セルティックFC

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セルティックFC
原語表記 Celtic Football Club
愛称 The Hoops, The Bhoys, The Celts
クラブカラー 緑、白
創設年 1888年
所属リーグ スコティッシュ・プレミアリーグ
所属ディビジョン 1部
ホームタウン グラスゴー
ホームスタジアム セルティック・パーク
収容人数 60,355
運営法人 Celtic PLC
代表者 イアン・バンキア
監督 ノルウェーの旗 ロニー・デイラ
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

セルティック・フットボール・クラブ英語: Celtic Football Club, LSECCP)は、スコットランド南西部の都市グラスゴーを本拠地とするサッカークラブチーム。クラブは1887年に創設され、1888年に初試合を行った。セルティックは同じグラスゴーを本拠地とするレンジャーズとライバル関係にあり、これら2つのクラブはまとめてオールドファームとして知られている。

セルティックはスコティッシュ・プレミアリーグを44度、スコティッシュカップを36度、スコティッシュリーグカップを14度制覇している。1967年に史上初の五冠を達成した。この年はイギリスのクラブとして初めて[1][2]ヨーロピアンカップを制覇しただけでなく、スコティッシュリーグ、スコティッシュカップ、スコティッシュリーグカップ、グラスゴーカップを制した。また、1970年ヨーロピアンカップ決勝と2003年UEFAカップ決勝にも進出した[3][4][5]

概要[編集]

名称のセルティックとは「ケルト人」あるいは「ケルトの、ケルトに属する」を意味する。ケルト系のアイルランドと同じく、チームカラーに緑と白、エンブレムにあしらわれたシャムロックとケルト色を打ち出している。ホームスタジアムはセルティック・パーク

1888年に創立され、スコティッシュ・プレミアリーグに所属。同じグラスゴーを本拠地とするレンジャーズと2強を形成し、この2強は「オールドファーム」(Old Firm)と呼ばれている。レンジャーズは16世紀のスコットランドで起こった宗教改革によって多数派となった長老派(プロテスタント系)の支持が多く、セルティックはカトリック系で19世紀にアイルランドからジャガイモ飢饉を逃れ渡ってきたアイルランド移民の子孫の支持が多い。また、同じ背景を持つアイルランド北アイルランドにも根強い人気を誇る。このようにレンジャーズとセルティックの関係は宗教的なもののみならず、英国連合の政治的、民族的な関係をも含む複雑な背景がある。

セルティック・パーク

ジョック・ステイン監督に率いられた1966-1967シーズンにはUEFAチャンピオンズカップ(現UEFAチャンピオンズリーグ)を優勝。これはイギリス勢初のビッグイヤー獲得で、セルティックサポーターにとって大いなる誇りとなっている。しかし、その後イギリス経済が不況に陥りその影響がスコットランドに及ぶと、財政難に陥り運営が難しくなった。そして有名選手を集められない、質の高いサッカーを行なえないなどの結果を招き、スコティッシュ・プレミアリーグの人気が低迷することとなった。その後不況から脱出したとはいえ、例年の優勝争いの固定化や他国リーグの人気向上といった他の要因も絡んで、スコティッシュ・プレミアリーグはかつてのような人気はもはや見られなくなった。そのため、セルティックはヘンリク・ラーションなどの有力選手を集めてかつてのように復活しようとしたのである。 2002-03シーズンのUEFAカップでは決勝に進出したが、ポルトに敗れ準優勝に終わった。現在イングランドプレミアリーグへの参加を希望しており、今後の動向に注目が集まっている。 2006-07シーズンのUEFAチャンピオンズリーグのグループリーグではマンチェスター・ユナイテッドをホームゲームで破るなどして、クラブ史上初の決勝トーナメント進出を決めた。その一方でアウェーゲームが完全な鬼門となっており、大会名が改称された1992年から一度も勝てずにいた。2012年10月2日、グループリーグ第2戦のスパルタク・モスクワ戦に3-2で勝利し、UEFAチャンピオンズリーグのアウェーゲーム初勝利をあげた。

2005-06シーズンから2008-09シーズンまで中村俊輔が、2007-08シーズンから2009-10シーズンまで水野晃樹が所属していた。

歴史[編集]

クラブ初期のチーム写真。ユニフォームは現在の有名な横縞のものとは異なる。

セルティック・フットボール・クラブは1887年11月6日、グラスゴー、カルトン、イースト・ローズ・ストリート(現在のフォーブス・ストリート)にあるセント・メアリー教会ホールにおける会合で、アイルランド人マリスト会修道士ウォルフリッドによって正式に結成された[6]。結成の目的はウォルフリッドが始めた慈善事業「Poor Children's Dinner Table」のための募金を集めるためであった[7]。募金を集める手段としてクラブを結成するウォルフリッドの動きは、これより数年前にエディンバラにおいて移民アイルランド集団のために結成されたハイバーニアンの例に大きく発想を得ていた。ウォルフリッドはクラブのアイルランドならびにスコットランド系であることを反映するよう意図した「セルティック celtic」という名称を提案し、同会合で採用された。クラブには公式の愛称「The Bhoys」がある。しかし、セルティック広報部によれば、新たに設立されたクラブは「the bold boys」として多くの人々に知られていたという。チームが描かれ「The Bould Bhoys」と呼ばれている20世紀初頭の絵はがきは、この特有のつづりの知られている初めての例である。この余分なhの起源は定かではないが、アイルランド訛りによる発音を模していると考えられている[8]

セルティックFCの創設者、修道士ウォルフリッド

1888年5月28日、セルティックはレンジャーズと初の公式戦を行い、5対2で勝利した[9]。ニール・マッカラムがクラブの初ゴールを決めた。この日にプレーした選手はハイバーニアンから雇った選手によって主に構成されていた。

セルティックの初のユニフォームは白シャツと緑の襟、黒のズボン、エメラルドグリーンの靴下からなっていた。クラブの最初のクレストは赤色の卵形の背景の緑のケルト十字という単純なものであった。

1889年、セルティックは初めて開催されたスコティッシュカップ決勝に進出したが、2対1で敗れた。クラブは1892年も再びスコティッシュカップ決勝に進出し、クイーンズ・パークを5対2で破り優勝を果たした。数カ月後、クラブは本拠地をセルティック・パークに移し、次のシーズンはスコティッシュ・リーグ・チャンピオンシップを初制覇した[9]

ウィリアム・アンガス(中央)はセルティックでプレーし、第一次世界大戦中にヴィクトリア十字章を授与された。

1897年、クラブは有限責任私会社となりウィリー・マレーが初の「秘書役兼監督」に任命された。1905年から1910年の間に、セルティックはスコティッシュ・リーグ・チャンピオンシップを6連覇した[9]。1907年と1910年はスコティッシュカップも同時に制した。これは初のスコティッシュカップとリーグの二冠であった[9]第一次世界大戦中、セルティックはリーグを4連覇し、1915年11月から1916年4月までは無敗を誇った[9][10]

元選手でキャプテンのジミー・マクグローリーは1945年にチームを引き継いだ。マクグローリーの下、セルティックは女王エリザベス2世の戴冠を記念して1953年5月に開催された一度限りの大会であるコロネーションカップにおいて、アーセナルマンチェスター・ユナイテッド、ハイバーニアンを破り優勝した。

1957年10月19日、セルティックはグラスゴー、ハムデン・パークで行われたスコティッシュリーグカップ決勝でレンジャーズを7対1で破った。このスコアは今でも、イギリスの国内カップ戦決勝の最多得点差である。

元セルティックキャプテンジョック・ステインは1965年にマクグローリーの後を引き継いだ。ステインはセルティックを1966年から1974年までリーグ9連覇に導いた。これは1997年に(レンジャーズによって)並ばれるまで世界記録であった。

1967年はセルティックのアンヌス・ミラビリス(素晴しい年)であった。クラブは参加した全ての大会(スコティッシュリーグ、スコティッシュカップ、スコティッシュリーグカップ、グラスゴーカップ、ヨーロピアンカップ)を制覇した。ステインのリーダーシップの下、クラブは1967年5月25日、リスボンエスタディオ・ナシオナルにおいてインテルナツィオナーレを2対1で破った。セルティックはヨーロッパ王者となった初のイギリスのクラブ(スペイン、ポルトガル、イタリア以外で初)となった。現在でも、決勝に進んだ唯一のスコットランドのチームである。この時の選手達は後に「リスボン・ライオンズ」として知られるようになった。ジミー・ジョンストンボビー・レノックスボビー・マードックはこのチームの一員であり、現在セルティックの偉大な選手の一人として称えられている。次の年、セルティックはインターコンチネンタルカップアルゼンチンラシン・クラブに敗れた。

セルティックは1970年に再びヨーロピアンカップ決勝に進出したが、ミラノサン・シーロで行われた決勝でフェイエノールトに2対1で破れた。

1980年代における国内でさらなる成功にもかかわらず、クラブの当座貸越英語版が500万ポンドを上回った結果として、スコットランド銀行は1994年3月3日に管財人が訪問することをセルティックに通知した。しかし、国外に住んでいる実業家ファーガス・マッキャンがクラブの統制権を手に入れて、創設以来クラブを支配してきた一族を追放した。メディアの報道によれば、マッキャンがクラブを引き継いだのは、破産が宣告される数分前であった[11]。有限責任私会社セルティックPLCとしてのクラブビジネスを再構成し、セルティック・パークの全席座席付き60,832人収容のスタジムへの再開発を監督した。1998年、オランダ人のビム・ヤンセンの下、セルティックは再びタイトルを手にし、レンジャーズがセルティックの9連覇の記録を破るのを阻止した[12]

ノッティンガム・フォレストでヨーロピアン・カップを制したマーティン・オニールが2000年6月にクラブを引き継いだ[13]。オニールのリーダーシップの下、セルティックは5年間でスコティッシュ・プレミアリーグを3度制覇した[14]。オニールの初年度には国内三冠を達成し[15]、ジョック・ステイン以来三冠を達成した2人目の監督となった[16]

2003年、UEFAカップ決勝を観戦するために80,000人あまりのセルティックファンがセビリアへ旅した[17][18]ヘンリク・ラーションが90分以内に2得点をあげたにもかかわらず、セルティックは延長戦の後FCポルトに3対2で破れた[19]。数多くのセルティックサポーターの立派な振舞いはセビリアの人々から幅広い賞賛を受け(一人のサポーターも逮捕されなかった)、セルティックファンはFIFAUEFAフェアプレー賞を受賞した[3][4]

ゴードン・ストラカンは2005年6月にオニールの後を継ぐことが発表された。就任初年度にSPLのタイトルを手にした後[20]、ストラカンはリーグ3連覇を果たしたセルティック3人目の監督となった。また、ストラカンはセルティックを初となるUEFAチャンピオンズリーグノックアウトステージ(2006-07)に導き[21]、次の2007-08も2年連続でノックアウトステージに進んだ[22]。ストラカンはSPLのタイトルを逃した後、2009年5月にクラブを去った[23]。2009年6月にトニー・モウブレイが監督に就任し[24]、1年後にニール・レノンが後を継いだ[25]。2010年11月、セルティックはセルティック・パークでアバーディーンを9対0で破り、スコッティッシュプレミアリーグの最多得点差記録を更新した[26]

クレストおよびチームカラー[編集]

セルティックの初めてのシーズンでは、ユニフォームは白色のトップスに黒色のショートパンツと緑色の横縞のソックスであった。このユニホームには赤色の円内に描かれたケルト十字の意匠がつけられていた。次のシーズンは緑色と白色の縦縞のトップスに変更され、このデザインをその後14年間使用した。1903年、セルティックは現在の有名な緑色と白色の横縞のトップスを採用した[27]

スタジアム[編集]

セルティックのスタジアムは、グラスゴーパークヘッドにあるセルティック・パークである。セルティック・パークは収容人員6万832人の全席座席付きのスタジアムであり[28]、スコットランドで最大、イギリスではマレーフィールドオールド・トラッフォードトゥイッケナムウェンブリーオリンピックスタジアムミレニアム・スタジアムに次いで7番目に大きなスタジアムである。セルティック・パークはパークヘッド[29](Parkhead)あるいはパラダイス[28][30](Paradise)として一般的に知られている。

セルティックは最初、1888年にパークヘッド地域にグラウンドを構えた[31]。しかしながら、賃貸料が大幅に値上げされた1892年に異なる場所に移転した[32]。新たな本拠地は、広大な台地(テラス)構造の区域を有する楕円形のスタジアムへと開発された[33]。観客動員記録8万3500人は、1938年1月1日のオールドファームダービーで記録された[32]。1957年から1971年の間にテラスは舗装され、投光照明が導入された[32]

テイラー・レポートにより、1994年8月までに全ての主要なクラブは全席座席付きのスタジアムを持たなればならないと命じられた[34]。1990年代初頭のセルティックの財政状況は悪く、1994年3月にファーガス・マッキャンがクラブの経営権を獲得するまでは、大規模な改築は行われなかった。マッキャンは古いテラスを撤去し、段階的な改築で新たなスタジアムを開発する計画を実行し、1998年8月に工事は完了した。新スタジアムの総費用は4千万ポンドであった。

1994-95シーズン、セルティックはハムデン・パークでプレーした(賃貸料は50万ポンド)[35]。セルティック・パークは、(特にハムデン・パークが使用できない時)しばしばスコットランド代表やカップ戦決勝の会場として使用されている[36]第一次世界大戦以前は、セルティック・パークではコンポジット・ルールズ・シンティ=ハーリング[37]陸上競技、1897年世界選手権自転車競技大会トラックレース[32]など様々な他のスポーツイベントが開催された。野外ミサ[32]や第一次世界大戦の求人運動も開催された[38]。時にはコンサートでも使用されている[39]

サポーター[編集]

2003年、セルティックには900万人のファン(内100万人はアメリカ合衆国およびカナダ)がいると推計された[40]。世界中の20カ国以上に160を超えるセルティック・サポーターズ・クラブが存在する[41]。日本には2001年7月に発足した東京CSCがあり、主にアイリッシュパブで集まり、試合を観戦しサポートしている。

2003年、推定8万人の多くはチケットを持たないセルティックサポーターが、UEFAカップ決勝のためにスペインのセビリアへ渡った[3][4][5]。クラブのファンはその後、この試合における振舞いに対してUEFAおよびFIFAからフェアプレー賞を授与された[3][4][17][18]

2010-11シーズン、セルティックはスコットランドのクラブの中で最多平均観客動員数を記録した[42]。また、この記録はヨーロッパ全てのサッカークラブの中でも12番目である。

セルティックのサポーターがYou'll Never Walk Aloneを歌うことは世界的に知られておりクラブも公式に曲の使用を認めスタジアムで使用している。セルティックパークでは選手の入場前にこの曲が流れサポーターが曲に合わせて熱唱する、やがて曲が消えサポーターの声だけがスタジアムに響くという演出が毎試合行われるほか、この曲はセルティックサポーターの代名詞のようになっており2007-2008シーズンのチャンピオンズリーグベスト16のセカンドレグではアウエーの カンプ・ノウでバルセロナの手によりこの曲が流されるという粋な計らいがあった。また中村俊輔の退団時には彼に対してのメッセージとしても使用された。意味は「あなた(達)は一人ではない(私たちも一緒だ)」である。

オールドファームとセクト主義[編集]

セルティックの伝統的なライバルはレンジャーズである。まとめて、これら2つのクラブはオールドファームとして知られている。セルティックとレンジャーズはスコットランドサッカーの歴史を支配しており、1890年のスコットランドリーグの始まりからこれまで、97のタイトルを分け合っている(他クラブは全て合わせても19)。2つのクラブはスコットランドでこれまで最も支持されているクラブでもある。セルティックはアイルランドの人々ならびにアイルランド系のスコットランド人(どちらも大抵の場合はローマ・カトリック)と歴史的な結び付きがある。伝統的に、ライバルのレンジャーズのファンはスコットランドあるいは北アイルランドプロテスタントから来ており、イギリス統一主義を支持している。

クラブは北アイルランド問題の対立派閥の支持を引き付けてきている。一部のサポーターは試合でプロテスタントを罵るあるいはカトリック信仰への支持を示す歌やチャント、バナーを用い、IRAUVFといった北アイルランド民兵組織への支持を表明する[43]

2011年現在、400試合近くのオールドファームダービーが行われている。試合は、「スコットランドの至る所のコミュニティーでの暴力につながり続けている憎悪、宗教的緊張、威嚇の雰囲気」[43]を持つと描写される。 ライバル関係は多くの暴動をあおり、ダービーの日には死者が出ることもある。病院の緊急治療室への受け入れは通常の9倍に増加すると報告されており[44]、1996年から2003年の期間では、数百件の暴動があり、8件の死亡事例がオールドファームダービーに直接的に結び付いていた[44][45]

ハムデン・パークで行われた1980年スコティッシュカップ決勝では、セルティックの勝利後にピッチ上で双方のサポーターによる乱闘が起きた[46]。1999年5月にセルティック・パークで行われたダービーでは、セルティックファンにより物が投込まれ、レフリーのHugh Dallasにその内一つが当たり治療が行われた[47]。また、少数のファンがピッチに乱入した。

セルティックはセクト主義を減らす方策を取ってきている。1996年、クラブはBhoys Against Bigotry(偏見)キャンペーンを開始し、その後「コミュニティーの全ての面 —全ての人種、全ての色、全ての信条— に対して敬意を持つよう若者を教育する」ためYouth Against Bigotryキャンペーンが行われた[48]

2008年3月、UEFAはバルセロナとの試合においてセルティックのファンがセクタリアン・チャントを歌った疑惑について調査を行った[49]。この訴えは、証拠に欠いていたため同月内に棄却された[50]

アイルランド共和主義[編集]

セルティックファンの一部のグループは、試合においてアイルランド共和主義アイルランド共和軍に関する歌やチャントを披露することによって彼らへの支持を表明する[51][52]。IRAチャントは攻撃的であると類型化されるが、彼らがセクタリアンであるかについては意見が分かれている[53][54][55][56][57]。 UEFA広報委員長William Gaillardは、2006年の事例について話した時、IRAチャントは民族主義者問題であり、それぞれの国の民族主義運動を支持しているバルセロナアスレティック・ビルバオといった他クラブのファンと似ている、と述べた。またGaillardは、一部のファンが民族浄化に従事した機関への支持を示したバルカン諸国の事例とは状況が異なる、とも述べた[58]

2008年と2010年、休戦記念日 (Remembrance Day) のためにポピーのシンボルをチームが身に付けることに対してファンのグループが抗議を行った[59][60]。セルティックはこれらの抗議に対して彼らがクラブとファンのイメージを損っていると述べて不賛成の意を表明し、関与した者達を入場禁止にすると約束した[51][60][61]

2011年11月、UEFAはセルティックファンが2011年11月3日に行われたヨーロッパリーグレンヌとの試合中に親IRA歌を含む「不法チャント」が行われた疑惑に関して捜査を開始した[62]。審問が2011年12月9日に行われ[63]、クラブは1万2700ポンドの罰金を課せられた[64]。2011年11月にはまた、スコティッシュ・プレミアリーグが前月のハイバーニアン戦でのファンによる「親IRA」チャントに関するセルティックへの調査を発表した[65]。2011年12月5日、調査の結果SPLは「少数のセルティックファンがIRAを支持する歌およびチャントを行ったことは疑いようがない」と結論付けた。しかしながら、セルティックはそういった行動を防止するために全ての「合理的に実行可能な段階」を踏んでいると見なされ、クラブに対しては罰則は課されなかった。SPLはまた、監督のニール・レノンやCEOのピーター・ローウェルがこれらのチャントについて繰り返し激しい非難を行ったことも考慮された、と述べた[66]

タイトル[編集]

国内タイトル[編集]

ホームスタジアムのセルティック・パークに飾られているトロフィー。

*1975年はレンジャースと2-2 引き分けで両チーム優勝

国際タイトル[編集]

過去の成績[編集]

  • 2001-02 スコティッシュ・プレミアリーグ 優勝
  • 2002-03 スコティッシュ・プレミアリーグ 2位
  • 2003-04 スコティッシュ・プレミアリーグ 優勝
  • 2004-05 スコティッシュ・プレミアリーグ 2位
  • 2005-06 スコティッシュ・プレミアリーグ 優勝
  • 2006-07 スコティッシュ・プレミアリーグ 優勝
  • 2007-08 スコティッシュ・プレミアリーグ 優勝
  • 2008-09 スコティッシュ・プレミアリーグ 2位
  • 2009-10 スコティッシュ・プレミアリーグ 2位
  • 2010-11 スコティッシュ・プレミアリーグ 2位
  • 2011-12 スコティッシュ・プレミアリーグ 優勝
  • 2012-13 スコティッシュ・プレミアリーグ 優勝
  • 2013-14 スコティッシュ・プレミアリーグ 優勝

現所属メンバー[編集]

2014年9月2日現在
No. Pos. 選手名
2 ウェールズの旗 DF アダム・マシューズ
3 ホンジュラスの旗 DF エミリオ・イサギーレ
4 ナイジェリアの旗 DF エフェ・アンブローズ
5 オランダの旗 DF ヴァージル・ファン・ダイク
6 イスラエルの旗 MF ニル・ビトン
8 スコットランドの旗 MF スコット・ブラウン (Captain sports.svg)
9 スウェーデンの旗 FW ヨン・グイデッティ
10 アイルランド共和国の旗 FW アンソニー・ストークス
11 オランダの旗 FW デルク・ブーリフテル
12 セルビアの旗 FW ステファン・シュチェポヴィッチ
15 スコットランドの旗 MF クリス・コモンズ
16 ノルウェーの旗 FW ヨー・インゲ・ベルゲット
18 オーストラリアの旗 MF トム・ロギッチ
21 スコットランドの旗 DF チャーリー・マルグリュー
22 ベルギーの旗 DF ジェイソン・デナイヤー
23 スウェーデンの旗 DF ミカエル・ルスティグ
24 ポーランドの旗 GK ウカシュ・ザウスカ
No. Pos. 選手名
25 ノルウェーの旗 MF ステファン・ヨハンセン
26 スコットランドの旗 GK クレイグ・ゴードン
27 ブルガリアの旗 MF アレクサンダル・トネフ
28 スコットランドの旗 FW リー・グリフィス
31 スコットランドの旗 MF ジョン・ヘロン
32 ガーナの旗 FW ワカソ・ムバラク
33 イスラエルの旗 MF ベラム・カヤル
38 イタリアの旗 GK レオナルド・ファラン
41 イングランドの旗 DF ダーネル・フィッシャー
42 スコットランドの旗 MF カラム・マグレガー
43 スコットランドの旗 DF ジョー・チャーマーズ
44 スコットランドの旗 DF マーカス・フレイザー
49 スコットランドの旗 FW ジェームズ・フォレスト
50 アイルランド共和国の旗 MF ポール・ジョージ
53 スコットランドの旗 MF リアム・ヘンダーソン
56 チェコの旗 MF フィリップ・トワルジク

ローン移籍[編集]

in
No. Pos. 選手名
9 スウェーデンの旗 FW ヨン・グイデッティ (マンチェスター・シティ)
16 ノルウェーの旗 FW ヨー・インゲ・ベルゲット (カーディフ)
22 ベルギーの旗 DF ジェイソン・デナイヤー (マンチェスター・シティ)
No. Pos. 選手名
27 ブルガリアの旗 MF アレクサンダル・トネフ (アストン・ヴィラ)
32 ガーナの旗 FW ワカソ・ムバラク (ルビン・カザン)
out
No. Pos. 選手名
17 ポルトガルの旗 FW アミド・バルデ (ベーフェレン)
19 アイスランドの旗 FW ホルムベルト・フリディヨンソン (ブレンビー)
No. Pos. 選手名
20 フィンランドの旗 FW テーム・プッキ (ブレンビー)
35 オーストラリアの旗 MF ジャクソン・アーヴァイン (ロス・カウンティ)

2014-15シーズン移籍[編集]

歴代監督[編集]

氏名 国籍 期間
ビリー・マーレー 北アイルランドの旗 北アイルランド 1897年4月1日 - 1940年1月31日
ジミー・マクステイ スコットランドの旗 スコットランド 1940年2月1日 - 1945年7月31日
ジミー・マクグローリー スコットランドの旗 スコットランド 1945年8月1日 - 1965年7月31日
ジョック・ステイン スコットランドの旗 スコットランド 1965年8月1日 - 1978年5月31日
ウィリアム・ワッデル スコットランドの旗 スコットランド 1969年 - 1972年
ビリー・マクニール スコットランドの旗 スコットランド 1978年8月1日 - 1983年8月1日
デビッド・ヘイ スコットランドの旗 スコットランド 1983年8月1日 - 1987年5月20日
ビリー・マクニール スコットランドの旗 スコットランド 1987年5月20日 - 1991年5月22日
リアム・ブレイディ アイルランド共和国の旗 アイルランド 1991年6月19日 - 1993年10月7日
ルー・マカリ スコットランドの旗 スコットランド 1993年10月7日 - 1994年6月16日
トミー・バーンズ スコットランドの旗 スコットランド 1994年7月12日 - 1997年5月31日
ビム・ヤンセン オランダの旗 オランダ 1997年7月1日 - 1998年5月11日
ジョゼフ・ベングロシュ スロバキアの旗 スロバキア 1998年7月1日 - 1999年
ジョン・バーンズ イングランドの旗 イングランド 1999年 - 2000年
ケニー・ダルグリッシュ スコットランドの旗 スコットランド 2000年2月10日 - 2000年6月1日
マーティン・オニール 北アイルランドの旗 北アイルランド 2000年6月1日 - 2005年5月31日
ゴードン・ストラカン スコットランドの旗 スコットランド 2005年5月31日 - 2009年5月31日
トニー・モウブレイ イングランドの旗 イングランド 2009年6月16日 - 2010年3月25日
ニール・レノン 北アイルランドの旗 北アイルランド 2010年3月25日 - 2014年5月22日
ロニー・デイラ ノルウェーの旗 ノルウェー 2014年6月6日 -

歴代所属選手[編集]

GK

DF

MF

FW

脚注[編集]

  1. ^ A Sporting Nation – Celtic win European Cup 1967 BBC Scotland
  2. ^ Celtic immersed in history before UEFA Cup final Sports Illustrated, 20 May 2003
  3. ^ a b c d Celebrating Celtic pride in the heart of Andalusia FIFA.com, 15 December 2003
  4. ^ a b c d Celtic fans 'Europe's best' BBC Sport, 28 August 2003
  5. ^ a b Finalists relishing Hampden visit BBC Sport, 4 May 2007
  6. ^ Coogan, Tim Pat (2002). Wherever Green Is Worn: The Story of the Irish Diaspora. Palgrave Macmillan. p. 250. ISBN 978-1-4039-6014-6. 
  7. ^ Wagg, Stephen (2002). British football and social exclusion. Routledge. p. 196. ISBN 978-0-7146-5217-7. 
  8. ^ Sean Ingle; Scott Murray (2000年7月5日). “Knowledge Unlimited”. the guardian. http://www.guardian.co.uk/football/2000/jul/05/newsstory.sport5 2013年1月20日閲覧。 
  9. ^ a b c d e Brief History”. Celtic FC. 2011年11月19日閲覧。
  10. ^ Celtic FC's series of 62 matches unbeaten in Division One”. www.rsssf.com. 2012年5月26日閲覧。
  11. ^ “Celtic chairman John Reid pledges to keep the club's finances under control”. The Telegraph. (2009年10月30日). http://www.telegraph.co.uk/sport/football/teams/celtic/6469284/Celtic-chairman-John-Reid-pledges-to-keep-the-clubs-finances-under-control.html 2011年7月23日閲覧。 
  12. ^ Celtic get by with a little help from their Scandinavians BBC Sport, 9 May 1998
  13. ^ O'Neill confirmed as Celtic manager guardian.co.uk, 1 June 2000
  14. ^ O'Neill sees a brilliant new era for Celtic under Strachan The Guardian, 26 May 2005
  15. ^ Celtic lift cup to complete Treble BBC Sport, 26 May 2001
  16. ^ O'Neill vows to stay and savour Celtic in Europe The Telegraph, 19 March 2001
  17. ^ a b Celtic in Seville Observer Sport Monthly
  18. ^ a b Celtic 2–3 FC Porto ESPN Soccernet, 21 May 2003
  19. ^ Porto end Celtic's Uefa dream BBC Sport, 21 May 2003
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関連項目[編集]

外部リンク[編集]