デットマール・クラマー

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デットマール・クラマー Football pictogram.svg
Bayern 1976 -Weltpokal.jpg
1976年のクラマー(後列右端)
名前
ラテン文字 Dettmar Cramer
基本情報
国籍 ドイツの旗 ドイツ
生年月日 1925年4月4日(89歳)
出身地 ドルトムント
監督歴
1971-1974
1974
1974
1975-1977
1977-1978
1978-1981
1981-1982
1982-1985
1984-1985
1991-1992
1997
エジプトの旗 エジプト
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ドイツの旗 ヘルタBSC
ドイツの旗 バイエルン・ミュンヘン
ドイツの旗 アイントラハト・フランクフルト
サウジアラビアの旗 アル・イテハド
ギリシャの旗 アリス・サロニカ
ドイツの旗 バイエル・レバークーゼン
マレーシアの旗 マレーシア
 韓国U-23
タイ王国の旗 タイ
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

デットマール・クラマーDettmar Cramer1925年4月4日 - )はドイツドルトムント出身のサッカー指導者である。名前はデトマール・クラマーと表記されることもある。

日本においては、日本代表の基礎を作った事から「日本サッカーの父」と呼ばれる[1]

来歴[編集]

ドイツの複数クラブで選手としてプレーしたが、怪我のために引退し、指導者の道へ進んだ。西ドイツユース代表監督を務めた時期にはフランツ・ベッケンバウアーをユース代表に抜擢し、公私両面で指導をおこなっている[2]

1960年、1964年東京オリンピックを控えた日本代表を指導するため、コーチとして招聘された。日本サッカー協会は代表強化のために外国人コーチを招くことを検討しており、成田十次郎の仲介や、会長である野津謙の決断で実現した人選だった[3][4]

クラマーは、自ら手本となるプレーを見せて実技指導を行った。初歩的な練習の繰り返しに対しては批判もあったが、方針を変えることはなかった。当時の教え子には釜本邦茂杉山隆一らがいた[5]

そして迎えた1964年の東京オリンピックでは、日本代表はアルゼンチンを破るなどの活躍を見せ、ベスト8の快挙を成し遂げた。役目を終えたクラマーは、帰国にあたって5つの提言を残した[6]

  1. 強いチーム同士が戦うリーグ戦創設。
  2. コーチ制度の確立。
  3. 芝生のグラウンドを数多く作り、維持すること。
  4. 国際試合の経験を数多く積むこと。代表チームは1年に1回は欧州遠征を行い、強豪と対戦すること
  5. 高校から日本代表チームまで、それぞれ2名のコーチを置くこと。

三上孝道「日本サッカーの父 デッドマール・クラマーの言葉」[6][7]

この提言により、1965年には日本サッカーリーグが発足した。その後も釜本のドイツ留学を実現させるなど、日本のサッカーに貢献。彼の指導を受けた選手・コーチを中心に構成された日本代表はメキシコオリンピックで銅メダルを獲得した[8]。この試合を観戦していたクラマーは日本代表の活躍を喜んだという[9]

1975年、クラマーはバイエルン・ミュンヘンを率いてUEFAチャンピオンズカップで優勝した。その際、人生最高の瞬間ではないかと問われたものの、「最高の瞬間は日本がメキシコ五輪で銅メダルを獲得したときです。私は、あれほど死力を尽くして戦った選手たちを見たことがない[10]」と答えた。

クラマーは「言葉の魔術師」とも呼ばれ、数々の名言を残している[6]

サッカーは子どもを大人にし、大人を紳士にする

めざせ!ベストサポーター[11]

その一方で口は相当悪かったらしく、コーチと兼任でクラマーの通訳も担当していた岡野俊一郎は度々出るクラマーの罵言雑言を意訳するのに苦労した経験(直訳で伝えると、怒鳴られた選手はショックを受け、その場で泣き出すほど酷かったという)から、会長時代にクラマーと同じく短気で直言癖があるトルシエの通訳を担当する事となったフローラン・ダバディーに「トルシエの汚い言葉は意訳して伝えろ、難しければ訳さなくて良い」と注意していた[要出典]

経歴[編集]

参考文献[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 2002 FIFAワールドカップ記念 日本サッカーミュージアム:日本サッカー殿堂、日本サッカーミュージアム。
  2. ^ 中条一雄「クラマー取材ノートから(31)」”. 牛木素吉郎&ビバ!サッカー研究会 公式サイト. 2014年6月28日閲覧。
  3. ^ 中条一雄「クラマー取材ノートから(6)」、牛木素吉郎&ビバ!サッカー研究会。
  4. ^ 中条一雄「クラマー取材ノートから(7)」、牛木素吉郎&ビバ!サッカー研究会。
  5. ^ デットマール・クラマー(中)、賀川サッカーライブラリー。
  6. ^ a b c 三上孝道「日本サッカーの父 デッドマール・クラマーの言葉」、JOCオリンピックメモリアル、2008年6月12日。
  7. ^ 山本昌邦「日本サッカー遺産 -ワールドカップ出場舞台裏の歴史と戦略」P137 2009年、KKベストセラーズ
  8. ^ デットマール・クラマー(下)、賀川サッカーライブラリー。
  9. ^ NHK『その時、歴史が動いた -日本サッカーの父-』
  10. ^ クラマーコーチと大和魂 メキシコ五輪日本代表、日本トップリーグ連携機構。
  11. ^ めざせ!ベストサポーター (PDF) 、日本サッカー協会。

外部リンク[編集]