ACミラン
提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
|
|
|
|---|---|
| 原語表記 | Associazione Calcio Milan s.p.a |
| 愛称 | Rossoneri |
| クラブカラー | 赤と黒 |
| 創設年 | 1899年 |
| 所属リーグ | レガ・カルチョ |
| 所属ディビジョン | セリエA |
| ホームタウン | ミラノ |
| ホームスタジアム | サン・シーロ |
| 収容人数 | 85,847 |
| 代表者 | |
| 監督 | |
| 公式サイト | 公式サイト |
ACミラン(Associazione Calcio Milan s.p.a)は、イタリア・ミラノを本拠地とするサッカークラブチーム。クラブカラーからロッソ・ネロ(イタリア語で「赤と黒」、複数形でロッソ・ネリとも)またはディアボロ(イタリア語で「悪魔」)の愛称で呼ばれる。
目次 |
[編集] 概要
1899年12月16日にミラノ在住のイギリス人アルフレッド・エドワーズが中心となって、「ミラン・クリケット・アンド・フットボール・クラブ」(Milan Cricket and Football Club)を創設し、その後上記の通り「ミラン・アッソチアツィオーネ・カルチョ」と名称は変更されたがMilanだけは英語のまま残った。(イタリア語ではMilanoである)。クラブ名のうちアッソチアツィオーネAssociazioneは英語のAssociationつまり協会ではなく、法人という意味で、Associazione Calcioはサッカー法人となる。つまり全体では「ミランサッカー法人」が正しい訳語となる。Milanが英語であるため、ACの部分がAthletic Clubだと誤解される場合が多い。
同じ街の同じスタジアムを本拠地とするインテルとは永遠のライバル関係にあり、ミラノダービーと呼ばれる対戦は街を二分する盛り上がりを見せる。インテルのファンがブルジョワ階級と呼ばれる富裕層であるのと比較して、ACミランのファン層は労働者階級を中心であるとされていたが、現在では特別に隔たった支持層は無く、お互いに広い層から支持を集めている。 1990年代の栄光を支えたほとんどの選手が現役を引退した現在でも、2002-03シーズンのUEFAチャンピオンズリーグから5シーズンで全てのシーズンの準々決勝進出、準決勝進出4回、決勝進出3回、優勝2回と快進撃を続けている。チャンピオンズリーグ7回の優勝はレアル・マドリードの9回に次ぐ歴代2位の記録であり、この記録はイタリア国内でチャンピオンズリーグを制覇した経験のある他の2チームの記録(インテル・ミラノ、ユヴェントスはともに2回)を大きく引き離している。またチャンピオンズリーグで5度の優勝、或いは3連覇を達成したクラブにはビッグイヤー(優勝杯)の永久保持が認められているが、同時にビッグイヤーのロゴと優勝回数が書かれたワッペンがユニフォーム左袖につけられることが許される。このワッペンをつけているのはACミランの他に、レアル・マドリード、リヴァプール、アヤックス、バイエルン・ミュンヘンの4クラブのみである。
過去50年間でこのチームのキャプテンマークを付けたのはニルス・リードホルム、チェーザレ・マルディーニ、ジャンニ・リベラ、フランコ・バレージ、パオロ・マルディーニ、マッシモ・アンブロジーニの6人しかいない。
[編集] 歴史
[編集] 低迷期
1979-80シーズンのホームでのラツィオ戦が八百長の疑いで調査が行われ、セリエBへ降格処分となった。当時クラブ会長であったフェリーチェ・コロンボは永久追放となった。この処分により1980-81シーズンはセリエBでのシーズンとなったが、優勝して1年でセリエAに復帰した。しかし、セリエAに復帰した翌1981-82シーズンはわずか7勝という成績で再びセリエBへ降格となった。 再びセリエBでプレーすることとなったが、1982-83シーズンは優勝してまたも1年でセリエAに復帰した。
[編集] ベルルスコーニの登場
その後、後にイタリア首相を務めるシルヴィオ・ベルルスコーニが1986年にクラブを買収して会長に就任した。ベルルスコーニは有力選手を大補強し、クラブを立て直した。当時はほぼ無名だったが、後にこのチームでサッカーに革命を起こすことになるアリゴ・サッキをパルマから監督として招き入れた。そして、ベルルスコーニが会長に就任して2シーズン目、サッキが指揮を執って1シーズン目の1987-88シーズンには2敗という成績でスクデットを獲得した。また、ベルルスコーニは1987年には当時の史上最高額移籍金でルート・フリットをPSVから獲得、マルコ・ファン・バステンをアヤックスから獲得し、1988年にはフランク・ライカールトをサラゴサから獲得した。
[編集] 黄金期
サッキが採用した高い位置でプレッシャーをかけてボールを奪うというプレッシングサッカー戦術とキャプテンのフランコ・バレージや、ルート・フリット、マルコ・ファン・バステン、フランク・ライカールトといったオランダトリオといった選手の活躍もあり、1989年、1990年と立て続けにUEFAチャンピオンズカップ現UEFAチャンピオンズリーグ)を制覇した。 1990-91年のUEFAチャンピオンズカップ準々決勝のマルセイユ戦で、マルセイユが1-0でリードしていた88分にスタジアムの照明が消灯し、照明復帰後もACミランが試合の続行を拒否したため没収試合となった。この結果ACミランは1年間ヨーロッパの大会から締め出されることとなった。
1990年代になると、バレージの他にもパオロ・マルディーニ、アレッサンドロ・コスタクルタ、デメトリオ・アルベルティーニの3人が中心になり、1991年から監督となったファビオ・カペッロのもとで、無敗優勝を含む1991-92シーズン、1992-93シーズン、1993-94シーズンのセリエA三連覇やUEFAチャンピオンズリーグ三年連続決勝進出などの成績を残し、「グランデ・ミラン」(偉大なミラン)や「リ・インヴィンチービリ」(無敵のミラン)と呼ばれる黄金期を築いた。バレージを含めたこの4人は、ミラン栄光のバンディエラ(イタリア語で「旗印」の意。そのクラブで長くキャリアを送ったシンボル的なプレーヤーを指す)とも言われる。
[編集] 最強神話崩壊と過渡期
ファビオ・カペッロがレアル・マドリードへ去ると、1996-97シーズンは優勝争いから脱落し、その責任を取るかたちでオスカル・ワシントン・タバレスが解任され、かつて栄光を築いたアリゴ・サッキが監督に復帰したものの低迷から抜け出せなかった。翌年にはファビオ・カペッロを連れ戻すが、大きな効果は得られなかった。1998-99シーズンは、監督にウディネーゼで旋風を起こしたアルベルト・ザッケローニを招聘し、1997-98シーズンのセリエA得点王であるオリバー・ビアホフとトーマス・ヘルヴェグを獲得して復活を望んだ。序盤こそ苦戦していたが、終盤に勝ち点でラツィオに逆転して悲願のスクデットを獲得した。1999-00シーズン開幕前にアンドリー・シェフチェンコの獲得に成功した以外は目立った出来事はなく、2000-01シーズン途中でザッケローニは解任された。
[編集] アンチェロッティ監督時代
2001-02シーズンも中位に低迷していたが、シーズン途中でカルロ・アンチェロッティが監督に就任し、リーグ4位でUEFAチャンピオンズリーグ出場権獲得(予備予選からの出場)に成功すると、ここから、アンドレア・ピルロをレジスタへとコンバートしてボールポゼッションを高めるサッカーを展開し、90年代前半の「グランデ・ミラン」(偉大なミラン)を彷彿とさせる強さを発揮する。2002-03シーズンには、UEFAチャンピオンズリーグとコッパ・イタリアの2冠を達成。2003-04シーズンは開幕前にサンパウロFCからカカを獲得しUEFAスーパーカップを制すると、インターコンチネンタルカップでは南米代表のボカ・ジュニアーズにPK戦の末、敗れたもののセリエAでは2位のASローマに勝ち点11の大差をつけてスクデットを獲得した。
しかし、2004-05シーズンは開幕前にイタリア・スーパーカップを制したものの、シーズンはユヴェントスに国内の覇権を握られ、UEFAチャンピオンズリーグでは決勝戦でリヴァプールと対戦し、前半終了時点で3-0の大差をつけていたものの後半追いつかれ、最終的にPK戦の末敗れた(イスタンブールの悲劇)。翌2005-06シーズンはUEFAチャンピオンズリーグでベスト4まで勝ち進むも準決勝で同大会の優勝を果たしたバルセロナに敗れ、4季ぶりの無冠に終わっている。
2006年、セリエAの審判買収疑惑を含む八百長疑惑で、2005-06年シーズンのリーグ戦での勝ち点-44点(事実上の2006-07年シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ出場権剥奪)、勝ち点-15点での2006-07年国内リーグ戦開始、という処分がイタリアサッカー協会のスポーツ裁判所によって下された。ミランは控訴し、控訴審では処分が軽減された。2005-06シーズンの勝ち点は58となり、3位扱いとしてUEFAチャンピオンズリーグ出場が決まった(詳細はカルチョ・スキャンダルを参照)。
2006-07シーズンでは、勝ち点-8点というハンディキャップ以上に、チェルシーへ移籍したアンドリー・シェフチェンコの穴を埋めることが出来ずに苦しんだ。彼の穴を埋めるべく2007年1月、レアル・マドリードで出場機会を失っていたロナウドを完全移籍で獲得。ロナウド加入後チームのコンディションは徐々に上昇し、最終的にリーグでの順位を4位にまであげた。 UEFAチャンピオンズリーグでは決勝戦でリヴァプールと対戦。試合はフィリッポ・インザーギが2ゴールを挙げる活躍によって勝利し、2年前のイスタンブールの悲劇の雪辱を果たして4年ぶり7度目となる優勝を勝ち取った。
2007-08シーズンはシーズン開幕前にUEFAスーパーカップを制覇し、2007年12月にはFIFAクラブワールドカップ2007に出場。決勝戦で南米代表のボカ・ジュニアーズを破り欧州代表としては初の同大会優勝を成し遂げ、またカカが大会MVP、ゴールデンボール賞を受賞する活躍を果たした。しかし、主力選手の高齢化、相次ぐ負傷に加えて、ここ数年の補強失敗のツケが重なり、UEFAチャンピオンズリーグでは決勝トーナメント一回戦でアーセナルに敗れてベスト16敗退。セリエAでも早々と優勝戦線から遠ざかり、後半戦は新加入のアレシャンドレ・パトの台頭もあって追い上げるも7年ぶりにUEFAチャンピオンズリーグ出場権をも逃し、UEFAカップ出場権を得るにとどまった。
この失敗を踏まえて、2008-09シーズン開幕前にはアーセナルからマチュー・フラミニを、FCバルセロナからジャンルカ・ザンブロッタとロナウジーニョを獲得し、また、チェルシーのアンドリー・シェフチェンコをレンタルで再び獲得。更に、2009年1月よりメジャーリーグサッカーのロサンゼルス・ギャラクシーに所属するデビッド・ベッカムをシーズン終了(当初は同年3月9日)までの期限付き移籍で獲得した。だが、チーム全体(特にDF陣)の高齢化や大型のCFの不在といった問題は解消されず、そのうえ負傷者の続出にも悩まされセリエAではユヴェントスと同勝ち点の3位に終わり、優勝候補の大本命に挙げられたUEFAカップもヴェルダー・ブレーメンに敗れラウンド32で敗退した。シーズン終了後、主将のパオロ・マルディーニが現役を引退。また、2009年6月1日にアンチェロッティは監督を辞任した。
[編集] レオナルド監督時代
アンチェロッティ退任後、後任監督にはかつてミランで活躍し、現役引退後はミランの副会長補佐を務めたレオナルドが就任。しかし、2009年6月9日、クラブは財政難からカカを移籍金6800万ユーロ(約92億円)でレアル・マドリードに放出した。これまでのチームを支えた立役者であったマルディーニ、アンチェロッティ、カカが次々に去っていったことに加え、レオナルドの経験不足やチームの高齢化、また選手補強が上手くいかないこともあって2009年夏のプレシーズンマッチはことごとく敗北を喫し、シーズン開幕後もインテルとのミラノダービーに0-4の大敗を喫したうえ、UEFAチャンピオンズリーグでも格下のFCチューリッヒにホームで敗れるなどしばらくは迷走が続いた。
しかし、4-3-3の布陣に活路を見出すと、これまで低迷していたロナウジーニョ、パトが調子を上げ始め、UEFAチャンピオンズリーグではクラブ史上初めてレアル・マドリードを敵地エスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウで破り、またリーグ戦でも連勝を飾るなど当初の不振から脱しつつある。また、2010年1月からシーズン終了までの期限付き移籍でロサンゼルス・ギャラクシーのデビッド・ベッカムを再び獲得することが決定し、ノルウェー・エリテセリエンのフレドリクスタッドFKからドミニク・アディアーの獲得についても合意に達している。
[編集] ユニフォーム
ホームユニフォームは赤黒の縦じま。ただしUEFAチャンピオンズリーグ、インターコンチネンタルカップ等の決勝では上下白のセカンドを希望して着用することが多い。チャンピオンズリーグ7回の優勝のうち6回を白のセカンドユニフォームで勝ち取っている。 また、選手支給スーツはドルチェ・ガッバーナから提供される。
[編集] タイトル
[編集] 国内タイトル
- スクデット - 17回
- 1901, 1906, 1907, 1950-51, 1954-55, 1956-57, 1958-59, 1961-62, 1967-68, 1978-79, 1987-88, 1991-92, 1992-93, 1993-94, 1995-96, 1998-99, 2003-04,
- セリエB - 2回
- 1980-81, 1982-83
- コッパ・イタリア - 5回
- 1966-67, 1971-72, 1972-73, 1976-77, 2002-03
- イタリア・スーパーカップ - 5回
- 1988, 1992, 1993, 1994, 2004
[編集] 国際タイトル
- FIFAクラブワールドカップ(旧トヨタカップを含む) - 4回
- 1969, 1989, 1990, 2007
- UEFAチャンピオンズリーグ(旧UEFAチャンピオンズカップを含む) - 7回
- 1962-63, 1968-69, 1988-89, 1989-90, 1993-94, 2002-03, 2006-07
- UEFAカップウィナーズカップ - 2回
- 1967-68, 1972-73
- UEFAスーパーカップ - 5回
- 1989, 1990, 1994, 2003, 2007
- ラテン・カップ - 2回
- 1951, 1956
- ミトローパ・カップ - 1回
- 1982
[編集] 過去の成績
| シーズン | セリエA | 試 | 勝 | 分 | 負 | 得 | 失 | コッパ・イタリア | UEFACL | UEFAカップ | CWC(旧トヨタカップ) |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2008-2009 | 3位 | 38 | 22 | 8 | 8 | 70 | 35 | ベスト16 | ベスト32 | ||
| 2007-2008 | 5位 | 38 | 18 | 10 | 10 | 66 | 38 | ベスト16 | ベスト16 | 優勝 | |
| 2006-2007 | 4位 | 38 | 19 | 12 | 7 | 57 | 36 | ベスト4 | 優勝 | ||
| 2005-2006 | 2位→3位[2] | 38 | 28 | 4 | 6 | 81 | 31 | ベスト8 | ベスト4 | ||
| 2004-2005 | 2位 | 38 | 23 | 10 | 5 | 63 | 28 | ベスト8 | 準優勝 | ||
| 2003-2004 | 1位 | 34 | 25 | 7 | 2 | 65 | 24 | ベスト4 | ベスト8 | 準優勝 | |
| 2002-2003 | 3位 | 34 | 18 | 7 | 9 | 55 | 30 | 優勝 | 優勝 | ||
| 2001-2002 | 4位 | 34 | 14 | 13 | 7 | 47 | 33 | ベスト4 | ベスト4 | ||
| 2000-2001 | 6位 | 34 | 12 | 13 | 9 | 56 | 46 | ベスト4 | 2次リーグ | ||
| 1999-2000 | 3位 | 34 | 16 | 13 | 5 | 65 | 40 | ベスト8 | 1次リーグ | ||
| 1998-1999 | 1位 | 34 | 20 | 10 | 4 | 59 | 34 | ベスト16 | |||
| 1997-1998 | 10位 | 34 | 11 | 11 | 12 | 37 | 43 | 準優勝 | |||
| 1996-1997 | 11位 | 34 | 11 | 10 | 13 | 43 | 45 | ベスト8 | グループリーグ | ||
| 1995-1996 | 1位 | 34 | 21 | 10 | 3 | 60 | 24 | ベスト8 | ベスト8 | ||
| 1994-1995 | 4位 | 34 | 17 | 9 | 8 | 53 | 32 | ベスト16 | 準優勝 | 準優勝 | |
| 1993-1994 | 1位 | 34 | 19 | 12 | 3 | 36 | 15 | ベスト32 | 優勝 | 準優勝 | |
| 1992-1993 | 1位 | 34 | 18 | 14 | 2 | 65 | 32 | ベスト4 | 準優勝 | ||
| 1991-1992 | 1位 | 34 | 22 | 12 | 0 | 74 | 21 | ベスト4 | |||
| 1990-1991 | 2位 | 34 | 18 | 10 | 6 | 46 | 19 | ベスト8 | ベスト8 | 優勝 | |
| 1989-1990 | 2位 | 34 | 22 | 5 | 7 | 56 | 27 | 準優勝 | 優勝 | 優勝 | |
| 1988-1989 | 3位 | 34 | 16 | 14 | 4 | 61 | 25 | ベスト16 | 優勝 | ||
| 1987-1988 | 1位 | 30 | 17 | 11 | 2 | 43 | 14 | ベスト16 | 2回戦 |
[編集] 現所属メンバー
- 2009年7月17日現在
|
|
[編集] ローン移籍選手
|
|
[編集] 09/10移籍
詳細は「en:List of Italian football transfers summer 2009」を参照
[編集] 歴代監督
| 氏名 | 国籍 | 期間 |
|---|---|---|
| ハーバート・キルピン | ||
| エンゲルバート・クーニッヒ | 1928-1931 | |
| Jozsef Banas | 1931-1933 | |
| Jozsef Violak | 1933-1934 | |
| アドルフォ・バロンチェーリ | 1935-1937 | |
| Joszef Banas | 1937-1941 | |
| マリオ・マグノッティ | 1941-1943 | |
| ジュゼッペ・サンタゴスティーノ | 1943-1945 | |
| アドルフォ・バロンチェーリ | 1945-1946 | |
| ジュゼッペ・ビゴーノ | 1946-1949 | |
| ラヨス・セズラー | 1949-1952 | |
| エクトル・プリチェッリ | 1954-1956 | |
| ジュゼッペ・ヴィアーニ | 1956-1958 | |
| ルイジ・ボニッツォーニ | 1958-1960 | |
| パオロ・トデスキーニ | 1960-1961 | |
| ネレオ・ロッコ | 1961-1963 | |
| ルイス・カニージャ | 1963-1964 | |
| ニルス・リードホルム | 1964-1966 | |
| アルトゥーロ・シルベストリ | 1966-1967 | |
| ネレオ・ロッコ | 1967-1974 | |
| ジョバンニ・トラパットーニ | 1974 | |
| グスタボ・ジアニョーニ | 1974-1975 | |
| ジョバンニ・トラパットーニ | 1975-1976 | |
| ジュゼッペ・マルキオーロ | 1976-1977 | |
| ネレオ・ロッコ | 1977 | |
| ニルス・リードホルム | 1977-1979 | |
| マッシモ・ジャコミーニ | 1979-1981 | |
| ルイジ・ラディーチェ | 1981-1982 | |
| エリオ・ガルビアーティ | 1982 | |
| イラリオ・カスタニェル | 1982-1984 | |
| エリオ・ガルビアーティ | 1984 | |
| ニルス・リードホルム | 1984-1987 | |
| ファビオ・カペッロ | 1987 | |
| アリゴ・サッキ | 1987-1991 | |
| ファビオ・カペッロ | 1991-1996 | |
| オスカル・ワシントン・タバレス | 1996 | |
| アリゴ・サッキ | 1996-1997 | |
| ファビオ・カペッロ | 1997-1998 | |
| アルベルト・ザッケローニ | 1998-2001 | |
| チェーザレ・マルディーニ | 2001 | |
| ファティ・テリム | 2001 | |
| カルロ・アンチェロッティ | 2001-2009 | |
| レオナルド | 2009 |
[編集] 永久欠番
- 6-フランコ・バレージ
- 3-パオロ・マルディーニ
[編集] 歴代所属選手
詳細は「Category:ACミランの選手」を参照
太字は現所属選手
[編集] GK
|
|
[編集] DF
|
|
[編集] MF
|
|
[編集] FW
|
|
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ A. C. Milan - The Club
- ^ 審判指名操作の不正行為により勝点を30減点されたため、最終順位が変更されている。カルチョ・スキャンダルを参照。
[編集] 外部リンク
- 公式
- 公式サイト (日本語)
- レガ・カルチョ - ACミラン (イタリア語)
- UEFA.com - ACミラン (日本語)
- ユニフォーム (2008-09シーズン)
- その他
| ACミラン - 現所属メンバー |
|---|
|
1 ジーダ | 4 カラーゼ | 5 オニェウ | 7 パト | 8 ガットゥーゾ | 9 インザーギ | 10 セードルフ | 11 フンテラール | 12 アッビアーティ | 13 ネスタ | 15 ザンブロッタ | 16 フラミニ | 17 ジゴーニ | 18 ヤンクロフスキ | 19 ファヴァッリ | 20 アバテ | 21 ピルロ | 22 ボリエッロ | 23 アンブロジーニ | 25 ボネーラ | 30 ストラーリ | 31 ローマ | 33 チアゴ・シウヴァ | 44 オッド | 49 ディ・ジェンナーロ | 51 ストラッサー | 53 パシーニ | 77 アントニーニ | 80 ロナウジーニョ 監督: レオナルド |
|
||
|
||
|
欧州クラブ協会(ECA) 創立メンバー
|
||
|
||