フランシスコ・ヘント
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| 名前 | ||||||
| 本名 | フランシスコ・ヘント・ロペス | |||||
| 愛称 | パコ、カンタブリアの突風 | |||||
| ラテン文字 | Francisco GENTO Lopez | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 | ||||||
| 生年月日 | 1933年8月21日(79歳) | |||||
| 出身地 | カンタブリア州グアルニソ | |||||
| 身長 | 171cm[1] | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | WG | |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
| 1952-1953 1953-1971 |
ラシン・サンタンデール レアル・マドリード |
10 (2) 428 (126) |
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| 代表歴 | ||||||
| 1955-1969 | 43 (5) | |||||
| 1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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フランシスコ・ヘント・ロペス(Francisco Gento López、1933年8月21日 - )は、スペイン・カンタブリア州グアルニソ出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションは左ウイング。愛称はパコ(Paco)、カンタブリアの突風(Galerna del Cantábrico)。
目次 |
概要[編集]
1950〜60年代にアルフレッド・ディ・ステファノやフェレンツ・プスカシュらと共に6度チャンピオンズカップを制したスペインの伝説的な選手[2]。小柄であったが体が強く、卓越した俊足を持つだけでなく技術にも優れ、さらに左ウイングとしては比較的高い得点能力も併せ持っていた[3]。ワールドサッカー誌の20世紀の偉大なサッカー選手100人で82位に、国際サッカー歴史統計連盟の20世紀世界最優秀選手ではジュスト・フォンテーヌと並んで30位に選出された。
フリオ、アントニオという2人の弟もサッカー選手であり、レアル・マドリードでプレーしていたこともあったが、兄のフランシスコほどの成功は手にできなかった。
経歴[編集]
ラーヨ・カンタブリアなどでユース時代を過ごし、1952-53シーズンにラシン・サンタンデールの選手としてプリメーラ・ディビシオンにデビューした。その翌シーズンにはレアル・マドリードと契約を結んだ。
レアル・マドリードでは、パオロ・マルディーニと並んで最多タイ記録となるチャンピオンズカップ8回の決勝出場、歴代最多記録である6回の優勝を果たした。1950年代にはアルフレッド・ディ・ステファノらを擁した第1次黄金期の一員としてチャンピオンズカップ5連覇を達成。とりわけディ・ステファノからの信頼は厚く、移籍直後は他クラブへレンタルされる予定だったヘントをレアル・マドリードに留まらせ、さらにプレーしやすいようにエクトル・リアルの獲得もクラブに進言した[4]。また、チャンピオンズカップ5連覇のうち最も苦労したと言われる第3回大会決勝では、「ディ・ステファノのファイナル」と呼ばれるほど孤軍奮闘し、疲弊し切ったディ・ステファノが延長時に「もう決められるのはお前しかいない、お前が決めろ」と話し、その後ヘントが決勝点を奪ってクラブを優勝に導いたという逸話もある[5]。
1960年代中頃には、すっかり選手が入れ替わってピッリ、アマンシオ・アマロら若手選手が多く、俗にイエイエ・マドリードと呼ばれたチームにあってキャプテンを務め、1966年に数年ぶりのチャンピオンズカップ優勝を果たした。チャンピオンズカップでは1955年から1969年までの間に通算43試合に出場して5得点を挙げた。国内でもリーグ優勝を12回も経験した他、長年にわたって数多くのタイトル獲得に貢献した。
また、1955年にスペイン代表に初招集され、その後も長年活躍した。ワールドカップにも2度出場し、代表キャップ数43は当時のスペイン最多出場記録だった。晩年は、武器であるスピードが衰えてなお強力な選手であり続けた[3]。
スペイン代表での得点[編集]
| # | 日付 | 会場 | 対戦チーム | スコア | 結果 | 大会 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1. | 1959年10月13日 | エスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウ( |
3 - 0 | 3 - 0 | 1960 欧州ネイションズカップ | |
| 2. | 1961年4月2日 | エスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウ( |
2 - 0 | 2 - 0 | 親善試合 | |
| 3. | 1963年10月30日 | ウィンザー・パーク( |
0 - 1 | 0 - 1 | 1964 欧州ネイションズカップ | |
| 4. | 1966年6月23日 | エスタディオ・デ・リアソール( |
1 - 1 | 1 - 1 | 親善試合 | |
| 5. | 1963年5月30日 | サン・マメス( |
2 - 0 | 2 - 0 | UEFA欧州選手権1968予選 |
1971年に引退した後は監督業を始め、カスティージャCFを率いた。その後も1974年にCDカステリョン、1977年から1980年までパレンシアCF、1980-81シーズンにはグラナダCFといくつかの下部リーグのクラブで監督を歴任した。その後は、ヨーロッパにおけるレアル・マドリードのアンバサダーという職を引き受けた。
獲得タイトル[編集]
- 欧州ネイションズカップ: 1回 (1964)
- ラ・リーガ: 12回 (1953-54, 1954-55, 1956-57, 1957-58, 1960-61, 1961-62, 1962-63, 1963-64, 1964-65, 1966-67, 1967-68, 1968-69)
- トロフェオ・デル・ヘネラリッシモ: 2回 (1962, 1970)
- UEFAチャンピオンズカップ: 6回 (1955-56, 1956-57, 1957-58, 1958-59, 1959-60, 1965-66)
- インターコンチネンタルカップ: 1回 (1960)
- ラテン・カップ: 2回 (1955, 1957)
脚注[編集]
- ^ Gento, Francisco - national football teams
- ^ 特集 各国歴代最強イレブン【21】スペイン(2) - 時事ドットコム
- ^ a b クリストファー・ヒルトン 『欧州サッカーのすべて』 野間けい子、大栄出版、1995年。ISBN 4886825850。
- ^ フィル・ボール 『レアル・マドリー ディ・ステファノからベッカムまで』 野間けい子、ネコパブリッシング、2004年。ISBN 4-7770-5036-X。
- ^ 西部謙司 『欧州サッカー 「最強クラブ」伝説』 PHP文庫、2011年。ISBN 978-4-569-67747-7。
外部リンク[編集]
- BDFutbol profile
- NationalFootballTeams data
- Biography at Real Madrid Fans (スペイン語)
- Real Madrid profile (スペイン語)
- フランシスコ・ヘント - FIFA主催大会成績
- “Francisco Gento López - Goals in European Cups”. rsssf. 2008年12月5日閲覧。
- “Francisco Gento - International Matches”. rsssf. 2008年12月5日閲覧。
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