マルボルク

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Malbork
Teutonic Castle in Malbork


紋章
Malborkの位置(ポーランド内)
Malbork
Malbork
座標: 北緯54度2分 東経19度2分 / 北緯54.033度 東経19.033度 / 54.033; 19.033
Country ポーランドの旗 ポーランド
ポモージェ県
Malbork County英語版
Gmina英語版 Malbork (urban gmina)
Town rights 1286
行政
 - 市長 Andrzej Rychłowski
面積
 - 計 17.15km2 (6.6mi2)
最高部 30m (98ft)
最低部 6m (20ft)
人口 (2006)
 - 計 38,478人
 - 人口密度 2,243.6人/km² (5,810.9人/mi²)
等時帯 CET (UTC+1)
 - 夏時間 CEST (UTC+2)
郵便番号 82-200 to 82-210
市外局番 +48 055
カープレート GMB
ウェブサイト http://www.malbork.pl

マルボルクMalborkドイツ語: Marienburg in Westpreußenラテン語: Civitas Beatae Virginis)は、ポーランド北部の都市。ポモージェ県に属する。都市は13世紀ドイツ騎士団が建設した。ドイツ語名はマリーエンブルク・イン・ヴェストプロイセンUNESCO世界遺産に登録されているマルボルク城がある。

城の歴史[編集]

マルボルク市街外縁部の住宅団地

町は、ドイツ騎士団が1274年に建てたノガト川(ヴィスワ川支流)東岸の要塞オルデンスブルク・マリーエンブルク(Ordensburg Marienburg)周囲に建てられた。町も城も騎士団の守護者聖母マリアにちなみ、マリーエンブルクポーランド語ではMalborg、またはMalbork)と名付けられた。この要塞化された城はドイツ騎士団の本拠地、そしてヨーロッパ最大のゴシック様式要塞となった。十三年戦争enドイツ騎士団領からの独立を求めてプロイセン諸都市が反乱を起こした)の最中、マリーエンブルク城はドイツ騎士団によってボヘミア出身の神聖ローマ帝国兵士らの担保にされた。騎士団は、1457年に弁済の代わりに城をポーランド王カジェミェシュ4世へ売り渡した。これは政治的にマリーエンブルクの町から城が切り離されたということになり、市民たちはポーランドに抵抗した(市民たちは、自分たちがドイツ人であるという自覚を持っていた)。

およそ230年続いた城の建設のもと、マルボルク城は実際は3つの城は互いに組み合わさっていた。中世要塞の古典的な例として世界一大きな煉瓦造りの城であり、ヨーロッパにおけるこの主の城では五指に入る印象的なものである。第二次世界大戦が勃発したとき城は修復過程にあった。戦中、城は50%以上が破壊された。修復事業は戦後進行した。しかし、城の主聖堂はちょうど戦争直前にほぼ修復されていたのだが、戦争中に破壊され現在も破壊されたまま残っている。城と内部の博物館は世界遺産に登録されている。

町の歴史[編集]

西プロイセンにあるマリーエンブルク、1896年の地図

マリーエンブルクの町は、城の付近で成長したノガト川と平坦な地形が海から100kmを荷船で運搬するのをたやすくしていた。ドイツ騎士団によるプルーセン支配時代、騎士らは河川交通における通行料金を徴収し琥珀貿易の独占権を持っていた。町は後にハンザ同盟に加盟し、多くの同盟の会合が開かれた。

十三年戦争の最中の1457年に城がポーランド王へ売却されるとドイツ騎士団はこの地を離れた。町長バルトロメウス・ブルーメ(Bartholomäus Blume)が代表を務めるマリーエンブルクの町とその他の者たちは、ポーランド王国の庇護を得てドイツ騎士団に反旗を翻したドイツ人プロイセン連合に3年以上も抵抗した。最終的にはポーランド王国とプロイセン連合の同盟側が町を手中に収め、ブルーメはプロイセン連合により絞首刑にされ八つ裂きにされた。1864年、ブルーメを記念した記念碑が建てられた[1]

町は1466年第二次トルンの和約後、ポーランド王領プロシアの県となった。1772年ポーランド分割によって、町はプロイセン王国へ併合され、その年のうちに西プロイセンの一部となった。マリーエンブルクは1871年ドイツ帝国の一部となった。

第一次世界大戦後、ヴェルサイユ条約によって住民たちはドイツに残留するか新設のポーランド共和国に加わるかを1920年7月11日国民投票で是非を問うことになった。17,805票のドイツ残留支持と191票のポーランド併合票の結果、マリーエンブルクは東プロイセンのマリーエンヴェルダー州(en:Regierungsbezirk Marienwer)となった。第二次世界大戦の連合国側勝利とポツダム宣言により、マリーエンブルクはポーランドへ復帰した。全てのドイツ人住民は追放された。

著名な出身者[編集]

友好都市[編集]

ノガト川上のマルボルク城

参照[編集]

  1. ^ Matthias Weber:Preussen in Ostmitteleuropa: Geschehensgeschichte und Verstehensgeschichte, 2003 [1]

外部リンク[編集]

座標: 北緯54度02分 東経19度03分 / 北緯54.033度 東経19.050度 / 54.033; 19.050