ジェフユナイテッド市原・千葉
| ジェフユナイテッド市原・千葉 | |
|---|---|
| 原語表記 | ジェフユナイテッド市原・千葉[1] |
| 呼称 | ジェフユナイテッド千葉[1] |
| 愛称 | ジェフ |
| クラブカラー | イエロー[1]、 グリーン[1]、 レッド[1] |
| 創設年 | 1946年 |
| 所属リーグ | 日本プロサッカーリーグ |
| 所属ディビジョン | Jリーグ ディビジョン2 |
| クラブライセンス | J1・J2 |
| ホームタウン | 千葉県市原市、千葉市[1] |
| ホームスタジアム | フクダ電子アリーナ[1] |
| 収容人数 | 18,500[1] |
| 運営法人 | ジェフユナイテッド株式会社[1] |
| 代表者 | 島田亮[1] |
| 監督 | |
| 公式サイト | 公式サイト |
| ■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ | |
クラブハウス
|
|
| 種類 | 株式会社 |
|---|---|
| 市場情報 | 非上場
|
| 本社所在地 | 〒260-0835 千葉県千葉市中央区川崎町1-38 ユナイテッドパーク[1] |
| 設立 | 1991年6月11日 |
| 業種 | サービス業 |
| 事業内容 | サッカークラブの運営 |
| 代表者 | 島田亮 |
| 資本金 | 4億9,000万円[2][3] |
| 売上高 | 24億2,200万円 (2012年1月期)[2] |
| 経常利益 | 2億1,300万円 (2012年1月期)[2] |
| 営業利益 | 2億2,200万円 (2012年1月期)[2] |
| 純利益 | 4,600万円 (2012年1月期)[2] |
| 純資産 | 3億500万円 (2012年1月期)[2] |
| 総資産 | 13億8,700万円 (2012年1月期)[2] |
| 決算期 | 1月期 |
| 主要株主 | 東日本旅客鉄道 50%[3] 古河電気工業 50%[3] |
| 特記事項:2009年10月1日に株式会社東日本ジェイアール古河サッカークラブより商号変更。またチーム事務所は当初浦安市→市原市にあった。 | |
ジェフユナイテッド市原・千葉(ジェフユナイテッドいちはら・ちば、JEF United Ichihara Chiba)は、日本の千葉県市原市および千葉市をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。なお、呼称は「ジェフユナイテッド千葉」である。旧クラブ名称は、「ジェフユナイテッド市原」。
目次 |
概要 [編集]
1946年創部の古河電気工業サッカー部が前身であり、1993年のJリーグ開幕時より加盟している10クラブ(オリジナル10)のひとつである。ホームタウンは2002年までが千葉県市原市、2003年から市原市および千葉市へ変更・広域化された。ホームスタジアムはフクダ電子アリーナ、練習場はユナイテッドパークであり、クラブハウスも同地に立地している[1](詳細は#スタジアム・練習場を参照)。
運営会社はジェフユナイテッド株式会社(株式会社 東日本ジェイアール古河サッカークラブより2009年10月1日改名[4])。東日本旅客鉄道(JR東日本)と古河電気工業(古河電工)が50%ずつ出資(資本金:4.9億円)[5]。なお、2008年までは1億円であったが、クラブハウス(2009年10月竣工)建設費調達などの関係から、2009年に増額された[6]。
クラブ名の「ジェフユナイテッド」(JEF UNITED、ユナイテッド=結束した)はクラブとホームタウンの結びつき、チームの協調・連帯感を表現しており、1991年に公募で決定された[1]。また、JEFは、クラブの母体となったJR-East(=JR東日本) Furukawa(=古河)の略称にも由来する[7][8]。
マスコットは秋田犬の兄弟。背番号2の「ジェフィ」(兄)、背番号9の'「ユニティ」(弟)である[9][1]。ちなみに両マスコットの背番号は足すと11で、1つのチームを示すものである。2011年6月に雌のミックス犬「みなちゃん」がマスコットに加わった(背番号は12)[9]。
クラブのキャッチフレーズは「WIN BY ALL!」であり、2001年シーズンより継続して使用している[3]
2013年現在、Jリーグ発足時より参加している10クラブ(オリジナル10)の中で、1999年に解散した横浜フリューゲルスを除き、AFCチャンピオンズリーグに出場したことがない。
特色 [編集]
クラブ発足当初は古河色を色濃く残しており、監督に古河OBの永井良和を、コーチにも古河OBの岡田武史を充てていた。ただし、外国人選手にヨーロッパ出身者を当てる伝統は既にこの頃から始まっており、元ドイツ代表ピエール・リトバルスキー、チェコ出身のパベル・ジェハークを迎え彼ら中心のチーム編成を行っていた。
Jリーグ開幕から今までヨーロッパを中心に、20カ国以上にも及ぶ国籍の選手が在籍しており、これはJリーグ加盟チームで最多である。ヨーロッパだけでなく南アメリカやアジア・アフリカ・オセアニア出身の選手も所属していたことがある。
その後も監督には清雲栄純、奥寺康彦と続けて古河OBを監督に充てていたが、ゼネラルマネージャーに祖母井秀隆が就任した1997年シーズンのヤン・フェルシュライエンから2009年シーズン中のアレックス・ミラーまで、12年にわたってヨーロッパ出身の監督を起用してきた。
JR東日本沿線アウェーゲームにおいて、団体臨時列車「ジェフ千葉応援号」が運行されることがある。往復の指定席乗車券と観戦チケットをセットとした旅行商品(びゅうプラザ)として販売される。
歴史 [編集]
前史 [編集]
詳細は「古河電気工業サッカー部」を参照
1946年創部の古河電気工業サッカー部が前身。1965年の日本サッカーリーグ(JSL)に発足時から参加。日本リーグ時代は三菱重工(現・浦和レッズ)や日立(現・柏レイソル)とともに丸の内御三家と言われ、JSL優勝2回、天皇杯全日本サッカー選手権大会優勝4回、JSLカップ優勝3回の成績を収める。また、1986年/1987年にはアジアクラブ選手権で日本のクラブとしては初めてとなるアジアタイトルを獲得した。
プロリーグ発足に関しては、古河電気工業と東日本旅客鉄道が合弁してクラブチームに移行し「東日本JR古河サッカークラブ」となった。
「古河電気工業サッカー部、小倉純二」も参照
当初は当時、古河電気工業サッカー部が活動本拠地としていた横浜市をホームタウンとすることを企画していたが、横浜フリューゲルスと横浜マリノスが横浜市をホームタウンとすることを決定したため、新たなホームタウン探しが始まった。
まず、千葉市にかけあったが断られたため、JR東日本の関係から仙台市に話を持っていったがまた断られた[10]。そして、習志野市を本拠地にすることを計画し、ホームスタジアムは習志野市秋津公園サッカー場を予定していた。そのためホームタウンが決定する以前の1991年からクラブ事務所と練習場は、距離的にも習志野市に近く、古河電工の事業所が置かれていた浦安市舞浜地区に置いていた。ところが秋津サッカー場周辺の住民が騒音の問題などを危惧してホームタウン化に反対したため、習志野市議会の同意を得る事が不可能となり、ホームタウン探しは振り出しに戻った。
千葉県下において次の候補地となったのが同じく古河電工の事業所が設置されており、古河電工の社宅など関連施設が多く存在していた市原市である。市原市議会からの賛同を得て、正式にホームタウンとしてJリーグに登録できたのは締め切り直前の1992年5月だった。ホームスタジアムとして、市原緑地運動公園臨海競技場(以下「市原臨海」)を改修して使用することになった。
なお、1992年のJリーグカップでは千葉県内での主催は1試合も無く、太田市運動公園陸上競技場(群馬県)、平塚競技場(神奈川県)および国立西が丘サッカー場(東京都北区、西が丘のみ2試合)で開催された。
1993年 - 2009年(J1) [編集]
1993年 - 1997年 [編集]
1993年の開幕戦は広島と対戦(1-2で敗戦)。なお、成績面は、1997年まで順位は中位から下位、カップ戦もグループリーグ敗退、初戦敗退と振るわなかった。特に天皇杯では、1993年から4年連続で初戦敗退を喫した。1995年はブランメル仙台、1996年は富士通と2年連続でJFL勢に敗れ、プロ移行後の天皇杯初勝利は、1997年の対コンサドーレ札幌戦であった。
しかし、選手の個人成績では1994年の得点王・フランク・オルデネビッツ(オッツェ)や、城彰二、中西永輔など活躍をみせた。また、ユースから多くのJリーグ選手を輩出しており、スカウティングや育成面では良好だった。
観客動員は1993年がV川崎に次いで2位。1994年はV川崎とG大阪に次ぐ3位で、平均観客動員が2万人を超えていたが、国立霞ヶ丘陸上競技場でホームゲームを多く開催したためであった。1996年から観客動員が減少、1997年から2005年までの9年の間、年間観客動員はJ1最下位であった。
なお、1998年4月までに運営会社の本社機能を浦安市から市原市へ移転。また、2000年2月に姉崎公園サッカー場へ練習場も移転して、クラブ機能の市原市への移転が完了した[11]。
1998年 - 2002年 [編集]
1998年、1stステージは11位(勝ち点21)。2ndステージは、勝ち点4で最下位。このため、年間16位となりJ1参入決定戦に回ったが、アビスパ福岡にアウェイ・ホームと連勝してJ1残留を決めた。
1999年は1stステージが降格圏の15位。2ndステージは最終節前で勝ち点1差の17位であったが、最終節でジェフがG大阪に90分以内に勝利して、敗れた福岡、延長Vゴール勝利の浦和を得失点差で上回って、年間13位となり降格を回避した(1999年J1最終節)。
2000年、1stステージは11位。2ndステージは最下位。年間14位の成績で、15位京都を1勝(勝ち点3)上回ってJ1残留。なお、シーズン終了直前の12月7日には、サポーターが市原臨海で当時監督のズデンコ・ベルデニックとチーム統括部長の祖母井秀隆の辞任を求め、クラブ側はサポーターと話し合いの場を設ける事に同意し、後日姉崎公園サッカー場のクラブハウス前でサポーターミーティングがわれる事になった。これが後のサポーター・コミュニケーション・デーの元となった。
2001年は、当時韓国代表のFW崔龍洙が加入。1stステージで2位に入った。
2002年は、1stステージ8位、2ndステージ11位の成績。天皇杯はベスト4へ進出した。
2003年 [編集]
ユーゴスラビア代表元監督のイビチャ・オシムが監督に就任。「賢く走る」、「危険を冒すサッカー」をキーワードにチーム強化を図っていった。また、ユース出身の阿部勇樹がキャプテンとなった。1stステージ3位、2ndステージ2位、年間総合3位の成績。2ndステージは優勝した横浜F・マリノスと勝ち点で並んでの2位だった。なお、シーズン終了後に中西永輔、崔龍洙が退団した。
2004年 [編集]
1stステージは7位。2ndステージは優勝した浦和と勝ち点差9の2位。
2005年 [編集]
茶野隆行、村井慎二が退団した一方、ブルガリア代表のイリアン・ストヤノフを獲得した。1シーズン制となったリーグ戦において、序盤は出遅れるも混戦となった中盤から徐々に追い上げ、最終節まで優勝争いに加わり、年間成績は2年連続の4位。また、ナビスコ杯で優勝し、Jリーグ加盟後初となるタイトルを獲得した。
なお、2003年1stステージ第5節(横浜FM戦)以降、市原臨海においてリーグ戦は2005年の第20節(C大阪戦)で敗れるまで31試合無敗、カップ戦含めた公式戦はナビスコ杯のGL第2節(柏戦)に敗れるまで26試合無敗を記録した。
2006年 [編集]
FW巻誠一郎が2006 FIFAワールドカップ日本代表に選出され、W杯に出場した。W杯終了後の7月、オシムが日本代表監督に就任したが、日本サッカー協会(JFA)に引き抜かれた格好となり、無条件で監督を引き渡したクラブに選手・サポーターなど内外から多くの批判が届いた。この際、「クラブとJFAが取り合うことで、最悪の結果、オシムが日本を去る事だけは避けたい」とした旨がフロント陣から発表された。後任にはイビチャ・オシムの息子であるアマル・オシムがコーチから昇格して就任した。そして、羽生直剛、佐藤勇人、山岸智ら、いわゆる「オシムチルドレン」が日本代表に選ばれた。
ナビスコ杯で鹿島を破り、2連覇を果たした一方、リーグ戦は11位、天皇杯はJ2の札幌に初戦で敗退。クラブ初の国際試合となったA3チャンピオンズカップ2006は1勝1分1敗の成績(3位)。10月、祖母井がGMを辞任(その後、フランスのグルノーブル・フット38のGMに就任)し、後任に唐井直が就任した。
2007年 [編集]
キャプテンの阿部勇樹が浦和に、選手会長の坂本將貴が新潟へ移籍。また、巻・佐藤・山岸がチームの今季の方針説明を理由に契約を保留した。リーグ戦は開幕4戦未勝利(1分3敗)。第5節の横浜FC戦で初勝利を挙げたが、第8節から第14節まで7戦未勝利(3分4連敗)。シーズン途中の6月にはイリアン・ストヤノフが一部のメディアで監督批判を行い、謹慎処分の後に契約解除された。後半は第23節から第28節までクラブ史上初となる6連勝を記録。29節からは2分4敗であったが年間13位でJ1残留を決めた。なお、ナビスコ杯は、グループリーグ3位で予選敗退。天皇杯は大分に4回戦(初戦)で敗退。シーズン終了後、監督のアマル、統括本部長の唐井が解任された。
2008年 [編集]
1月12日、後任監督にヨジップ・クゼ、GMに昼田宗昭が就任。また、前年に新潟へ移籍した坂本が復帰した一方、水野晃樹がスコットランドのセルティックFCへ移籍。また、羽生直剛・山岸智・佐藤勇人・水本裕貴も移籍した。4月、淀川隆博が社長を退任した。
リーグ戦は開幕11戦未勝利で、5節からは15年ぶりの7連敗を喫するなど9敗2分(勝ち点2)で最下位。5月にクゼを解任して、イングランド・リヴァプールFC元ヘッドコーチのアレックス・ミラーが監督に就任。ミラーが来日した5月10日の京都戦にホームで1-0で勝利し、開幕12試合目にしてシーズン初勝利を挙げた。なお、ミラーは登録が間に合わず、指揮は澤入重雄コーチが代行した。
リーグ戦中断期間に広島からMF戸田和幸、鹿島からFW深井正樹が加入。第24節(東京V戦)から5連勝し、一時は最下位を脱出したが、第30節から1分3敗と失速。第32節終了時点で自動降格圏内の17位であった。
12月6日の最終節(FC東京戦)は、0-2と先行されたが、後半29分からの11分間で4得点を挙げて逆転勝利[12]。第32節終了時点16位の東京V、同15位のジュビロ磐田が両方とも敗れ、磐田は16位、東京Vが17位になり、ジェフは年間15位で残留が決定した。
「2008年J1最終節」も参照
2009年 [編集]
- クラブスローガン :「YELLOW TOP 2009」
ミラーが監督を続投。深井を鹿島から完全移籍で獲得し、柏からアレックスを、清水から和田拓三を完全移籍で獲得。鹿島から中後雅喜を、大分から福元洋平を期限付き移籍で獲得。他チームへの移籍も噂された巻も残留したが、登録選手数はJ1最少だった。
2009年10月、クラブ事務所・練習場を千葉市のユナイテッドパークに移転し、運営会社の商号を「株式会社東日本ジェイアール古河サッカークラブ」から「ジェフユナイテッド株式会社」へ変更した[11]。
リーグ戦は第4節で17位に転落。第11節で16位なるが、第17節から15戦未勝利(6分9敗)。その間の第19節終了後の7月27日にミラーを解任して、ジェフOBの江尻篤彦が監督に就任。また、ブラジルのECヴィトーリアからFWネット・バイアーノ、柏から太田圭輔を獲得したが、第31節(川崎戦)でJ2降格が決定。なお、第32節(FC東京戦)に勝利したが、第33節・第34節と連敗し、リーグ戦は最下位に終わった。なお、前身・古河時代を含めて下部リーグへの降格は初めてである。
2010年 - (J2) [編集]
2010年 [編集]
- クラブスローガン :「走りきる!そして、その先へ。」
江尻が監督を続投。DF斎藤大輔が引退、主将だったMF下村東美、DFエディ・ボスナーなどが退団した一方、ジュビロ磐田のMF村井慎二、DF茶野隆行、京都サンガF.C.のFW林丈統、MF佐藤勇人、2009年6月からファジアーノ岡山に期限付き移籍していたFW青木孝太の元ジェフ所属の5選手が復帰した。
その他、大分から期限付きで加入したDF福元洋平と、鹿島から期限付きで加入したMF中後雅喜の2人が完全移籍に移行。また、名古屋グランパスからMF山口慶の加入とオーストラリア代表主将DFマーク・ミリガンを獲得した。7月23日に巻誠一郎がロシア・プレミアリーグ・アムカル・ペルミに完全移籍した。
6月10日、淑徳大学とパートナーシップに関する包括協定及びジェフユナイテッドアシストスポンサー契約を調印。9月12日(第25節)にアビスパ福岡との直接対決で敗れて4位へ転落。11月23日(第36節)草津に敗れて4位以下が確定した(最終順位は4位)。天皇杯は4回戦で敗退。シーズン終了後に江尻が監督を退任した。
2011年 [編集]
- クラブスローガン :「WIN BY ALL!」
ドワイト・ローデヴェーヘスが監督に就任。中牧大輔がファジアーノ岡山に、池田昇平が愛媛FCに、谷澤達也がFC東京に、工藤浩平が京都に、和田拓三が福岡に、アレックスが鹿島にそれぞれ完全移籍。鎌田翔雅、金沢亮、ネット・バイアーノが退団した。中後雅喜、ガンバ大阪からレンタル移籍していた倉田秋がセレッソ大阪に期限付き移籍した。一方、ロアッソ熊本から藤田俊哉を、横浜FCから大久保択生を、名古屋から期限付き移籍で竹内彬を、専修大学の藤本修司を、オーレスンFKから204センチの世界最長身選手トル・ホグネ・オーロイを、大分からレンタル移籍満了で復帰した益山司を、特別指定選手として活動していた明治大学の久保裕一を獲得した。
2月9日、FCエドモントンからU-20カナダ代表のマット・ラムを期限付き移籍で獲得。5月13日、三菱養和サッカークラブユースの田鍋陵太を特別指定選手に承認。6月26日、オフィシャルサプライヤーのFrom AQUAが、2011シーズンよりオフィシャルパートナーに関する契約を締結。7月30日、ジェフU-18の佐藤祥と井出遥也が、トップチーム登録(2種登録)した。8月9日、新潟から大島秀夫を期限付き移籍で獲得。
10月21日、ドワイト・ローデヴェーヘス監督、ハンスヘッドコーチの解任に伴い、監督に神戸清雄、コーチに菅澤大我が就任した。11月19日、J2第36節 湘南-徳島戦の結果を以て昇格の可能性が消滅(最終成績は6位)。第91回天皇杯は4回戦で清水エスパルスに敗れた。
2012年 [編集]
- クラブスローガン :「DAKKAN 奪還×脱甘」
監督に水戸元監督で前シーズンまで清水のコーチであった木山隆之が就任した。
ベテランの藤田俊哉をはじめ、林丈統、ファン・ゲッセルが退団、セレッソ大阪にレンタル移籍していた中後雅喜が東京Vに、村井慎二が大分に、太田圭輔、福元洋平が徳島ヴォルティスに、大島秀夫がコンサドーレ札幌に完全移籍、青木孝太がヴァンフォーレ甲府に、大分にレンタル移籍していた益山司が松本山雅FCにレンタル移籍、マット・ラムがレンタル移籍期間満了、茶野隆行が引退したが、アビスパ福岡から田中佑昌を、ガンバ大阪から山口智を、モンテディオ山形から佐藤健太郎を、横浜FCから藤田祥史を完全移籍で、磐田から荒田智之を、柏から兵働昭弘を、横浜F・マリノスから武田英二郎をレンタル移籍で獲得、井出遥也、佐藤祥がユースから昇格、大岩一貴、町田也真人が新加入した。6月には柏からリカルド・ロボが、7月には浦和から高橋峻希がレンタル移籍加入した。8月にはFC東京から谷澤達也が完全移籍で復帰した。
リーグ戦では、第1節、第19節、第24節で首位に立った。第13節愛媛戦での勝利以降、第29、30節で7位に後退した時を除き、昇格争いに加わり、J1自動昇格圏内の2位以内には届かなかったが、シーズン成績5位でJ1昇格プレーオフへ進出。プレーオフ1回戦は横浜FCに勝利したが、プレーオフ決勝は大分に敗れて、J1昇格はならなかった。プレーオフ終了後、テクニカルディレクターの神戸[13]、および監督の木山[14]がそれぞれ退任した。
天皇杯は、準々決勝で鹿島に敗れた。
2013年 [編集]
- クラブスローガン :「絶対J1!」
監督に新潟や大宮元監督の鈴木淳が就任した。 G大阪から期限付き移籍していた大塚翔平、柏から期限付き移籍加入していた兵働昭弘を完全移籍で獲得。また、清水から碓井健平、Kリーグ・済州ユナイテッドFCからジャイール、昨季C大阪でプレーしていたケンペスをそれぞれ完全移籍で獲得した。
成績 [編集]
詳細は「ジェフユナイテッド市原・千葉の年度別成績一覧」を参照
タイトル [編集]
国内タイトル [編集]
国際タイトル [編集]
- なし
個人別 [編集]
- 得点王
- 1994年 - フランク・オルデネビッツ
- Jリーグベストイレブン
- 2005年 - イリアン・ストヤノフ、阿部勇樹
- 2006年 - 阿部勇樹
- J2 Most Exciting Player
- 2012年 - 山口智
スタジアム・練習場 [編集]
ホームスタジアム [編集]
「フクダ電子アリーナ」、「市原緑地運動公園臨海競技場」、および「市原スポレクパーク」も参照
Jリーグ加盟当初より市原緑地運動公園臨海競技場をホームスタジアムとしてきたが、2002年シーズン開幕前、川崎製鉄(現:JFEスチール)工場跡地に建設される千葉市総合スポーツ公園球技場(現在のフクダ電子アリーナ)を市原臨海と併用してホームスタジアムとして使用する方針である旨を発表した。
2002年の秋から、スタジアムの概要をサポーターやクラブ、プレーヤー、県及び市協会、Jリーグからヒアリングするイレブン懇談会が始まった。また、2003年より千葉市がホームタウンへ加わり、2005年シーズンからクラブ名を「ジェフユナイテッド市原・千葉」、呼称を「ジェフユナイテッド千葉」へ変更した[11]。
一方、市原市は2003年の春頃から市原臨海のサイドスタンド及びバックスタンドの改修工事の計画を発表したが、後にこの計画はバックスタンドのみに縮小された。市原臨海の改修工事は2003年シーズンの終了直前から始められ、2004年シーズンの1stステージ中盤まで続けられた。しかし、クラブ呼称を「ジェフユナイテッド千葉」に変更することに市原市は反発し、クラブへ抗議文書を送付。呼称に「市原・千葉」の併記を要望した。市原市では呼称を「ジェフユナイテッド市原・千葉」にするように求めて2万人の署名が集められた。
結局、2004年5月18日にJリーグ理事会から承認され、2005年2月1日より新クラブ名と呼称が使用開始された。なお、ホームタウンを構成する市原市と千葉市でも呼称の使い方が異なり、広報資料などでも市原市は「ジェフユナイテッド市原・千葉」の表記で統一しているのに対し、千葉市では「ジェフユナイテッド千葉」で統一している。
2005年シーズン、フクアリでのホームゲームの開催はスタジアムが完成し芝の養生が終わった後の6試合であり、残りの試合は市原臨海で開催された。
2006年シーズン、市原臨海の改修工事のため、全試合をフクアリで開催した。2007年以降は観客動員、収支などを検討した上で、どちらをメインのスタジアムにしていくか検討していくとしていた。
しかし、市原臨海での改修工事に関し、日本サッカー協会より以下の条件を提示された。
- 観客席を2万人以上収容出来るようにし、席を全て一つずつに分けること(メインスタンド以外の席は、別れていない長いすのため)
- 客席の2/3以上覆える屋根を設置すること。
- 総座席数に対し、毎試合、観客席の8割以上の観客を動員すること
これに対し、市原市は「これ以上の財政支出は、市民の了解を得られない。」との結論に達し、予定されていたスタジアムの改修工事を断念。市原臨海は、現在の仮設の観客席を撤去し芝生席に改修を行った後、主にサッカー、陸上等の予選大会等を行っていく方針を決定した。それに伴い、今後ジェフの試合は一切行われないこととなり、全ての試合をフクアリで開催することとなった
練習場他 [編集]
2000年にクラブハウス、練習場が市原市へ移転した後も浦安市ではジュニアユースチーム(ジェフユナイテッド・ジュニアユース舞浜)及び舞浜スクールが活動を続けていたが、2005年に舞浜のクラブ機能は全て閉鎖された。舞浜に代って2005年からは習志野市茜浜地区に新たに練習場が確保され、ジュニアユースチーム(ジェフユナイテッド・ジュニアユース習志野)、習志野スクール及びレディースチームが活動している。
2009年10月、トップチームの練習場・クラブハウスとしてユナイテッドパークが開設。隣接するフクダ電子スクエア共々活用されている。
下部組織 [編集]
ジュニアユースチームは市原市の辰巳台地区と習志野市の茜浜地区にあったが、2010年より統合された、その代わり前述の2か所のほか千葉市、浦安市でサッカースクールを運営している。千葉県外ではこの他に、栃木県宇都宮市、青森県八戸市にサッカースクールを所有している。また宮城県名取市の東北電力名取スポーツパーク(NASPA)と提携してNASPAスクールの運営も行っている。これはジェフがJリーグ発足当初、市原市を中心とし、JR東日本沿線の東北、関東、甲信越の各地域を広域的にネットワークする構想を持っていたことの名残りである。実際、秋田、仙台、山形、新潟と、古河電工の事業所がある福井でホームゲームを開催した実績がある。またスクールのデリバリー版として「サッカーおとどけ隊」が主に市原市、千葉市内の保育園・幼稚園・小学校・中学校くらいまでを範囲として訪問している。また千葉大学と提携して指導者向けの講習も行っている。
下部・関連組織として、女子チームのジェフユナイテッド市原・千葉レディースがある。レディースチームは当初(1992年)からジェフの下部組織として運営されている。
また、かつてはアマチュアチームとして「ジェフユナイテッド市原・千葉リザーブズ」が存在し、日本フットボールリーグ(JFL)に所属していたが、2011年を以て活動を終了している[11]。
記録 [編集]
連勝記録 [編集]
- J1
- 6連勝【2007年 第23節 大分戦 (フクアリ) - 第28節 甲府戦 (小瀬)】
- J2
ホームスタジアム無敗 [編集]
- J1
- リーグ戦 31試合【2003年 1st第5節 横浜FM戦 - 2005年 第18節 川崎戦】
- 公式戦 26試合【2003年 1st第5節 横浜FM戦 - 2005年 第2節 柏戦】
- J2
リーグ戦 連敗 [編集]
- J1
- 7連敗
- 【1993年 N 第12節 V川崎戦 (宮城) - 第18節 名古屋戦(瑞穂球)】
- 【2008年 第5節 鹿島戦 (カシマ) - 第11節 浦和戦 (埼玉)】
- J2
リーグ戦 未勝利 [編集]
- J1
- 17試合【2007年 第29節 浦和戦(フクアリ) - 第11節 浦和戦 (埼玉)】
- J2
リーグ戦 開幕未勝利 [編集]
J1
- 11節【2008年 第1節 G大阪戦 (万博) - 第11節 浦和戦 (埼玉)】
- J2
もっとも遅いシーズン初勝利 [編集]
- J1
- 5月10日 【J1 2008年 第12節 京都戦 (フクアリ)】
- ※ 前身の古河時代を含めても遅い。
- J2
最多得点試合 [編集]
- J1
- 6得点
- 【1995年 第17節 横浜F戦(市原臨海) - 得点者:マスロバル(2)、中西永輔、ルーファー(3)】
- 【2007年 第23節 大分戦(フクアリ) - 得点者:佐藤勇人、山岸智、水野晃樹(2)、工藤浩平、青木孝太】
- J2
- 【2012年 第14節 町田戦(町田) - 得点者:藤田祥史(2)、田中佑昌(3)、深井正樹】
- 【2013年 第6節 北九州戦(フクアリ) - 得点者:大岩一貴、ケンペス(4)、ジャイール】
最多失点試合 [編集]
- J1
- 6失点
- 【1993年 ニコスシリーズ第18節 名古屋戦 (瑞穂球)】
- J2
得点差 [編集]
- J1
- 勝利 - 6点差 (6-0) 【2007年 第23節 大分戦 (フクアリ)】
- 敗北 - 6点差 (0-6) 【1993年 1st第18節 名古屋戦 (瑞穂球)】
- J2
国内トップリーグ所属 [編集]
- 通算:43シーズン連続
- 日本サッカーリーグ:27季連続 (前身・古河電気工業時代)
- Jリーグ ・J1:16季連続 (ジェフユナイテッド市原・千葉)
個人記録 [編集]
- ハットトリック
- パベル 【1993年1st 第12節 (6月23日) 浦和戦】
- オッツェ 【1994年2nd 第1節 (8月10日) G大阪戦】
- 新村泰彦 【1995年1st 第24節 (7月15日) G大阪戦】
- ルーファー 【1995年2nd 第17節 (10月18日) 横浜F戦】
- ルーファー 【1995年2nd 第20節 (11月4日) 広島戦】
- バロン 【2000年1st 第1節 (3月11日) 京都戦】
- 崔龍洙 【2003年1st 第5節 (4月26日) 横浜FM戦】
- 崔龍洙 【2003年1st 第6節 (4月29日) 京都戦】
- 阿部勇樹 【2006年J1 第27節 (10月14日) 鹿島戦】
- 田中佑昌 【2012年J2 第14節 (5月13日) 町田戦】
- ケンペス 【2013年J2 第6節 (3月31日 北九州戦】
ユニフォーム [編集]
|
||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||
チームカラー [編集]
- 黄、 緑、 赤の3色 (ラスタカラー)
- 黄色は千葉県の県花である菜の花、緑色はJR東日本の、赤は古河電工のコーポレートカラーからきている。
- 2005年シーズンからユニフォームには新たに 紺を使用。
- 紺については「千葉市、市原市が面している海(東京湾)の色」「市原市の旗の色が群青色」「千葉市のコミュニケーションマークのカラーが青」ということで採用した。
ユニフォームスポンサー [編集]
| スポンサー名 | 表記 | 掲出年 | 備考 | |
|---|---|---|---|---|
| 胸 | 富士電機 | 富士電機 | 2007年 - | |
| 背中 | 東日本旅客鉄道 | Suica | 2009年途中 - | |
| 袖 | 君津住宅 | 君津住宅 | 2006年 - | |
| パンツ | 千葉ステーションビル | PeRIe | 2009年 - |
- 背番号の書体(「JEF UNITED」のロゴと同一デザイン)は、Jリーグ加盟以来一度も変更されていない。
- 左胸のエンブレム上の星2つ(★)は2005年および2006年のヤマザキナビスコカップの優勝を表している。
ユニフォームサプライの遍歴 [編集]
歴代ユニフォームスポンサー年表 [編集]
| 年度 | 胸 | 袖 | 背中 | パンツ | サプライヤー |
| 1992 | SEGA | Pentel | - | - | asics |
| 1993 | JR EAST FURUKAWA | Mizuno/asics | |||
| 1994 | |||||
| 1995 | びゅう | ||||
| 1996 | 0088(日本テレコム) | ||||
| 1997 | - | Mizuno | |||
| 1998 | JR東日本 | 古河/古河電工不動産 | 古河電工 | ||
| 1999 | 古河 | ||||
| 2000 | J-PHONE | ||||
| 2001 | 古河電工 | - | JR東日本 | ||
| 2002 | 古河電工/オートウェーブ | 古河電工 | |||
| 2003 | オートウェーブ | JR東日本 | 古河電工 | ||
| 2004 | |||||
| 2005 | 古河電工 | JR東日本 | |||
| 2006 | 君津住宅 | Sammy | QBハウス | ||
| 2007 | 富士電機 | - | Kappa | ||
| 2008 | - | -/Sammy | |||
| 2009 | -/Suica | PeRIe | |||
| 2010 | Suica | ||||
| 2011 | |||||
| 2012 | |||||
| 2013 |
関連項目 [編集]
- ジェフユナイテッド市原・千葉の選手一覧
- 千葉ダービー
- ちばぎんカップ
- モオノキ
- ジェフユナイテッド市原・千葉リザーブズ
- WIN BY ALL! - 千葉テレビ放送で放送中の応援番組
- ジェフ☆コレ - JCN千葉、JCN船橋習志野で放送中の応援番組
- ジェフ魂12・ジェフ魂12Returns - かつて千葉テレビ放送で放送されていた応援番組
- 淑徳大学 - パートナーシップに関する包括協定を締結している。
脚注 [編集]
- ^ a b c d e f g h i j k l m n クラブガイド:ジェフユナイテッド千葉 Jリーグ公式サイト
- ^ a b c d e f g 2011年度Jクラブ情報開示 資料 (PDF) Jリーグ公式サイト
- ^ a b c d “クラブプロフィール”. ジェフユナイテッド市原・千葉公式サイト. 2013年3月13日閲覧。
- ^ 法人名の変更について ジェフユナイテッド市原・千葉
- ^ ジェフユナイテッド市原・千葉 クラブプロフィールより
- ^ ジェフユナイテッド市原・千葉オフィシャルサイト - 第9回 サポーターコミュニケーションデー 議事録について (2)より
- ^ テッツ・インターナショナル(TeT's)(石田コウ(ホーク爺)、横井顕、安宅基、安宅望、眞形隆之)執筆・構成 / 株式会社セガおよび社団法人 日本プロサッカーリーグ監修・協力 『J.LEAGUE プロサッカークラブをつくろう!'04 ファイナルパーフェクトガイド』 エンターブレイン、2012年9月30日、153頁。ISBN 978-4-7577-2027-5。 同書籍掲載、Jリーグクラブのプロフィール「ジェフユナイテッド市原」より。
- ^ Jリーグでは、特定の企業名をチーム名に関することを禁止している(横浜FCオフィシャルブログ[リンク切れ]より)。詳細は川淵三郎#呼称 川淵の項目を参照。
- ^ a b “ジェフィ&ユニティ&みなちゃん”. ジェフユナイテッド市原・千葉公式サイト. 2013年3月13日閲覧。
- ^ 第7回研修 「ベガルタ仙台の歴史と今後」【仙台スタジアムの創設について】(みやぎスポーツボランティアネットワーク)
- ^ a b c d “クラブヒストリー”. ジェフユナイテッド市原・千葉公式サイト. 2013年3月13日閲覧。
- ^ 他会場でニッポン放送の解説をしていた金子達仁はこの逆転劇を聞いて「『フクアリの奇跡』と呼んでもいい」と語っている。
- ^ 神戸テクニカルダイレクターの退任について ジェフユナイテッド市原・千葉オフィシャルウェブサイト ニュース 2012年11月23日付
- ^ 木山隆之監督の退任について ジェフユナイテッド市原・千葉オフィシャルウェブサイト ニュース 2012年11月28日付
外部リンク [編集]
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||
|
|||||
|
||||||||
|
||||||||||||||