RCDエスパニョール

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RCDエスパニョール
原語表記 Reial Club Deportiu Espanyol de Barcelona
愛称 Periquitos
クラブカラー 青と白
創設年 1900年
所属リーグ リーガ・エスパニョーラ
所属ディビジョン プリメーラ・ディビシオン
ホームタウン バルセロナ
ホームスタジアム エスタディ・コルネリャ=エル・プラット
収容人数 40,000[1]
代表者 スペインの旗 ダニエル・サンチェス・リブレ
監督 アルゼンチンの旗 マウリシオ・ポチェッティーノ
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

レイアル・クルブ・デポルティウ・エスパニョール・デ・バルセロナ (Reial Club Deportiu Espanyol de Barcelona) は、スペインカタルーニャ州バルセロナに本拠を置くプロサッカークラブ。現在はリーガ・エスパニョーラプリメーラ・ディビシオンに所属する。

目次

[編集] 歴史

エスパニョールの選手達(1980年)

1900年10月28日にバルセロナ大学工学部の学生を中心として設立[2]。初期にはサグラダ・ファミリア近くの広場でプレーし、ソシエダ・エスパニョーラ (Sociedad Española de Footbal) と名乗っていたが一年後にクルブ・エスパニョール (Club Español de Fútbol) に名称を変更。外国籍選手を多く起用していた当時のスペインにおける多くのクラブとは異なり、選手はスペイン人のみに限定していた。1910年にクラブ名をクルブ・デポルティウに変更すると共にユニフォームも現在まで続く青地に白のストライプが入ったデザインとなった。

1912年にはアルフォンソ13世より「レアル」の名の利用が許されレアル・クルブ・デポルティーボ・エスパニョール (Real Club Deportivo Español de Barcelona) と呼ばれるようになった。1930年代の第二共和制下では、王室色を廃してカタルーニャ語を使用したクルブ・エスポルティウ・エスパニョール (Club Esportiu Espanyol) と称していた。1995年にはクラブ名をカタルーニャ語表記 (Reial Club Deportiu Espanyol de Barcelona) に改めている。ただし、「Deportiu」という表記はスペイン語の「Deportivo」の語尾だけをカタルーニャ語風にしたものであって、単語としては正しくない(カタルーニャ語では「Esportiu」)。略称の「RCD」を変化させずにカタルーニャ語表記にするための苦肉の策である。

同じくバルセロナを本拠地とするFCバルセロナとの試合はバルセロナ・ダービーとして盛り上がりを見せる。カタルーニャ民族主義に基づき伝統的に反マドリードの意識が強いカタルーニャにあって王立を意味する「レアル」を冠しているために地元での人気はFCバルセロナに押されがちである。

近年の戦績は、2004-05シーズンにリーグ戦5位、2005-06シーズンにはコパ・デル・レイ制覇、2006-07シーズンにはUEFAカップで準優勝を記録するなど、着実な成績を残している。またリーガ・エスパニョーラに属するクラブの中でも屈指の下部組織を擁し、ダニエル・ハルケマルク・トレホンなど有望な若手選手を次々に輩出している。

2006年夏、ビルバオUEFAカップ出場権を獲得したエルネスト・バルベルデ監督と契約した。

2006-07シーズン前半戦は優勝争いに絡んだが、後半戦に大きく失速して11位でシーズンを終えた。FWラウール・タムードとFWルイス・ガルシアの両エースが合わせて25得点し、ラウール・タムードはマラニョンが持っていたクラブ記録(111得点)を塗り替えた。UEFAカップではアヤックス・アムステルダムなどと同居したグループリーグを4戦4勝(得点11、失点2)で首位通過し、決勝トーナメントではASリヴォルノ・カルチョマッカビ・ハイファベンフィカヴェルダー・ブレーメンを倒して決勝に進出した。決勝ではPK戦の末にセビージャに敗れたが、FWワルテル・パンディアーニが得点王を獲得した。

2007年夏、スーパーサブ的な存在だったワルテル・パンディアーニがオサスナに移籍したが、MFバルド、MFミラン・スミリャニッチ、DFクレメンテ・ロドリゲスなどを獲得して選手層の充実を図った。

2008年夏、エルネスト・バルベルデ監督がオリンピアコスに去り、ヘッドコーチを務めていたティンティン・マルケスが新監督に就任。レアル・マドリード・カスティージャからFWホセ・カジェホンマヌンシアからグレゴリー・ベランジェを加えたものの、陣容に大きな変化はなかった。

2008-09シーズンは開幕3戦で勝ち点7と良いスタートを切ったものの、4節からのセビージャ、FCバルセロナレアル・マドリードビジャレアルとの4連戦(2分2敗)を機に順位は低下し、2008年11月に4連敗したことでティンティン・マルケス監督が解任された。マネ監督が第2監督から昇格したが、6戦を指揮して白星を奪えず、女子チームの監督をしていたかつての英雄、マウリシオ・ポチェッティーノ監督が迎えられた。最下位でFCバルセロナとのバルセロナ・ダービーを迎えたが、イバン・デ・ラ・ペーニャの2ゴールで首位のFCバルセロナに勝利した。この15節ぶりの勝利がきっかけとなり、29節から最終節までの10試合を8勝1分1敗で乗り切り、10位まで順位を上げた。この10試合中に21得点しているが、これはシーズン105得点を挙げたFCバルセロナの同期間中の得点数と同じである。モンジュイックのラストゲームとなった最終節でエースのラウール・タムードがハットトリックを達成したが、シーズン6得点に終わり、連続二桁得点記録は9シーズンで途切れた。

移籍が噂されたラウール・タムードに代わり、新キャプテンに生え抜きのDFダニエル・ハルケが就任した。司令塔ジョアン・ベルドゥ日本代表のMF中村俊輔らを加えて期待に満ちたプレシーズンを送っていたが、2009年8月上旬にダニエル・ハルケが心臓発作で死去する出来事があり、精神的にも肉体的にも不安を抱えながら新シーズンを迎えることとなった。

2009-10シーズン第2節のレアル・マドリード戦は新スタジアムエスタディ・コルネジャ=エル・プラットでのリーグ初戦となったが、0-3で完敗した。序盤から苦戦が続き、一時は下位に低迷し降格圏にも位置することもあったが、後半戦は新戦力のハビ・マルケスなどの活躍により順位が上がり、最終順位は11位で終わった。

2010-11シーズンは開幕戦のヘタフェ戦に勝利し、シーズン初勝利を挙げると、第16節のFCバルセロナに敗れるまでホームで無傷の7連勝を記録。序盤から安定した成績で勝ち点を積み重ね、前半戦をヨーロッパリーグ出場圏内となる5位で終えた。

[編集] スタジアム

1923年から1996年まではワールドカップの会場にもなったエスタディ・デ・サリアを利用していたが、負債の返済の為この敷地を売却せざるを得なくなり[2]バルセロナオリンピックのメインスタジアムであったエスタディ・オリンピック・リュイス・コンパニス(モンジュイック)に移転した。バルセロナ市から賃借していたこのスタジアムはトラックを有した陸上競技場でありサポーターの評判は良いものではなかった[1]

2009年、市中心部からは西に位置するコルネリャに4万人収容のサッカー専用スタジアムであるエスタディ・コルネリャ=エル・プラットが完成し、同年8月2日にこけら落しとしてリヴァプールFCとの親善試合が行われた。

[編集] サポーター・マスコット

2008年2月対セビージャFC

以前利用していたサリア・スタジアム前の公園にインコが多く住んでいたため、もしくは"Gato Perico"という漫画のキャラクターから、クラブのサポーターはスペイン語でインコを意味する「ペリコ」と呼ばれる[2]。クラブのマスコットも着ぐるみのインコであり、その奇妙なデザインから人気が高い。

[編集] タイトル

[編集] 国内タイトル

  • カタルーニャ選手権:12回
    • 1903、1904、1906、1907、1908、1912、1915、1918、1929、1933、1937、1940
  • コパ・カタルーニャ:12回
    • 1995、1996、1999、2006

[編集] 国際タイトル

なし

[編集] 過去の成績

  • 1996 - 1997 プリメーラ・ディビシオン 12位
  • 1997 - 1998 プリメーラ・ディビシオン 10位
  • 1998 - 1999 プリメーラ・ディビシオン 7位
  • 1999 - 2000 プリメーラ・ディビシオン 14位
  • 2000 - 2001 プリメーラ・ディビシオン 9位
  • 2001 - 2002 プリメーラ・ディビシオン 14位
  • 2002 - 2003 プリメーラ・ディビシオン 17位
  • 2003 - 2004 プリメーラ・ディビシオン 16位
  • 2004 - 2005 プリメーラ・ディビシオン 5位
  • 2005 - 2006 プリメーラ・ディビシオン 15位
  • 2006 - 2007 プリメーラ・ディビシオン 11位
  • 2007 - 2008 プリメーラ・ディビシオン 12位
  • 2008 - 2009 プリメーラ・ディビシオン 10位
  • 2009 - 2010 プリメーラ・ディビシオン 11位
  • 2010 - 2011 プリメーラ・ディビシオン 8位


[編集] 現所属メンバー

2011年2月1日現在
No. Pos. 選手名
2 ブラジルの旗 DF フェリペ・マッティオーニ (Flag of Italy.svg)
3 スペインの旗 DF ラウル・ロドリゲス
4 スペインの旗 MF ハビ・マルケス
5 スペインの旗 DF ジョルディ・アマト
6 ポルトガルの旗 FW ルイ・フォンテ
7 スペインの旗 MF ラウル・バエナ
8 スペインの旗 FW アルバロ・バスケス
9 スペインの旗 FW セルヒオ・ガルシア
10 スペインの旗 MF ジョアン・ベルドゥ
11 コートジボワールの旗 MF ロマリッチ (Flag of France.svg)
12 ナイジェリアの旗 FW カルー・ウチェ (Flag of Spain.svg)
13 スペインの旗 GK キコ・カシージャ
No. Pos. 選手名
14 スペインの旗 DF エルネスト・ガラン
15 メキシコの旗 DF エクトル・モレノ
16 スペインの旗 MF ハビ・ロペス
17 スロバキアの旗 MF ヴラディミル・ヴァイス
18 アルゼンチンの旗 DF フアン・フォルリン
19 スペインの旗 MF ビクトール・サンチェス・マタ
20 ウルグアイの旗 FW ワルテル・パンディアーニ (Flag of Italy.svg)
22 スペインの旗 DF ディダク・ビラ
23 ブラジルの旗 MF フィリペ・コウチーニョ
24 ウルグアイの旗 MF フアン・アンヘル・アルビン (Flag of Italy.svg)
25 アルゼンチンの旗 GK クリスティアン・アルバレス (Flag of Spain.svg)

括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。

[編集] ローン移籍中の選手

in
No. Pos. 選手名
11 コートジボワールの旗 MF ロマリッチ (セビージャFC)
17 スロバキアの旗 MF ヴラディミル・ヴァイス (マンチェスター・シティFC)
No. Pos. 選手名
22 スペインの旗 DF ディダク・ビラ (ACミラン)
out
No. Pos. 選手名
アルゼンチンの旗 MF ロマン・マルティネス (CAティグレ)
ウルグアイの旗 MF アドリアン・ルナ (ジムナスティック・タラゴナ)
No. Pos. 選手名
イスラエルの旗 FW ベン・サハル (AJオセール)
スペインの旗 FW フェラン・コロミナス (ジローナFC)

[編集] 歴代監督

[編集] 歴代所属選手

[編集] GK

[編集] DF

[編集] MF

[編集] FW

[編集] 参照

  1. ^ a b Espanyol Prepare To Bid Farewell To The Montjuic , Goal.com, 29 May 2009
  2. ^ a b c PERICOZ - RCD Espanyol Supporters Club

[編集] 外部リンク

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