ジネディーヌ・ジダン

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ジネディーヌ・ジダン Football pictogram.svg
Zinedine Zidane 2008.jpg
名前
本名 Zinedine Yazid Zidane
愛称 ジズー、将軍、巨匠
カタカナ ジネディーヌ・ヤジッド・ジダン
基本情報
国籍 フランスの旗 フランス
生年月日 1972年6月23日(39歳)
出身地 マルセイユ
身長 185cm
体重 80kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
クラブチーム1
クラブ 出場 (得点)
1988-1992
1992-1996
1996-2001
2001-2006
フランスの旗 カンヌ
フランスの旗 ボルドー
イタリアの旗 ユヴェントス
スペインの旗 レアル・マドリード
61 (6)
139 (28)
151 (24)
155 (37)
代表歴
1994-2006 フランスの旗 フランス 108 (31)
1. 国内リーグ戦に限る。現在。
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ジネディーヌ・ジダンZinedine Yazid Zidane 発音例1972年6月23日 - )は、フランス国籍の元サッカー選手。「ジダヌ」と表記されることもある。現在は現役時に所属したレアル・マドリードのスポーツディレクターを務める。

目次

[編集] 人物

1990年代後半から2000年代前半にかけて「世界最高のサッカー選手」と称えられた名選手[1]で、クラブ・代表を通じて攻撃的ミッドフィールダーのポジションで活躍。高いテクニックとボールコントロール、キープ力などから宇宙人とも称され[2]FIFA最優秀選手賞3度、バロンドール、ゴールデンボール賞などの個人タイトルに加え、ワールドカップ欧州選手権トヨタカップチャンピオンズリーグなどの主要タイトルをすべて制覇。FIFA100選にも名を連ねている。UEFAゴールデンジュビリーポールからは、フランツ・ベッケンバウアーヨハン・クライフらを抑えて欧州における過去50年(1954年~2004年)で最も優れたサッカー選手に選ばれた[3]

また、アルジェリア移民2世のカビル人で、マルセイユ北部郊外のラ・カステラン地区の貧困層が多く住む地域で育った[4][5]という自身の出自も手伝って、移民国家の象徴としてフランスではスポーツ選手の枠を超えた人気を誇っている[6][7]。2005年のビジャレアルCF戦におけるジダンを捉えたフランスのドキュメンタリー映画ジダン 神が愛した男』も制作され、第59回カンヌ国際映画祭で招待上映された。

両親はアルジェリア国内でも少数民族であるベルベル人であるため、母国語であるフランス語以外にベルベル語も話せる。また夫人がスペイン系フランス人であり、スペイン語にも不自由しない[8]。夫人との間に4人の子供がおり、長男エンツォの名は幼少時からのアイドルであった地元オリンピック・マルセイユに所属していたウルグアイ人、エンツォ・フランチェスコリに因んでいる[9][10]。ちなみに、息子たちはレアル・マドリードの下部組織に所属している[11]。叔父に元アルジェリア代表だったジャメル・ジダンがいる。

[編集] 来歴

[編集] クラブ

ジダンの両親は、アルジェリア戦争が勃発する少し前の1953年にアルジェリアからパリへ移住。1968年にパリからマルセイユへ引っ越した。そこで4男1女の5人兄弟の末っ子として生まれたジダンは、キャプテン翼の影響でサッカーを始め[12]、友人とのストリートサッカーでサッカースキルを磨いた[13]。子供時代は父親の影響で柔道もしており[10]、11歳の時に茶帯を取得した[13]

10歳で地元のジュニアチームに加入すると、14歳の時に参加したエクス=アン=プロヴァンスでの3日間のトレーニングキャンプでASカンヌのスカウトの目に止まった。家族の元を離れてカンヌのユースに加入し、1989年にトップチームでプロデビュー[10]。3年目の1990年に定位置を獲得した。1992年に移籍したFCジロンダン・ボルドーで大きく才能を開花させ、1994年にはリーグ・アンの最優秀若手選手に選ばれた。1996年にはインタートトカップを勝ち上がり出場したUEFAカップで決勝まで進出。決勝では敗れたものの、ユヴェントスの首脳陣をして「ミシェル・プラティニの後継者をみつけた」と言わしめた[10]

1996年7月ユヴェントスへ移籍。移籍当初は低調だったものの、当時監督だったマルチェロ・リッピはジダンを起用し続けた[14][15]。シーズン開幕後3カ月が経過するとジダンはチームに順応。このシーズン、ユヴェントスはセリエAインターコンチネンタルカップ優勝を飾り、ジダンはキャリア初のメジャータイトルを獲得した。その後、ユヴェントスには5シーズン在籍し、デルピッポと称されたアレッサンドロ・デル・ピエロフィリッポ・インザーギの2トップを操るトップ下の位置でプレー。2度のリーグ優勝に貢献したほか、UEFAチャンピオンズリーグにも1996-97、1997-98シーズンと2年連続で決勝進出を果たした。しかし、ジダンが移籍する前の1995-96シーズンでユヴェントスはUEFAチャンピオンズリーグを優勝しており、一部のファンから黒猫と呼ばれた。

レアル・マドリード時代

2001年7月、当時史上最高額となる8000万ユーロの移籍金でレアル・マドリードに移籍[10]。当時のクラブ、代表双方でツートップを組んでいたラウル・ゴンサレスフェルナンド・モリエンテス、また超攻撃的左SBのロベルト・カルロスや自身と同じくバロンドール受賞経験者のルイス・フィーゴら豪華なタレントを擁し、銀河系軍団と称されたチームの攻撃陣の中心として活躍した[16]。特に、これらの選手と共に戦った2001-2002シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ決勝戦、バイエル・レバークーゼン戦での決勝点となったボレーシュートは、サッカー史上最も素晴らしいゴールの一つと評価されている[17]。1対1の同点で迎えた前半44分、ロベルト・カルロスが左サイドから送った山なりのボールを、ペナルティエリアの外から左足でダイレクトボレーシュート。ボールは綺麗な弧を描きゴール左上隅に突き刺さった。この美しいゴールが決勝点となり、ジダンはキャリア初のUEFAチャンピオンズリーグ制覇を成し遂げた[18]

2002-2003シーズンは自身と同じくバロンドール受賞経験者のロナウドが加入し、リーガ・エスパニョーラUEFAスーパーカップ、インターコンチネンタルカップ制覇の3冠を達成。しかし、その後はスター偏重によってクラブは攻守のバランスが崩れて低迷し、2003-2004シーズンのスーペルコパ・デ・エスパーニャ制覇が同クラブでの最後のタイトルとなった。ジダンの最終シーズン、セビージャFCを相手にキャリア初のハットトリックを達成した[19]。2005-2006シーズンの途中に、2006 FIFAワールドカップでの引退を発表。ワールドカップ後に現役を引退した。

[編集] フランス代表

2006W杯決勝

1994年8月17日チェコ戦でフランス代表デビュー、2点ビハインドの状態で後半18分からの途中出場ながら2得点を挙げる[20]1996年欧州選手権では、チームはベスト4に進んだが、自身は直前の交通事故の影響で目立った活躍は出来なかった。

1998年、地元フランスで開催されたワールドカップに出場。しかしジダンはグループステージサウジアラビア戦で相手選手を踏みつけ、一発退場となってしまう[21]。ジダンを欠いたフランス代表であったがグループリーグ最終戦でデンマークを2-1で下し、3戦全勝でグループリーグ突破。その後もフランス代表は勝ち進み、決勝戦でジダンはヘディングで2得点をあげるなどの活躍をし、フランスの初優勝に大きく貢献した。その後、優勝のお祝いの際にエッフェル塔にジダンの顔が掲げられた[2]。この活躍で名を上げたジダンは、この年のバロンドール、FIFA最優秀選手賞を受賞。W杯で優勝した22人のメンバー、エメ・ジャケ監督はレジオンドヌール勲章のシュヴァリエ(Chevalier、騎士)の階級を与えられた[22]2000年欧州選手権でも優勝し、大会最優秀選手、そして2度目のFIFA最優秀選手賞を受賞した。

前回王者として臨んだ2002年FIFAワールドカップ・日韓大会では大会直前の韓国との親善試合で悪質なファールを受け発症した左太もも肉離れの影響で、包帯を巻いて強行出場したデンマーク戦1試合の出場にとどまり、フランス代表もグループリーグで敗退した[23]

2004年に行われた欧州選手権では3得点を挙げるも、代表はベスト8で敗退。大会終了後の8月、フランスのテレビ番組にて体力の限界を理由に代表引退を表明した。

2005年、フランスがFIFAワールドカップ・ドイツ大会予選敗退の危機に陥るとレイモン・ドメネク監督の説得を受け、クロード・マケレレリリアン・テュラムと共にフランス代表に復帰を表明[24]パトリック・ヴィエラからキャプテンマークを譲り受け、予選敗退危機にあったフランスを本大会出場へ導いた。

大会後の引退を公言して臨んだ本大会では、グループリーグ序盤では低調だったものの、試合を重ねるごとに復調し、フランスも決勝戦まで進出した。準々決勝ブラジル戦ではティエリ・アンリの決勝ゴールをアシストし、この試合のMVPに選ばれた。これまでジダンのアシストからアンリがゴールを決める場面は、共に出場したフランス代表55試合で1つもなく、メディアからの批判を受けていた[25]が、これが初めてにして唯一のアシストとなった。試合後、ペレはジダンについて「魔法使いだった」と賞賛した。決勝イタリア戦では延長戦後半、マルコ・マテラッツィの言葉に激昂。頭突き行為でレッドカードを受け退場し、現役最後の試合を終えた。(詳細はジダンの頭突き問題を参照)フランス代表も準優勝に終わったが、大会中の活躍が評価されMVPを受賞した。この2006年ワールドカップ後の一連の騒動では、しばしジダンの人種問題が取り上げられた[26]

ワールドカップ通算12試合5得点、欧州選手権通算13試合5得点。ワールドカップ決勝通算3得点はペレ、ヴァヴァジェフ・ハーストと並び史上最多タイ、また2大会に渡る決勝戦でのゴールはペレ、ヴァヴァ、パウル・ブライトナーに続き史上4人目。

[編集] 引退後

2006年11月に、同年ノーベル平和賞を受賞したムハマド・ユヌスに招かれるとともに、両親の出身地であるアルジェリアの大統領であるアブデルアジズ・ブーテフリカの元を訪ねた。ブーテフリカからは、公式に面会の場を設けられた。

引退後はフランスのテレビ放送局Canal+で解説者を務めていたが、2009年6月1日、自身を呼び寄せたフロレンティーノ・ペレスが再びレアル・マドリードの会長となったことを受け、クラブアドバイザーに就任した[27]。その後、ジョゼ・モウリーニョにチームの近くにいることを要請され[28]、それを快諾。UEFAチャンピオンズリーググループリーグのアヤックス戦よりチームに同行することとなった[29]。2011年5月、モウリーニョとの対立からクラブのゼネラルディレクターを務めていたホルヘ・バルダーノが解任され、レアル・マドリードはゼネラルディレクター職を廃止。それまでスポーツディレクターの職に就いていたホセ・アンヘル・サンチェスがクラブの強化部門における最高責任者を務めることとなった[30]。その後任として、ジダンはスポーツディレクターに就任した[31]

2009年、1998年に拝受したレジオンドヌール勲章のシュヴァリエの階級からオフィシエ(Officier、将校)に昇格した。UEFA欧州選手権2016誘致の際には、ニコラ・サルコジ大統領と共にフランスのプレゼンテーションを行った[32]。また、2022年のFIFAワールドカップでは、カタールの招致アンバサダーとして招致活動を行った[33]。2011年2月、サッカー選手としてはペレ、ヨハン・クライフフランツ・ベッケンバウアーに次いで4人目となるローレウス世界スポーツ賞の生涯功労賞を受賞した[34]

[編集] 評価

ルイ・ヴィトンの広告で共演した際、ペレはジダンについて「もしジダンのような選手がサポートについてくれていたら2倍のスコアを叩き出したかもしれない」と語り、ディエゴ・マラドーナは 「もう少し小柄であれば史上最高の選手だった」と語った[35]カルロス・アルベルト・パレイラからは怪物と呼ばれ、フランツ・ベッケンバウアーは「史上最高のプレイヤーの一人、本当に素晴らしい選手」とした。ミシェル・プラティニは「コントロールやパスなど、基本的な技術に関してジダンは王である。ボールを受け、コントロールすることにおいて誰も彼と同等のことは出来ないと思う」と評価した。

レアル・マドリードで共にプレーしたロベルト・カルロスは、2010年のレキップ紙のインタビューで「今まで見た中でベストの選手」と話し[36]、同じくデビッド・ベッカムは「史上最高の選手」と語った[37]。また、FCバルセロナなどで対戦したシャビは2010年のインタビューで、エル・クラシコにおいて最も苦労した選手に挙げて「1990年代から2000年代前半にかけてのベストプレイヤー」と語り[38]ロナウジーニョは「歴代最高の選手で、自分のなかでのアイドルの1人」とし、ベストプレイヤーに名前を挙げた[39]

[編集] エピソード

カナリー・ワーフの階段に描かれたジダンの広告

ジダンの得意技「ルーレット」とは、ドリブルの途中、両足の裏でボールを転がしながら一回転をし、プレスに来た相手選手をかわす技である。彼が考案した技ではないが、トッププレーヤーでこの技を試合中に頻発させるのは彼以外にいないため、ジダンの代名詞ともなっている[40]。日本においては、ジダンの出身地がマルセイユであることから、「マルセイユ・ルーレット」とも呼ばれ、少年サッカーのための指導材料としても使われている[41]

世界的な人気、知名度から、アディダスフランステレコムアウディボルヴィッククリスチャン・ディオールなど多くの企業と広告契約を結び、日本でも2002年日清食品のCMへ出演している。慈善活動も熱心に行っており、多くのチャリティーイベントに顔を覗かせている。その一方で性格は寡黙で内気と評され、テニスも好むジダンの憧れのプレーヤーであるアンドレ・アガシとたまたま同じホテルに泊まっていた事があったが、恥ずかしくて会いに行けなかった[42]、2010年にフランス代表の一日コーチを引き受けてFIFAワールドカップ 1998欧州選手権 2000のビデオを観賞してスピーチを行った際、ガエル・クリシーに「自分のビデオを見せながら照れていた」と明かされる[43]といったエピソードもある。

しかしピッチにおいては瞬間的に頭に血が上りやすいことでも知られ、前述のマテラッツィへの頭突きの他にも、試合において暴力行為により警告を受けたり退場になったりした回数は少なくない。キャリアを通じて受けたレッドカードは通算14枚ある。頭突きで退場になった例だけでもユヴェントス時代の2000年チャンピオンズリーグ対ハンブルガーSV戦、レアル・マドリード時代の2004年リーガ・エスパニョーラムルシア戦とあるように[44]、プレイ中に関しては普段の紳士ぶりからかけ離れた姿を見せてしまう事もあった。2006 FIFAワールドカップグループリーグの韓国代表戦でイエローカードを提示され、途中交代させられたジダンはロッカールームのドアを蹴って破壊してしまった。しかし、そのスタジアムでは、サッカー史上最も偉大な選手の1人に蹴られた扉として保存されている[45]

自身がミシェル・プラティニの後継者と言われたように、ジダン2世またはジダンの後継者と称される選手も数多く存在する。フランス国内ではヨアン・グルキュフ[46]サミル・ナスリ[47]ムラド・メグニらがそう呼ばれるほか、アレックス・ファーガソンカリム・ベンゼマについて「身体の使い方がジダンを思わせる」と語った[48]。また、現役時代に所属したレアル・マドリードにおいても、ホセ・マヌエル・フラドカンテラ時代に「カンテラのジダン」と呼ばれていた。メスト・エジルがレアル・マドリードに移籍した時には「ドイツのジダン」と紹介され[49]、同じくヌリ・シャヒンは「左利きのジダン」と呼ばれた[50]

[編集] 個人タイトル

1998年バロンドール

[編集] 獲得タイトル

[編集] クラブチーム

[編集] 代表チーム

[編集] 個人成績

年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ[51] カップ[51] CL*[51] UC*[51] 期間通算 フランス代表
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 アシスト
1988-89 フランスの旗ASカンヌ リーグ・アン 2 0 - - - 2 0 1989 -
1989-90 0 0 - - - 0 0 1990 -
1990-91 28 1 - - - 28 1 1991 -
1991-92 31 5 - - 4 0 35 5 1992 -
1992-93 フランスの旗FCジロンダン・ボルドー 35 10 - - - 35 10 1993 -
1993-94 34 6 - - 6 2 40 8 1994 2 2 0
1994-95 37 6 3 2 - 4 1 44 9 1995 6 2 3
1995-96 7 33 6 14 3 - 8 1 55 10 1996 12 1 4
1996-97 イタリアの旗ユヴェントス 21 セリエA 29 5 9 1 10 2 - 48 8 1997 8 1 0
1997-98 32 7 5 1 11 3 - 48 11 1998 15 5 3
1998-99 25 2 6 0 10 0 - 41 2 1999 6 1 1
1999-00 32 4 4 0 - 4 0 40 4 2000 13 4 4
2000-01 33 6 2 0 4 0 - 39 6 2001 8 2 0
2001-02 スペインの旗レアル・マドリード 5 プリメーラ 31 7 9 1 9 3 - 49 11 2002 9 1 2
2002-03 33 9 1 0 14 3 - 48 9 2003 7 3 3
2003-04 33 6 7 1 10 3 - 50 7 2004 7 4 1
2004-05 29 6 0 0 10 0 - 39 6 2005 5 2 1
2005-06 29 9 5 0 4 0 - 38 9 2006 10 3 1
通算 フランス 200 34 17 5 - 22 4 239 43
イタリア 151 24 26 2 45 5 4 0 226 31
スペイン 155 37 23 2 47 9 - 224 48
合計 506 95 66 9 92 14 26 4 689 122 108 31 23

* CLはUEFAチャンピオンズリーグ、UCはUEFAカップを指す。

[編集] 代表でのゴール

ジダンのフランス代表ユニフォーム
# 日付 対戦場所 対戦チーム スコア 結果 大会
1. 1994年8月17日 スタッド・シャバン・デルマ, ボルドー, フランス  チェコ 1 - 2 2 – 2 親善試合
2. 1994年8月17日 スタッド・シャバン・デルマ, ボルドー, フランス  チェコ 2 – 2 2 – 2 親善試合
3. 1995年9月6日 スタッド・ドゥ・アベー・デシャン, オセール, フランス  アゼルバイジャン 7 - 0 10 – 0 UEFA欧州選手権1996予選
4. 1995年10月11日 ゲンチェア・スタジアム, ブカレスト, ルーマニア  ルーマニア 1 - 3 1 – 3 UEFA欧州選手権1996予選
5. 1996年2月21日 スタッド・デ・コスティエール, ニーム, フランス  ギリシャ 3 – 1 3 – 1 親善試合
6. 1997年6月11日 パルク・デ・プランス, パリ, フランス  イタリア 1 - 0 2 – 2 トゥルニー・ド・フランス
7. 1998年1月28日 スタッド・ド・フランス, サン=ドニ, フランス  スペイン 1 - 0 1 - 0 親善試合
8. 1998年2月25日 ベロドローム, マルセイユ, フランス  ノルウェー 2 - 1 3 – 3 親善試合
9. 1998年5月27日 スタッド・モハメド5世スタジアム, カサブランカ, モロッコ  ベルギー 0 – 1 0 – 1 ハサン2世トロフィー1998
10. 1998年7月12日 スタッド・ド・フランス, サン=ドニ, フランス  ブラジル 1 - 0 3 – 0 1998 FIFAワールドカップ・決勝
11. 1998年7月12日 スタッド・ド・フランス, サン=ドニ, フランス  ブラジル 2 - 0 3 – 0 1998 FIFAワールドカップ・決勝
12. 1999年9月8日 ラズダン・スタジアム, エレバン, アルメリア  アルメニア 1 - 2 2 – 3 UEFA欧州選手権2000・予選
13. 2000年2月23日 スタッド・ド・フランス, サン=ドニ, フランス  ポーランド 1 - 0 1 – 0 親善試合
14. 2000年6月4日 スタッド・モハメド5世スタジアム, カサブランカ, モロッコ  日本 1 - 1 2 - 2 ハサン2世トロフィー2000
15. 2000年6月25日 ヤン・ブレイデルスタディオン, ブルッヘ, ベルギー  スペイン 0 - 1 1 - 2 UEFA欧州選手権2000・準々決勝
16. 2000年6月28日 ボードゥアン国王競技場, ブリュッセル, ベルギー  ポルトガル 1 - 2 1 – 2 UEFA欧州選手権2000・準決勝
17. 2001年2月27日 スタッド・ド・フランス, サン=ドニ, フランス  ドイツ 1 – 0 1 – 0 親善試合
18. 2001年3月24日 スタッド・ド・フランス, サン=ドニ, フランス  日本 1 - 0 5 – 0 親善試合
19. 2002年3月27日 スタッド・ド・フランス, サン=ドニ, フランス  スコットランド 1 - 0 5 – 0 親善試合
20. 2003年3月29日 スタッド・フェリックス・ボラール, ランス, フランス  マルタ 4 – 0 6 – 0 UEFA欧州選手権2004・予選
21. 2003年3月29日 スタッド・フェリックス・ボラール, ランス, フランス  マルタ 6 - 0 6 – 0 UEFA欧州選手権2004・予選
22. 2003年4月2日 スタディオ・レンツォ・バルベラ, パレルモ, イタリア  イスラエル 0 - 2 1 - 2 UEFA欧州選手権2004・予選
23. 2004年6月6日 スタッド・ド・フランス, サン=ドニ, フランス  ウクライナ 1 - 0 1 – 0 親善試合
24. 2004年6月13日 エスタディオ・ダ・ルス, リスボン, ポルトガル  イングランド 1 – 1 2 – 1 UEFA欧州選手権2004・グループステージ
25. 2004年6月13日 エスタディオ・ダ・ルス, リスボン, ポルトガル  イングランド 2 - 1 2 – 1 UEFA欧州選手権2004・グループステージ
26. 2004年6月21日 エスタディオ・シダーデ・デ・コインブラ, コインブラ, ポルトガル  スイス 0 - 1 1 – 3 UEFA欧州選手権2004・グループステージ
27. 2005年8月17日 スタッド・ドゥ・ラ・モッソン, モンペリエ, フランス  コートジボワール 2 - 0 3 – 0 親善試合
28. 2005年10月12日 スタッド・ド・フランス, サン=ドニ, フランス  キプロス 1 - 0 4 – 0 2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
29. 2006年6月27日 ニーダーザクセンシュタディオン, ハノーファー, ドイツ  スペイン 1 - 3 1 - 3 2006 FIFAワールドカップ決勝T, 1回戦
30. 2006年7月5日 アリアンツ・アレーナ, ミュンヘン, ドイツ  ポルトガル 0 - 1 0 - 1 2006 FIFAワールドカップ準決勝
31. 2006年7月9日 オリンピック・スタジアム, ベルリン, ドイツ  イタリア 0 - 1 1 - 1 2006 FIFAワールドカップ・決勝

[編集] 出典・脚注

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  1. ^ 「W杯、それは私の人生のすべてだった」、『Sportiva6月号』、集英社、2010年4月。
  2. ^ a b “ジダン「今はW杯のことだけに集中している」”. スポーツナビ. (2010年9月4日). http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/wcup/06germany/column/200605/at00009156.html 
  3. ^ “Zinedine Zidane voted top player by fans”. uefa.com. (2004年4月22日). http://www.uefa.com/newsfiles/171606.pdf 
  4. ^ フランスW杯決勝敗北。ジダンの悲劇。多民族同化統合の夢も終わった”. 朝日新聞出版 (2006年7月28日). 2010年5月19日閲覧。
  5. ^ “Zizou et les siens” (フランス語). nouvelobs.com. (1998年12月24日). http://hebdo.nouvelobs.com/sommaire/dossier/022916/zizou-et-les-siens.html 
  6. ^ ジダンの涙 - 大野元裕コラム”. goo.ne.jp (2006年7月13日). 2010年5月19日閲覧。
  7. ^ “ジダン、フランスでのスポーツ選手人気投票で再びNO.1”. livedoor.com. (2005年6月25日). http://news.livedoor.com/article/detail/1231956/ 
  8. ^ “「スペイン系の妻を」ジダンが後輩ベンゼマに珍アドバイス?”. livedoor.com. (2010年2月22日). http://news.livedoor.com/article/detail/4617618/ 
  9. ^ 同選手とトヨタカップで対戦した際に、ユニフォーム交換を実現させた。(FIFA公式サイトより、2010年6月11日閲覧)
  10. ^ a b c d e “英雄ジダンの6つのキーポイント”. livedoor.com. (2006年4月26日). http://news.livedoor.com/article/detail/1893893/ 
  11. ^ ジダン、息子エンツォの才能を称える”. goal.com. 2010年9月4日閲覧。
  12. ^ “マンガの力(4) キャプテン翼の「洗脳」(中)”. asahi.com. (2007年11月11日). http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200711100143.html 
  13. ^ a b ルーカ・カイオーリ 『ジダン Ten Minutes To Glory』 ゴマブックス、2006年。ISBN 4777105393
  14. ^ リッピは後に、マラドーナに次ぐ過去20年で最高の選手はジダンと発言している。[1]
  15. ^ “ジダンがジエゴにエール 「私もイタリアでは苦しんだ」”. livedoor.com. (2010年1月22日). http://news.livedoor.com/article/detail/4564158/ 
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