ACミラン

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ACミラン
原語表記 Associazione Calcio Milan s.p.a
愛称 Rossoneri
クラブカラー 赤と黒
創設年 1899年
所属リーグ レガ・カルチョ
所属ディビジョン セリエA
ホームタウン ミラノ
ホームスタジアム サン・シーロ
収容人数 85,847
代表者 イタリアの旗 (空位)[1]
監督 ブラジルの旗 レオナルド
公式サイト 公式サイト
   サッカークラブPJ

ACミランAssociazione Calcio Milan s.p.a)は、イタリアミラノを本拠地とするサッカークラブチーム。クラブカラーからロッソ・ネロイタリア語で「赤と黒」、複数形でロッソ・ネリとも)またはディアボロ(イタリア語で「悪魔」)の愛称で呼ばれる。

目次

[編集] 概要

1899年12月16日にミラノ在住のイギリス人アルフレッド・エドワーズが中心となって、「ミラン・クリケット・アンド・フットボール・クラブ」(Milan Cricket and Football Club)を創設し、その後上記の通り「ミラン・アッソチアツィオーネ・カルチョ」と名称は変更されたがMilanだけは英語のまま残った。(イタリア語ではMilanoである)。クラブ名のうちアッソチアツィオーネAssociazioneは英語のAssociationつまり協会ではなく、法人という意味で、Associazione Calcioはサッカー法人となる。つまり全体では「ミランサッカー法人」が正しい訳語となる。Milanが英語であるため、ACの部分がAthletic Clubだと誤解される場合が多い。

同じ街の同じスタジアムを本拠地とするインテルとは永遠のライバル関係にあり、ミラノダービーと呼ばれる対戦は街を二分する盛り上がりを見せる。インテルのファンがブルジョワ階級と呼ばれる富裕層であるのと比較して、ACミランのファン層は労働者階級を中心であるとされていたが、現在では特別に隔たった支持層は無く、お互いに広い層から支持を集めている。 1990年代の栄光を支えたほとんどの選手が現役を引退した現在でも、2002-03シーズンのUEFAチャンピオンズリーグから5シーズンで全てのシーズンの準々決勝進出、準決勝進出4回、決勝進出3回、優勝2回と快進撃を続けている。チャンピオンズリーグ7回の優勝はレアル・マドリードの9回に次ぐ歴代2位の記録であり、この記録はイタリア国内でチャンピオンズリーグを制覇した経験のある他の2チームの記録(インテル・ミラノユヴェントスはともに2回)を大きく引き離している。またチャンピオンズリーグで5度の優勝、或いは3連覇を達成したクラブにはビッグイヤー(優勝杯)の永久保持が認められているが、同時にビッグイヤーのロゴと優勝回数が書かれたワッペンがユニフォーム左袖につけられることが許される。このワッペンをつけているのはACミランの他に、レアル・マドリードリヴァプールアヤックスバイエルン・ミュンヘンの4クラブのみである。

過去50年間でこのチームのキャプテンマークを付けたのはニルス・リードホルムチェーザレ・マルディーニジャンニ・リベラフランコ・バレージパオロ・マルディーニマッシモ・アンブロジーニの6人しかいない。

[編集] 歴史

スクデットを祝うミラノのドゥオーモ
ミランのサポーター
スタディオ・ジュゼッペ・メアッツァ

[編集] 低迷期

1979-80シーズンのホームでのラツィオ戦が八百長の疑いで調査が行われ、セリエBへ降格処分となった。当時クラブ会長であったフェリーチェ・コロンボは永久追放となった。この処分により1980-81シーズンはセリエBでのシーズンとなったが、優勝して1年でセリエAに復帰した。しかし、セリエAに復帰した翌1981-82シーズンはわずか7勝という成績で再びセリエBへ降格となった。 再びセリエBでプレーすることとなったが、1982-83シーズンは優勝してまたも1年でセリエAに復帰した。

[編集] ベルルスコーニの登場

その後、後にイタリア首相を務めるシルヴィオ・ベルルスコーニが1986年にクラブを買収して会長に就任した。ベルルスコーニは有力選手を大補強し、クラブを立て直した。当時はほぼ無名だったが、後にこのチームでサッカーに革命を起こすことになるアリゴ・サッキパルマから監督として招き入れた。そして、ベルルスコーニが会長に就任して2シーズン目、サッキが指揮を執って1シーズン目の1987-88シーズンには2敗という成績でスクデットを獲得した。また、ベルルスコーニは1987年には当時の史上最高額移籍金でルート・フリットPSVから獲得、マルコ・ファン・バステンアヤックスから獲得し、1988年にはフランク・ライカールトサラゴサから獲得した。

[編集] 黄金期

サッキが採用した高い位置でプレッシャーをかけてボールを奪うというプレッシングサッカー戦術とキャプテンのフランコ・バレージや、ルート・フリットマルコ・ファン・バステンフランク・ライカールトといったオランダトリオといった選手の活躍もあり、1989年、1990年と立て続けにUEFAチャンピオンズカップUEFAチャンピオンズリーグ)を制覇した。 1990-91年のUEFAチャンピオンズカップ準々決勝のマルセイユ戦で、マルセイユが1-0でリードしていた88分にスタジアムの照明が消灯し、照明復帰後もACミランが試合の続行を拒否したため没収試合となった。この結果ACミランは1年間ヨーロッパの大会から締め出されることとなった。

1990年代になると、バレージの他にもパオロ・マルディーニアレッサンドロ・コスタクルタデメトリオ・アルベルティーニの3人が中心になり、1991年から監督となったファビオ・カペッロのもとで、無敗優勝を含む1991-92シーズン、1992-93シーズン、1993-94シーズンのセリエA三連覇やUEFAチャンピオンズリーグ三年連続決勝進出などの成績を残し、「グランデ・ミラン」(偉大なミラン)や「リ・インヴィンチービリ」(無敵のミラン)と呼ばれる黄金期を築いた。バレージを含めたこの4人は、ミラン栄光のバンディエラ(イタリア語で「旗印」の意。そのクラブで長くキャリアを送ったシンボル的なプレーヤーを指す)とも言われる。

[編集] 最強神話崩壊と過渡期

ファビオ・カペッロレアル・マドリードへ去ると、1996-97シーズンは優勝争いから脱落し、その責任を取るかたちでオスカル・ワシントン・タバレスが解任され、かつて栄光を築いたアリゴ・サッキが監督に復帰したものの低迷から抜け出せなかった。翌年にはファビオ・カペッロを連れ戻すが、大きな効果は得られなかった。1998-99シーズンは、監督にウディネーゼで旋風を起こしたアルベルト・ザッケローニを招聘し、1997-98シーズンのセリエA得点王であるオリバー・ビアホフトーマス・ヘルヴェグを獲得して復活を望んだ。序盤こそ苦戦していたが、終盤に勝ち点でラツィオに逆転して悲願のスクデットを獲得した。1999-00シーズン開幕前にアンドリー・シェフチェンコの獲得に成功した以外は目立った出来事はなく、2000-01シーズン途中でザッケローニは解任された。

[編集] アンチェロッティ監督時代

2001-02シーズンも中位に低迷していたが、シーズン途中でカルロ・アンチェロッティが監督に就任し、リーグ4位でUEFAチャンピオンズリーグ出場権獲得(予備予選からの出場)に成功すると、ここから、アンドレア・ピルロレジスタへとコンバートしてボールポゼッションを高めるサッカーを展開し、90年代前半の「グランデ・ミラン」(偉大なミラン)を彷彿とさせる強さを発揮する。2002-03シーズンには、UEFAチャンピオンズリーグコッパ・イタリアの2冠を達成。2003-04シーズンは開幕前にサンパウロFCからカカを獲得しUEFAスーパーカップを制すると、インターコンチネンタルカップでは南米代表のボカ・ジュニアーズにPK戦の末、敗れたもののセリエAでは2位のASローマに勝ち点11の大差をつけてスクデットを獲得した。

しかし、2004-05シーズンは開幕前にイタリア・スーパーカップを制したものの、シーズンはユヴェントスに国内の覇権を握られ、UEFAチャンピオンズリーグでは決勝戦でリヴァプールと対戦し、前半終了時点で3-0の大差をつけていたものの後半追いつかれ、最終的にPK戦の末敗れた(イスタンブールの悲劇)。翌2005-06シーズンはUEFAチャンピオンズリーグでベスト4まで勝ち進むも準決勝で同大会の優勝を果たしたバルセロナに敗れ、4季ぶりの無冠に終わっている。

2006年、セリエAの審判買収疑惑を含む八百長疑惑で、2005-06年シーズンのリーグ戦での勝ち点-44点(事実上の2006-07年シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ出場権剥奪)、勝ち点-15点での2006-07年国内リーグ戦開始、という処分がイタリアサッカー協会のスポーツ裁判所によって下された。ミランは控訴し、控訴審では処分が軽減された。2005-06シーズンの勝ち点は58となり、3位扱いとしてUEFAチャンピオンズリーグ出場が決まった(詳細はカルチョ・スキャンダルを参照)。

2006-07シーズンでは、勝ち点-8点というハンディキャップ以上に、チェルシーへ移籍したアンドリー・シェフチェンコの穴を埋めることが出来ずに苦しんだ。彼の穴を埋めるべく2007年1月、レアル・マドリードで出場機会を失っていたロナウドを完全移籍で獲得。ロナウド加入後チームのコンディションは徐々に上昇し、最終的にリーグでの順位を4位にまであげた。 UEFAチャンピオンズリーグでは決勝戦でリヴァプールと対戦。試合はフィリッポ・インザーギが2ゴールを挙げる活躍によって勝利し、2年前のイスタンブールの悲劇の雪辱を果たして4年ぶり7度目となる優勝を勝ち取った。

2007-08シーズンはシーズン開幕前にUEFAスーパーカップを制覇し、2007年12月にはFIFAクラブワールドカップ2007に出場。決勝戦で南米代表のボカ・ジュニアーズを破り欧州代表としては初の同大会優勝を成し遂げ、またカカが大会MVP、ゴールデンボール賞を受賞する活躍を果たした。しかし、主力選手の高齢化、相次ぐ負傷に加えて、ここ数年の補強失敗のツケが重なり、UEFAチャンピオンズリーグでは決勝トーナメント一回戦でアーセナルに敗れてベスト16敗退。セリエAでも早々と優勝戦線から遠ざかり、後半戦は新加入のアレシャンドレ・パトの台頭もあって追い上げるも7年ぶりにUEFAチャンピオンズリーグ出場権をも逃し、UEFAカップ出場権を得るにとどまった。

この失敗を踏まえて、2008-09シーズン開幕前にはアーセナルからマチュー・フラミニを、FCバルセロナからジャンルカ・ザンブロッタロナウジーニョを獲得し、また、チェルシーアンドリー・シェフチェンコをレンタルで再び獲得。更に、2009年1月よりメジャーリーグサッカーロサンゼルス・ギャラクシーに所属するデビッド・ベッカムをシーズン終了(当初は同年3月9日)までの期限付き移籍で獲得した。だが、チーム全体(特にDF陣)の高齢化や大型のCFの不在といった問題は解消されず、そのうえ負傷者の続出にも悩まされセリエAではユヴェントスと同勝ち点の3位に終わり、優勝候補の大本命に挙げられたUEFAカップヴェルダー・ブレーメンに敗れラウンド32で敗退した。シーズン終了後、主将のパオロ・マルディーニが現役を引退。また、2009年6月1日にアンチェロッティは監督を辞任した。

[編集] レオナルド監督時代

アンチェロッティ退任後、後任監督にはかつてミランで活躍し、現役引退後はミランの副会長補佐を務めたレオナルドが就任。しかし、2009年6月9日、クラブは財政難からカカを移籍金6800万ユーロ(約92億円)でレアル・マドリードに放出した。これまでのチームを支えた立役者であったマルディーニ、アンチェロッティ、カカが次々に去っていったことに加え、レオナルドの経験不足やチームの高齢化、また選手補強が上手くいかないこともあって2009年夏のプレシーズンマッチはことごとく敗北を喫し、シーズン開幕後もインテルとのミラノダービーに0-4の大敗を喫したうえ、UEFAチャンピオンズリーグでも格下のFCチューリッヒにホームで敗れるなどしばらくは迷走が続いた。

しかし、4-3-3の布陣に活路を見出すと、これまで低迷していたロナウジーニョ、パトが調子を上げ始め、UEFAチャンピオンズリーグではクラブ史上初めてレアル・マドリードを敵地エスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウで破り、またリーグ戦でも連勝を飾るなど当初の不振から脱しつつある。また、2010年1月からシーズン終了までの期限付き移籍でロサンゼルス・ギャラクシーデビッド・ベッカムを再び獲得することが決定し、ノルウェーエリテセリエンフレドリクスタッドFKからドミニク・アディアーの獲得についても合意に達している。

[編集] ユニフォーム

ホームユニフォームは赤黒の縦じま。ただしUEFAチャンピオンズリーグインターコンチネンタルカップ等の決勝では上下白のセカンドを希望して着用することが多い。チャンピオンズリーグ7回の優勝のうち6回を白のセカンドユニフォームで勝ち取っている。 また、選手支給スーツはドルチェ・ガッバーナから提供される。

[編集] タイトル

[編集] 国内タイトル

1901, 1906, 1907, 1950-51, 1954-55, 1956-57, 1958-59, 1961-62, 1967-68, 1978-79, 1987-88, 1991-92, 1992-93, 1993-94, 1995-96, 1998-99, 2003-04,
1980-81, 1982-83
1966-67, 1971-72, 1972-73, 1976-77, 2002-03
1988, 1992, 1993, 1994, 2004

[編集] 国際タイトル

1969, 1989, 1990, 2007
1962-63, 1968-69, 1988-89, 1989-90, 1993-94, 2002-03, 2006-07
1967-68, 1972-73
1989, 1990, 1994, 2003, 2007
1951, 1956
1982

[編集] 過去の成績

シーズン セリエA コッパ・イタリア UEFACL UEFAカップ CWC(旧トヨタカップ
2008-2009 3位 38 22 8 8 70 35 ベスト16 ベスト32
2007-2008 5位 38 18 10 10 66 38 ベスト16 ベスト16 優勝
2006-2007 4位 38 19 12 7 57 36 ベスト4 優勝
2005-2006 2位→3位[2] 38 28 4 6 81 31 ベスト8 ベスト4
2004-2005 2位 38 23 10 5 63 28 ベスト8 準優勝
2003-2004 1位 34 25 7 2 65 24 ベスト4 ベスト8 準優勝
2002-2003 3位 34 18 7 9 55 30 優勝 優勝
2001-2002 4位 34 14 13 7 47 33 ベスト4 ベスト4
2000-2001 6位 34 12 13 9 56 46 ベスト4 2次リーグ
1999-2000 3位 34 16 13 5 65 40 ベスト8 1次リーグ
1998-1999 1位 34 20 10 4 59 34 ベスト16
1997-1998 10位 34 11 11 12 37 43 準優勝
1996-1997 11位 34 11 10 13 43 45 ベスト8 グループリーグ
1995-1996 1位 34 21 10 3 60 24 ベスト8 ベスト8
1994-1995 4位 34 17 9 8 53 32 ベスト16 準優勝 準優勝
1993-1994 1位 34 19 12 3 36 15 ベスト32 優勝 準優勝
1992-1993 1位 34 18 14 2 65 32 ベスト4 準優勝
1991-1992 1位 34 22 12 0 74 21 ベスト4
1990-1991 2位 34 18 10 6 46 19 ベスト8 ベスト8 優勝
1989-1990 2位 34 22 5 7 56 27 準優勝 優勝 優勝
1988-1989 3位 34 16 14 4 61 25 ベスト16 優勝
1987-1988 1位 30 17 11 2 43 14 ベスト16 2回戦

[編集] 現所属メンバー

2009年7月17日現在
No. Pos. 選手名
1 ブラジルの旗 GK ジーダ
4 グルジアの旗 DF カハ・カラーゼ
5 アメリカ合衆国の旗 DF オグチ・オニェウ
7 ブラジルの旗 FW アレシャンドレ・パト
8 イタリアの旗 MF ジェンナーロ・ガットゥーゾ副主将
9 イタリアの旗 FW フィリッポ・インザーギ
10 オランダの旗 MF クラレンス・セードルフ
11 オランダの旗 FW ヤン・フンテラール
12 イタリアの旗 GK クリスティアン・アッビアーティ
13 イタリアの旗 DF アレッサンドロ・ネスタ
15 イタリアの旗 DF ジャンルカ・ザンブロッタ
16 フランスの旗 MF マチュー・フラミニ
17 イタリアの旗 FW ジャンマルコ・ジゴーニ
18 チェコの旗 DF マレク・ヤンクロフスキ
No. Pos. 選手名
19 イタリアの旗 DF ジュゼッペ・ファヴァッリ
20 イタリアの旗 MF イグナツィオ・アバテ
21 イタリアの旗 MF アンドレア・ピルロ  (第3主将)
22 イタリアの旗 FW マルコ・ボリエッロ
23 イタリアの旗 MF マッシモ・アンブロジーニ主将captain
25 イタリアの旗 DF ダニエレ・ボネーラ
30 イタリアの旗 GK マルコ・ストラーリ
31 イタリアの旗 GK フラヴィオ・ローマ
33 ブラジルの旗 DF チアゴ・シウヴァ
44 イタリアの旗 DF マッシモ・オッド
49 イタリアの旗 MF ダヴィデ・ディ・ジェンナーロ
77 イタリアの旗 MF ルカ・アントニーニ
80 ブラジルの旗 FW ロナウジーニョ

[編集] ローン移籍選手

No. Pos. 選手名
ブラジルの旗 DF マルカス・ディニス (リヴォルノ、2010年6月まで)
ガボンの旗 FW ピエール=エメリク・オーバメヤン (リール、2010年6月まで)
36 イタリアの旗 DF マッテオ・ダルミアン (パドヴァ、2010年6月まで)
No. Pos. 選手名
ブラジルの旗 DF ジゴン (レッチェ、2010年6月まで)
ガボンの旗 FW ウィリー・オーバメヤン (オイペン、2010年6月まで)
ナイジェリアの旗 FW キングスレー・ウムネグム (ヴァレーゼ、2010年6月まで)

[編集] 09/10移籍

詳細は「en:List of Italian football transfers summer 2009」を参照

[編集] 歴代監督

氏名 国籍 期間
ハーバート・キルピン イングランドの旗 イングランド
エンゲルバート・クーニッヒ Flag of Austria.svg オーストリア 1928-1931
Jozsef Banas 1931-1933
Jozsef Violak 1933-1934
アドルフォ・バロンチェーリ Flag of Italy.svg イタリア 1935-1937
Joszef Banas 1937-1941
マリオ・マグノッティ Flag of Italy.svg イタリア 1941-1943
ジュゼッペ・サンタゴスティーノ Flag of Italy.svg イタリア 1943-1945
アドルフォ・バロンチェーリ Flag of Italy.svg イタリア 1945-1946
ジュゼッペ・ビゴーノ Flag of Italy.svg イタリア 1946-1949
ラヨス・セズラー Flag of Sweden.svg スウェーデン 1949-1952
エクトル・プリチェッリ Flag of Italy.svg イタリア 1954-1956
ジュゼッペ・ヴィアーニ Flag of Italy.svg イタリア 1956-1958
ルイジ・ボニッツォーニ Flag of Italy.svg イタリア 1958-1960
パオロ・トデスキーニ Flag of Italy.svg イタリア 1960-1961
ネレオ・ロッコ Flag of Italy.svg イタリア 1961-1963
ルイス・カニージャ 1963-1964
ニルス・リードホルム Flag of Sweden.svg スウェーデン 1964-1966
アルトゥーロ・シルベストリ Flag of Italy.svg イタリア 1966-1967
ネレオ・ロッコ Flag of Italy.svg イタリア 1967-1974
ジョバンニ・トラパットーニ Flag of Italy.svg イタリア 1974
グスタボ・ジアニョーニ 1974-1975
ジョバンニ・トラパットーニ Flag of Italy.svg イタリア 1975-1976
ジュゼッペ・マルキオーロ Flag of Italy.svg イタリア 1976-1977
ネレオ・ロッコ Flag of Italy.svg イタリア 1977
ニルス・リードホルム Flag of Sweden.svg スウェーデン 1977-1979
マッシモ・ジャコミーニ Flag of Italy.svg イタリア 1979-1981
ルイジ・ラディーチェ Flag of Italy.svg イタリア 1981-1982
エリオ・ガルビアーティ 1982
イラリオ・カスタニェル Flag of Italy.svg イタリア 1982-1984
エリオ・ガルビアーティ 1984
ニルス・リードホルム Flag of Sweden.svg スウェーデン 1984-1987
ファビオ・カペッロ Flag of Italy.svg イタリア 1987
アリゴ・サッキ Flag of Italy.svg イタリア 1987-1991
ファビオ・カペッロ Flag of Italy.svg イタリア 1991-1996
オスカル・ワシントン・タバレス Flag of Uruguay.svg ウルグアイ 1996
アリゴ・サッキ Flag of Italy.svg イタリア 1996-1997
ファビオ・カペッロ Flag of Italy.svg イタリア 1997-1998
アルベルト・ザッケローニ Flag of Italy.svg イタリア 1998-2001
チェーザレ・マルディーニ Flag of Italy.svg イタリア 2001
ファティ・テリム Flag of Turkey.svg トルコ 2001
カルロ・アンチェロッティ Flag of Italy.svg イタリア 2001-2009
レオナルド Flag of Brazil.svg ブラジル 2009

[編集] 永久欠番

[編集] 歴代所属選手

詳細は「Category:ACミランの選手」を参照

太字は現所属選手

[編集] GK

[編集] DF

[編集] MF

[編集] FW

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

  1. ^ A. C. Milan - The Club
  2. ^ 審判指名操作の不正行為により勝点を30減点されたため、最終順位が変更されている。カルチョ・スキャンダルを参照。

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ