中央ヨーロッパ

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中央ヨーロッパ諸国 スイスを含めない分類、スロベニアとクロアチアを含む分類がある。東ヨーロッパを参照のこと。
中央ヨーロッパ諸国 スイスを含めない分類、スロベニアとクロアチアを含む分類がある。東ヨーロッパを参照のこと。
中央ヨーロッパ諸国のアルプス諸国とヴィシェグラード・グループ。
中央ヨーロッパ諸国のアルプス諸国とヴィシェグラード・グループ

中央ヨーロッパ (Central EuropeMitteleuropa) はヨーロッパの中央部に位置し、西ヨーロッパ東ヨーロッパに挟まれた歴史的、文化的世界である。中欧とも。以下の国を中央ヨーロッパと呼ぶ。

(ドイツ、オーストリア、スイス、リヒテンシュタイン、スロベニアの5か国はアルプス諸国とも呼ばれる。ポーランド、チェコ、スロバキア、ハンガリーの4か国はヴィシェグラード・グループという地域協力機構を作っている。)

中欧のカトリック化はラテン語圏(具体的には神聖ローマ帝国)を通して行われ、西欧との一体性が強い。また近世にはオーストリアのハプスブルク王朝の支配下に置かれ特にドイツ語圏の影響が強くみられる。ウィーンは地理的にはハンガリー、チェコ、スロバキアからも中心に位置し、ハプスブルク王朝の領土そのものを指して中欧でありウィーンは中欧の首都の機能をもっていた。

第二次世界大戦後、これらの地域の多くはソ連圏に入り、東欧と呼ばれてきたので、この当時は中欧の概念は忘れられたかに見えるほどだったが、1989年から1991年にかけての東欧革命による共産党政権の崩壊による民主化によって中欧は再び蘇った。ベルリンの壁崩壊後はロシアの影響力が後退して西欧の影響力が復活し、2004年には中欧地域がすべてヨーロッパ連合に加盟するに至った。

東欧の印象は現在も強いが、以下のような文化的な違いがある。 ポーランドやチェコは民族や言語の区分ではスラヴ系に分類されるが、歴史的文化的区分ではスラブの中心とされるロシア世界とは一線を画している。 歴史的にはローマ・カトリックを受入れ、正教会とは区別される文化に属していた。 宗教がほとんどすべてを規定していた時代のためその影響は今日から考える宗教的なものにとどまらない。たとえば、ポーランド、チェコ、ハンガリーの文字はロシア系のキリル文字ではなくラテン文字である。 東ローマ帝国領土であった南東欧バルカン諸国)はビザンティン文化とよばれる中欧とは異なる文化的基盤を持っていたが、ポーランドなどは現代も熱心なカトリック国である。

[編集] 相対的な概念

あらゆる地域的区分「アジア」や「アフリカ」なども実質は相対的、恣意的、便宜的なものであり、世界は歴史的にも地理的にもダイナミックな流動性を備えている。中欧の概念も必ずしも固定的ではなく、時代に応じて変動している。

歴史的には、中欧地域はヨーロッパの中心がローマであった古代ローマの時代からルネサンスの時代にかけては、中央ヨーロッパが"ローマから見て"「北部」であり、「北部」と呼ばれていた。 中世には大国であったリトアニアはポーランドの影響の下にカトリック化しており、さらにポーランドと連合王国を形成するに至って中欧地域に入ったが、その後、ロシアの支配下に置かれることによって中欧からは離脱した。 エストニアラトビアも中世にはドイツ騎士団に征服されたカトリック地域(現在はプロテスタント)であるが、リトアニアと合わせこれらバルト三国は中欧には含まれない。また北欧とも関係が深く、北東ヨーロッパとも呼ばれる事もあるが、最近のバルト三国は、北欧に含まれる事がある。