ビム・ヤンセン

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ビム・ヤンセン Football pictogram.svg
Wim Jansen 1974c.jpg
名前
ラテン文字 Wim Jansen
基本情報
国籍 オランダの旗 オランダ
生年月日 1946年10月28日(67歳)
出身地 ロッテルダム
選手情報
ポジション MF/DF
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1965-1980 オランダの旗フェイエノールト 422 (34)
1980 アメリカ合衆国の旗ワシントン・ディプロマッツ英語版 27 (0)
1980-1982 オランダの旗アヤックス・アムステルダム 49 (0)
代表歴2
1967-1980 オランダの旗 オランダ 65 (1)
監督歴
1982-1986 オランダの旗フェイエノールトユースコーチ
1986-1987 オランダの旗フェイエノールトアシスタント
1987-1988 ベルギーの旗スポルティング・ロケレン監督
1988-1990 オランダの旗スヒーダムVV英語版TD
1990-1993 オランダの旗フェイエノールトTD
1991 オランダの旗フェイエノールト暫定監督
1992 オランダの旗フェイエノールト暫定監督
1994 サウジアラビアの旗 サウジアラビアアシスタント
1995-1996 日本の旗サンフレッチェ広島監督
1997-1998 スコットランドの旗セルティック監督
2002-2003 日本の旗浦和レッドダイヤモンズアシスタント
2005-2009 オランダの旗フェイエノールトアドバイザー
2008-2009 オランダの旗フェイエノールトアシスタント
2011- オランダの旗フェイエノールト育成SV
1. 国内リーグ戦に限る。2007年6月6日現在。
2. 2007年6月6日現在。
テンプレート(ノート 解説)サッカー選手pj

ヴィルヘルム・マリヌス・アントニウス・ヤンセン(Wilhelm Marinus Anthonius Jansen、1946年10月28日 - )は、オランダロッテルダム出身[1] の元同国代表サッカー選手、サッカー指導者。

来歴[編集]

現役時代[編集]

1974年リヌス・ミケルスに率いられたオランダ代表でトータルフットボールを体現した一人。 現役時代は守備的なミッドフィールダー、あるいはリベロとして活躍した。

1965年、地元のクラブであるエールディヴィジの名門フェイエノールトと契約しMFとしてヴィレム・ファン・ハネヘムフランツ・ハジル英語版らとプレー、4度のリーグ・1度のKNVBカップ優勝、1969年-1970年シーズンのチャンピオンズカップ、1970年インターコンチネンタルカップ、1973年-1974年シーズンのUEFAカップ制覇に貢献した[1][2][3]

また代表では、1967年10月4日欧州選手権予選デンマーク代表戦(コペンハーゲン)で代表デビュー、以来65試合に出場。1974 FIFAワールドカップ1978 FIFAワールドカップの2度のW杯決勝進出に貢献した[3]

1980年、北米サッカーリーグワシントン・ディプロマッツ英語版へ移籍、ヨハン・クライフらとプレーしている[2][3]。同年12月にはオランダに戻りアヤックス・アムステルダムでプレーし1度のリーグ優勝に貢献し1982年に引退した[2][3]

引退後[編集]

引退後はフェイエノールトに戻り指導者として、1987年からベルギー1部のK.S.C.ロケレン監督として活躍[3]。その後エールステ・ディヴィジのスキーダムVV(現在のFCドルトレヒト)でテクニカルディレクターに就任した。

1990年から1993年まで古巣フェイエノールトでテクニカルディレクターを務めた。その期間中、1991年成績不振によるギュンター・ベングソン英語版監督解任、1992年ハンス・ドルジ英語版監督の体調不良に伴い、2度暫定でフェイエノールト監督を務めている。1992年KNVBカップ優勝監督[1]

1994年、レオ・ベーンハッカー監督の下、サウジアラビア代表アシスタントコーチとして活躍した[3]

1995年、ハンス・オフトの紹介[4]Jリーグ・サンフレッチェ広島監督に就任する[5]。前年サントリーステージで優勝し4-4-2で戦っていたチームを、オランダ型3-4-3に変えトータルフットボールを目指すものの、あまりにも戦術を変えすぎたためチームが付いていかずリーグ戦では低迷した。が、天皇杯では面目躍如し、2年連続で決勝へ進出させている[6][7]

1997年、スコティッシュ・プレミアリーグのセルティック監督に就任。ライバルチームであるグラスゴー・レンジャーズFCの10連覇を阻み、セルティックに久しぶりにリーグ戦優勝をもたらした[2][3]。同年スコットランド最優秀監督賞に輝く。しかしファーガス・マッキャン英語版球団取締役との軋轢により1シーズンで同チームを退団する[8]

2002年、ハンス・オフトがJリーグ・浦和レッドダイヤモンズ監督に就任したのに伴いアシスタントコーチを務めた[9]

その後はオランダに戻り2005年からフェイエノールトでテクニカルアドバイザーを務めている[10]。2008年にヘルトヤン・フェルベーク英語版監督就任に伴い、アシスタントコーチを兼務する[11] も、チーム成績悪化からフェルベークは解任されるとテクニカル・ディレクターのピーター・ボスと共に連帯で辞任した[12]

2011年8月、その経験を買われフェイエノールトの育成スーパーバイザーとして復帰した[13]

監督成績[編集]

年度 所属リーグ 大会名 試合数 勝点 勝利 引分 敗戦 順位 チーム
1995年 J 1st 26 39 13 - 13 10位 サンフレッチェ広島
2nd 26 28 9 - 17 12位
1996年 J 年間 30 30 10 - 20 14位

ギャラリー[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b c Feyenoord feliciteert Wim Jansen”. フェイエノールト (2011年10月28日). 2013年5月28日閲覧。
  2. ^ a b c d EuroChampsChallenge Medallion Man: Feyenoord's Wim Jansen”. totalfootballnl.com. 2013年5月28日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g Wim Jansen - Feyenoord”. stv sport (2011年5月18日). 2013年5月28日閲覧。
  4. ^ 共にフェイエノールトOBで在籍年も被っており、またオフトはサンフレッチェ広島の前身であるマツダSCで監督を務めた経験がある。
  5. ^ 加部究「GM考察 第1章 広島のドン:今西氏のクラブGM論」、『サッカー批評』第33号2006年12月ISSN 4575478938
  6. ^ ユースチームが初の王者に、成長を印象づけたシーズン”. NikeFootballJapan(facebook) (2012年4月6日). 2013年5月28日閲覧。
  7. ^ 本拠地が正式移転、ビッグアーチとともに新たなステージへ”. NikeFootballJapan(facebook) (2012年4月19日). 2013年5月28日閲覧。
  8. ^ Jansen quits Celtic”. BBC (1998年5月11日). 2013年5月28日閲覧。
  9. ^ WIM JANSEN VERTREKT BIJ URAWA RED DIAMONDS”. フェイエノールト (2003年6月11日). 2013年5月28日閲覧。
  10. ^ WIM JANSEN TAKES ON ADVISORY ROLE”. フェイエノールト (2005年2月6日). 2013年5月28日閲覧。
  11. ^ Wim Jansen new assistant coach of Feyenoord”. dutch-football.com (2008年6月3日). 2013年5月28日閲覧。
  12. ^ Bosz en Jansen solidair met Verbeek”. AD.nl (2009年1月14日). 2013年5月28日閲覧。
  13. ^ Wim Jansen gaat jeugd Feyenoord helpen”. AD.nl (2011年8月6日). 2013年5月28日閲覧。

参考資料[編集]

関連項目[編集]