ベルト・ファン・マルワイク

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ベルト・ファン・マルヴァイク Football pictogram.svg
Bert van Marwijk 2011.jpg
名前
ラテン文字 Bert van Marwijk
基本情報
国籍 オランダの旗 オランダ
生年月日 1952年5月19日(61歳)
出身地 デーフェンテル
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
代表歴
1975 オランダの旗 オランダ 1(0)
テンプレート(ノート 解説)サッカー選手pj

ベルト・ファン・マルヴァイク(ファン・マルバイク、ファン・マルウェイクなどとも、Bert van Marwijk1952年5月19日 - )は、オランダ東部のデーフェンテル出身の元サッカー選手サッカー指導者娘婿は元オランダ代表のマルク・ファン・ボメルである。

来歴[編集]

1969年ゴー・アヘッド・イーグルスでプロデビュー。ミッドフィルダーとして活躍し、オランダ国内のクラブを転々とした。1975年にはユーゴスラビア代表との親善試合に出場し、代表キャップ1試合を記録した。

MVVマーストリヒトに所属していた1982年、現役の選手でありながら同チームのユースチームコーチを任され、指導者としての道を歩み始める。1986年フォルトゥナ・シッタートに移籍後、現役を続けながらアマチュアクラブSVメールセンのユースチームの監督を兼任した。監督業に専念するため1988年に引退、国内のアマチュアクラブの監督として3チームを渡り歩いた。

1997年にはフォルトゥナ・シッタートの監督に就任。マルク・ファン・ボメルフェルナンド・リックセンといった後のオランダ代表選手を育て上げると、1999年KNVBカップで決勝までチームを率いた手腕が評価され、翌2000年フェイエノールトの監督に就任。国内リーグを制することはできなかったが、2002年小野伸二ヨン・ダール・トマソンピエール・ファン・ホーイドンクらを率いてUEFAカップを制した。

2004年ボルシア・ドルトムントの監督に就任したが2006年シーズン半ばで辞任。翌年から再びフェイエノールトの監督を務め、KNVBカップを制覇。2008年8月よりマルコ・ファン・バステンの後任として、オランダ代表の監督に就任。 2010年のFIFAワールドカップで準優勝に導く。しかし2012年のUEFA欧州選手権ではグループリーグを3戦全敗に終わり、契約期間が2016年まで残っていたが、この責任を取り6月27日に辞任した[1]

2013年9月、ハンブルガーSVの監督に就任[2]。しかし順位が降格圏に突入するなど成績不振のために2014年2月15日に解任された[3]

エピソード[編集]

2010 FIFAワールドカップ南アフリカ大会の抽選会場で、同じグループEになった日本代表岡田武史監督と会話した際、本人に向かって「ところで日本の監督ってだれなの?」と発言した。[4]。また、同大会の試合前に岡田が握手を求めたのに対し、握手には応じたが憮然とした態度でオランダ語で「お前は面倒な奴だ」と言い放ちその場を去ったと報道された。この行為に対し中国で「アジア人を見下している」などの非難が相次いだ。のちにファン・マルワイクは「握手は(わずか)2、3秒で、岡田監督がそこにいたとは思わなかった。岡田監督を見下しているわけではない。私はどんな人にも敬意を持っている」と釈明した[5]

選手歴[編集]

監督歴[編集]

チーム 就任 辞任(解任) 記録
G W D L Win % F A Goal +/-
FC Herderen ベルギーの旗 1990 1991
RKVCL Limmel オランダの旗 1991 1995
SV Meerssen オランダの旗 1995 1998
フォルトゥナ・シッタート オランダの旗 1998 2000
フェイエノールト オランダの旗 2000 2004 182 110 32 40 60.44 364 203 +161
ボルシア・ドルトムント ドイツの旗 2004 2006 95 35 32 28 36.84 121 112 +9
フェイエノールト オランダの旗 2007 2008 38 24 6 8 63.16 80 41 +39
オランダ代表 オランダの旗 2008 2012 52 34 10 8 65.38 111 42 +69
ハンブルガーSV ドイツの旗 2013 2014 17 4 3 10 23.53 25 36 -11
384 207 83 94 53.91 701 434 +267

脚注[編集]

外部リンク[編集]