デビッド・ベッカム
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| デビッド・ベッカム | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| 本名 | デイヴィッド・ロバート・ジョセフ・ベッカム | |
| 愛称 | Becks、貴公子 | |
| ラテン文字 | David Robert Joseph BECKHAM | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1975年5月2日(33歳) | |
| 出身地 | ロンドン(レイトンストーン) | |
| 身長 | 182cm | |
| 体重 | 74kg | |
| 選手情報 | ||
| 在籍チーム | ||
| ポジション | MF | |
| 背番号 | 23 | |
| 利き足 | 右足
|
|
| 代表歴 | ||
| 出場 | 100 | |
| 得点 | 17 2008年3月26日現在 |
|
デイヴィッド・ロバート・ジョセフ・ベッカム OBE(David Robert Joseph Beckham OBE、1975年5月2日 - )は、イギリス(イングランド)出身の同国代表、メジャーリーグサッカー・ロサンゼルス・ギャラクシー所属のサッカー選手。ポジションはMF(主に右サイドハーフ)。
愛称は「貴公子」「Becks」。日本では、「ベッカム様」とも。妻は元スパイス・ガールズのヴィクトリア・ベッカム(ヴィクトリア・アダムス)。
目次 |
[編集] 人物
多くの企業とスポンサー契約を交わし、幾多の広告・テレビコマーシャルにも出演。現在は世界第一位のお金持ちサッカー選手である。ロンドン郊外に大邸宅を構えており、「ベッキンガム宮殿」と呼ばれている。
イングランド代表として100試合出場を達成した数少ない選手のうちの一人。一度マクラーレン監督に電話で「もう扉は閉ざされた」と言われ、構想外を告げられるが、所属クラブでの活躍を認められ代表に復帰した。
2006年には自身が強迫性障害であることをメディアに告白した。
[編集] プレースタイル
右足の正確なクロスボールとロングパスを得意とする右サイドの典型的なクロッサー、またFKの精度も非常に高く、特に鋭く曲がったFKを得意としている。世界屈指のプレースキッカーとしても知られる。サイドからの組み立てだけでなく運動量も豊富で守備の貢献度も高い。
また、周りの選手と連携することにも優れ、パス交換などからフリーになり、ピンポイントの正確なクロスを上げる。正確なクロスは確実に味方のアシストにつながることが多い。寸分の狂いもないサイドチェンジも彼の武器である。 欠点としてはサイドアタッカーとしてのスピード、ボールコントロール、そして左足でのプレーに難がある。ボールコントロールに関して、トラップ自体は正確なのだがその後のプレーが安定しないことが難点である。しかし逆に言えば、彼がボールをトラップし、中を見て、クロスを上げるという一連のプレーをするための約1.5秒程度の時間があれば、世界最高のボールをエリア内の選手に供給することができる。
華麗な容姿とメディアイメージとは裏腹に泥臭いプレーも厭わず、どのような試合でも手を抜かずにフォア・ザ・チームに徹するためにそのメンタリティーでチームにとっては非常に重宝される。
[編集] 略歴
[編集] クラブでの活躍
マンチェスター・ユナイテッド下部組織からの生え抜きであり、ファーガソン監督の目に止まったことを機に、若くしてアタッカー的役割を任せられた。エースの証である背番号7を背負い、トレブルを達成した98/99シーズンのCLではMVPにも輝いた。後期はクラブのエース・顔として君臨し、中盤の右サイドでプレイし正確なクロスを上げチャンスを演出していた。
レアル・マドリードに移籍後は会長の意向を具現化するように、右にベッカム、左にフィーゴ、中にジダンという並びにしたが、このマドリーの中盤前線で明らかにボールキープのテクニックが劣るベッカムは機能せず(またチーム自体がハイクロスを必要としていなかったため)余りにもバランスが悪く守備に負担が掛かるために、フィーゴを右に戻し、ベッカムを1列下がったポジションでプレイさせることになった。これにより彼は尊敬するブライアン・ロブソンと同じポジションをすることになった。しかしフィードでは貢献したもののピボーテとしては機能しなかったため、フィーゴの退団後は中盤の右サイドでプレイし、ルシェンブルゴ監督下では徐々に本来の輝きを取り戻すに至った。しかし、カペッロ監督の構想から外れ、新加入のレジェスとロビーニョにポジションを奪われた。
2007年1月12日、レアル・マドリードとの契約は延長せずメジャーリーグサッカー所属のクラブチーム、ロサンゼルス・ギャラクシーと2007年8月から5年契約を結ぶことを明らかにした。するとカペッロは「シーズン中に移籍を決めた選手は忠誠心がない」としてベッカムを出場させない決断をしていたが、常に練習を懸命に行う彼の姿を見てラウールやグティがカペッロに出場を懇願し、カペッロもレアル・ソシエダ戦にて撤回した。そして、シーズン終盤には再びポジションを獲り戻す。ベッカム復帰後、沈みかけていたチームは再浮上することに成功、4年振り30度目のリーガ制覇を成し遂げた。
この成果に復帰後のベッカムの多大な貢献があったことは確実視され、マドリーファンの多くやメディアを中心に彼を冷遇した監督ないしクラブ上層に対する批判が少なからず行われた。後にカペッロは「賢者は過ちを繰り返さない。」と自分のミスを認める発言を行っている。またシーズン終了後のインタビューでカペッロは「私がシーズン中犯した重大な一つのミスはベッカムの力を見誤った事だ」とも明かしているが、二人の関係は修復されたようである。
その後一部報道ではレアル・マドリードが150億円に上る大金を用意し残留交渉を行っているとも報じられたが、当初の予定通りロサンゼルス・ギャラクシーへ移籍した。
[編集] 代表での活躍
1996年の代表デビュー以来、代表に定着。
1998年のフランスW杯では決勝トーナメント一回戦のアルゼンチン戦でシメオネに報復攻撃を加え退場するなど血気盛んなこともあった(「10人のライオンと1人の愚かな若者」という標語をつけられた)。
W杯での屈辱の後、ファンからの執拗なブーイングや最愛の息子の誘拐など数々の苦難が待ち受けており、もはやサッカー選手として国内ではプレイできないのでは?との声もあがっていた。
だが日韓W杯欧州予選最終戦の対ギリシャ戦、1-2とリードされている後半ロスタイム、同点となるフリーキック(「シェリンガムに蹴りたいと言われ迷ったが、自分で蹴ることに決めた。」と後に語っている)を決めワールドカップ出場へと導いた(ドイツがフィンランドとの試合を引き分けで終えていたため)。(余談だが、後にこのフリーキックは物理学者によって研究されている。)それ以来、ベッカムが戦犯扱いを受ける事はなくなり、それどころか今では「救世主」とまで呼ばれている。
4年後のドイツW杯までキャプテンとしてイングランドを引っ張ってきたベッカムだったが、ドイツW杯の後に会見で「代表主将の座を退く」と発言した。そして新しく就任したマクラーレン監督の下、新体制のメンバー発表でベッカムは代表メンバーの選考から漏れてしまった。
しかし、その後イングランド代表は不振が続いた反面、レアル・マドリードで再び出場機会を得た後のベッカムは好調な状態を見せていたことなどから、2007年6月1日に行われたブラジル代表との親善試合のメンバーとして約一年ぶりの代表復帰を果たす事となった。そしてその試合で、新主将であるジョン・テリーの頭上に見事なクロスを上げアシスト。ユーロ2008予選エストニア戦では、クラウチ、オーウェンに見事なアシストを決めた。マクラーレンも彼に対して「今の彼以上の右サイドの選手は、世界中探してもいないだろう」と評価を改めている。なお、本人は代表キャップ100を目指しているようだ。ロサンゼルス・ギャラクシーに移籍後も代表には召集されているが、召集する際の移動距離の長さが懸念されている。
なお、欧州選手権の予選敗退の責を問われたマクラーレンが代表監督を解任された後、後任の監督に就任したのはレアル・マドリード在籍時代に彼を構想から外したことのあるカペッロであったため、代表に召集されるかどうかは微妙、との声がある。 しかし当のベッカム本人の代表への情熱は冷めることなく、2007年の暮れから年明けにかけてロンドンのクラブ、アーセナルの練習場でセスク・ファブレガスら若手の選手と混じって練習を行った。彼の真摯な練習態度を見ていたアーセナルのヴェンゲル監督は、「どのチームでも彼は十分活躍出来る」と太鼓判を押した。 なお、以前からベッカムは「マンチェスター・ユナイテッド以外のイングランドのクラブではプレーしない」と公言していただけに、この練習参加はイングランド国内ではかなりの話題となった。
しかし2008年の1月にカペッロが発表した代表メンバーにベッカムの名前は無く、カペッロが2010年の南アフリカW杯を目指している以上、「今後も召集されることは無いのでは?」との声があった。だが、カペッロ自体はベッカムを召集する意思をもっていた。 そして同年3月26日、スタッド・ド・フランスで行われたフランス代表との親善試合で、ついに再び代表に召集される。そこでスターティングメンバーとして代表100キャップ目を記録し、イングランド代表において金字塔を打ち立てた。
[編集] 「ベッカム様」
2002年W杯以降、持ち前の甘いマスクで日本の女性たちから絶大な人気を獲得し、電通が付けたアダ名が「ベッカム様」。ソフトバンクモバイル(旧・ボーダフォン日本法人)、ペプシコーラ、アディダス、東京ビューティーセンター (TBC)、明治製菓、リニューカー、M702iS(NTTドコモ)などのテレビCM出演でもお馴染みとなった。彼が来日する際には空港に多くのファンが殺到し、“ベッカム様フィーバー”を引き起こす。
プレミアシップ発足後、マンチェスター・ユナイテッド(プレミアシップ優勝8回)をはじめ、多くのタイトル獲得に(特に1998年のフランスW杯での失態以降は)貢献した。しかし、チームの勢いが失墜し始めた頃、ファーガソン監督との確執が露呈し試合でもスタメン出場の機会が減り始めた。ベッカムのプレーからは泥臭さが消え、勝負をしかけることも少なくなっていった。ファーガソンは「昔はあんな奴じゃなかった」と語り、その原因が妻のヴィクトリアにあることをほのめかした。この確執が原因で、03-04シーズンからレアル・マドリードに移籍した。この移籍の直後、マンチェスター・ユナイテッドはクリスティアーノ・ロナウドを獲得し、背番号7は彼がつけている。しかし、本人はインタビューにて「僕がイングランドに帰るとしたら、マンチェスター・ユナイテッドにしか行くつもりはないし、親父(ファーガソン)のことは今でも尊敬している」と語っている(ファーガソン自身も「デビッドの心には常にユナイテッドがある。」と語っている)。
2007年、欧州選抜リーグ対マンチェスターユナイテッドの親善試合で欧州選抜に選ばれたものの怪我の為出場できなかったベッカムが、ハーフタイムで4年ぶりにオールド・トラフォードに現れてファンに挨拶をした。この時ユナイテッドのファンから盛大な拍手で迎え入れられた。 またこの事についてファーガソンも「デビッドはサポーターにきちんとさよならを言えずにスペインに行ったから、サポーターは喜ぶだろうね、とてもファンタスティクな事」と歓迎した。
なお、マンチェスター・ユナイテッド在籍最後の2002-03シーズンはプレミアシップ優勝を果たしており、ベッカム移籍後のクラブは2002-03以来、FAカップ、リーグカップのタイトルは獲得しているものの、2006-07シーズンにリーグ優勝するまで遠ざかっていた。また、現在所属するレアル・マドリードも2002-03のリーグ優勝以来3シーズン連続で無冠に終わっている。
主に右サイドのMFとしてプレーしているが、本人はセンターハーフを好んでいる。これはもちろんブライアン・ロブソンの影響である。しかし、右サイドを自分が一番活きるポジションだとも言っており、右サイドの方がやりやすいという自覚も持っているようだ。
その容姿からマーケティング面での貢献が非常に高く、レアル・マドリードは彼を獲得するために用意した約46億円ともいわれる移籍金を、彼のユニフォームの売上代金のみで取り戻したとも言われる。一方、チームは彼が加入して以来優勝から遠ざかってしまったことから、ファンからは「彼がレアルにした貢献はユニフォームの売り上げを伸ばしたことだけだ」と皮肉られた。
鳴り物入りでレアル・マドリードに加入したが、2006年まで優勝を経験していなかった。攻撃的なスター選手の多いチームにおいては、守備的な選手の重要性が問われており、特にベッカム獲得の代償としてマケレレを放出したことはレアル・マドリードにとって最大の失敗と言われている。それ以降3シーズン守備が安定せず、カマーチョ以後の監督の必須命題になっているがカペッロ・ミヤトビッチ体制になっても変わっていないことから、ベッカム本人の問題の域を超えている。2007年シーズンで念願の優勝を果たし批判を打ち消した。
ベッカムがレアル・マドリードとの契約延長にサインせず、アメリカ・ロサンゼルスギャラクシーへの移籍を発表した際、レアルのカルデロン会長はマドリー市内の大学の講義でチーム内の非難発言を繰り返した。その中で「ベッカムはアメリカ以外のどのチームからもオファーはなかった。彼はアメリカに行ってハリウッドスターにでもなるのだろう」と発言し、発言を録音していた学生からラジオ局に流れ大問題に発展した。しかし実際はACミランやイングランドの複数のクラブからオファーがあった事が後に明るみになり、会長はミーティングの席でベッカムに謝罪した。
またこの一連の騒動に関してシーズン終了後に元チームメイトであるジダンは「レアル・マドリードは重大なミスを犯した。ベッカムを手放した事で来シーズン代わりの選手を探さなければならない。まぁ彼と同等の選手を探す事は不可能に近いだろうけどね」と語っている。
レアル・マドリードに加入した際、背番号7はラウールが既に着用しており、ベッカムの背番号に注目が集まったが、その番号はなんと23番であった。驚きをもって迎えられたが、「マイケル・ジョーダンを尊敬していて、それにちなんだ」と報道されたが、のちに本人が「空いている番号でどれでもよかった」と語った。
[編集] その他
- 幼少の頃からマンチェスターUの試合を必ずと言っていいほど正装で観戦し、かなりの敬意を表していた。また、欧州遠征で日本代表と対戦したときはジーコ監督(当時)に「小さい頃からファンだった」と試合前に正装をして挨拶に行ったこともある。
- ベッカムの身体の各所には、妻や子供たちの名前がタトゥーとして刻まれている。左腕には、インドのヒンディー語等の言語で使用されるデーヴァナーガリー文字で『VHIKTORIYA』と彫られている。デーヴァナーガリー文字にはCの音をあらわす文字がないので、代わりにKが用いられる。英単語の語尾のAがYAに変わるのはインド英語の特徴である。VHIはスペル間違いである。
- 2002年日韓ワールドカップの際のヘアースタイル(ソフトモヒカン)が「ベッカムヘアー」と称され人気に。またその当時、イングランド代表のキャンプ地であった兵庫県の淡路島に滞在していた事もあり、神戸近郊によく出没していた。神戸市にある神戸大丸百貨店で閉店後に店舗を貸し切り、買い物をしたこともある。
- 明治製菓のバレンタインデーイベントで、チョコレート製の巨大ベッカム像が作られた。
- レアル・マドリードの一員として来日した際、各メディア取材のはしご状態となったが、そのさ中「めちゃ×2イケてるッ!」(フジテレビ)「やべっち寿司」に出演し、彼が座った席は赤い座布団が縫いつけられている。また、「SMAP×SMAP」(フジテレビ系)の1コーナー「ビストロSMAP」では、チームの同僚のグティと出演している。
- 2003年、アディダスのラグビーCMで、ラグビー・イングランド代表、スタンドオフのジョニー・ウィルキンソンと競演。持ち前のキックセンスで、ラグビーのゴールキックも見事に決める。トルコ戦のPKの大ミスを「ウィルキンソンに影響されたから」とジョークにされた会見は有名である。ジョニー・ウィルキンソンは、「ラグビー界のベッカム」と言われている。
- 日本に限った話であるが、ヨーロッパ出身で、容姿の優れたヨーロッパ出身のスポーツ選手を「○○界のベッカム」と呼ぶことがある(上記のジョニー・ウィルキンソンや、角界のベッカム:琴欧洲)
- ロンドン近郊イーストロンドン、レイトンストーン育ちの為、下町言葉コックニー(Cockney:ロンドン下町訛り)を話す。
- 少年時代、天才サッカー少年としてテレビで紹介されたことがある。
- 2006年1月に愛車「BMW・X5」を盗まれるという被害に遭う。その車が2007年4月になりマケドニア共和国内務省大臣公用車になっていることが判明。ベッカムの熱狂的なファンだった内務省大臣(女性)は「取り戻したければマケドニアまで本人が取りに来ることが条件」と発言した。
- ドイツワールドカップの欧州予選 北アイルランド対イングランド戦で相手DFの執拗なマークにあい感情をむき出しにしているチームメイトのルーニーを宥めているシーンもありイギリスの言葉で『サッカーは、子供を大人にし 大人を紳士にする』という言葉のように精神的にもチームのキャプテンとして成長した様子が伺える。
- フランス・フットボール誌が2008年4月に発表した世界のサッカー選手の年収ランキングで第一位(3100万ユーロ(約50億円))に選ばれた。
- 趣味は切手集めとテディベアのコレクション。オークションで1800ポンドのテディベアをEBAYで購入したことが英国のBBCニュースで流れたことがある。
[編集] 所属クラブ
- 1991年-1994年
マンチェスター・ユナイテッドFC
- →1994年-1995年
プレストン・ノースエンドFC (レンタル移籍)
- 1995年-2003年
マンチェスター・ユナイテッドFC - 2003年-2007年
レアル・マドリード - 2007年-現在
ロサンゼルス・ギャラクシー
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| イングランド | リーグ戦 | FLカップ | FAカップ | 期間通算 | |||||||
| 1991-92 | マンチェスターU | ディヴィジョン1 | 0 | 0 | |||||||
| 1992-93 | マンチェスターU | プレミア | 0 | 0 | |||||||
| 1993-94 | マンチェスターU | プレミア | 0 | 0 | |||||||
| 1994-95 | マンチェスターU | プレミア | 4 | 0 | |||||||
| 1994-95 | プレストン・ノースエンド | ディヴィジョン3 | 5 | 2 | |||||||
| 1995-96 | マンチェスターU | 24 | プレミア | 33 | 7 | ||||||
| 1996-97 | マンチェスターU | 10 | プレミア | 36 | 8 | ||||||
| 1997-98 | マンチェスターU | 7 | プレミア | 37 | 9 | ||||||
| 1998-99 | マンチェスターU | 7 | プレミア | 34 | 6 | ||||||
| 1999-00 | マンチェスターU | 7 | プレミア | 31 | 6 | ||||||
| 2000-01 | マンチェスターU | 7 | プレミア | 31 | 9 | ||||||
| 2001-02 | マンチェスターU | 7 | プレミア | 28 | 11 | ||||||
| 2002-03 | マンチェスターU | 7 | プレミア | 31 | 6 | ||||||
| スペイン | リーグ戦 | 国王杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 2003-04 | R・マドリード | 23 | プリメーラ | 32 | 3 | ||||||
| 2004-05 | R・マドリード | 23 | プリメーラ | 30 | 4 | ||||||
| 2005-06 | R・マドリード | 23 | プリメーラ | 31 | 3 | ||||||
| 2006-07 | R・マドリード | 23 | プリメーラ | 23 | 3 | ||||||
| アメリカ/アメリカ | リーグ戦 | リーグ杯 | USオープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 2007 | ギャラクシー | 23 | MLS | 5 | 0 | ||||||
| 2008 | ギャラクシー | 23 | MLS | ||||||||
| 通算 | イングランド | プレミア | 296 | 62 | |||||||
| イングランド | ディヴィジョン1 | 0 | 0 | ||||||||
| イングランド | ディヴィジョン3 | 5 | 2 | ||||||||
| スペイン | プリメーラ | 116 | 13 | ||||||||
| アメリカ | MLS | 5 | 0 | ||||||||
| 総通算 | 422 | 77 | |||||||||
[編集] 主な記録
- 練習生契約:1991年7月8日
- プロ契約:1993年1月23日
- 初出場:1992年9月23日 対ブライトン・アンド・ホーブ戦(リーグカップ、途中出場)
- リーグ戦初出場:1995年4月2日 対リーズ・ユナイテッド戦
- 初ゴール:1994年12月7日 対ガラタサライ戦(UEFAチャンピオンズリーグ)
[編集] 獲得タイトル
- UEFAチャンピオンズリーグ:'98-'99
- プレミアリーグ:'95-'96、'96'-97、'98-'99、'99-'00、'00-'01、'02-'03
- FAカップ:'95-'96、'98-'99
- リーガ・エスパニョーラ:'06'-07
- PFA最優秀若手選手賞(PFA Young Player of the Year):1997年
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
| 先代: ロナウド |
UEFAチャンピオンズリーグMVP 1998-1999 |
次代: フェルナンド・レドンド |
| イングランド代表 - 1998 FIFAワールドカップ | ||
|---|---|---|
|
1 シーマン | 2 キャンベル | 3 ル・ソー | 4 インス | 5 アダムス | 6 サウスゲート | 7 ベッカム | 8 バッティ | 9 シアラー | 10 シェリンガム | 11 マクマナマン | 12 ネヴィル | 13 マーティン | 14 アンダートン | 15 マーソン | 16 スコールズ | 17 リー | 18 キーオン | 19 L.ファーディナンド | 20 オーウェン | 21 R.ファーディナンド | 22 フラワーズ | 監督: ホドル |
||
| イングランド代表 - 2002 FIFAワールドカップ | ||
|---|---|---|
|
1 シーマン | 2 ミルズ | 3 A.コール | 4 シンクレア | 5 ファーディナンド | 6 キャンベル | 7 ベッカム | 8 スコールズ | 9 ファウラー | 10 オーウェン | 11 ヘスキー | 12 ブラウン | 13 マーティン | 14 ブリッジ | 15 キーオン | 16 サウスゲート | 17 シェリンガム | 18 ハーグリーヴス | 19 J.コール | 20 ヴァッセル | 21 バット | 22 ジェームス | 23 ダイアー | 監督: エリクソン |
||
| イングランド代表 - 2006 FIFAワールドカップ | ||
|---|---|---|
|
1 ロビンソン | 2 ネヴィル | 3 A.コール | 4 ジェラード | 5 ファーディナンド | 6 テリー | 7 ベッカム | 8 ランパード | 9 ルーニー | 10 オーウェン | 11 J.コール | 12 キャンベル | 13 ジェームス | 14 ブリッジ | 15 キャラガー | 16 ハーグリーヴス | 17 ジェナス | 18 キャリック | 19 レノン | 20 ダウニング | 21 クラウチ | 22 カーソン | 23 ウォルコット | 監督: エリクソン |
||

