マクデブルク法

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
中世のマクデブルク

マクデブルク法: Magdeburger Recht)は、地域の支配者によって都市や農村に認められる自治の程度を規定するドイツ都市法都市法)の一種。長いあいだ神聖ローマ帝国の有力都市であったマクデブルクの自治権をモデルとするため同市の名を冠しており、おそらくドイツ中世の都市法で最も重要なものである。中東欧の多くの君主たちが採用し、同法は何千もの都市や村の発展を促し、都市化への動きの画期となった。

同法はマクデブルクから遠く離れ、ビェチュフルィシュタクサンドミェシュクラクフクルフポズナンロプチツェヴロツワフズウォトルィヤヴィリニュストラカイカウナスフロドナキエフリヴィウブロディルーツィクヴォロディームル=ヴォルィンスキーサノクシニャティンニージンなどで適用され、バルデヨフフメネークルピナなど当時のハンガリー王国領だったスロヴァキアにもマクデブルク法を採用した都市がある。

概要[編集]

マクデブルクはハンザ同盟の一員として最も重要な交易都市の一つであり、西のフランドル、東のバルト諸地域、ドイツ内陸のブラウンシュヴァイクなどと商売をしていた。13・14世紀の古ドイツ法体系の中で最も発展していたマクデブルク法は数多くの都市に適用され、その適用地域の北端・東端はロシアにまで及んでいた。その中にはシュレースヴィヒボヘミアポーランドなどの近隣地域はもちろん、文化的差異の大きかったポモジェプロイセンリトアニアキリスト教化後)、ウクライナにまで拡がり、おそらくモルダヴィアでも適用されていた。これらの地域ではマクデブルク法をドイツ法あるいはテュートン法と呼んでいた。同法が適用された都市はマクデブルクの地方裁判所を最高裁判所としていたため、マクデブルクはリューベックとともに北ドイツ、ポーランド、リトアニアの法律を実質的に支配しており、都市法によって結ばれた「家族」にとっての最重要の心臓部として機能した。この重要な役割は、1495年の帝国改革によって設立された、帝国裁判所の権威の高まりと共に古ドイツ法がローマ法に取って代わられるまで続いていた。

中世の最も重要な都市法だったマクデブルク法は、当初は都市人口の最も重要な構成員だった地元の商人や職人が、交易によって上げる利益を規制することを狙いとしていた。中世のポーランドでは、国王による都市化促進政策の一環として、ユダヤ人もドイツ商人と一緒に招聘された。

ユダヤ人ドイツ人は時に諸都市での競合者となった。ユダヤ人は国王や皇帝との慎重な交渉によって得た特権の庇護下に生活していた。彼らは都市の司法権には従わなかった。これらの特権のおかげでユダヤ人は共同体の自治を維持することができ、彼らは彼ら自身の法に従って生活し、キリスト教徒とユダヤ人の紛争に関しては国王の法廷で直に裁かれた。ユダヤ人が移住の褒賞として与えられた取り決めの中で最も興味深いのは、ユダヤ人は「保証人(Gewährsmann)」に仕立てあげられない、というものだった。つまり、ユダヤ人の物品の入手に関して、それを購入したか抵当物件として手に入れたのかを区別されることなく、その物品の完全な所有者として認められるようになったのである。これは盗まれた物品を買い取る権利を認めたも同然だった。他に有名な規定は、ユダヤ人がキリスト教徒に肉を売ったり、キリスト教徒の召使を雇うことを許可したものである。

関連項目[編集]