リヴォニア
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リヴォニア (Livonia) は、現在のラトビアの東北部(ヴィドゼメ地方)からエストニアの南部にかけての地域の名称。またドイツ語風にリーフラント (Livland) とも言う。
この地にはフィン・ウゴル系(ウラル語系)とされるリヴォニア語を話すリーヴ人が住んでいたが、現在では人口数百人程度の少数民族となっている。ドイツ騎士団の植民やバルト人・スラヴ人等との混血により、激減したとされる。
現在の住民はほぼバルト系ラトビア人とロシア人で占める。中世はハンザ同盟の影響でドイツ系の住民が多数を占めていた(バルト・ドイツ人)。しかしリーヴ人の影響は残り、この地はリーヴ人の土地、リヴォニアとして名を残す事になる。ドイツ騎士団、ポーランド王国、スウェーデン(バルト帝国)と支配者を変えた後、最終的に18世紀初頭に始まった大北方戦争によってロシア帝国に帰した。バルト・ドイツ人の政治的影響下にあったが、この地はバルト人が大勢を占めていた。20世紀になって、リヴォニアの北部をエストニア、南部をラトビアとして国家が成立した。
[編集] 関連項目
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