マイケル・キャリック
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| 名前 | ||||
| 本名 | Michael Adrian Carrick | |||
| カタカナ | マイケル・アドリアン・キャリック | |||
| ラテン文字 | Michael CARRICK | |||
| 基本情報 | ||||
| 国籍 | ||||
| 生年月日 | 1981年7月28日(30歳) | |||
| 出身地 | ウォールズエンド | |||
| 身長 | 189cm | |||
| 体重 | 85kg | |||
| 選手情報 | ||||
| 在籍チーム | ||||
| ポジション | MF (DH, CH) | |||
| 背番号 | 16 | |||
| 利き足 | 右足 | |||
| 代表歴 2 | ||||
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| 2. 2010年2月7日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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マイケル・キャリック(Michael Adrian Carrick, 1981年7月28日 - )はイギリス出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。
[編集] 経歴
ニューカッスル近郊にあるウォールズエンド・ボーイズクラブ出身で1999年にトップチーム昇格を果たすも経験を積むために下部リーグのクラブへと移る。レンタル移籍でバーミンガム・シティFCへと移った後ウェストハム・ユナイテッドFCへ復帰、ここでようやくプレミアリーグデビューを果たす。ちなみにこの時までのポジションはFWだったがボランチへとコンバートされ才能を開花、不動のレギュラーとなる。チームの降格の際も移籍を望まずそのまま1シーズンプレー、プレミアリーグ復帰を目指して奮起した。しかしプレーオフでクリスタル・パレスFCに敗戦し昇格の望みを絶たれたことによってトッテナム・ホットスパーFCへ移籍を決断する。ここでも彼は存在感を示した。
2001年に19歳で代表デビューしたがその後は代表から遠ざかるも2005年に復帰を果たしている。
アーセン・ベンゲルはエマニュエル・プティがアーセナルから退団した時「今最も欲しいイングランドのプレーヤーはキャリック」と語り、またウェストハムの監督だったフランク・ランパード・シニアは「彼はグレン・ホドルのようになる」と評した。
2006-2007シーズンから、マンチェスター・ユナイテッドでプレーすることが決まった。このときの移籍金は2700万ユーロ(約39億円)。
2009-2010シーズンはポール・スコールズやライアン・ギグスなどとポジション争いをしている。
2009-2010シーズンのチャンピオンズリーグVfLヴォルフスブルク戦を前にDF登録の選手がSBのパトリス・エヴラ以外負傷離脱という危機的状況に陥ってしまった為、急遽CBでダレン・フレッチャーとコンビを組みプレー。 試合は終始劣勢ながらも1失点に抑え、敵地でドイツ王者を相手に3-1の勝利に貢献。その後ネマニャ・ヴィディッチ、ウェズ・ブラウンなどが復帰するも再び離脱してしまい、プレミアリーグフラムFC戦は再びフレッチャーとCBでコンビを組みプレーするもボビー・ザモラに再三にわたってポストプレーを許しピンチを招くと3-0で完敗する。
[編集] 所属クラブ
- 1998年-1999年
ウェストハム・ユナイテッドFC - 1999年
スウィンドン・タウンFC - 2000年
バーミンガム・シティFC - 2000年-2004年
ウェストハム・ユナイテッドFC - 2004年-2006年
トッテナム・ホットスパーFC - 2006年-現在
マンチェスター・ユナイテッドFC
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1 デ・ヘア | 3 エヴラ | 4 ジョーンズ | 5 ファーディナンド | 6 エヴァンズ | 7 オーウェン | 8 アンデルソン | 9 ベルバトフ | 10 ルーニー | 11 ギグス | 12 スモーリング | 13 朴 | 14 エルナンデス | 15 ヴィディッチ | 16 キャリック | 17 ナニ | 18 ヤング | 19 ウェルベック | 20 ファビオ | 21 ラファエウ | 22 スコールズ | 23 クレヴァリー | 24 フレッチャー | 25 バレンシア | 29 クシュチャク | 30 デ・ラエト | 34 リンデゴーア | 40 エイモス | 42 ポグバ | 48 キーン | 50 ジョンストン | 51 フライアーズ 監督: ファーガソン |
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