エリック・アビダル
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| 名前 | ||||||
| 本名 | Éric Sylvain Abidal | |||||
| カタカナ | エリック・シルヴァン・アビダル | |||||
| ラテン文字 | Eric ABIDAL | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 | ||||||
| 生年月日 | 1979年9月11日(33歳) | |||||
| 出身地 | ローヌ県, リヨン | |||||
| 身長 | 186cm | |||||
| 体重 | 81kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| 在籍チーム | ||||||
| ポジション | DF | |||||
| 背番号 | 22 | |||||
| 利き足 | 左足 | |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
| 2000-2002 2002-2004 2004-2007 2007-2013 |
ASモナコ リールOSC オリンピック・リヨン FCバルセロナ |
22 (0) 62 (0) 76 (0) 120 (0) |
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| 代表歴2 | ||||||
| 2004- | 61 (0) | |||||
| 1. 国内リーグ戦に限る。2012年5月14日現在。 2. 2012年2月29日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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エリック・アビダル(Éric Abidal, 1979年9月11日 - )は、フランス・リヨン出身の同国代表サッカー選手。ポジションはディフェンダー(左サイドバック、センターバック)。マルティニークにルーツを持つ。
2010-11シーズン終了時点では、クラブでの得点はオリンピック・リヨン在籍時にクープ・ドゥ・フランスで記録した1点と、FCバルセロナ在籍時にコパ・デル・レイで記録した1点の2点のみだったが、2011-12シーズンのコパ・デル・レイ、レアル・マドリードとの準々決勝1stレグでバルセロナ在籍2点目(自身クラブ通算3得点目)を記録した。50試合以上出場しているフランス代表では無得点で、ブルガリア戦とイラン戦でPKを蹴る機会があったがいずれも外している。2006 FIFAワールドカップ決勝のイタリア戦でPKを決めているが、これはPK戦中に記録したものであり、公式の得点とは認められていない。
目次 |
経歴[編集]
クラブ[編集]
フランス時代[編集]
リヨン郊外にあるASリヨン・デュシェールからASモナコの下部組織に移り、2000年9月16日のトゥールーズFC戦でプロデビューを果たした。2001-02シーズンまでの2シーズンで25試合に出場し、2002年にはASモナコ時代の恩師クロード・ピュエルが監督を務めるLOSCリール・メトロポールに移籍した。LOSCリール・メトロポールで才能を開花させ、2シーズンで62試合に出場した。
2004年夏、リーグ・アンを2連覇していたオリンピック・リヨンに移籍し、久々に地元に戻った。GKグレゴリー・クーペ、SBフランソワ・クレール、SBアントニー・レヴェイエール、CBクリス、CBクラウディオ・カサッパなどとともに強固なディフェンスを築き、2004-05シーズン、2005-06シーズンはリーグ・アンとクープ・ドゥ・フランスの2冠を達成した。2006-07シーズンはクープ・ドゥ・フランス制覇こそ逃したが、リーグ戦では6連覇(アビダル加入後は3連覇)の快挙を達成した。2007年1月17日、プロデビューして以来初となる得点をクープ・ドゥ・フランス準決勝・ル・マンUC戦で決めた[1]。
FCバルセロナ[編集]
2007年6月30日、移籍金1500万ユーロでリーガ・エスパニョーラのFCバルセロナに移籍し、4年契約を結んだ[2]。リヨンで着けていた背番号20はMFデコが既に着けていたため、背番号は22に決定した。違約金は9000万ユーロに設定され、クラブが2010-11シーズンまでにUEFAチャンピオンズリーグ優勝を果たした際には50万ユーロが余計にリヨンに支払われることとなった[3]。
DFシウヴィーニョらと左サイドバックのポジションを争うことが多かったが、フランク・ライカールト監督はアビダルをセンターバックで起用することもあった。2009年2月21日、エスパニョール戦で股関節を痛め、2ヶ月の間戦線離脱した。2008-09シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ・準決勝ではチェルシーと対戦したが、FWニコラ・アネルカを倒して決定機を阻害したとして退場処分を受け、決勝のマンチェスター・ユナイテッド戦には出場できなかった。チェルシー戦のすぐ後に行われたビジャレアルとのリーグ戦でもレッドカードを受け、コパ・デル・レイ決勝のビルバオ戦への出場を逃した。
2009年夏にはインテルからDFマクスウェルが加入したが、2009-10シーズンも左サイドバックのレギュラーポジションを守った。2010年2月には左足外転筋を痛め、2ヶ月の離脱を余儀なくされた。
2011年1月5日、コパ・デル・レイ5回戦・ビルバオ戦2ndレグで先制点を決めたが、この得点は在籍4シーズン目にして初得点であった[4]。2011年3月、肝臓に腫瘍が発見され、3月17日に摘出手術を行った[5]。3月24日に退院後[6]リハビリを重ね、5月3日のチャンピオンズリーグ準決勝2ndレグのレアル・マドリード戦で90分から途中出場しピッチに復帰。観客から大声援を受け、試合後にはチームメイトにより胴上げされた[7]。
2011-2012シーズンも開幕から好調なプレーを続けていたアビダルだったが、肝移植手術を受ける為2012年3月中旬に再び戦線を離脱[8]。手術は無事成功に終わった[9]。
2013年4月6日、手術後はじめての試合(マジョルカ戦)に出場。5月30日、今季限りでのバルセロナ退団を発表。
代表[編集]
2004年8月18日、ボスニア・ヘルツェゴビナ戦でフランス代表デビューした。2006 FIFAワールドカップ本大会グループリーグ初戦のスイス戦と2戦目の韓国には左サイドバックとしてフル出場したが、2試合で2枚のイエローカードを受けたため、3戦目のトーゴ戦は累積警告により出場できず、DFミカエル・シルヴェストルがアビダル欠場の穴を埋めた。スペインとの決勝トーナメント1回戦からは先発メンバーに復帰し、決勝までフル出場を続けた。決勝のイタリア戦はPK戦にもつれ込み、アビダルは3番手キッカーとしてPKを決めたが、試合には敗れて準優勝に終わった。
UEFA欧州選手権2008予選も左サイドバックのレギュラーであり、本大会にも順当に選出された。グループリーグ最終戦のイタリア戦はセンターバックとして出場したが、前半24分にFWルカ・トーニを倒してPKを与え、一発退場処分を受ける散々な出来であり、チームもグループリーグ敗退に終わった。
2010 FIFAワールドカップ本大会初戦のウルグアイ戦と2戦目のメキシコ戦にはセンターバックとして出場したが、アネルカの追放処分やDFパトリス・エヴラの裏切り者発言などに象徴されるようにチーム状態は最悪で、2試合で勝ち点1に終わった。3戦目の前には「試合に向けた準備ができていない」とドネメク監督に申し出たため、1-2で敗れた南アフリカ戦には出場していない。
エピソード[編集]
- 2011年5月28日に行われたUEFAチャンピオンズリーグ決勝のマンチェスター・ユナイテッド戦後の優勝セレモニーにおいて、主将のカルレス・プジョルの計らいでキャプテンマークを巻いて優勝トロフィーの「ビッグイヤー」を掲げる大役を任されている。
- 前述の通り肝移植手術を受けたアビダルのサッカー選手としての復帰について、専門医は「極めて難しい」と主張していた[10]。
- しかし上記の通り、2013年4月に奇跡的に復帰。担当した主治医によれば、当初の目標は普通の生活ができるように治療することであり、現役のプロサッカープレイヤーに復帰できたことは奇跡であると語っている[11]。
- 復帰後の本人へのインタビューでは短期間に4,5回の手術を受け体重が19キロ減ったこと、また耐え切れない痛みのため医師に昏睡状態にしてくれないかと頼んだこともあったと闘病生活の苦しさ振り返った[12]。
所属クラブ[編集]
ASリヨン・デュシェール 1999-2000
ASモナコ 2000-2002
リールOSC 2002-2004
オリンピック・リヨン 2004-2007
FCバルセロナ 2007-2013
個人成績[編集]
- 2011年5月22日時点[13]
| クラブ | シーズン | 国内リーグ | 国内カップ[14] | 欧州カップ[15] | 通算 | ||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||
| ASモナコ | 2000–01 | 10 | 0 | 10 | 0 | ||||
| 2001–02 | 15 | 0 | 15 | 0 | |||||
| 合計 | 25 | 0 | 25 | 0 | |||||
| LOSCリール・メトロポール | 2002–03 | 26 | 0 | 26 | 0 | ||||
| 2003–04 | 34 | 0 | 34 | 0 | |||||
| 合計 | 60 | 0 | 60 | 0 | |||||
| オリンピック・リヨン | 2004–05 | 28 | 0 | 7 | 0 | 35 | 0 | ||
| 2005–06 | 15 | 0 | 6 | 0 | 21 | 0 | |||
| 2006–07 | 33 | 0 | 3 | 1 | 7 | 0 | 43 | 1 | |
| 合計 | 76 | 0 | 3 | 1 | 20 | 0 | 99 | 1 | |
| FCバルセロナ | 2007–08 | 30 | 0 | 6 | 0 | 10 | 0 | 46 | 0 |
| 2008–09 | 25 | 0 | 2 | 0 | 5 | 0 | 32 | 0 | |
| 2009–10 | 17 | 0 | 4 | 0 | 10 | 0 | 31 | 0 | |
| 2010–11 | 26 | 0 | 5 | 1 | 8 | 0 | 39 | 1 | |
| 合計 | 98 | 0 | 17 | 1 | 33 | 0 | 148 | 1 | |
| 通算 | 259 | 0 | 20 | 2 | 53 | 0 | 332 | 2 | |
タイトル[編集]
クラブ[編集]
- リーグ・アン : 2004-05, 2005-06, 2006-07
- フランススーパーカップ : 2005, 2006, 2007
- リーガ・エスパニョーラ : 2008-09, 2009-10, 2010-11, 2012-13
- コパ・デル・レイ : 2008-09, 2011-12
- スーペルコパ・デ・エスパーニャ: 2009, 2010, 2011
- UEFAチャンピオンズリーグ : 2008-09, 2010-11
- UEFAスーパーカップ: 2009, 2011
- FIFAクラブワールドカップ: 2009, 2011
個人[編集]
- UEFAチーム・オブ・ザ・イヤー : 2007
脚注[編集]
- ^ “Coupe de la Ligue - Match stats”. ligue1. 2010年5月25日閲覧。 [リンク切れ]
- ^ “Abidal completes move to Barcelona”. CNN. (2007年6月29日) 2007年6月30日閲覧。 [リンク切れ]
- ^ “Abidal joins Barcelona”. FIFA. (2007年6月29日) 2007年7月30日閲覧。
- ^ “ビルバオ戦をデータで振り返る”. FCバルセロナ日本語公式サイト. (2011年1月7日) 2011年3月21日閲覧。
- ^ “アビダル、腫瘍除去手術が無事成功”. Goal.com. (2011年3月18日) 2011年3月21日閲覧。
- ^ “アビダルが退院”. Goal.com. (2011年3月25日) 2011年5月5日閲覧。
- ^ “UEFAチャンピオンズリーグ2011 - バルセロナ-レアル・マドリー マッチレポート”. UEFA.com. (2011年5月4日) 2011年5月5日閲覧。
- ^ バルサ、アビダルが肝移植手術のため戦線離脱へ Goal.com 2012年3月15日
- ^ サッカー=仏代表アビダル、肝移植手術に成功 ロイター 2012年4月12日
- ^ 専門医はアビダルの復帰に悲観的「再びプレーするのは極めて難しい」 スポーツナビ 2012年3月17日
- ^ Doctor hails Eric Abidal recovery as a 'miracle'
- ^ アビダル「耐え難い痛みで、昏睡状態にしてくれと頼んだ時もある」 Soccer King 2013年4月17日
- ^ Soccernet player statistics
- ^ スーペルコパ・デ・エスパーニャを含む
- ^ UEFAスーパーカップを含む
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