大分トリニータ

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大分トリニータ
原語表記 大分トリニータ
愛称 トリニータ
クラブカラー      ブルー
     イエロー
創設年 1994年
所属リーグ Jリーグ
所属ディビジョン ディビジョン1(J1)
ホームタウン 大分市別府市
佐伯市を中心とする大分県全県
ホームスタジアム 九州石油ドーム
収容人数 40,000
運営法人 株式会社大分フットボールクラブ
代表者 溝畑宏
監督 ペリクレス・シャムスカ
公式サイト 公式サイト
  サッカークラブPJ

大分トリニータ(おおいたトリニータ、Oita Trinita)は、日本大分県をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)加盟のプロサッカークラブ。大分フットボールクラブのトップチーム名および呼称。

目次

[編集] クラブの概要・歴史

[編集] クラブ概要

運営法人は株式会社大分フットボールクラブ。クラブマスコットは、亀がモチーフのニータン

1999年、J2が創設された際にJリーグ加盟。ホームタウン大分県大分市別府市佐伯市を中心とした全県。ホームスタジアムは九州石油ドーム。練習は同競技場に隣接する、大分県サッカー協会と大分FCが共同運営する大分スポーツクラブのサッカーグラウンド、大分市営陸上競技場等が使われている。チーム名・呼称は、三位一体を表す英語「トリニティ(Trinity)」とホームタウン名「大分(Oita)」を合わせた造語で、イタリア語で「三位一体」を表すTrinitaと同じ綴りになっている。県民・企業・行政が一致団結することを表している。

2006年、エンブレム、ロゴマーク、チームフラッグが「Tフレアー」と呼ばれるデザインコンセプトにより一新され、クラブとしての略称「大分FC」が「FC大分」に変更された。運営法人名とは無関係。

[編集] チームスローガン

  • 2003年:『ムーブ&バランス
  • 2004年:『Perform&Enjoy
  • 2005年:『Together&Enjoy
  • 2006年:『Challenge&Challenge
  • 2007年:『Challenge&Competition
  • 2008年 - :『One Heart,Big Challenge

[編集] JFL時代

1994年3月に任意団体「大分フットボールクラブ」として発足。競技登録上のチーム名は「大分」または「大分FC」で、「大分トリニティ」という愛称が付けられる。大分県リーグ(当時は1部リーグのみ)と九州リーグを連覇して1996年に全国地域リーグ決勝大会で2位に入り、設立わずか2年でジャパンフットボールリーグ参戦を果たす。

当初は文正植朴景和と韓国人監督のもと外国籍選手についても皇甫官崔大植といった韓国代表歴を持つ選手を中心としたチームだった。 1998年はブラジル人監督のフォルミーガを招聘し、外国籍選手にもウィルを補強するなど路線変更が見られた。

[編集] J2時代

1999年1月、運営法人「株式会社大分フットボールクラブ」を設立、Jリーグに加盟しJ2に参加。なお、「トリニティ」の名前がブランメル仙台(現:ベガルタ仙台)同様、商標登録の関係で正式なチーム名として使えないため、Jリーグ加盟参加と同時にチーム名及び、呼称を現在の「大分トリニータ」に改めた。

J2参加にあたり、監督にはモンテディオ山形を率いていた石崎信弘を招聘した。J2初年度から昇格争いに加わるが、1999年2000年とも3位、それも2年続けて「2位との勝ち点差1」で昇格を逃してしまう。2001年は序盤から出遅れたこともあり、シーズン途中の5月で石崎は解任された。新たに監督に就任した小林伸二は守備の建て直しに成功し、チームは最終節まで昇格を争うところまで持ち直したが、結局6位に終わってしまう。

2002年浮気哲郎サンドロアンドラジーニャ等を補強し昨年作り上げた堅守速攻で悲願のJ1昇格を目指した。チームは序盤から首位を独走してJ2優勝を達成、悲願のJ1昇格を果たした。また、最終節で史上初のJ2通算100勝を達成した。

[編集] 2003年

小林が引き続き指揮を執り、MF寺川能人、前年コパ・リベルタドーレス得点王のロドリゴ等の選手を補強。2年間で作り上げた堅守を武器に初のJ1に臨んだ。しかし、期待のロドリゴは期待されたような活躍は出来ずシーズン途中で退団。結果、ストライカーが不在となり守備はある程度通用するも深刻な得点力不足に陥った。3年振りの復帰となるウィル等多くの外国人FWを補強するも得点力不足は一向に改善されず、2試合で1点も取れないようなペースが続き、2ndステージでは15試合でわずか7得点しか挙げられなかった。最終節の15位・ベガルタ仙台戦は、負けた方がJ2降格(引き分けの場合大分が残留)という状況となりスタジアムは異様な雰囲気に包まれた。試合は1-1で引き分け大分の年間順位は14位(第1ステージ14位、第2ステージ16位)となり、ギリギリでの残留に成功。小林は成績不振の責任をとりこの年限りで辞任した。

ちなみに、この年の2ndステージの失点数はリーグ最小の16であり、2ndステージではリーグ最小失点で最下位という珍記録を作ってしまった(これには小林が2ndステージ以降、極端な守備的戦術を取っていたことが理由に挙げられる)。

[編集] 2004年

オランダ人監督のハン・ベルガーを監督に迎え、寺川がわずか1年で新潟に復帰するものの、元ブラジル代表で2003年には全北現代で得点ランキング2位となる27得点を記録したマグノ・アウベス、元オランダ代表でFCバルセロナ在籍経験もあるリチャード・ビチュヘ、ベガルタ仙台で左サイドバックとして活躍しアテネ五輪代表候補でもあった根本裕一などを補強し攻撃サッカーへの転換を図る。序盤はマグノとビチュヘが期待通りの活躍を見せ、J1昇格後初の逆転勝ちを果たすなど順調に勝ち星を挙げ、1stステージは10位で終える。

しかし、ビチュヘが退団した2ndステージでは一気に失速。緊急補強としてDFパトリックを獲得するも歯止めは利かず、終わってみれば2年連続の最下位となった。マグノが11ゴールを決め高松もそれに次ぐ8ゴールなどの活躍もあったが、その他の選手はほとんど点が取れず得点力不足は解決をしなかった。結局年間13位に終わり、ベルガーもシーズン終了後に辞任した。

[編集] 2005年

前監督の解任により皇甫官がヘッドコーチから監督に昇格した。また前年度のゲームキャプテンを務め、3年間ディフェンスの要として活躍したサンドロも退団。新外国人FWドドの不調もあり序盤は苦しい戦いが続く。その後は最高8位まで上がり、持ち直したかと思われたが主将吉田孝行の怪我もあり再び失速。ヴィッセル神戸との最下位争いから抜け出せず、直接対決でも1-2で敗戦するなどチーム状態がどん底だったため、皇甫官を8月28日付で解任。後任監督にペリクレス・シャムスカが就任した。

初采配となった浦和レッズ戦を2-1で勝利すると、そこから破竹の勢いで勝利を積み上げ、当初に掲げていた「残り12試合で勝ち点18」の目標をわずか8試合(6勝1敗1分け、勝ち点19)で達成、目標を7位に修正するほど好調だった。この出来事は「シャムスカマジック」と呼ばれた。11月23日セレッソ大阪戦に1-1で引き分けたことでJ1残留が決定した。この年の最終順位は11位と過去3年で最高順位だった。

[編集] 2006年

シャムスカが引き続き指揮を執った。チーム得点王のマグノ・アウベス、主将を務めていた吉田孝行等、多くの選手が他クラブに移籍、または戦力外となった一方で、マグノに代わるストライカーとして期待されたオズマール柏レイソルより元日本代表の増田忠俊らを獲得。25人という少数精鋭で2006シーズンに望んだ。序盤戦こそはややつまづいたものの、松橋章太や後述の若手選手の台頭により調子を上げ夏場には4連勝、更にはこの年のリーグチャンピオンである浦和レッズから白星をあげるなどをし一時はチーム最高順位(当時)である5位まで浮上した。その為、シーズン前に掲げた目標を「8位以内」から「4位以内」に修正し10月にはJ1残留が決まった。ただ、そこから疲労の為か失速、下位相手に勝ち星を上げる事が出来ず、8位でシーズンを終えた。

またチーム創設以来初めて、A代表西川周作梅崎司、後に高松大樹も招集され、梅崎と高松は試合にも出場した。これもリーグ戦での好調さを評価されてのことである。また、若手が台頭してきており、西川や梅崎以外にも高橋大輔福元洋平森重真人らが試合に起用され、特に高橋はレギュラーの座を梅田高志から奪った。

[編集] 2007年

エジミウソントゥーリオのボランチコンビが去り、新たにジュニオール・マラニョン宮沢正史を穴埋めとして補強した。しかし、その二人が組んだ新ボランチコンビが機能せず、第7節 横浜F・マリノス戦で0-5、第8節 ガンバ大阪戦で0-4と、大量失点で負ける試合も少なくなかった。第13節には最下位の横浜FCにも1-2で敗北を喫するなど不振が続き、前半戦(第18節)終了時点で自動降格圏内である17位と低迷した。

J1残留のためにリーグ後半戦をリベンジ16と銘打ち、アルビレックス新潟より鈴木慎吾、元アビスパ福岡ホベルト、そして3度目の加入となるエジミウソンの「リベンジ三戦士」を獲得した。その結果、後半戦はチーム状態が回復し、コンスタントに白星を重ねるようになる。中でも第31節は同じく残留争いをしていた大宮アルディージャとの直接対決で、激しい雨の中後半43分に前田俊介が劇的なゴールを決め2-1で勝利し、残留をほぼ確実にした。2節後の第33節 ジュビロ磐田戦を1-0で勝利し、J1残留が確定した。

[編集] 2008年

チームの財政事情もありシーズン前に梅崎司松橋章太三木隆司等主力級選手が他クラブに次々と移籍。その穴を埋めるべく、ガンバ大阪よりオリンピック代表としても期待された家長昭博、前サンフレッチェ広島で、歴代外国籍選手のゴール数1位の記録を持つウェズレイらを獲得した。また、マスコットであるニータンもこの年に誕生した。リーグでは守備陣が好調を維持し、リーグトップレベルの堅守(サッカーイタリア代表の「カテナチオ」とクラブマスコットであるカメのニータンを掛け合わせ「カメナチオ」と呼称)をみせ、J1リーグ過去最少の24失点(1試合平均0.706点)を記録した。ナビスコカップでは見事優勝を果たし、クラブ初のタイトルを獲得した。九州のチームがJリーグの主要タイトルを獲得するのは初めて。また、J2からスタートしたチームとしてはFC東京に次ぎ5年ぶりで、西日本のチームとしても前年のガンバ大阪に続いての制覇となった。

一方、Jリーグでも優勝争いを演じ、チーム最高の4位でシーズンを終え、前述のナビスコ杯制覇も含めクラブとしても大きく成長したシーズンであった。ただ、得点数が33得点(リーグワースト2位)と攻撃力不足の改善が来期以降の大きな課題となったシーズンでもあった。

[編集] 2009年

2009年の補強はヴィッセル神戸から坪内秀介を期限付きで獲得と新人2人と非常に少ない補強となったが、FC岐阜にレンタル移籍していた梅田高志と、ベガルタ仙台にレンタル移籍をしていた宮沢正史の2人のベテランがそれぞれ復帰。一方、主力の退団はレンタル移籍で加入していた小林亮ほどで、ほぼ前年と同じメンバーで戦う事となった。7年目に初の国際試合で、ロサンゼルスで行われたパンパシフィックチャンピオンシップ2009にナビスコカップ優勝チームとして出場し、3位で終わる。8月5日にはスルガ銀行チャンピオンシップが開催され、SCインテルナシオナルを九石ドームに迎える。 しかし、リーグが始まると、怪我または出場停止により多数の主力選手が欠場。パンパシ杯があるにも拘らずチーム始動が遅く、フィジカルトレーニングが充分に行えなかった等の要因が重なり最下位に低迷している。5月23日のサンフレッチェ広島戦で敗戦を喫した事で10連敗となり、延長戦が廃止された2003年以降のJ1では、2007年の横浜FCの9連敗を抜いてワースト記録となった(6月28日現在も継続中)。

一方、連覇を懸け望んだナビスコ杯予選は、終盤に追いつかれる等勝ち切れない試合が多く、結局無敗(1勝5分)ながら予選敗退となった。ただ、最終節の新潟戦は2-1で勝利し、実に17試合振りの白星を挙げた。

[編集] チームの特徴

[編集] アウェーでの大物喰い

シャムスカ監督就任後、上位陣のチームに対して勝利する番狂わせを演じている。特にアウェー戦での「大物喰い」が目立つ。アウェーで勝利した「大物」は以下の通り。

2005年はG大阪、浦和に勝ち、C大阪、鹿島にも勝ち点3を与えなかったことが優勝争いを混沌とさせた一因になった。その結果、シャムスカ就任後は「大分は手強い」と他チームから評されるようになっている。

一方、ホームでは、2007年現在、強豪である浦和や川崎とは2005年以降2勝1分けである。中でも2007年の対浦和戦は後半44分、同点においつき、土壇場でドローに持ち込むという劇的な試合を演じている。

[編集] 開幕戦

  • 2003年に念願のJ1入りを決めて以来2007年までの5年間、年間開幕試合に勝ち星を挙げることができなかったが、2008年の清水エスパルスとの対戦で開幕戦初勝利を挙げた。
  • 開幕戦の対戦相手には「大分の呪い」と呼ばれるジンクスが存在する。

[編集] サッポロビールサンクスデー

J1昇格後、年に1回開催されるサッポロビールがマッチスポンサーにつく「サッポロビールサンクスデー」では2008年の開催までで5勝1分と抜群の相性の良さを誇っている。

[編集] 他チームとの相性

  • 顕著に苦手としているのがジェフユナイテッド市原・千葉である。大量失点で敗れている試合も多く、中でも2007年の第23節では0-6で破れチーム最多失点記録を更新、不調の最中の千葉に久々の白星を与えてしまう程である。2005年に千葉が初勝利した相手も大分だった。しかし、2005年のホームゲームでは負けたものの好ゲームを演じており、それは当時監督だったイビチャ・オシムも賛辞を送ったほどである。2007年の第87回天皇杯4回戦で初勝利を挙げるがJリーグの試合では未勝利である。
  • 千葉と同じく、千葉県にホームタウンを持つ柏レイソルとの対戦成績を見ても、ドローが多く、やや分が悪かったが、近年は五分五分の成績である。
  • 浦和レッズにはJ2時代から2004年までは全く勝てなかった。しかし、2005年以降はホームでは1度も負けていない。シャムスカの就任後はアウェーゲームを含め、ほぼ互角の勝負を演じている。
  • 大宮アルディージャとはJ2からの通算成績では勝ち越しているが、J1での成績は五分である。アウェーゲームに関しては、J1昇格を決めた試合や大宮公園サッカー場改装後の杮落としなどエピソードが多いカードである。
  • 横浜FCにはJ2時代からカップ戦などを含め一度も負けがなかったが、2007年Jリーグ第13節で初黒星を喫した。
  • 川崎フロンターレとは、リーグ戦で九州石油ドームでは無敗である。2007年は当時絶不調だった大分が2-0で勝利するという大番狂わせを起こした。2008年は前半15分からDF深谷の退場で数的不利になった大分だったがスコアレスドローに持ち込んでいる。川崎の関塚隆監督(当時)が2006年、2007年と2年連続で九州石油ドームで退席処分となる珍記録がある。
  • アルビレックス新潟には、J1では2005年まで0勝4敗と相性が悪かったが、シャムスカが監督に就任して以降は4勝2分けでカップ戦まで含めても負けていない。J2からの戦績は五分五分で、サポーター同士ではそのような意識は特別持っていないが、雑誌では「ライバル」であるかのような記述が見られる。
  • 清水エスパルスは分がいい相手だった。しかし、2005年のホームゲームの快勝以降、清水が上位に進出するようになると勝てなくなり、2008年の開幕戦まで大分は勝利することができなかった。シャムスカが監督に就任してから勝てなくなった珍しい例である。しかし、2008年度のリーグ戦では1勝1分で、ナビスコカップ決勝では2-0で勝利しているため、苦手意識は払拭されている感はある。
  • ヴィッセル神戸との相性がよい。特に2007年は高橋大輔がシーズン10得点のうち4得点を挙げている。上述のように、週末のアウェーではフェリーを使ったサポーターが大挙する。しかし、2008年、2009年とアウェーゲームを落としている。
  • 同じ九州にホームタウンを持つ、アビスパ福岡サガン鳥栖にはめっぽう強く、Jリーグの公式戦では負けたことがない(但し旧JFL時代や天皇杯では負けもある)。詳細は九州ダービーの当該項参照。
  • 名古屋グランパスには、2005年までは苦手としていたが、シャムスカ監督就任後の2005年に2-0で完勝。翌年にもアウェーで3-0で完勝している。またかつての名古屋のエースストライカーであったウェズレイの加入以降は、ほぼ互角の対戦成績となっている。

[編集] チームの補強

資金力に乏しい地方クラブという事情もあり、大物選手(特に日本人)の獲得は難しい状況にある。その為、若手の育成やレンタルでの補強がチーム強化の生命線といっても過言ではない。

[編集] 若手の育成

  • ユースチームは発足からしばらくの間は目立った成果を残せていなかった。しかし、西川周作梅崎司日本代表に名を連ねるまでに成長した他、2005年に福元洋平、2007年には小手川宏基がユース在籍中に抜擢されトップチームでの出場を果たしている。ユース下部組織に関しては皇甫官がトップで指揮を執る前に指導してきたところによるものも大きいとされ、彼は2006年から「育成部部長」に就任、下部組織のスタッフとしてトリニータに復帰した。現在も若い選手をトップに送り込むために厳しく教育している。
  • 一方で、高校・大学からのスカウトでも実績をあげている。2005年は深谷友基、2006年は高橋大輔が加入1年目にしてトリニータに欠かせない選手となった。また、西川や梅崎と同様にA代表にまで登りつめた高松大樹金崎夢生森重真人もそれぞれの高校からの入団選手である。

このようなトップチームの強化策を継続してきた結果、今ではスタメンの半分以上が生え抜きで占められることも多くなり、毎年着実に順位を上昇させていく原動力となっている。

[編集] レンタルでの補強

  • 最近では上本大海藤田義明鈴木慎吾森島康仁前田俊介などが活躍し、そのまま完全移籍で獲得した。2009年は神戸から坪内秀介をレンタルで獲得したほか、2008年から継続してガンバ大阪から家長昭博をレンタルしている。レンタル移籍からそのまま完全移籍になる選手も多いことから「借りパク(借りてそのままパクる、の意)」などと揶揄されることがあるが、それは選手の埋もれていた才能を発揮させているということでもあり、レンタル補強で結果を出している、とも言える。

[編集] エピソード

[編集] カラーボード

開幕戦など重要な試合ではサポーターがカラーボード(人文字)を掲げて試合を盛り上げる。

  • 過去にはサポーターの背番号である「12」や「GO!2006」、「OITA」などの人文字を作っている。
  • あくまでホームゴール裏のみで、浦和が埼玉スタジアムで行うような、スタジアム全体ではない。
  • アウェーでは九州ダービーとなった2006年の福岡戦で行なった。このときはアウェー席から青と黄色のカラーボードを掲げた。福岡サポーターからも拍手が上がったほどで、監督のシャムスカや選手達は「ホームかと思った」というコメントを残した。
  • 2008年、国立競技場でのナビスコカップ決勝戦でも掲げている。これまでで最大規模であり、カラーボードも決勝進出にあわせて有志が追加作成したものである。

[編集] 大分の呪い

J1昇格後、開幕戦で対戦したチームがJ2に降格、または下位に低迷するため、一部で「大分の呪い」として恐れられている[誰?]。ちなみにいずれも大分に勝利したチームである。

※いずれのチームもシーズン途中で監督が交代している。

しかし2007年は、アルビレックス新潟が第18節で3位まで上がり、過去最高の6位という成績でシーズンを終了、2008年も、清水エスパルスは序盤こそ下位に低迷したが、5位でシーズンを終えている。2007年は引き分け、2008年は大分が勝利したため、この呪いは消えつつあるか、大分に勝利しないと発動しないのではないかと言われている。

[編集] 守備放棄試合

2003年3月8日ナビスコ杯・対京都パープルサンガ戦(西京極)でその出来事は起こった。スコア1-1で迎えた後半17分、大分・高松大樹が負傷したために京都・松井大輔がボールを一旦フィールドの外に出した。

京都側がボールを出したので大分ボールのスローインとなる。サッカー界ではこのように試合を中断させるためにわざとボールを出した場合、相手(この場合は京都)にボールを返すのが「暗黙の了解」とされている。ボールを受けた寺川能人も京都の選手に向かって蹴ったが、そのボールをロドリゴがカットし、そのまま強引にボールをゴールに押し込んでしまった。あくまで「暗黙の了解」であるため、ルール上は大分の得点として認められる。しかし京都側はマナーに反する行為であるとして猛烈に抗議し、会場は一時騒然となった。

その後京都側のキックオフで試合が再開されたが、当時大分の監督だった小林伸二は選手に対し守備を放棄するように指示。京都・中払大介のシュートを大分守備陣は見送り、スコアは2-2と再びイーブンになった。

奇しくもこの試合はtotoGOALがスタートして最初の試合だった。「totoGOAL」は指定されたチームの得点を「0点」「1点」「2点」「3点以上」で予想するものであるため、今回の出来事がtotoGOALの結果を変えてしまったという点で問題となったが、日本サッカー協会川淵三郎キャプテンは大分の守備放棄という行為に対して「あの状況では仕方がなかった」という見解を示し、Jリーグ側も大分を処罰しなかった。

しかし「いくら暗黙の了解を破られたといっても、ロドリゴのゴールを防ぐことができなかった京都にも問題はある」という声もあり、この出来事は「フェアプレーとは何か」という大きな問題をサッカー界に投げかけた。

[編集] サポーター居残り事件

2007年6月30日のJリーグ前半戦最終日、ホーム九州石油ドームでの対横浜F・マリノス戦にて、0-3にて惨敗。連敗続き、そして自動降格圏17位でチームに対し、約1000人のサポーターがスタジアムに試合終了後2時間居残り、不甲斐無いチームや経営陣に不満への爆発させた。サポーターに対し、一度はスタッフが説明を行ったが、「社長出て来い」とサポーターは収まらず、最終的にはシャムスカ監督と話し合いを行った後に溝畑宏社長がサポーターの前に現れ、「本当に、すいません。近日中に、サポーターとの話し合いの場を設ける」ことを約束した。この試合は午後7時からで9時に試合終了のナイトゲームだったため、事態は深夜までかかったという。その後、7月8日にサポーターズカンファレンスが行われ、経営陣とサポーター代表との話し合いが持たれた。

  • 過去にも数度このようなことがあった。しかし、この件は全国ニュースとして配信され[要出典]、あまりサッカーに関心のない人まで知ることとなった。

[編集] リベンジ16

上述の居残り事件を受け、危機感をより強く感じたチームは、2007年リーグ後半戦の16試合を「リベンジ16」と銘打って巻き返しを図った。「リベンジ三戦士」として鈴木慎吾ホベルトエジミウソンを獲得、即戦力の補強を行なうと、「リッジー」がこのプロジェクトのキャラクターとして登場し、これを盛り上げた。この16試合を8勝7敗1分と、ほぼ五分の成績で終え、「前半戦で降格圏内にいるチームはJ2に降格する」というジンクスを見事に破り、J1残留を果たした。

リベンジ16自体は昨年で終了したが、この中で唯一対戦していなかった横浜F・マリノスについては、2007年に2戦とも大敗かつ無得点(第7節・A0-5/第18節・H0-3)だったことから、2008年のホームゲームで「リベンジ」と銘打ってリッジーも再登場のもと行なわれた。試合は1-0で勝利し、リベンジを果たした。

[編集] 経営問題

[編集] スポンサー問題

2005年になって、前ユニフォーム胸スポンサーの小室哲哉が代表を務めるレコードレーベル・企画会社トライバルキックスのスポンサー料未払い問題が発覚し、クラブの債務超過が問題となりチーム存続の危機に立たされた。大分県スポーツ文化振興財団が資本を融資、さらに6月にユニフォーム胸スポンサーとなったマルハンが2006年から6年間の年間シートを購入したことにより、当面の危機は回避された。このスポンサーに関してはJリーグの規定に抵触するのではないかとの指摘があったものの、特例として認められた。

なお、このスポンサーが本当に抵触するのかどうかの結論ははっきり出ていない。リーグスポンサーにパチンコ製造メーカーや消費者金融が傘下にあるノンバンクが名を連ねており、鹿島アントラーズプロミスがパンツ部分のユニフォームスポンサーになっている。

Jリーグ側はマルハンのトリニータを通じた社会貢献活動を評価しているが、「テレビ放映の規制等の問題より来期以降のユニフォームスポンサーは継続は難しい」との見解を出している。2007年以降もマルハンとスポンサー契約を結んでいるが、もしこのままユニフォーム胸スポンサーが承認されない場合、クラブ側は他企業にこの枠を与えることはせず、胸部分を空白(またはチームロゴ)にする方針だとコメントした。実際に2007年は胸の部分が空白のまま1年間戦い、2008年のユニフォームについても胸スポンサーの枠はないまま発表されている。また、マルハンの韓昌祐会長も「胸スポンサーという形でなくとも、トリニータを今後とも応援していきたい。」とこの件に関する2006年12月2日のマルハン・大分FC共同記者会見で明言している。

[編集] 観客動員

入場料収入に直結してくる観客動員数は2007年度が19,759人。これは浦和レッズアルビレックス新潟FC東京横浜F・マリノスに次いでJ1で5番目である。J1昇格後は、各年で平均2万人を超える動員を維持しているが、今後はクラブが打ち出している「3万人プロジェクト」の達成のためにより一層の工夫などが求められる。2006年までは、観客動員数はほぼ横ばいで推移してきたが、2007年から減少傾向である。地元サポーターの動員力はあるが、アウェイサポーターは浦和戦を除き少ない。理由としては2008年時点でJ1の18クラブ中14クラブのホームタウンが東日本にあり、相手チームから見ると長距離かつ大分県の交通事情が芳しくない為平日や日曜開催の試合に行けないことや、交通費が掛かること等が挙げられる(2003年には横浜FMサポーターが「大分遠すぎ」という横断幕を掲げ話題になった)。従来は無料招待に依存していた部分もあったが2006年から原則的に一般への無料招待を廃止しており、有料入場者を増やし入場料収入を得ることも経営問題を解決する一つの手段であるといえよう。なお、「地域招待」等に関してはマルハンシート等を活用している。

[編集] その他

  • 毎年のようにオフには主力選手の流出が話題に上り、資金繰りに苦労するなど、世界的に見られる地方クラブの傾向が顕著である。しかし、若い世代の台頭に見られるように育成には定評がある。
  • 従来大分では、「レディーススクール」や「スキルアップスクール」等で登録チームを持たない形での女子サッカー選手の育成を行っていたが、将来なでしこリーグ参入を視野に入れ、下部組織としてJFA登録の女子サッカーチーム「大分トリニータレディース」を2007年4月に発足。2006年10月に第一回セレクションを開催し、30名の選手が選抜された。2007年に大分県女子サッカーリーグを優勝、続く九州各県女子リーグ決勝大会も優勝し、2008年より九州女子サッカーリーグに昇格した。
  • 地域スポーツ振興への取り組みも本格化し、2006年9月には下部組織として野球のリトルシニアチーム「大分東リトルシニア」を設立した。
  • J1に昇格した2003年から現在まで、2006年以外はJ1で唯一の九州に本拠地を置くチームとなる。大分にとってはアウェイゲームはほとんどが長距離移動を強いられるため、それによる選手の疲労を心配する声も少なくない。
    • サポーターにとってもアウェイゲームは長距離移動になるが、大分市別府市からフェリーで関西へ行けるため、関西や名古屋での試合ではフェリーを使ったツアーが組まれ、比較的盛況である。広島や神戸などではアウェイにもかかわらず、ゴール裏サポーターの数はホームと同等程度にまでなることがある。
  • 日本文理大学と提携し、スポーツビジネス分野の講義に協力している。また、トリニータのOBである岡中勇人が大学のサッカー部の監督に就任している。

[編集] 所属選手

No. Pos. 選手名
1 日本の旗 GK 西川周作
2 日本の旗 DF 坪内秀介
3 ブラジルの旗 MF ホベルト
4 日本の旗 DF 深谷友基
5 ブラジルの旗 MF エジミウソン
6 日本の旗 DF 森重真人
7 日本の旗 MF 西山哲平
8 日本の旗 MF 金崎夢生
9 日本の旗 FW 森島康仁
10 ブラジルの旗 FW ウェズレイ
11 日本の旗 MF 鈴木慎吾
12 サポーター
13 日本の旗 FW 高松大樹
14 日本の旗 MF 家長昭博
16 日本の旗 GK 下川誠吾
No. Pos. 選手名
18 日本の旗 FW 住田貴彦
19 日本の旗 FW 前田俊介
20 日本の旗 FW 高橋大輔
21 日本の旗 MF 東慶悟
22 日本の旗 DF 上本大海
23 日本の旗 GK 石田良輔
25 日本の旗 DF 小林宏之
26 日本の旗 DF 池田達哉
27 日本の旗 MF 小手川宏基
28 日本の旗 MF 清武弘嗣
29 日本の旗 GK 清水圭介
30 日本の旗 MF 井上裕大
32 日本の旗 MF 宮沢正史
33 日本の旗 DF 藤田義明
34 日本の旗 MF 梅田高志

[編集] チーム成績・歴代監督

[編集] 大分トリニータ

リーグ 順位 勝点 天皇杯 ナビスコ杯 監督
1999年 J2 3 63 21 3 12 3回戦敗退 2回戦敗退 石崎信弘
2000年 J2 3 81 26 3 11 3回戦敗退 1回戦敗退
2001年 J2 6 78 25 4 15 3回戦敗退 2回戦敗退 石崎信弘/小林伸二
2002年 J2 優勝 94 28 10 6 4回戦敗退 出場せず 小林伸二
2003年 J1 14 26 5 11 14 4回戦敗退 予選敗退
2004年 J1 13 30 8 6 16 4回戦敗退 予選敗退 ハン・ベルガー
2005年 J1 11 43 12 7 15 5回戦敗退 予選敗退 皇甫官アーリ・スカンズ(代行)
ペリクレス・シャムスカ
2006年 J1 8 47 13 8 13 5回戦敗退 予選敗退 ペリクレス・シャムスカ
2007年 J1 14 41 12 5 17 5回戦敗退 予選敗退
2008年 J1 4 56 16 8 10 4回戦敗退 優勝

[編集] 大分トリニティ

年度 所属 試合 勝点 勝利 敗戦 引分 順位 監督
1994年 大分県1部 10 - 10 0 - 1位 文正植
1995年 九州社会人リーグ 18 - 16 2 - 1位
1996年 JFL 30 39 13 17 - 10位
1997年 30 29 11(*1) 19 - 12位 朴景和
1998年 30 45 16(*2) 14 - 6位 フォルミーガ
  • (*1):90分勝7(勝点21)、Vゴール勝4(勝点8)
  • (*2):90分勝14(勝点42)、Vゴール勝1(勝点2)、PK勝1(勝点1)

[編集] 対戦通算成績

  • 2008年 公式戦終了時の成績
対戦チーム J1リーグ戦
J2リーグ戦
ナビスコカップ
天皇杯
通算
勝利 敗戦 引分
勝利 敗戦 引分
勝利 敗戦 引分
勝利 敗戦
勝利 敗戦 引分
コンサドーレ札幌 1 0 1
3 4 (3) 1
1 1 0
1 1
6 6 2
ベガルタ仙台 0 1 1
9 (2) 3 0
- - -
- -
9 4 1
モンテディオ山形 - - -
7 6 (2) 3
- - -
- -
7 6 3
鹿島アントラーズ 2 6 4
- - -
1 1 0
0 1
3 8 4
水戸ホーリーホック - - -
8 (1) 3 (1) 1
- - -
- -
8 3 1
ザスパ草津 - - -
- - -
- - -
1 0
1 0 0
浦和レッドダイヤモンズ 4 6 2
0 3 1
2 2 0
- -
6 11 3
大宮アルディージャ 4 3 1
9 6 (2) 1
- - -
- -
13 9 2
ジェフユナイテッド市原・千葉 0 10 2
- - -
0 4 2
1 0
1 14 4
柏レイソル 3 2 5
- - -
1 0 1
- -
4 2 6
FC東京 4 4 4
0 3 (1) 1
1 3 1
- -
5 10 6
東京ヴェルディ 3 5 0
- - -
- - -
1 0
4 5 0
川崎フロンターレ 2 3 3
8 2 2
0 2 0
0 1
10 8 5
横浜F・マリノス 3 7 2
- - -
- - -
0 1
3 8 2
横浜FC 1 1 0
8 0 0
2 0 0
- -
11 1 0
湘南ベルマーレ - - -
7 3 (1) 2
1 0 1
- -
8 3 3
ヴァンフォーレ甲府 2 2 0
14 (1) 1 1
- - -
1 0
17 3 1
アルビレックス新潟 4 4 2
7 6 (3) 3
- - -
- -
11 10 5
清水エスパルス 5 3 4
- - -
1 2 0
- -
6 5 4
ジュビロ磐田 3 7 2
- - -
0 3 1
0 1
3 11 3
名古屋グランパスエイト 3 6 3
- - -
0 1 1
- -
3 7 4
京都サンガF.C. 4 0 2
1 3 0
2 1 1
0 1
7 5 3
ガンバ大阪 5 7 0
- - -
- - -
0 2
5 9 0
セレッソ大阪 3 3 2
1 1 2
- - -
0 1
4 5 4
ヴィッセル神戸 6 2 2
- - -
- - -
- -
6 2 2
サンフレッチェ広島 3 3 2
- - -
- - -
- -
3 3 2
アビスパ福岡 1 0 1
3 0 1
- - -
- -
4 0 2
サガン鳥栖 - - -
15 0 1
- - -
0 1
15 1 1
通算 66 85 45
100 (4) 44 (13) 20
12 20 8
5 10
183 159 73
  • 括弧内はVゴールでの決着
  • 天皇杯は第79回大会以降のJリーグチームとの対戦結果のみ記載

[編集] 国際試合

開催年月日 大会名 対戦相手 会場 スコア 勝敗
2009年2月18日 パンパシ2009準決勝 アメリカ合衆国の旗 ロサンゼルス・ギャラクシー ホーム・デポ・センター 0-2 敗戦
2009年2月21日 パンパシ2009三位決定戦 中華人民共和国の旗 山東魯能 ホーム・デポ・センター 2-1 勝利
2009年8月5日 スルガ銀行CS2009 ブラジルの旗 SCインテルナシオナル 九州石油ドーム

[編集] クラブ記録

[編集] 試合記録

リーグ戦連続無敗記録

リーグ戦ホーム連続無敗記録

連続無失点試合

ホーム最多連勝記録

リーグ戦最多連敗記録

  • 13連敗(2009年4月4日J1第4節 浦和レッズ戦 〜 現在も継続中) ※J1ワースト3位、延長戦廃止後ワースト1位

[編集] 得失点記録(Jリーグ加盟後)

[編集] 最多得点試合

ホーム

  • J1:5-0(2005年第27節 清水エスパルス戦)
  • J2:5-0(2002年第17節 川崎フロンターレ戦)他4試合

アウェー

[編集] 最多失点試合

ホーム

  • J1:0-4(2003年第12節 ジュビロ磐田戦)他4試合
  • J2:2-4(1999年第20節 FC東京戦)

アウェー

  • J1:0-6(2007年第23節 ジェフユナイテッド市原・千葉戦)
  • J2:0-5(1999年第3節 大宮アルディージャ戦)

[編集] その他

年間総失点数

  • 24失点(1試合平均 0.706点、2008年)※J1最少記録
    • ホーム 9失点(1試合平均 0.529点)、アウェー 15失点(1試合平均 0.882点)

リーグ戦年間完封試合数

  • 34試合中17試合(2008年)

[編集] 獲得タイトル

[編集] 個人別タイトル

Jリーグアウォーズ

ヤマザキナビスコカップ

  • MVP
  • ニューヒーロー賞
    • 2008年 金崎夢生

[編集] ホームスタジアム・練習場

[編集] ホームスタジアム

[編集] 練習場

2002年頃までは、リバーパーク犬飼等各地のグラウンドを転々として練習を行ってきたが、大分スポーツクラブ完成以降は、主練習場として大分スポーツクラブを使用している。

大分市営陸上競技場や、別府市野口原総合運動場陸上競技場でも練習を行うことがある。

[編集] スタジアムDJ

[編集] ユニフォーム

ユニフォームの色
カラー シャツ パンツ ストッキング
FP(1st)
FP(2nd) グレー グレー
GK(1st)
GK(2nd)
GK(3rd)
Team colours Team colours Team colours
Team colours
Team colours
 
FP 1st
Team colours Team colours Team colours
Team colours
Team colours
 
FP 2nd
Team colours Team colours Team colours
Team colours
Team colours
 
GK 1st
Team colours Team colours Team colours
Team colours
Team colours
 
GK 2nd
Team colours Team colours Team colours
Team colours
Team colours
 
GK 3rd
  • 1stユニフォームはチームカラーである青を基調としている。
    • 2006年までは黄色も配色されていたが、2007年にプーマの世界戦略ユニフォームを採り入れて以降は、黄色に変わり黒が配色されている。
  • 2ndユニフォームは、2005年まではシャツ、パンツ、ソックス共に白を基調としていたが、2006年からはグレーに、2008年からは更にパンツが黒になった。
  • GKユニフォームは、1stユニフォームについては2006年までは黄色を基調としていたが、2007年より黒を基調としたユニフォームとなっており、黄色は2nd以降のユニフォームとして使われている。
  • 2007年はアウェー戦は全て2ndユニフォームで試合を行った(ユニフォームの色が同系色ではない清水エスパルス戦やジェフユナイテッド市原・千葉戦でも)。
  • 2009年より、胸のエンブレムに星マークがつくことになった。この星マークは2008年のヤマザキナビスコカップ制覇によるものである。

[編集] ユニフォームスポンサー

掲出箇所 スポンサー名 表記 掲出年 備考
なし 実質的なスポンサーはマルハン[注1]
背中 オメガプロジェクト・ホールディングス オメガプロジェクト 2008年 -
ネットワンシステムズ Net One Systems 2009年 -
パンツ 南九州コカ・コーラボトリング Coca-Cola 2006年 - 2002年 - 2005年までは袖

[編集] スペシャルスポンサー

マルハン[注1]

注1 マルハンが業種を理由に、Jリーグ実行委員会から胸スポンサーの承認が得られなかったため、同社は2007年シーズンは「スペシャルスポンサー」という扱いとなり、大分は胸スポンサーの権利を他社に与えず、空白とすることにした。これは次回のJリーグ実行委員会が行われる2007年7月までの暫定措置だったが、2008年2月現在もJリーグ実行委員会で引き続き審議中のため、2008年・2009年シーズンも胸スポンサーは無しの状態になる。ただ、実質的な胸スポンサーがマルハンであることに変わりはない。

[編集] ユニフォームサプライの遍歴

[編集] 歴代ユニフォームスポンサー年表

年度 背中 パンツ サプライヤー
1998年 朝日ソーラー/
ペイントハウス
NEXD SOPH. みどり牛乳 PUMA
1999年 ペイントハウス NEXD SOPH. - PUMA
2000年 ペイントハウス NEXD SOPH. PAINT HOUSE PUMA
2001年 ペイントハウス NEXD SOPH. PAINT HOUSE PUMA
2002年 ペイントハウス Coca Cola PAINT HOUSE SOPH. PUMA
2003年 ペンタくん Coca Cola コロンブスの床 さとうベネック SOPH. PUMA
2004年 ペンタくん/
Tribalkicks
Coca Cola コロンブスの床 さとうベネック SOPH. PUMA
2005年 –/MARUHAN Coca Cola Joyfull SOPH. PUMA
2006年 MARUHAN Joyfull BOWS Coca Cola PUMA
2007年 - Joyfull BOWS Coca Cola PUMA
2008年 - Joyfull オメガプロジェクト Coca Cola PUMA
2009年 - Net One Systems オメガプロジェクト Coca Cola PUMA

[編集] オフィシャルパートナー

[編集] 脚注

  1. ^ 大分トリニータ日程 大分トリニータ公式サイト

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク