ミロスラヴ・ジュキッチ

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ミロスラヴ・ジュキッチ Football pictogram.svg
Miroslav Djukic.jpg
名前
ラテン文字 Miroslav Đukić
セルビア語 Мирослав Ђукић
基本情報
国籍 セルビアの旗 セルビア
生年月日 1966年2月19日(48歳)
出身地 シャバツ
身長 185cm
体重 80kg
選手情報
ポジション DF
代表歴
1991-2001 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア
セルビアの旗 セルビア
48 (2)
テンプレート(ノート 解説)サッカー選手pj

ミロスラヴ・ジュキッチMiroslav Đukić1966年2月19日)は、ユーゴスラビア出身の元サッカー選手、サッカー指導者。セルビア代表である。ポジションはDF(センターバック)。

経歴[編集]

現役時代[編集]

初の海外移籍はスペインのデポルティーボ・ラ・コルーニャだった。1990年の移籍当時はセグンダ・ディビシオンに在籍していたが、1990-91シーズンを2位で終えてプリメーラ・ディビシオンに昇格すると、昇格2年目の1992-93シーズンには3位にはいった。1993-94シーズン、1994-95シーズンと2シーズン連続で2位で終え、1994-95シーズンにはコパ・デル・レイで優勝した。

1997年、バレンシアCFに移籍した。2000年と2001年には2シーズン連続でUEFAチャンピオンズリーグ決勝に進出した。2001-02シーズンにはリーグ優勝を果たした。2003-04シーズンに1シーズンだけCDテネリフェでプレーし、現役生活を終えた。

指導者時代[編集]

現役引退後は指導者の道へ進んだ。2006年にU-21セルビア代表監督に就任し、UEFA U-21欧州選手権2007・予選ではプレーオフを勝ち抜き、UEFA U-21欧州選手権2007本大会では準優勝に導き、同時に北京オリンピック出場権を獲得した。2007年12月25日にはセルビアA代表の監督に就任し、U-21セルビア代表と兼任することになった。しかし2008年は不運が続き、北京オリンピックでは1勝もできず、U-21オーストラリア代表との得失点差でグループ最下位となったため、成績不振を問われ、8月19日に兼任していたA代表も含めて解任された。2009年にはREムスクロンを率いた。2011年3月、リーグ戦で最下位に沈むリーガ・エスパニョーラエルクレスCFの監督に就任した[1]。2010-11シーズン終了までの契約である。エルクレスの降格を止めることはできず、シーズン終了後に退団。2011-12シーズンからはレアル・バリャドリードの監督に就任する。

2013年6月4日、古巣バレンシアCFの監督に就任[2]。しかし開幕から不振が続き、12月16日に解任された[3]

所属クラブ[編集]

選手[編集]

指導者[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]