川や梅崎と同様にA代表にまで登りつめた高松大樹松橋章太もそれぞれの高校からの入団選手である。

このようなトップチームの強化策を継続してきた結果、今ではスタメンの半分以上が生え抜きで占められることも多くなり、毎年着実に順位を上昇させていく原動力となっている。

[編集] レンタルでの補強

  • 最近では根本裕一上本大海藤田義明鈴木慎吾などが活躍し、そのまま完全移籍で獲得した。2008年はG大阪から家長昭博、柏から小林亮らをレンタルで獲得したほか、2007年から継続で前田俊介をレンタルしている。レンタルからそのまま完全移籍になる選手も多いことから「借りパク(借りてそのままパクる)」などと揶揄されることがあるが、それは埋もれていた選手の才能を発揮させているということでもあり、レンタル補強がうまいことを証明している。

[編集] エピソード

[編集] カラーボード

開幕戦など重要な試合ではサポーターがカラーボード(PL学園高等学校野球部の応援団らがやっている人文字の類)を掲げて試合を盛り上げる。

  • 過去にはサポーターの背番号としている「12」や「GO!2006」や「OITA」などの人文字を作っている。
  • あくまでホームゴール裏のみで、浦和が埼玉スタジアムで行うようなスタジアム全体ではない。
  • アウェーでは九州ダービーとなった2006年の福岡戦で行なった。このときはアウェーシートから青と黄色のカラーボードを掲げた。福岡サポーターからも拍手が上がったほどで、監督のシャムスカや選手達は「ホームかと思った」というコメントを残した。

[編集] 大分の呪い

J1昇格後、開幕戦で対戦したチームがJ2に降格、または下位に低迷するため、一部で「大分の呪い」として恐れられている。ちなみにいずれも大分に勝利したチームである。

※いずれのチームもシーズン途中で監督が交代している。

しかし2007年は、アルビレックス新潟が第18節で3位まで上がり、過去最高の6位という成績でシーズンを終了している。

[編集] 守備放棄事件

2003年3月8日ナビスコ杯・対京都パープルサンガ戦(西京極)でその出来事は起こった。スコア1-1で迎えた後半17分、大分・高松大樹が負傷したために京都・松井大輔がボールを一旦フィールドの外に出した。

京都側がボールを出したので大分ボールのスローインとなるわけだが、サッカー界ではこのように試合を中断させるためにわざとボールを出した場合、相手(この場合は京都)にボールを返すのが「暗黙の了解」とされている。ボールを受けた寺川能人も京都の選手に向かって蹴ったのだが、なんとそのボールをロドリゴがカットしてしまい、そのまま強引にボールをゴールに押し込んでしまったのである。あくまで「暗黙の了解」であるため、ルール上は大分の得点として認められる。しかし京都側はマナーに反する行為であるとして猛烈に抗議し、会場は一時騒然となった。

その後京都側のキックオフで試合が再開されたが、当時大分の監督だった小林伸二は選手に対し守備を放棄するように指示。京都・中払大介のシュートを大分守備陣は見送り、スコアは2-2と再びイーブンになった。

くしくもこの試合はtotoGOALがスタートして最初の試合であった。「totoGOAL」は指定されたチームの得点を「0点」「1点」「2点」「3点以上」で予想するものであるため、今回の出来事がtotoGOALの結果を変えてしまったという点で問題となったが、日本サッカー協会川淵三郎キャプテンは大分の守備放棄という行為に対して「あの状況では仕方がなかった」という見解を示し、Jリーグ側も大分を処罰しなかった。

しかし「いくら暗黙の了解を破られたといっても、ロドリゴのゴールを防ぐことができなかった京都にも問題はある」という声もあり、この出来事が「フェアプレーとは何か」という大きな問題をサッカー界に投げかけたことは事実である。

[編集] サポーター居残り事件

2007年6月30日のJリーグ前半戦最終日、ホーム九州石油ドームでの対横浜Fマリノス戦にて、0-3にて惨敗。連敗続き、そして自動降格圏17位でチームに対し、サポーターの不満が爆発。試合終了後になっても約1000人のサポーターがスタジアムに2時間居残り、不甲斐無いチームや経営陣に不満への爆発させた。サポーターに対し、一度はスタッフが説明を行ったが、「社長出て来い」とサポーターは収まらず、最終的にはシャムスカ監督と話し合いを行った後に溝畑宏社長がサポーターの前に現れ、「本当に、すいません。近日中に、サポーターとの話し合いの場を設ける」ことを約束した。(この試合は午後7時からで9時に試合終了のナイトゲームだったため、事態は深夜までかかったという。)その後、7月8日にサポーターズカンファレンスが行われ、経営陣とサポーター代表との話し合いが持たれた。

  • 過去にも数度このようなことがあった。しかし、上述の件が全国ニュースとして配信されてしまったため、あまりサッカーに関心のない人まで知ることとなってしまった。

[編集] リベンジ16

上述の居残り事件を受け、危機感をより強く感じたチームは、2007年リーグ後半戦の16試合を「リベンジ16」と銘打って巻き返しを図った。「リベンジ三戦士」として鈴木慎吾ホベルトエジミウソンを獲得、即戦力の補強を行なうと、「リッジー」がこのプロジェクトのキャラクターとして登場し、これを盛り上げた。この16試合をほぼ五分の成績で終え、「前半戦で降格圏内にいるチームはJ2に降格する」というジンクスを見事に破り、J1残留を果たした。 リベンジ16自体は昨年で終了したが、この中で唯一対戦していなかった横浜F・マリノスについては、2007年に2戦とも大敗かつ無得点であったことから、2008年のホームゲームで「リベンジ」と銘打ってリッジーも再登場のもと行なわれた。試合は1-0で勝利し、リベンジを果たした。

[編集] 経営問題

[編集] スポンサー問題

2005年になって、前ユニフォーム胸スポンサーのトライバルキックス小室哲哉が代表を務めるレコードレーベル・企画会社)のスポンサー料未払い問題が発覚し、クラブの債務超過が問題となりチーム存続の危機に立たされていたが、大分県スポーツ文化振興財団が資本を融資、さらに6月にユニフォーム胸スポンサーとなったマルハンが2006年から6年間の年間シートを購入したことにより、当面の危機は回避された。ただ、このスポンサーに関してはJリーグの規定に抵触するのではないかとの指摘があったものの、特例として認められた(但しリーグスポンサーにパチンコ製造メーカーや消費者金融が傘下にあるノンバンクが名を連ねており、このスポンサーが本当に抵触するのかどうかの結論ははっきり出ていない。なお鹿島アントラーズプロミスがパンツ部分のユニフォームスポンサーになっている)。Jリーグ側はマルハンのトリニータを通じた社会貢献活動高く評価しているものの、「テレビ放映の規制等の問題より来期以降のユニフォームスポンサーは継続は難しい」との見解を出しており、2007年以降もマルハンとスポンサー契約を結んでいるものの、もしこのままユニフォーム胸スポンサーが承認されない場合、クラブ側は他企業にこの枠を与えることはせず、胸部分を空白(またはチームロゴ)にする方針だとコメントした。実際に2007年は胸の部分が空白のまま1年間戦い、2008年のユニフォームについても胸スポンサーの枠はないまま発表されている。また、マルハンの韓昌祐会長も「胸スポンサーという形でなくとも、トリニータを今後とも応援していきたい。」とこの件に関する2006年12月2日のマルハン・大分FC共同記者会見で明言している。

[編集] 観客動員

入場料収入に直結してくる観客動員数は2007年度が19,759人、J1で5番目である。これは浦和レッズアルビレックス新潟FC東京横浜F・マリノスに次いでいる。J1昇格後は、各年で平均2万人を超える動員を維持しているが、今後はクラブが打ち出している「3万人プロジェクト」の達成のためにより一層の工夫などが求められる。2006年までは、大分の観客動員数はほぼ横ばいで推移してきたが、2007年から減少傾向である。地元サポーターの動員力は素晴らしいが、アウェイサポーターは浦和戦を除き少ない。理由としては2008年時点でJ1の18クラブ中14クラブのホームタウンが東日本にあり、相手チームから見ると長距離かつ大分県の交通事情が芳しくない為平日や日曜開催の試合に行けないことや、交通費が掛かること等が挙げられる。2003年には横浜F・マリノスサポーターが「大分遠すぎ」という横断幕を掲げ話題になった。従来は無料招待に依存していた部分もあったが2006年から原則的に一般への無料招待を廃止しており(「地域招待」等に関してはマルハンシート等を活用)、有料入場者を増やし入場料収入を得ることも経営問題を解決する一つの手段であるといえよう。

[編集] チーム成績・歴代監督

年度 所属 試合 勝点 勝利 敗戦 引分 順位 監督
1994年 大分県1部 10 - 10 0 - 1位 文正植
1995年 九州社会人リーグ 18 - 16 2 - 1位
1996年 JFL 30 39 13 17 - 10位
1997年 30 29 11(*1) 19 - 12位 朴景和
1998年 30 45 16(*2) 14 - 6位 フォルミーガ
1999年 J2 36 63 21(*3) 12 3 3位 石崎信弘(2001年は11節まで)
2000年 40 81 26 11 3 3位
2001年 44 78 25(*4) 15 4 6位
小林伸二(2001年は12節以降)
2002年 44 94 28 6 10 優勝
2003年 J1 1st 15 15 4 8 3 14位 年間14位
2nd 15 11 1 6 8 16位
2004年 1st 15 17 5 8 2 10位 年間13位 ハン・ベルガー
2nd 15 13 3 8 4 16位
2005年 J1 34 43 12 15 7 11位 皇甫官(21節まで)
アーリ・スカンズ(代理。22節のみ)
ペリクレス・シャムスカ(2005年23節以降)
2006年 34 47 13 13 8 8位
2007年 34 41 12 17 5 14位
  • (*1):90分勝7(勝点21)、Vゴール勝4(同8)
  • (*2):90分勝14(勝点42)、Vゴール勝1(同2)、PK勝1(同1)
  • (*3):90分勝18(勝点54)、Vゴール勝3(同6)
  • (*4):90分勝24(勝点72)、Vゴール勝1(同2)

[編集] 対戦通算成績

  • (*1):かっこ内はVゴールでの決着
  • (*2):チーム名称は2007年現在のものを使用
  • (*3):天皇杯は第79回大会以降のJリーグチームとの対戦結果のみ記載
  • (*4):2007年終了時の成績

J1 J2 ナビスコカップ 天皇杯 通算
対戦チーム 勝利 敗戦 引分
勝利 敗戦 引分
勝利 敗戦 引分
勝利 敗戦
勝利 敗戦 引分
コンサドーレ札幌 - - -
3 4(3) 1
1 1 0
1 1
5 6 1
ベガルタ仙台 0 1 1
9(2) 3 0
- - -
- -
9 4 1
モンテディオ山形 - - -
7 6(2) 3
- - -
- -
7 6 3
鹿島アントラーズ 2 4 4
- - -
1 1 0
0 1
3 6 4
水戸ホーリーホック - - -
8(1) 3(1) 1
- - -
- -
8 3 1
ザスパ草津 - - -
- - -
- - -
1 0
1 0 0
浦和レッドダイヤモンズ 3 6 1
0 3 1
2 2 0
- -
5 11 2
大宮アルディージャ 3 2 1
9 6(2) 1
- - -
- -
12 8 2
ジェフユナイテッド市原・千葉 0 9 1
- - -
0 4 2
1 0
1 13 3
柏レイソル 1 2 5
- - -
1 0 1
- -
2 2 6
FC東京 3 3 4
0 3(1) 1
1 3 1
- -
4 8 6
東京ヴェルディ1969 1 5 0
- - -
- - -
1 0
2 6 0
川崎フロンターレ 2 2 2
8 2 2
0 2 0
0 1
10 7 4
横浜F・マリノス 2 6 2
- - -
- - -
0 1
2 7 2
横浜FC 1 1 0
8 0 0
2 0 0
- -
11 1 0
湘南ベルマーレ - - -
7 3(1) 2
1 0 1
- -
8 3 3
ヴァンフォーレ甲府 2 2 0
14(1) 1 1
- - -
1 0
17 3 1
アルビレックス新潟 2 4 2
7 6(3) 3
- - -
- -
9 10 5
清水エスパルス 4 3 3
- - -
0 2 0
- -
4 5 3
ジュビロ磐田 2 7 1
- - -
0 3 1
0 1
2 11 2
名古屋グランパスエイト 3 5 2
- - -
0 1 1
- -
3 6 3
京都サンガF.C. 3 0 1
1 3 0
2 1 1
0 1
6 5 2
ガンバ大阪 4 6 0
- - -
- - -
0 2
4 8 0
セレッソ大阪 3 3 2
1 1 2
- - -
0 1
4 5 4
ヴィッセル神戸 5 1 2
- - -
- - -
- -
5 1 2
サンフレッチェ広島 3 3 2
- - -
- - -
- -
3 3 2
アビスパ福岡 1 0 1
3 0 1
- - -
- -
4 0 2
サガン鳥栖 - - -
15 0 1
- - -
- -
15 0 1
通算 50 75 37
100(4) 44(13) 20
11 20 8
5 9
166 148 65

[編集] 得失点記録(Jリーグ加盟後)

[編集] 最多得点試合

ホーム

アウェー

[編集] 最多失点試合

ホーム

アウェー

[編集] 獲得タイトル

[編集] 個人別タイトル

優秀新人賞
フェアプレイ個人賞
優秀選手賞

[編集] チームカラー

  • チームカラーは青、黄
ユニフォームの色
カラー シャツ パンツ ストッキング
FP(1st)
FP(2nd) グレー グレー×黒
GK(1st)
GK(2nd)
GK(3rd) 黄緑 黄緑 黄緑
Team colours Team colours Team colours
Team colours
Team colours
 
FP 1st
Team colours Team colours Team colours
Team colours
Team colours
 
FP 2nd
Team colours Team colours Team colours
Team colours
Team colours
 
GK 1st
Team colours Team colours Team colours
Team colours
Team colours
 
GK 2nd
Team colours Team colours Team colours
Team colours
Team colours
 
GK 3rd

[編集] スポンサー

[編集] スペシャルスポンサー

マルハン

[編集] ユニフォームスポンサー

[編集] 過去のユニフォームスポンサー

※マルハンが業種を理由に、Jリーグ実行委員会から胸スポンサーの承認が得られなかったため、同社は2007年シーズンは「スペシャルスポンサー」という扱いとなり、大分FCは胸スポンサーの権利を他社に与えず、空白とすることにした。これは次回のJリーグ実行委員会が行われる2007年7月までの暫定措置であったが、2008年2月現在もJリーグ実行委員会で引き続き審議中であるため、2008年シーズンも当分の間胸はスポンサー無しの状態となる(実質的な胸スポンサーがマルハンであることに変わりはない)。

[編集] ユニフォームサプライの遍歴

[編集] 歴代ユニフォームスポンサー年表

年度 背番号 パンツ サプライヤー
1998年 PUMA
1999年 ペイントハウス PUMA
2000年 ペイントハウス NEXD SOPH. PAINT HOUSE PUMA
2001年 ペイントハウス NEXD SOPH. PAINT HOUSE PUMA
2002年 ペイントハウス Coca Cola PAINT HOUSE SOPH. PUMA
2003年 ペンタくん Coca Cola コロンブスの床 さとうベネック SOPH. PUMA
2004年 ペンタくん Coca Cola コロンブスの床 さとうベネック SOPH. PUMA
2005年 MARUHAN Coca Cola Joyfull SOPH. PUMA
2006年 MARUHAN Joyfull BOWS Coca Cola PUMA
2007年 - Joyfull BOWS Coca Cola PUMA
2008年 - Joyfull オメガプロジェクト Coca Cola PUMA


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[編集] スタジアムDJ

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