マンチェスター・ユナイテッドFC

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マンチェスター・ユナイテッドFC
原語表記 Manchester United Football Club
愛称 The Red Devils
クラブカラー
創設年 1878年
所属リーグ プレミアリーグ
ホームタウン マンチェスター
ホームスタジアム オールド・トラッフォード
収容人数 76,212
代表者 アメリカ合衆国の旗 ジョエル英語版 & アヴラム・グレーザー英語版
監督 オランダの旗 ルイ・ファン・ハール
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

マンチェスター・ユナイテッド・フットボール・クラブ: Manchester United Football Club, イギリス英語発音[ˈmænʧistə juːˈnaitid ˈfutˌbɔːl klʌb] ンチスタ・ユーイティドゥ・トゥボール・クブ)は、グレーター・マンチェスタートラフォードに位置するオールド・トラッフォードを本拠地とするイングランドのサッカークラブである。愛称は赤い悪魔(Red Devils)。

概要[編集]

世界を代表するビッグクラブの一つであり、イングランドのフットボール史上最も成功を収めている。特に1986年に監督としてアレックス・ファーガソンが就任して以来、20の主要なタイトルを獲得し、近年では最も素晴らしい成績を残している。イングランドのトップリーグで最多となる20回の優勝を経験しており、リヴァプールの18回を超えている。1968年にはイングランドのクラブとして初めて、UEFAチャンピオンズカップ(現UEFAチャンピオンズリーグ)のトロフィーを掲げたクラブであり、その後、1999年2008年と通算3回の優勝を記録した。また、11度というFAカップの最多優勝記録を保持している。G-14(現・欧州クラブ協会)設立時からのメンバーである。

世界屈指の人気・規模を誇るクラブであり、2012年に大手市場調査会社であるカンター社によって、ファンの数は世界人口のおよそ11人に1人にあたる6億5,900万人と推定されており、フットボールに限らず全てのスポーツクラブの中で世界一ファンの多いクラブであることが判明した。2014年アメリカの経済誌『フォーブス』が発表したクラブの資産価値では、28億1000万ドルと算定されており、世界のサッカークラブの中ではレアル・マドリードFCバルセロナに次ぐ第3位である[1]。2012-13シーズンのクラブ収入は4億2380万ユーロと算定されており、レアル・マドリード、FCバルセロナ、バイエルン・ミュンヘンに次ぐ第4位である[2]

アメリカMLBニューヨーク・ヤンキースと業務提携を結んでいる。経済的優良クラブの典型とされてきたが、アメリカNFLタンパベイ・バッカニアーズのオーナーであるマルコム・グレーザーによって買収され、物議を醸している。マルコム・グレーザーによるクラブ支配に反対するサポーターの一部は、クラブの負債が3億2,000万ポンドに達していることに懸念し、新クラブFCユナイテッド・オブ・マンチェスターを結成した。

同じ市内にあるマンチェスター・シティとの「マンチェスター・ダービー」は、「マージーサイド・ダービー」(リヴァプールエヴァートン)、「ノース・ロンドン・ダービー」(アーセナルトッテナム)と並ぶ3大ダービーの一つに数えられ、世界でも有名なダービーマッチの一つである。また伝統的にライバル関係にあるとされるリバプールとの試合は、ノースウェスト・ダービーやイングランド・ダービーと呼ばれ、世界に数多く存在する「伝統の一戦」の一つに数えられており、毎回白熱した試合が繰り広げられている。この試合はイングランドにおけるナショナル・ダービーである。

伝統的に背番号7は特別なものとして扱われ、栄光の7番と言われている。ジョージ・ベストスティーヴ・コッペルブライアン・ロブソンエリック・カントナデビッド・ベッカムクリスティアーノ・ロナウドマイケル・オーウェンアンヘル・ディ・マリアといった栄華を極めた名手達によってそれは受け継がれている。

一般的な略称はユナイテッド(United)、マン・ユナイテッド(Man Utd、Man United)だが、一部の日本人は[要検証 ]マンU(ManU)などと呼ぶ。マンチェスター市内ではマンチェスター・シティーと区別する為にただ単にユナイテッドと呼ばれる場合が多いが、市外では他のユナイテッドとつくクラブと区別する為にマンチェスターをマンと略して呼ばれている。対するマンチェスター・シティーは市内ではシティー、市外ではマン・シティーと略されている。クラブは、1992年に設立されたプレミアリーグの創設時からのメンバーであり、1974-75シーズンを例外として、1938年からこれまで、イングランドのトップリーグに属している。また、1964-65シーズンからの6シーズン以外はイングランドのクラブでは最多の平均観客動員数を誇る。

2012年より日本におけるファン拡大を目的として、クレジットカード会社アプラスと提携し「マンチェスター・ユナイテッドカード」(ゴールドとスタンダード)の募集を開始した。

歴史[編集]

マット・バスビー
アレックス・ファーガソン

マンチェスターの鉄道員が中心となり、ニュートン・ヒース・ランカシャー&ヨークシャー・レイルウェイズFC (Newton HeaYR FC)として1878年に創立。初めの数年は殆ど公式試合はせず、自チーム内でや他の鉄道会社のチームと対戦していた。1882年から1883年の間に、26試合の親善試合をした記録が残っている。翌年、地元のカップ戦であるランカシャーカップに出場するも、1回戦で昨年のFAカップ覇者のブラックバーン・オリンピックのリザーブチームに7-2の敗戦。1885年にプロチームとなり、1892年にニュートン・ヒース (Newton Heath FC)に名称を変更し、運営を行っていたが、オーナーの方針で入場料を取らなかったことや、グランド移転などで費用がかさみ、1902年に一度破産する。その後、地元醸造業主のジョン・ヘンリー・デイヴィスが500ポンドをクラブに投資し、オーナーに就任して、クラブを再興した。その後、1902年にチーム名が変更され、マンチェスター・ユナイテッドとなる。名称変更前の2日間だけマンチェスター・セルティックという名称であった。

2日間だけではあるが、セルティックと名乗ったことでこのクラブがカトリック系であると思われることが多いが、このクラブはカトリックとは全くの無縁である。

今や名門となったチームだが、歴史の長いイングランド・フットボールリーグにおいて、意外にもその歴史はさほど古い方ではなく、また苦難の連続でもあった。草創期に2度のリーグ優勝後、1910年代から1950年頃までは低迷。第二次世界大戦時には空襲でオールド・トラフォードが被災し、戦後も資金不足から修復できず、マンチェスター・シティの本拠地(メイン・ロード)を拝借するといった有様だった。

1950年代に入り、マット・バスビーを監督としてチームの大改革を行い、復活を遂げたかに見えたが、その矢先ミュンヘンの悲劇で主力の多数を失った。これにより英国(グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国)のクラブチームとして初のヨーロッパでの栄光はスコットランドセルティックに譲ることになってしまう。ボビー・チャールトンジョージ・ベストらを擁して栄光を勝ち取る1960年代後半の後、1970年代に入り、世代交代に失敗。1974年には(1シーズンだけ)2部落ちの憂き目にも遭っている。ちなみに、マット・バスビーは当時からチームの愛称となっていたレッド・デビルスという名をクラブの商標や、エンブレムに使用した先駆者でもある。

長い低迷期を終わらせたのは、スコットランド人監督、アレックス・ファーガソンである。1986年に就任した彼は若手の育成と、暴れ馬と呼ばれた選手たちの融合に見事成功。現在に至る常勝軍団の系譜をスタートさせる。

FAプレミアリーグの優勝回数は12回で、最多優勝クラブ。旧フットボールリーグ・ファーストディビジョン時代を通じても、優勝19回は歴代1位。その他に、FAカップで11回、カーリングカップで2回、UEFAチャンピオンズリーグで3回、UEFAカップウィナーズカップで1回のタイトルを勝ち取っている。

中でも1998-99シーズンはクラブにとって特筆すべきシーズンである。ファーガソン監督の下、ユース時代から育て上げられたデビッド・ベッカムガリー・ネヴィルポール・スコールズライアン・ギグスら、いわゆる「ファーギーズ・フレッジリングス(アレックス・ファーガソンの雛鳥)」と呼ばれた選手達を中心に、UEFAチャンピオンズリーグ決勝では、バイエルン・ミュンヘンを劇的な逆転で下しヨーロッパ覇者となった(カンプ・ノウの奇跡)。さらにこのシーズンはリーグ優勝とFAカップ優勝を合わせたトレブル(三冠)を達成。ヨーロッパのサッカーシーンに「赤い悪魔」の名を轟かせた。このカンプ・ノウの奇跡の試合と、FAカップでライアン・ギクスが見せたハーフライン付近からのドリブルしてのゴールは今でもサポーターの中では語り継がれている。

ヨーロッパフットボール史において、他にUEFAチャンピオンズリーグ(旧UEFAチャンピオンズカップ時代を含む)、国内リーグ、国内カップを制し、3冠を成し遂げたのは、1966-67シーズンのセルティック、1971-72シーズンのアヤックス、1987-88シーズンのPSV、2008-09シーズンのバルセロナ、2009-2010シーズンのインテル、2012-2013シーズンのバイエルン・ミュンヘンである。

1995年には、イプスウィッチ戦でリーグレコードの9-0の大差で勝利。2005年10月29日ミドルスブラ戦でクリスティアーノ・ロナウドがマンチェスター・ユナイテッドとしてのイングランド・プレミアリーグの通算1,000ゴール目を記録。これはプレミア最速記録でもある。

このようにプレミアシップ発足後も高い実力と人気を兼ね備え、アーセナルとともに2強と呼ばれた。しかし2002-03シーズン以降はアーセナル(2003-04シーズンの無敗優勝)、チェルシー(2004-05、2005-06シーズンにかけての2連覇)からの王座奪還を目標としていた。そして、2006-07シーズンではリーグ2連覇をしていたチェルシーとの激闘を制し、2002-03シーズン以来4年ぶりのリーグ優勝を果たした。

2013年5月、27年間監督を務めたファーガソン監督が退任[3]、後任はエヴァートンFCを11年にわたり率いたデイヴィッド・モイーズが就任したが[4]スウォンジー・シティに史上初めてホームで敗戦を喫したり、プレミアリーグ以前も含めて史上初となるマージーサイド・ダービーの2強(エヴァートンとリヴァプール)に揃って2連敗するといった、記録的な敗戦も含めて成績が低迷しチャンピオンズリーグ出場権を逃した事(1994-95シーズン以来)により2014年4月22日、同シーズン限りでの解任が発表され[5]、2013-14シーズンの残りについてはライアン・ギグス(兼任コーチ)が暫定監督に就任すると発表した[6]。そしてチームは7位で終了。25年ぶりにヨーロッパのカップ戦を逃すこととなった。

2014年5月18日、オランダ代表を率いているルイ・ファン・ハールワールドカップ後の就任が決定した[7]。暫定監督を務めたライアン・ギグスは選手を引退しアシスタントコーチへの就任が決定。

2014年夏の移籍市場において、選手の補強費用に約260億円を投じた。ワールドカップブラジル大会で準優勝に輝いたアルゼンチン代表DFマルコス・ロホとMFアンヘル・ディ・マリアを、ファン・ハール監督のオランダ代表監督時代の教え子のダレイ・ブリントアスレティック・ビルバオからアンデル・エレーラサウサンプトンFCからルーク・ショー、移籍期限ギリギリになって、ASモナコからラダメル・ファルカオを獲得した。

タイトル[編集]

国内タイトル[編集]

国際タイトル[編集]

親善大会[編集]

現所属メンバー[編集]

  • 2014-2015年開幕メンバー

Soccer.Field Transparant.png

デ・ヘア
# 1
ラファエル
# 2
スモーリング
# 12
ブラケット
# 42
ロホ
# 5
プリント
# 17
ディ・マリア
# 7
ルーニー
# 10
エレーラ
# 21
マタ
# 8
ファンペルシ
# 20
2014年9月27日現在[8]
No. Pos. 選手名
1 スペインの旗 GK ダビド・デ・ヘア
2 ブラジルの旗 DF ラファエウ (Flag of Portugal.svg)
3 イングランドの旗 DF ルーク・ショー
4 イングランドの旗 DF フィル・ジョーンズ
5 アルゼンチンの旗 DF マルコス・ロホ
6 北アイルランドの旗 DF ジョニー・エヴァンス
7 アルゼンチンの旗 FW アンヘル・ディ・マリア (Flag of Italy.svg)
8 スペインの旗 MF フアン・マタ
9 コロンビアの旗 FW ラダメル・ファルカオ
10 イングランドの旗 FW ウェイン・ルーニー (Captain sports.svg)
11 ベルギーの旗 MF アドナン・ヤヌザイ (Flag of Kosovo.svg)
12 イングランドの旗 DF クリス・スモーリング
13 デンマークの旗 GK アンデルス・リンデゴーア
16 イングランドの旗 MF マイケル・キャリック
17 オランダの旗 MF ダレイ・ブリント
18 イングランドの旗 MF アシュリー・ヤング
20 オランダの旗 FW ロビン・ファン・ペルシ
No. Pos. 選手名
21 スペインの旗 MF アンデル・エレーラ
24 スコットランドの旗 MF ダレン・フレッチャー (副主将)
25 エクアドルの旗 MF アントニオ・バレンシア
28 ブラジルの旗 MF アンデルソン
31 ベルギーの旗 MF マルアン・フェライニ (Flag of Morocco.svg)
33 北アイルランドの旗 DF パディ・マクネア
35 イングランドの旗 MF ジェシー・リンガード
36 ベルギーの旗 DF マルニク・フェルミール
37 スイスの旗 DF サイディ・ヤンコ
39 イングランドの旗 DF トム・ソープ
40 イングランドの旗 GK ベン・エイモス
41 イングランドの旗 DF リース・ジェームズ
42 イングランドの旗 DF タイラー・ブラケット (Flag of Barbados.svg)
44 ブラジルの旗 MF アンドレアス・ペレイラ (Flag of Belgium.svg)
48 イングランドの旗 FW ウィル・キーン
49 イングランドの旗 FW ジェイムズ・ウィルソン
50 イングランドの旗 GK サム・ジョンストン

※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。

ローン移籍[編集]

in
No. Pos. 選手名
9 コロンビアの旗 FW ラダメル・ファルカオ (モナコ)
out
No. Pos. 選手名
14 メキシコの旗 FW ハビエル・エルナンデス (レアル・マドリード)
22 イングランドの旗 MF ニック・パウエル (レスター)
23 イングランドの旗 MF トム・クレヴァリー (アストン・ヴィラ)
29 イングランドの旗 FW ウィルフレッド・ザハ (クリスタル・パレス)
No. Pos. 選手名
30 ウルグアイの旗 DF ギジェルモ・バレラ (レアル・マドリードB)
38 イングランドの旗 DF マイケル・キーン (バーンリー)
-- ポルトガルの旗 MF ナニ (スポルティング・リスボン)
-- チリの旗 FW アンジェロ・エンリケス (ディナモ・ザグレブ)

リザーブ・アカデミー[編集]

歴代監督[編集]

氏名 国籍 期間
アルフレッド・ハロルド・アルバット イングランドの旗 イングランド 1892 - 1900
ジェームス・ウエスト イングランドの旗 イングランド 1900 - 1903
ジェームス・アーネスト・マングノール イングランドの旗 イングランド 1903 - 1912
ジョン・ベントレー イングランドの旗 イングランド 1912 - 1914
ジョン・ロブソン イングランドの旗 イングランド 1914 - 1921
ジョン・チャップマン イングランドの旗 イングランド 1921 - 1926
ラル・ヒルディッチ イングランドの旗 イングランド 1926 - 1927
ハーバート・バムレット イングランドの旗 イングランド 1927 - 1931
ウォルター・クリックマー イングランドの旗 イングランド 1931 - 1932
スコット・ダンカン スコットランドの旗 スコットランド 1932 - 1937
ウォルター・クリックマー イングランドの旗 イングランド 1937 - 1945
マット・バスビー スコットランドの旗 スコットランド 1945 - 1969
ウィルフレッド・マクギネス イングランドの旗 イングランド 1969 - 1970
マット・バスビー スコットランドの旗 スコットランド 1970 - 1971
フランク・オファレル アイルランド共和国の旗 アイルランド 1971 - 1972
トミー・ドハーティー スコットランドの旗 スコットランド 1972 - 1977
デーブ・セクストン イングランドの旗 イングランド 1977 - 1981
ロン・アトキンソン イングランドの旗 イングランド 1981 - 1986
アレックス・ファーガソン スコットランドの旗 スコットランド 1986 - 2013
デイヴィッド・モイーズ スコットランドの旗 スコットランド 2013 - 2014
ライアン・ギグス(暫定) ウェールズの旗 ウェールズ 2014
ルイ・ファン・ハール オランダの旗 オランダ 2014-

歴代在籍選手[編集]

GK[編集]

DF[編集]


MF[編集]


FW[編集]


練習場[編集]

トラッフォード・トレーニング・センター英語版。2000年にザ・クリフ英語版から当地に移転。現在は、スポンサー名を冠しAon Training Complexが正式名称。また、単に施設所在地の地名からキャリントンとも呼ばれている。

スポンサー[編集]

年度 メーカー 胸 スポンサー
1945–1975 Umbro none
1975–1980 Admiral
1980–1982 Adidas
1982–1992 SHARP
1992–2000 Umbro
2000–2002 Vodafone
2002–2006 Nike
2006–2010 AIG
2010–2014 Aon
2014–2015 Chevrolet

公式パートナー[編集]

  • 東芝メディカルシステムズ(2013)

関連項目[編集]

脚注[編集]