フェリックス・マガト

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フェリックス・マガト Football pictogram.svg
Magath2.jpg
名前
本名 ヴォルフガンク・フェリックス・マガト
愛称 クエーリックス(Quälix)
ラテン文字 Felix MAGATH: 
基本情報
国籍 ドイツの旗 ドイツ
プエルトリコの旗 プエルトリコ
生年月日 1953年7月26日(60歳)
出身地 アシャッフェンブルク
身長 174cm
体重 74kg
選手情報
ポジション MF
代表歴
1977-1986 西ドイツの旗 西ドイツ 43 (3)
監督歴
1992-1993
1995-1997
1997-1998
1998-1999
1999-2001
2001-2004
2004-2007
2007-2009
2009-2011
2011-2012
2014-
ブレーマーハーフェン
ハンブルガーSV
ニュルンベルク
ブレーメン
フランクフルト
シュトゥットガルト
バイエルン・ミュンヘン
ヴォルフスブルク
シャルケ
ヴォルフスブルク
フラム
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ヴォルフガング=フェリックス・マガト(Wolfgang-Felix Magath, 1953年7月26日 - )は、ドイツ出身の元西ドイツ代表サッカー選手、サッカー指導者。

来歴[編集]

選手時代[編集]

プエルトリコ出身のアメリカ軍人の父とドイツ人の母との間に生まれる。選手時代はキャリアの大半をハンブルガーSV(HSV)で過ごし、同チームで通算306試合46得点。主に中盤のゲームメーカーとしてプレーした。HSV時代の1983年に行われたUEFAチャンピオンズカップ決勝のユヴェントスFC戦では相手GKの頭上を越える見事なロングシュートで決勝ゴールを決めタイトル獲得に貢献した。

1977年より西ドイツ代表としてもプレーし、1982年ワールドカップ・スペイン大会1986年ワールドカップ・メキシコ大会に出場し、2大会連続の準優勝に貢献。引退までに43キャップ、3ゴールを記録した。

指導者時代[編集]

引退後は古巣HSVを皮切りにドイツ国内の複数のクラブの監督を歴任。2001年から2004年まで率いたVfBシュトゥットガルトでの手腕が認められ、2004-05シーズンより名門バイエルン・ミュンヘンの監督に就任[1]ブンデスリーガドイツカップを連覇し、二年連続で二冠を達成するなど輝かしい戦績を収めた。しかし、就任3年目の2006-07シーズンは一転して成績不振に陥り、年が明けた2007年1月31日に解任された[2]

2007-08シーズンからはVfLヴォルフスブルクの監督兼スポーツディレクターに就任。2年目の2008-09シーズンは後半戦から追い上げをみせ、同クラブを初のリーグ優勝に導いた[3]

翌2009-10シーズンからはシャルケ04の監督兼スポーツディレクターに就任[4]。就任初年度からリーグ2位の成績を残した。しかし、2010-11シーズンはチャンピオンズリーグでベスト4進出を果たす一方で、国内リーグの成績が低迷し、シーズン途中の2011年3月16日に解任が発表された[5]

シャルケの監督を解任された翌日の3月17日、再びVfLヴォルフスブルクの指揮を執ることが発表された。契約期間は2013年まで[6]。就任当時チームは降格の危機に瀕していたが、シーズンを15位で終え一部リーグ残留に成功した。しかし翌2012-13シーズンは開幕から1勝2分5敗で最下位と低迷。シーズン途中の10月25日に成績不振を理由に解任された。

2014年2月14日、フラムFCの監督に就任。自身初のドイツ国外で指揮を執ることになった[7]

人物[編集]

指導方針[編集]

スポーツ科学や細かい戦術、選手との対話を重要視せず、数多いドイツ人指導者の中でも際立ってハードなフィジカルトレーニングを課すことで知られている。モットーは"Qualität kommt von Qual"(「高いクオリティーは苦しみから得られる」)[8]。ドイツでは「マガトは軍隊式のトレーニングを課す」と言われており、早朝からのランニングや綱登り、長距離ダッシュなどのハードな練習を一日三回に渡って行う(三部練習)[9]などはその一例である。VfLヴォルフスブルクで指導を受けた長谷部誠はその練習の厳しさを地獄に例える一方で、非常に鍛えられ好調を維持できたと評している[10]

2010-11シーズンの最終節でスタメンを外れたことに怒って無断帰宅したジエゴに対しては、「例えチームに残っても起用することはない」という姿勢を明確にした[11]。2011年9月には戦術を無視したとの理由でパトリック・ヘルメスマリオ・マンジュキッチの両選手にそれぞれ1万ユーロの罰金を科した[12]。また、2012-13シーズン開幕前に移籍を希望したものの結果的に残留することになった長谷部は開幕後から一貫して、シモン・ケアーは数試合を除いてベンチ入りメンバーから外された[13][14]

日本人コレクター[編集]

ドイツのメディアからは日本人コレクターと呼ばれている。日本人を獲得して成功したチームが再び日本人を欲しがることはあるが、個人の監督が複数のクラブで日本人選手を新規で獲得する例はマガトを措いて他にない。マガトが日本人を評価する理由は日本人にはテクニック、走力、規律がバランス良く備わっており、自分の理想とする統率された組織サッカーが出来るからだという。テクニックならブラジル人の方が優れているが規律を嫌うとも、ヨーロッパ人は走力があるが技術が無く、技術のあるヨーロッパ人選手は高価過ぎると話している[15]

日本人選手を高く評価する一方で、大久保嘉人の軽率なプレー(アウトサイドパス、オーバヘッド、ヒールパスなど)に激怒し怒鳴り散らしたことや、ベンチ外にしたこともあった[15][16][17]

評価[編集]

ドイツサッカーコーチ連盟の副会長を務めているものの、指導者の間では「一昔前の監督」と評価されている[要出典]。しかし2008-2009シーズンに監督に就任したVfLヴォルフスブルクでは、エディン・ジェコジョズエマルセル・シェーファー長谷部誠といった国際的には無名の若手を次々と抜擢してチームを優勝に導き、“育成型”の監督としての評価を高めた。

一方で、シャルケ04で指導を受けたジェフェルソン・ファルファンは「(マガトの課す練習は)軍事的でいい気分ではない、人間性が疑わしい」[18]アルベルト・シュトライトはマガトにキャリアをつぶされかけたと批判している[19]

所属クラブ[編集]

指導歴[編集]

獲得タイトル[編集]

選手時代

ナショナルチーム

ハンブルガーSV

監督時代

脚注[編集]

  1. ^ バイエルン、マガト新監督と契約- UEFA.com 2011年9月6日閲覧
  2. ^ バイエルンがマガト監督を解任 - UEFA.com 2009年6月6日閲覧
  3. ^ チームを称賛するマガト監督 - UEFA.com 2009年6月6日閲覧
  4. ^ マガト氏がシャルケ新監督に決定 - UEFA.com 2009年6月6日閲覧
  5. ^ CLベスト8進出なのに……何故? マガト監督、シャルケ解任劇の謎。 - Number Web(更新日: 2011年3月29日)
  6. ^ 長谷部のヴォルフスブルクにマガト監督が帰還 -サッカーキング、2011年9月6日閲覧
  7. ^ フラムがマガトを招へい -Goal、2014年2月15日閲覧
  8. ^ ウォルフスブルクを優勝させた 鬼監督マガトの哲学 -中日スポーツ、2011年9月6日閲覧。
  9. ^ ボルフスブルクのマガト監督が隠す優勝への思惑 (1/2)復讐劇の裏に見えるしたたかな狙い -スポーツナビ、2011年9月6日閲覧
  10. ^ マガト監督に“干された”長谷部誠。折れない心と代表へ懸ける意気込み。(1/4) Number Web 2012年10月12日
  11. ^ マガト:「残留してもジエゴは起用しない」 -goal.com、2011年9月6日閲覧
  12. ^ ボルフスブルク・マガト監督 戦術無視で2選手に罰金 -スポニチ、2011年9月6日閲覧
  13. ^ マガト監督に“干された”長谷部誠。折れない心と代表へ懸ける意気込み。(2/4) Number Web 2012年10月12日
  14. ^ 長谷部、今季公式戦初出場!3月以来のアシスト” (2012年10月28日). 2012年11月9日閲覧。
  15. ^ a b 木崎伸也「フェリックス・マガト 私が日本人を好む理由」『Sports Graphic Number』765号、文藝春秋、2010年、38-40頁。
  16. ^ 大久保嘉人は通用しなかったのか。~日本代表FWがドイツを去った理由~ - Number Web(更新日: 2009年7月10日)、2010年11月26日閲覧。
  17. ^ <成功する移籍の4条件> 欧州のクラブは日本人のどこを見ているのか -Number Web(更新日: 2010年9月3日)、2010年11月26日閲覧。
  18. ^ マガト、水のボトルを空っぽにして怒る goal.com 2012年10月4日
  19. ^ シャルケMF:「マガトにキャリアをつぶされかけた」 goal.com 2011年3月24日

外部リンク[編集]