シャルケ04

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シャルケ04
原語表記 Fußballclub Gelsenkirchen-Schalke 04 e. V.[1]
愛称 Königsblau(王者の青)
Die Knappen(炭鉱夫たち)
クラブカラー 青と白
創設年 1904年
所属リーグ ドイツ・ブンデスリーガ
所属ディビジョン 1部
ホームタウン ゲルゼンキルヒェン
ホームスタジアム フェルティンス・アレーナ
収容人数 61,973
代表者 ドイツの旗 ヨーゼフ・シュヌーゼンブルク
監督 ドイツの旗 イェンス・ケラー
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ
練習中の選手
観戦中のサポーター

シャルケ04(Schalke 04, 正式名称:Fußballclub Gelsenkirchen-Schalke 04 e. V.[1], フースバルクラブ・ゲルゼンキルヒェン=シャルケ・ヌルフィア・エー・ファウ)は、ドイツノルトライン=ヴェストファーレン州ゲルゼンキルヒェンに本拠を置く総合スポーツクラブ。サッカーの他、バスケットボール陸上競技ハンドボール卓球などクラブチーム及び専属選手の保有や運営、育成に携わる。サッカー部門は過去7回のリーグ制覇。同じくノルトライン=ヴェストファーレン州に本拠地があるライバルのボルシア・ドルトムントとのダービーマッチルールダービーと呼ばれる。

概要[編集]

欧州サッカーのトップリーグの一つであるブンデスリーガに所属しており、その前身であるドイツ・サッカー選手権を通算7度制覇し、DFBポカールやUEFAカップなどといった数々のタイトルを獲得しているが、ブンデスリーガでの優勝はない。2000-01シーズンに勝ち点1差でリーグ優勝を逃して以降は常にブンデスリーガの上位につけているが、その後も2位が3回あるなど、マイスターシャーレには届かない状況が続いている。

かつて国内最強を誇った時代に、"Königsblau"(王者の青)という愛称が定着した。またゲルセンキルヒェンがかつて炭鉱の町であり、クラブの創設にも当時の石炭産業が関わっていたことから、炭鉱が寂れた現在でも "Die Knappen"(若い炭鉱夫たち)という愛称が用いられるほか、所属選手が炭鉱採掘を体験するイベントが毎年恒例となっている。

ドイツ国内においてその人気は高く、ホームスタジアムをフェルティンス・アレーナに移した2001-02シーズン以降は2008年現在7シーズン連続で6万人を超える平均観客動員を記録中である。2001-02シーズンから2004-05シーズンまではドルトムントに続くブンデスリーガ2位の平均観客動員を記録していたが、バイエルン・ミュンヘン(Bミュンヘン)がアリアンツ・アレーナにホームスタジアムを移した2005-06シーズン以降は、ドルトムントやBミュンヘンに続くブンデスリーガ3位の平均観客動員が定位置となっている。

2014年1月、世界最大の会計事務所である『デロイト』が公表したデロイト・フットボール・マネー・リーグによると、2012-13シーズンのクラブ収入は1億9820万ユーロであり、世界のサッカークラブの中では13位、ドイツではバイエルン・ミュンヘン、ボルシア・ドルトムントに次ぐ3位である[2]

第264代ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世はクラブの名誉会員であった。

ユニフォームサプライヤーはアディダス、胸スポンサーはロシアのガス会社ガスプロム

歴史[編集]

創立期[編集]

1904年5月4日にゲルゼンキルヒェン市内のシャルケ地区に住む14 - 15歳の少年たちによって「ヴェストファリア・シャルケ」として創設された[3]。何度かの名称変更を経て、1924年に「FCシャルケ04」と改称した。1933年から1942年にかけてドイツ・サッカー選手権優勝6回を数え、1936-37シーズンにはDFBポカールとの2冠を達成するなど黄金時代を迎えた。1957-58シーズンには7度目のサッカー選手権優勝を果たした[3]

1963年のブンデスリーガ発足とともに加入。1973年には、翌年のワールドカップのためにパルクシュタディオンが新設され本拠を移転した。1980年代に入ると成績が低迷し、1980-81シーズンで2部に降格。1981-82シーズンで1部に復帰するも、翌1982-83シーズンでプレーオフの末、再び降格した。1984-85シーズンから1部に復帰するも1987-88シーズンに三たび降格したが1991-92シーズンに1部復帰を果たした[3]。これ以降は2014年の時点まで2部に降格はしていない。

初のUEFAカップ制覇とDFBポカール連覇[編集]

1991-92シーズン以降はブンデスリーガ上位に顔を出すようになり、1996-97シーズン途中で監督に就任したフーブ・ステフェンスの下、初めてUEFAカップを制した。インテル・ミラノとの決勝戦ではPK戦に持ち込まれたがイェンス・レーマンの活躍もあり優勝に貢献した。

1998-99シーズンと1999-2000シーズンは主力選手の怪我が相次ぎ下位に低迷した。このような理由からステフェンスは解任を免れた。

2000-01シーズンには、ライバルのドルトムントからアンドレアス・メラーが加入した。このシーズンはリーグで躍進し、Bミュンヘンとの直接対決を制して最終節まで優勝争いを演じ、DFBポカールでは優勝を果たした。特にメラーの加入は大きく、このシーズンに得点王になったエッベ・サンドエミール・ムペンザとのトライアングルは高い攻撃力を見せた。2001-02シーズンもこの強さは続き、DFBポカールで連覇も果たした。

フェルティンス・アレーナ完成以降[編集]

2001年に新たなスタジアム、フェルティンス・アレーナ(当時の名称はアレーナ・アウフシャルケ)が完成し、本拠を移転した。この建設などで多額の負債を負ったクラブは、新スタジアムの命名権も持つフェルティンスとの契約を2012年まで残しながら、2006年10月にロシアの企業・ガスプロムがメインスポンサーになった。これにより、5年半で1億2,500万ユーロの資金を獲得するとされている。

UEFAチャンピオンズリーグでは、新スタジアム完成後の2001-02シーズンに初出場した。2007-08シーズンのチャンピオンズリーグにおいて、グループリーグ最終節にてローゼンボリBKを破って逆転で勝ち抜き、決勝トーナメント1回戦でFCポルトを破りベスト8に進出した。しかし、2007-08シーズンのブンデスリーガ3位となり挑んだ2008-09シーズンのチャンピオンズリーグ予備3回戦、アトレティコ・マドリード戦では主力選手の故障も重なり、ドイツのクラブとしては2003-04シーズンにおけるドルトムント以来となる予備3回戦敗退となった。

2006-07シーズンは優勝争いを演じたが、2000-01シーズンと同様に優勝することはなかった。覇権奪回を目指すクラブは、2009年にVfLヴォルフスブルクを初のリーグ優勝に導いたフェリックス・マガトを監督に招聘した。

2010-11シーズンはチャンピオンズリーグ決勝トーナメントでベスト8進出し、DFBポカールでは決勝に勝ち進んだものの、ブンデスリーガでの成績は不振で、2011年3月17日、マガトが監督を解任され、後任としてラルフ・ラングニックが復帰することが発表された。2011-12シーズンはリーグ戦では14位と低迷したが、レアル・マドリードから移籍してきたラウル・ゴンザレスの活躍などで、クラブ初のチャンピオンズリーグでのベスト4に加えてドイツ・カップを獲得した。

タイトル[編集]

国内タイトル[編集]

国際タイトル[編集]

過去の成績[編集]

出典[4][5]
  • 1963-64 ブンデスリーガ1部 8位
  • 1964-65 ブンデスリーガ1部 16位
  • 1965-66 ブンデスリーガ1部 14位
  • 1966-67 ブンデスリーガ1部 15位
  • 1967-68 ブンデスリーガ1部 15位
  • 1968-69 ブンデスリーガ1部 7位
  • 1969-70 ブンデスリーガ1部 9位
  • 1970-71 ブンデスリーガ1部 6位
  • 1971-72 ブンデスリーガ1部 2位
  • 1972-73 ブンデスリーガ1部 15位
  • 1973-74 ブンデスリーガ1部 7位
  • 1974-75 ブンデスリーガ1部 7位
  • 1975-76 ブンデスリーガ1部 6位
  • 1976-77 ブンデスリーガ1部 2位
  • 1977-78 ブンデスリーガ1部 9位
  • 1978-79 ブンデスリーガ1部 15位
  • 1979-80 ブンデスリーガ1部 8位
  • 1980-81 ブンデスリーガ1部 17位
  • 1981-82 ブンデスリーガ2部 1位
  • 1982-83 ブンデスリーガ1部 16位
  • 1983-84 ブンデスリーガ2部 2位
  • 1984-85 ブンデスリーガ1部 8位
  • 1985-86 ブンデスリーガ1部 10位
  • 1986-87 ブンデスリーガ1部 13位
  • 1987-88 ブンデスリーガ1部 18位
  • 1988-89 ブンデスリーガ2部 12位
  • 1989-90 ブンデスリーガ2部 5位
  • 1990-91 ブンデスリーガ2部 1位
  • 1991-92 ブンデスリーガ1部 11位
  • 1992-93 ブンデスリーガ1部 10位
  • 1993-94 ブンデスリーガ1部 14位
  • 1994-95 ブンデスリーガ1部 11位
  • 1995-96 ブンデスリーガ1部 3位
  • 1996-97 ブンデスリーガ1部 12位
  • 1997-98 ブンデスリーガ1部 5位
  • 1998-99 ブンデスリーガ1部 10位
  • 1999-2000 ブンデスリーガ1部 14位
  • 2000-01 ブンデスリーガ1部 2位
  • 2001-02 ブンデスリーガ1部 5位
  • 2002-03 ブンデスリーガ1部 7位
  • 2003-04 ブンデスリーガ1部 7位
  • 2004-05 ブンデスリーガ1部 2位
  • 2005-06 ブンデスリーガ1部 4位
  • 2006-07 ブンデスリーガ1部 2位
  • 2007-08 ブンデスリーガ1部 3位
  • 2008-09 ブンデスリーガ1部 8位
  • 2009-10 ブンデスリーガ1部 2位
  • 2010-11 ブンデスリーガ1部 14位
  • 2011-12 ブンデスリーガ1部 3位
  • 2012-13 ブンデスリーガ1部 4位
  • 2013-14 ブンデスリーガ1部 3位

現所属メンバー[編集]

2014年8月14日現在
No. Pos. 選手名
1 ドイツの旗 GK ラルフ・フェールマン
2 ドイツの旗 DF マーヴィン・フリードリヒ
3 ドイツの旗 DF ヤン・キルヒホフ
4 ドイツの旗 DF ベネディクト・ヘーヴェデス Captain sports.svg
5 ブラジルの旗 DF フェリペ・サンタナ
6 ボスニア・ヘルツェゴビナの旗 DF セアド・コラシナツ
7 ドイツの旗 MF マックス・マイヤー
8 ドイツの旗 MF レオン・ゴレツカ
9 ガーナの旗 MF ケヴィン=プリンス・ボアテング
10 ドイツの旗 MF ユリアン・ドラクスラー
11 ドイツの旗 MF クリスティアン・クレメンス
12 ドイツの旗 MF マルコ・ヘーガー
13 カメルーンの旗 FW マキシム・シュポ=モティング
15 ドイツの旗 DF デニス・アオゴ
17 ペルーの旗 MF ジェフェルソン・ファルファン
18 ドイツの旗 MF シドニー・サム
No. Pos. 選手名
19 ドイツの旗 MF レロイ・ザネ
20 ナイジェリアの旗 FW チネドゥ・オバシ
22 日本の旗 DF 内田篤人
23 オーストリアの旗 DF クリスティアン・フックス
24 トルコの旗 DF カーン・アイハン
25 オランダの旗 FW クラース=ヤン・フンテラール
27 スイスの旗 FW トランクイロ・バルネッタ
28 ドイツの旗 GK クリスティアン・ヴェトクロ
29 ドイツの旗 FW ドニス・アブディヤイ
32 カメルーンの旗 DF ジョエル・マティプ
33 ドイツの旗 MF ロマン・ノイシュテッター
34 ドイツの旗 GK ファビアン・ギーファー
35 ドイツの旗 MF マルセル・ソボツカ
37 ドイツの旗 DF パスカル・イター
40 ドイツの旗 GK ティモン・ヴェレンロイター

ローン移籍選手[編集]

in
No. Pos. 選手名
3 ドイツの旗 DF ヤン・キルヒホフ (バイエルン・ミュンヘン)
out
No. Pos. 選手名
14 ギリシャの旗 DF キリアコス・パパドプーロス (レヴァークーゼン)

歴代監督[編集]

歴代所属選手[編集]

GK[編集]

DF[編集]

MF[編集]

FW[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b Die Satzung des FC Schalke 04”. Schalke04. 2014年6月13日閲覧。
  2. ^ Deloitte Football Money League 2014(2014年1月に国際監査法人『デロイト』が公表した2012-2013シーズンの欧州サッカーのクラブ収入ランキング)
  3. ^ a b c history”. schalke04. 2014年8月4日閲覧。
  4. ^ archiv”. schalke04. 2014年8月4日閲覧。
  5. ^ Archive”. Deutscher Fußball-Bund e.V.. 2014年8月4日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]