ヘタフェ・クルブ・デ・フトボル(Getafe Club de Fútbol S.A.D.)は、スペインのマドリード自治州ヘタフェに本拠地を置くプロサッカークラブ。2011-12シーズンはリーガ・エスパニョーラのプリメーラ・ディビシオン(1部)に所属している。
概要 [編集]
1946年に設立され、1983年に再設立された。2004-05シーズンにプリメーラ・ディビシオン(1部)に初参戦した。2011年4月25日、クラブはドバイにあるロイヤル・エミレーツ・グループに7000万ユーロから9000万ユーロで買収された[1][2]。ヘタフェにあるコリセウム・アルフォンソ・ペレスを本拠地として使用している。スタジアムは1998年1月1日に落成し、スペイン代表やレアル・マドリードでプレーしたアルフォンソ・ペレスの名を冠している。しかし、ペレスはヘタフェCFに在籍したことがないどころか、ヘタフェCFと対戦したこともなく、コリセウムに入場したこともない[3]。コリセウムの完成以前は、ラス・マルガリータス・スポーツ公園(Sports City of Las Margaritas)にあるエスタディオ・デ・ラス・マルガリータスを本拠地として使用していた。
同じマドリード自治州の両名門クラブレアル・マドリード、アトレティコ・マドリードとの関係は比較的良好。そのためレアル・マドリード、アトレティコ・マドリードから若手選手をレンタルで獲得することも多い。またバレンシアCFとも密接な繋がりがあり、ヘタフェCFで実績を挙げたキケ・サンチェス・フローレス監督がバレンシアCFに引き抜かれたり、バレンシアCFの若手有望選手をレンタルで獲得したりと交流が深い。なお、アンヘル・トーレス会長は熱心なマドリディスタ(レアル・マドリードのファン)である。
歴史 [編集]
クルブ・ヘタフェ・デポルティーボ [編集]
創設 [編集]
1945年、ヘタフェ在住のエンリケ・コンデス・ガルシア、アウレリオ・ミランダ・オラバリア、アントニオ・コリドール・ロサーノ、マヌエル・セラーノ・ベルガラ、ミゲル・クベロ・フランセスの5人がラ・マルケシーナ(La Marquesina)というバルに集い、ヘタフェ・クルブ・デ・フトボルの設立を決めた。公式には1946年2月24日に設立され、クルブ・ヘタフェ・デポルティーボと名づけられた[4]。創設当初はゴールポストさえないカンポ・デル・レヒミエント・デ・アルティジェリアというグラウンドでプレーしていたが、すぐにサン・イシドロにある市営サン・イシドロ・スポーツセンターに移った。1956-57シーズン、CPビジャロベレードに勝利してテルセーラ・ディビシオン(当時3部)昇格を決めた。1957-58シーズンにはセグンダ・ディビシオン(2部)昇格に近づいたが、CDアルメリアに敗れて昇格を逃した[5]。1969-70シーズンにはテルセーラ・ディビシオンへの昇格を決め、1970年9月2日に自前のスタジアムの落成試合を行った。フランシスコ・バラ会長が見守る中、ヘタフェは3-1でミチェリンに勝利した。1970-71シーズンはテルセーラ・ディビシオン残留を果たし、6年後にクラブ初のセグンダ・ディビシオン昇格を決めた[6]。
セグンダ・ディビシオン昇格 [編集]
クルブ・ヘタフェ・デポルティーボは6シーズンの間セグンダ・ディビシオンでプレーし、いくらかの成功を収めたが、6シーズンとも10位以下であった。1978年にはコパ・デル・レイのラウンド16でFCバルセロナと対戦し、ホームで行われたファーストレグではスター選手が揃うFCバルセロナ相手に3-3と引き分けたが、カンプ・ノウで行われたセカンドレグでは0-8と粉砕された。1981-82シーズン終盤には選手への給料が支払われず、自動降格処分が下され、クラブは破産に追い込まれた。この一方で、1976年9月1日にはナショナル・スポーツ・カウンシルに新クラブが設立され、カスティージャ地方連盟に所属した。このクラブはペーニャ・マドリディスタ・ヘタフェ(レアル・マドリードのサポーターによるヘタフェ)として4シーズン、クルブ・デポルティーボ・ペーニャ・ヘタフェとして2シーズンプレーした。1982年7月10日、クルブ・デポルティーボ・ペーニャ・ヘタフェはより古くから存在するクルブ・ヘタフェ・プロメサスと統合し、再びカスティージャ地方連盟に登録した[7]。
ヘタフェ・クルブ・デ・フトボル [編集]
再設立 [編集]
1982年に合併したクラブを基にし、1983年7月8日、ヘタフェ・クルブ・デ・フトボルが公式に設立された[7]。1983-84シーズンの地域リーグに登録してチームが始動し、4シーズン連続で昇格を決めて1987年にはセグンダ・ディビシオンB(3部)に到達した。1993-94シーズンにはセグンダ・ディビシオンで2位となってセグンダ・ディビシオンに昇格したが、2シーズンとも下位に低迷してセグンダ・ディビシオンBに舞い戻った[8]。1997年にはテルセーラ・ディビシオン降格の危機が訪れたが、昇降格プレーオフでSDウエスカに勝利して降格を免れた。1998年1月1日にはコリセウム・アルフォンソ・ペレスが落成した[3]。1990年代後半から2000年代前半にはセグンダ・ディビシオンとセグンダ・ディビシオンBを行き来するエレベータークラブであったが、2003-04シーズンはシーズンの大半を順位表の最上位で過ごした。CDテネリフェに勝利することでプリメーラ・ディビシオン(1部)昇格が決まる最終節はセルヒオ・パチョンの5得点で5-3と勝利し、クラブ初のトップリーグ昇格を決めた[9]。レアル・マドリード、アトレティコ・マドリード、ラーヨ・バジェカーノに次いで、プリメーラ・ディビシオンに在籍するマドリード自治州内4番目のクラブとなり、マドリード市外のクラブとしては初のプリメーラ所属クラブとなった[10]。
プリメーラ・ディビシオン昇格 [編集]
トップリーグに挑戦するにあたってキケ・サンチェス・フローレス監督を招聘したが、2004-05シーズンは順位表の下位に沈む低調な出だしだった。ホームではRCDエスパニョール、アスレティック・ビルバオ、バレンシアCF、レアル・マドリードなどに勝利したが[11]、アウェーではアスレティック・ビルバオから挙げた1勝に終わった[12]。最終的には13位でシーズンを終え、昇格組3クラブの中で唯一残留を果たした。2005年夏にはキケ・フローレス監督をバレンシアCFに引き抜かれたため、レバンテUD監督を解任されたベルント・シュスター監督を起用した[13]。2005-06シーズンはシュスター監督の目指したダイナミックで縦に早いサッカーがはまり、一時的にリーグ首位に立った[14]。その後徐々に順位を落としたが、最終的には9位と健闘した[15]。
国内や欧州カップ戦での躍進 [編集]
2006 FIFAワールドカップのスペイン代表メンバーにマリアーノ・ペルニアが選ばれ、ヘタフェCF在籍選手初のスペイン代表選手となった[16][17]。2006-07シーズンのリーグ戦では再び9位となった[18]。38試合でリーグ最少の33失点に抑え、12試合を完封したGKロベルト・アボンダンシェリはサモラ賞(最少失点率)を受賞した。2005-06シーズン以前はコパ・デル・レイで準々決勝に達したことさえなかったが、2006-07シーズンの同大会では準決勝でFCバルセロナを破って決勝に進出した。カンプ・ノウで行われたファーストレグは2-5で敗れたが[19]、コリセウム・アルフォンソ・ペレスでのセカンドレグに4-0で勝利し[20]、2試合合計6-5で劇的な逆転勝利を遂げた。エスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウで行われた決勝ではセビージャFCに0-1で敗れ、初の主要タイトル獲得を逃した[21]。セビージャFCはすでにUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得していたため、ヘタフェCFがUEFAカップの出場権を獲得した。2007年夏にはベルント・シュスター監督がレアル・マドリードに去り[22]、後任にはミカエル・ラウドルップ監督が就任した[23]。ラウドルップ監督に率いられたクラブは14位でプリメーラ・ディビシオン残留を決めた。同シーズンのUEFAカップではグループリーグをわずか1敗の首位で通過し、その後も勝ち上がって準々決勝に進出した[24]。準々決勝は4度のヨーロッパ王者の経験があるバイエルン・ミュンヘンとの対戦となり、アウェーでのファーストレグはロスタイムにコスミン・コントラが同点弾を挙げて1-1で終えた[25]。ホームでのセカンドレグでは開始6分にルベン・デ・ラ・レーが退場処分を受けたが、前半終了間際にコントラが先制点を挙げた。しかし、試合終了間際の89分にフランク・リベリーが同点弾を決め、試合は延長戦にもつれ込んだ。延長の早い段階にハビエル・カスケーロと途中出場のブラウリオ・ノブレガが得点して3-1とリードしたが、バイエルンはルカ・トーニの2得点で3-3と追いついた。2試合合計4-4の同点であったが、アウェーゴールルールが適用されてバイエルンの勝ち上がりが決まった[26]。同シーズンのコパ・デル・レイでは2シーズン連続で決勝に進出したが、エスタディオ・ビセンテ・カルデロンで行われたバレンシアCF戦に1-3で敗れてまたもや準優勝に終わった[27]。
2008年夏には、MFルベン・デ・ラ・レーが抜けた穴に元U-21ドイツ代表のMFオイゲン・ポランスキを加え、その他にもコパ・リベルタドーレス優勝に貢献したMFホフレ・ゲロン、レアル・マドリードからFWロベルト・ソルダードなどを加えて戦力の維持に努め、新監督には結果重視の守備的なサッカーに定評のあるビクトル・ムニョス監督を選んだ。しかし、GKオスカル・ウスタリがシーズン前に靭帯を損傷して長期離脱し、GKロベルト・アボンダンシェリが冬の移籍期間にボカ・ジュニアーズに復帰するなど、守備面からほころびを見せたチームはシーズン中に2度の4連敗を喫するなど不安定な成績に終始し、2009年4月にV・ムニョス監督が解任された。残り5試合を託されたミチェル監督は2006-07シーズンまでのボール保持を重視したスタイルに転換して2勝2分1敗で乗り切り、セグンダ・ディビシオン(2部)に降格したレアル・ベティスと同勝ち点の17位でプリメーラ・ディビシオン(1部)残留に成功した。
シーズン終了後にMFエステバン・グラネロやFWイケチュク・ウチェら攻撃の主力が抜けたものの、DFマネやMFペドロ・レオンなど即戦力の実力者を獲得した。関係が良好なレアル・マドリードからはGKジョルディ・コディーナ、DFミゲル・トーレス、MFダニエル・パレホの3選手をすべて完全移籍で獲得した。十分な準備期間を与えられたミチェル監督はプレシーズンの11試合を8勝3分(22得点8失点)の負けなしで終えた。2009-10シーズンはソルダードが16得点を記録するなど攻撃サッカーで旋風を巻き起こし、6位でUEFAヨーロッパリーグ出場権を獲得した。2010年夏にはソルダードやペドロ・レオンなどの主力選手が抜け、UEFAヨーロッパリーグではグループリーグ敗退に終わった。2010-11シーズンのリーグ戦では後半戦に調子を落とし、34節終了時には降格圏内の18位まで沈んだが、最終的には16位で辛うじて残留を決めた。
ユニフォーム [編集]
伝統的にホームでは青色のシャツを着用する。アウェーでは一般に赤色のシャツを着用するが、これは近年は変更されつつある。ユニフォームのサプライヤーはホマ(Joma)である。
| 期間 |
胸スポンサー |
| 2004-2005 |
オプシオン(セントロ・デ・オシオ) |
| 2005-2006 |
PSG |
| 2006-2009 |
グルポ・ガルコ |
| 2009- |
バーガーキング |
タイトル [編集]
国内タイトル [編集]
- 準優勝 (2): 2006-07, 2007-08
- 優勝 (1): 1998-99
個人タイトル [編集]
欧州カップ戦の試合一覧 [編集]
成績 [編集]
近年の成績 [編集]
-
| シーズン |
ディビジョン |
順位 |
試合数 |
勝 |
分 |
敗 |
得点 |
失点 |
勝ち点 |
コパ・デル・レイ |
注釈 |
| 1983-84 |
地域リーグ |
1 |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
62 |
参加せず |
昇格 |
| 1984-85 |
地域リーグ |
1 |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
59 |
参加せず |
昇格 |
| 1985-86 |
地域リーグ |
1 |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
56 |
参加せず |
昇格 |
| 1986-87 |
テルセーラ |
6 |
38 |
17 |
10 |
11 |
63 |
45 |
44 |
参加せず |
昇格 |
| 1987-88 |
セグンダB |
3 |
38 |
18 |
11 |
9 |
71 |
41 |
47 |
4回戦敗退 |
|
| 1988-89 |
セグンダB |
6 |
38 |
16 |
11 |
11 |
52 |
36 |
43 |
1回戦敗退 |
|
| 1989-90 |
セグンダB |
2 |
38 |
18 |
15 |
5 |
54 |
30 |
51 |
参加せず |
|
| 1990-91 |
セグンダB |
4 |
38 |
16 |
13 |
9 |
45 |
24 |
45 |
4回戦敗退 |
昇格プレーオフ敗退 |
| 1991-92 |
セグンダB |
6 |
38 |
17 |
11 |
10 |
56 |
35 |
45 |
5回戦敗退 |
|
| 1992-93 |
セグンダB |
4 |
38 |
15 |
17 |
6 |
42 |
28 |
47 |
3回戦敗退 |
昇格プレーオフ敗退 |
| 1993-94 |
セグンダB |
2 |
38 |
17 |
16 |
5 |
53 |
31 |
50 |
4回戦敗退 |
昇格 |
| 1994-95 |
セグンダ |
18 |
38 |
5 |
20 |
13 |
26 |
42 |
30 |
3回戦敗退 |
リーグ拡大により降格回避 |
| 1995-96 |
セグンダ |
19 |
38 |
7 |
11 |
20 |
30 |
52 |
32 |
2回戦敗退 |
降格 |
| 1996-97 |
セグンダB |
16 |
38 |
12 |
9 |
17 |
44 |
54 |
45 |
1回戦敗退 |
残留プレーオフ出場 |
| 1997-98 |
セグンダB |
7 |
38 |
17 |
6 |
15 |
45 |
40 |
57 |
参加せず |
|
| 1998-99 |
セグンダB |
1 |
38 |
21 |
9 |
8 |
50 |
23 |
72 |
参加せず |
昇格 |
| 1999-00 |
セグンダ |
19 |
42 |
13 |
9 |
20 |
39 |
51 |
48 |
2回戦敗退 |
|
| 2000-01 |
セグンダ |
21 |
42 |
8 |
11 |
23 |
42 |
65 |
35 |
1回戦敗退 |
降格 |
| 2001-02 |
セグンダB |
5 |
38 |
17 |
10 |
11 |
48 |
37 |
61 |
1回戦敗退 |
昇格プレーオフ出場 |
| 2002-03 |
セグンダ |
11 |
42 |
13 |
14 |
15 |
52 |
55 |
53 |
2回戦敗退 |
|
| 2003-04 |
セグンダ |
2 |
42 |
20 |
16 |
6 |
55 |
38 |
76 |
1回戦敗退 |
昇格 |
| 2004-05 |
プリメーラ |
13 |
38 |
12 |
11 |
15 |
38 |
46 |
47 |
ベスト16 |
|
| 2005-06 |
プリメーラ |
9 |
38 |
15 |
9 |
14 |
54 |
49 |
54 |
ベスト16 |
|
| 2006-07 |
プリメーラ |
9 |
38 |
14 |
10 |
14 |
39 |
33 |
52 |
準優勝 |
UEFAカップ出場権獲得 |
| 2007-08 |
プリメーラ |
14 |
38 |
12 |
11 |
15 |
44 |
48 |
47 |
準優勝 |
UEFAカップ ベスト8 |
| 2008-09 |
プリメーラ |
17 |
38 |
10 |
12 |
16 |
50 |
56 |
42 |
ベスト16 |
|
| 2009-10 |
プリメーラ |
6 |
38 |
17 |
7 |
14 |
58 |
48 |
58 |
ベスト4 |
UEFAヨーロッパリーグ出場権獲得 |
| 2010-11 |
プリメーラ |
16 |
38 |
12 |
8 |
18 |
49 |
60 |
44 |
ベスト16 |
|
| 2011-12 |
プリメーラ |
13 |
38 |
12 |
11 |
15 |
40 |
51 |
47 |
4回戦敗退 |
|
過去の成績 [編集]
現所属メンバー [編集]
- 2013年2月15日時点
括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。
ローン移籍 [編集]
- in
- out
12/13移籍 [編集]
詳細は「:en:List of Spanish football transfers summer 2012」を参照
歴代会長 [編集]
歴代監督 [編集]
歴代所属選手 [編集]
詳細は「:Category:ヘタフェCFの選手」を参照
GK [編集]
DF [編集]
MF [編集]
FW [編集]
脚注 [編集]
外部リンク [編集]
公式サイト [編集]
サポータークラブ [編集]
公式ファンサイト [編集]