キエフ
| キエフ Київ |
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|---|---|---|---|---|---|
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| 愛称 : 「ルーシの町々の母」[1];「第二のエルサレム」[2] | |||||
| 位置 | |||||
| 座標 : 北緯50度27分0秒 東経30度30分0秒 / 北緯50.45度 東経30.5度 | |||||
| 歴史 | |||||
| 建設 | 5世紀(伝説上) | ||||
| 行政 | |||||
| 国 | |||||
| 行政区画 | キエフ特別市 | ||||
| 市 | キエフ | ||||
| 市長 | レオニード・チェルノヴェーツィクィイ | ||||
| 地理 | |||||
| 面積 | |||||
| 市域 | 827km2 | ||||
| 標高 | 179m(587ft) | ||||
| 人口 | |||||
| 人口 | (2005年現在) | ||||
| 市域 | 2,514,227人 | ||||
| その他 | |||||
| 等時帯 | 東ヨーロッパ時間 (UTC+2) | ||||
| 夏時間 | 東ヨーロッパ夏時間 (UTC+3) | ||||
| 郵便番号 | 01000—06999 | ||||
| 市外局番 | +380-44 | ||||
| ナンバープレート | АА | ||||
| 公式ウェブサイト : http://kmv.gov.ua/ | |||||
キエフ(ウクライナ語: Київ [ˈkɪjiʋ クィーイィウ][3])は、ウクライナの首都。ドニプロ川の中流に位置する。同国最大の都市で、政治・経済・社会・学術・交通の中心地である。特別自治都市。5世紀後半に建設されたポリャーネ族の集落から発展した。中世にはキエフ・ルーシの都であったが、近世にはコサックのキエフ連隊の中心となった。20世紀中にウクライナ人民共和国、ウクライナ国、とウクライナ社会主義共和国の首都であり続けた。キエフ市内の人口は凡そ279万人であるが、キエフ首都圏の人口は凡そ400万人となっている。東ヨーロッパにおける最古の都市で、キリスト教の聖地の一つである。都内にある聖ソフィア大聖堂とキエフ洞窟大修道院は世界遺産に登録されている。
目次 |
[編集] 名称
- ウクライナ語:Київで、発音は「クィーイィウ」に近い。ラテン文字転写としては簡略なKyivが正式な表記とされているが、政府の発表により表記が統一されるまでは各文字を機械的に転写したKyijv、Kyjivなどが用いられていた。
- ロシア語:Киевで、発音は「キーイェフ」に近い。ラテン文字転写としては、最も多いKievの他、Kijev、Kiyevなどが用いられる。
- ポーランド語:Kijówで、発音は「キーユフ」に近い。日本語転写としては「キユフ」と書かれる。日本語文献では、ポーランド支配時代に関する記述等でこの名称が使われることがある。
- 英語:KyivまたはKiev。独立以前はKievが公式のラテン文字表記であったが、独立以降は唯一の公用語(国家語)のウクライナ語の名前であるКиївから、Kyivとの表記がウクライナ政府によって決められた。これに従い国内の道路標識や空港や駅等の表記は「Kyiv」で統一されている。ウクライナ国外では新聞や雑誌等のメディアは慣例からKievの表記を使う方が現状もっぱら一般的である一方、学術的な専門書ではKyivが使われることが多い[4]。
- 日本語:ウクライナ語名に沿った「キイウ」、「キーウ」、「キーイウ」、「キーイヴ」等の表記がされる場合はあるが、現時点ではまだ使用頻度は少ない[5]。外務省発表も含め、各メディアともロシア語名に沿った「キエフ」と表記がなされることが多い。アクセントを表す長音符を保持して「キーエフ」と書かれることもある。また、「キイフ」、「キーフ」と書かれる場合もあるが、これらはウクライナ語の表記をロシア語等の読み方に沿って誤って転写したものである。また、漢字表記は「計由」である[6]。
ウクライナの独立後、本国では公式な名称をロシア語名からウクライナ語名に変更された。現地では政策としてロシア語の使用は制限されている。また、上記にあるようにロシア語に沿ったラテン文字表記である Kiev (Kiyev) も同様の扱いである。ロシア語表記はかつてのロシア帝国・ソ連の支配を快く思わないウクライナの人々の感情を害しかねないこともあり、近年英語圏における出版物では、政府発表の正式ラテン文字表記であるKyivと書かれるのが一般的である。日本でも、その傾向を受けて学者等から「キーウ」等とウクライナ語に準ずる表記が推奨される機会が増えつつある。しかし、現状では、日本やロシアにおけるウクライナ語の知識をもつ人口が少ないことや、以前は学会等でもウクライナに言及する場合、歴史的にロシア語文献を参照した研究が多かった経緯もあり、まだまだ慣例として「キエフ」と呼ばれる事例が圧倒的に多い。
ウクライナ語の認知度が相対的に低いため、政府や各メディア等々でもロシア語に沿った従来の「キエフ」という表記を用いている。しかし、上の問題を受けて、今後ウクライナ語名に沿った表記「キーウ」を用いることが必要との意見もある。
[編集] 概要
東ヨーロッパ有数の世界都市である。週末になると、歩行者天国になる市の中心部を通るフレシュチャーティク通りや、2001年の独立10周年を記念して整備され、地下ショッピングセンターなどを備えた独立広場(マイダン・ネザレージュノスチ)などで人々が賑わっている。
市内にはキエフ大公国時代の建築物が多数残されているが、戦火や共産党政権などによって破壊されたものも少なくない。その上で、黄金の門のように復元されたものも少なくない。ウクライナは両大戦において主戦場となったためそれにまつわる多くの記念碑が建てられているが、キエフ市内及び郊外にも数多くの記念碑が見られる。それ以外には、現在のキエフに戦火の傷跡を見つけることは難しい。
町は年々発展しており、他の主要都市などと比べても外観・内容ともに豊かである。
[編集] 地理
キエフの旧市街は、ドニプロ川(ドニエプル川)を見下ろす小高い丘の上にある。
市はドニプロ川を挟んで広がっているが、その内丘陵地帯の西岸側が古い建物の残る従来の市街地で、それに対し低地である東岸側は、高層建築物の目立つ新市街となっている。川の中州にはかつてドイツ軍に破壊された村の跡にヒドロパールクがつくられている。
1986年4月26日、キエフの北130kmにあるチェルノブイリ原子力発電所で原子力事故が発生した(チェルノブイリ原子力発電所事故)。直後にソビエト連邦上層部によって全住民350万人の疎開が検討されたが、風向きの関係で健康への影響は無いと判断され、疎開は中止された。現在はキエフを起点としたチェルノブイリの観光ツアーが存在し、事故を起こした4号炉を間近に見ることも可能である。
[編集] 気候
| キエフの気候 | |||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
| 最高気温記録 ℃ (°F) | 11.1 (52) |
17.3 (63.1) |
22.4 (72.3) |
29.1 (84.4) |
33.6 (92.5) |
35.0 (95) |
39.4 (102.9) |
39.9 (103.8) |
33.8 (92.8) |
29.5 (85.1) |
23.2 (73.8) |
14.7 (58.5) |
39.9 (103.8) |
| 平均最高気温 ℃ (°F) | -2.9 (26.8) |
-1.7 (28.9) |
3.6 (38.5) |
12.6 (54.7) |
20.3 (68.5) |
23.5 (74.3) |
25.3 (77.5) |
24.4 (75.9) |
19.3 (66.7) |
12.0 (53.6) |
4.1 (39.4) |
-0.8 (30.6) |
11.7 (53.1) |
| 平均最低気温 ℃ (°F) | -8.4 (16.9) |
-7.7 (18.1) |
-3.1 (26.4) |
3.9 (39) |
10.1 (50.2) |
13.3 (55.9) |
15.0 (59) |
14.0 (57.2) |
9.6 (49.3) |
4.3 (39.7) |
-0.9 (30.4) |
-5.4 (22.3) |
3.8 (38.8) |
| 最低気温記録 ℃ (°F) | -31.1 (-24) |
-32.2 (-26) |
-24.9 (-12.8) |
-10.4 (13.3) |
-2.4 (27.7) |
2.4 (36.3) |
5.8 (42.4) |
3.3 (37.9) |
-2.9 (26.8) |
-17.8 (-0) |
-21.9 (-7.4) |
-30.0 (-22) |
-32.2 (-26) |
| 降水量 mm (inches) | 47 (1.85) |
46 (1.81) |
39 (1.54) |
49 (1.93) |
53 (2.09) |
73 (2.87) |
88 (3.46) |
69 (2.72) |
47 (1.85) |
35 (1.38) |
51 (2.01) |
52 (2.05) |
649 (25.55) |
| 出典: Pogoda.ru.net[7] 8.09.2007 | |||||||||||||
[編集] 歴史
[編集] 中世前期
キエフはおおよそ5世紀頃に建設され、コンスタンティノープルとスカンジナビア半島の間の交易の拠点となっていた。
6世紀のゴート人の歴史家ヨルダネスは、「ドニプロ川の町」という意味のダナピルスタディル (Danapirstadir) という名で記録している。
後にルーシと呼ばれるようになるこの地域が、東スラヴ人の統治下に入ると、この町はキエフと呼ばれるようになり、町の建設者クィイ(キイ)の名に因むという伝説が生まれた。
9世紀半ばになると北方からルーシ族を含んだヴァリャーグ(ヴァイキング)がキエフを征服。その中でルーシ族の族長リューリクの子とされるイーゴリが、同族オレグの補佐を受けてキエフ・ルーシを建国したと伝えられる。
882年から1169年まで、ルーシの中心都市となったキエフはキエフ大公国(キエフ・ルーシ)の首都として繁栄した。最古の東スラヴ語文献である「原初年代記」はこの頃キエフ・ペチェールシク大修道院で書かれた。同修道院には現存するルーシ最古の壁が残されている。12世紀頃からルーシのほかの都市の発展に押されて衰退を始める。
[編集] 中世後期
1240年のモンゴル帝国による征服時の破壊により、決定的な打撃を受けたこの都市を支配する勢力は、1264年までのハールィチ・ヴォルィーニ大公国から非スラヴ系国家のリトアニア大公国に移り、1569年にリトアニアが同君連合を結んでいたポーランド王国とルブリン合同を結んでポーランド・リトアニア共和国を形成すると、ウクライナ貴族はシュラフタとして共和国のうちのポーランド王国への帰属移動を求め、キエフ県としてポーランド王国に加盟した。その後、ドニエプル川の中流に興ったザポロージャ・コサックの統治地域に加わった。コサックたちはポーランド・リトアニア共和国の中央政界(セイム)との対立を深め、1648年には県全体がヘーチマン国家(コサック国家)の一部としてポーランド・リトアニア共和国からの自治権を得た。キエフはヘーチマン国家の文化的中心として再び栄え、ウクライナ・バロック文化が養われた。
[編集] 近世・近代
1654年、ヘーチマン国家はモスクワ大公国・ロシア帝国に対する政治的な闘争に敗れ、その宗主権下に入ることとなった。1667年、ウクライナ・コサックを巡るポーランドとロシアの戦争が講和を迎え、キエフを含むヘーチマン国家は正式にロシア帝国の版図と定められた。
その後、キエフは徐々にロシアの一地方に地位を落としていったが、それでもやはりウクライナ文化や政治運動の中心地のひとつとしての機能を担っていた。そのため、モスクワ政府はキエフを強力な監視下に置くようになり、時期により差異はあるとはいえ、ウクライナの文化的あるいは政治的運動は「マゼッパ主義」や「裏切り独立主義」などと呼ばれ弾圧を加えられた。
[編集] 現代
1917年のロシア革命後、ウクライナはロシア内戦・ウクライナ内戦の主戦場となった。ウクライナの中心都市であったキエフは多くの勢力によって次々に支配をされた。
1917年秋、キエフのウクライナ中央ラーダがウクライナ人民共和国の事実上の独立宣言をするとロシアのボリシェヴィキはウクライナに侵攻を始め、ウクライナ・ソビエト戦争が開始された。共和国の首都となったキエフは赤軍による攻撃を受けた。1918年1月29日、ウクライナ人民共和国軍はキエフ郊外のクルトィ駅の戦いで赤軍に敗れ、ウクライナ勢力の劣勢が決定的になった。その後、1918年2月8日にロシアの占領軍によってキエフの住民の虐殺が行われた。
この内戦で、ウクライナの古都キエフはウクライナ民族主義の拠点となった。一方、赤軍に協力するウクライナ人民共和国(ウクライナ・ソビエト共和国)の首府は、ロシア人やユダヤ人の多いハリコフに置かれた。
1918年4月29日にはドイツ帝国の軍事力と農民層の支持を後ろ盾とするヘーチマンの政変がキエフ・サーカス場にて発生し、キエフを首都とするウクライナ国が建設された。だが、12月にはドイツ軍の撤退により同国はディレクトーリヤに倒され、ディレクトーリヤはウクライナ人民共和国を再建した。
1918年にウクライナからの要請によって始められたポーランド・ソビエト戦争でも、キエフは主戦場の一つとなった。1920年には、ポーランド軍と合同したディレクトーリヤ軍によるキエフ攻勢が実行され一時はキエフを奪還したが、最終的には赤軍に敗れた。
結局、ウクライナの独立各派は相互の協力に失敗し、またイギリスやフランス、そしてポーランドなどのような外国勢力も非協力的であったことからソビエト政府に対して敗北を喫し、ウクライナの独立は潰えた。それに伴い、ソ連時代初期のウクライナ社会主義ソビエト共和国の首都は民族主義熱の高かったキエフを避け、1934年6月24日にキエフに戻るまでハリコフに置かれた[8]。1937年、国号はウクライナ・ソビエト社会主義共和国に改称されたが、キエフはその首都であり続けた。
第二次世界大戦中の1941年9月19日、侵攻して来たナチス・ドイツ軍がバルバロッサ作戦の一環としてキエフを占領した。同年の9月29日と30日に、キエフ近郊のバビ・ヤールで、ナチス親衛隊の特別殺戮部隊が、33771人のユダヤ人を虐殺した。 キエフ市は1943年11月6日に赤軍によって奪還されるまでドイツの占領下にあった。市街や郊外はドイツ軍による激しい破壊を受けたが、戦後復興に力が入れられ、比較的早い時期に復興を果たした。1941年の激しい戦いを記念し、キエフは戦後「英雄都市」の称号を贈られた。
[編集] 現在
1991年にウクライナが独立してソ連が崩壊すると、キエフは新たな独立ウクライナの首都となった。
独立後は、それまでのロシア語優遇政策が改められ、市内の表記も広告等ふくめ全てウクライナ語に制限されるようになった。 ただし、ウクライナには専らロシア語を使う人々も少なくないことには注意を要する。そのため、新聞などはロシア語のものの発行が許されている。テレビ放送は放送法により、外国語の放映に関してはウクライナ語字幕をかぶせなければならなくなった。そのためロシアで製作されたロシア語番組はウクライナ語字幕つきロシア語放送となっている。
[編集] 行政区分
| 区 | 面積(km²) | 人口(人) |
|---|---|---|
| ドニプロ川の右岸(西部): | ||
| ホロシーイウ区 Голосіївський район | 156 | 232.800 |
| オボローニ区 Оболонський район | 110 | 314.900 |
| ペチェールシク区 Печерський район | 27 | 139.800 |
| ポジル区 Подільський район | 34 | 190.300 |
| スヴァトシネ区 Святошинський район | 101 | 334.300 |
| ソロミャンカ区 Солом'янський район | 40 | 342.500 |
| シェウチェーンコ区 Шевченківський район | 25 | 231.100 |
| ドニプロ川の左岸(東部): | ||
| ダルヌィツャ区 Дарницький район | 134 | 312.000 |
| デスナ区 Деснянський район | 148 | 356.700 |
| ドニプロ区 Дніпровський район | 67 | 345.800 |
[編集] 人口
2001年ウクライナ国勢調査によるデータ。
[編集] 交通
[編集] 市内交通
キエフ市内には、いくつかの公共交通手段と半公共交通手段が存在する。
公共機関としては、まず地下鉄が、3路線が走っている。これらは現在も建設中であり、今後路線数と総延長共に伸びる予定である。旧市街と新市街にはそれぞれキエフ市電が、また旧市街と南西の郊外を結ぶライトレールも運行されている。この他、トロリーバスと路線バスが走っている。公共交通機関は充実しており、また料金も乗車1回に付き一律2フリヴニャという低価格に抑えられている。
これらに加え、半公共交通機関といえる営業免許制のマルシュルートカ(ワゴン車・マイクロバス等を利用した個人経営のバス・乗り合いタクシー)が無数に運行されている。これは、料金は乗車距離に応じた運賃制度で公共交通機関よりかなり割高であるとは言え、低速の路線バスなどに比べ所要時間や運用本数・路線数で大きなメリットがあり、やはり市民にとっては欠かせない交通手段である。しかし、路線網が複雑なので外国人が利用する際には注意を要する。
地下鉄車両や路面電車、バスやトロリーバスには、ソ連時代に製造されたソ連製やチェコスロヴァキア製、ハンガリー製の車両の他、新型のウクライナ製やドイツ製のものも多く見られる。しかし、一般に設備の悪い古い車両が多いというイメージは利用者の間で根強い。
[編集] 郊外・国際交通
郊外に向かって運行される交通機関には、キエフ旅客駅などから発着するウクライナ鉄道がある。鉄道には近距離の「エレクトルィーチュカ」と長距離の「ポーイズド」があり、夜行列車や国際列車も運行されている。この他、鉄道のない地域を補うための長距離バスが地下鉄スヴャトーシン駅前ターミナルなどから発着している。
この他の交通機関としては、ドニエプル川を航行する遊覧船などの発着する船着場キエフ河川港がある。また、旧市街の低地から高台を結ぶキエフ・ケーブルカーも運行されている。
[編集] 空港
キエフには、周辺都市を含めいくつかの空港が所在する。しかし、本格的な国際空港といえるだけの設備と規模を持った空港はいまだ整備されていない。
市内に所在するキエフ・ジュリャーヌィ国際空港は、かつてはウクライナの空の玄関口として機能した空港であるがその後衰退し、現在では主に国内線と近距離の国際線が乗り入れている。この他、個人の所有するビジネスジェットなども数多くこの空港を利用している。これについては、空港の私物化との批判がある。この他、空港にはウクライナ空軍の使用機等を展示する国立航空博物館も併設されている。この空港は、市内にあり利用の便は非常によいが、安全面と土地の問題から本格的な国際空港への拡張は困難である。
スヴャトーシン地区に所在するキエフ・スヴャトーシノ空港は、ウクライナの航空産業初期から存在する空港であるが規模が小さく、また町に隣接しているため拡張できない。現在では、O・K・アントーノウ記念航空科学技術複合体やアヴィアーント・キエフ航空機工場の使用する小規模な飛行場となっている。
キエフ市外に隣接するキエフ・チャイカ空港は、民間のスポーツ用の小規模な空港である。
ボルィースピリ国際空港は、厳密にはキエフ市ではなく東隣のボルィースピリ市に所在するが、「キエフ空港」と呼ばれる空港のひとつとなっている。主に国際線が乗り入れる国際空港であるが、鉄道や地下鉄のアクセスはなく、タクシーが必要になるなどキエフからのアクセスは不便である。所要時間は1時間ほど。
ホストーメリ空港もキエフ市に所在する空港ではなく、隣のホストーメリ市に所在する。小規模な空港で、別名アントーノフ空港と呼ばれるとおり、アントーノフの機体の試験に使用されている。
[編集] 教育
-
キエフ大学
(科学全般) -
キエフ・モヒーラ・アカデミー国立大学
(人文科学・社会科学) -
キエフ工学大学
(自然科学・技術) -
キエフ教育大学
(教育学・人文科学)
- キエフ言語大学(言語学・人文科学)
- キエフ経済運営大学(政治学・経済学)
- キエフ美術大学
- キエフ劇場・映画・テラビ大学
[編集] キエフの風景
[編集] 建物
キエフの聖ソフィア大聖堂は、キリスト教を広めようとするビザンティン帝国の協力の下、ビザンティン様式の華麗な教会を模して、1037年に建てられた。コンスタンティノープルにあるハギア・ソフィア大聖堂と同じように、「聖なる知恵」に捧げたものであったが、建物の姿形は全く異なるものである。四角い建物の上に一つの半球状のドームがあるコンスタンティノープルの大聖堂に対して、キエフのハギア・ソフィアは、円柱状の建物の上に13のハート状のドームがある。この教会は過去に幾度か損傷を受け、最近の修復作業により装飾しなおされている。
[編集] キエフ出身の人物
[編集] 姉妹都市
京都市(日本)
キシナウ(モルドバ)
トビリシ(グルジア)
ベオグラード(セルビア)
アンカラ(トルコ)
アテネ(ギリシア)
ブダペスト(ハンガリー)
シカゴ(米国)
エディンバラ(スコットランド)
ミュンヘン(ドイツ)
パリ(フランス)
トゥールーズ(フランス)
ワルシャワ(ポーランド)
ウィーン(オーストリア)
ローマ(イタリア)
トロント(カナダ)
ストックホルム(スウェーデン)
ブリュッセル(ベルギー)
[編集] 注
- ^ 『ルーシ年代記』の882年の条に、ルーシ族の公オレーグがルーシの都をキエフに定めた時、キエフを「ルーシの町々の母」と名づけた(Полное собрание русских летописей (ПСРЛ). — Т. 2. Ипатьевская летопись. — СПб., 1908. — c. 17.)。
- ^ キエフは東欧のキリスト教の発祥地で、1453年のコンスタンティノープルの陥落後、エルサレムに次ぐ正教会の聖地であると主張したウクライナの聖職者の概念。1622年にキエフ、ハールィチおよび全ルーシの府主教イオウ・ボレーツィクィイによる書状、1633年に彼の後継者となったペトロー・モヒーラによる『洞窟大修道院のアテナイオス』、またキエフ・モヒラ・アカデミーの校長およびロシア正教会会議の会長を務めたフェオファン・プロコポーヴィチをマサーパ時代の聖職者・文人の著作などにおいてにしばしば見られる(Рибалка І. К. Історія України (частина перша) — К.,1994 — 7. Культура в Україні у XVIII ст. )。
- ^ 公用語のウクライナ語に沿った表記では「キーウ」などと転写されるが、本項ではロシア語名に沿った表記であるが、日本語名として公式に用いられている「キエフ」で記述する。
- ^ 2011年現在確認。補足だが、主要メディアに対してKievからKyivへと表記を変えるようにウェブ署名を行う等の活動が散見される。また、英語版ウィキペディアのノートでもこの表記に関して長年議論が繰り返されている。
- ^ 使用例は以下の通りである。
- キーウ
- 『ニューエクスプレス ウクライナ語』中澤英彦著. 白水社, 2009
- キーイウ
- 『ポーランド・ウクライナ・バルト史』 伊東孝之, 井内敏夫, 中井和夫共著. 山川出版社, 1998(巻末の地図のみ)
- キーイヴ
- 『ウクライナ語のための日本語学習辞典 Українсько-Японський Японсько-Український Словник Навчальний Словник Японських Ієрогліфів』ボンダレンコ I.・日野貴夫共著. アリテルナティーヴィ出版所, 1998
- ^ 重訂萬國全圖 明治4(1871)年。
- ^ “Pogoda.ru.net” (Russian). 2007年9月8日閲覧。
- ^ 中井 1998:040.
- ^ ウクライナ国立統計委員会 (2001年12月5日). “2001年ウクライナ国勢調査。ウクライナの総人口” (ウクライナ語). 2011年12月14日閲覧。
- ^ ウクライナ国立統計委員会 (2001年12月5日). “2001年ウクライナ国勢調査。ウクライナの都市人口・農村人口” (ウクライナ語). 2011年12月14日閲覧。
- ^ ウクライナ国立統計委員会 (2001年12月5日). “2001年ウクライナ国勢調査。ウクライナの性別人口” (ウクライナ語). 2011年12月14日閲覧。
- ^ ウクライナ国立統計委員会 (2001年12月5日). “2001年ウクライナ国勢調査。地域別民族構成” (ウクライナ語). 2011年12月14日閲覧。
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- (日本語) 伊東孝之, 井内敏夫, 中井和夫編 『ポーランド・ウクライナ・バルト史』 (世界各国史; 20)-東京: 山川出版社, 1998年. ISBN 9784634415003
- (日本語) 黒川祐次著 『物語ウクライナの歴史 : ヨーロッパ最後の大国』 (中公新書; 1655)-東京 : 中央公論新社, 2002年. ISBN 4121016556
- (ウクライナ語) Історія міст і сіл Української РСР: Київ. — Київ: УРЕ АН УРСР, 1968.
[編集] 外部リンク
- 公式
- キエフ市公式サイト (英語)
- 旅行
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