東方植民
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
東方植民(とうほうしょくみん、ドイツ語:Ostsiedlung)とは、12世紀~14世紀にドイツの辺境伯、騎士団、修道院(中心となったのはシトー会)などが行ったエルベ川以東、北東ドイツ及びポメルン地方のスラヴ人居住地などへの植民のことをいう。
とくに、ドイツ騎士団は先住民のキリスト教化を理由にバルト海東南沿岸地域で軍事的性格の濃い植民を推し進め、のちのプロイセンのもとになる大規模な領土を獲得した。
人口圧力と領主からの弾圧に悩むドイツ農民は、11世紀から12世紀にかけて辺境伯や騎士団、あるいはポーランド諸侯などの勧誘を受けて東方へ入植を開始した。
13世紀前半に起こったモンゴルのポーランド侵攻もドイツ人の東方植民を後押しした。ピャスト朝の流れを汲むポーランド諸侯の分裂と戦乱、幾度ものモンゴル侵攻や住民の拉致もあり、ポーランド西部の公国群は13世紀には急速に衰退した。荒廃したシレジア地方の復興に際しては、ポーランド人だけでは人手が足りず、西方からの農民たちを招いたが、フランス人やオランダ人よりもドイツ人が大きな割合を占めた。その結果、シレジアは急速にドイツ化してゆく。
そういった経緯によって、徴税などの自治権をめぐるポーランド当局とのいざこざは幾度か起きたものの、当地のドイツ系住民によるポーランド国家への態度は概して愛国的で、かつドイツ騎士団との争い(プロイセン連合、第二次トルンの和約などを参照)などにみられるように、かなり反ドイツ貴族的であった。後の時代になると彼らの子孫の多くはポーランド市民の間でも最も熱狂的なポーランド愛国者となっていった。
関連項目 [編集]
- 在外ドイツ人、ドイツ系移民(Auslandsdeutsche (category))
- 少数者ドイツ語話者(Deutschsprachige Minderheiten (category))
- 民族ドイツ人(Volksdeutsche)
- 東方への衝動
- ドイツ騎士団
- 北方十字軍
- リヴォニア帯剣騎士団
- バルト・ドイツ人
- テッラ・マリアナ
- 都市法
- ハーメルンの笛吹き男 - 伝説の背景の1つに東方植民説がある。
関連文献 [編集]
- Charles Higounet (1911–1988) "Les allemands en Europe centrale et oriental au moyen age"
- German translation: "Die deutsche Ostsiedlung im Mittelalter"
- 日本語訳: "ドイツ植民と東欧世界の形成"、彩流社、シャルル・イグネ(著)、宮島直機(訳)
| この「東方植民」は、中央ヨーロッパに関連した書きかけ項目です。記事を加筆・訂正してくださる協力者を求めています(ウィキプロジェクト 中央ヨーロッパ / Portal:ヨーロッパ)。 |
| この「東方植民」は、東ヨーロッパに関連した書きかけ項目です。記事を加筆・訂正してくださる協力者を求めています(ウィキプロジェクト 東ヨーロッパ / Portal:ヨーロッパ)。 | |