大木勉
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| 大木 勉 | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| 愛称 | ベン[1] | |
| カタカナ | オオキ ススム | |
| ラテン文字 | OKI Susumu | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1976年2月23日(33歳) | |
| 出身地 | 愛媛県 | |
| 身長 | 177cm | |
| 体重 | 75kg | |
| 血液型 | B型 | |
| 選手情報 | ||
| 在籍チーム | 愛媛FC | |
| ポジション | FW | |
| 背番号 | 20 | |
| 利き足 | 右足 | |
| クラブチーム1 | ||
| 年 | クラブ | App (G) |
| 1995-1999 2000 2001-2006 2007-現在 |
サンフレッチェ広島 大分トリニータ サンフレッチェ広島 愛媛FC |
58 (8) 6 (0) 132 (28) 15 (2) |
| 1. 国内リーグ戦に限る。2007年1月3日現在。 ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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大木 勉[1](おおき すすむ、1976年2月23日 - )は、愛媛県出身で愛媛FC所属のサッカー選手。ポジションはFW、MF。愛称はベン[1]。
目次 |
[編集] プレースタイル
テクニックや運動量に優れていないが、ポジショニングや状況判断のスピードに優れた選手。味方FWを活かす事に長けている。守備面ではフォアチェックにも定評があるため、中盤でも起用される。
[編集] 略歴
南宇和高校時代は同学年の友近聡朗とのコンビで活躍、2年次の高校選手権ではベスト8、3年次には優勝候補の一角と目されたが2回戦で武南高校に敗れている。
高校卒業後の1994年に青山学院大学に進学するが、1995年には同大学を中退しJリーグ・サンフレッチェ広島に入団した[2]。デビュー戦となった1995年4月の柏レイソル戦で途中出場ながら先制ゴールを決めるなどスタートは順調で、その後もFWとして試合出場を重ねるが、1999年に入団した高橋泰の台頭により出場機会が激減。
2000年に大分トリニータへレンタル移籍[3]するが、チャンスはほとんど与えられなかった[4]。 結局構想外になったため、アルビレックス新潟など数チームのテストを受けるもうまくいかず、サッカーを辞める状況にまで追い込まれ、他の仕事を探すために地元愛媛・松山市の職業安定所へ一時期通っていた。その後広島の今西和男総監督の計らいで、2001年広島に7月までの半年契約で復帰。当初はほぼ出場機会がなかったが、契約期間終了間際、ナビスコ杯FC東京戦で"涙のVゴール"[5]を決め契約延長を勝ち取る。
それ以降はレギュラーに定着。久保竜彦[6]、藤本主税、スティーブ・コリカらとともに破壊力あふれる攻撃を展開、2ndステージ3位となる原動力となった。特に久保とは抜群のコンビネーションを見せ、二人が織りなした数々のコンビプレーは今でも広島サポーターの語り草となっている。
その後も繊細なボールテクニックとセンス溢れるプレーでチームに貢献、小野剛[7]時代後期にはFWとしての出場は減少したもののトップ下として新境地を開いた。彼の安定感あるプレーは、戦力の充実しきっていなかった2000年代前半の広島のサッカーを支えていたもののひとつであった。
2006年は怪我のため精彩を欠き、ミハイロ・ペトロヴィッチ監督にほとんど起用されなかったこともあってシーズン終了後に戦力外となる。
2007年1月、故郷・愛媛のクラブである愛媛FCに移籍[8]。若手が多い中、貴重なベテランとして活躍している。
[編集] 所属クラブ
- 愛媛県立南宇和高等学校
- 青山学院大学中退
- 1995年 - 1999年 : サンフレッチェ広島
- 2000年 : 大分トリニータ※レンタル移籍
- 2001年 - 2006年 : サンフレッチェ広島
- 2007年 - 現 在 : 愛媛FC
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 1995 | 広島 | - | J | 14 | 2 | - | 1 | 0 | 15 | 2 | |
| 1996 | 広島 | - | J | 7 | 0 | 4 | 1 | 0 | 0 | 11 | 1 |
| 1997 | 広島 | 12 | J | 11 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 12 | 1 |
| 1998 | 広島 | 12 | J | 20 | 4 | 4 | 0 | 3 | 0 | 27 | 4 |
| 1999 | 広島 | 14 | J1 | 6 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 8 | 1 |
| 2000 | 大分 | 11 | J2 | 6 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 8 | 0 |
| 2001 | 広島 | 20 | J1 | 20 | 8 | 3 | 3 | 1 | 0 | 24 | 11 |
| 2002 | 広島 | 20 | J1 | 18 | 4 | 5 | 0 | 3 | 1 | 26 | 5 |
| 2003 | 広島 | 20 | J2 | 36 | 8 | - | 3 | 1 | 39 | 9 | |
| 2004 | 広島 | 20 | J1 | 21 | 5 | 4 | 0 | 0 | 0 | 25 | 5 |
| 2005 | 広島 | 20 | J1 | 32 | 3 | 5 | 2 | 2 | 1 | 39 | 6 |
| 2006 | 広島 | 20 | J1 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 |
| 2007 | 愛媛 | 20 | J2 | 15 | 2 | - | 2 | 0 | 17 | 2 | |
| 2008 | 愛媛 | 20 | J2 | 23 | 3 | - | 2 | 1 | 25 | 4 | |
| 2009 | 愛媛 | 20 | J2 | - | |||||||
| 通算 | 日本 | J1 | 154 | 28 | 27 | 6 | 11 | 2 | 192 | 36 | |
| 日本 | J2 | 80 | 13 | 2 | 0 | 7 | 2 | 89 | 15 | ||
| 総通算 | 234 | 35 | 29 | 6 | 18 | 4 | 281 | 45 | |||
[編集] 出場歴
- リーグ戦
- 代表歴
- U-20日本代表
- 1995年FIFAワールドユース
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ a b c しばしば誤読されるが、名前の読みは「ツトム」ではなく「ススム」。紛らわしいためか、チームメイトやサポーターからは音読みした「ベン」の愛称が定着している。
- ^ 同期は久保竜彦、山根巌、吉村光示、西田吉洋、萩野英明、三浦和俊、水田月満、玉田真人。
- ^ 大分と広島は一時提携関係にあり、広島の若手や戦力外が積極的に大分へ出されていた。そのため、名目上はレンタル移籍だが実際は完全移籍に近いものだった。
- ^ 運動量が少なかったことから石崎信弘監督にまったく評価されなかった、紅白戦すら起用されなかった、とのこと。
- ^ 延長(当時のレギュレーションは完全決着制)に入ってから投入、これが約2ヶ月ぶりの公式戦出場であった。延長後半5分、下田崇のフィードから久保がキープし大木へパス、一人交わして見事Vゴールを決めてチームの勝利と契約延長を勝ち取った(ナビスコ杯Vゴール 途中出場の大木が殊勲01年6月20日付中国新聞)。ここからチームは不調を脱し、2ndステージ3位になる躍進へとつながった。
- ^ 久保がもっとも尊敬するFWとして名前を挙げている。曰く「ベンさんは本当にうまいし、判断も早い。ベンさんのアイディアについていくようになることが目標だった」。また、毎年発行される選手名鑑において、尊敬する選手として久保は大木を、大木は久保の名を挙げている。
- ^ 小野曰く、「サッカーインテリジェンスに優れた選手」
- ^ 愛媛が日本フットボールリーグ(JFL)時代、法人会員としてクラブに出資をしていた。
[編集] 外部リンク
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