ジョゼ・モウリーニョ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
Flag of Portugal.svg この名前はポルトガルの命名慣習に従っています。第一のあるいは母方のはサントス、第二のあるいは父方の姓はモウリーニョ・フェリックスです。
ジョゼ・モウリーニョ Football pictogram.svg
Mourinho Madrid.jpg
名前
本名 ジョゼ・マリオ・ドス・サントス・
モウリーニョ・フェリックス
愛称 スペシャルワン
ラテン文字 José Mario Santos
MOURINHO Felix
基本情報
国籍 ポルトガルの旗 ポルトガル
生年月日 1963年1月26日(51歳)
出身地 セトゥーバル
身長 177cm[1]
体重 74kg[1]
選手情報
ポジション CMF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1980–1982 ポルトガルの旗 リオ・アヴェ 16 (2)
1982–1983 ポルトガルの旗 ベレネンセス 16 (2)
1983–1985 ポルトガルの旗 セジンブラ 35 (1)
1985–1987 ポルトガルの旗 コメルシオ・エ・インドゥストリア 27 (8)
通算 94 (13)
監督歴
1992–1993 ポルトガルの旗 スポルティングCP (assistant manager)
1993–1996 ポルトガルの旗 ポルト (assistant manager)
1996–2000 スペインの旗 バルセロナ (assistant manager)
2000 ポルトガルの旗 ベンフィカ
2001–2002 ポルトガルの旗 ウニオン・レイリア
2002–2004 ポルトガルの旗 ポルト
2004–2007 イングランドの旗 チェルシー
2008–2010 イタリアの旗 インテルナツィオナーレ
2010–2013 スペインの旗 レアル・マドリード
2013– イングランドの旗 チェルシー
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ジョゼ・マリオ・ドス・サントス・モウリーニョ・フェリックス OIHJosé Mário dos Santos Mourinho Félix1963年1月26日 - )、通称ジョゼ・モウリーニョJosé Mourinho)は、ポルトガルセトゥーバル出身のサッカー指導者である。2013-14シーズンよりチェルシーFC監督[2]

ポルトガル語での発音(ポルトガル語発音: [ʒuˈzɛ moˈɾiɲu])に近い日本語表記はジュゼ・ムリーニュ。監督として唯一UEFAチーム・オブ・ザ・イヤーに4度選ばれている。また過去に4人しか達成していない、異なる2つのチームを欧州王者に導いた監督のうちの1人であり、監督としてイングランド、イタリア、スペインのリーグ戦と国内カップ戦(プレミアリーグセリエAプリメーラ・ディビシオン)優勝を成し遂げた。 

モウリーニョは現在世界最高の監督の一人と目されている[3][4][5][6][7][8]。選手生活はポルトガル2部で始まった。リスボン工科大学スポーツ科学を学び、イギリスではコーチングコースに参加した。リスボンでは、体育教師として働きながら、ユースチームの指導者やスカウト、コーチとしてしばらくの間働いた。1990年代始めに、ボビー・ロブソンの通訳として、ポルトガルのスポルティング・リスボンポルト、スペインのバルセロナで働いた。ロブソンの退任後もバルセロナに残り、後任のルイス・ファン・ハールと働いた。

監督に就任したベンフィカウニオン・レイリアでは、短期間であったものの成功を収め、ウニオン・レイリアでは過去最高位でシーズンを終えた。2002年に監督としてポルトに戻ると、2003年にはプリメイラ・リーガタッサ・デ・ポルトガルUEFAカップを制した。翌年にはスーペルタッサ・カンディド・デ・オリベイラに勝利、リーグは2連覇を果たし、更にUEFAチャンピオンズリーグに優勝し、クラブを欧州チャンピオンへと導いた。翌年、イングランドプレミアリーグチェルシーFCに移ると、最初のシーズンに最多勝点記録95で50年振りにリーグを制し、フットボールリーグカップも優勝した。2シーズン目もチェルシーはリーグを制し、2006-07シーズンはリーグは2位に終わったものの、FAカップとリーグカップの2冠を達成した。モウリーニョはクラブオーナーのロマン・アブラモヴィッチとの不和が報道される中、2007年9月に退任した[9]

2008年、イタリアセリエAインテル・ミラノの監督に就任した。3カ月でスーペルコッパ・イタリアーナを制すると、リーグでも優勝を果たした。2009-10シーズン、インテルはイタリアクラブ史上初となるセリエA、コッパ・イタリア、UEFAチャンピオンズリーグの三冠を達成した。2つの異なるクラブを率いて欧州チャンピオンとなったのは、これまでエルンスト・ハッペルオットマー・ヒッツフェルトユップ・ハインケス、モウリーニョの4人のみである。2010年には初めて設立されたFIFAバロンドール最優秀監督賞を受賞した。2010年、レアル・マドリードと契約し、最初のシーズンにはコパ・デル・レイを制した。翌年にはリーガ・エスパニョーラを制し、トミスラフ・イヴィッチエルンスト・ハッペルジョバンニ・トラパットーニに次いで、異なる4カ国でリーグタイトルを制した4人目の監督となった[10]。2013年6月にマドリードを退任した後、再びイングランドのチェルシーの監督に就任した[11]

来歴[編集]

父親のフェリックス・モウリーニョは元ポルトガル代表ゴールキーパーで、少年時代は父親にチームのスパイとして使われ、試合相手のチームの弱点などを探ってくる役目を与えられていたという。裕福な家庭の生まれで、使用人もいたようである。ポルトガルのユース代表に選出されたこともあるが、故障により、本人曰く「三流だった」選手生活を早々切り上げたため、プロとしての実績はない。

通訳・アシスタントコーチ時代[編集]

リスボンで一度、体育教師になるが、指導者の道を志してスコットランドで語学を勉強。ボビー・ロブソンスポルティング・リスボン監督に就任した際に通訳としてスタッフ入りし、以降厚い信頼を受けてロブソンとともにFCポルトバルセロナといった名門クラブで通訳を務める。ロブソンがバルセロナを去った後、監督に就いたルイス・ファン・ハールのアシスタントコーチも経験した。なお、バルセロナ時代は通訳と思われがちだがカタルーニャサッカー協会には助監督として登録されている。

ポルトガル時代[編集]

2000-01シーズンにポルトガルの古豪ベンフィカの監督に就任した。不調だったクラブを建て直し、ライバルのスポルティング・リスボンを3-0で破るなど順調なスタートを切った。しかし、会長交代劇などの内紛によりそのS・リスボン戦までの8試合の指揮を執った後、自らリスボンを離れる。ちなみに、このシーズンのベンフィカは6位でクラブ史上最低の順位だった。

2001-02シーズン、リーグ中位のウニオン・レイリアの監督に就任。クラブを19試合9勝7分3敗・リーグ4位の好成績に導く。

シーズン途中の2002年1月、当時不調に喘いでいた名門FCポルトに引き抜かれる。彼は残りの試合を15戦11勝2分2敗で乗り切り、低迷していた名門の順位を最終的に3位まで上昇させた。ポルト監督就任時、彼は不遜にも「(中位に甘んじる)このクラブを来年チャンピオンにしてみせる」と宣言し、メディアの冷笑を買ったが、彼はそれ以上の偉業を翌年以降成し遂げることとなる。

2002-03シーズン、モウリーニョに率いられたポルトは快進撃を続け、スーペル・リーガポルトガルカップのタイトルを獲得。さらにUEFAカップ決勝でもセルティックFCを延長の末に下し、三冠を達成。指導者として国際的に注目され始めた。

2003-04シーズンには、圧倒的な強さでリーグ二連覇を成し遂げる。ポルトガルカップは決勝で惜しくもベンフィカに延長の末敗れたが、UEFAチャンピオンズリーグでは、決勝でASモナコを3-0で下し制覇。ポルトを17年ぶりのヨーロッパチャンピオンに導き、より一層評価を上げた。

チェルシー[編集]

チェルシー時代(2007年2月)

2004-05シーズンからはプレミアリーグチェルシーFCで指揮を執った。ここでも就任一年目から創立百周年の記念の年を迎えたチェルシーに50年ぶりのリーグ優勝をもたらし、リーグカップとともに二冠を達成。名将としての評価を不動のものとした。

2005-06シーズンも独走でプレミアリーグ連覇を成し遂げるが、優勝決定後のセレモニーで優勝メダルを惜しげもなく観客席に投げ入れるなど、物議を醸している。とはいえファンは大喜び。

2006-07シーズンはFAカップ、リーグカップのカップ・ダブルを達成するが、DF陣の相次ぐ故障で冬の移籍市場でDFの補強を要求するモウリーニョと、補強をしようとしない経営陣との対立が表面化。「報道を忘れる必要がある」と否定する姿勢を見せず、同シーズン限りでチームの監督を辞するのではという憶測が流れた。モウリーニョ自身は「2010年の契約満了まで自分から辞める事はない」と明言。だが、クラブオーナーであるロマン・アブラモビッチの態度は不明瞭であり解任の噂が絶えなかった。そして、2007年9月20日、チェルシーとの契約解除が公式ホームページ上で発表された。モウリーニョとクラブ側双方合意の上でのものだったが、事実上の解任であった。後任には、アヴラム・グラントが就任。このシーズン、クラブ史上初めてUEFAチャンピオンズリーグ決勝に進出を果たすも、サポーターから「モウリーニョの遺産」と揶揄されていた。

チェルシー退団後[編集]

チェルシーを退団してフリーの身となった際、各国クラブから監督就任の打診を受けているが、モウリーニョが要求する高額な年俸がネックになっているとされ、いずれも噂の域を出なかった。

そんな中、2007年11月にイングランド代表ユーロ2008予選敗退を受け解任されたスティーブ・マクラーレンの後任最有力候補であると報道された。

しかし、この件については、モウリーニョとFA幹部との三者会談の後、代理人を介して「素晴らしい仕事だとは思うが、熟考の末、イングランド代表監督候補になっても身を引くことにした。」と声明を発表し[12]、代表監督就任を辞退している(なお、イングランド代表監督の後任にはファビオ・カペッロが就任した)。

インテル[編集]

インテル時代のモウリーニョ。この年、三冠を獲得

その後も引く手数多の状態が続いていたが、2008年6月2日、解任されたマンチーニ監督の後任としてイタリアセリエAインテル監督就任が発表された。セリエA初指揮となった2008-09シーズンはスーペルコッパ・イタリアーナとリーグ優勝の二冠を達成。一方でチャンピオンズリーグではマンチーニ時代から合わせて3年連続となるベスト16止まり。しかし、翌2009-10シーズンはチェルシーCSKAモスクワバルセロナ、そしてかつての師であるルイス・ファン・ハール率いるバイエルン・ミュンヘン等の各国の強豪(しかもCSKA以外の3チームはこの年の各国リーグ王者)を破り45年ぶりのチャンピオンズリーグ優勝、そして同年のセリエA、コッパ・イタリアも制し、イタリア史上初の三冠に導いた。この三冠を達成した優勝記者会見でインテル監督を辞任すると発言[13]。2010年5月28日、モラッティペレス両会長の直接会談により、レアル・マドリードがインテルに違約金を支払う形で残り2年の契約が解除された。

レアル・マドリード[編集]

2010年5月31日、レアル・マドリードの監督就任が発表された。契約期間は4年[14][15][16]。就任初年度は序盤から好調を維持してリーグ戦首位にたったものの、監督就任後初となるエル・クラシコで5-0の大敗を喫して2位に転落すると、驚異的なペースで勝ち点を積み重ねるFCバルセロナに及ばずリーグ戦2位に終わった。それでもUEFAチャンピオンズリーグでは6年連続でベスト16止まりだったチームをベスト4にまで進出させ、コパ・デル・レイでは決勝でFCバルセロナを1-0で破り、18年ぶりの優勝を果たしてバルセロナのトレブルを阻止した。

2011-12シーズンは、ほぼ毎試合圧倒的な攻撃力で大差をつけるゲームを披露してリーグ戦を独走。2012年2月26日のラーヨ・バジェカーノ戦に勝利し、リーガ・エスパニョーラ通算50勝を、史上最速となる62試合で達成した[17]。終盤にはライバルのFCバルセロナに猛追されたものの、アウェーでの直接対決で見事に勝利して突き放し、優勝を成し遂げた。この結果、欧州3大リーグ(プレミアリーグセリエAリーガ・エスパニョーラ)優勝を成し遂げた史上初の監督となり、欧州の4カ国の1部リーグ優勝を果たした史上2人目の監督となった(1人目はジョバンニ・トラパットーニ[18]

2012-13シーズンは、スーペルコパ・デ・エスパーニャでバルセロナを破りスペインスーパーカップを制覇。チャンピオンズリーグでは3年連続で準決勝に進出するもボルシア・ドルトムントに敗退。リーグ戦では序盤戦での取りこぼしが響き連覇を逃すと、コパ・デル・レイ決勝でもアトレティコ・マドリードに敗れ2年ぶりの優勝を逃すなど、リーグとカップ戦では無冠に終わった。シーズン終了後の2013年5月20日、クラブ側との同意で、契約を解消しマドリードからの退団が決定した[19]

チェルシー復帰[編集]

2013年6月3日、4年契約でチェルシーに復帰が発表された。シュウォーツァーシュールレ、インテル時代の教え子エトーらを獲得した。プレミアリーグでは2014年4月20日の第35節・サンダーランド戦に敗れ、モウリーニョ自身がそれまで持っていたホームスタンフォード・ブリッジの無敗記録が77試合で止まる等、上位チーム相手には勝負強さを見せつけたものの、下位チーム相手の取りこぼしが祟り3位。リーグカップでは準々決勝でそのサンダーランドに、FAカップでは5回戦で2月1日にチェルシーにホーム全勝記録を止められたマンチェスター・シティFCにリベンジされる様にして敗れた。UEFAヨーロッパリーグ王者として臨んだUEFAスーパーカップでは、ジョゼップ・グアルディオラ率いるUEFAチャンピオンズリーグ王者のバイエルン・ミュンヘンと対戦し、延長戦の末敗れた。UEFAチャンピオンズリーグでは、準決勝で前年レアル時代に国王杯決勝で敗れたディエゴ・シメオネ率いるアトレティコ・マドリードと対戦したが、2戦合計1-3で敗れ、リベンジを果たせなかった。FAコミュニティ・シールドにはチェルシーは出場していないので、2001-02シーズンのウニオン・レイリア時代以来12シーズンぶり、ポルトやチェルシーの様なビッグクラブを率いるようになった2003年以来では初めての無冠に終わった。

経歴[編集]

監督成績[編集]

クラブ 就任 退任 記録
試合 勝率 % 得点 失点 得失点
ベンフィカ ポルトガルの旗 2000年9月20日 2000年12月5日 11 6 3 2 54.55 17 9 +8
ウニオン・レイリア ポルトガルの旗 2001年4月14日 2002年1月20日 29 15 8 6 51.72 49 32 +17
ポルト ポルトガルの旗 2002年1月23日 2004年5月26日 124 90 21 13 72.58 251 92 +159
チェルシー イングランドの旗 2004年6月2日 2007年9月20日 185 124 40 21 67.03 330 119 +211
インテル・ミラノ イタリアの旗 2008年6月2日 2010年5月28日 108 67 26 15 62.04 185 94 +91
レアル・マドリード スペインの旗 2010年5月31日 2013年6月2日 177 127 28 22 71.75 471 166 +305
チェルシー イングランドの旗 2013年6月3日

獲得タイトル[編集]

ポルトガルの旗 FCポルト
イングランドの旗 チェルシー
イタリアの旗 インテル
スペインの旗 レアル・マドリード

個人タイトル[編集]

  • Portuguese Liga Manager of the Year (2002–03, 2003–04)
  • Premier League Manager of the Year (2004–05, 2005–06)
  • Premier League Manager of the Month (November 2004, January 2005, March 2007)
  • Serie A Manager of the Year (2009, 2010)
  • Albo Panchina d'Oro Coach of the Year (2010–11)
  • Miguel Muñoz Trophy for Best Coach of the Year (2010–11)
  • UEFA Manager of the Year (2002–03, 2003–04)
  • UEFA Team of the Year Coach of the Year (2003, 2004, 2005, 2010)
  • BBC Sports Personality of the Year Coach Award (2005)
  • La Gazzetta dello Sport Men of the Year (2010)
  • Onze d'Or Best Coach (2005)
  • FIFA Ballon d'Or Best Coach (2010)
  • IFFHS World's Best Club Coach of the Year (2004, 2005, 2010)
  • World Soccer Magazine World Manager of the Year (2004, 2005, 2010)
  • International Sports Press Association Best Manager in the World (2010)
  • CNID Best Portuguese Manager in Foreign Countries (2008–09, 2009–10)

戦術[編集]

対戦相手によって様々なフォーメーションを使いこなすが、サイドを広く使い攻撃的といわれる4-3-3を最も好んでいる。基本的に4-3-3を適用しているが、チェルシー時代は中盤を省略して素早く前線にボールを送るカウンター寄りの戦術がよく見られたために、彼の意思に反して「守備的なチーム」と言われていた。また、このカウンター戦術は彼の好みではなかったということで、インテル就任時に「トライアングルを作ってパスを回すサッカーをしたい」とも語った。選手を固定せず 自身のフォーメーションに合わない場合は変更に躊躇のない信念の強さを持っている。一試合を通して彼の経験からハードワークをする選手、チームの為に隙を与えない徹底的に攻守に貢献しようと実行する選手を好む。特にオフ・ザ・ボール(ボールを持っていない時)の選手の動きに重点を置いている。 マスコミやメディアを利用したり相手チームの輪を乱すものを挑発するなどして試合を円滑に進めるためには手段を選ばないところにも注目である。 ポルト大学ビトール・フラデ教授が1980年代初期に提唱した戦術的ピリオダイゼーション理論(PTP理論)を取り入れており、綿密な分析を基に周到な戦術を駆使することで知られる。選手起用においては、シーズンを通しての出場時間数や怪我の有無といった一般的な判断材料から、試合時間別の成績とプレーの精度、体脂肪のベスト数値などの細かいデータを参考としている[20]

リーダーシップ[編集]

サッカーの監督には、信念や我の強さが求められることもたぶんにあり、それは、選手たちを引き付けるリーダーシップにもつながる。ジョゼ・モウリーニョはこの点において最も注目を集める監督のひとりである[21]。また、モウリーニョはプロ経験がなく通訳としてプロチームのスタッフの一員となった。こうしたキャリアをもって欧州有数の監督になったことからも、監督としての手腕やリーダーシップが注目されることが多い[22]。そのリーダーシップがビジネスの世界でも活用できることから、サッカーやスポーツに関連のないテレビCMにも出演している。 アメリカの企業のアメリカン・エクスプレス社は自国以外に向けてのCMに、未来に起こることを予測するリーダー像としてモウリーニョを起用している。また、多国籍企業のサムスンも007に似せたCMにモウリーニョを起用している。モウリーニョは、自身が監督としてチームの指揮を執る際の哲学として、正直・率直・明確、そして野心的であることをあげている。

モウリーニョは対戦相手のプレースタイル、中心選手の長所・短所など細かい点についてまで事前に調べて試合前の練習において試合を想定した練習をする。チェルシーにおいてモウリーニョの下でプレーしたディディエ・ドログバは、ポルトガルの新聞「コレイオ・ダ・マーニャ」のインタビューで「外科手術で体を開いて説明するように、監督がベンチでこれからピッチで起こることを説明した。ときとして、その通りの試合展開となった。まるで監督には未来が見えているようだった。」と話した[23]

モウリーニョはチームを率いる際に複雑性をテーマにしている。複雑性とはフランスの哲学者、エドガール・モランが提唱した言葉である。この言葉は「部分部分にあるものがすべてである。つまり、全体を理解できなければ、結局部分を理解することはできない。逆もしかりである。」ということを表している。モウリーニョの複雑性の考えは、練習においても表れる。サッカーの練習の現場では試合で起こる状況を考慮しない練習が行われることも多い。しかし、モウリーニョは練習では必ず試合の場面を想定した練習を行い、選手には実際の試合を体験させている。試合前の練習では必ず敵方を用意する。また、モウリーニョは選手には常にプロフェッショナルであることを求める。それは試合や練習以外のときでも同じで、休養日に家にいるときでもプロ意識を要求している。一方で、私生活が充実して初めて選手としての職業が成り立つことも理解している。ポルトFCで監督を務めていたときに、MFのデコの心身の疲労を察したモウリーニョは「ブラジルに2、3日戻って来い」と言って選手にリフレッシュすることを指示した。[24]

記者会見では常に自信に満ち溢れた態度で記者たちに接し、時には傲慢な態度を取っていると受け取られることがある。チェルシーに就任した際の記者会見では、イングランドのメディアに対して「私のことを横柄だとか尊大だとか言って揶揄しないでほしい。私はCL優勝を果たした監督だ。ならば私は“特別な存在”であるということだと思う」と話している[25]。しかし、チームにいるときにはチームに寄り添っていて、試合に負けたときなどにはロッカールームで選手にきつく当たることもあるが、それを外側に発信することはしない。このようなことから、記者会見での不遜な態度はチームを守る盾になるために演じているのではという見方もある。[26]2009-10シーズンにインテルを率いていた際には年末の休暇を挟んでチームはパフォーマンスを低下させていた。ここで、モウリーニョはメディアの関心を一手に引き受けて、マスコミやファンのプレッシャーから選手を隔離することでチームを立て直している[27]。一方で、モウリーニョのメディアに対する対応は計算されたものではなく、モウリーニョの人間性から来るものだという見方もある。スペインのスポーツ新聞で『マルカ』に次ぐ発行部数を誇る『アス』の編集長を務めるアルフレッド・レナーニョは「モウリーニョの振る舞いや言動は彼のエキセントリックな性格によるものだろう。彼は生来そういう類の人間なんだ。」と語っている[28]

人物[編集]

家庭では二児の父で、夫人はアンゴラ出身。FCポルトでのチャンピオンズリーグ決勝試合直前、彼のチェルシーFC移籍が決定的となっていたことに起因し、ポルトの一部のサポーターから家族ぐるみで脅迫を受けるという災難に見舞われている[29]。試合後、優勝セレモニーに加わらず足早にピッチを後にしたのは、その脅迫に対しての抗議行動であり、何より家族を案じていたからだというエピソードがある。故郷のクラブのヴィトリア・セトゥバルのファンである。

コーチの前には通訳としての経歴を持ち、6言語(ポルトガル語イタリア語スペイン語カタルーニャ語英語フランス語)を流暢に操る。

ボビー・ロブソンとはFCポルトバルセロナで共に仕事をした経験があり、師弟関係にあった。ロブソンの訃報の際はインテルの公式HPを通して哀悼のコメントを寄せた[30]。また、ロブソンの死後に同氏の基金が主催するがん撲滅チャリティーオークションに、自身が2010年に受賞したFIFA(国際サッカー連盟)年間最優秀監督賞のトロフィーを出品している[31]

スペイン『Veo7』の取材で将来的なイングランドプレミアリーグへの復帰を仄めかすと同時に、ポルトガル代表の監督になることを最終目標としていると語った[32]

リーグ戦ホーム無敗記録[編集]

モウリーニョはホームでの国内リーグ戦において150試合連続無敗記録を残した(国内カップ戦、UEFAチャンピオンズリーグなどの国際大会においてはホームで敗北がある)[33]。途中就任したシーズンである2001-02シーズンの2002年2月23日に行われたSCベイラ・マルとの試合で敗れたのを最後に、2011年4月2日に行われたスポルティング・デ・ヒホンに敗れるまで9年間にわたってリーグ戦ホーム無敗記録を続けた。以下はその9年間の内容である。

クラブ 成績 シーズン 備考
FCポルト 38試合36勝2分 2001-02,2002-03,2003-04 ※2001-02シーズンは途中就任のため4試合のみ。
チェルシー 60試合46勝14分 2004-05,2005-06,2006-07,2007-08 ※2007-08シーズンは途中解任されたため6試合のみ。
インテル 38試合29勝9分 2008-09,2009-10
レアル・マドリード 14試合14勝 2010-11

語録[編集]

  • 「我々チェルシーには最高の選手たちがいる。そして今、傲慢に聞こえたら許して欲しいが、最高の監督を手に入れた」
  • 「私はヨーロッパチャンピオンである。私は特別な存在(Special One)だ」[34] ―チェルシー監督就任記者会見で
  • 「彼の言うとおりだ。現に昨シーズン、私の指揮するポルトがその10倍もの予算のマンチェスターUを破ったのだから」 ―資金が潤沢だからといって勝てるとは限らない、というマンチェスターU監督ファーガソンの挑発を受けて
  • FCバルセロナは100年もの歴史の中でまだ1回しかヨーロッパチャンピオンになったことが無い。私はそれをたった1年で成し遂げた。さて、ライカールト監督は?」 ―2004-05シーズン、古巣バルセロナとの対戦を前に
  • 「私は常に勉強している。あなた方はいつも時代遅れだ」 ―英国メディアに対して
  • 「相手チームの感情など知ったことではない。私はチェルシーを勝たせるためにやってきた」
  • 「ベンゲルはチェルシーの覗き魔だ」[35]アーセナル監督、アーセン・ベンゲルとの舌戦。なお後日「流石に言い過ぎた」と謝罪
  • 「教えは請うがCL(UEFAチャンピオンズリーグ)の決勝を0-4で負ける方法は知りたくない」[36]ヨハン・クライフが05-06シーズンのチェルシーを「結果主義」と批判したことに対して述べたもの。クライフが1993-94シーズンのチャンピオンズリーグ決勝で0-4の大敗を喫した事を絡めた皮肉
  • 「まずクラブに大事なのは、メンバーをできるだけ自国の選手で賄う事。その国の選手で賄えない時に他の選択肢を考えるべきだ。だから今クラブに必要だとされる自国出身の選手がいれば、その選手を是が非でも獲得しなければならない」 ―自身の「クラブ強化の理想」を問われて
  • 「優勝した昨シーズンよりも選手たちを誇りに思っている。彼らは素晴らしいパフォーマンスを見せてくれたヒーローだからだ。」 ―06-07シーズンの三連覇を逃したアーセナル戦の後に
  • 「来シーズンのチャンピオンズ・リーグで是非ともチェルシーと対戦したい。もし実現したら、何としてでも倒してみせるよ」 ―07-08シーズン。事実上解任された古巣チェルシーへ復讐ともとれるコメント(実際に2009-2010年シーズンにインテルの監督としてチェルシーと決勝トーナメント1回戦で対戦し、勝利している)。
  • 「私は特別なクラブに来た。偉大な監督になる目標を忘れることはないが、特別な人間にはなりたくない。私はジョセ・モウリーニョになりたいだけであって、いつも同じように情熱を持って、モチベーション高くやりたいだけだよ」 ―インテル・ミラノ監督就任会見にて。
  • 「我々は強いチームを作り上げているし、新戦力を何人も獲得する必要はない。私は量より質を重視する。私は革命家ではなく、何かを革命したいとも思わない。私はとても明確な考えを持っている一人の人間にすぎない。これは大事なことだと、私は思っている。私の人生哲学はサッカー哲学に似ている。それは正直、率直、明確、そして野心的であるべきということ。私はこれらの特徴を絶対に失いたくない」―自身の「サッカー哲学」についてのコメント
  • 「この試合に選手として出場できなかったのは、私の人生で最大の損失だ。この試合でプレーするには強い精神力が必要になるだろうが、選手たちと同様、私も血を流して戦っていたと思う。」[37]-UEFAチャンピオンズリーグ2009-10・準決勝・FCバルセロナ戦終了後のコメント。インテル・ミラノを決勝に導く。
  • 「インテルはイタリアのチームだが、先発にイタリア人はいなかった。それでも私たちはイタリアの文化を持ったチームだし、イタリアのサッカーを披露できたことを誇りに思う。この勝利は重要である。イタリアはこれで代表は世界王者であり、クラブでも欧州の頂点に立った。最高の気分だし、私も少しは貢献できたかと思うと誇らしい。」[38]-UEFAチャンピオンズリーグ2009-10・決勝戦後の優勝記者会見にて。
  • 「私がレアル・マドリーを率いるために、この世に生を受けたかは分からない。ただ、フットボールの監督をするために生まれたのは確実だ。私は挑戦が好きなんだ。」[39]-レアルマドリード監督就任会見時のコメント
  • 「私は自分が世界一の監督だとは思わない。しかし、私以上の監督がいるとも思わない。」―『ガゼッタ』のインタビューより―
  • 「私が始めて監督業に就いたのは2000年だが、その前にはビッグクラブで偉大な監督たちのアシスタントを務めていた。30歳の頃にはバルセロナでロナウドも指導した。あいつではなく、本物の方。ブラジルのロナウドだ。」― 古巣レアルマドリードのFW、クリスティアーノ・ロナウドへの皮肉ともとれる発言。
  • 「『本物のロナウド』と言ったのは、彼(ブラジルのロナウド)が一人目だからだ。本物のミュラーは誰かと聞かれれば、私はトーマス・ミュラーではなくゲルト・ミュラーと答えるだろう。後者がより年長で、最初だからだ」― 上記の発言に対する弁明。

関連人物[編集]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ a b http://www.goal.com/jp/people/portugal/2852/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%82%BC%E3%83%A2%E3%82%A6%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%A7
  2. ^ Jose Mourinho returns as Chelsea manager”. BBC. 2014年1月7日閲覧。
  3. ^ http://www.dailymail.co.uk/sport/football/article-2464832/Jose-Mourinho-best-manager-Deco-worked-with.html
  4. ^ http://metro.co.uk/2013/09/30/rafael-benitez-says-arsene-wenger-not-jose-mourinho-is-the-best-manager-in-the-premier-league-4128645/
  5. ^ http://www.goal.com/en/news/9/england/2013/10/31/4373795/mourinho-arguably-the-best-manager-in-the-world-says-pardew
  6. ^ http://espn.go.com/sportsnation/post/_/id/9539744/greatest-all-soccer-managers
  7. ^ http://espnfc.com/news/story/_/id/982842/pep-guardiola:-jose-mourinho-is-the-best-in-the-world
  8. ^ http://www.dailystar.co.uk/sport/football/318473/Chelsea-boss-Jose-Mourinho-is-one-of-the-greatest-managers-of-all-time
  9. ^ “Mourinho makes shock Chelsea exit”. BBC Sport. (2007年9月20日). http://news.bbc.co.uk/sport1/hi/football/teams/c/chelsea/7003912.stm 2012年5月24日閲覧。 
  10. ^ José Mourinho's mission accomplished as Real Madrid seal title. The Guardian. Retrieved 3 May 2012.
  11. ^ “José Mourinho returns to Chelsea and tells fans: 'I am one of you now'”. The Guardian. (2013年6月3日). http://www.theguardian.com/football/2013/jun/03/jose-mourinho-confirmed-chelsea-manager 2013年8月22日閲覧。 
  12. ^ http://jp.reuters.com/article/idJPJAPAN-29294920071211
  13. ^ http://www.soccer-king.jp/news/cl/article/id=261
  14. ^ 5対0の大差は、なぜ生まれたのか?バルサがモウリーニョを引き裂いた夜。 -NumberWeb: 2010年11月30日
  15. ^ 不振に喘ぐレアルで繰り広げられる、モウリーニョ対GMの“仁義なき戦い” -NumberWeb: 2011年2月11日
  16. ^ “レアルNo.2”バルダーノの追放完了! クラブを完全支配したモウリーニョ。 -NumberWeb: 2011年6月1日
  17. ^ モウリーニョ、リーガ歴代最速で50勝達成…わずか62試合での快挙 SOCCER KING 2012年2月28日
  18. ^ “レアル“悲願の優勝”モウリーニョ監督 欧州4リーグ制圧!”. スポーツニッポン. (2012年5月4日). http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2012/05/04/kiji/K20120504003177090.html 2012年6月3日閲覧。 
  19. ^ “マドリー、モウリーニョとの契約解消を発表”. Goal.com. (2013年5月21日). http://www.goal.com/jp/news/73/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3/2013/05/21/3993193/%E3%83%9E%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A2%E3%82%A6%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%A7%E3%81%A8%E3%81%AE%E5%A5%91%E7%B4%84%E8%A7%A3%E6%B6%88%E3%82%92%E7%99%BA%E8%A1%A8?ICID=HP 2013年5月21日閲覧。 
  20. ^ ロベルト・マルティネス「独占インタビュー」、『Sports Graphic Number 628』第26巻第11号、文藝春秋2005年、 40-43頁、 雑誌 26851-6・2。
  21. ^ スポーツナビ ウェールズ代表、トシャックの失敗
  22. ^ The Burning Platform プロ経験のない通訳から欧州ナンバーワン監督に這い上がったモウリーニョ
  23. ^ ルイス・ローレンス 「期待されるリーダー論」『モウリーニョのリーダー論 世界最強チームの束ね方』 タカ大丸訳、実業之日本社、2012年、p.13-p.35。
  24. ^ ルイス・ローレンス 「期待されるリーダー論」『モウリーニョのリーダー論 世界最強チームの束ね方』 タカ大丸訳、実業之日本社、2012年、p.36-p.96。
  25. ^ CONDE NAST DIGITAL 誰よりも“特別な存在”、モウリーニョの誕生
  26. ^ ルイス・ローレンス 「モウリーニョのリーダーシップ」『モウリーニョのリーダー論 世界最強チームの束ね方』 タカ大丸訳、実業之日本社、2012年、p.68-p.95。
  27. ^ OCNスポーツ 09-10シーズン総括“インテル黄金時代”は続く
  28. ^ Goal.com 不定期連載『スペイン通信』:スペインメディアの重鎮、『アス』編集長に聞く(上)
  29. ^ 著書『ジョゼ・モウリーニョ 「KING OF 監督」誕生ストーリー』P201
  30. ^ http://www.goal.com/jp/news/56/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3/2009/08/01/1414755/%E3%83%A2%E3%82%A6%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%A7%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%83%93%E3%83%BC%E3%81%AE%E6%AD%BB%E3%82%92%E6%82%BC%E3%82%80
  31. ^ http://www.soccer-king.jp/news/spain/article/201109201745_realmadrid_mourinho.html
  32. ^ http://www.goal.com/jp/news/73/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3/2011/03/29/2415312/%E3%83%A2%E3%82%A6%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%A7%E6%9C%80%E7%B5%82%E7%9A%84%E3%81%AB%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%83%88%E3%82%AC%E3%83%AB%E4%BB%A3%E8%A1%A8%E7%9B%A3%E7%9D%A3%E3%81%AB%E5%B0%B1%E3%81%8D%E3%81%9F%E3%81%84
  33. ^ “モウ”がギネス並みの大記録樹立 Livedoorスポーツ 2011年2月21日
  34. ^ http://www.youtube.com/watch?v=H_ai5C-pBhc
  35. ^ http://sports.livedoor.com/article/detail-1916940.html
  36. ^ http://sports.livedoor.com/article/detail-1722980.html
  37. ^ http://news.livedoor.com/article/detail/4745503/
  38. ^ http://jp.uefa.com/uefachampionsleague/matches/season=2010/round=2000032/match=2000488/postmatch/quotes/index.html
  39. ^ http://www.realmadrid.jp/news/2010/05/news_4798.html
  40. ^ 著書『モウリーニョ どうしてこんなに勝てるのか?』P34

著書[編集]

  • 『ジョゼ・モウリーニョ 「KING OF 監督」誕生ストーリー』講談社(2006)
  • 『モウリーニョ どうしてこんなに勝てるのか?』講談社(2007)

外部リンク[編集]

先代:
スペインの旗ジョゼップ・グアルディオラ
スペインの旗FCバルセロナ
ヨーロッパトレブル
イタリアの旗インテル・ミラノ
2009-2010
次代:
ドイツの旗ユップ・ハインケス
ドイツの旗バイエルン・ミュンヘン