RCDエスパニョール

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RCDエスパニョール
原語表記 Reial Club Deportiu Espanyol de Barcelona
愛称 Periquitos
クラブカラー 青と白
創設年 1900年
所属リーグ リーガ・エスパニョーラ
所属ディビジョン プリメーラ・ディビシオン
ホームタウン コルネリャー・デ・リョブレガート
ホームスタジアム エスタディ・コルネリャ=エル・プラット
収容人数 40,000[1]
代表者 スペインの旗 ジョアン・コジェト・ディヴィ
監督 スペインの旗 セルヒオ・ゴンサレス
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

レイアル・クルブ・デポルティウ・エスパニョール・デ・バルセロナ (Reial Club Deportiu Espanyol de Barcelona カタルーニャ語発音: [rəˈjaɫ ˈkɫub dəpurˈtiw əspəˈɲɔɫ də βərsəˈɫonə] ライアル クルブ ダプルティウ アスパニョール ダ バルサローナ) は、スペインカタルーニャ州バルセロナ県コルネリャー・デ・リョブレガートに本拠を置くプロサッカークラブ。現在はリーガ・エスパニョーラプリメーラ・ディビシオンに所属する。

歴史[編集]

エスパニョールの選手達(1980年)

1900年10月28日にバルセロナ大学工学部の学生を中心として設立[2]。初期にはサグラダ・ファミリア近くの広場でプレーし、ソシエダ・エスパニョーラ (Sociedad Española de Footbal) と名乗っていたが一年後にクルブ・エスパニョール (Club Español de Fútbol) に名称を変更。外国籍選手を多く起用していた当時のスペインにおける多くのクラブとは異なり、選手はスペイン人のみに限定していた。1910年にクラブ名をクルブ・デポルティウに変更すると共にユニフォームも現在まで続く青地に白のストライプが入ったデザインとなった。

1912年にはアルフォンソ13世より「レアル」の名の利用が許されレアル・クルブ・デポルティーボ・エスパニョール (Real Club Deportivo Español de Barcelona) と呼ばれるようになった。1930年代の第二共和制下では、王室色を廃してカタルーニャ語を使用したクルブ・エスポルティウ・エスパニョール (Club Esportiu Espanyol) と称していた。1995年にはクラブ名をカタルーニャ語表記 (Reial Club Deportiu Espanyol de Barcelona) に改めている。ただし、「Deportiu」という表記はスペイン語の「Deportivo」の語尾だけをカタルーニャ語風にしたものであって、単語としては正しくない(カタルーニャ語では「Esportiu」)。略称の「RCD」を変化させずにカタルーニャ語表記にするための苦肉の策である。

同じくバルセロナ県を本拠地とするFCバルセロナとの試合はバルセロナ・ダービーとして盛り上がりを見せる。カタルーニャ民族主義に基づき伝統的に反マドリードの意識が強いカタルーニャにあって王立を意味する「レアル」を冠しているために地元での人気はFCバルセロナに押されがちである。

2004-05シーズンにリーグ戦5位、2005-06シーズンにはコパ・デル・レイ制覇、2006-07シーズンにはUEFAカップで準優勝を果たしている。またリーガ・エスパニョーラに属するクラブの中でも屈指の下部組織を擁し[要出典]ダニエル・ハルケマルク・トレホンなどを輩出している。

2006年夏、ビルバオUEFAカップ出場権を獲得したエルネスト・バルベルデ監督と契約した。

2006-07シーズン前半戦は優勝争いに絡んだが、後半戦に大きく失速して11位でシーズンを終えた。FWラウール・タムードとFWルイス・ガルシアの両エースが合わせて25得点し、ラウール・タムードはマラニョンが持っていたクラブ記録(111得点)を塗り替えた。UEFAカップではアヤックス・アムステルダムなどと同居したグループリーグを4戦4勝(得点11、失点2)で首位通過し、決勝トーナメントではASリヴォルノ・カルチョマッカビ・ハイファベンフィカヴェルダー・ブレーメンを倒して決勝に進出した。決勝ではPK戦の末にセビージャに敗れたが、FWワルテル・パンディアーニが得点王を獲得した。

2007年夏、スーパーサブ的な存在だったワルテル・パンディアーニがオサスナに移籍したが、MFバルド、MFミラン・スミリャニッチ、DFクレメンテ・ロドリゲスなどを獲得して選手層の充実を図った。

2008年夏、エルネスト・バルベルデ監督がオリンピアコスに去り、ヘッドコーチを務めていたティンティン・マルケスが新監督に就任。レアル・マドリード・カスティージャからFWホセ・カジェホンヌマンシアからグレゴリー・ベランジェを加えたものの、陣容に大きな変化はなかった。

2008-09シーズンは開幕3戦で勝ち点7と良いスタートを切ったものの、4節からのセビージャ、FCバルセロナレアル・マドリードビジャレアルとの4連戦(2分2敗)を機に順位は低下し、2008年11月に4連敗したことでティンティン・マルケス監督が解任された。マネ監督が第2監督から昇格したが、6戦を指揮して白星を奪えず、女子チームの監督をしていたかつての英雄、マウリシオ・ポチェッティーノ監督が迎えられた。最下位でFCバルセロナとのバルセロナ・ダービーを迎えたが、イバン・デ・ラ・ペーニャの2ゴールで首位のFCバルセロナに勝利した。この15節ぶりの勝利がきっかけとなり、29節から最終節までの10試合を8勝1分1敗で乗り切り、10位まで順位を上げた。この10試合中に21得点しているが、これはシーズン105得点を挙げたFCバルセロナの同期間中の得点数と同じである。モンジュイックのラストゲームとなった最終節でエースのラウール・タムードがハットトリックを達成したが、シーズン6得点に終わり、連続二桁得点記録は9シーズンで途切れた。

移籍が噂されたラウール・タムードに代わり、新キャプテンに生え抜きのDFダニエル・ハルケが就任した。司令塔ジョアン・ベルドゥ中村俊輔らが加入したものの、開幕直前の8月上旬にダニエル・ハルケが心臓発作で死去する不幸が起こるなど不測の事態が起こり、2009-10シーズンを迎えることとなった。第2節のレアル・マドリード戦は新スタジアムエスタディ・コルネジャ=エル・プラットでのリーグ初戦となったが、0-3で敗北した。序盤から苦戦が続き、下位に低迷し降格圏にも位置することもあったが、後半戦は新戦力のハビ・マルケスなどの活躍により順位が上がり、最終順位は11位で終わった。

2010-11シーズンは開幕戦のヘタフェ戦に勝利し、シーズン初勝利を挙げると、第16節のFCバルセロナに敗れるまでホームで無傷の7連勝を記録。序盤から安定した成績で勝ち点を積み重ね、前半戦をヨーロッパリーグ出場圏内となる5位で終えた。

スタジアム[編集]

1923年から1996年まではワールドカップの会場にもなったエスタディ・デ・サリアを利用していたが、負債の返済の為この敷地を売却せざるを得なくなり[2]バルセロナオリンピックのメインスタジアムであったエスタディ・オリンピック・リュイス・コンパニス(モンジュイック)に移転した。バルセロナ市から賃借していたこのスタジアムはトラックを有した陸上競技場でありサポーターの評判は良いものではなかった[1]

2009年、バルセロナ市中心部から西に位置するコルネリャに4万人収容のサッカー専用スタジアムであるエスタディ・コルネリャ=エル・プラットが完成し、同年8月2日にこけら落しとしてリヴァプールFCとの親善試合が行われた。

サポーター・マスコット[編集]

2008年2月対セビージャFC

以前利用していたサリア・スタジアム前の公園にインコが多く住んでいたため、もしくは"Gato Perico"という漫画のキャラクターから、クラブのサポーターはスペイン語でインコを意味する「ペリコ」と呼ばれる[2]。クラブのマスコットも着ぐるみのインコであり、その奇妙なデザインから人気が高い。

ユニフォームの変遷[編集]

1900
1901
1910
1915
1941
1966
2000
2001
2004
2006
2010

タイトル[編集]

国内タイトル[編集]

国際タイトル[編集]

なし

近年の成績[編集]

シーズン ディビジョン 順位 試合数 勝利 引分 敗北 得点 失点 勝ち点 国王杯 欧州カップ戦
1997–98 1部 10位 38 12 17 9 44 31 53 2回戦敗退
1998–99 1部 7位 38 16 13 9 49 38 61 ベスト8 UEFAカップ 予選敗退
1999–2000 1部 14位 38 12 11 15 51 48 47 優勝
2000–01 1部 9位 38 14 8 16 46 44 50 ベスト8 UEFAカップ 3回戦敗退
2001–02 1部 14位 38 13 8 17 47 56 47 ベスト64
2002–03 1部 17位 38 10 13 15 48 54 43 ベスト64
2003–04 1部 16位 38 13 4 21 48 64 43 ベスト32
2004–05 1部 5位 38 17 10 11 54 46 61 2回戦敗退
2005–06 1部 15位 38 10 11 17 36 56 41 優勝 UEFAカップ 3回戦敗退
2006–07 1部 11位 38 12 13 13 46 53 49 ベスト32 UEFAカップ 準優勝
2007-08 1部 12位 38 13 9 16 43 53 48 ベスト16
2008-09 1部 10位 38 12 11 15 46 49 47 ベスト8
2009-10 1部 11位 38 11 11 16 29 46 44 ベスト32
2010-11 1部 8位 38 15 4 19 46 55 49 ベスト16
2011-12 1部 14位 38 12 10 16 46 56 46 ベスト8
2012-13 1部 13位 38 11 11 16 43 52 44 ベスト32
2013-14 1部 13位 38 11 9 18 41 51 42 ベスト8

現所属メンバー[編集]

2014年9月2日現在
No. Pos. 選手名
1 スペインの旗 GK ヘルマン・パレーニョ
2 ブラジルの旗 DF フェリペ・マッティオーニ (Flag of Italy.svg) (Flag of Argentina.svg)
3 スペインの旗 DF ラウル・ロドリゲス
4 スペインの旗 MF ビクトル・サンチェス
5 スペインの旗 DF ビクトル・アルバレス
6 スペインの旗 MF サルバ・セビージャ
7 スペインの旗 MF アレックス・フェルナンデス
8 ウルグアイの旗 FW クリスティアン・ストゥアニ (Flag of Italy.svg)
9 スペインの旗 FW セルヒオ・ガルシア主将 Captain sports.svg
10 スペインの旗 MF アブラアム・ゴンザレス
11 スペインの旗 MF マヌエル・ランサローテ
12 スペインの旗 DF カルロス・クレルク
13 スペインの旗 GK キコ・カシージャ
No. Pos. 選手名
14 スペインの旗 MF ホセ・カニャス
15 メキシコの旗 DF エクトル・モレノ
16 スペインの旗 DF ハビ・ロペス
17 スペインの旗 MF ルーカス・バスケス
18 スペインの旗 DF フアン・フエンテス
19 アルゼンチンの旗 DF ディエゴ・コロット (Flag of Italy.svg)
20 エクアドルの旗 FW フェリペ・カイセド
22 スペインの旗 DF アルバロ・ゴンサレス
23 スペインの旗 DF アナイツ・アルビージャ
24 スペインの旗 MF パコ・モンタニェス
25 スペインの旗 GK パウ・ロペス
28 スペインの旗 MF ホアン・ホルダン

括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。

監督

ローン移籍中の選手[編集]

in

No. Pos. 選手名
17 スペインの旗 MF ルーカス・バスケス (レアル・マドリード)

out

No. Pos. 選手名
-- スペインの旗 MF クリスティアン・アルフォンソ (ジローナ)
-- スペインの旗 MF クリスティアン・ゴメス (ジローナ)
No. Pos. 選手名
-- スペインの旗 MF セルヒオ・テヘラ (アラベス)
-- コンゴ共和国の旗 FW ティエヴィ・ビフマ (アルメリア)

歴代監督[編集]

歴代所属選手[編集]

GK[編集]

DF[編集]

MF[編集]

FW[編集]

参照[編集]

  1. ^ a b Espanyol Prepare To Bid Farewell To The Montjuic , Goal.com, 29 May 2009
  2. ^ a b c PERICOZ - RCD Espanyol Supporters Club

外部リンク[編集]