ドイツ騎士団国
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- ドイツ騎士団国
- Deutschordensstaat
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1224年 - 1525年
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(国旗) (国章) 
1410年のドイツ騎士団国およびリヴォニアとプロイセンの司教領-
公用語 不明 首都 マリーエンブルク・イン・ヴェストプロイセン(1308-1454)
ケーニヒスベルク(1454-1525)
ドイツ騎士団国(独:Deutschordensland)は、北方十字軍が行われていた1224年に、ドイツ騎士団が古プロイセン人を征服した故地に作った国家。ドイツ騎士団領、ドイツ騎士修道会領などとも呼ばれ、ドイツ語ではOrdensstaat(騎士団国)[1]とも呼ばれる。また、ドイツ騎士団はチュートン騎士団と訳されることもある。
1237年にリヴォニアを支配していたリヴォニア帯剣騎士団をドイツ騎士団が吸収し、リヴォニアにおけるドイツ騎士団の自治的な分団であるリヴォニア騎士団とした[2]。1346年には、デンマーク王はエストニア公国を19,000ケルンマルクでドイツ騎士団に売り払った。デンマークからドイツ騎士団へのエストニア公国の統治権の移譲は1346年11月1日に行われた[3]。
1410年のグルンヴァルトの戦いでの敗北後、ドイツ騎士団は衰退し、分団のリヴォニア騎士団が1422-1435年に結成されたリヴォニア連盟に加わったことで、現在のエストニアとラトビアに渡る領地をうしなった[4]。また、リトアニアに残りのバルト諸州も割譲する。残るプロイセン地域は1466年には西プロイセンが切り離されて、ポーランド王領プロシアとなり、ポーランド王国の一部になった。一方、残った東プロイセンの騎士団領は、宗教改革のさなか1525年に世俗化されて、プロシア公領となった。プロシア公領は後のプロイセンにつながっていく。
ラテン語や古文書のPrut(h)eniaはドイツ・プロシアを指し、ポーランド王領プロシア、プロシア公領も同様である。現代もPrut(h)enicという形容詞は「プロイセンの」を意味している。
注 [編集]
- ^ France, John (2005). The Crusades and the Expansion of Catholic Christendom, 1000-1714. New York: Routledge. p. 380. ISBN 0415371287.
- ^ Frucht, Richard C. (2005). Eastern Europe: An Introduction to the People, Lands, and Culture. ABC-CLIO. pp. 69. ISBN 1576078000.
- ^ Skyum-Nielsen, Niels (1981). Danish Medieval History & Saxo Grammaticus. Museum Tusculanum Press. p. 129. ISBN 8788073300.
- ^ Housley, Norman (1992). The later Crusades, 1274-1580. p. 371. ISBN 0198221363.