ラウル・ゴンサレス

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ラウール・ゴンサレス
名前
本名 ラウール・ゴンサレス・ブランコ
愛称 ラウリート,エル・ニーニョ(神の子)
ラテン文字 RAÚL González
基本情報
国籍 スペイン
生年月日 1977年6月27日(32歳)
出身地 マドリード
身長 180cm
体重 73kg
選手情報
在籍チーム レアル・マドリード
ポジション FW/MF
背番号 7
利き足 左足
代表歴
1996–2006 スペイン 102 (44)
Template(ノート 解説)サッカー選手pj

ラウール・ゴンサレス・ブランコRaúl González Blanco1977年6月27日 - )は、スペインマドリード出身、リーガ・エスパニョーラレアル・マドリードに所属する元スペイン代表サッカー選手。ポジションはFWMF

目次

[編集] 経歴

ラウル・ゴンサレス・ブランコはスペインの首都マドリードに生まれる。父親ペドロはエンジニアで職場がアトレティコの本拠地の近所だったため、ラウルは幼少の頃から身近にサッカーがあったという。10歳でカランサスという学校のクラブチームに入る。ずば抜けたゴール感覚は当時から際立っていたという。当時アトレティコのユースを指揮していたフランシス・コ・デ・パウラが入団を申し出に訪問。父親ペドロがアトレティコのファンであったことからも、すぐさま承諾し、アトレティコ下部組織の一員となる[1]

しかし、同クラブのユース経営終了に伴い放出され、1992年にレアル・マドリードに移籍。1994年10月のサラゴサ戦でクラブ最年少記録の17歳と4ヶ月でトップチーム・デビュー。1998-99シーズンと2000-01シーズンの2度、リーガ・エスパニョーラの得点王(ピチーチ)に輝き、UEFAチャンピオンズリーグでも1999-2000シーズンと2000-01シーズンに得点王になっている。

2005-06シーズン、UEFAチャンピオンズリーグのグループステージ第2節、オリンピアコス戦で通算50ゴールを記録し歴代1位になった。また、スペイン代表の最多得点記録も持っており、スペイン代表の800得点目と900得点目を決めたのも彼である。2006年8月15日のアイスランドとの親善試合(0-0)で史上2人目の代表通算100試合出場を達成した。

レアル・マドリードでは国内リーグ制覇5回、UEFAチャンピオンズリーグ制覇3回、トヨタカップ勝利2回などのタイトルを獲得している。ただしナショナルチームでは(スペイン代表歴代最多得点を記録するなどしているが)大一番で不発に終わることが多く、タイトルを獲得できていない。ここ数シーズンは所属するレアル・マドリードの不調と共にラウール自身の得点数が減っており、2004年の欧州選手権後はついに国内外から非難が集中した、2006年のワールドカップ後の2006年10月よりスペイン代表に招集されていない。それについてレアル・マドリードのチームメイトであるグティは現在ラウールが代表に招集されていない事をおかしいとし「スペインの恥」と発言している。この頃はメディアでラウルの放出についての報道が相次いだがチーム、ラウル本人ともこれを否定し残留している。この際ラウルは「チームに必要とされている限り、ここ(レアル・マドリード)を出るつもりはない。」と語っている。

2007-08シーズン、シーズンを通して本来のセカンドトップで起用されるようになるとかつてのような得点力を取り戻し、前シーズンを上回る得点を記録、リーグ優勝の原動力となった。リーグでは2009年2月15日時点で505試合に出場し215ゴールを決めている。そしてこの日の2ゴールで同クラブでの通算ゴール数を309とし、クラブ歴代の最多得点記録を持つ伝説的選手のアルフレッド・ディ・ステファノ(現レアル・マドリー名誉会長)の307をも超えた。

2009年2月、2010-2011シーズン限りで現役引退あるいは欧州の舞台から退く可能性を示唆した(後日グティも同時期にレアル・マドリードを去る考えを表明した)。

[編集] プレースタイル

元々はゴール前での点取り屋的なポジションから、高い技術を活かしたシュートや巧みなポジショニングセンスでのゴールが多かったが、チーム環境に伴う自身の役割の変化で幅広いプレーをこなした。守備やボールを受けに中盤の底まで戻ることも珍しくなく、近年では豊富な運動量で攻守のカバーリングを献身的にこなしつつもFWとしての仕事もこなしており、未だ年齢的な衰えを感じさせていない。 ゴール前でのワンタッチのシンプルなシュートから相手のフェイントを織り交ぜてのシュート、ループシュート、ペナルティエリア外からのミドルシュート、ヘディングなどどんな形でもゴールを決められることが出来るのも魅力の一つ。

クロスに対しニアに走り込んで合わせられる数少ない選手の一人であり、角度のないところからのシュートや相手の死角に入り込むプレーも得意な為、彼を嫌がるGKも多い。また、飛び出しがうまいにも関わらずオフサイドが極端に少ない上、アシスト能力も高く利き足ではない右足のキックも正確なことからマンチェスター・ユナイテッドのDF、リオ・ファーディナンドから、最も対戦したくない選手と評されている。

ヨハン・クライフの言葉に「選手として十点満点は付けられないが、全ての要素に九点が付けられる」と評されるように、全体的に万能な選手で、「奪われないドリブル」に喩えられるように高い技術でシュートから、ドリブル、パスまで何でもこなす。故に彼がゴール前でボールを持つと何かしてくれると思うサポーター、サッカーファンは多い。

自ら倒れることが無いどころか、ファウルを受けてもすぐ立ち上がり自分の為に審判に抗議することは無い。またイエローカードやファウルが非常に少なく、相手選手を称えるような紳士的な行動も試合中に見られる。

レアル・マドリードでのホルヘ・バルダーノファビオ・カペッロ時代には左サイドハーフファンデ・ラモス時代には左右サイドハーフとその中央、さらにはセンターハーフでプレーすることがあったように、戦術的柔軟性も持ち合わせている。まためぼしいキッカーがいない場合はフリーキックコーナーキックペナルティーキックを真っ先に任される選手でもある。

また怪我も少なく、日程に関わらずシーズンを通してコンディションを維持している。

[編集] エピソード

  • 家族は、マメン・サンス夫人と息子4人(三男と四男は双子)。長男の名前の「ホルヘ」は彼をトップチームでデビューさせた当時の監督ホルヘ・バルダーノに、次男の「ウーゴ」はラウールのアイドルでレアル・マドリードのストライカーだったウーゴ・サンチェスにそれぞれ因んでいる。
  • フェルナンド・モリエンテスとは大の親友であり、レアル・マドリードとスペイン代表で抜群に息の合った2トップを形成していた。2005-06シーズン、ラウルが負傷していた頃にモリエンテスが所属していたリヴァプールのホームスタジアムアンフィールドにも数回観戦に訪れている。
  • 2002年8月30日UEFAスーパーカップフェイエノールト戦では、ロナウドの加入問題によって試合に出場できなかったモリエンテスのユニフォームを自らのユニフォームの下に着こんで試合に臨んだ。ラウルはその試合でゴールを決めることは出来なかったものの、試合は3対1で勝利しクラブ史上初のスーパーカップ制覇を成し遂げた。
  • ここ一番での勝負強さを持っており、開幕戦やビッグゲームなどではよく得点をする。特にUEFAチャンピオンズリーグに強く、3度決勝に進みその全てで優勝を勝ち取り、123試合出場で64ゴールを上げている(2008-2009グループリーグ終了時点、最多出場、最多得点記録を保持)。しかしスペイン代表ではその実績に見合うだけの活躍は出来ていない。
  • ゴールを決めた際に、結婚指輪キスするパフォーマンスは有名。他にはゴールを決めた際に背番号を指したりアシストした選手を指差して称えるパフォーマンスがある。
  • 2006-07シーズン前、当時調子を落としていたラウールをクラブ上層部がレンタル移籍させる事で話を進めていたが、ファビオ・カペッロ監督が反対し放出を免れた。カペッロは精神的な部分でクラブを支えるラウールの存在は絶対不可欠であると上層部を説得した、とカペッロ自ら語っている。そしてそれまで迷走中だったマドリーはシーズン終盤戦に立て直り4シーズンぶりに優勝を飾った。
  • 自宅に低酸素室を設置し、心肺の強化に努めている。
  • これまで数々のタイトルを獲得した実績を持つが、未だにバロンドール受賞の経験は無い。
  • ハビエル・ポルティージョの父親が「息子が放出されたのはラウルのせい」と発言したと報じられたことがある[2]

[編集] 最多得点

2009年3月1日の時点で様々な最多得点記録を保持している。

  • UEFAチャンピオンズリーグ最多得点(64得点)
  • UEFA主催のカップ戦最多得点(フィリッポ・インザーギと同点/64得点)
  • スペイン代表最多得点(44得点)
  • レアル・マドリード歴代最多得点(312得点)

[編集] 所属クラブ

[編集] 個人成績

国内大会個人成績
クラブ シーズン リーグ カップ 欧州カップ その他* Total
App Goals App Goals App  Goals App Goals App Goals
レアル・マドリード 1994-95 28 9 2 1 0 0 0 0 30 9
1995-96 40 19 2 1 8 6 2 0 52 26
1996-97 42 21 5 1 0 0 0 0 47 22
1997-98 35 10 1 0 11 2 2 3 49 15
1998-99 37 25 2 0 8 3 2 1 49 29
1999-00 34 17 4 0 15 10 4 2 57 29
2000-01 36 24 0 0 12 7 2 1 50 32
2001-02 35 14 6 6 12 6 2 3 55 29
2002-03 31 16 2 0 12 9 2 0 47 25
2003-04 35 11 6 6 9 2 2 1 52 20
2004-05 32 9 1 0 10 4 0 0 43 13
2005-06 26 5 1 0 6 2 0 0 33 7
2006-07 35 7 1 0 7 5 0 0 43 12
2007-08 37 18 1 0 8 5 2 0 48 23
2008-09 37 18 0 0 7 3 2 0 46 21
Career Totals 520 223 34 15 125 64 22 11 701 313
  •  *スペイン・スーパーカップ、ヨーロッパ・スーパーカップ、インターコンチネンタルカップ

[編集] 代表

102試合 / 44得点(歴代最多得点)

グループリーグで3得点を挙げチームを牽引するも、自身が負傷欠場した準々決勝の韓国代表戦で無念のPK戦負けを喫した。

 同大会終了後、フェルナンド・イエロの代表引退に伴い、キャプテンを引き継いだ。

2003年1月、イエロの持っていたスペイン代表の歴代得点記録を更新。

チームは決勝トーナメントに進めなかったが、ギリシャ代表戦でフェルナンド・モリエンテスのゴールをアシストした。
グループリーグを全勝で1位通過するも、決勝トーナメント1回戦でドイツ大会で引退を表明したジダン率いるフランス代表と激突し敗れた。

[編集] タイトル

[編集] クラブ

[編集] 個人

[編集] 脚注

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  1. ^ 金子義仁 『2005~2006ワールドサッカーすごいヤツ全集』フットワーク出版社〈フットワーク出版株式会社〉、2004年、190頁を参考。
  2. ^ ポルティージョの父親、「息子の放出はラウルのせい」


先代:
クリスティアン・ヴィエリ
リーガ・エスパニョーラ得点王(ピチーチ賞
1998-1999(23得点)
次代:
サルバ・バジェスタ
先代:
サルバ・バジェスタ
リーガ・エスパニョーラ得点王(ピチーチ賞
2000-2001(24得点)
次代:
ディエゴ・トリスタン