デンマーク

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デンマーク王国(デンマークおうこく)、通称デンマークは、バルト海北海に挟まれたユトランド半島と、その周辺の多くの島々からなる、北欧諸国のひとつである。首都はコペンハーゲン

北には海を挟んでスカンジナビア半島諸国、南にはドイツと国境を接する。大陸部分を領有していながら、首都は島にある欧州で唯一の国である[1]グリーンランドフェロー諸島はデンマーク領であるが、自治権をもっている。

2006年まで、国連安保理非常任理事国

デンマーク王国
Kongeriget Danmark
デンマークの国旗 デンマークの国章
国旗 (国章)
国の標語 : なし 王のモットー:Guds hjælp, Folkets kærlighed, Danmarks styrke
(デンマーク語: 神様の救い、国民の愛情、デンマークの力)
国歌 : デンマークの国歌
デンマークの位置
公用語 デンマーク語
首都 コペンハーゲン
最大の都市 コペンハーゲン
元首
女王 マルグレーテ2世
首相 アナス・フォー・ラスムセン
面積
総計 43,094km²130位
水面積率 1.6%
人口
総計(2004年 5,413,392人(108位
人口密度 126人/km²
GDP(自国通貨表示)
合計(2005年 1兆5,069億デンマーク・クローネ
GDPMER
合計(2005年 2,659億ドル(27位
GDPPPP
合計(2003年 1,677億ドル(42位
1人当り 31,200ドル
独立
 - 日付
8世紀
通貨 デンマーク・クローネDKK
時間帯 UTC (±1)(DST: (±2))
ccTLD DK
国際電話番号 45
(1) グリーンランドでは、イヌイット語(グリーンランド語)も公用語。
(2) この表中の各数値は、グリーンランドとフェロー諸島を含んでいない。

目次

[編集] 国名

デンマーク語による正式名称は、Kongeriget Danmark(コングリーウズ・ダンマーク)。通称、Danmark

日本語の表記は、デンマーク王国。通称、デンマーク。古くは、デンマルクと表記された。漢字による当て字は、丁抹で、と略される。英語の表記は"Kingdom of Denmark"。

[編集] 歴史

詳細はデンマークの歴史を参照

デンマークには有史以前から人が住んでいた。氷河期の到来によって人はこの地を追われるが、紀元前12000年ころから人が住み続けていると考えられている。農業は紀元前3000年ころ始まったようだ。

ヴァイキングとして知られるノルマン人8世紀から11世紀にかけて住んでいた。彼等は複雑な社会構造を持ち、他のヨーロッパ諸国を侵略、また貿易を行ったことで有名である。この時期デンマークはユトランド半島を基盤にして、シェラン島スウェーデン南部に影響力を持っていた。11世紀初頭の30年間にはカヌート大王がデンマークとイングランドを支配した(北海帝国)。中世カルマル同盟を築き大国として存在した。 1523年スウェーデンがカルマル同盟を脱し独立。スウェーデンとの300年にわたる抗争が開始される。1626年ドイツ三十年戦争に介入、敗退し、衰退が始まる。そして、1645年のスウェーデンとの戦いで、完全にデンマークは小国へと転落した。17世紀初頭のスウェーデン・ロシア帝国間の大北方戦争においても、スウェーデンに敗れ、敗戦国扱いをされた。北方戦争に敗れたスウェーデンとともに、デンマークも同様に北欧の没落を体験した。

近代に至りプロイセン王国との戦争により南部のシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州などを失い、またナポレオン戦争においても、フランスと同盟を結んでいたため、敗北。1814年キール条約によって、長年支配してきたノルウェーをスウェーデンに奪われた。(ただノルウェー領であったアイスランドグリーンランドなどはデンマーク領として残された。)417年間続いたカルマル同盟はここに解消を告げたのである。デンマークの経済は危機的状況に瀕した。植林などの産業振興によってこの危機を乗り越えた歴史は、日本では内村鑑三の『デンマルク国の話』で紹介され、広く親しまれた。苦難の時代ではあったが、デンマーク王室は、王女たちがヨーロッパ諸国に嫁いだり、ギリシャ王国やノルウェー独立時に王族がデンマーク王家の分家として迎えられるなど、デンマーク王家は、当時のヨーロッパ君主国の「ヨーロッパの義父」となった。

第一次世界大戦では中立を維持したが、第二次世界大戦では1940年ナチス・ドイツ軍に占領された。デンマーク王は亡命せず、占領中もコペンハーゲンの王宮に滞在した。初期はモデル被占領国と呼ばれたが、国内では自治を許され、反ナチス派を保護したりした。その後、ナチスに抵抗運動なども起こった。終戦後には連合国の一員に加えられた。戦後、北大西洋条約機構(NATO)に加盟し、1973年にはヨーロッパ共同体にも加盟した。しかし後に対NATO関連でNATOと対立(デンマーク化)。とは言え、ノルディックバランスを守り抜き、冷戦期を乗り切った。現在においては、安定した先進国の一つであり、EUの一員、国連非常任理事国も担当したデンマークであったが、2005年ムハンマド風刺漫画掲載問題が起こり、イスラム諸国との国際問題に揺れている。

[編集] 政治

デンマークの政治も参照

[編集] 憲法

デンマーク憲法(en:Constitution of Denmark)は1849年6月5日に制定され、最後の改正は1953年に行なわれた。この改正では上院が廃止され、女性も王位を継承できるようになった。この改正で現女王マルグレーテ2世が王位継承者となり、1972年に即位した。

  • 上院を廃止したため、貴族院のみが存続を許された。現在のデンマーク貴族は法により免税特権がある。

成文憲法を長期間改正していない国としては日本(最後の改正は1946年)に次いで2番目(最後の改正は1953年)である。

[編集] 地方行政区分

デンマークの地域
デンマークの地域

詳細は、デンマークの地方行政区画を参照。1970年から2006年までの区分については、デンマークの県を参照。

デンマークは5つの地域(デンマーク語:regioner、単数形region)に分かれ、98の基礎自治体がある。地域は、伝統的な13の県を置き換えるもので、2007年1月1日に「2007デンマーク自治体改革」の一環として設立された。同時に基礎自治体は統合され、270から98に減らされた。

新しい地域にとっての重要な仕事は、公的な医療サービスである。以前の県とは異なり、地域には徴税権はなく、医療サービスはおもに国の8%の税金(政府と自治体からの基金による)でまかなわれる。各地域の議会は、2005年の地方選挙で選ばれた41人の議員で構成される。

新しい基礎自治体の多くは最低でも人口が2万人であるが、いくつか例外もある。

その他、デンマークの海外領土としてグリーンランドフェロー諸島があり、これらは自治領となっている。住民は、デンマーク国籍を有し、また、デンマーク議会の議員として各々2名の代表を選出することが認められている。他州と比べ、この両自治領は独立性を強めている。

[編集] 地理

デンマークの地図
デンマークの地図
コペンハーゲンの町中
コペンハーゲンの町中

デンマークはユトランド半島と443の島(そのうち76に人が住む)。中でも重要なのは古都オーデンセのあるフュン島と現在の首都があるシェラン島。また、シェラン島の南にはファルスター島ロラン島が、フュン島の南にはエーレ島などがある。多くの島が橋で結ばれていて、コペンハーゲンのあるシェラン島とスウェーデンもエーレスンド橋で繋がっている。そのエーレスンド橋とスウェーデンの陸地を経由してさらにフェリーに乗るとコペンハーゲンから東南東に150km離れたボーンホルム島に辿り着く。この島は位置的にも歴史的にもデンマークの多くの島とは際立って異なる。デンマークの国土はおおむね平坦である。最高地点は173mであるが、これは青銅器時代に形成された人工的な地形である。本来の最高地点は171m(ミョレホイ Møllehøj)。北大西洋海流の影響で気候は穏やかで、温暖な冬と涼しい夏がある。

[編集] 経済

高級オーディオメーカーバング&オルフセン、知育玩具レゴや陶磁器ロイヤルコペンハーゲン、コンフォートシューズのエコーシューズ、ミニバラの世界的ナーセリー,ポールセンローズなどが有名。海運大国としても知られ、世界最大のコンテナ船企業、APモラー・マースクグループの発祥地であり世界本社所在地でもある。また農業輸出国としても有名であり、日本との貿易では日本の輸入の約半分を豚肉が占める。イギリスでは、デニッシュという単語がベーコンの代名詞となった。日本では、デニッシュといえば、デンマーク風のパンを指す。デンマークはEU加盟国であるが、2000年9月の国民投票において、反対53.1%、賛成46.9%でユーロ参加を否決し、現在ユーロには参加していない。

[編集] 鉱業

デンマーク本土の鉱業は、北海油田に由来する有機鉱物資源が中核となる。2003年時点の産出量は、原油1814万トン、天然ガス335千兆ジュールである[2]。石油自給率は100%を超えており、デンマークの輸出額のうち10.7%を原油、精製燃料、天然ガスが占める。

1960年代に到るまでデンマーク鉱業は、石灰石や砂利の生産を主体としていた。最も東に位置するボルンホルム島のカオリンは陶器の原材料として現在でも重用されている。その後、1966年、ユトランド半島で大規模な岩塩鉱床が発見される。

北海油田の鉱区は2007年時点で、イギリス、オランダ、ドイツ、デンマーク、ノルウェーの5カ国に分かれている。北海油田自体が発見されたのは1960年代初頭であった。デンマークに割り当てられた鉱区においても、1971年にはユトランド半島から西に200km離れた北海上のダン油田のほか、後に同国最大の油田であることが確認されたゴルム油田 (GORM) が発見された。しかしながら、デンマーク憲法ではすべての地下資源が国家に帰属すると定められており、探査、生産には国会の承認が必要であった。非効率な制度に阻まれ、北海油田発見後、20年が経過してもデンマーク鉱区の1/4しか探査できず、採掘規模も伸び悩んでいた。このため、1981年、ほぼ全ての油田を国有化した[3]。ゴルム油田における原油と天然ガスの採掘も1981年に始まり、5年後の1986年時点では全油田を合わせ、年間362万トンの原油を採掘するに到る。2007年時点では19の油田において採掘が進んでいる。

イヴィットゥートの氷晶石鉱山(1940年、夏期)
イヴィットゥートの氷晶石鉱山(1940年、夏期)

一方、グリーンランドは豊富な金属鉱床に恵まれている。ただし、中央部は最大厚さ3400mの氷床にはばまれているため、探査、採掘活動は沿岸部に限られる。南端に近いイヴィットゥートは世界最大の氷晶石鉱山が位置していたが、1987年に鉱石が枯渇してしまった。北緯70度の西岸に位置するブラックエンジェルでは銀、亜鉛、鉛の採掘が続いている。グリーンランドは石炭を産出するが、国際価格の変動の影響を受けやすく、生産が安定していない。

[編集] 国民

[編集] 有名な出身者

デンマーク人の一覧を参照

[編集] 文化

子どもたちには、アンデルセン童話でおなじみのハンス・クリスチャン・アンデルセンの母国としてなじみがある。また、コペンハーゲンの有名な遊園地チボリ公園も、それを模したものが岡山県の倉敷市倉敷チボリ公園として国内にもできたので、より身近なものになってきた。

今日のデンマークの文化や政治のあり方に大きな影響を及ぼした教育者、ニコライ・グルントヴィが提唱して普及した教育制度にフォルケホイスコーレがあり、世界のフリースクール運動に大きな影響を及ぼしている。日本の東海大学も、その出発点はこのフォルケホイスコーレをモデルにして発足している。

一時期、デンマークのサッカークラブノアシェラン川口能活が所属していた。

[編集] 祝祭日

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日付 日本語表記 現地語表記 備考
1月1日 元日
復活祭3日前 洗足木曜日 木曜日
復活祭2日前 聖金曜日 金曜日
復活祭 復活祭 日曜日
復活祭翌日 イースターマンデー 月曜日
復活祭39日後 昇天祭 木曜日
復活祭49日後 ペンテコステ 日曜日
復活祭50日後 ウイットマンデー 月曜日
6月5日 憲法記念日
12月24日 クリスマスイヴ
12月25日 クリスマス
12月26日 ボクシング・デー
12月31日 大晦日

[編集] その他

[編集] 国防

徴兵制がある。18才から32才までの男子のみが対象。兵役期間は8-9ヵ月。但し、歩兵は10ヵ月、騎兵は12ヵ月。女子は一律免除されている。陸海空軍および郷土防衛軍の4軍体制である。

[編集] 本文注

  1. ^ 他に赤道ギニアが該当する。
  2. ^ 「鉱業便覧平成14年版」、経済産業調査会、2003年、ISBN 806516597
  3. ^ デンマークの鉱区は、Energi Styrelsen (Danish Energy Authority webサイト) の管理下におかれた。

[編集] 関連項目

ウィクショナリー
ウィクショナリーデンマークの項目があります。

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ
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旅行
その他

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