ACミラン

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ACミラン
原語表記 Associazione Calcio Milan s.p.a
愛称 Rossoneri
クラブカラー 赤と黒
創設年 1899年
所属リーグ セリエA
ホームタウン ミラノ
ホームスタジアム サン・シーロ
収容人数 80,018
代表者 アドリアーノ・ガッリアーニ[1]
監督 イタリアの旗 フィリッポ・インザーギ
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

アッソチャツィオーネ・カルチョ・ミラン: Associazione Calcio Milan s.p.a)は、イタリアミラノを本拠地とするサッカークラブチーム。ACミラン(エーシー・ミラン)あるいは単にミランとも呼ばれる。

概要[編集]

インテルナツィオナーレ・ミラノユヴェントスASローマと並んでイタリアのみならず、世界でも指折りのビッグクラブの一つである。国際タイトル獲得数、世界1位のクラブである。クラブカラーからロッソ・ネロイタリア語で「赤と黒」、複数形でロッソ・ネリとも)またはディアボロ(イタリア語で「悪魔」)の愛称で呼ばれる。サポーターはミラニスタといわれる。

UEFAチャンピオンズリーグでは過去7度の優勝を果たしており、これはレアル・マドリードの10度に次ぐ歴代2位の記録である。また、この記録はイタリア国内でUEFAチャンピオンズリーグを制覇した経験のある他の2チームの記録(インテルは3度、ユヴェントスは2度)を大きく引き離しており、イタリアセリエAで最も成功したクラブの一つである。なお、チャンピオンズリーグで5度の優勝、或いは3連覇を達成したクラブにはビッグイヤー(優勝杯)の永久保持が認められているが、同時にビッグイヤーのロゴと優勝回数が書かれたワッペンをユニフォーム左袖につけることが許される。このワッペンをつけているのはACミランの他に、レアル・マドリードアヤックス・アムステルダムバイエルン・ミュンヘンリヴァプールFCの4クラブのみである。

同じ街の同じスタジアムを本拠地とするインテルとは永遠のライバル関係にあり、ミラノダービーと呼ばれる対戦は街を二分する盛り上がりを見せる。インテルのファンがブルジョワ階級と呼ばれる富裕層であるのと比較して、ACミランのファン層は労働者階級を中心であるとされていたが、現在では特別に隔たった支持層は無く、お互いに広い層から支持を集めている。

2014年1月、世界最大の会計事務所である『デロイト』が公表したデロイト・フットボール・マネー・リーグによると、2012-13シーズンのクラブ収入は2億6350万ユーロであり、世界のサッカークラブの中で10位、イタリアではユヴェントスに次ぐ2位である[2]。また、イギリスメディアが2012年に公表した調査によると、ACミランの平均年俸は約610万ドルであり、世界で5番目、イタリアで最も平均年俸が高いクラブであることが明らかになった[3]

歴史[編集]

ミラノのドゥオーモ前広場でスクデット獲得を祝う人々(2004年)

1899年12月16日にミラノ在住のイギリス人アルフレッド・エドワーズが中心となって、「ミラン・クリケット・アンド・フットボール・クラブ」(Milan Cricket and Football Club)を創設し、その後上記の通り「ミラン・アッソチャツィオーネ・カルチョ」と名称は変更されたがMilanだけは英語のまま残った。(イタリア語ではMilanoである)。クラブ名のうちアッソチャツィオーネAssociazioneは英語のAssociationつまり協会ではなく、法人という意味で、Associazione Calcioはサッカー法人となる。つまり全体では「ミランサッカー法人」が正しい訳語となる。Milanが英語であるため、ACの部分がAthletic Clubだと誤解される場合が多い。

グレ・ノ・リトリオ

1950年代〜1960年代[編集]

1907年のスクデット獲得以来目立ったタイトルを得ることができなかったミランであるが、1949年にロンドンオリンピック優勝メンバーであるグンナー・グレングンナー・ノルダールニルス・リードホルムを獲得。この3人はそれぞれの名前から「グレ・ノ・リ」トリオと称された。1951年にスクデット、ラテン・カップで優勝すると、1955年、1957年、1959年にもリーグ優勝し、1956年には再びラテンカップを獲得した。

1961年にネレオ・ロッコが監督に就任すると、初シーズンからスクデットを獲得。ジャンニ・リベラジョゼ・アルタフィーニらを擁したチームを率いて1963年にはUEFAチャンピオンズカップ初優勝を果たした。しかし、エレニオ・エレーラ率いるインテルの好調などもあって、次にタイトルを獲得するのは1967年のコッパ・イタリア初優勝まで待たなければならなかった。

低迷期[編集]

1979-80シーズンのホームでのラツィオ戦が八百長の疑いで調査が行われ、セリエBへ降格処分となった。当時クラブ会長であったフェリーチェ・コロンボは永久追放となった。この処分により1980-81シーズンはセリエBでのシーズンとなったが、優勝して1年でセリエAに復帰した。しかし、セリエAに復帰した翌1981-82シーズンはわずか7勝という成績で再びセリエBへ降格となった。再びセリエBでプレーすることとなったが、1982-83シーズンは優勝してまたも1年でセリエAに復帰した。

ベルルスコーニの登場[編集]

その後、後にイタリア首相を務めるシルヴィオ・ベルルスコーニが1986年にクラブを買収して会長に就任した。ベルルスコーニは有力選手を大補強し、クラブを立て直した。当時はほぼ無名だったが、後にこのチームでサッカーに革命を起こすことになるアリゴ・サッキパルマから監督として招き入れた。そして、ベルルスコーニが会長に就任して2シーズン目、サッキが指揮を執って1シーズン目の1987-88シーズンには2敗という成績でスクデットを獲得した。また、ベルルスコーニは1987年には当時の史上最高額移籍金でルート・フリットPSVから獲得、マルコ・ファン・バステンアヤックスから獲得し、1988年にはフランク・ライカールトサラゴサから獲得した。

黄金期[編集]

サッキが採用した高い位置でプレッシャーをかけてボールを奪うというプレッシングサッカー戦術とキャプテンのフランコ・バレージや、ルート・フリットマルコ・ファン・バステンフランク・ライカールトオランダトリオなどの選手の活躍もあり、1988-1989シーズン、1989-1990シーズンにかけてUEFAチャンピオンズカップを2連覇した。1990-1991年のUEFAチャンピオンズカップ準々決勝のオリンピック・マルセイユ戦で、マルセイユが1-0でリードしていた88分にスタジアムの照明が消灯し、照明復帰後もACミランが試合の続行を拒否したため没収試合となった。この結果ACミランは1年間ヨーロッパの大会から締め出されることとなった。

1990年代になると、バレージの他にもパオロ・マルディーニアレッサンドロ・コスタクルタデメトリオ・アルベルティーニの3人が中心になり、1991年から監督となったファビオ・カペッロのもとで、1991-1992シーズンにセリエA初の無敗優勝を達成。セリエAでは1993-1994シーズンにかけて3連覇し、UEFAチャンピオンズリーグでは1992-1993シーズンから1994-1995シーズンにかけて3季連続決勝進出(1993-1994シーズンは優勝)するなどの成績を残し、「グランデ・ミラン」(偉大なミラン)や「リ・インヴィンチービリ」(無敵のミラン)と呼ばれる黄金期を築いた。特に1994年チャンピオンズリーグ決勝で、同じく黄金期を迎えていたヨハン・クライフ率いるバルセロナを4-0で降した試合は、クライフをして「あんな完璧なサッカーをされては勝てない」とまで言わしめた。 バレージを含めたこの4人は、ミラン栄光のバンディエラ(イタリア語で「旗印」の意。そのクラブで長くキャリアを送ったシンボル的なプレーヤーを指す)ともいわれる。

豊富な資金力で2チーム分の戦力を揃え、国内外のタイトな試合スケジュールを戦うというターンオーバー制を導入したのも当時のミランだった。厳格なカペッロの指揮下では、各国のスタープレーヤーでもベンチを温めるという状況がみられた。

過渡期[編集]

1995-1996シーズンはロベルト・バッジョジョージ・ウェアデヤン・サビチェビッチマルコ・シモーネというFW陣を擁してスクデットを奪回したが、守備基本からスペクタクル重視への切替えによりチームバランスが崩れ始めた。

ファビオ・カペッロレアル・マドリードへ去ると、1996-1997シーズンは優勝争いから脱落し、その責任を取るかたちでオスカル・ワシントン・タバレスが解任され、かつて栄光を築いたアリゴ・サッキが監督に復帰した。このシーズンは、主力選手の高齢化が顕著で、特にバレージの衰えは象徴的といえるものであった。そこにサッキの監督就任が追い打ちをかける形となり、この低迷から抜け出せなかった。1997-1998シーズンには1年でレアル・マドリードの監督を解任されたカペッロを連れ戻すが、大きな効果は得られなかった。

1998-99シーズンは、監督にウディネーゼで旋風を起こしたアルベルト・ザッケローニを招聘し、1997-98シーズンのセリエA得点王であるオリバー・ビアホフトーマス・ヘルヴェグを獲得。序盤こそ苦戦していたが、アルベルティーニ、コスタクルタ、マルディーニ、ボバンら栄光を知る主力選手がチームを牽引して、終盤に勝ち点でSSラツィオを逆転して悲願のスクデットを獲得した。しかし、その後は1999年夏の移籍市場でアンドリー・シェフチェンコの獲得に成功した以外は目立った出来事はなく、2000-01シーズン途中でザッケローニは解任された。

21世紀[編集]

2001-02シーズン途中にカルロ・アンチェロッティが監督に就任。2002-03シーズンはUEFAチャンピオンズリーグコッパ・イタリアにて優勝を達成。2003年夏の移籍市場ではカカカフーらを獲得。2003-04シーズンはUEFAスーパーカップセリエAにて優勝を達成した。

2004-05シーズンはスーペルコッパ・イタリアーナにて優勝を達成したものの、セリエAでは2位に終わり、UEFAチャンピオンズリーグでは決勝戦でリヴァプールFCと対戦し敗れた。この敗戦はイスタンブールの悲劇とも呼ばれる。2005-06シーズンは4季ぶりの無冠に終わり、シーズン終了後に発覚したカルチョ・スキャンダルによって、「2005-06シーズンのリーグ戦での勝ち点-44」、「2006-07シーズンのセリエAを勝ち点-15からの開始」という処分がイタリアサッカー連盟のスポーツ裁判所によって下された。控訴審では処分が軽減され、最終的に2005-06シーズンの勝ち点は58となり、3位扱いとしてUEFAチャンピオンズリーグ出場が決まったほか、2006-07シーズンのセリエAは勝ち点-8からの開始となった。

2007年冬の移籍市場ではロナウドを獲得し、2006-07シーズンはUEFAチャンピオンズリーグにて優勝を果たした。2007-08シーズンはUEFAスーパーカップFIFAクラブワールドカップにて優勝を達成。2008-09シーズンは無冠に終わり、シーズン終了後にアンチェロッティは監督を辞任した。

2009-10シーズンはレオナルドが監督に就任し、長年チームの顔だったマルディーニが前シーズン限りで引退(マッシモ・アンブロジーニが後任の主将に任命された)、カカレアル・マドリードへ移籍。同シーズンは無冠に終わる。

2010-11シーズンはマッシミリアーノ・アッレグリが監督に就任し、2010年夏の移籍市場ではズラタン・イブラヒモビッチロビーニョらを獲得。2011年冬の移籍市場ではアントニオ・カッサーノファン・ボメルらを獲得し、同シーズンは7季振りとなるセリエA優勝を果たす。

2011-12シーズンは優勝したチームにおいて出場機会が減少気味だったアンドレア・ピルロユヴェントスへ放出し、ステファン・エル・シャーラウィアルベルト・アクイラーニアントニオ・ノチェリーノフィリップ・メクセスタイエ・タイウォらを獲得した。チームは31節フィオレンティーナ戦で破れ首位から陥落、復活したピルロを中心としたユヴェントスに次ぐ2位に終わりシーズン無冠に終わった。

2012-13シーズンは、開幕前に急激に悪化した財政事情を立て直すため、ジェンナーロ・ガットゥーゾチアゴ・シウバアレッサンドロ・ネスタクラレンス・セードルフイブラヒモビッチカッサーノらを放出した。序盤戦は選手の入れ替えによる不振が続いたが(11-12シーズンから先発級メンバーがパッツィーニエル・シャーラウィモントリーヴォデ・ヨングメクセスサパタコンスタンと実に7人が入れ替わる)、コンビネーションが安定してからは前半戦のエル・シャーラウィの活躍、冬の移籍市場で獲得したマリオ・バロテッリの後半戦での活躍もあってリーグを3位で終え、UEFAチャンピオンズリーグ予備予選の出場権を獲得した。

2013-14シーズンは4年ぶりにカカがミランに復帰し、アンドレア・ポーリヴァルテル・ビルサ、ミランユース出身のアレッサンドロ・マトリを獲得した。主将だったアンブロジーニの退団を受け、モントリーヴォが新たな主将となった。シーズン序盤から負けや引き分けが多く勝ち点を重ねられず、年明けの2014年1月からクラブ初のアジア国籍選手である本田圭佑を獲得したものの、1月13日にアウェーでのサッスオーロ戦で2点リードしながら4-3で敗れたことが引き金となり、監督のアッレグリが解任された。後任は助監督のマウロ・タソッティが一時的に務めたが、すぐにブラジルで現役選手であったクラレンス・セードルフを招聘。戦術変更をしても状況は好転せず、結局リーグ戦8位となり、15シーズンぶりにチャンピオンズリーグ及びヨーロッパリーグの出場を逃した。シーズン終了後、セードルフを解任。2014-15シーズンはフィリッポ・インザーギが就任した。

ユニフォーム[編集]

ホームユニフォームは赤黒の縦じま。ただしUEFAチャンピオンズリーグインターコンチネンタルカップ等の決勝では上下白のセカンドを希望して着用することが多い。チャンピオンズリーグ7回の優勝のうち6回を白のセカンドユニフォームで勝ち取っている。また、選手支給スーツはドルチェ&ガッバーナから提供される。

胸スポンサー[編集]

  • メディオラヌム(-1991年)  イタリアの生命保険会社。フィニンベスト・グループの関連 世界最強時代のスポンサーであった。
  • モタ(1992-94年) - イタリアの製菓メーカー。
  • オペル (1994年-2005年)- ドイツの自動車メーカー。ユニフォーム表記は「OPEL」。
  • オペル・ザフィーラ(2005年~2006年)- オペル社の車名。ユニフォーム表記は「オペル社のロゴの下にZAFIRA」
  • Bwin (2006年~2010年)- オーストリアのオンラインサービス提供企業。
  • エミレーツ航空(2010年~)- アラブ首長国連邦の航空会社。契約金は5年総額約6000万ユーロ[4]。ユニフォーム表記は「Fly Emirates」

タイトル[編集]

国内タイトル[編集]

国際タイトル[編集]

過去の成績[編集]

シーズン セリエA コッパ UEFACL EL
(旧UEFAカップ
CWC
(旧トヨタカップ
1987-88 1位 30 17 11 2 43 14 ベスト16 2回戦敗退
1988-89 3位 34 16 14 4 61 25 ベスト16 優勝
1989-90 2位 34 22 5 7 56 27 準優勝 優勝 優勝
1990-91 2位 34 18 10 6 46 19 ベスト8 ベスト8 優勝
1991-92 1位 34 22 12 0 74 21 ベスト4
1992-93 1位 34 18 14 2 65 32 ベスト4 準優勝
1993-94 1位 34 19 12 3 36 15 ベスト32 優勝 準優勝
1994-95 4位 34 17 9 8 53 32 ベスト16 準優勝 準優勝
1995-96 1位 34 21 10 3 60 24 ベスト8 ベスト8
1996-97 11位 34 11 10 13 43 45 ベスト8 グループリーグ
1997-98 10位 34 11 11 12 37 43 準優勝
1998-99 1位 34 20 10 4 59 34 ベスト16
1999-00 3位 34 16 13 5 65 40 ベスト8 1次リーグ
2000-01 6位 34 12 13 9 56 46 ベスト4 2次リーグ
2001-02 4位 34 14 13 7 47 33 ベスト4 ベスト4
2002-03 3位 34 18 7 9 55 30 優勝 優勝
2003-04 1位 34 25 7 2 65 24 ベスト4 ベスト8 準優勝
2004-05 2位 38 23 10 5 63 28 ベスト8 準優勝
2005-06 2位→3位[5] 38 28 4 6 81 31 ベスト8 ベスト4
2006-07 4位 38 19 12 7 57 36 ベスト4 優勝
2007-08 5位 38 18 10 10 66 38 ベスト16 ベスト16 優勝
2008-09 3位 38 22 8 8 70 35 ベスト16 ベスト32
2009-10 3位 38 20 10 8 60 39 ベスト8 ベスト16
2010-11 1位 38 24 10 4 65 24 ベスト4 ベスト16
2011-12 2位 38 24 8 6 74 33 ベスト4 ベスト8
2012-13 3位 38 21 9 8 67 39 ベスト8 ベスト16
2013-14 8位 38 16 9 13 57 49 ベスト8 ベスト16

現所属メンバー[編集]

フォーメーション[編集]

2014-15シーズン, <4-3-3>, 監督:フィリッポ・インザーギ

Soccer.Field Transparant.png

ディエゴ・ロペス
# 23
アバーテ
# 20
ラミ
# 13
アレックス
# 33
デ・シリオ
# 2
デ・ヨング
# 34
ポーリ
# 16
本田
# 10
ムンタリ
# 4
エル・シャーラウィ
# 92
メネス
# 7
2014年9月3日現在[6]
No. Pos. 選手名
1 イタリアの旗 GK ミカエル・アガッツィ
2 イタリアの旗 DF マッティア・デ・シリオ
4 ガーナの旗 MF サリー・ムンタリ
5 フランスの旗 DF フィリップ・メクセス
7 フランスの旗 FW ジェレミー・メネス
8 イタリアの旗 MF リッカルド・サポナーラ
9 スペインの旗 FW フェルナンド・トーレス
10 日本の旗 FW 本田圭佑
11 イタリアの旗 FW ジャンパオロ・パッツィーニ
13 フランスの旗 DF アディル・ラミ
14 イタリアの旗 DF ミケランジェロ・アルベルタッツィ
15 ガーナの旗 MF マイケル・エッシェン
16 イタリアの旗 MF アンドレア・ポーリ
17 コロンビアの旗 DF クリスティアン・サパタ
No. Pos. 選手名
18 イタリアの旗 MF リッカルド・モントリーヴォ (Flag of Germany.svg)(Captain sports.svg)
19 フランスの旗 FW エムベイェ・ニアン
20 イタリアの旗 DF イニャツィオ・アバーテ
21 オランダの旗 MF マルコ・ファン・ヒンケル
23 スペインの旗 GK ディエゴ・ロペス
25 イタリアの旗 DF ダニエレ・ボネーラ
27 コロンビアの旗 DF パブロ・アルメロ
28 イタリアの旗 FW ジャコモ・ボナヴェントゥーラ
32 イタリアの旗 GK クリスティアン・アッビアーティ
33 ブラジルの旗 DF アレックス
34 オランダの旗 MF ナイジェル・デ・ヨング (Flag of Suriname.svg)(Flag of Indonesia.svg)
81 イタリアの旗 DF クリスティアン・ザッカルド
92 イタリアの旗 FW ステファン・エル・シャーラウィ (Flag of Egypt.svg)
98 イタリアの旗 MF ハキム・マストゥール

※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。

ローン移籍[編集]

in
No. Pos. 選手名
9 スペインの旗 FW フェルナンド・トーレス (チェルシー)
21 オランダの旗 MF マルコ・ファン・ヒンケル (チェルシー)
No. Pos. 選手名
27 コロンビアの旗 DF パブロ・アルメロ (ウディネーゼ)
out
No. Pos. 選手名
-- ブラジルの旗 GK ガブリエウ (カルピ)
-- イタリアの旗 GK エドアルド・パッツァーリ (ピストイエーゼ)
-- ルーマニアの旗 DF クリスティアン・ダミヌツァ (ヴィトルル)
-- ブラジルの旗 DF マルクス・ディニス (レッチェ)
-- イタリアの旗 DF ヨハド・フェレッティ (SPAL)
-- イタリアの旗 DF クリスティアン・ガッリアーニ (ヴァレーゼ)
-- イタリアの旗 DF マルコ・ピナート (ヴィルトゥス・ランチャーノ)
-- チェコの旗 DF ステファン・シミッチ (ヴァレーゼ)
-- ハンガリーの旗 DF タマーシュ・クリスティアーン (ヴァレーゼ)
-- コロンビアの旗 DF ジェルソン・ベルガラ (アヴェッリーノ)
-- スペインの旗 DF ディダク・ビラ (エイバル)
-- スロベニアの旗 MF ザン・ベネディチッチ (リーズ)
-- スロベニアの旗 MF ヴァルテル・ビルサ (キエーヴォ)
No. Pos. 選手名
-- ハンガリーの旗 MF フィルコール・アッティラ (アヴェッリーノ)
-- イタリアの旗 MF マルコ・エツィオ・フォッサーティ (ペルージャ)
-- ガーナの旗 MF エドムンド・ホッター (ヴェネツィア)
-- イタリアの旗 MF アレッシオ・インノチェンティ (ゴリツァ)
-- イタリアの旗 MF アントニオ・ノチェリーノ (トリノ)
-- イタリアの旗 FW ジャコモ・ベレッタ (プロ・ヴェルチェッリ)
-- イタリアの旗 FW マッテオ・キネッラート (ズュートティロール)
-- イタリアの旗 FW ジャンマリオ・コーミ (アヴェッリーノ)
-- イタリアの旗 FW アレッサンドロ・マトリ (ジェノア)
-- ナイジェリアの旗 FW ナムディ・オドゥアマディ (クロトーネ)
-- イタリアの旗 FW アンドレア・ペターニャ (ラティーナ)
-- ブラジルの旗 FW ロビーニョ (サントス)
-- イタリアの旗 FW ジャンマルコ・ジゴーニ (モンツァ)

共同保有[編集]

No. Pos. 選手名
-- イタリアの旗 FW シモーネ・ヴェルディ (トリノ)

2013-14移籍[編集]

プリマヴェーラ[編集]

歴代監督[編集]

氏名 国籍 期間
ハーバート・キルピン イングランドの旗 イングランド
エンゲルバート・クーニッヒ オーストリアの旗 オーストリア 1928-1931
ヨージェフ・バーナーシュ ハンガリーの旗 ハンガリー 1931-1933
ヨージェフ・ヴィオラ ハンガリーの旗 ハンガリー 1933-1934
アドルフォ・バロンチェーリ イタリアの旗 イタリア 1935-1937
ヨージェフ・バーナーシュ ハンガリーの旗 ハンガリー 1937-1941
マリオ・マグノッティ イタリアの旗 イタリア 1941-1943
ジュゼッペ・サンタゴスティーノ イタリアの旗 イタリア 1943-1945
アドルフォ・バロンチェーリ イタリアの旗 イタリア 1945-1946
ジュゼッペ・ビゴーノ イタリアの旗 イタリア 1946-1949
ラヨス・セズラー スウェーデンの旗 スウェーデン 1949-1952
ベーラ・グットマン ハンガリーの旗 ハンガリー 1953-1955
エクトル・プリチェッリ イタリアの旗 イタリア 1955-1956
ジュゼッペ・ヴィアーニ イタリアの旗 イタリア 1956-1958
ルイジ・ボニッツォーニ イタリアの旗 イタリア 1958-1960
パオロ・トデスキーニ イタリアの旗 イタリア 1960-1961
ネレオ・ロッコ イタリアの旗 イタリア 1961-1963
ルイス・カルニグリア アルゼンチンの旗 アルゼンチン 1963-1964
ニルス・リードホルム スウェーデンの旗 スウェーデン 1964-1966
アルトゥーロ・シルベストリ イタリアの旗 イタリア 1966-1967
ネレオ・ロッコ イタリアの旗 イタリア 1967–1972
チェーザレ・マルディーニ イタリアの旗 イタリア 1973–1974
ジョバンニ・トラパットーニ イタリアの旗 イタリア 1974
グスタボ・ジアニョーニ イタリアの旗 イタリア 1974-1975
ジョバンニ・トラパットーニ イタリアの旗 イタリア 1975-1976
ジュゼッペ・マルキオーロ イタリアの旗 イタリア 1976-1977
ネレオ・ロッコ イタリアの旗 イタリア 1977
ニルス・リードホルム スウェーデンの旗 スウェーデン 1977-1979
マッシモ・ジャコミーニ イタリアの旗 イタリア 1979-1981
ルイジ・ラディーチェ イタリアの旗 イタリア 1981-1982
エリオ・ガルビアーティ イタリアの旗 イタリア 1982
イラリオ・カスタニェル イタリアの旗 イタリア 1982-1984
エリオ・ガルビアーティ イタリアの旗 イタリア 1984
ニルス・リードホルム スウェーデンの旗 スウェーデン 1984-1987
ファビオ・カペッロ イタリアの旗 イタリア 1987
アリゴ・サッキ イタリアの旗 イタリア 1987-1991
ファビオ・カペッロ イタリアの旗 イタリア 1991-1996
オスカル・タバレス ウルグアイの旗 ウルグアイ 1996
アリゴ・サッキ イタリアの旗 イタリア 1996-1997
ファビオ・カペッロ イタリアの旗 イタリア 1997-1998
アルベルト・ザッケローニ イタリアの旗 イタリア 1998-2001
チェーザレ・マルディーニ イタリアの旗 イタリア 2001
ファティ・テリム トルコの旗 トルコ 2001
カルロ・アンチェロッティ イタリアの旗 イタリア 2001-2009
レオナルド ブラジルの旗 ブラジル 2009-2010
マッシミリアーノ・アッレグリ イタリアの旗 イタリア 2010-2014(~1)
クラレンス・セードルフ オランダの旗 オランダ 2014(1~6)
フィリッポ・インザーギ イタリアの旗 イタリア 2014(7~)-

永久欠番[編集]

歴代所属選手[編集]

太字は現所属選手

GK[編集]

DF[編集]

MF[編集]

FW[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 組織図 | AC  Milan
  2. ^ Deloitte Football Money League 2014(2014年1月に国際監査法人『デロイト』が公表した2012-2013シーズンの欧州サッカーのクラブ収入ランキング)
  3. ^ 2012年にイギリスメディア『sportingintelligence.com』が調査した、世界のスポーツチームの平均年俸ランキング
  4. ^ - スポーツマネジメント
  5. ^ 審判指名操作の不正行為により勝点を30減点されたため、最終順位が変更されている。カルチョ・スキャンダルを参照。
  6. ^ トップチームメンバー ACミラン

外部リンク[編集]