シュレースヴィヒ公国

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シュレースヴィヒの国章
ユトランド半島のシュレースヴィヒ、北部は朱色、南部は茶色で示されている
分割される以前のシュレースヴィヒ

シュレースヴィヒ公国(シュレースヴィヒこうこく、デンマーク語:Hertugdømmet Slesvig、ドイツ語:Herzogtum Schleswig)は、1058年から1866年までユトランド半島南部に存在した公国。デンマーク王冠の属領であった。現在はドイツデンマークの国境によって分断されており、北部はデンマーク領の南デンマーク地域の一部(旧セナーユラン県)に、南部はドイツのシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州の一部になっている。公国は北海バルト海の間の物資輸送経路として重要性を有していた。

歴史[編集]

古代ローマの史料によれば、アイダー川の北部にジュート人の原住地が、その南部にアングル人の原住地が存在していたという。中世初期の終わり、8世紀から10世紀にかけてデンマークで数多くの小規模な族長国家が興亡していく中で(この時期はヴァイキングの最盛期だった)、シュレースヴィヒはデンマークの歴史的地域の一部を構成するようになった。ヴァイキングの栄えた時期、シュレースヴィヒにあったヘーゼビュー(スカンディナヴィアで最も交易の盛んだった地域)にはダーネヴィアケ防塁が築かれていた。このダーネヴィアケが737年頃に大規模に増築されたことは、デンマーク統一国家の出現を意味していると考えられている。

10世紀のあいだ、神聖ローマ帝国とデンマークはアイダー川とダーネヴィアケに挟まれた地域の支配権をめぐって何度か戦争を繰り返した。974年、神聖ローマ皇帝オットー2世は要塞を築くことで遠征を成功させたが、皇帝の築いた要塞は983年にデンマーク王スヴェン1世によって破壊された。

1027年、皇帝コンラート2世とデンマークのクヌーズ大王はアイダー川に両国の国境を設定した。1115年、デンマーク王ニルスは甥のクヌーズ・ラヴァーをシュレースヴィヒ伯爵に叙し、クヌーズはまもなく公爵となった。1230年代、シュレースヴィヒ公国(南ユトランド)はクヌーズ・ラヴァーの曾孫で、ヴァルデマー2世王の次男のアーベルに分領として与えられた。このアーベルはまもなく王位を兄から奪い取った。アーベル以後のデンマーク王家でもシュレースヴィヒ公国は王の下の息子とその子孫が領有し、シュレースヴィヒ公爵たちはたびたびデンマーク王位を要求したので、デンマーク王とシュレースヴィヒ公は13・14世紀のあいだ係争関係にあった。

15世紀になると、シュレースヴィヒの南隣にあるホルシュタイン公国も領土争いや通婚関係によってデンマーク王家と結びつくようになった。ホルシュタインは神聖ローマ皇帝の封土であり、一方でシュレースヴィヒはデンマーク王の封土だった。この二国の二重臣属状態が、民族ロマン主義国民国家の理念が人々の共感を得た19世紀になって、ドイツとデンマークがこの地域をめぐって争うことになる主な原因だった。シュレースヴィヒ公爵位は1460年以後、世襲のノルウェー王(デンマークは選挙王制であった)に相続された。

19世紀になると、ドイツとデンマークがシュレースヴィヒとホルシュタインをめぐって争うようになり、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン問題が浮上した。デンマークは1848年にシュレースヴィヒ公国をデンマーク王国領に併合しようとしたが、シュレースヴィヒとホルシュタインの連合関係の維持を望む民族ドイツ人たちの反乱を起こす結果になった。この反乱はさらに第1次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争を引き起こした。デンマークは侵入してきたプロイセン軍に勝利し、1852年のロンドン議定書でシュレースヴィヒおよびホルシュタインの保持に成功した。

デンマークは1864年に再びシュレースヴィヒを併合しようとし、第2次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争を引き起こしたが、今回はドイツ連邦がデンマークに勝利した。1865年8月14日のバート・ガスタイン協定により、プロイセンがシュレースヴィヒを、オーストリアがホルシュタインの行政権をそれぞれ獲得した。しかし、プロイセンとオーストリアの覇権争いは1866年の普墺戦争を引き起こし、勝利したプロイセンがシュレースヴィヒとホルシュタインを併合してシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州を設置した。

ドイツ帝国崩壊直後の1920年に実施された2度の住民投票により、シュレースヴィヒは分割された。北部はデンマーク領となり、中央部はドイツ領に残ることを選択した。南部は投票結果が明らかだったため、住民投票は実施されなかった。シュレースヴィヒの中央部・南部は現在のドイツ領シュレースヴィヒと同義である。現在、旧シュレースヴィヒ公国の領域は二つの領域国家に分断されているものの、同じ欧州連合の構成地域ではある。

関連項目[編集]