山の上ホテル
| 山の上ホテル | |
|---|---|
| ホテル概要 | |
| 正式名称 | 株式会社山の上ホテル |
| 開業 | 1953年(昭和28年)12月23日 |
| 所在地 | 〒〒101-0062 東京都千代田区神田駿河台1-1 |
| 公式サイト | 公式サイト |
| 種類 | 株式会社 |
|---|---|
| 市場情報 | 非上場
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| 本社所在地 | 〒101-0062 東京都千代田区神田駿河台1-1 |
| 設立 | 1953年(昭和28年)12月23日 |
| 業種 | サービス業 |
| 事業内容 | ホテル事業、レストラン事業 |
| 資本金 | 3600万円 |
| 従業員数 | 280名(2008年2月現在) |
| 関係する人物 | 吉田俊男 |
| 外部リンク | http://www.yamanoue-hotel.co.jp |
| 特記事項:写真は旧館正面 | |
山の上ホテル(やまのうえホテル Hilltop Hotel)は、東京都千代田区神田駿河台にあるホテルである。日本におけるクラシックホテルのひとつであり、特に1936年(昭和11年)に完成した旧館の建物はアール・デコ調のクラシカルな内外装を残している。
[編集] 概要
ホテルは1954年(昭和29年)の開業で、表通りからは奥まった神田駿河台の高台に位置している。
シンボルとも言える鉄筋コンクリート建築の旧館は、当初、財団法人日本生活協会の依頼により1936年(昭和11年)にアメリカ出身の建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計により「佐藤新興生活館」として完成した。ホテルは太平洋戦争(大東亜戦争)中、帝国海軍によって使われ、日本の敗戦後には連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)に接収されて陸軍婦人部隊の宿舎として用いられていた。
ホテルとしての開業は1954年(昭和29年)1月20日で、GHQの接収解除を機に、実業家・吉田俊男(1913-1992)が佐藤家から建物を借り入れる形で創業した。ホテル名は、GHQ接収時代にアメリカの女性兵士・軍属の間で建物の愛称になっていた「Hilltop」が起源で、これを吉田が「丘の上」でなく敢えて「山の上」と意訳したことによる。
吉田は長く旭硝子の営業部門につとめていた人物で、この前年に独立して個人事務所を設立、知人から旧・佐藤新興生活館の接収解除を伝えられたことを機にホテル業に参入した。吉田は自らの手で花森安治のコピーライティング等とも通底する個性ある広告コピーを執筆し、ホテル経営の素人であることを逆手に取った懇切な接客体制に務めるなど、その後半生を費やしてこのホテル独特のアットホームなサービス文化を築いた。吉田俊男の死後、ホテルの運営は吉田の子孫によって行われている。
後年増築が行われたものの、2011年(平成23年)時点でも総室数75室と小規模ながら、瀟洒なしつらえと行き届いたサービスによって知られ、レストラン・バーなどの付属供食部門が充実していることでも評価を受けている。
かつて出版社の密集していた神田に近いところから、作家の滞在や缶詰(ここでは執筆促進目的の軟禁場所としてホテルに強制滞在させられること)に使われることが多く、そのため「文人の宿」ともなっており、川端康成、三島由紀夫、池波正太郎、伊集院静らの作家の定宿としても知られる。檀一雄は舞台女優・入江杏子と愛人関係になり山の上ホテルで同棲し、入江との生活そして破局を描いたのが代表作『火宅の人』である。