ACミラン
| ACミラン | ||||
|---|---|---|---|---|
| 原語表記 | Associazione Calcio Milan s.p.a | |||
| 愛称 | Rossoneri | |||
| クラブカラー | 赤と黒 | |||
| 創設年 | 1899年 | |||
| 所属リーグ | セリエA | |||
| ホームタウン | ミラノ | |||
| ホームスタジアム | サン・シーロ | |||
| 収容人数 | 80,018 | |||
| 代表者 | (空位)[1] | |||
| 監督 | ||||
| 公式サイト | 公式サイト | |||
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| ■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ | ||||
ACミラン(Associazione Calcio Milan s.p.a)は、イタリア・ミラノを本拠地とするサッカークラブチーム。
目次 |
概要 [編集]
イタリアのみならず世界でも有数のビッグクラブである。国際タイトルの獲得数、世界1位のクラブである。クラブカラーからロッソ・ネロ(イタリア語で「赤と黒」、複数形でロッソ・ネリとも)またはディアボロ(イタリア語で「悪魔」)の愛称で呼ばれる。サポーターはミラニスタといわれる。
同じ街の同じスタジアムを本拠地とするインテルとは永遠のライバル関係にあり、ミラノダービーと呼ばれる対戦は街を二分する盛り上がりを見せる。インテルのファンがブルジョワ階級と呼ばれる富裕層であるのと比較して、ACミランのファン層は労働者階級を中心であるとされていたが、現在では特別に隔たった支持層は無く、お互いに広い層から支持を集めている。
UEFAチャンピオンズリーグでは過去7度の優勝を果たしており、これはレアル・マドリードの9度に次ぐ歴代2位の記録である。また、この記録はイタリア国内でUEFAチャンピオンズリーグを制覇した経験のある他の2チームの記録(インテルは3度、ユヴェントスは2度)を大きく引き離している。なお、チャンピオンズリーグで5度の優勝、或いは3連覇を達成したクラブにはビッグイヤー(優勝杯)の永久保持が認められているが、同時にビッグイヤーのロゴと優勝回数が書かれたワッペンをユニフォーム左袖につけることが許される。このワッペンをつけているのはACミランの他に、レアル・マドリード、リヴァプールFC、アヤックス・アムステルダム、バイエルン・ミュンヘンの4クラブのみである。
2012年2月、世界最大の会計事務所である『デロイト』が公表したデロイト・フットボール・マネー・リーグによると、2010-2011シーズンのクラブ収入は2億3510万ユーロであり、欧州第7位、イタリアでは第1位である[2]。また、イギリスメディアが2012年に公表した調査によると、ACミランの平均年俸は約610万ドルであり、世界で5番目、イタリアで最も平均年俸が高いクラブであることが明らかになった[3]。
歴史 [編集]
1899年12月16日にミラノ在住のイギリス人アルフレッド・エドワーズが中心となって、「ミラン・クリケット・アンド・フットボール・クラブ」(Milan Cricket and Football Club)を創設し、その後上記の通り「ミラン・アッソチアツィオーネ・カルチョ」と名称は変更されたがMilanだけは英語のまま残った。(イタリア語ではMilanoである)。クラブ名のうちアッソチアツィオーネAssociazioneは英語のAssociationつまり協会ではなく、法人という意味で、Associazione Calcioはサッカー法人となる。つまり全体では「ミランサッカー法人」が正しい訳語となる。Milanが英語であるため、ACの部分がAthletic Clubだと誤解される場合が多い。
1950年代〜1960年代 [編集]
1907年のスクデット獲得以来目立ったタイトルを得ることができなかったミランであるが、1949年にロンドンオリンピック優勝メンバーであるグンナー・グレン、グンナー・ノルダール、ニルス・リードホルムを獲得。この3人はそれぞれの名前から「グレ・ノ・リ」トリオと称された。1951年にスクデット、ラテン・カップで優勝すると、1955年、1957年、1959年にもリーグ優勝し、1956年には再びラテンカップを獲得した。
1961年にネレオ・ロッコが監督に就任すると、初シーズンからスクデットを獲得。ジャンニ・リベラやジョゼ・アルタフィーニらを擁したチームを率いて1963年にはUEFAチャンピオンズカップ初優勝を果たした。しかし、エレニオ・エレーラ率いるインテルの好調などもあって、次にタイトルを獲得するのは1967年のコッパ・イタリア初優勝まで待たなければならなかった。
低迷期 [編集]
1979-80シーズンのホームでのラツィオ戦が八百長の疑いで調査が行われ、セリエBへ降格処分となった。当時クラブ会長であったフェリーチェ・コロンボは永久追放となった。この処分により1980-81シーズンはセリエBでのシーズンとなったが、優勝して1年でセリエAに復帰した。しかし、セリエAに復帰した翌1981-82シーズンはわずか7勝という成績で再びセリエBへ降格となった。 再びセリエBでプレーすることとなったが、1982-83シーズンは優勝してまたも1年でセリエAに復帰した。
ベルルスコーニの登場 [編集]
その後、後にイタリア首相を務めるシルヴィオ・ベルルスコーニが1986年にクラブを買収して会長に就任した。ベルルスコーニは有力選手を大補強し、クラブを立て直した。当時はほぼ無名だったが、後にこのチームでサッカーに革命を起こすことになるアリゴ・サッキをパルマから監督として招き入れた。そして、ベルルスコーニが会長に就任して2シーズン目、サッキが指揮を執って1シーズン目の1987-88シーズンには2敗という成績でスクデットを獲得した。また、ベルルスコーニは1987年には当時の史上最高額移籍金でルート・フリットをPSVから獲得、マルコ・ファン・バステンをアヤックスから獲得し、1988年にはフランク・ライカールトをサラゴサから獲得した。
黄金期 [編集]
サッキが採用した高い位置でプレッシャーをかけてボールを奪うというプレッシングサッカー戦術とキャプテンのフランコ・バレージや、ルート・フリット、マルコ・ファン・バステン、フランク・ライカールトのオランダトリオなどの選手の活躍もあり、1988-1989シーズン、1989-1990シーズンにかけてUEFAチャンピオンズカップを2連覇した。1990-1991年のUEFAチャンピオンズカップ準々決勝のオリンピック・マルセイユ戦で、マルセイユが1-0でリードしていた88分にスタジアムの照明が消灯し、照明復帰後もACミランが試合の続行を拒否したため没収試合となった。この結果ACミランは1年間ヨーロッパの大会から締め出されることとなった。
1990年代になると、バレージの他にもパオロ・マルディーニ、アレッサンドロ・コスタクルタ、デメトリオ・アルベルティーニの3人が中心になり、1991年から監督となったファビオ・カペッロのもとで、1991-1992シーズンにセリエA初の無敗優勝を達成。セリエAでは1993-1994シーズンにかけて3連覇し、UEFAチャンピオンズリーグでは1992-1993シーズンから1994-1995シーズンにかけて3季連続決勝進出(1993-1994シーズンは優勝)するなどの成績を残し、「グランデ・ミラン」(偉大なミラン)や「リ・インヴィンチービリ」(無敵のミラン)と呼ばれる黄金期を築いた。特に1994年チャンピオンズリーグ決勝で、同じく黄金期を迎えていたヨハン・クライフ率いるバルセロナを4-0で降した試合は、クライフをして「あんな完璧なサッカーをされては勝てない」とまで言わしめた。 バレージを含めたこの4人は、ミラン栄光のバンディエラ(イタリア語で「旗印」の意。そのクラブで長くキャリアを送ったシンボル的なプレーヤーを指す)ともいわれる。
豊富な資金力で2チーム分の戦力を揃え、国内外のタイトな試合スケジュールを戦うというターンオーバー制を導入したのも当時のミランだった。厳格なカペッロの指揮下では、各国のスタープレーヤーでもベンチを温めるという状況がみられた。
最強神話崩壊と過渡期 [編集]
1995-1996シーズンはロベルト・バッジョ、ジョージ・ウェア、デヤン・サビチェビッチ、マルコ・シモーネという豪華なFW陣を擁してスクデットを奪回したが、守備基本からスペクタクル重視への切替えによりチームバランスが崩れ始める。
ファビオ・カペッロがレアル・マドリードへ去ると、1996-1997シーズンは優勝争いから脱落し、その責任を取るかたちでオスカル・ワシントン・タバレスが解任され、かつて栄光を築いたアリゴ・サッキが監督に復帰した。このシーズンは、主力選手の高齢化が顕著で、特にバレージの衰えは象徴的といえるものであった。そこにサッキの監督就任が追い打ちをかける形となり、この低迷から抜け出せなかった。1997-1998シーズンには1年でレアル・マドリードの監督を解任されたカペッロを連れ戻すが、大きな効果は得られなかった。
1998-1999シーズンは、監督にウディネーゼで旋風を起こしたアルベルト・ザッケローニを招聘し、1997-1998シーズンのセリエA得点王であるオリバー・ビアホフとトーマス・ヘルヴェグを獲得。序盤こそ苦戦していたが、アルベルティーニ、コスタクルタ、マルディーニ、ボランら栄光を知る主力選手がチームを牽引して、終盤に勝ち点でSSラツィオを逆転して悲願のスクデットを獲得した。しかし、その後は1999年夏の移籍市場でアンドリー・シェフチェンコの獲得に成功した以外は目立った出来事はなく、2000-2001シーズン途中でザッケローニは解任された。
21世紀 [編集]
2001-02シーズン途中にカルロ・アンチェロッティが監督に就任。2002-03シーズンはUEFAチャンピオンズリーグとコッパ・イタリアにて優勝を達成。2003年夏の移籍市場ではカカ、カフーらを獲得。2003-04シーズンはUEFAスーパーカップとセリエAにて優勝を達成した。
2004-05シーズンはスーペルコッパ・イタリアーナにて優勝を達成したものの、セリエAでは2位に終わり、UEFAチャンピオンズリーグでは決勝戦でリヴァプールFCと対戦し敗れた。この敗戦はイスタンブールの悲劇とも呼ばれる。2005-06シーズンは4季ぶりの無冠に終わり、シーズン終了後に発覚したカルチョ・スキャンダルによって、「2005-06シーズンのリーグ戦での勝ち点-44」、「2006-07シーズンのセリエAを勝ち点-15からの開始」という処分がイタリアサッカー協会のスポーツ裁判所によって下された。控訴審では処分が軽減され、最終的に2005-06シーズンの勝ち点は58となり、3位扱いとしてUEFAチャンピオンズリーグ出場が決まったほか、2006-07シーズンのセリエAは勝ち点-8からの開始となった。
2007年冬の移籍市場ではロナウドを獲得し、2006-07シーズンはUEFAチャンピオンズリーグにて優勝を果たした。2007-08シーズンはUEFAスーパーカップとFIFAクラブワールドカップにて優勝を達成。2008-09シーズンは無冠に終わり、シーズン終了後にアンチェロッティは監督を辞任した。
2009-10シーズンはレオナルドが監督に就任するも、同シーズンは無冠に終わる。2010-11シーズンはマッシミリアーノ・アッレグリが監督に就任し、2010年夏の移籍市場ではズラタン・イブラヒモビッチ、ロビーニョらを獲得。2011年冬の移籍市場ではアントニオ・カッサーノ、ファン・ボメルらを獲得した。同シーズンは7季振りとなるセリエA優勝を果たすも、2011-12シーズンは無冠に終わった。
2012年夏の移籍市場では急激に悪化した財政事情を立て直すため、ジェンナーロ・ガットゥーゾ、チアゴ・シウバ、アレッサンドロ・ネスタ、クラレンス・セードルフ、イブラヒモビッチ、カッサーノらを放出した。
ユニフォーム [編集]
ホームユニフォームは赤黒の縦じま。ただしUEFAチャンピオンズリーグ、インターコンチネンタルカップ等の決勝では上下白のセカンドを希望して着用することが多い。チャンピオンズリーグ7回の優勝のうち6回を白のセカンドユニフォームで勝ち取っている。また、選手支給スーツはドルチェ・ガッバーナから提供される。
胸スポンサー [編集]
- メディオラヌム(-1991年) イタリアの生命保険会社。フィニンベスト・グループの関連 世界最強時代のスポンサーであった。
- モタ(1992-94年) - イタリアの製菓メーカー。
- オペル (1994年-2005年)- ドイツの自動車メーカー。ユニフォーム表記は「OPEL」。
- オペル・ザフィーラ(2005年~2006年)- オペル社の車名。ユニフォーム表記は「オペル社のロゴの下にZAFIRA」
- Bwin (2006年~2010年)- オーストリアのオンラインサービス提供企業。
- エミレーツ航空(2010年~)- アラブ首長国連邦の航空会社。契約金は5年総額約6000万ユーロ[4]。ユニフォーム表記は「Fly Emirates」
反スポーツ的行為 [編集]
1979-80シーズンと2005-06シーズンに八百長発覚による処分が下されており、1992-1993UEFAチャンピオンズリーグ決勝戦後には敗れたミランの選手二人がオリンピック・マルセイユ側から報酬を受け取るなど、数々の不正行為が明るみとなった。
タイトル [編集]
国内タイトル [編集]
- スクデット - 18回









- 1901, 1906, 1907, 1950-51, 1954-55, 1956-57, 1958-59, 1961-62, 1967-68, 1978-79,
1987-88, 1991-92, 1992-93, 1993-94, 1995-96, 1998-99, 2003-04, 2010-11
- セリエB - 2回
- 1980-81, 1982-83
- コッパ・イタリア - 5回





- 1966-67, 1971-72, 1972-73, 1976-77, 2002-03
- スーペルコッパ・イタリアーナ - 6回






- 1988, 1992, 1993, 1994, 2004, 2011
国際タイトル [編集]
- FIFAクラブワールドカップ - 1回

- 2007
- インターコンチネンタルカップ(トヨタカップを含む) - 3回



- 1969, 1989, 1990
- UEFAチャンピオンズリーグ(旧UEFAチャンピオンズカップを含む) - 7回







- 1962-63, 1968-69, 1988-89, 1989-90, 1993-94, 2002-03, 2006-07
- UEFAカップウィナーズカップ - 2回


- 1967-68, 1972-73
- UEFAスーパーカップ - 5回
- 1989, 1990, 1994, 2003, 2007
- ラテン・カップ - 2回
- 1951, 1956
- ミトローパ・カップ - 1回
- 1982
過去の成績 [編集]
| シーズン | セリエA | 試 | 勝 | 分 | 負 | 得 | 失 | コッパ | UEFACL | EL (旧UEFAカップ) |
CWC (旧トヨタカップ) |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1987-1988 | 1位 | 30 | 17 | 11 | 2 | 43 | 14 | ベスト16 | 2回戦 | ||
| 1988-1989 | 3位 | 34 | 16 | 14 | 4 | 61 | 25 | ベスト16 | 優勝 | ||
| 1989-1990 | 2位 | 34 | 22 | 5 | 7 | 56 | 27 | 準優勝 | 優勝 | 優勝 | |
| 1990-1991 | 2位 | 34 | 18 | 10 | 6 | 46 | 19 | ベスト8 | ベスト8 | 優勝 | |
| 1991-1992 | 1位 | 34 | 22 | 12 | 0 | 74 | 21 | ベスト4 | |||
| 1992-1993 | 1位 | 34 | 18 | 14 | 2 | 65 | 32 | ベスト4 | 準優勝 | ||
| 1993-1994 | 1位 | 34 | 19 | 12 | 3 | 36 | 15 | ベスト32 | 優勝 | 準優勝 | |
| 1994-1995 | 4位 | 34 | 17 | 9 | 8 | 53 | 32 | ベスト16 | 準優勝 | 準優勝 | |
| 1995-1996 | 1位 | 34 | 21 | 10 | 3 | 60 | 24 | ベスト8 | ベスト8 | ||
| 1996-1997 | 11位 | 34 | 11 | 10 | 13 | 43 | 45 | ベスト8 | グループリーグ | ||
| 1997-1998 | 10位 | 34 | 11 | 11 | 12 | 37 | 43 | 準優勝 | |||
| 1998-1999 | 1位 | 34 | 20 | 10 | 4 | 59 | 34 | ベスト16 | |||
| 1999-2000 | 3位 | 34 | 16 | 13 | 5 | 65 | 40 | ベスト8 | 1次リーグ | ||
| 2000-2001 | 6位 | 34 | 12 | 13 | 9 | 56 | 46 | ベスト4 | 2次リーグ | ||
| 2001-2002 | 4位 | 34 | 14 | 13 | 7 | 47 | 33 | ベスト4 | ベスト4 | ||
| 2002-2003 | 3位 | 34 | 18 | 7 | 9 | 55 | 30 | 優勝 | 優勝 | ||
| 2003-2004 | 1位 | 34 | 25 | 7 | 2 | 65 | 24 | ベスト4 | ベスト8 | 準優勝 | |
| 2004-2005 | 2位 | 38 | 23 | 10 | 5 | 63 | 28 | ベスト8 | 準優勝 | ||
| 2005-2006 | 2位→3位[5] | 38 | 28 | 4 | 6 | 81 | 31 | ベスト8 | ベスト4 | ||
| 2006-2007 | 4位 | 38 | 19 | 12 | 7 | 57 | 36 | ベスト4 | 優勝 | ||
| 2007-2008 | 5位 | 38 | 18 | 10 | 10 | 66 | 38 | ベスト16 | ベスト16 | 優勝 | |
| 2008-2009 | 3位 | 38 | 22 | 8 | 8 | 70 | 35 | ベスト16 | ベスト32 | ||
| 2009-2010 | 3位 | 38 | 20 | 10 | 8 | 60 | 39 | ベスト8 | ベスト16 | ||
| 2010-2011 | 1位 | 38 | 24 | 10 | 4 | 65 | 24 | ベスト4 | ベスト16 | ||
| 2011-2012 | 2位 | 38 | 24 | 8 | 6 | 74 | 33 | ベスト4 | ベスト8 |
現所属メンバー [編集]
- 2013年2月1日現在
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※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。
ローン移籍 [編集]
- in
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- out
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12/13移籍 [編集]
詳細は「:en:List of Italian football transfers summer 2012」を参照
プリマヴェーラ [編集]
詳細は「:en:A.C. Milan Primavera」を参照
歴代監督 [編集]
永久欠番 [編集]
- 3 パオロ・マルディーニ
- 6 フランコ・バレージ
歴代所属選手 [編集]
詳細は「:Category:ACミランの選手」を参照
太字は現所属選手
GK [編集]
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DF [編集]
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MF [編集]
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FW [編集]
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関連項目 [編集]
脚注 [編集]
- ^ 組織図 | AC Milan
- ^ Deloitte Football Money League 20122012年2月9日に国際監査法人『デロイト』が公表した2010-2011シーズンの欧州サッカーのクラブ収入ランキング。
- ^ 2012年にイギリスメディア『sportingintelligence.com』が調査した、世界のスポーツチームの平均年俸ランキング
- ^ - スポーツマネジメント
- ^ 審判指名操作の不正行為により勝点を30減点されたため、最終順位が変更されている。カルチョ・スキャンダルを参照。
外部リンク [編集]
- 公式
- 公式サイト (日本語)
- レガ・カルチョ - ACミラン (イタリア語)
- UEFA.com - ACミラン (日本語)
- ユニフォーム (2008-09シーズン)
- ホームユニフォーム
- アウェーユニフォーム
- サードユニフォーム
- ACミラン(ミラニスタ) JP : Facebook グループ
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