ラルフ・ラングニック
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| 名前 | ||||
| 愛称 | プロフェッソア(教授)[1] | |||
| ラテン文字 | Ralf Rangnick | |||
| 基本情報 | ||||
| 国籍 | ||||
| 生年月日 | 1958年6月29日(53歳) | |||
| 出身地 | バックナング | |||
| 身長 | 181cm | |||
| 選手情報 | ||||
| ポジション | MF | |||
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ラルフ・ラングニック(Ralf Rangnick,1958年6月29日 - )は、ドイツ出身の元サッカー選手、サッカー指導者。
目次 |
[編集] 経歴
VfBシュツットガルトに在籍するも、プロにはなれなかった。アマチュアのクラブでプレーし、選手兼監督を務めることもあった。1996-97シーズンにはSSVウルム1846を2部に昇格させ、VfBシュツットガルトの監督に抜擢された。1999-2000シーズンのドイツ・カップ準優勝、UEFAカップベスト16など結果を残した。2001年にハノーファー96の監督に就任すると1部昇格を果たした。2004-05シーズン途中に就任したシャルケ04では就任1年目からリーグ戦2位の成績を残した。しかし、当時のゼネラル・マネージャー、ルディ・アサウアーとの確執が囁かれ、2005-06シーズン終了時の退任を決断していたが[2]、辞任する前の2005年12月12日に解任された。2006年夏、ディートマー・ホップオーナーの招きでドリッテリーガ(3部)にいたTSG1899ホッフェンハイムの監督に就任し、わずか2年でブンデスリーガ(1部)に昇格させた。その後も、チームに躍進に貢献するも、2011年1月2日、クラブがラングニックの承認なしに、主力選手のルイス・グスタヴォをバイエルン・ミュンヘンへ売却したことを理由に、首脳陣と衝突し、ホッフェンハイムの監督を辞任すると発表した[3]。2011年3月17日、ブンデスリーガでの成績不振により解任されたフェリックス・マガトに代わってシャルケ04の監督に再就任することが発表された[4]。 9月22日に健康上の理由で辞任した[5]。
[編集] 所属クラブ
VfBシュツットガルトⅡ
サウスウィックFC
FCハイルブロン
SSVウルム1846
ビクトリア・バックナング
TSV Lippoldsweiler
[編集] 指導クラブ
- 1983-1985
ビクトリア・バックナング (選手兼任監督) - 1987-1988
TSV Lippoldsweiler (選手兼任監督) - 1988-1990
SCコルプ - 1995-1996
SSVロイトリンゲン - 1997-1999
SSVウルム1846 - 1999-2001
VfBシュツットガルト - 2001-2004
ハノーファー96 - 2004-2005
シャルケ04 - 2006-2011
TSG1899ホッフェンハイム - 2011
シャルケ04
[編集] 脚注
- ^ “内田所属のシャルケ04、マガト前監督の後任にラングニック氏”. スポーツナビ (2011年3月18日). 2011年3月23日閲覧。
- ^ “ラングニック監督、今季限りで退任”. UEFA.com (2005年12月9日). 2011年3月23日閲覧。
- ^ “ホッフェンハイムのラングニック監督が辞任”. サッカーキング (2011年1月3日). 2011年3月23日閲覧。
- ^ “シャルケ新監督はラングニック”. Goal.com (2011年3月18日). 2011年3月23日閲覧。
- ^ “内田所属のシャルケ、ラングニック監督が電撃辞任”. Soccer King (2011年9月22日). 2011年9月22日閲覧。