パオロ・マルディーニ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

パオロ・マルディーニ
名前
愛称 パオリーノ
ラテン文字 Paolo MALDINI
基本情報
国籍 イタリア
生年月日 1968年6月26日(41歳)
出身地 ミラノ
身長 186cm
体重 85kg
選手情報
ポジション DF(LSB、CB)
利き足 右足
代表歴
1988-2002 イタリア 126 (7)
Template(ノート 解説)サッカー選手pj

パオロ・マルディーニPaolo Maldini1968年6月26日 - )は、イタリアミラノ出身の元サッカー選手

イタリア1部リーグセリエAのACミランの元主将であり、ミランの象徴とまで呼ばれたディフェンダー。元イタリア代表選手(ワールドカップ・日韓大会後に代表引退を表明)。イタリア代表でもキャプテンをつとめた。父は息子と同じくACミランのキャプテンであり、1962-63シーズンのUEFAチャンピオンズカップを優勝するなどし、イタリア代表監督も経験したチェーザレ・マルディーニである。また、フランコ・バレージの引退後は彼のキャプテンシーを継承した。

目次

[編集] 略歴

16歳の若さでセリエAにデビューしたのち、以降25年に亘り第一線でプレイし続けた存在。イタリア代表でも史上最多の126というキャップ数を記録した他、2004年にセリエA単一クラブ最多出場記録を更新。2005年にはディノ・ゾフが持っていたセリエA最多出場記録570試合を更新している。2007年2月20日にはチャンピオンズリーグの対セルティック戦においてチャンピオンズリーグ通算100試合出場を達成、更に同年3月11日には史上初となるセリエAのリーグ通算600試合出場を達成した。奇しくもこの日の試合はライバル、インテル・ミラノとのミラノ・ダービーであったが白星を飾ることはできなかった。2008年2月16日、セリエA第23節のパルマ戦に途中出場しクラブ、U-21代表、A代表での公式戦現役合計出場1000試合を達成した。

ミランのバンディエラ(旗手)として絶大な人気を誇った。果敢な攻撃参加、1対1での強さ、状況判断の良さ、優れた戦術理解能力で、10年近く世界最高の左サイドバックの座を守り続けた。彼のプロとしての振る舞いやフェアプレー精神はミラニスタ[1]はもとより、同じミラノのライバルのインテリスタ[2]からも深く尊敬されるほど。往年のインテルの名選手、ジャチント・ファッケッティは生前「彼(マルディーニ)のプレーは、世界中のサッカー選手を目指す若者の手本となっている。しかし彼の唯一の欠点は、彼がミランの選手であったことだ」と評した。

代表試合でのタイトルはないが、世界でもっとも偉大な選手の一人であり、彼がACミランでつけている背番号3は、2005年10月18日にチェーザレ、パオロに続く親子3代のACミラン入りとなった長男クリスティアン・マルディーニ(Christian Maldini, 1996年6月14日 - )が引き継がない限り、フランコ・バレージのつけていた背番号6と同様永久欠番になる事が既に決定されている。

長年一線級で活躍し、一時代を築いてきた彼は進退に対して注目されることも多かった。 とはいえ、セリエAはもとより世界に於いてトップクラスの資質を保ち続けたこと、平均年齢が高齢化したミランのディフェンダー陣再構築が遅々として進んでいなかったこと、また精神的支柱としての立場を考慮し、シルヴィオ・ベルルスコーニ会長らクラブ首脳陣は慰留を続けた。

度重なる膝の怪我に悩まされ、2004年には引退をほのめかしたことがある。サイドバックとしてのスピードの衰えを指摘された彼は、本格的にセンターバックにポジションを変え、代表チームを引退し「2足の草鞋」を脱いでクラブでのプレーに専念することで、再び世界トップレベルのDFとして復活した。

また、左膝の怪我や故障から、アレッサンドロ・コスタクルタと共に2007年7月末の契約満了をもって現役引退を示唆したシーズンには、チャンピオンズリーグ 2006-07の決勝で優勝を決めた後「今度はクラブW杯をとりたい。」と語り、翌シーズンもプレーする意思を表明した。膝の怪我を手術した影響で2007-08シーズンは出場機会が限定されたものの、FIFAクラブワールドカップ2007では長年のキャリアで数々の栄光を勝ち取った本職の左サイドバックとして準決勝に途中出場、決勝でもフル出場し、見事優勝を勝ち取った。 その後も契約を延長し、40歳を迎えてなおもプレーする姿はファンはもとより選手の間からも尊敬を集めた。

2009年に現役引退を発表。一部のミラニスタとは険悪な関係であり、ホームでの現役最後の試合では、マルディーニを批判するメッセージが掲げられたが、現役最後の試合となったアウェー・フィオレンティーナ戦ではロスタイムにフィオレンティーナの選手がわざとボールを外に出しマルディーニの為だけの時間を作った。敵味方関係なくその場にいたすべての人がスタンディングオベーションでマルディーニを称えた。

[編集] エピソード

  • コスタクルタとはユース時代からの友人でミラノ市内にレストランバーとディスコを共同経営している。
  • しばしば練習中に大音量で音楽を流し、その際にコスタクルタから怒られたことがある。
  • 長く現役生活を続ける秘訣を記者に訊かれて「自分自身の楽天的な性格かな」と答えたりと、お茶目な一面もある。

[編集] 脚注・出典

  1. ^ ミランサポーター
  2. ^ インテルサポーター

[編集] 代表歴

イタリア代表

[編集] タイトル

国内タイトル
1987-88、1991-92、1992-93、1993-94、1995-96、1998-99、2003-04
2002-03
1988、1992、1993、1994、2005
国際タイトル
1988-89、1989-90、1993-94、2002-03、2006-07
1989、1990、1994、2003、2007
1989、1990、2007

[編集] 所属クラブ

[編集] 個人成績

経歴 リーグ 国内カップ戦* 欧州カップ戦**
国際カップ戦*** 合計
シーズン クラブ セリエ 試合数 ゴール数 試合数 ゴール数 試合数 ゴール数 試合数 ゴール数 試合数 ゴール数
1984-85 ミラン A 1 - - - - - - - 1 0
1985-86 ミラン A 27 0 6 0 6 0 1 0 40 0
1986-87 ミラン A 30 1 7 0 - - - - 37 1
1987-88 ミラン A 26 2 1 0 2 0 - - 29 2
1988-89 ミラン A 26 0 7 0 7 0 - - 40 0
1989-90 ミラン A 30 1 6 0 8 0 3 0 47 1
1990-91 ミラン A 26 4 3 0 4 0 2 0 35 4
1991-92 ミラン A 31 3 7 1 - - - - 38 4
1992-93 ミラン A 31 2 8 0 10 1 1 0 50 3
1993-94 ミラン A 30 1 2 0 10 1 4 0 46 2
1994-95 ミラン A 29 2 1 0 11 0 2 0 43 2
1995-96 ミラン A 30 3 3 0 8 0 - - 41 3
1996-97 ミラン A 26 1 3 0 6 0 1 0 36 1
1997-98 ミラン A 30 0 7 0 - - - - 37 0
1998-99 ミラン A 31 1 2 0 - - - - 33 1
1999-00 ミラン A 27 1 4 0 6 0 1 0 38 1
2000-01 ミラン A 31 1 4 0 14 0 - - 49 1
2001-02 ミラン A 15 0 - - 4 0 - - 19 0
2002-03 ミラン A 29 2 1 0 19 0 - - 49 2
2003-04 ミラン A 30 0 - - 9 0 3 0 42 0
2004-05 ミラン A 33 0 - - 13 1 1 0 47 1
2005-06 ミラン A 14 2 - - 9 0 - - 23 0
2006-07 ミラン A 18 1 - - 9 0 - - 27 1
2007-08 ミラン A 17 1 - - 4 0 2 0 23 1
2008-09 ミラン A 30 0 - - 2 0 - - 32 0
合計 647 29 72 1 168 3 21 0 902 33

* コッパ・イタリアイタリア・スーパーカップを指す
** UEFAチャンピオンズリーグUEFAカップUEFAインタートトカップUEFAスーパーカップを指す
*** インターコンチネンタルカップFIFAクラブワールドカップを指す