ケルト人

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ケルト人の分布● - 紀元前1500年から紀元前1000年● - 紀元前400年
ケルト人の分布
- 紀元前1500年から紀元前1000年
- 紀元前400年

ケルト人(ケルトじん、the Celts)は中央アジアの草原から車輪付きの乗り物(戦車馬車)を持ってヨーロッパに渡来したインド・ヨーロッパ語族ケルト語派の民族である。古代ローマ人からはガリア人とも呼ばれていたが、「ケルト人」と「ガリア人」は必ずしも同義ではなく、ガリア地域に居住してガリア語またはゴール語を話した人々のみが「ガリア人」なのだとも考えられる。ブリテン諸島アイルランドスコットランドウェールズコーンウォル、コーンウォルから移住したブルターニュブルトン人などにその民族と言語が現存している。 現在のケルトという言葉は言語・文化の区分を示すための近現代になってから作られた用語であり、古代~中世において右図で表されている地域の住民が「ケルト人」として一体的な民族意識を持っていたとは考えられていない。そのため歴史学などでは「ケルト人(Celts)」という言葉は使わず、「ケルト系(Celtic)」という言葉を便宜的に使っている。

目次

[編集] 大陸のケルト

ケルト人はおそらく青銅器時代中部ヨーロッパに広がり、その後期から鉄器時代初期にかけて、ハルシュタット文化(紀元前1200年~紀元前500年)を発展させた。当時欧州の文明の中心地であったギリシャエトルリアからの圧倒的な影響の下、ハルシュタット鉄器文明はラ・テーヌ鉄器文明(紀元前500年~紀元前200年)に発展する。

ケルトの社会は鋭利な鉄製武器を身に付け、馬に引かれた戦車に乗った戦士階級に支配され、欧州各地に分立した。彼らは南欧の文明社会としきりに交易を行い、その武力によって傭兵として雇われることもあり、ギリシャ・ローマの文献に記録が残されている。紀元前400年頃にはマケドニア金貨に影響されて、各地でケルト金貨を製造するようになった。また、ケルト人の一部はバルカン半島へ進出し、マケドニア、テッサリアなどを征服。ギリシャ人は彼らをガラティア人と呼んだ。紀元前3世紀に入ると、さらにダーダネルス海峡を経由して小アジアへ侵入し、現在のアンカラ付近を中心に小アジア各地を席巻した。

やがて紀元前1世紀頃に入ると、各地のケルト人は他民族の支配下に入るようになる。ゲルマン人の圧迫を受けたケルト人は、西のフランススペインに移動し、紀元前1世紀にはローマのガイウス・ユリウス・カエサルらによって征服される。カエサルの『ガリア戦記』はガリア(ゴール)のケルト社会に関する貴重な文献である。やがて500年にわたってローマ帝国の支配を受けたガリアのケルト人(フランス語ではゴール人)は俗ラテン語を話すようになり、ローマ文化を受け入れて、中世にはゲルマン系のフランク人と融合してフランス人に変質していく。

[編集] 島のケルト

ケルト人がいつブリテン諸島に渡来したかははっきりせず、通説では鉄製武器をもつケルト戦士集団によって征服されたとされるが、遺伝子などの研究から新石器時代の先住民が大陸ケルトの文化的影響によって変質したとする説もある。いずれにしてもローマ帝国に征服される以前のブリテン島には戦車に乗り、鉄製武器をもつケルト部族社会が展開していた。

西暦1世紀にイングランドウェールズはローマの支配を受け、この地方のケルト人はローマ化するが、5世紀ゲルマン人ガリアに侵入すると、ローマ帝国ブリタンニアの支配を放棄し、ローマ軍団を大陸に引き上げた。この間隙を突いてアングロ・サクソン人が海を渡ってイングランドに侵入し、アングロサクソンの支配の下でローマ文明は忘れ去られた。

しかし、同じブリテン島でも西部のウェールズはアングロサクソンの征服が及ばず、ケルトの言語が残存した。スコットランドアイルランドはもともとローマの支配すら受けなかった地域である。またイングランド西端、コーンウォールのケルト人はアングロサクソンの圧迫を受け、海を渡ってブルターニュ(当時、ローマ領アルモリカ)に移住、ブルトン人となった。

[編集] ケルトと宗教

ブリテン島のケルト人の間では、4世紀にはキリスト教が根づいた(ケルト系キリスト教)。5世紀になると、アングロ・サクソンなどのゲルマン人が侵入したせいで、ケルト人キリスト教徒はウェールズコーンウォルに移った。その後、ヴァイキングの侵入やノルマン・コンクエストの影響で、ケルト人キリスト教はしだいに衰退していった。

アイルランドでは、6世紀末~8世紀初めに、ゲルマン人をキリスト教化する方針が取られた。アイルランドでのケルト・キリスト教は、9~10世紀のヴァイキングの侵入によって衰退した。

ケルト・キリスト教独特の制度は、12世紀までにヨーロッパからほとんど姿を消した。しかし近年、現代風に調和されたケルト系キリスト教は息を吹き返しつつある。

[編集] ケルトの文化

当初の宗教は自然崇拝の多神教であり、ドルイドと呼ばれる神官がそれを司っていた。 初期のドルイドは、祭祀のみでなく、政治や司法などにも関わっていた。 彼らは、その教えを文字にする事は正しくないと考え、口承で伝えたので、全てを暗記するには二十年もかかった者もいた、といわれている。それ以外の記録の為には、ギリシア文字を借用していた。

後にギリシア語ラテン語を参照にして、ケルト人独自のオガム文字が生まれた。しかし後世に、ケルト人がキリスト教化すると、これはラテン文字に取って代わられた。

キリスト教化したあとも、ケルト人独特の文化はまったく消滅したわけではない。現代でもウェールズスコットランドアイルランドには、イングランドとは異なる独自の文化がいくらか残っている。(各項を参照。)

[編集] 現代のケルト人とケルト系諸言語

暗緑色(●)の部分は現在ケルト語派の言語が話されている地域であり、緑色(●)の部分は一般に「ケルト系の居住地」と認識されている地域である。その他薄緑色(●)の部分は、過去ケルト人が居住していたことのある地域である。
暗緑色()の部分は現在ケルト語派の言語が話されている地域であり、緑色()の部分は一般に「ケルト系の居住地」と認識されている地域である。その他薄緑色()の部分は、過去ケルト人が居住していたことのある地域である。

現代におけるいわゆる「ケルト人」とは、残存するケルト語派の言語が話される国であるアイルランド、スコットランド、マン島、ウェールズ、及びブルターニュの人々である(これにコーンウォールを加えることもある)。しかし、その5ヶ国の人々の中で、まだケルト系言語を使って日常的生活を送る人の数は30%程度を超えない。またアイルランド以外のケルト人の国は、より大きい異民族の国家に併合された上、本来の母語の話者が次第に減少していった。

しかし近年、様々なケルト語再生運動がそれらの言語の衰退を止めることを目的として行われている。この再生運動の有効例として、ウェールズにおいてウェールズ語を教える学校が政府から公金を受け、その学校数が増えて来たということが挙げられる。

またエンヤの楽曲やリバーダンスなどは世界的に高い評価を受けている。

現存するケルト語派の言語は:

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

[編集] 関連書

  • ベルンハルト マイヤー 平島直一郎、鶴岡真弓 訳『ケルト事典』 創元社 ISBN 4422230042
  • 鶴岡真弓、村松一男 『図説 ケルトの歴史―文化・美術・神話をよむ』ふくろうの本 河出書房新社 ISBN 4309726143
  • クリスチアーヌ エリュエール 田辺希久子、松田廸子、湯川史子 訳『ケルト人』蘇えるヨーロッパ「幻の民」 「知の再発見」双書 創元社 ISBN 4422210858
  • フランソワーズ ベック、エレーヌ シュー 遠藤ゆかり、鶴岡真弓 訳『ケルト文明とローマ帝国』 「知の再発見」双書 創元社 ISBN 4422211749
  • 中央大学人文科学研究所 編『ケルト口承文化の水脈』中央大学人文科学研究所研究叢書38 ISBN 4-8057-5327-7
  • ジョン ヘイウッド 井村君江、倉嶋雅人 訳 『ケルト歴史地図』 東京書籍 ISBN 4487797381
  • 鶴岡真弓 『ケルト/装飾的思考』 筑摩書房 ISBN 4480871349 同文庫版(ちくま学芸文庫) ISBN 4480080945
  • ヴァンセスラス・クルータ 鶴岡真弓訳 『ケルト人』 白水社(文庫クセジュ) ISBN 4560057206