CDテネリフェ

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CDテネリフェ
原語表記 Club Deportivo Tenerife
愛称 Riqui-raca, Tete, Chicharreros(チチャレロス、サンタクルス人), Insulares(インスラーレス、島民), Blanquiazules(ブランキアスーレス、青と白)
クラブカラー 青と白
創設年 1912年
所属リーグ リーガ・エスパニョーラ
所属ディビジョン セグンダ・ディビシオン
ホームタウン サンタ・クルス・デ・テネリフェ, テネリフェ島
ホームスタジアム エスタディオ・エリオドーロ・ロドリゲス・ロペス
収容人数 24,000
代表者 スペインの旗 ミゲル・コンセプシオン
監督 スペインの旗 アルバロ・セルベーラ
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

CDテネリフェClub Deportivo Tenerife)は、スペインカナリア諸島テネリフェに本拠地を置くサッカークラブ。2013-14シーズンはセグンダ・ディビシオン(2部)に所属する。

24,000人収容のエスタディオ・エリオドーロ・ロドリゲス・ロペスを本拠地とする。同じくカナリア諸島に本拠地を置くUDラス・パルマスとの対戦はカナリア諸島ダービーとして知られる。

歴史[編集]

2008年のレアル・ソシエダ戦

設立からセグンダ参戦まで[編集]

CDテネリフェが公式に設立されたのは1912年であるが、CDテネリフェの前身となったSCテネリフェ(Sporting Club Tenerife)がその10年前から存在していたとする文献もある。1928年にスペイン全国選手権(リーガ・エスパニョーラ)が設立されたが、テネリフェは地域リーグ(ディビシオネス・レヒオナレス)でのプレーを続け、セグンダ・ディビシオン(2部)に初昇格したのは1953年のことだった。

プリメーラ初参戦後[編集]

1961-62シーズンにはプリメーラ・ディビシオン(1部)に初参戦したが、すぐにセグンダに降格し、その後の27シーズンは主にセグンダに在籍。セグンダ・ディビシオンB(1978年創設、現3部相当)やテルセーラ・ディビシオン(現4部相当、1977年以前は3部相当)でもプレーした。1986年に2度目のセグンダB降格を喫すると、ハビエル・ペレス会長が就任。わずか1シーズンでセグンダ復帰を果たすと、1989年には昇格プレーオフでレアル・ベティスを2試合合計4-1で下し、28シーズンぶりのプリメーラ昇格を果たした。

1990年代 国内外での躍進[編集]

1991年にはアルゼンチン人のホルヘ・バルダーノが監督に就任し、2シーズン連続で古巣レアル・マドリードの戴冠を阻止している。バルダーノ監督就任初年度となった1991-92シーズン最終節では、首位レアル・マドリードに3-2で逆転勝ちし、結果としてFCバルセロナの優勝に貢献することになった。これはテネリフェの奇跡と呼ばれ、テネリフェはかろうじて降格を回避した。1992-93シーズンも首位レアル・マドリード、2位バルセロナという状況で最終節を迎えたが、テネリフェはレアル・マドリードと対戦し、またしても2-0で勝利してバルセロナの優勝に間接的に貢献。このシーズンのテネリフェはクラブ史上最高位の5位でシーズンを終え、UEFAカップ出場権を獲得した。1993-94シーズンのUEFAカップではAJオセール(フランス)とオリンピアコスFC(ギリシャ)に勝利してベスト16となったが、3回戦でユヴェントスFC(イタリア)に2試合合計2-4で敗れた。1995年にドイツ人のユップ・ハインケス監督が就任し、1995-96シーズンは再びクラブ史上最高位(タイ)の5位となった上に、コパ・デル・レイでは準々決勝に進出。1996-97シーズンには再びUEFAカップに出場し、1回戦でマッカビ・テル・アビブFC(イスラエル)、2回戦でSSラツィオ(イタリア)、3回戦でフェイエノールト(オランダ)、準々決勝でブレンビーIF(デンマーク)を破って準決勝に進出した。ブレンビー戦セカンドレグは、ロスタイムにアントニオ・マタが決勝点となる直接フリーキックを決める、劇的な試合となった。準決勝では延長戦の末シャルケ04(ドイツ)に敗れたものの、ベスト4という快挙を成し遂げた。その後は負のスパイラルに巻き込まれ、1999年には何度もの監督交代も空しくセグンダに降格となった。

2000年代 財政難と停滞[編集]

ラファエル・ベニテス監督が率いた2000-01シーズンには、最終節でウーゴ・モラレスが得点して昇格を決めた。2001年夏にベニテス監督はバレンシアCF監督に栄転し、ペペ・メルがテネリフェの新監督に就任したが、バルセロナに0-6で大敗するなどして、メル監督はシーズン途中で監督の座を追われた。かつてスペイン代表を指揮したハビエル・クレメンテ監督が就任したが、2001-02シーズン終了後には結局セグンダ降格となった。続く数シーズンは深刻な財政難に悩まされ、4000万ユーロ以上の負債を抱えた。ペレス会長の後任としてビクトル・ペレス・デ・アスカニオ会長が就任したが、アスカニオ会長も稚拙なクラブ運営のためにミゲル・コンセプシオン会長に交代した。コンセプシオン会長は地元の政治家や実業家と交渉し、クラブ系列の建設会社を設立した。セグンダでプレーした2008-09シーズンは、序盤戦こそ失点が多くて順位が安定しなかったが、年が変わる頃から守備が安定し、2009年1月から5月にかけて17戦無敗で順位を大きく上げた。ニノアレハンドロ・アルファロのコンビで50点近くを挙げ、8シーズンぶりのプリメーラ昇格を決めた。2009-10シーズンは19位となり、バレンシア戦での敗戦後にセグンダ降格が決まった。2010-11シーズンには3度も監督が交代し[1]、2シーズン連続での降格となった。2011-12シーズンは実に24年ぶりのセグンダBでのプレーとなった。

サポーター[編集]

テネリフェのサポーターはチチャレロス (Chicharreros)と呼ばれる。この単語は「サンタ・クルス人」という意味であるが、これはかつてサンタ・クルスが小漁村だった時代にアジ(スペイン語でChicharro)が主要な食糧だったことに由来する。テネリフェ島カナリア諸島のその他の島の住民はチチャレロスという言葉を蔑称として用いたが、サンタ・クルスの人々は親しみをこめて用いているようになった。

タイトル[編集]

国内タイトル[編集]

1960-1961
1986-1987
1970-1971

成績[編集]

近年の成績[編集]

優勝 準優勝 昇格 降格
シーズン ディビジョン 順位 試合数 勝利 引分 敗北 得点 失点 勝ち点 備考
1997–98 プリメーラ 15 38 11 12 15 44 57 45
1998–99 プリメーラ 19 38 7 13 18 41 63 34 セグンダ降格
1999-00 セグンダ 14 42 14 13 15 50 48 55
2000-01 セグンダ 3 42 21 11 10 58 32 74 プリメーラ昇格
2001–02 プリメーラ 19 38 10 8 20 32 58 38 セグンダ降格
2002–03 セグンダ 8 42 13 18 11 53 39 57
2003–04 セグンダ 8 42 11 21 10 40 40 54
2004–05 セグンダ 9 42 13 18 11 42 45 57
2005–06 セグンダ 18 42 13 12 17 53 60 51
2006–07 セグンダ 7 42 18 6 18 48 51 60
2007–08 セグンダ 11 42 12 17 13 51 57 53
2008–09 セグンダ 3 42 24 9 9 79 47 81 プリメーラ昇格
2009–10 プリメーラ 19 38 9 9 20 40 74 36 セグンダ降格

過去の成績[編集]

シーズン ディビジョン 順位 コパ・デル・レイ
1928–29シーズンから レヒオナレス -
1952–53シーズンまで レヒオナレス -
1953–54 セグンダ 6位 -
1954–55 セグンダ 9位 -
1955–56 セグンダ 9位 -
1956–57 セグンダ 13位 -
1957–58 セグンダ 2位 -
1958–59 セグンダ 4位 2回戦敗退
1959–60 セグンダ 10位 1回戦敗退
1960–61 セグンダ 1位 準々決勝
1961–62 プリメーラ 16位 2回戦敗退
1962–63 セグンダ 10位 ラウンド16
1963–64 セグンダ 5位 2回戦敗退
1964–65 セグンダ 11位 2回戦敗退
1965–66 セグンダ 8位 1回戦敗退
1966–67 セグンダ 11位 2回戦敗退
1967–68 セグンダ 9位 1回戦敗退
1968-69 テルセーラ 5位 -
1969-70 テルセーラ 2位 1回戦敗退
シーズン ディビジョン 順位 コパ・デル・レイ
1970-71 テルセーラ 1位 ラウンド32
1971–72 セグンダ 9位 4回戦敗退
1972–73 セグンダ 14位 4回戦敗退
1973–74 セグンダ 4位 4回戦敗退
1974–75 セグンダ 12位 4回戦敗退
1975–76 セグンダ 7位 準々決勝
1976–77 セグンダ 6位 1回戦敗退
1977–78 セグンダ 19位 ラウンド16
1978–79 セグンダB 6位 1回戦敗退
1979–80 セグンダB 3位 2回戦敗退
1980–81 セグンダB 5位 1回戦敗退
1981–82 セグンダB 13位 3回戦敗退
1982–83 セグンダB 2位 -
1983–84 セグンダ 15位 1回戦敗退
1984–85 セグンダ 11位 ラウンド16
1985–86 セグンダ 19位 3回戦敗退
1986–87 セグンダB 1位 2回戦敗退
1987–88 セグンダ 12位 4回戦敗退
1988–89 セグンダ 3位 ラウンド32
シーズン ディビジョン 順位 コパ・デル・レイ
1989–90 プリメーラ 18位 ラウンド16
1990–91 プリメーラ 14位 5回戦敗退
1991–92 プリメーラ 13位 5回戦敗退
1992–93 プリメーラ 5位 5回戦敗退
1993–94 プリメーラ 10位 準決勝
1994–95 プリメーラ 15位 3回戦敗退
1995–96 プリメーラ 5位 準々決勝
1996–97 プリメーラ 9位 4回戦敗退
1997–98 プリメーラ 16位 2回戦敗退
1998–99 プリメーラ 19位 4回戦敗退
1999–00 セグンダ 14位 2回戦敗退
2000–01 セグンダ 3位 ラウンド16
2001–02 プリメーラ 19位 1回戦敗退
2002–03 セグンダ 8位 1回戦敗退
2003–04 セグンダ 8位 2回戦敗退
2004–05 セグンダ 9位 3回戦敗退
シーズン ディビジョン 順位 コパ・デル・レイ
2005–06 セグンダ 18位 1回戦敗退
2006–07 セグンダ 7位 2回戦敗退
2007–08 セグンダ 11位 3回戦敗退
2008–09 セグンダ 3位 3回戦敗退
2009–10 プリメーラ 19位 ラウンド32
2010–11 セグンダ 20位 2回戦敗退
2011–12 セグンダB 2位
2012–13 セグンダB

欧州カップ戦での戦績[編集]

シーズン 大会 ラウンド クラブ ホーム アウェー 通算
1993–94 UEFAカップ ラウンド64 フランスの旗 AJオセール 2–2 1–0 3–2
ラウンド32 ギリシャの旗 オリンピアコスFC 2–1 3–4 5–5
ラウンド16 イタリアの旗 ユヴェントスFC 2–1 0–3 2–4
1996–97 UEFAカップ ラウンド64 イスラエルの旗 マッカビ・テル・アビブFC 3–2 1–1 4–3
ラウンド32 イタリアの旗 SSラツィオ 5–3 0–1 5–4
ラウンド16 オランダの旗 フェイエノールト 0–0 4–2 4–2
準々決勝 デンマークの旗 ブレンビーIF 0–1 2–0 2–1
準決勝 ドイツの旗 シャルケ04 1–0 0–0 1–0

現所属メンバー[編集]

2013年10月13日時点
No. Pos. 選手名
1 スペインの旗 GK セルヒオ・アラゴネセス
2 スペインの旗 DF サルバ・ルイス
3 スペインの旗 DF ブルーノ・ゴンサレス
5 スペインの旗 DF バルタサル・リゴ
6 スペインの旗 MF イニゴ・ロス
7 スペインの旗 MF チェチュ・フローレス
8 スペインの旗 MF クリスト・マルティン
9 スペインの旗 FW アリダーネ
10 スペインの旗 MF スソ・サンタナ
11 スペインの旗 MF ルイスミ・ロロ
12 スペインの旗 FW ボルハ・ペレス
13 スペインの旗 GK ロベルト・グティエレス
No. Pos. 選手名
14 スペインの旗 MF カルロス・ルイス
15 スペインの旗 DF アルベルト・ヒメネス
16 スペインの旗 MF アイトール・サンス
17 スペインの旗 DF ハビ・モジャノ
18 スペインの旗 MF リカルド・レオン
20 スペインの旗 MF オスカル・リコ
21 スペインの旗 DF ラウル・ジョレンテ
22 スペインの旗 FW ギジェム・マルティ
23 スペインの旗 DF ラウル・カマラ
24 スペインの旗 MF アダイ
26 スペインの旗 FW アジョセ・ペレス
27 スペインの旗 MF キケ・リベロ

ローン移籍選手[編集]

in
No. Pos. 選手名
2 スペインの旗 DF サルバ・ルイス (バレンシアCF)
out
No. Pos. 選手名

歴代監督[編集]


歴代所属選手[編集]

GK[編集]

DF[編集]

MF[編集]

FW[編集]

脚注[編集]

  1. ^ David Amaral es el nuevo entrenador del Tenerife” (Spanish ). Diario AS  (5 April 2011 ). 2011年4月22日閲覧。

外部リンク[編集]